髪を切る~ゲルトとエーリカの場合


「ねえトゥルーデ、イチゴ狩りに行こうよ」
「イチゴ狩り?」
 それは秋も深まった、ある日の事だった。
 この所、ネウロイが現れない日が続いていた。その日の規定の訓練を終えると、もうやる事がなくなってしまう。だから私は、自室で本を読む事にしていた。読書の秋という事もあり、予想以上にページは進む。
 私は読んでいた『若きウェルテルの悩み』に栞(クリスお手製。犬の絵が可愛い)を挟むと、エーリカに向き直った。
「イチゴなど……この時期にあるのか? 今は秋だぞ」
 すると彼女は、分かってないなぁと言いながら笑う。
「基地の裏の森で、偶然見つけたんだよ。結構たくさん。まだ誰にも見つかってないから、行って採ろうよ」
「しかし……」
 正直、あまり気乗りしない。野イチゴを見つけてしゃぐような年齢は、とうに過ぎた。
「トゥルーデもさ、引きこもりなんかしてないで、外に出ようよ。せっかくの秋なんだから」
「なっ、引きこもりだと?」
「そーじゃん」
 そこまで言われるのは心外だ。私はただ、本を読んでいただけではないか。それを引きこもりなどとは。
「それに何、その本。なんか分厚いし、面白くなさそう」
「これはゲーテだ、エーリカ。まさか彼を知らないのか? 我がカールスラントきっての文豪だぞ」
「ふーん」
 エーリカは興味無さそうに、そして相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべている。私は椅子から立ち上がった。
「……よし、いいだろう。付き合ってやる。どことでも案内するがいい」
 その言葉に、彼女は嬉しそうに相好を崩した。
「さっすがトゥルーデ! 愛しているよ、お姉ちゃん! ──じゃあ玄関で待ってるから、かごか何かを忘れずに持って来てね」
「あっオイ待て、エーリカ!」
 彼女は私の制止も聞かずに、手を振りながら出て行ってしまった。まるで騒がしい木枯らしが通り過ぎて行ったみたいだ。そういえばアイツの固有魔法も竜巻だったなどと、何となく考える。
 私は、やれやれと溜め息を吐く。何か、上手く乗せられてしまったような気がする。
「ふう……。そういえばエーリカの奴、かごがどうのこうの言ってたな」
 仕方なしに、私はかごを探し始めた。

×××

「トゥルーデ、お待たせー」
「随分遅かったじゃないか、エーリカ」
 彼女が私の部屋を出てから約三十分。指定の待ち合わせ場所には、何故か私の方が先に到着していた。
「さて、じゃあ行こっか」
 無邪気に歩き出そうとする金髪の小柄な同僚を、私は腕を組んだまま睨め付ける。
「どうして先に部屋を出たお前より、私の方が二十分も早く着いていたのか。些か疑問が残るのだがな」
「ははは。トゥルーデ、細かい事は気にしちゃダメだよ」
「だいたい、いつも言っているじゃないか。お前は何に対してもダラしなさ過ぎる。カールスラント軍人としての自覚が足りん」
「ハイハイ。そんな事より、先行くよ」
 そう言うと、エーリカはさっさと歩き出してしまう。しょうがない。帰ったらたっぷりと言い聞かせる事にしよう。私は部屋の隅から引っ張り出した金属製のバケツを掴んで、その背中を追い、石畳を走った。
 
「へえ、しばらく見ないうちに、ここも随分と様変わりしていたんだな」
 私はきょろきょろと辺りを見渡す。秋真っ盛りだった。城の外壁に巻き付く蔦は赤く燃えている。カエデやイチョウの葉は黄色く色付き、見上げた雲一つない青空と、見事なコントラストを成している。
 そんな木立の中を、私とエーリカはゆっくり進む。落ち葉を踏む度に、足の裏でサクリと軽い音が鳴る。かき集めて、501のみんなでヤキイモをするのも楽しいかも知れない。ホクホクのジャガイモにバターを溶かして、熱いうちに食べるのだ。きっと美味しいだろう。
「わたし達ウィッチはさ」
「ん?」
「普段は空ばっかり飛んでいるから忘れちゃうんだけどね。たまにはこうやって、地上を見て歩くのも大事なんだよ」
「──そうだな。その通りだ。エーリカのくせに、良い事を言うじゃないか」
「あー。トゥルーデがバカにしたー」
「いや、違うぞ。褒めているんだ、これは」
 軽口を叩き合いながら、私達は歩く。こんな素晴らしい景色を見る事が出来たのだ。エーリカには感謝してもし切れない。──何となく悔しいから、口には出さないが。

「それにしても、結構遠くまで来たな。まだ着かないのか?」
 振り返ると、基地の尖塔は遥か遠く、木々に隠れて見えなくなろうとしていた。
「あともうちょっとだよ」
「こんなに遠いのなら、先に言え。今ネウロイが現れたらどうするんだ。警報が鳴っても、私達はすぐには出撃出来ないじゃないか」
 私の言葉に、エーリカは誤魔化すように笑う。
「その時はその時だよ。それに大抵のネウロイなら、わたし達がいなくても大丈夫でしょ」
 自然の美しさに心が寛容になったのか。はたまたその無邪気な笑顔に毒気を抜かれたのか。いずれにせよ、彼女を責めようという気は既に失せていた。
「確かにな。しょうがない、その時は私も一緒にミーナに叱られてやるさ」
「あっ、トゥルーデ優しー」
「おいっ、エーリカ! コラっ、離れろくっ付くな──」

×××

「ほら、着いたよ」
 エーリカが指し示したそこは、イチョウの林の間に広がる僅かなスペースだった。
「成る程……これは確かに凄いな」
 そして、たわわに実をつけたブラックベリーの木が一本、二本、三本──沢山。数え切れない程沢山の木が自生している。実はどれも黒ぐろと熟し、見るからに甘そうだ。
「よくこんな場所を見つけたな、エーリカ」
「えへへ、スゴイでしょ?」
 自慢げに笑う彼女。私達は木に近付き、その黒真珠のように輝く実を一つ摘んだ。
「ん、甘い」
「そうだね」
 口に含むと、甘い果汁とそしてほのかな酸味が舌に広がる。とても美味しい。私とエーリカは、一つ、二つと摘んでは口に入れていった。
 クリスにも食べさせてやりたい。私は、今も病院にいる妹に思いを馳せる。
「何か言った、トゥルーデ?」
「いや。──それよりエーリカ。いつまでも食べてないで、隊のみんなにも摘んで帰るぞ」
「りょーかい」
 十五分とかからずに、私が持参したバケツは一杯になった。辺りはブラックベリーの甘い芳香が充満している。
「そろそろ陽も傾いてきたね。帰る?」
 果汁でベトベトになった指を舐めながら、エーリカが言った。
「そうだな」
 私の指もベトベトで気持ち悪いけど、流石に舐めてそのまま、というのには抵抗がある。帰ってから水で洗う事にしよう。
 私達は来た時と同様に、並んで歩き出した。

 イチョウの木立の中を、二人で進む。降り注ぐ木漏れ日は黄金色。時折、イチョウの葉がはらりと舞い散る。そうして出来た黄色の絨毯の上を、私達は戦利品を手に凱旋する。
 不意に、強い風が吹いた。落ち葉がくるくると螺旋を描いて舞い上がる。小さな突風は様々なものをかき乱して、瞬く間に吹き抜けて行った。
「うわあ。今の、スゴい風だったね」
「全くだ」
 私は手の甲を使って、不器用に乱れた襟元と髪を整える。ブラックベリーの汁を付ける訳にはいかない。作業は難航した。
 しばらくそんな私の様子を見ていたエーリカだったが、ふと口を開く。
「もしかしてさ。トゥルーデ、髪伸びた?」
「髪?」
 言われて気付く。そういえば最近、朝髪を結ぶのにかかる時間が以前より増えた。
「確かに。伸びてきたな」
 前回切ったのはいつだっただろうか。思い出せない。面倒だから自分で切ろうか、などと思案していると、エーリカが瞳を輝かせながら口を開いた。こんな表情の時の彼女は、何かろくでもなく事を考えているに違いない。
「トゥルーデ、わたしが切ってみてもいい?」
「却下だ」
 やはりそう来たか。
「えートゥルーデのケチ。何でダメなの?」
「お前に任せたら、どんな髪型にされるか分かったものじゃないからな」
「切らせてー切らせてー」
「どこの子どもだ!」
 とは言うものの昔からこのような場合、折れるのは大抵が私の方だった。だから基地まで戻った時、いつの間にか自分で部屋を掃除するという約束で、エーリカが髪を切るという事になっていた。

×××

「じゃあ切り始めるよ。トゥルーデはわたしがいいって言うまで目を瞑っていてね」
「……ものすごく不安なんだが」
 基地内の私の部屋。私は椅子に座らされ、頭からポンチョを被っている。そして背後には両手にハサミを装備したエーリカ。先程から切れ味を確かめるように、しきりにぎっちょんぎっちょんしている
……嫌な予感しかしない。
 ちなみにバケツは、キッチンで宮藤とリネットに渡した。今夜のデザートはブラックベリーパイになるそうだ。
 私が瞳を閉じたのを確認して、エーリカは髪にハサミを入れ始めた。

 その時。
 ぢょっきん。
「あ」
 不吉な、とても不吉な音がした。
「……」
「……」
「……なぜ黙っている」
「……え? 何の事?」
 思わず私は、目を開けて自分の髪を確認したい衝動に駆られた。多分、恐ろしい事になっているのだろう。
「だからお前に任せるのは嫌だったんだ」
 何か、泣きたくなってきた。一カ月位、誰にも会わずに引きこもりたい。
「べ、別に失敗したわけじゃないよ」
「嘘をつくな、嘘を」
「嘘じゃないってば。ここをこうやって──」
 エーリカの指が、私の頭の上を忙しなく動く。
「ここを切って──」
 チョキチョキ、チョキチョキチョキ。
「こうすれば──」
 髪が結ばれて。
「──完成。トゥルーデ、目を開けてもいいよ」
 私はその言葉に、恐る恐る目を開けた。鏡の前まで歩く。目の前を見た。
「な──」
 そこ、つまり鏡の中には、いつもと少しだけ違う私がいた。どこにもおかしな所はない。むしろ、切る前より良くなった気がする。
「ね、失敗なんかしてないでしょ?」
 いつの間にか後ろまで来ていたエーリカが、悪戯の成功した子どものように笑いながら言う。
「あ、ああ。そうだな。疑って悪かった。礼をしなければな」
 するとエーリカは、とんでもない事を言った。
「お礼ならキスでいいよ」
「なっ! き、キスだと!?」
「うん。キス」
「で、出来るかっ!」
 顔が熱い。ちらりと見えた鏡の中の私は、耳まで真っ赤だった。
「キスなんて普通じゃん。何も口にやれっていうんじゃないよ。頬っぺたでいいから」
 エーリカはここ、と言って笑いながら自分の頬を指差す。私は覚悟を決めるしかないようだ。ゴクリと唾を飲み込む。
「い、いくぞ」
「うん。いつでもいいよ」
 余裕の笑みすら浮かべて瞳を閉じる彼女。私の心臓はドクドクと、痛い程に早鐘を打つ。握り締めた手が汗に滲む。無邪気に瞳を閉じている彼女。
 私はふと、エーリカのその余裕に満ちた表情を、壊してみたくなった。
 近付く距離。顔と顔。互いの息遣いさえ感じられそうで。
 だから私は、頬ではなくその唇に──
 そっとキスをした。

「──!」
 驚きに見開かれる彼女の瞳。その顔を見て、私は達成感にも似た、深い満足を覚えた。
 私は彼女の小柄な躰をそっと抱き寄せる。抵抗はない。彼女は、全てを私に委ねていた。
 私の両腕にすっぽり収まってしまう程小さな躰。こんなに小さくて頼りなさそうな躰で彼女は空を翔け、誰よりも果敢にネウロイと闘うのだ。そして守るのだ。仲間を誰一人失う事のないように。そんな彼女が愛おしい。守りたい。
 私達は、どちらともなく瞳を閉じた。長い長い、キスだった──。

×××

「ズルいよ、トゥルーデ」
 すっかり陽も落ちて、明かりの灯った私の部屋。少しだけご機嫌斜めのエーリカと少しだけ機嫌が良い私は、ベッドの上で向かい合って座る。
「頬っぺたって言ったのに」
 取りあえず私はしらばくれる事にする。
「ん? 何の事だ?」
「もう! だからキスの事!」
 そう言いながらも、彼女の顔は面白い程サッと赤く染まる。終には、あ~とかう~等のうめき声を上げて枕に突っ伏してしまった。私はその様子を意地悪くニヤニヤと笑いながら見る。
「まあ、少しは悪かったと思っているさ」
 反省はしないけど。
 エーリカがようやく枕から顔を上げた。まだもう少し機嫌が悪そうだ。これからしばらくは、何も言わずに彼女の言う事を聞くようにしようと思う。説教も無しだ。
「でも──」
「どうした?」
「嫌、じゃなかったよ」
 ようやく見せたエーリカの笑顔。つられて私も笑う。
 私達は顔を見合わせて、いつまでも笑っていた。

おわり


エイラーニャ編:0516

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