energy clock
かちこち。
こつこつ。
かちこち。
ちくたく。
エーリカの部屋に置かれた無数の時計。
時を刻む音が、互いに反響し合い、増幅させる。
こんな落ち着かない空間の中で眠れる訳がない。
元はと言えば遅刻魔のエーリカの為にとトゥルーデやミーナ、妹のウルスラが贈ったものも合わせて
無数に時計が存在しているのだが、実際のところ目覚ましとなり得るものは殆ど無く、
逆にぜんまいや電池が切れて時計そのものの機能が止まってしまったものも少なくない。
そして現在、エーリカはこの部屋に殆ど立ち寄らない。
いつもは愛しの人、トゥルーデの部屋で一緒に寝起きしているからだ。
この部屋には、たまに荷物を取りに来る位になってしまった。
言うなれば「物置」。
トゥルーデと一緒なら、寝坊しそうになっても起こしてくれる。起こし方は結構乱暴だけど。
トゥルーデと一緒なら、眠りにつけない時でもずっと横にいてくれる。たまに本気で寝かせてくれないけど。
トゥルーデと一緒なら、部屋を移動する事なく、いつでも愛しの人と触れ合う事が出来る。身も心も。
部屋の主が殆ど立ち寄らなくなった部屋はますます荒れ果て、物置とすら形容しがたい一角になってしまった。
トゥルーデが夜間哨戒の前半シフトについて一時間後。
エーリカは暇を持て余してトゥルーデの自室でごろごろと転がっていた。
トゥルーデの日記を読んでニヤニヤしたり、トゥルーデがメモした戦闘記録を読んで空戦の参考にしたり、
クリスに書きかけの手紙を見てこれまたニヤニヤしたり……
クリスとトゥルーデの写真が収められた小さな写真立てを見て、溜め息を付いたり。
……なんで私、今溜め息が出たんだろう。エーリカは自問した。
クリスはトゥルーデにとっても、そして同じく妹(双子だが)を持つエーリカにとっても大切な存在。
トゥルーデにとって、クリスは戦う理由そのものだから。今はちょっと違う様になっているけど。
だからあの“おカタい”ウルトラエースには、妹の存在は欠かせない。
だけど。
トゥルーデがクリスに向ける柔らかで、時として力強い笑顔は、見ていて元気付けられるけど、
エーリカにも同じ顔は、しない。
当たり前だ。本当の家族と恋人では違って当然。
だけど。
分かっては居るけど、心の内側と外側の狭間で、ちくちくと痛む何かが有る。
分かってる。そんなの、ただの見当外れの嫉妬。
「……馬鹿なの」
エーリカは口に出して、写真立てを戻すと、ベッドに横になる。
トゥルーデはこう言う時どうしてるのかなと考えを巡らし、思い出す。確か「指輪を見る」と言っていた。
同じ輝きを見ると、どうの、と言っていた。
エーリカは指輪を見る。少し濁っていた。そう言えば手入れとかあんまししてなかった事に気付く。
常に綺麗にしているトゥルーデが見たら怒るかも。
エーリカは自室へ戻り、柔らかい布を探しに戻った。
部屋に戻る。久し振りの“我が家”……と言うよりゴミ置き場だねこりゃ、と苦笑いするエーリカ。
ベッドの上にまで本やら酒瓶やら服が散らばっている。
また一緒にトゥルーデに掃除手伝って貰わないと、と呟く。
本当はトゥルーデが殆ど全部やってくれているのだが、エーリカはその辺あんまり気にしない。
こんな部屋に綺麗な布なんてあるのかな、と辺りを探す。
適当な布を見つけ、引っ張る。上に積んであるモノの“山”が、がらごろと崩れた。
布の正体はズボンだった。ああ、こんなとこにあったのか、と目の前にぶら下げてみる。
しかし、流石にズボンで指輪を拭く訳には行かない。
他には……探していると、突然背後で時計が鳴った。びっくりして振り返る。
崩れた山の中から「出土」したものだ。その発掘品を手に取る。
箱形でゼンマイ式。サイズも手頃。でもぜんまいは巻かれていないのに何故鳴ったのだろう?
崩れたショックで鳴ったんだろうか。
まじまじと時計を見る。
ブリタニア製と思しきその時計は……、トゥルーデがくれたものだと確信する。
理由は……時計の裏に「愛しの人へ」と書かれていたから。
エーリカは布の事はすっかり忘れ、時計を片手にトゥルーデの部屋へと戻った。
トゥルーデが夜間哨戒から戻ってきた。後半シフトはペリーヌが引き受ける。
最近は夜戦要員のサーニャの負担を減らし、また皆を夜間哨戒に慣れさせる訓練も兼ね、
夜間シフトを半分ずつ交代させると言う変則的シフトをミーナは提案し実行していた。
そんな訳で、真夜中……時計の短針がちょうど十二の字を過ぎる頃、前半組は基地に帰還する。
少しうとうとしていたエーリカはトゥルーデの帰還を喜び、まずはお帰りのキスを交わす。
ひとしきり変わらぬ気持ちを確かめた後、改めて愛しの人に声を掛ける。
「ねえねえトゥルーデ、綺麗な布無い?」
「布? 何に使うんだ?」
「この指輪、少し汚れた気がして」
「……なら、これを使え」
トゥルーデはいささか幻滅した様子で布きれを差し出した。折り目も綺麗なガーゼだ。
エーリカはそれを受け取ると、指輪を無心に拭き始めた。
「あんまり力入れるなよ。歪んだり傷付いたりするから」
「分かってるって。これ高いんだよ?」
「高い事は知ってる。でもあえて値段は聞かない」
答えを聞いてふふ、と笑うエーリカ。
トゥルーデは、ベッドの脇に置かれた時計に目が行った。
「あれ、この時計どうした? 何故私の部屋に?」
「私の部屋から出てきた。と言うか呼ばれた」
「呼ばれた? なんだそりゃ」
「ぜんまい切れてたのに、私の事呼んだんだよ。だから連れて来た」
「……これはお前の為に私がロンドンで買ったものだぞ」
「覚えてるよ。だから」
「まったく」
「トゥルーデ、私の代わりにぜんまい巻いてよ」
「贈った私が巻くのか?」
「そうしたら、私、朝起きられる様になると思う」
「ホントか?」
「だってトゥルーデが私にくれたものだよ?」
「なら……わかった」
ぶつくさ言いながらもきりきりとぜんまいを巻くトゥルーデ。
「時間もセットした。これで万全だ」
「お疲れ様」
エーリカが拭いていた指輪も綺麗になり、指にはめ直す。
「どう? トゥルーデのと輝き具合変わらないよ。一緒だね」
「ホントだ」
二人して指輪を付き合わせて、ふっと微笑む。
ふわわ、とあくびがでるエーリカを見て、トゥルーデが声を掛ける。
「先に寝てて良かったのに」
「トゥルーデ寝て待ってなんていられないよ。起きてたい。何か有ったらすぐ飛んでいけるように」
「ありがとう」
「それに、起きてないと、二人で居られる時間が減る気がして」
「まあ、な」
トゥルーデの髪の結び目をそっと外すエーリカ。髪が降り、肩と首に掛かる。
エーリカはトゥルーデを抱きしめながら、片手でその髪をすくいあげ、匂いを嗅いだ。
トゥルーデ愛用のシャンプーの香りがする。報告もそこそこに、急いで浴びてきたのだろう、
シャワーの残り香と一緒にトゥルーデの身体本来の匂いも微かに漂う。
「急いでたから、少し臭いが残ってる」
「トゥルーデの匂い~」
エーリカはひとしきり嗅覚でトゥルーデを楽しむと、今度は触覚とばかりに肌を密着させ、
味覚とばかりに口吻を交わす。トゥルーデもいつもの事とばかりに、濃密なものとなる。
たれる雫を舌で絡め、首筋、鎖骨へと這わす。深い交わりになるのに時間は掛からなかった。
「遅刻だよ……」
エーリカは目覚まし時計を見て呟いた。トゥルーデの顔を見て、確認する。
「私は止めてないよ?」
横であたふたと支度をするトゥルーデが顔を赤くして言い訳した。
「すまん。つい癖で……」
「トゥルーデ、起きたら私も起こしてよ? 何で時間過ぎても私達一緒に抱き合って寝てるの?」
「つい、その……」
「目覚まし鳴らなかった?」
エーリカの問に対する、トゥルーデの意外な一言。
「私が、止めた」
「ええ~」
「もっと、お前と、その……まあ、とにかく急ごう」
トゥルーデはもじもじと言い訳をしながら、服を着た。
でも良いよ。きっと今夜も、トゥルーデは時計のぜんまいを巻いてくれるだろう。
今度こそ、私が先に起きたら……トゥルーデの事を玩んでやるんだ。“やられっぱなし”はちょっと悔しいからね。
エーリカはちょっとした決意を秘め、時計に軽くぽんと手を付くと、トゥルーデの頬に口吻した。
「行こう」
「ああ」
二人は手を取り、部屋から掛け出した。
いつもと変わらぬ、朝の風景。
でも少し違うのは、目覚まし時計のあるトゥルーデの部屋。
贈り主と持ち主が一緒に過ごすその部屋で、目覚まし時計はぜんまいが巻かれ、
“とき”を知らせる役割を引き受ける。恐らく、それ以上の事も。
エーリカにとっては、トゥルーデとの間に出来た新たな刺激のひとつ。
時計ひとつで、毎朝が楽しみになる。なんて素敵な事だろう。
エーリカは急ぐトゥルーデの腕を取り、微笑んだ。
真意は判りかねたが、トゥルーデもエーリカの楽しそうな表情を見て、穏やかな笑みを返す。
目指す部屋はもうすぐ。二人は足を速めた。
end