あなたが来る日


「絶対に会いに行くカラ。それまで待っていてクレ、サーニャ」
「うん、待ってる。いつまでも待っているよ、エイラ」
 第501統合戦闘航空団が解散して。わたしとエイラの歩む路は離れてしまった。エイラはスオムスへ、わたしはオラーシャへ。
 別れの朝、わたしはエイラと約束した。待っている、と。だから待つ。何があっても待つ。ずっとずっと待っているよ、エイラ──。

×××

「リトヴャク中尉、手紙が来てますよ」
 十二月の始め、わたしの属するオラーシャ帝国陸軍586戦闘機連隊の隊長が小さな水色の封筒を持って来た。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
 受け取った封筒を裏返す。予想通り差出人はエイラだった。
「中尉がこっちに戻ってから、よくその人から手紙が来ますね。あっちで出来た友達ですか?」
 隊長が優しく尋ねる。501のミーナ隊長とはちょっと違うけど、優しいお姉さんという感じの彼女は、わたしがあまり気兼ねする事なく話せる数少ない人だ。
「はい……そうです。大事な、友達です」
 封筒を胸に抱いてコクリと頷く。少し、顔が赤くなった。
「そう。それなら、いつまでも仲良くね」
 隊長が穏やかに微笑む。わたしは再びコクリと頷いた。

×××

 基地内の自室に戻ったわたしは、大事に抱えていた封筒をベッドの上に置いた。机からペーパーナイフを取り出して、丁寧に封を切る。
 中からは封筒と同じく水色の便箋が出てきた。わたしはベッドに腰掛け、ネコペンギンのぬいぐるみを腕に抱いて読み始める。

『サーニャ、お元気ですか? オラーシャも寒いと思いますが、風邪を引いていませんか?』
 わたしは元気だよ、エイラ。寒いけど大丈夫。
『私の同僚は、真っ先に風邪を引いてしまいました。いつも決まってコイツが風邪の菌を持ち込むから、いい迷惑です。あっ、でも私は余裕で元気ですので、心配しないで下さい』
 同僚……。いつかエイラが言ってた、ついていないカタヤイネンさんの事かな? それにしても、エイラも元気そうで安心したよ。
『ここの所寒くなってきたせいか、ネウロイはあまり現れません。だから暇な時は、隊のみんなでよくスキーやスケートをします』
 楽しそうでいいね。エイラなら何でも出来そう。

『ここから本題です。詳しい日時はまた知らせますが、十二月末から半月、休みが取れました。今年の年末は、オラーシャへ伺おうと思っています。
 サーニャ。約束、果たせそうです。会いに行くよ』

 そこまで読んだ時、わたしの中を電撃が走った。会いに行くよ──。手紙の最後の一文が、まるでエイラが隣で喋ったかのように、わたしの中に生々しい立体感を持って入ってきた。
 来る。エイラが来る。彼女に会える──。
 わたしはネコペンギンをぎゅっと抱きしめた。とても嬉しい。夢じゃない。離れていた路は、再び交わる。
 わたしは便箋を丁寧に畳み、封筒に戻した。それを机の引き出しに仕舞う。
 この中には、今までエイラから来た手紙が全部入っている。わたしは落ち込んだ時や寂しい時に、これらを読み返す。そうやってエイラから元気を貰うのだ。
 頭の中に、501にいた頃のエイラの姿が浮かんだ。

×××

「汽車、まだかな」
 大晦日。わたしはエイラと落ち合う駅のホームで、彼女の到着を今か今かと待ちわびていた。茶色のコートに、赤いマフラー。黒い毛皮の帽子と手袋。防寒対策は完璧、寒くはない。
 それなりに大きな駅だから、沢山の人が行き交っている。カートを押す家族連れ、帰省らしき学生、旅行に来ているらしい外国人。みんな、わたしの前を忙しなく通り過ぎて行く。
 遠くの線路沿いに、汽車の灯りが見えた。灯りはだんだん大きくなる。エイラはあれに乗っているかも知れないと思って、わたしは近くまで寄ってみた。
 大きな音を立てながら、十五両編成の汽車が止まる。ドアが開いて何人かの人が降り、そして何人かの人が乗った。その中にエイラはいなかった。
「……」
 吐き出した白い息が大気に混じって消える。少しがっかりしたわたしを残して、汽車は発車した。ホームにいた人々は改札口、もしくは他の場所へと消え、わたしは広い駅に独り取り残される。
 誰もいなくなると、途端に周囲の気温が下がった気がした。ここは大きなドームに覆われているから雪は凌げるけど、吹き込む風が冷たい。
 わたしは首元のマフラーを巻き直して、近くのベンチに腰掛けた。独りきりなのは慣れているけど、やっぱり寂しい。早くエイラの顔を見たい。

「あ」
 その時気付いた。わたしは独りぼっちなんかじゃない事に。
 ベンチの側の柱に寄りかかるようにして、一匹の黒猫がじっと座っていた。わたしの上げた声にこちらを向いて、そのまま何秒間か見つめ合う。
「おいで」
 猫は好きだし、わたしの使い魔も黒猫だから、この猫には親しみを覚えた。手招きすると言葉が通じたのか、猫はのっそりと立ち上がってゆっくり歩いて来た。わたしの足元まで来ると、軽やかにジャンプして隣のベンチに収まる。
 その目は綺麗な青灰色。エイラと同じ、真冬の海の色だ。
「あなたも誰かを待っているの?」
 喉を撫でながら尋ねたけど、当然のように返事はない。ただ、満足そうに目を細めただけだ。わたしは何となく猫に話し続ける。
「わたしは、ある人を待っているの。とても大事な人。エイラっていうんだけどね、あなたと同じ色の目をしていて、とっても優しいんだよ」
 黒猫が、ちらりとこっちを見た。微笑んでみると、すぐに視線を逸らされてしまった。少し残念。
「彼女は501で初めて出来た友達なの。いつもわたしの側に居てくれてね、毎日が楽しかった」
 聞いているのかいないのか。多分後者だろう。黒猫は興味無さそうに、大きなあくびをした。
 それでもどこにも行かずにわたしの側に居てくれるのは、この猫の優しさなのだと思う。どこかの誰かさんみたいに。
 何も言わなくたって良い。ただ側に居てくれるだけで心が温かくなる事、わたしはエイラから学んだ。それだけじゃない。沢山の大切なものをエイラはくれた。
「今日はね、久しぶりにエイラに会うの。会ったら最初に何て言ったらいいのかな」
 いつの間にか日は暮れていた。冬のオラーシャは、日照時間が短い。ドームの外は相変わらず、途切れる事のない雪がしんしんと降り積もっている。等間隔に設置された電灯が、その周囲を寂しく照らす。
「暗くなっちゃったね。あなたは寒くない?」
 それきりわたしは黙る。音が雪に吸い込まれたみたいに、辺りは静寂に包まれた。
 エイラ。今頃、どこにいるんだろう。汽車が遅れているだけだよね。事故に遭ったりなんかしてないよね。どうしても悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。

 その時黒猫が、首を撫でていたわたしの手に、甘えるように顔を擦り寄せてきた。その姿に、思わず笑みがこぼれる。
「ありがとう。元気付けてくれているんだね」
 黒猫はまるで肯定するかのように、小さくにゃあと鳴いた。
 うん、後ろ向きに考えてはいけない。彼女は必ず来る。だからわたしは待つ。信じて待つ。約束したから。
 そうだよね、エイラ?
 黒猫はもう一度にゃあと鳴いた。わたしは微笑む。ここは薄暗いしちょっと寒いけど、心はほんのり温かかった。

×××

 しばらくベンチで過ごして、一人と一匹の時間は唐突に終わった。ホームに人が戻ってきた。そろそろ次の汽車がやって来る時刻なのだろう。
 辺りはあっという間に人で溢れかえった。さっきまでのしんみりとした空気は、もうどこにもない。
「騒がしくなっちゃったね」
 黒猫を撫でながらわたしは言う。タイミングを逃して、立つに立てなくなってしまった。わたしは目の前を行く人達を何となく眺める。
 汽車が到着したらしい。人の群れが動く。それに呑み込まれないように、わたしはただベンチに座っていた。エイラがいるのかは気になるけど、猫を放っておくわけにはいかないし、今は動かない方がいい気がする。
 また汽車が来た。ホームはかなり混雑している。人いきれで湯気が立ち籠もる。エイラがいるとしても、簡単には見つからないだろう。
 不意に、黒猫が頭をもたげた。そのまま辺りを確認するかのようにきょろきょろと見渡し、ベンチから飛び降りて人混みの中に走り去って行く。わたしも後を追うように慌てて立ち上がった。
「あ……エイラっ!」
 つい口から出た言葉に、自分でも驚いた。知らず知らずの内に、わたしはあの黒猫をエイラと重ねていたらしい。両者の青灰色の目が脳裏に浮かんだ。
 そして。

 黒猫が消えて行った方へ振り返ると、金色のような銀色のような、不思議な色の髪が目に入った。──いつも綺麗だな、と思っていた髪だ。
 そこにはエイラがいた。確かにエイラがいた。白いコートに水色のマフラー。手には黒いトランク。走っていたのか、鼻の頭と頬が紅い。白い息を吐く度に肩が上下している。
 わたし達は見つめ合った。この瞬間は、まるで永遠のようにも感じられた。
「サーニャ……」
 ああ、エイラの声だ。ずっとずーっと聞きたかったエイラの声。その余韻に浸る間もなく、いつの間にか彼女に抱きしめられていた。わたしもその背中に手を回す。
 懐かしいエイラの香り。一緒のベッドで寝ていたあの頃から変わっていないそれは、おとぎ話の魔法のようにわたしの内側に入ってきて、わたしの中に眠る彼女の記憶を呼び覚ます。
「エイラ……」
 話したい事は色々あるけど、上手く声に出来なかった。最初に言おうと思っていた言葉もどこかへ消えてしまった。嬉しすぎて声にならない事ってあるんだね、エイラ。
「約束。ちゃんと果たしたゾ、サーニャ」
 久しぶりに聞く、抑揚の無い彼女の喋り方。その声が震えていたのは、気のせいではないだろう。
 わたしはふと、ずっと側に居てくれた黒猫の事を思い出した。あの猫がわたしとエイラを繋いだ。その役目を終えたから去ったのかも知れない。
 ありがとう。さようなら、エイラ。そしてオラーシャへようこそ、エイラ。
 わたしは、ともすれば泣きそうになる声を振り絞って言った。
「うん。待ってたよ、エイラ」
 これから半月。ずっとずーっと一緒に居ようね。

おわり


エイラ視点:0670

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