きつねさんのおはなし


「おい宮藤、扶桑からの補給物資が届いたぞ」

そう坂本美緒に呼び止められた宮藤芳佳が、その荷の中身を確認して顔を綻ばせたのはつい先日の事だ。
規格外の魔法の才以外の能力は平々凡々と言わざるを得ない彼女だが、唯一料理に関しては同じ年頃の
少女の追随を許さないものを持っている。
曰く、「自分の料理を食べて人が美味しいと喜んでくれるのが好きだから」。
彼女を知るものが聞けば「いかにも宮藤らしい」という動機で培った料理の腕は、寄り合い所帯の
第501統合航空団では非常に重宝されていた。
そんな理由で台所事情における宮藤の発言力は非常に強力で、扶桑からの補給の内食料品に関しては
彼女の陳情(というほど強固に主張するわけでも無いが)が通る事も珍しい事ではない。
今回届いた補給物資の中にも彼女の要望通りの品が入っており、それらを確認した宮藤は早速厨房へと向かったのだった。


「きーみっとなっらー、きっとーふーふっふふっふーん♪」

ウィッチの間で流行している歌を口ずさみながら、寿司桶の中のご飯を手早くかき混ぜる。
絶妙な炊き加減のご飯からほんのり立ち上る甘酢の匂いに、宮藤は戦果を上げた時よりもよほど嬉しそうに口の端を上げた。

「芳佳ちゃん、煮汁はこんな感じでいいかな?」

鍋の前に立ったエプロン姿のリーネに問われて、宮藤は鍋の中身を一掬い。

「うん、ばっちりだよリーネちゃん!」

まるでもう料理が完成したかのような笑顔にリーネもつられて目尻を下げる。
訓練を終えた後の穏やかな夕食の準備の時間は、多少の面倒にも関わらず二人にとってはむしろ憩いの時間でもあった。

「それにしても芳佳ちゃん、今日のメニューって」
「あっエイラさん!」

コンロに火をかけようとしたリーネが何気ない疑問を口にしようとしたのと、食堂に姿を現した人物に
宮藤が声をかけたのは同時だった。

「よお。サーニャがそろそろ起きるからさ、何か食い物持ってこうと思って。何かない?」

どうしたのかと問われる前に答えて、エイラはカウンターに身を乗り出す。
たった2つ、サーニャが誕生日を迎えた今では数の上では1つしか年の違わない少女に対して凄まじく
過保護な態度を取っている自分に、疑問を覚える事はまるで無いらしい。
周りもまたそんな二人の関係はとっくに見慣れたもので、今更を通り越してむしろそれが自然だという認識である。

「もう少ししたら稲荷寿司が出来るよ。ちょっと待っててもらえるかな?」
「イナリズシ?」

準備に取り掛かる前のリーネと同じく聞きなれなくて当たり前の単語をオウム返しにしたエイラに、
宮藤はやはりリーネに答えたのと同じように、

「えっと扶桑のお寿司の一種でね。この油揚げにご飯を入れて食べるの」

作り置きのお手製油揚げを一枚手にとって掲げてみせる。
生まれて初めて見た物体に興味をそそられて、エイラはその深いアメジストの視線を注いだ。

「なんかスカスカしてるな。ゴハン入れたら破れちゃわないか?」
「大丈夫だよ。入れる前にね、これを…」

と、説明を続けようとした所で。
突然、エイラの身体が淡く輝いた。

「うおっ?」

自らの身の異常に珍しく慌てた声を上げるエイラの身体から、するりと何かが抜けて出る。
宮藤とリーネはといえばびっくりしてそのまま動きを止めていた。
現れたのは、一匹の黒狐である。

「おい、いきなり何だよ?」

主人の言葉をさらりと聞き流して、重みを感じさせない足取りで宮藤の足元に近寄ってくる。
漆黒だが、主人の髪と同じく光が当ると微かに銀の輝きを返す見事な体毛を纏った黒狐は、その黄金の双眸で
宮藤を見上げてちょこんと座った。
油揚げを持ったままの間抜けな姿勢で宮藤はその美しい獣と見つめ合う。

狐。こっちを見ている。油揚げ。

ぴん、と思いあたる節があり、宮藤は膝を屈めて狐に視点を近づけた。

「もしかしてこれが欲しいのかな?」
「ハァ?」

当たり前だがエイラにとっては突拍子も無い言葉に思わず怪訝な声が出る。
だがそんな主人の様子を尻目に、黒狐は差し出された油揚げにしっかりと眼差しを固定していた。

「はい、どうぞ」

宮藤がにっこりと笑ったのを合図に、したかどうかは分からないが、黒狐は油揚げを咥えるとそのまま身を翻して
扉の方に消えていった。

「あれ?行っちゃった」
「あー、アイツ人見知りするんだ。愛想ねーし」

ごめんな、と使い魔の不躾な態度に申し訳無さそうに頭を掻いて、エイラは狐が消えていった扉を眺める。

「ううん、そんなの全然気にしてないから」
「そっか。ならいいけど。…それにしても何でいきなり出てきたんだろ。なぁ?」
「さあ…お腹が減ってたとか…」

エイラの至極当然の疑問に、リーネは人差し指を唇に添えて無難な回答を上げてみる。
しかし宮藤だけはほぼ確信に近い正答を持っていて、それを二人に教えてやるのだった。

曰く。
扶桑では狐はお稲荷様と呼ばれ神様の使いであるということ。
その狐は油揚げが大好きでそれを使った料理は稲荷料理と呼ばれること。
今作っている稲荷寿司の名もそれに由来するものであるということ。

「神様のお使いって事は天使様みたいなものなのかな?」
「いやそれはちょっと違うと思うよリーネちゃん…」
「なんにせよ、随分俗っぽい好みの御使いだな」

言いながらひょいと油揚げを一枚つまんで口の中に放り込む。
ああっと奇襲を阻止できず悲鳴をあげる宮藤に構わず、どこかに行ってしまった使い魔と同じように
油揚げをもしゃもしゃと咀嚼しながら、

「…味がねー」

そう言って眉をしかめたエイラに、宮藤とリーネは思わず顔を見合わせて笑った。

呼ぶ声がする。
自分を、自分の名前を。

(誰だ…)

肉声ではない、だが確かに自分を呼ぶ声にエイラの意識が覚醒する。
深い眠りの闇に落ちている彼女の脳内に直接響く声の主は、聞き違えようも無い、彼女にとって最も近しい者。
それこそ彼女が愛して止まない、世界で一番大事で、今も傍らで寝そべる少女よりも遥かに近しい者だ。

(なんだよ、私は眠いんだよ)

抵抗の意思を示すも、それをまるきり無視して声の主は彼女を呼び続ける。

(分かったよ、起きればいいんだろ)

ふてぶてしく吐き捨てると、途端に闇が晴れて世界が白んだ。
現実に浮上する意識の中、故郷の白夜にも似たその世界にほんの一瞬、黒い尻尾をゆらりと揺らして、
「彼女」が肩越しにこちらを見やる――

「……」

重々しく瞼を開くと、夢の中までわざわざご足労して叩き起こしてくれた「彼女」が腹の上に乗っていた。


「…重いんだよ。どけ」

言うが早いか、黒狐はひらりとエイラの上から飛び降り、音も無く着地するとちらりとエイラを一瞥する。
黒い尻尾をゆらりと揺らして。

「どこ行くんだよ」

主の呟きをその場に放り捨てて黒狐は走り去る。
昨日の食堂の時といい、今日といい、珍しい事が続くものだ。無愛想で気紛れで、さらに思慮深い彼女の使い魔が
自ら実体化する事は滅多に無い。特に慣れ親しんだスオムスの白銀の大地を離れ海洋性気候のこの基地に来てからは
一度たりとも無かったはずだ。
それがどういう風の吹き回しか。少なくともブリタニアを抜ける生暖かな偏西風の吹き回しでは無いに違いない。
ただ確かなのは未来予知の力を持ち妖狐の眷属である「彼女」が、自らの意志で顕現し、主人を夢から引っ張り出し、
あまつさえ寝起きの主人に向かって「こっちに来い」と仰る以上、看過できない事態があるという事だ。

「…ちぇ、仕方ねーな」

身を起こしたエイラに寄り添っている銀の髪の眠り姫を起こさぬよう、慎重にベッドを降りる。
室温から来るものではない寒さにほんの少し身じろぎしたサーニャを背に手早く軍服を着ると、エイラは黒狐を追った。

辿り着いた先は格納庫だった。
薄暗く機械油の匂いの立ち込めるその場所の片隅で、ストライカーを乗せた台車をダークグレーの作業着を着た整備兵が
囲んでいる。
台車に乗った機械の箒は、銀色の細身だが強力な出力を誇るエンジンが自慢のベストセラー、Bf109-G2。
そこから少し離れた僅かに錆び付いた棚の上、工具箱や軍手、何かのユニットが並ぶ列にちょんと黒狐は鎮座していた。
追ってきたエイラの姿を認めると、ひょいと降りて整備兵によって日常点検をされている彼女のストライカーの方へ
歩き出した。

(まさか、出撃しろってか?)

察しの良いエイラはその意図に気づいて、目を丸くする。
すると最後の点検を追えユニットの蓋を閉めた整備兵が、予想外の来客に気づいて素早く工具を片付け始めた。

「ちょっと待て。わりーけど、私のメルス出してくれないか」
「…飛行訓練の予定は聞いていませんが」
「いや、そのな」

庇で目線を合わせぬまま返された答えは、言外に隊長の許可を得ろという至極当然のものだった。
どう説明したものか逡巡していると、横から整備兵の前に躍り出た黒狐がくるりと軽やかに身を躍らせる。
翻る尻尾。オーロラの切れ端のような極光の軌跡が渦を巻く。
見慣れぬ動物に目を奪われた整備兵達の表情から生気が消えた。文字通り、狐に摘まれたように。

「ちょ、何したんだお前」

ハイライトの消えた目で発進ユニットにストライカーを取り付け始めた整備兵を無視して黒狐に半眼を向ける。
使い魔の仕業とはいえ魔法を用いた威力行為で整備兵に強制しての無断出撃は、ちょっと洒落にならない。
予想される罰則に二の足を踏んでいるエイラに、しかし黒狐はまるで取り合わずエイラの身体に戻った。
意志とは無関係に顕現する耳と尻尾。何がなんでも出撃しろ、という事らしい。

「ああもう分かったよ。行けばいいんだろ、行けば!くそっ!」

半ば自棄になって毒づくと使い魔に劣らずの身軽さでストライカーに足を滑り込ませる。
滅入っているにも関わらず始動したエンジンの吹き上がりは抜群で、離陸を終えた頃には意識を取り戻すであろう
整備兵の心遣いにエイラはなんだか泣きたくなった。

「よーし宮藤ぃ!そろそろ上がれー!」
「はいっ!」

インカム越しに朗々と響いた坂本の指示に返した宮藤の返事は、元気は良いもののわずかに上ずっていた。
弾んだ息と上下する肩が訓練の激しさを物語っている。
新兵である宮藤とリーネには通常勤務以外に特別訓練と称したメニューが課されているのだが、
夏の太陽を照り返すドーバーの大海原の上空に浮かぶ彼女の傍には、不安を分かち合う相方の姿は見えない。
所謂女の子の事情というやつで部屋で伏している。

「…ん?おい、誰だ!勝手に飛んでるのは!」

坂本の大声に振り返ると、今まさにエイラが滑走路から飛び立った所だった。

「あー。ちょっと自主訓練ついでにミヤフジに付き合おうかなって」
「それは感心だがそれなら事前に言わんか馬鹿者!それにもう宮藤は上がるぞ!」
「え、そうなの?」
「はい。っていうかエイラさん、今日は夜間哨戒あるんじゃ…」

叱られながら宮藤に近寄ってきたエイラには飛ぶ理由が無い筈だ。
えーじゃあどうしようかな、などとはっきりしない面持ちで頭の後ろで手を組んでいるエイラに宮藤は疑問符を
浮かべる事しか出来ない。

「なんだよもー。なんもないなら、私も降り」

愚痴っぽく言いかけたエイラが言葉を止め、ばっと顔を洋上遥か向こうに浮かぶ雲海に向けると、
数瞬遅れてネウロイ襲来を告げる警報が基地に鳴り響いた。

「敵襲か!…チッ、雲に入られた!かなり速いな…」

滑走路上で魔眼を輝かせた坂本が舌打ちをする間に、エイラはグリッドロケーターを確認する。

「坂本さん!私が先行します!」
「おい待て!魔力を消耗しているお前が行ってもどうにもならん!!」
「でも、足止めぐらいなら出来ます!」
「出来るか!銃も無いくせに!」
「銃ならあるぞ」

エイラは先走りかけた宮藤に前もって持ってきていた13mm機関銃を押し付けると、落ち着いた声音で、

「少佐、私が長機を務める。それなら良いだろ?」
「…。分かった、だが無理はするな。宮藤の魔力も少ないからな。すぐに私達も出る」
「了解、行くぞミヤフジ。遅れんなよ」

振り返ってウインクをしたエイラは、どこか楽しげに見える。

「は、はい!」

子供っぽい仕草にほんの少しだけ浮き立った心を勢い良く頷く事で無視をして、宮藤は魔力をエンジンに注ぎ込んだ。

「…報告は以上かしら?」
「ああ」

エイラが機械的に頷くと、執務室の机の向こうのミーナがため息を吐いた。
カーテンをすり抜けた夕暮れ前のおぼろげな日差しを背に受けた18歳の部隊長の表情は逆光に沈んで
窺い知る事が容易ではないが、恐らく眉根を寄せて年不相応に心労を滲ませた顔をしているに違いない。

「使い魔の誘導で無断でストライカーを使用。そこに丁度ネウロイが現れて交戦、共同撃墜。
 …貴女の使い魔の特性を考えると、偶然とは言い難いけど」
「無断出撃は無断出撃だ。罰則は受けるよ」
「…そう。良いわ、処分は追って通達します」

行きなさい。そう退室を促されて執務室を後にしたエイラを待っていたのは、申し訳なさそうに
頭を垂れている宮藤だった。耳と尻尾が出ていればより如実に彼女の心中を物語っていただろう。

「何してんだ。お前は別に用ねーだろ」
「そうだけど…謝りたくて。助けに来てくれたのにエイラさん怒られちゃって…」
「あ?別にお前のせいじゃねーよ。それに助けに来たのは私じゃないっつーか
 …そうだ、要するに全部コイツのせいだ」

エイラは忌々しそうに独りごちると、目を閉じて黒狐を実体化させた。
お前のせいだぞと言わんばかりに睨みつけてくる主人の事などどこ吹く風と言った風情で黒狐は毛繕いを始める。

「コイツのせいって、この子が何かしたの?」
「ああ。無理やり私を引っ張ってきて出撃させてくれたんだよ、この悪戯狐め」
「そっか。それじゃあキミが助けに来てくれたんだね」
「へ?」

その発想は無かったのか、疑問符を浮かべたエイラの前に屈んでじいと黒狐を見つめる。
ぺろぺろと体毛を舐めていた黒狐が視線に気づいて宮藤の澄んだ瞳を見返した。その瞳が、細まる。

「助けてくれて、ありがとう!」

その笑顔を花が咲いたようなと表現するのなら、きっとその花は向日葵なのだろう。
混じり気の無い感謝をぶつけられた黒狐はしばらく目の前で咲いたそれを眺めていたが、
不意に身を翻すと開いていた手近な窓に吸い込まれるように姿を消した。いつぞやと同じように。

「あれ?また行っちゃった。…嫌われてるのかな?」
「いや。そーでもねーよ」
「え?」
「あいつ素直じゃねーからな、むしろ喜んでんだよ。捻くれもんめ」

にひひと口の端を歪めて笑うエイラの横顔は、先ほど彼女が吐き捨てた悪戯狐そのものだ。
それにしても。

ぶっきらぼうで素直じゃなくて、それでもいざという時は助けに来てくれる。

(あ、そっか)

繋がったその思考回路に思わず手を打つ。昨日といい今日といい、なんだか最近自分は冴えている気がする。

「あの狐さん、エイラさんに似てるんだ!」

大発見だと言わんばかりに笑顔を向けた宮藤に、しかしエイラは呆けたように目を丸くする。

「…私のどこが捻くれてんだよっ!」

何を言われたか理解したエイラが伸ばした手を避けようとするも、未来予知の能力を持たない宮藤には不可能で。

「ふにゃあ」

頬を引っ張られながら宮藤は、「狐さんの方が優しいのかもしれない」などとさらに頬の伸び率記録を
更新されそうな事を考えるのだった。


おしまい


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