人の言葉をお前に託して
一人では少し広くて、二人では少し狭い。
私達に与えられたそんな部屋は私にとってすっかり大切な場所になっていた。
悔しいから言ってなんてやらないが、狭く思ってもお前がいれば私は幸せだったし、
広く感じれば束の間の贅沢な気分を味わうことができたんだ。
けれど、今の私にとってはこの部屋がやけに広く感じられて、束の間、
それこそが部屋が広く感じることを喜びに変えていたエッセンスであったことを否が応でも思い知らされた。
部屋に一人でいることも嬉しかったのはお前と二人の部屋だったから。
ポツリとひとりベッドに座っているのは、お前がどんなに待っても帰ってはこないという現実が付随されればどうしようもなく苦痛だった。
私達はいつもいつも、部屋が狭いだ、窓際のベッドはどちらのものだ、などといったくだらないことで喧嘩をしたものだった。
それに私は、訓練での成績には大して差がないというのに、いざ実戦となると飄々と撃墜数を稼いでくるお前を後目に、
流れ弾やらなんやらで墜落している自分に対して無性に腹が立って、つい強くあたってしまっていた。
あぁ、そんなにつまらないことで、どうして…どうして私は素直になんてなれなくて、いつも跳ね返った言葉しか返せず、
ついぞこの気持ちを伝えるといったことをしなかった…いや、できなかったのだ。
淡いような、甘酸っぱいような、それでいてどこまでも苦味を手放さないこの想いに気づいたときには、
お前は既にはるか遠い異国の地へと旅立った後だった…
正確に言えばそれにも語弊がある。
あまり心の機微に敏感でない類の私だからといって、
自らの胸に巣くうこの感情に気づかなかった訳などなく、認めるという行為をただヒドく怖れていただけなのだ。
戦争の最中だというのに、いつ別れの時が来るかも分からないというのに、それでも私には気持ちを認めることの方がはるかに難く、
跳ねるように波打つ自らの心の臓を強く抑えつけることばかりが巧くなった。
それは、実のところお前がネウロイなどに負けるはずがない、傷つくことなど決してないという、ある種病的なまでの信頼に支えられていたのかもしれない。
この気持ちを伝えることはいつでも容易い。
伝えられなかったならばその時は自らの死の時である。
そう勝手に信じ込んで、私の前からお前がいなくなるなんて露とも思わなかったのだ。
戦争がもたらす別れはなにも死別だけという訳ではないというのに…。
それはお前にとって避けえぬものだったのか、それともお得意の占いで異国の地になにかを見いだしたのか、
はたまたお前は私のパートナーとして役不足だと思い至ったのか…
あの日、お前が漏らした「私、明後日から異動だからなんかくれ。」という言葉はあまりにもいつも通りな様であって、
また私をからかっているのではないかとしか考えられなかった。
どうしてもっと早く伝えなかったのか…胸にこみ上げたその言葉はお前に向けたものなのか、
自らの秘めているモノに対して湧き上がったものなのか私には分からない。
私に分かることは、抱いていた幻想が儚く、そして脆くも崩れ去っていこうとしていることだけであった。
「どこに行くんだ?」とポツリと呟くことしか私にはできなくて、声の震えを抑えられているのか毛ほども自信がない。
「ブリタニア…。」と気のない返事だけが返ってくる。
地図の上ならばあまりにも短いその間隔は、実際にはどうしようもなく遠い。
どれだけ遠くても、それでも見えていたお前の背中が瞬く間に虚空に消えてしまったような気がした。
もう少し早く言ってくれたなら…なんて言うのはあからさまな言い訳でしかなくて、
どんなに前に伝えられていたとしても私は今と変わらない状況をさまようのだろう。
いつ帰ってくるんだのかとつい聞いてしまったのは私が弱いからだ。
戦いに身をおく者として、あるか分かりはしないいつなんて話は御法度だ。
まぁ、それも美しい言葉で飾るのならば、お前は絶対に負けはしない、という信頼なのだろうが、実のところ盲目と言うべきなのかもしれない。
「ガリアのネウロイの巣を潰したらな。」
与えられた言葉は、つまり、ブリタニアに骨を埋めるということだ。
ネウロイの巣…潰した者どころか入った者すらいない悪魔の住処。
もはや伝説的にすら語られる魔女たちでさえその住処を破壊した者はいないのだ、それは不可能と限りなく同義であった。
「じゃあすぐ帰ってこられるな。」
私にできることは精一杯の強がりを返すことだけであった。
「あぁ、なんてったって私はスオムスNo.1の魔女だからな。ネウロイなんかに負けやしないよ。」
お前の紡いだ言葉は、その能力のためなのか、確証のない未来を断定することを避けるお前らしくなくて、
やはりお前らしくない私への気遣いを強く内在していた。
どれだけ単純なのだろうか…。
どれだけお前に魅せられているのだろうか…。
こぼした言葉がどんなに不可能なことであっても、不思議なことにお前の言うことならばなんだか私には現実になるように思えた。
「あぁ、母国をほっといてブリタニアに行っちまうスーパーエース様ならきっと大丈夫だな。」
それでも私はひねくれた返答以外持ち合わせておらず、自らの前から去ろうとしているお前に子供の様な苛立ちを当てこする。
このような瞬間でも私は、自分の内に根をはった思いを認められず、それなのに、
伝えても、認めてさえもいないその気持ちをお前に慮ってもらうことを求めていたのだ。
「 。」
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私は子供の様に、何度だってこの日のことを思い出す。
お前のいない部屋は、私には広すぎるし、寂莫の念は消えはしないけれど、今の私なら自らの心と向き合える。
いつもいつも私をからかって、撃墜される私をニヤニヤと見つめてるくせに、私の心の痛みにだけはやたらと敏感で、気づくと傍にいてくれた…
そう、私はどうしようもなくお前のことが好きだったんだ。
情けないけれど、それでも、面と向かっては言えないから、どこにも出さない手紙を書く…いつかお前に渡せるように。
だから今日もお前の言葉を無に帰さないように、約束を反故にしないように、私は飛ぶ。
お前が帰ってくる故郷をなくさないためにもさ…。
Fin.