Side Sanya
今日だけ。今日だけ。今日だけ。
そうやって何回も何回も『今日だけ』を積み重ねていったら、それって“ずっと”になったりしないかな。
ねぇ、エイラ。
あたたかい部屋で目覚める。やわらかい毛布につつまれている。ゆらゆらとおぼろげな視界で見回してみてもここ
には私以外に動くものはない。
「・・・エイラ?」
カーテンを透かしてしめたとばかりに入り込んでくる日差しなんかよりずっとあたたかくて優しい、この部屋の主を
呼んでみても当然のように返事はない。寝ぼけ眼を装って夜間哨戒任務の後にこの部屋に訪れるようになったのはい
つからだっただろう。今朝で何回目になっただろう。最初は本当に無意識だったのだろうし、でも本当に無意識に彼女
を求めていたんだろうとも思う。
この部屋は私の部屋よりも朝日に対して正直で、
この部屋は私の部屋よりなぜか居心地がいい。
このベッドは私のものより随分と暖かだし、
このベッドは私のものよりもなぜか寝心地がいい。
何よりこの部屋には、彼女がいるから。いつだって素直に感情を面に出す貴方の隣はいつだって私にとって居心地が
よく不思議と胸の辺りが熱を持ち、そんな貴方の部屋だから私は何にも不安に思うことなくぐっすりと眠ることがで
きる。
だから私は、ここへ来る。貴方はいつだって『今日だけ』と仕方なさそうにでも優しく言ってくれるものだから、だか
らなんだかもう、私にとって帰る場所っていうのはいつの間にかこの部屋だと頭の中で置き換えられてしまったのだ。
だってどんなに眠くたってエイラの部屋だけは間違えない。迷うことなく私はこの部屋を目指すことができる。
だけど彼女はそんなこと知る由もなく、何間違えてンダヨと一寸ため息をついて私にそっと毛布を掛ける。彼女とき
たら折角の睡眠を邪魔されたって早朝にたたき起こされたって寝床と毛布を奪われたって文句の一つも言わないもの
だから、それどころかいくらも気にしていないかのように振舞うものだからともすれば私は一瞬、今朝は間違って自
分の部屋に帰ったのかなと思うことだって珍しくない。
今朝はどうだろう。ベッドの端で綺麗に揃えられて着られるのを待っている私の軍服、日差しを遮るのにあまり役立っ
てはいないカーテン、部屋の主の趣味の片鱗か光を反射する大きな水晶玉、お気に入りのぬいぐるみの不在、そういっ
たものすべてはここが私の部屋ではないことを雄弁に示している。
彼女が今朝毛布と共に掛けてくれたお決まりの言葉もちゃんと耳に残っている。
今日だけ。今日だけ。今日だけ。
あの言葉は、今はもうどれだけ積み重なっていっただろうか。
“ずっと”までは、まだ遠いかな。
ちかちかと部屋を照らす日差しは今にも部屋を満たさんとしている。隙間から、また強引にカーテンの布地を透かして。
室内はそのおかげかほんのりと温度を上げ、私の覚醒をより確かなものへと促す。
この頼りない幕を開ければ今度こそこの部屋は日差しで満員になってしまうだろう。私にはどうにも真昼の空は似合わ
ないらしいから、この身が纏うのは任務にふさわしくこんな夜色をしたものだから、知らずおそるおそるという形容が
ふさわしいだろう手つきになってしまうこの頼りなく細い掌は、それでもカーテンの裾を掴んだ。ぎゅっと。
小気味いい音がしてカーテンが開かれていく。直接的な光に慣れていなかった目が眩しさに閉ざされる。門前払いを
受けていた日差しが勢いよくなだれ込む。
眉間に力を込めながら思わずやぶ睨みに見遣った真っ青な空を、横切る、細長い
幾筋かの雲。
昼前の空はどこを見渡しても真っ青で、それを切り取るストライカーユニットの軌跡はどこまでも真っ白で
きっと訓練中なのだろう白く尾を引く中空の魚たちは規則正しく無個性にも見えた。
貴方も、今、大空を真っ直ぐ切り取っているのだろうか。
貴方が纏うのは空色の軍服と雲色の肌とお日様色した髪と。
そんなにも青天に似つかわしい色ばかりをしているものだからいとも容易く空に溶け込んでしまって混じり合ってし
まってこの目にはっきりとした輪郭を伴って刺激を伝えてくれない。
でもそれは逆説的に言えば、どこまでも空に近しいのが貴方であるという証で、だから私は誰よりも稀薄な姿を探す。
あれが、彼女だろうか。
そう予測をつけた瞬間その軌跡が急な弧を描いて青いカンヴァスに落書きした。一緒に訓練に出ているであろう宮藤
さんだとかペリーヌさんだとかをからかおうとして転回してみせたのかもしれない。訓練中にそんなことをしたら後か
ら少佐に怒られてしまうかもしれないのにエイラってば。
思わず緩みそうになった口元を右手で押さえようとして、途中で何を思い返したのか窓枠に向かって手を伸ばしてみる。
いや、窓枠にではなく、彼女の影に。緩やかに弧を描くその軌跡に。
貴方の心はどこまでも遠い。
すべて受け入れるような笑顔で、両手広げて抱きとめてくれそうな姿勢で待ち構えているように見せながらその実、誘
われるようにふらふらと近付いてその優しさに甘えきってしまおうとすれば直前で、おっとここまでだよとでも言うよ
うにすぐさま身を翻してしまう。私には、どうしても立ち入らせてはくれない。
なんてずるくて、卑怯な人。
これでは美味しい餌につられて捕まってしまった愚かな獣みたい。あぁでも餌をぶら下げていた罠は獲物がかかる前に
逃げてしまうからこの喩えはあてはまらないかもしれない。けれど私は所詮弱いばかりの猫だから、いっそ早く捕まっ
てしまって、この部屋のようにあたたかな檻の中に閉じ込められてしまったって構いはしないの。
右手は貴方の雲を追うばかり。
いつか、追いつくことができるだろうか。
その罠に。
いつになれば、届くのだろう。
貴方の心に。
無意識のうちに伸ばしきっていた右手から柔らかな布地が小さな音を立てて逃げていった。
冬の寒さから眠りを守る心地いい肌触りの厚手の毛布はもう、
本来の持ち主の温もりを忘れて久しい。
残ったのはこの身に馴染みすぎた少し低めの体温だけ。
この頼りない自身の体温でも、今や部屋中に満たされた日差しにも、どうしてか貴方の隣にいるときのようにこの胸は
熱を持たない。
貴方の匂いをかすかに残す毛布に、シーツに、包まれるのは夜空に晒されて冷え切った身体には心地よくて有難いものな
のは確かなのだけれど、
本当はこんな分厚い毛布なんかじゃなくて貴方の腕に包まれて抱きしめてほしいんだよ、なんて。
こんなこと言ったら、
エイラはどんな顔するんだろう。
今日だけ。今日だけ。今日だけ。
貴方が自戒のように繰り返す言葉を、あと何回溜め込んだら、私は───。
思い出したように、青空にたなびく白線が基地への帰路を描き始める。午前中の訓練はどうやらこれで終了らしい。た
ぶん私がここでまどろんでいられる時間も。
少し肌寒いかもしれないけど、私と彼女を隔てるこの窓を開けてしまって、夜通し閉じ込められていた部屋の空気をそ
ろそろう解放してあげよう。
そして私は
訓練でへとへとに疲れきっているだろう彼女に告げよう。
『おかえり』の言葉を。できる限りの笑顔と親愛と、これ以上閉じ込めておけない想いを詰め込んで。
その後2人並んで食堂で、とびきりの昼食を摂るために。
2人の、とびきりの明日のために。
Fin.