新月
夜中に、目が覚めた。
サーニャは夜間哨戒からまだ戻っていないのだろう。私の隣に彼女の姿は無かった。
…今日は自室に戻ったという考えが先に出るべきだろ、と小さく一人ツッコミを入れる。
寝返りをうち時計を見ると、最後に確認した時間から大した時間は経っていなかった。
『今日は新月で危ないからエイラは来ちゃダメ』
哨戒に出発する直前、サーニャに言われた言葉を思い出す。
サーニャの言うとおりだけど、面と向かって来るなと言われると、ちょっと悲しい。
サーニャの魔法の光が夜空に消えるのを見ながら、そんな切なさを抱いて眠りについたのだった。
サーニャはまだブリタニアの夜空を飛んでいるだろう。
「……」
もう少し寝よう。そう思って目を閉じた。
しかし。
「……むぅ…」
すっかり眠気は飛んでしまっていた。
足を大きく振り上げ、それを振り下ろす反動を利用して身を起こし、溜息をついた。
基地をぶらぶらしてればじきに眠くなるだろうと、パーカーを着て、ついでにジャケットを掴んでから、静かに部屋を出た。
一応、こっそりサーニャの部屋を確認する。うん、まだ帰ってない。
散歩しようと思って部屋を出てきたのに、私の足は真っすぐ格納庫へと向かっていた。
宮藤が来てから、私とサーニャの関係は少し変わった気がする。
正確には私とサーニャと宮藤の三人でネウロイを撃破したあの日からだ。
それまでのサーニャは恥ずかしがり屋で、私以外と言葉を交わすことはほとんど無かった。
あの日を境に、サーニャは宮藤をはじめ、他の隊員とも少しずつ話せるようになっていった。
それはとても喜ばしいことだけれど、内心複雑だった。
傲慢な考えだが、サーニャが私だけのものじゃなくなった気がしたから。
いつしか、私のほうがサーニャに依存していたのかもしれない。
だって、サーニャの帰りを待ちわびる自分の姿は、まるで飼い主の帰りを待つ仔犬のようではないか。
「サーニャはまだ帰って来ねーよ…」
自嘲するように呟いた。
眠くなるまで基地を適当に散歩するつもりだったのに、私は思考の迷宮に迷い込んでしまっていた。
今日はもう眠れそうにない。
格納庫から滑走路に出た。夜風が少し冷たい。頭を冷やすにはちょうど良さそうだ。
気まぐれで持ってきていたジャケットに袖を通しながら、暗闇の海に伸びる滑走路の先へ歩を進める。
この先から見える景色はなかなかのものだ。最も、こう暗くては何も見えないだろうが。
「くしゅんっ」
そろそろ滑走路の先端に着こうかいうころ、小さな可愛らしいくしゃみが聞こえた。
「うわあぁぁっ!?」
普段の私なら、くしゃみ―しかも小さな―程度で驚いたりしないのだが、
私しかいないと思い込んで気を抜いていたために、思わず悲鳴をあげてしまった。
「きゃあぁぁっ!?」
気を抜いていたのは、くしゃみの主であるその人も同じだったようだ。
私の悲鳴に驚いた彼女は、私にも負けないほどの悲鳴をあげた。
「ななな、なんですの!?」
普段通りとはいかないまでもある程度の平常心を取り戻した私は、その口調と声から、くしゃみの主が誰であるか感付いた。
「ペリーヌ…?」
「そ、その声…エイラさんですの?」
向こうも同じように、私だと気付いたらしい。
「なんでオマエ、こんな時間にこんな所にいるんだよ?」
とりあえず、一番気になったことを訊いてみた。
「べ、別にあなたには関係ありませんわ…」
返事は期待してなかったが、案の定誤魔化される。
「…エイラさんこそ、こんな時間にどうしたんですの?」
自分は私の質問に答えなかったくせに、同じ質問をぶつけてきた。
「別にオマエには関係ねぇよ」
だからというわけじゃないが、私も同じように返事をして、
ペリーヌの位置から少し離れたところに座った。
ペリーヌはそんな私をしばらく見ていたようだが、結局その距離を保ったまま、同じように座った。
どれくらいの時間、海を見つめていただろう。
思考の迷宮から抜け出すことはとっくに諦め、代わりに迷い込んでいることを忘れた。
先送りしたにすぎないが、今の私はこの迷宮を制することは不可能だと思った。
そう結論を出してからは、何も考えずにぼんやり海を見ているだけだった。
「くしゅんっ」
再び、小さな可愛らしいくしゃみが聞こえてきた。
そういえばペリーヌもいたんだっけ、と頭の片隅で思ったが、そのまま海を見ていた。
私がペリーヌと距離を置いて座ったのは、別にペリーヌが嫌いだからじゃない。
こんな時間にこんな所にくるということは、誰にも邪魔されずに考えたいことがあるのだろう、と思ったからだ。
「くしゅんっ」
またくしゃみが聞こえた。
ちらっとペリーヌのほうへ視線を移す。
さっきよりは暗闇に目が慣れたので、はっきりとは見えないが、ペリーヌの姿がある程度視認できた。
「……?」
見間違いでなければ、ペリーヌはネグリジェ―彼女の寝間着―を一枚着ただけの、とても簡素な格好をしていた。
「くしゅんっ」
夏とはいえ、夜は寒い。あんな格好では風邪をひいてもおかしくはない。
「…しゃーねぇな」
ボソッと呟き、私は立ち上がった。
ペリーヌに近寄って、着ていたジャケットをペリーヌの肩にかけてやった。
「…そんな格好じゃ風邪ひくだろ」
ペリーヌが振り返って、私を見上げるように見つめてきた。
「…ありがとう」
ペリーヌに『ありがとう』なんて言われるのは何度目だろう。初めてかもしれない。
まぁ『ありがとう』なんて言われるようなこと、殆どしてないから仕方ない。
それにいじっぱりなペリーヌは、素直に『ありがとう』なんて言わないだろうし。
「…別に、オマエが風邪ひいたら私たちに皺寄せが来て大変だから…」
思わずそんなことを言ってしまった私も、人のこと言えないな。
「……なぁ」
「…なんですの?」
「…隣、座っていいか?」
「……どうぞ、お好きに」
そんなやり取りをして、ペリーヌの隣に腰を下ろした。
しばらく無言で海を見つめた。
そういえばこの海の先にあるのはヨーロッパ…いや、ガリアだ。
ペリーヌはここから海の向こうの祖国を懐かしんでいたのかもしれない、と思った。
「…さっきの、質問のことですけど」
不意に、ペリーヌが沈黙を打ち破った。
「ん?…あぁ、うん」
「…夢を、見ましたの」
「…夢?」
横目でペリーヌを見る。俯いているうえに暗いので表情はよく見えない。
「ガリアが…いえ、わたくしの家が燃えている夢。…わたくしの家族が、燃えている…夢」
「…ペリーヌ」
「わたくしは無力で、何もできなくて。ただ、泣き叫ぶだけ」
「ペリーヌ」
きっとペリーヌは泣いている。そう思った。
「場面は代わって、501の皆でネウロイと戦っていましたわ」
「ペリーヌ、もういい」
ペリーヌがその先に紡ごうとしていた言葉を、私は魔法の力で理解した。
「…私たちは、ペリーヌの前からいなくならないよ」
その悲しい残酷な言葉を紡がせたくなくて、私はペリーヌを抱き締めていた。
戦争中の軍人らしからぬ言葉を添えて。
押し殺すような嗚咽が聞こえてくる。
抱き締めた小さな身体は小さく震えていた。
私は何も言わず、少しだけ腕に力をこめた。
「…参ったなぁ」
私の腕の中で小さく泣いていたペリーヌはもうだいぶ前に泣き止んだ。
…泣き止んだのだが、どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしい。
それに気付いてから何度か呼び掛けてはみたものの、起きる気配はないし、
寝ている相手を無理に起こすのもかわいそうだと思う。
「はぁ…今日だけだかんな」
仕方ないので、眠ってしまったペリーヌを彼女の部屋まで運ぶことにした。
そっとペリーヌを抱き上げる。
彼女の部屋へ向かう道すがら、色々なことを考えた。
スオムスのこと。サーニャのこと。501の皆のこと。そして、ペリーヌのこと。
サーニャの家族の話をしたとき、宮藤が言ってたっけ。
『今は離ればなれでも、いつかはまた会える』って。
サーニャはそうだ。家族が生きているから。でも、ペリーヌは…
頭をブンブンと振り、そんな考えを振り払う。
どちらがより不幸だなんて、そんなこと考えても仕方がない。
ペリーヌの部屋にたどり着き、そっとベッドに下ろした。
「…あ」
ペリーヌの右手が私の服の裾をしっかりと握り締めていて、なんとも不安定な姿勢になってしまう。
「……」
外そうとしてみたが、案外強い力で掴まれていてどうしようもない。
仕方ないのでパーカーを脱いで脱出を図ろうとした。そのとき。
「…うぅん」
小さく呻き声をあげ、ペリーヌが寝返りをうつ。彼女の右手が私とは反対側に行ってしまった。
私の服の裾を掴んだまま。
「うわっ」
不安定な姿勢だったため、簡単に引き倒されてしまった。
慌ててベッドから抜け出そうとしたが、ペリーヌが再度寝返りをうった。
そのままペリーヌに抱き付かれる。動けない。
「ペリーヌ…?オマエ本当に寝てるか…?」
口角をひくつかせながら聞いてみるが、返事はない。
こうなる未来が見えなかったし、本当に寝てるんだろう。寝てるヤツの動きまで予知できない。
「……あー、もう」
溜息をひとつ。
「今日だけだかんな」
願わくば、夜間哨戒から帰ったサーニャが今日だけは素直に自室に戻りますように。