無題
「オジャマシマース」
「ん、遠慮せずに上がりなよ」
ノブを回して一見の客人を迎え入れる。
部屋の主人であるシャーリーは客人エイラに振り返って自らの城を誇らしげに示した。
「どうだ?私の秘密基地は」
「色気のねー部屋だな」
「…お前には言われたくないぞー」
抑揚の無い口調で極めて淡白な感想を述べるエイラに口を尖らせる。
だがその感想は最もで床板を抜いて石造りの地が剥き出しになり機械油の匂いが漂うその一室は、
到底年頃の女の子らしいとは形容し難いものであった。
最もシャーリーの反論も十分に的を射るものだったのだが。
「ま、いいや。ちょっと部品探してるからテキトーにそのへん見てて」
「リョーカイ」
言うなり手近に置いてある工具やら部品が入った箱をシャーリーは漁り始める。
(えーと確かプラグとキャップと…)
雑然とした箱の中を掻き分けながらエイラに頼まれた物を反芻する。
珍しく格納庫内でストライカーの前に屈んでいるエイラが、無表情ながら頬を掻いて往生していたのが
数十分前の話である。しかも彼女の前のストライカーはサーニャの黒いオラーシャ製ユニットMig60であり、
彼女の銀の愛機Bf109G-2ではない。
話を聞いてみれば昨夜サーニャと共に出かけた夜間哨戒中、サーニャの機動が少々おかしかったらしい。
とは言うもののわざわざ指摘するほどでも無かったのでその場では特に何も言わずにいたが、
何となく気になって起きてきたとか何とか。
それでユニットを開いてみればエンジン部に異常の兆しを発見したものの部品が足りず、そこにシャーリーが
部屋にあるかもしれないと申し出て今に至る、という次第である。
(それにしても面倒見良いっていうレベルじゃないよなあ)
体力に定評のあるスオムスのウィッチとはいえ、長時間広範囲の夜間勤務を終えた後は相当に魔力を消耗しているはずだ。
にも関わらず普通なら気のせいと済ませる程度の異常を睡眠時間を捨ててまで確認しにきた上、
そのまま整備に取り掛かるとは。それもその機体は他人のものなのである。
(惚れ込んでんのね)
感心を通り越して呆れに近いため息を吐いて、手に取った部品の規格を確認する。これじゃない。
部屋に転がっているバイクやらなんだか良く分からない回路の塊やらを温度のない瞳で眺め回している同僚は、
端正な見た目に反してざっくばらんで、さらにその言動に反してとても心優しいのだった。
「オ、なんだこれ」
背後でちょっとした博覧会の様相を呈している部屋の見物客と化していたエイラから、唐突に興味を滲ませた声が上がる。
「んー?なんかあった?」
立ち上がって振り返る。
エイラの前の棚にはモーターカーやバイク、今年のチャンピオンシップについての雑誌などが納められており、
彼女は手にとっている一冊はその中から発見したもののようだった。
「コレ」
白い手にすっと掲げられた表紙には、黒革のレーシングスーツに豊満な肢体を包んだシャーリーが、
かつて最速を手にした最愛の相棒に身を寄せている姿が映っていた。
「おー!なっつかしーなこれ!捨てたかと思ってたよ!アッハハハ!」
喜色満面といった様子でシャーリーは楽しそうな笑い声を響かせる。
「写真集?」
「ああ、ボンネビル・フラッツで記録を出した後に出版社から記念の写真集をって依頼がきたんだ。軍に入る前にね」
「売れたのか?」
「あったりまえだろ!おかげで良いバイクが買えてさー!
まあ改造してかっ飛ばしてたらおしゃかになっちゃったんだけどね、あはははは」
すこぶるご機嫌なシャーリーがパラパラとページをめくる。いやー良く撮れてるね、と笑う横からエイラも覗き込む。
が。
「…オイ」
「ん?」
「最速記録の記念の写真集じゃなかったのか、これは」
「そうだけど?」
半眼になって尋ねたエイラに、お前は何を言ってるんだと言わんばかりの表情で返すシャーリー。
「じゃあなんで水着の写真があるんだよ!」
白くて長いエイラの指が示したページには、確かに水着姿でバイクに乳を…もとい身を預けているシャーリーの姿があった。
「いやーファンサービスに是非って頼まれてね。断れなくってさー」
「つーかこのページバイクすら写ってねーじゃねーか」
「でも良く撮れてるだろ?」
「そういう問題じゃねーだろ…」
シャーリーの言う通り、ボリュームたっぷりの裸身をトレードカラーの赤い水着で包んだ姿が背後に煌く太陽と、
広がる蒼い海に実に良く似合っている…
のは良いとして面積の小さなそれと汗の浮かんだたっぷりとした乳房は何というか、実に「使える」代物だった。
もう一枚めくる。白い砂浜にビーチマットを引いてその上にシャーリーが寝転がっている、というシチュエーションだ。
結び目だけ解けた水着、寝転んでいても分かる胸のボリューム、際どく寄せられた太もも、
前ページまでの挑発的な表情とは違い切なげに歪められた表情と潤んだ瞳…
「エイラ?」
「はっ」
横から怪訝そうにかけられたシャーリーの声に現実に引き戻される。
「な、な、なんでもねーよ!」
「いや何も言ってないんだけど」
何時の間にか見入っていた事を否定するように声を荒らげるが、逆効果も良い所である。
冷静に返されてさらに顔を赤くするエイラに、シャーリーは何故か酷く満足げに笑みを浮かべた。
(ふーん…なるほどねぇ)
にやにやしているシャーリーにエイラはいよいよ羞恥が極まって来たらしい。
ナニワラッテンダヨ、とかソンナメデミンナ、とか普段の飄々とした冷静さはどこへやらすっかりやってしまうのは
度々見かけるものだったが、それの対象が自分であった事は今までない。
少なくともシャーリーの記憶にある中では、サーニャに関わる物以外では、ない。
(…意外と脈有り?って何考えてんだ私)
とてつもなく沸いた思考に慌てて心中でかぶりを振る。
(でもまあコイツ見た目は良いしなあ。飛んでる時はカッコイイし…)
自分を納得させるべく揺れた感情のフォローしているつもりで、どんどん深みにはまっていっているのに
シャーリーは気づいていない。
(あんまり目立たないけど空戦技術凄いしな…何気に運転も上手かったし…整備も出来るし…
…ってオイ!落ち着け!私!)
歯止めがかからなくなってきた所で、我に返って自分に喝を入れる。
惚れっぽい自分の性質は熟知しているつもりだったが、これでは余りにも軽すぎるではないか。
「おい、聞いてんのか人の話。私は別に見とれてたわけじゃねーんだって」
「ああちゃんと聞いてるってば」
相変わらず意味の無い(しかも半ば自白気味の)抗議を続けるエイラにうるさそうに手を振る。
そのまま手を自分の胸元にやって一言。
「んじゃ本物、見せてあげよっか?」
「ぶっ!!!?」
ネクタイを持ち上げてからかってやる。が、無意識に艶っぽい声が出てしまっている事にシャーリーは気づいていない。
「あっははは冗談だよ冗談!あ、欲しいならその写真集譲ってやってやろうか?」
「いらねーよバカ!それよりとっとと部品探せよ!」
頭から湯気を出してエイラが叫ぶ。その反応に安堵してしまった自分を自覚しつつ、余裕を装って部品探しに戻る。
(そうそう。これでいいんだこれで)
先ほどまでの気の迷いを振り払うようにがしゃがしゃと部品をかき回す。
エイラを見ると赤い顔で何やらぶつぶつ言いながら別の雑誌を見ていた。
ワールドラリー。スオムスのレーサーが無類の強さを誇るレース。
「…あのさ」
探す手を止めて、呟くように呼びかける。
「写真集、どうする?」
…沈黙。
(何言ってんだ、私は)
途端に襲ってきた猛烈な気恥ずかしさに「今のは無しだ」と叫びたくなる。
が。
「…もらう」
水色の軍服の背中の向こうから返ってきた答えは予想外のもので。
その掠れる様な声に想像以上に浮かれてしまった自分に、シャーリーはその夜本気で頭を抱える事になるのだった。
おしまい