雪ふる街のかたすみで


「……今日は馬鹿に冷えるな」

静かな部屋に響く声。それはほんの小さなつぶやき。
窓の外は昨夜から降り始めた雪がそろそろ積もり始めようとしていて、
その光景が視覚的にも寒さを呼び起こしてるのだと声の主である銀髪の女性は考察する。
彼女の名前はエリザベス・ビューリング。どこか厭世的で声音とうらはらに、
齢24になる彼女のその顔立ちはむしろ幼い印象さえ与えるものだった。それも今はひどく落ち着かない。
冷気を遮るように薄いカーテンを引いて、ビューリングはかじかんだ手の指に白い吐息を一つ、ふぅとついた。
片手には握りしめられた一部の新聞。どこにでもありふれたくだらないゴシップ紙だ。

 結婚……か。

今度は声に出さず、ビューリングは胸の内でそう吐き出す。まるで現実感がなかった。
そもそもファラウェイランドの冬は寒い。それはこの土地出身の彼女にはごく当たり前のことだ。
内陸のモントリオールならなおのこと。その冷たさは痛いほどに肌を刺す。
それでも……、と彼女は部屋の隅にある古びたベッドを見やった。一つのベッドに二つの枕。
一緒にその寒さを、体温を共有してくれる人がいるならば、それはたいした問題ではないはずだった。
それはほんの何日か前まで確かにあったはずなのに。ビューリングはそんなことを思いながら、
くしゃくしゃにしてしまったゴシップ紙を、もう一度広げる。片隅の小さな記事。他はどうでもよかった。

「ウィルマ……」

そこに写っている人物と、ついこの間まで一緒にいた人が同一の存在だなんてどうして信じられるだろう。
その内容は――美貌のうら若き元ウィッチと、30も年上のエリート将校の結婚は、
都会でありながら話題の少ないこの街の関心を引くには十分なものだった。
ウィルマ、ともう一度つぶやいてビューリングはため息をつく。ひどい喪失感。
全く自分らしい結末だ、と自嘲気味に気持ちをまるめ込もうとして、上手くいかなかった。
彼女の脳裏に浮かぶのはただ一つ。その元ウィッチ、ウィルマ・ビショップのこと。
ビューリングの認識が正しければ――今はその確信も無かったが――彼女の恋人であるはずの人物だった。


もう5年だ。スオムスから帰ってきて、ウィッチとしての最後の務めを故郷でと決めてから。
それを話した時、彼女はなにも訊かずただうなずいてくれた。そして、私も、と短い言葉でそう言ったのだ。
その時が、二人が本当の意味での特別な関係をはじめた瞬間だったとビューリングは思う。
ファラウェイランドで、あるいは請われてもう一度渡ったスオムスで。
一日、また一日と同じ時間を共有すること。それが、二人にとって一番大切なことだった。
同じ時間を過ごせなくなること。その意味を痛いほど分かっていたから。あんなのはもう見たくなかった。
それがウィルマであるならばなおさらだ。ウィルマにとってはビューリングがそうだった……はずだ。
無事に揃って退役の日を迎えて、二人はビューリングの故郷であるこの街で新しい生活をはじめた。
都会の端の小さなアパート。それまでと一緒にいることに変わりはなかったのに、全てが新鮮な風に思えた。
こんな穏やかな時間があるなんて、想像だってしたことがなかった。

 もう、私は必要のない存在なのか……。

二人で過ごす時間はいつだってビューリングの、そしてウィルマの心を満たしてくれた。
それはあまりにあたたかくて、ビューリングは時々問い掛けたい気持ちになる。
こんなに幸せでいいのですか、と。あの人の幸せをこの世から失わせた私が。
そんな時、ウィルマはいつもこう言うのだ。だから、私たちは幸せにならないといけないんだ、と。
その言葉だけでビューリングの揺らぐ心は居場所を見つけることが出来た。
目の前の愛しい少女を幸せにする、自分のすべてを賭けてでも。そう彼女は思うのだ。
それが微妙なすれ違いを生んでいたとも知らないで。


「……煙草なんて二度と吸わないと思っていたのにな」

何年ぶりかに吸う煙草はひどく不味い物だった。こんなものを好んで吸っていた過去の自分が信じられない。
ビューリングの吸う煙草の本数は、彼女の心を包んでくれる存在の大きさときっちり相関する。
それはほんの偶然に過ぎなかったけど、彼女はその事実を極めて確からしいことと捉えていた。
彼女を大切だ、と言った何人かの人がみんな揃って煙草が苦手で、ウィルマもそれは例外ではなかったから。
つまり、自分は心に無数の隙間が空いた時、それを煙で埋め合わせているのだと。
ウィルマの大丈夫、と言ったそばから喉を押さえてせき込んでいる姿を見るにつけて、
ビューリングは人生で三度目の禁煙を決意する。そして、それはもう一生のことのはずだと彼女は思っていた。

ウィルマ・ビショップという人物の人となりを訊ねるなら、まず明るくて快活という評価が返ってくるだろう。
それは全く正しい、とビューリングは思う。明るくて、前向きで、行動的で。
時々負けず嫌いの一面が覗くのも愛嬌かもしれない。つまり意識せずとも誰からも好かれる、そんなイメージ。
しかし、それだけが彼女の全てではない。本当は寂しがりやで、強い劣等感も抱えている普通の少女なのだ。
たかだか1ポンドの体重の増減に一喜一憂したり、遠く離れて暮らす家族や弟妹のことを心配したり。
そんな他愛もない話につきあうのは、エリザベス・ビューリングの特権と言ってもよかった。
それでも、ある一つの話題についてだけは、彼女はどうしようもなくその特権を放棄したくなるのだった。

 “私は、きっとあの子にはかなわない”

なにかのきっかけでそう言った時のウィルマは、決まって飲めない酒をいつもの何倍も流し込み、
ふらふらの身体でビューリングにキスをせがむのだ。なにかを確かめるかのように、何度も、何度も。
私はお前を他の誰かとくらべたりなんかしない。勿論アイツとも――そう言いたい彼女の口は
空気の通る間さえないほど塞がれていたから、彼女は腕の中の少女をただ抱きしめることしか出来なかった。
そんなことを思い出しながら、ビューリングは戸棚の酒瓶をあさる。酔って、もうなにもかも忘れたい。
それなのに手にしたリンクウッドにはW,I,Lの文字があったし、
その透き通る琥珀色は彼女の無意識のうちに、今ここにいない人のブロンドを思い起こさせるのだった。


 リズ? ちょっと可愛すぎると思うんだけど
 そう? でも、ベスって柄でもないよね?
 リリィ、とか?
 ないない! だって想像出来る?
 ……人の名前だと思って好き勝手言ってくれるな
 でも、いつまでもエリザベスじゃ硬すぎるよ
 そうね……。ライザ、エルザ?
 エルザかぁ。そんなカンジかも
 後は、リーザとか……リーズ?
 ……もう、好きにしてくれ
 リーズ? あ、なんかしっくりくる気がする
 リーズかぁ。いいね、可愛いよ。ね、リーズ?


もうその名前を呼んでくれる人はいないのに。どうしたってその声が離れない。
共鳴する二つの声。――もう止めて! こんなのはただ見えない記憶の内側だけにあればいいんだ。
お願いだから呼び起こさないで。その名前を呼ばないで。
 “リーズ……”


――――!
言いようのない感覚とともにビューリングは跳ね起きた。勢い飲み過ぎたリンクウッドがまだ頭に残っている。
こめかみを押さえて見やった窓の外はもう真っ暗だった。自分はどれだけ寝ていたのだろう。
そして同時に感じる妙な違和感。自分がベッドに入った時には羽織っていなかったはずのカーディガンと毛布。
なにより濃厚に感じるその気配。そんなの決まっていた。ここの鍵を持つ人物なんて自分の他に一人しかいない。

「おはよう。といってももう夜だけど」
「……ウィルマ」

薄明かりの中に浮かび上がるシルエット。誰よりよく知ったその輪郭。
突然のことに心の準備が整わない。もう、会うことはないのではないかと思っていたくらいだから。

「ながいこと眠ってたから、もう起きないのかと思った」
「私はどのくらい眠ってた?」
「……私が来てからはまる半日。だからそれ以上だね」

随分普通に話すんだな。そう、ビューリングは感じた。
時計はもう夜の11時を回っている。自分の記憶のあるのが朝8時。
それほど眠っていたというのに、まるでその感覚がない。
べっとりとかいた汗。手の指が震えて言うことを聞かなかった。

「……世の中分からないことだらけだな」
「記事、みたんだ」
「たまたま、な。……結婚、するのか?」
「……うん」
「そうか。幸せにな」

急に襲いくる現実。やっと感覚の戻った手を握りしめて、ビューリングは平坦な声でそう答えた。

「……そんな言い方、するんだ」

そんな言い方だって? じゃあ、なんて言えばいい? ビューリングはそう叫びたい気持ちになった。
今更わめいたってなんの埒も開かないことくらい分かり切ってる。なら、受け入れるしかない。

「お前が決めたことなんだろう? 私に何か言う資格なんてないよ」
「それじゃあ、ビューリングにとって私ははじめからどうでもいい他人だったみたい」
「ずいぶん他人行儀な呼び方をするんだな。それにどうでもよかったのはウィルマの方だろう」
「……リーズ、私はそんな風に思ったことなんてない」
「なら、今起こってることはなんだ?」

自然と声が硬くなる。自分で訊いておきながら、答えなんていらないとビューリングは思っていた。
どんな答えが返ってきても、どのみち自分から出てくるのは醜い感情だけなのだ。


「優しい人よ。私の無茶な話も聞いてくれて。大人だよね」
「それは知ってる、何度か会ったこともあるしな。
 年齢差は気になるが、ウィルマがいいというのならいい人なのだろう」
「結婚の話は私から言い出したの。向こうはもっとゆっくり考えるべきだって言ったけど」
「最後は了承してもらったのだろう? よかったじゃないか」
「……よくない」
「何がだ?」
「だって、リーズはそれでいいんだ?」
「どうして私が関係するんだ、それはお前とその人との間の話じゃないか」
「そんなの、違うよ」
「私が反対するんじゃないかというのが心配なのか? そんなこと」
「違う、そうじゃない! 私は」

そんなことあるわけがない。そう言おうとした言葉の端が遮られる。
脚に意識して力を込めてビューリングはなんとか起き上がった。自分をじっと見つめる蒼い瞳。
ビューリングは思わずウィルマの視線から顔を背けた。外にはガス灯のほのかな明かり。
雪は朝よりも量を増して、視界一面を白く覆う。不意に吹いた風が、窓をかたかたと揺らしていった。

「私は……リーズと一緒にいたかった」

何度も息をととのえて、ウィルマはそう言った。その言葉の意味がビューリングにはつかめない。
少なくとも自分がウィルマを、まさか邪険に扱ったことなんて一度だってないのだから。むしろ、その逆だ。

「過去形なのか。今はもうそうじゃないと」
「……ううん。今だって、一緒にいたいって思ってる」

ならどうして? どうしてこんなことになっている? 形さえも見えない疑問がビューリングの心を渦巻く。

「私は、一緒にいてほしくないなんて言ったことはないだろう?」

硬い表情のまま振り向いたビューリングに、ウィルマはこくりと小さくうなずいた。

「リーズはいつも優しかった。リーズといる時間はいつだって楽しかった。
 ……でも、それでもダメなんだ。私じゃ、ダメなんだ」
「ウィルマ?」
「だって」

言葉を切って、ウィルマは床に置いてあったボストンを手に取った。そこでビューリングは初めて気づく。
ウィルマはトレンチを着込んでいて、それはきっとここに戻って来た時からずっとそのままで。
そうだ。さっきも彼女は来た、としか言わなかった。帰ってきた、とは言ってくれなかった。
唇をかんで顔を上げたビューリングの視界のウィルマが、もう泣きそうな表情をしていた。

「だって……リーズは、私なんて見てなかったよ」

透き通ったその声が震えながら、でもはっきりとビューリングにそう告げた。

「リーズが見ていたのは、私のむこうに映るあの子だけだったもの」


いつからだろう。あなたを好きになったのは。
そんなことを何度も考えて、出る答えはいつも同じだった。
――はじめから。初めて知った時から、多分ずっと好きだった。
人当たりが悪くてタバコ臭くて、上官の命令なんてまるで聞かない。とんでもないヤツだと思った。
そのくせバカみたいに優しいのだ。
遠くからしかあなたを見ないほとんどの人は、そんな事なんて知らない。
知っていたのは私たちだけだ。その長くて綺麗な銀の髪がふれる距離にいた私たち。私と、あの子。

「気になるの?」

いつだったか、あの子はそんなことを訊いてきた。
答えはイエスに決まっていたけれど、元から素直じゃない私がそんなこと言うはずもなく。
照れ隠しながら、まさか、と言うと彼女はくすくすと笑いながら、
聞かなくてもわかるよ、……私だって同じだもの。と言うのだ。

「知ってるよ」

私は視線をそらしながらそう言った。陽の光を浴びてキラキラ光る彼女のやわらかなプラチナブロンド。
気づかないハズなんてなかった。私が無意識に見つめるその先にはいつも二人がいて。普段、少し寂しそうな、
私から見ると羨ましいくらいに大人びた彼女のその表情は、あなたといる時だけ年相応の素顔に戻るのだから。
私の部隊がブリタニア本国に派遣されてからは、三人で一緒に過ごす機会は以前よりさらに多くなった。
私の気持ちは以前と変わりなく、むしろよりその重みを増して私の中にあったけれど、
それが叶うこともありはしないのだと私はもう気づいていた。
あの子だけじゃなく、あなたもあの子のことを誰よりも大切に想っていて、
二人の心の描くラインが少しの狂いもなく一致していることを、そばで見ている私はよく分かっていた。
あの子は私の親友で、優しくて可愛くて、とても優秀なウィッチで。
誰よりも一生懸命だったから、私は二人が結ばれることを一番応援していたのだ。
それは多分間違いないことだったと、今でもそう思っている。
だけどそれなのに、彼女の認識は私のそれとは違うものだったのかもしれない。

「……私はウィルマがうらやましい」

二人が国際ネウロイ監視航空団としてオストマルクに行く直前、あの子はぽつりとそう言った。
私にしてみれば、彼女は理想の女の子で。うらやましいのはこっちだよ、と私は当たり前のように返した。
それを聞いた彼女が少し困ったような表情で、ありがと、とだけ答えたのを憶えている。
思えば、一つだけ分からなかったのは――それは不可解とさえ言ってよかった――
もう2年も恋人のように過ごしてきた二人が、それをはっきり言葉にしていないらしいということだった。
でも、今度のオストマルク派遣が二人の関係になにかの変化をもたらすのかもしれない。
私はそう、ぼんやりと考えていた。それが正に振れるのか負に振れるのかは、知る由もなかったけれど。
結局それがあの子と交わす最後の会話になるなんて、その時の私は考えもしていなかった。

 嘘だ、そんなこと……。ねえ、何があったっていうの?

オストマルクから帰ってきた時のあなたは――リーズは、それは酷いものだった。
当直を終えると、振り向きもせず近くのパブに行って壊れたように飲み続けるのだ。
パブのマスターの静止も聞き入れない位に。止めようなんてなかった。
オストマルクから帰ってきた少女達は、行った人数からすると本当にごく一部のその少女達は、
同じように心に二度と消えることの無い傷を負っていて、それをなんとか忘れようともがいていたから。
オストマルクで何があったのか、その場にいなかった私には分からない。
分かっていたのは一つだけ、リーズがその命を粗末に投げ捨てようとしていたことだけだった。

 そんなことしたら、あの子のしたことが全部無意味になるじゃない!

思わず叫んだ私を見て、リーズ凍りついた表情で俯いたまま、もう何も言おうとはしなかった。
その日を境に会ってもくれなくなったリーズがスオムスに行ったことを私が知ったのは、
またさらに何日も経ってからのこと。
それから連絡一つないまま、一年以上の間、私はただ待つことしか出来なかった。


二人の間に落ちる沈黙。ほんのわずかな間が永遠にさえ思えた。時間も、距離も。
ビューリングはなんとか言うべき言葉を探したけれど、それはいっこうに見つからなかった。
その間にも混乱しきっている自分とまるで正反対にウィルマは落ち着きを取り戻したようだった。
リーズを困らせたいわけじゃないの。そうとでも言いたげに見せる悲しげな笑顔。

「……ごめんね」

ドアノブに手をかけ、ビューリングに背を向けながらウィルマは小さくそう言った。

「リーズはなにも悪くないよ。リーズが私を大切に思ってくれてること、私は知ってるから」
「……それではいけなかったのか? 私はウィルマに幸せになってもらいたいと」

呻くように言うビューリングに顔を向けて、ウィルマはふるふると首を横に振ってその瞳を閉じた。
1フィートはあったはずの顔と顔の距離が、気づくと1インチまで近づいていて。
もうすっかり自分の一部になっていたその甘い匂いと空気をつたう熱の感覚。
ビューリングの身体がそれをはっきりと認識した瞬間、ウィルマがぱちりと瞳を開けた。
まるで夢はもう醒めてしまったのだというように。そしてもう一度、ごめんねとつぶやく。
もし、部屋の外を通う風がもう少し強かったなら、聞き取れなかったかもしれないくらいの声。
でも、それは確かに聞こえていたから。そうだ、このまま終わりになんて出来ない。
だからビューリングはもう離れようとするウィルマの手首をつかんで、無意識にその身体を引き寄せていた。

 ウィルマ……っ!

胸の奥で叫んで、ビューリングはウィルマの口唇を塞ぐ。
一瞬びくりとはねるその身体。ウィルマの手の中から鞄が落ちて重たい音を立てた。
身体に力を込めてなんとか抵抗しようとするウィルマを制しようとビューリングは手首をさらに強く握りしめる。
本当はウィルマに少しだって抵抗なんて出来るはずもなかった。
もう、このままこの心地のいい痛みに身を委ねてしまいたい、いや、むしろ自分から求めたいくらいなのだから。
もしあと少し、ほんの数秒その時間が長かったなら、そうしてしまっていただろうとウィルマは思う。
でもビューリングが決してそうはしないのだということも彼女はよく分かっていた。
そしてその通り、臨界点に達するわずか手前でその手首に込められた力がふっと緩むのを彼女は感じた。

「……ありがと、リーズ。大好きだよ。今でも、大好き」

するりと拘束からのがれる細い腕。さよなら、と小さく足してビューリングに背を向けたウィルマが
今度こそ振り返ること無くアパートの階段を駆け下りていく。
呆然と立ち尽くしたままビューリングは、その小さな背中をただ見送ることしか出来ずにいた。


最初から分かっていた。自分があの子にかなわないことくらい。
分かっていても、少しでも求められるならそれでよかった。そう思えるだけでよかったはずだった。
スオムスから帰ってきたリーズに、一緒に来てほしいと言われて、本当に嬉しくて。
二人で全てを分け合えば、きっとあの子のことも大切な過去に出来ると思っていた。
はじめはそれで上手く行っていたのに。でも、実際は気づかなかっただけだ。
軍にいる間は毎日が戦争のことで追われていて、ただ一緒にいるだけでよくて気づけなかった。
私がその名前を呼ぶたびにあなたがほんの少しだけ傷ついたような顔をしていることに。
そのことに気づいた時、私はどうしようもない気持ちでいっぱいになった。
それはつまり、私といることがなによりリーズを傷つけているということなのだから。
きれいに過去の引き出しにしまい込むには、あの子の存在はあまりに大きかった。
リーズにとっても、私にとっても。
もう、リーズから離れよう。何度考えても、それ以外の結論はついに出てこなかった。


雪は間断なく降り続き。私はアパートの路地裏にもぐり、その壁に背中を預けて大きく息をついた。
泣くな! 泣きたいのは私じゃなくてリーズのはずなのだから。
大事な親友も、自分を大切にしてくれた誰より好きな人も。裏切ったのは私の方だ。
どうすればよかったんだろう。そればかりがぐるぐるまわる。
望んでいたのはたったひとつ。リーズと二人で幸せになること。
そうでなければ、誰に胸を張って幸せと言える? あの子にも、リーズにも、自分自身にも。
それでも、本当は一緒にいたいのに、あなたのそばにいたいのに。どうしたってそれが出来ないなんて。
氷のように冷えきった両脚から力が抜けて、私の身体は積もる雪の上に滑り落ちていた。


いつからだろう。君を好きになったのは。
そんなことを何度も考えて、出る答えはいつも同じだった。
――はじめから。初めて知った時から、多分ずっと好きだった。
もう10年も前。まだ自分がファラウェイランドにいた頃に出逢った一人の少女。
単身ブリタニアから渡ってきて、常に気丈に振る舞う姿に目を惹かれた。
その少女がある夜、一人泣いているのを見た時、私は引き寄せられるように彼女を抱きしめていた。
それはほんの気紛れだったはずだけど。“名前は?”と聞く私に返ってきた“ウィルマ”という小さな声。
それを聞いた瞬間からその存在は確かに私の中にあって、それが変わることは一度だって無かった。
ブリタニアで再会して、それから長い距離をずっと遠回りして。
“彼女”を死に追いやった贖罪を死を以てでなく、その少女を幸せにすることで果たそうと私は誓ったのだ。

窓の外、積もる雪に残された一組の足跡。これも朝には消えてしまうのだろう。
ウィルマが――あの時出逢った幼い少女が、自分にどんな言葉を望んでいたのか。本当は分かっていた。
それでも私は思ってしまうのだ。君がただ幸せでありますように、と。
そしてもし願えるのなら、私の心に残された足跡もこの降り続く雪がかき消してくれますように……と。

                                                fin.


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