スオムス1944 CHASERS
1944年6月、ヴィープリ上空~ラーッペンランタ基地。
「なぁ、ニパ……」
「なんだい? ハッセ」
「おまえ……」
本当はブリタニアへ行きたいんじゃないのか?
そんな言葉を飲み込んで、視線を走らせていた列機のニパから正面へと視界を切り替える。
「いや、なんでもない」
「なんだよ~、言いたい事あるならはっきり言えよな、ハッセ」
「……いや、すまなかった」
私はハンナ"ハッセ"ウィンド。
スオムス第24戦隊で第3中隊の中隊長を務めている。
この10日間以上の連戦の中で30機近いのネウロイを撃墜してはいるというのに、雲霞の如く押し寄せるネウロイは一向にその数を減らす気配が無い。
1944年、初夏。
それまで鳴りを潜めて小康状態にあったスオムス方面でのネウロイの攻勢は、全戦域にて激化した。
先日までは時折飛来する小規模なネウロイ飛行隊と小競り合いを繰り返すばかりだった我々第24戦隊も、連日スオムス領空へと侵入する大規模な戦爆連合部隊の迎撃に大わらわだった。
すっかり身体に馴染んだメルスを駆ってネウロイを討ち、蒼穹に星を散らす事が日常となり、見る間に撃墜スコアは伸びていく。
時折襲い来る掛け替えの無い仲間との永遠の別れにも負けずに涙を笑顔に変え、皆でこのスオムス、ひいては人類を護るという意思が一体感を作り出して私達を高揚させていた。
そんな一体感の輪の中に馴染めない奴がいた。
ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン、通称ニパ。
恐ろしい程の才覚に溢れ、圧倒的な実力を持ちながらも原因不明の不運に付きまとわれ、「付いてないカタヤイネン」と呼ばれてその正当な評価を受けられていない傷だらけの航空歩兵。
それでも、何度も翼を並べて一緒に戦場を駆け抜けてきた私や戦隊長、部隊のみんなには分かってるんだよ。
お前こそ最高のストライクウィッチなんだ、って。
だからそんなひねた目で世の中や仲間のことを見なくていいし、無傷のエースであるエイラ・イルマタル・ユーティライネンの事だってそんなに意識しなくて言いと思うんだ。
「あたしはさ、陰でコソコソ言われるのが嫌いなんだ」
「ニパ……」
「だからさ、ハッセも何か思うところがあるんなら言ってくれよ」
「いや、それは……」
お前がここスオムスに居辛くて、ブリタニアの統合戦闘団への転属願いを出したのは知ってるよ。
後方の連中や現場を知らない奴らにとっては、お前は貴重な機材をぶっ壊してまわる疫病神に見えてるんだろうから。
でも、近しい人間は感謝だってしてるんだよ。
整備班長だって、ニパが変な不具合出したお陰でメルスの欠点改修できたって言ってたし、ね。
班長はしょっちゅうお前の事怒鳴り散らしてるから、その感謝の気持ちはうまく伝わってないかもしれないけどさ。
皆がみんなちょっとだけ人間付き合いが下手なだけなんだから、自分の実績にもっと胸張ってくれていいんだよ、ニパ。
「…………何も、無いのかよ?」
「ん……ああ……」
正直な所、私だって人付き合いが得意な方じゃない。
今だって、色々と思うところがあってもうまく言葉に出来ないでいる。
それだけじゃなくて、あんまりお前のことを意識すると余計に思考がぐちゃぐちゃになって、動悸が上げしくなって、なんだかわからなくなる。
多分、おまえのことを心配する余りのことだと思うんだが……面と向かって何もいえなくなるんだ。
さっきだってそうだ、横目にお前のことを視線に捉え、薄い色の短い金髪と澄んだ空色の瞳、スレンダーな肢体に何度傷ついても使い魔のお陰で傷跡一つない白磁の肌を見ているだけで、全ての言葉が引っ込んでしまったんだ。
「あんたならさ……トップエースで"極北のマルセイユ"のあんたなら、あんまり喋んないけど……ホラ、何言われても説得力あるから……」
「…………」
持ち上げられてしまった。
とはいえ、そのニックネームは実感がわかない。
ただファーストネームと使っているストライカーが一緒というだけで知らないうちにそんな呼ばれ方もしているだけだ。
勝手に名前を使われていては向こうも迷惑ではないかと思うのだが、どうなのだろうか?
しかし、そのお前にそんなに評価してもらえてるとは……動悸が激しくなるな……赤面しているかもしれない。
空戦中でもないのに赤い顔をしていたら心配をかけてしまうかもしれない……顔は見せられないな。
だが、ここまで言われて何も応えられないのは不義理だ。
いやしかし何と言う?
下手なことを言って彼女を傷つけるのは本位ではない。
かといって黙っているわけにもいかないのにうまい言葉が無い……。
そして逡巡し、迂闊にも振り向いた私はニパと目が合っってしまった。
そこで思わず口をついて出た言葉は……。
「お前の瞳は、美しいな」
「へっ!?」
あ……。
しまったつい本音が……いやしかし大丈夫だ。
だれも自身の身体部位を美しいとほめられて、まぁ戸惑うものはいても傷つくものは居まい。
発言はミスであるが致命的ではない、筈だ。
「お、おまえ……クソッ! はぐらかすなよな!」
「え?」
「いいよ、もう」
一瞬声を荒げてからそれっきり、ニパは黙ってしまった。
むぅ、怒らせてしまったのか……。
やはり、難しいな。
謝罪したいが、口下手なのが悔やまれる。
しかし、幸いなことにそんな気まずい沈黙は長く続かなかった。
「こちらハッセ。敵機発見! 見えるか? 鉄道上に小型ネウロイ7」
「ああ、確認してる。ニパも敵機発見だ。もちろんヤるだろ」
「当然だ」
短く応えて加速。
高度をとってから切り込んでいく。
メルスGのDB605魔道エンジンがうなりを上げ、機体はぐんぐんと速度を上げていく。
しっかりと構えたMG42の感触を確かめるように引き金を絞り、一連射。
先制攻撃はネウロイにとって奇襲となり、私はこのすれ違い様の一撃で一機を撃墜した。
だが、その先が続かなかった。
雲量が多いのと、雑念に思考を取られていたせいで別働隊の存在に気付くのが遅れたのだ。
「おい、ハッセ! 直上だ! 雲の上から来る! かわせっ!!!」
「クッ数が多い……ひとつ、ふたつ……20機近いか!?」
応えながら、第一撃を回避。
おびただしい数の火線が一瞬前まで私の居た空間を薙ぎ払う。
ズーム上昇で得意なパターンへと持ち込もうとした矢先に頭を抑えられ、上昇のチャンスを逃した私は見る見る速度を失っていく。
ニパとは互いに視界の隅で場所を計りあい、死角を補い合う。
ネウロイと我々、互いの火線が交差し、戦況は混戦模様となる。
普段ならなんてことの無い敵ではあるのだが今回は余りにも数が多すぎた。
複雑に絡み合った軌跡の中で何とかもう一機撃墜することに成功するが、これで突破口を開けると思ったその一瞬の隙が私に致命的な一撃をもたらした。
「ハッセ!!」
「ぐうっ!」
左足に灼熱の衝撃が走った。
狙い済ましたものではなかったのかもしれないが、とにかくこちらの防御の隙に相手の攻撃が飛び込んだようだ。
開いた突破口は、反撃ではなく逃走に使わざるを得なくなった。
激痛に意識が朦朧とする中で、本能だけでメルスを操って火線をくぐり、ラッペーンランタ航空基地へと進路を向ける。
『コイツ等は全部引き受ける』『全部叩き落してやる!』『ハッセは逃げろ!』『絶対に生き残れよ!』
無線越しにニパの威勢のいい声が響き続けている気がした。
無理だ。
少なくとも私には無理だ。
あんな数の敵相手にたった一人で立ち向かうなんてことはできない。
自分が臆病なつもりは無い。
ただ、自分の力をわきまえているつもりだ。
無理はせず、生き残り、根気よく一日でも多く戦い続けることこそが最終的により大きな結果を生む。
資源の乏しいスオムスのウィッチとしてそう心がけてきた。
だから自分の限界は解るつもりだ。
ニパを見捨てて逃げたくなんか無かった。
でも、私が死ねば……今このスオムスで活動を続けるウィッチの中でトップエースである私が斃れるようなことがあれば、それは全軍の士気にもかかわるだろう。
そう、私では無理なのだ。
でもニパなら?
ニパなら何とかできる気がした。
あんな絶望的な状況をひっくり返せるだけの力を持っている気がした。
あいつは本当はわたしや、ひょっとすると先読みの固有魔法を持つイッルよりも空戦の実力が高いかもしれない。
そして誰よりも逆境に強い。
ニパの潜り抜けてきた死線は並大抵のものではないのだから……。
そう思うと危機感が薄れてきた。
引き返せと心で叫び続ける私をスオムスの兵士としての冷静な私が押し込んで、私はラッペーンランタへと帰還した。
そして私は、着陸と同時に意識を失った。
後で聞いた話しだが、私は意識を失うその寸前まで『まだニパがいる。まだニパがいる』と呟いていたそうだった。
そして私の想い通り、ニパはその日の空戦で27対1の戦闘に生き残り、あまつさえその中で3機もの撃墜を記録したという。
信じない人間も多かったようだが、私はそれが真実だと確信していた。
一週間後、私の入院する病院に重傷を負ったニパが運び込まれてきた。
被弾して帰還し、着陸に失敗したらしい。何でも転がって吹き飛んだストライカーユニットが基地の屋根に突き刺さるほど派手な事故だったらしい。
一時はかなり危ない状態で、見舞いに来た戦隊長は昏々と眠るニパの胸に自らのマンネルハイム十字章を置いて去ったという。
私も同じ想いだ。
ベッドから起き上がることが出来たのならきっと同じことをしただろう。
むしろ私に二つ目の勲章をくれるくらいなら早い所ニパに与えてやって欲しかった。
そして幸いにも一命を取り留めたニパは、結局私と共に2ヶ月ほどの入院を余儀なくされていた。
1944年9月初頭、とある病院。
「って言うか大尉、ちょっと鈍感すぎです」
忙しい待機の当番の合間に見舞いに来てくれたエリカ・リリィ曹長と話をするうちに、いきなりそんなことを言い切られてしまった。
「鈍感、か……空戦での空気の変わり目とかはそれなりにうまく読めているつもりなんだが……」
「はぁ……だからそういう事じゃなくって……人の気持ちまで分れとは言いませんから、もうちょっと自分の気持ち位理解してくださいよ」
「いや、そういわれても……何の事やら」
戦場での以心伝心に関しては極めて高いレベルで行えている自信はあるし、実際リリィ曹長にも迷惑をかけた覚えはないと思うのだが……。
「もぅ、なんでこううちらの指揮官はそういうところに疎いですかねぇ」
「いや、本当によく解らないんだが……」
理解できずに困っているとびしっと指を指されながら言われた。
「断言できます! ハッセ大尉はニパに恋してます!」
「え!?」
こ、恋って……いや、それはたしかにニパは可愛いがしかし上官と部下がそんな関係になったらまずいだろうというよりはむしろ私たちは女同士じゃないか……。
む、むむ? なんだか顔が熱いぞ。
「ふぅ、やっと人並みに赤面してくれましたね。その方が戦場での出来事を話しつつ真顔で惚気られるよりはよっぽど健全です」
「イヤ、別にそんなつもりは……」
「つもりが無くてもそうにしか見えないんですよ。自分だって人気があるんですから、その辺の機微と言うか何と言うか……もうちょっと理解して欲しいです」
「いや、あの……」
「アホネン大尉みたいになれとは口が裂けてもいえませんけど、自分の感情に位は素直になってくださいよ」
「じょ、じょうかんを、からかうもんじゃないよ、エリカ……あはははは」
いやまて自分。何故私が動転しなくてはいけないんだ。
と、とりあえず話題をそらして落ち着かなくては……。
「そそそ、そういうエリカはどうなんだ? ほら、好きな人とか、そういうのは……」
「ああ、私ですか? わたしの場合、イッルに憧れてましたけど、元々倍率が高かったんですよねぇ」
「そうなのか!? っていうかお前もそういう趣味なのか!?」
「ウィッチにはよくあることですよ」
ううむ、良くある事なのか……。
しかし、けろりとした顔で肯定されると先ほどまで以上に反応に困る。
何か、こう……気の効いた返事を……。
「で、ですね、大尉」
「あ、ああ……んむっ!」
な、何だこれは!?
唇に、柔らかいものが……って、これは……エリカ!?
湿り気を帯びた、薄い唇の感触。
触れ合うだけの、それはキス……。
頭がくらくらする、何故私は今エリカと唇を重ねているんだろう?
「……んはっ……」
「色気が足りないです、大尉」
「あああ……ええと……その……」
「では、エリカ・リリィ曹長、持ち場に戻ります!」
そうして赤面してどぎまぎしたままの私に対し、やけにびしっとした敬礼でそう告げるとくるりと背を向け退室してしまった。
後にはなんとも情けない状態の私が残された。
病室での有り余る時間はただひたすらにリリィ曹長の行動を反芻し考察することに費やされ、暫くしてから傍と我に返った。
リリィ曹長の仮定が正しかったとすると、私はこれからどんな顔でニパに会えばいいんだろう?
意識すればするほど動悸が激しくなり、顔が熱くなる。
まずい、これはまずい……。
私たちは同じ病院に入院しているのだ。
今までも何度と無く顔を合わせている。
これまでは問題なくコミュニケーションをとることが出来たが、こうして意識してしまうと非常にそれが困難な事のような気がしてくる。
思考はぐるぐると悩みの螺旋を描き、深みへと填まっていく。
そんな私をあざ笑うかのごとく、ノックもなしに病室に入り込んでくる人物がいた。
当のニパだ。
「!」
改めて様々な思いが去来する。
もともと混乱していた頭の中がもういっぱいいっぱいになって、ただその綺麗な瞳を見つめることしか出来なかった。
ニパはそんな私の思いなど知らず、一方的に要件を告げる。
「ハッセ! ネウロイの連中が撤退を開始した! スオムスはこれで安全だろ! だからさ、ブリタニア行くんだ! 中隊長の許可も貰って来いって言ってたから、ほら、ここにサイン……よしよし、おっけ~」
う、勢いに押されてサインをしてしまった……。
「あ……ニパ……あの」
「おいおい、ハッセ顔が赤いぞ。いくら連中撤退したって言ってもまだどうなるんだかわかんないんだからな。さっさと復帰して皆を安心させてやってくれよな」
「え、あの、私は……」
「じゃっ、ブルーステルをセットアップさせてるからさ、北海回りでブリタニア、いってくるわ~」
バタン。
言うが早いか、扉が閉じられた。
本日2度目の情けない自分をどうにか冷静に見つめ返しながら、ニパがいなければ焦ることも無くなるのかもしれない、と納得しかけてリリィ曹長のことを思い出し、再び悩みの底へと落ちていくのだった。
実は時を同じくしてガリアではネウロイの巣が消滅し、ニパが参加しようとしていた第501統合戦闘航空団は解散しようとしていた。
そこはまぁあいつが『ついてないカタヤイネン』の名の通りツキに見放されたままブリタニア迄たどり着くことになるのだが……。