会いに行く日


 今までの人生で、一番楽しかった思い出は何ですか?
 そう尋ねられたら、私は迷わず答えるだろう。あの、ブリタニアで過ごした数ヶ月間の事を。501の仲間達と共に闘い、共に笑い合った日々の事を。
 あの頃私の周りには、ちょっと恐ろしいけど優しい隊長がいて、いつも豪快に笑っていた少佐がいて。
 堅物と自由奔放のエースコンビがいて、スピード狂と人懐っこい子どものお気楽コンビがいて、ツンツンメガネがいて、おっとりした軍曹がいて、なかなか見所のある新人がいて。
 そして私の隣にはいつも、恥ずかしがり屋でとても綺麗な、オラーシャの妖精がいた。
 彼女──サーニャと初めて出会った日の事は、まだ鮮明に覚えている。これから先もずっと覚えていると思う。何て綺麗な人なんだろうと、一目で心を奪われた。外見だけじゃない。彼女の内面も、とても綺麗で繊細で。知れば知るほど私は彼女に惹かれていった。
 幸福で満ち足りた日々。しかし、そんな日々もやがては終わる。ウォーロックの撃破とガリア地方のネウロイの巣、消滅。それをもって第501統合戦闘航空団は解散。私達ウィッチはそれぞれ故郷に戻り、離れ離れになった。
「絶対に会いに行くカラ。それまで待っていてクレ、サーニャ」
 別れの朝、私はサーニャと約束した。必ず、必ず会いに行く、と。
「うん、待ってる。いつまでも待っているよ、エイラ」
 いつ果たされるのか分からない約束。もしかしたら、二度と会えないかも知れない。二人の歩く路は平行線のまま、闘いの中で死んでしまうかも知れない。
 それでも私達は小指と小指を絡め、不安な未来を払拭するように指きりをした。いつか、再び会える日を信じて。

×××

「おーいイッル、そろそろ出るぞー。準備は出来たかー?」
 スオムス空軍の基地。部屋の外から、同僚のニパが呼ぶ。私は忘れ物がないか、辺りを見渡した。
「ああ。出来ているゾ」
 ハンガーに掛かっていた白いコートを着て、水色のマフラーを首に巻く。茶色の毛皮の帽子を被って、黒いトランクを手に持つ。私は部屋を出た。
「あまり時間はないぞ。早く出よう」
「済まナイ、ニパ」
 部屋の外には、似たような格好のニパがいた。私達は、並んで廊下を歩く。

 正面玄関の戸を開けると、冷たい風邪がブワリと吹き込んできた。雪も混じっているようだ。
 吹きさらしの風にコートの裾をはためかせて、私達は駐車場へと足早に歩いた。吐く息が白い。何も覆っていない顔に、冬の風が容赦なく吹き付ける。
「うう、相変わらず寒いな」
「全くダ」
 駐車場に停めてあった、一台の軍用車両に私達は乗り込んだ。この日のためにニパが借りてきてくれたものだ。私は助手席へ、彼女は運転席へ。
 ニパがキィを差し込んでエンジンを掛けた。ブルブルとシートが小刻みに振動する。ワイパーがフロントガラスに積もった雪を掻き落とす。
「ていうかイッル、新年になってから出発しても良かったんじゃないのか?」
 車が動き出す。降り積もった雪に轍をつけて、ゆっくりと走る。
「ずっとあっちに居たんだから、年明け位はこっちでゆっくりしてけば良いのに」
 ゲートを抜けると道路の雪は固められて、比較的走りやすくなっていた。どうやら時間には間に合いそうだ。私はニパの方を向く。
「一刻でも早い方が良いダロ? それにクリスマスはこっちで過ごしたんだシ」
「まあそうだけど。でもなあ……」
「何ダ、ニパ。私が居ないと寂しいノカ?」
「ち、違うぞ! そんな事は断じてない!」
「フ~ン」
 それきり車内は沈黙に包まれる。
 そう。私は今日、オラーシャへ旅立つのだ。あの時のサーニャとの約束を果たすために。
 私はこの日のために、半月の休みを取った。今向かっている駅から、汽車で片道三日の旅路。国境を越えた遥か遠くの地にサーニャはいる。私はそこへ向かう。
「イッル、着いたぞ。まだ時間は少しだけあるな」
 帰ってもいいと言ったけど、ニパはホームまで見送りに来た。私の席は二等寝台車。車内は空いていて、四人用コンパートメントを丸々一つ独占する事が出来た。窓を開けて、ニパと出発前最後の会話をする。
「サーニャちゃん……だっけ。久しぶりに会うからってはしゃぎ過ぎるなよ。嫌われるぞ」
「サーニャはそんなヤツじゃナイ。っていうかお前がちゃん付けするナ!」
「あっ、言い忘れてた。お土産はマトリョーシカでいいぞ」
「誰が買うカ!」

 汽笛が鳴る。汽車がゆっくりと滑り出す。
「イッル! その……気を付けて行けよ!」
 ニパは汽車に合わせてホームを走る。けれども汽車の速度はどんどん増していく。だんだん離されていく。
「楽しんで、来いよ!」
 ホームの端まで走ってニパは止まり、大声で叫んだ。私はそれに応えるように汽車の窓から身を乗り出し、親指を突き上げて声を張り上げる。
「アァ。行って来ル!」
 汽車がカーブを曲がって、互いの姿が見えなくなるまで、私達は手を振り合った。
「フゥ」
 私は窓を閉めた。室内は外気で寒くなってしまった。
 これから始まるオラーシャへの旅。久しぶりに会うサーニャ。私の胸は期待に高まる。

×××

 真夜中。二段ベッドの下段で毛布にくるまって寝ていた私は、ふと目が覚めた。相変わらず独りきりのコンパートメント。独りきりの旅。すっかり慣れた枕木の振動が体に響く。
 私は窓際のテーブルの上の水筒から水を一口飲む。明日にはサーニャに会えるから、寝ないといけないと分かっているのに眠れない。目が冴えてしまった。まるで遠足前夜の子供みたいだ。
「ンン~」
 両腕を宙に伸ばす。コンパートメント内を少し歩いて、私は凝り固まった筋肉をほぐした。
 窓の外は極寒の大地、氷点下三十度の世界。だけどこの時期の北国にしては珍しく晴れていた。雲の合間から大きな満月がぽっかりと孤独に浮かんでいる。どこまでも続く荒涼とした雪原。月光に照らされたそれは青く幻想的に、そこはかとなく幽玄的に光る。
 私は夏、サーニャと宮藤とで一緒に飛んだ時の事を思い出した。あの夜も綺麗な満月だった。その柔らかな光に照らされたサーニャは、どこまでも神々しかった。
 サーニャも同じ空の下で、この月を眺めているのだろうか。私はオラーシャの彼女に思いを馳せる。元気にしているだろうか。原隊の人達とうまくやっているだろうか。髪は伸びたのかな。
 近況は手紙を出し合っていたから、ある程度は知っている。でも会いたい。今すぐにでも。
 汽車はタタン、タタンと単調なリズムを繰り返しながら夜のオラーシャを走り続ける。

 ブリタニアの501では、私はいつもサーニャの側にいた。いつしかそれが当たり前になっていた。私はサーニャが大切で、隊に馴染めないでいた彼女の世話を焼いた。頼られる事に喜びを見出した。
 四六時中側にいたあの頃。近くに居過ぎて見えなかったものがある。離れて初めて分かった事もある。
 サーニャに嫌われたくなくて、一番になりたくてとにかく必死だった私。あの頃の自分を今こうやって振り返ってみると、自嘲にも似た思いが込み上げてくる。
 大事だからこそ触れられない。体の良い理由を言い訳にして、結局私は先に進む事を恐れていただけだ。自分の中で色々な事を誤魔化して、言い訳して。それで一体、何が得られたのだろう。
 明日、サーニャに会ったら伝えたい。私の気持ちを。私がどんなに彼女を大切に思っているかという事を。臆病で何も出来ない私とはさよならだ。
 私はベッドに潜り込んだ。ちらりと見えた月は、相変わらず孤独にそして優しく世界を照らしていた。

×××

 大晦日。つまりサーニャと会う日。だけど、
「ああモウ、なんだっていうんだヨー」
 汽車は大幅に遅れていた。予定では既に駅へ着いている筈なのに。
 窓の外は、見渡す限り曇天。厚く立ち込めた灰色の雲が空を覆い尽くしている。それに今日は雪も降っていた。風だって強い。手紙によると、サーニャは駅のホームで待っているらしい。風邪、引いていないといいんだけど。
 ちなみに私の準備は完璧だ。ベッドは整えたし、荷物も仕舞った。防寒着も着込んで、後は降りるだけ。
 私はさっきから、コンパートメント内をウロウロしていた。嬉しさと興奮、焦りと緊張など様々な感情がごちゃ混ぜになって、私を落ち着かなくさせる。
 汽車が大きくカーブを曲がった時、白色と灰色の世界の遥か遠くに黒い点が見えた。それはどんどん大きくなる。街だ。予定時刻から遅れる事二時間、ようやく街に着いたのだ。
 汽車は徐々にスピードを落としながら市街を走る。窓の外を石や煉瓦の建物が流れて行く。いつの間にか線路の数が増えていて、それらは前方のドーム──駅へと続いていた。
 やがて私の乗った汽車は完全に停止した。ドアが開く時間さえもどかしく、私は外に飛び出した。

 今まで暖かい所にいた私の全身を、オラーシャの寒気が容赦なく襲う。でも私だって生粋のスオムスっ子だ。寒さには慣れている。そんなのに負けていられない。
「サーニャァァア!」
 声を張り上げてみたけれど雑踏にかき消されてしまった。運の悪い事に、同時にいくつかの汽車が到着したらしい。辺りは人、人、人の群れ。
「どこダァァア!」
 人混みを縫うようにして早足で歩く。ホームは広くて薄暗く、視界も悪い。焦りは募るばかりだ。
 その時ふと、目の前を黒いものが横切った気がした。何だったのか確認しようとしたけど、そんなものはもうどこにもなかった。見間違いだったのかも知れない。
 しかし不思議な事に、その瞬間私の中で焦りとか緊張などという感情が消えていた。残ったのは穏やかな気持ちだけ。
「あ……エイラっ!」
 耳に届いた懐かしい声。前方の茶色のコートを着た小柄な少女がゆっくりと振り返る。その表情が驚きに、そして笑顔に変わった。
「サーニャ……」
 足がもつれそうになりながら、私は彼女に近寄った。人目もはばからず、その華奢な体を思いっきり抱き締める。
 この瞬間を、いったいどれ程夢に見ただろうか。サーニャもぎゅっと抱き返してくれる。その感触で、これは夢ではないのだと実感出来た。
「エイラ……」
 互いに顔は見なかった。感極まった私の顔は多分、見せられない程格好悪いと思うから。
「約束。ちゃんと果たしたゾ、サーニャ」
「うん。待ってたよ、エイラ」
 私達は、再び会う事が出来た。ここから始まる新たな第一歩。別れの時は必ずやって来るけど、また二人で色々なものを見つけたいと思う。
 だからサーニャ、よろしくな。

おわり


サーニャ視点:0696

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