無題
世界中できっと、誰よりもずっと。
幸せな場所が、ここにある。
ほら、君が奏でる音は、世界中で何よりも、私にとって大いなる福音。
年の暮れに行われる冬至祭のパーティは、外の寒さに身動きが出来ないフラストレーションも相まって
いるのだろうか、夏至のそれに負けないくらいに盛大だ。室内は盛大に飾りつけがなされテーブルには
大きなケーキとたくさんのご馳走。煌々ときらめく電灯に、誰の心も沸き立つよう。
年の暮れはとにかく目出度いことをとりあえず沢山詰め込んだようで、私たちの住むヨーロッパでは文化
の違いが大きくあるのにもかかわらずどの国でもやれどこかのお偉いさんの誕生日だとか、やれどこか
の気前の良いおっちゃんがプレゼントをくれる日だとかとごちゃ混ぜになってみんな好き勝手に一年の
締めくくりを盛大に祝う。逆に遠くはなれた扶桑とかだともっと静かにこの時期を過ごすようで、当初は
ひどく驚いた顔をしていたけれど『めでたいものはめでたいんだ』と主張したらそう言うものなのか、と
すぐに納得してくれた。
そうだ、せっかくの年の暮れ、誰が決めたのか、一年の終わり。そこで区切りをつけるんだから、今までの
ことなんてすっかり忘れて楽しく過ごせばいい。今年一年自分がどんな過ちを犯しただとか、どんな悲しい
ことがあっただとか、そんなことを考えていたらつまらない。なんにせよ、楽しいことを優先したほうが生き
るのは楽しいに決まってる。何かにつけて『何を考えているのか分からない』と周りに言われる節のある
私だけれど、行動理念なんて実はそんな単純なものなんだ。面倒で、説明なんてしないからたぶんだれも
しらないけれど。
…けれど、世の中そううまくはいかないことだってある。
それは、私たちの戦う相手はそんな祭りなんて全く知らない、この私にだって何を考えてるのか分から
ない、だから一緒に祝えるはずもない、そんな異形の怪物たちなんだから。
ミーティングルームに集っている仲間たちはもうすっかり出来上がっていて、その隅っこのソファで私は
ぼんやりとその光景を眺めていた。
この冬の祭りは私の国では、一大イベントとも言える重要な祭りだ。世界中の子供たちが楽しみにして
いる冬至祭──クリスマスのプレゼントを配るサトゥルヌス神ことサンタクロースは、私の国が故郷だと
伝えられているからだ。スオムスにいたころもこの日が来ると決まってひげもじゃで赤い服を着たおっちゃん
が基地にやってきて、私たちにおいしいお菓子や本と言ったなかなか面白いものや、新しいストライカー
ユニットや武器といった恐ろしく現実的なものを届けに来たものだった。もちろんその中身がその実空軍の
えらいおっちゃんだったり、どっかで見たことある顔だと思ったらマンネルハイムのじーちゃんだったりとか
したんだけれど。ちなみにマンネルハイムのじーちゃんから貰ったのは確か勲章だったな、うん。
スオムスではそんなクリスマスが普通なのだけれど、やはりここブリタニアまでなんかするとまた実情が
違うらしい。こうしてホームパーティを開いておおはしゃぎし、飲んで食べて騒いで眠り、目が覚めたら
プレゼントが枕元においてあるのだと聞いたときは坂本少佐のまねをして「けしからん!」と叫びたくなった
ものだった。サンタクロースもトントゥも現れないクリスマスなんて、なんて寂しいクリスマスだろう。
「眠くないか?」
ジュースの入ったグラスを傾けながら、私は隣で私の肩を枕にしてうつらうつらしている子に話しかけた。
少し、と言う小さな呟きが返って来る。
「部屋で少し寝てル?」
「…大丈夫。」
「そっか。…あ、飲むカ?」
グラスを差し出すと、こくりと頷いて彼女がそれを受け取って飲む。喉が渇いていたんだろうか、半分くらい
残っていたジュースはすっかり空になってしまった。お代わりはいるか、と尋ねたら小さく首を振ったので、
私は空のグラスを持ったままそのままでいることにした。壁にかけられた時計を見やる。ああ、そろそろだ。
思った瞬間、きゅ、と手を握られた。どきりとする私。
「…エイラ、いいよ。みんなのところに行ってきて」
「デモ、」
「私、そろそろ哨戒の時間だから。…私の分も、楽しんできて」
ぱ、と離される手。立ち上がるその子。小さく笑顔を作ってそんなことを言うものだから、私はちらりと
みんなのほうに目をやってこちらを見ていないことを確認して、ずっと前から用意していた言葉を言った。
なんだかちょっぴり気取ってるけど、別に変な意味なんてないんだからな。絶対絶対、ないんだからな。
何度も何度も自分で自分にそう言い聞かせて。
「じゃあ行コ?みんなのことなんてほっといて、二人で夜の空を楽しもうヨ、サーニャ」
空のグラスをその辺りにおいて、笑ってサーニャに手を伸ばす。クリスマスイヴの夜に空を飛べるなんて、
サンタクロースと私たち以外に誰も出来ないよ、サーニャ。重ねてそう言ってやったら、驚いた顔で私を
見上げていたサーニャが「うん」と頷いて笑ってくれた。
*
「…ねえ、エイラ…」
私の傍らを飛ぶサーニャが、もごもごと濁すように呟いた。
「ん、ナンダ?」
私は返す。その拍子に、腕に取り付けた鈴がリン、リンと音を鳴らす。静かな夜の、澄んだ空気に溶けて
いく優しい音。スオムスのクリスマスではいたるところで、この綺麗な音色がハーモニーを作り上げていた
っけ、なんて思い出す。
「あの、なに、この服」
「サンタクロースの服。」
「…うん」
そんなの見れば分かるじゃないか、と言わんばかりに答えたら、ちょっぴり呆れたような言葉が返って
きた。私は至極真面目に答えたつもりだったんだけど、やっぱりスオムス以外では意味不明なことなのか
もしれない。
そう言うサーニャはいつもの黒い服じゃなくて、私が渡した赤い服に白いファーをあしらった、いわゆる
『サンタクロース』の格好をしていた。頭には同じような帽子が取り付けられていて、その先っちょでは
白い雪のようなポンポンが揺れている。本当は長い長いひげもあったんだけれど、それは流石に飛行の
邪魔になると思って止めておいた。「サンタクロースの服が欲しい」と以前故郷にいたずら半分で打診
してみたら恐らくあの真面目な先輩辺りが本気にして、本当に送りつけられてきたものだ。
もっともあの人ときたら私がこちらに来てから全く成長していないと思い込んでいるらしく、今の私にとって
見たらずいぶんと小さめのサイズだったのだけれど。だから試しにサーニャに着せてみたら、これが
ぴったりで、しかも恐ろしくよく似合っていて。まるで私のためだけに小さなサンタクロースがやって来て
くれたような気持ちになってついつい顔がほろ込んでしまう。
「エイラのも、サンタクロース?」
「違うんダナ、これが。こっちはトントゥって言ってさ、サンタクロースの手伝いをする妖精なんだヨ」
「…サウナの妖精とは違うの?」
「同じだよ。トントゥはスオムスの山やサウナにいるんダ」
ふうん、と一つ息をついたサーニャが、かわいいね、と続けて笑う。何だか得意な気持ちになって私も
笑った。だってペリーヌやハルトマン中尉ときたらサウナの妖精のこと全然信じてくれないんだ。実際に
姿を見たことなんてないけれど、サウナの妖精はちゃんといるんだ。ちゃんと私がスオムスから頼んで
一人連れてきた。もしかしたら寂しがって、もう何人も連れ立ってきちゃってるかもしれない。そう考えると
ほら、なんだかわくわくしてくるじゃないか。
まるで海のように広がる雲は、月明かりを清かに反射してまるで昼間のように明るい。今日の天気は
曇りがちだったけれど、空の上はいつも晴れているんだ。年中無休で綺麗な月と星を見られる。多分
それもきっと、すごくすごく幸せなこと。
見えるか、と尋ねたら、サーニャはふるふると首を振った。ネウロイの気配はないらしい。ネウロイも
こんな日はゆっくり休んで、みんなでおいしいご飯を食べて騒いだりしてるんだろうか。そんなことはまあ、
ありえないけれど。そう言えばスオムスにいた頃一度だけ、クリスマスイヴにネウロイの襲撃がぶつか
ったことがあった。もちろん私たちはパーティの真っ最中で、ちょうどプレゼントを受け取っているところ
だったりして。
鳴り響いた警報に、私たちはそれぞれ口をケーキまみれにしたりチキンを口にくわえたりしながら出撃
したのだ。そのときの格好ももちろん、今と同じ赤い帽子に赤い服。スオムスの子供ならみんなする、
トントゥの姿だったっけ。
「…ラジオ、聞く?」
頭のアンテナを淡い緑色に輝かせながらサーニャが言った。二人で夜間哨戒に出掛けるときはいつも
そうしてラジオを聴いて、聞こえる音楽を二人で歌ったり、笑ったりする。かつては二人だけの秘密だった
けれども今では部隊のみんな、誰でも知っているサーニャの力。それはそれだけ、サーニャが部隊の
みんなに打ち解けたということ。
「今日はやめとこうヨ。それよりも、サ」
腕を頭の後ろに回してくるりと旋回すると、またリン、リンと鈴が鳴る。それが面白いのか、サーニャが
微かに微笑んだ。どうしたの?言葉を促すようにサーニャが言った。
「あのさ、私のために、歌ってくれないかな。──今日はラジオじゃなくて、サーニャの歌が聞きたいんだ」
形のない、だからこそ無限大にきっと大きい、何よりものプレゼント。普段だったらこんなこと、恥ずかし
いし申し訳ないしでなかなか言えないけれど、今日だけは特別。だってクリスマスイヴだもの。何か
プレゼントをくれてもいいでしょう?サンタクロース。
耳に取り付けられた通信機をはずしてポケットへ。恥ずかしがりのサンタクロースの声がちゃんと聞こえ
るように、小さな口に耳を寄せて。
私の体に映る光から、サーニャのアンテナの光がピンク色に変わったのを見た。恥ずかしかったらそれ
でも良いんだ。でも、今日だけだから、ね、いいでしょう?懇願するように囁きかける。たまには私だって
わがままを言ってみたいんだ。
YES。その返答の代わりに耳に届いたのは、音に乗せたサーニャの吐息。ら、ら、ら。耳元でハミングの
ように囁かれる音楽は、私も良く知っているクリスマスソング。まきびとひつじの。昔々どこかの国で
生まれた神様の、誕生の報せを聞いた羊飼いたちの歌。ねえ、サーニャ、知っている?その報せは
ブリタニアでは良い報せ、グッドニュースとしか言わないけれど、ある扶桑の名もなき人が、かつてこう
訳したらしいよ。
福音。
──しあわせのおと、ってさ。
耳の穴から鼓膜を震わせて、優しい優しいサーニャの声が、私の心にまで響いていく。盛大なパーティー
でもなくて、大掛かりなお祝いでもない、寂しくて静かなクリスマスのこの宵。
でもね、私は思うんだ。幸せだなって、思うんだ。とくん、とくん、と、心臓が緩やかな、けれどもいつも
よりも強い鼓動を鳴らす。ちりん、ちりん、と手首の鈴が、風に吹かれて澄んだ音を響かせる。何よりも
ほら、大好きな大好きな、君の声がすぐ近くにある。
ねえこれを、私は福音って呼びたいんだよ。
この気持ちを伝えたくて、けれども上手く言葉にならなくて、思わず手を伸ばしてサーニャの手を握り
締めた。願うなら繋がったそこから、この幸福な気持ちが伝わりますように。
歌が途切れる。続きを催促したくてサーニャに向かい合ったら、サーニャがどうしてか、真っ赤な顔を
してこちらを見ていた。…いや、どうしてか、なんて本当は分かってるのかもしれない。だってたぶん、
私も同じ顔をしてるんだと思う。
ねえ、エイラ。
少しうつむいて、サーニャが呟く。手は繋がれたままで、ゆれるたびにリン、リンと音を鳴らす。
私にもプレゼント、ちょうだい?
明日一緒に買いに行こうと思ってたんだけど、と答える前にサーニャの顔が近づいてくる未来が見えた
から、私は観念してその未来を待ち構えることにした。
了