Sonne und Mond


 それはまだ、カールスラントがネウロイの手に落ちる前のお話。

「夜間哨戒?」
 朝食の時間のこと。茹でたてのじゃがいもをマイペースにつまんでいるハルトマン。その対
面に座ったバルクホルンが切り出した。
「そうだ」
「私はナイトウィッチじゃないよ?」
「ミーナやその他の上層部と相談して、ウィッチ隊全体が夜間任務にも対応できるよう、訓練
の一環として組み込むことになったんだ。最近はネウロイの攻撃も激しくなってきている、そ
の対応策として――ということでもある」
「そんなの養成機関時代にやったことじゃんかー」
 じゃがいもを口内でもごもごさせながら、露骨に不満そうな眼差しを投げるハルトマン。
「現在の私たちの夜間任務についての知識はあくまで基礎でしかない。早くからナイトウィッ
チとして訓練されたウィッチならともかく、我々の普段、つまり日中とはまったく異なった環
境での戦闘となると、今のうちにより多く経験を積ませた方がよいという判断だ」
 対して、涼やかな表情で反論しつつじゃがいもを平らげるバルクホルン。
「それで、最初は夜間哨戒などで慣らして、徐々に実践的な訓練へ……ってところ?」
「その通りだ。で、早速今日から夜間哨戒のローテーションを組むことになった。ハルトマン
中尉、一番手はお前だ」
「えぇええー!」
 夜は寝る時間、朝もできるだけ寝る時間というハルトマンにとっては、まさに寝耳に水とい
うべき宣告であった。

   ◇

 かくして、ハルトマンの安眠の日々は失われたのであった。
「――なんて、冗談じゃないよ」
 朝食を終えた私は早速ミーナに直談判した。たまには素行態度の挽回を、などと諭され、し
ぶしぶロッテのパートナーの部屋に向かうことに。まぁ、ミーナにもいっぱい迷惑かけちゃっ
てることだし、たまには、ね。
 今回の哨戒はロッテ――二機一組で行う。私のパートナーは、ミーナ曰く、類稀なる才能を
持ったナイトウィッチだそうだ。私も『彼女』の噂は少しだけ聞いたことがある。とはいえ、
私たち日中に活動するウィッチとは活動時間帯が違うので、本人に会ったことは一度もなかっ
た。せっかくの機会だし、どんな人なのか確かめるのも悪くない。
「ここかー……」
 部屋の主の名前を確かめ、ノックを数回。
「どうぞ」
 鈴を鳴らしたような凛とした声がドアの向こうから届いた。
「失礼しまーす」
 ドアを開けると、薄暗い部屋の中、椅子に姿勢よく腰をかける人影が目に映った。
 夜間迷彩にぴったりの黒い服と、浮かび上がる白い髪のコントラストが、妙に綺麗だった。
「あの」
 その髪に見入っていると、彼女のほうから話しかけてきた。きらりと光が反射した眼鏡の奥
から赤い瞳が私を見つめている。
「エーリカ・ハルトマン中尉――ですね?」
「そ、そうだけど」
 彼女は腰を上げ、立派な敬礼を私に見せた。
「本日夜間哨戒でロッテを組ませていただく、ハイデマリー・W・シュナウファー大尉です」
 それが後に『カールスラント最強のナイトウィッチ』と称される少女の姿だった。

 命令通り、哨戒の時間まで待機する。私はそのままハイデマリーの部屋に居座り、少しだけ
会話をした。
 私よりひとつ年下で、私よりひとつ階級が上で、私より(いや、ミーナより?)胸がおっき
い(!)、そんな彼女はとても大人しく、冷静な子だった。
 私の人となりについては、ミーナが話を通してくれていた。彼女も私の噂をいろいろと聞い
ているらしく、一応の理解は持ってくれているようでほっとした。規律やらで口うるさいのは
トゥルーデだけでいっぱいいっぱいだしね。
 会話の後、ハイデマリーは本を読んでいた。私が来たときもこうして明かりも点けず、カー
テンも開けず、ひたすら読みふけっていたらしい。そんな彼女の姿を私はハイデマリーのベッ
ドに腰掛け、暗さに慣れた眼で見つめていた。ていうか、この暗がりで読んでたらすごく目が
悪くなりそー……だから眼鏡なのかな。いや、もしかしたらこれもナイトウィッチの訓練法の
ひとつなのかもしれない。
「……そろそろ寝ましょうか」
 と、手にしていた本を閉じる。
「あなたも自室に戻って寝たほうがいいわ」
「……ねえ、ハイデマリー」
 ちょっと図々しいかなと思いつつも、ハイデマリーに提案する。このまま自分の部屋に戻る
のもつまらないし、かといって私が彼女のベッドを占領してしまうのもアレなので、
「せっかくだし、一緒に寝ない?」
「え?」
 彼女は私の提案を聞いて数秒固まった後、急にうつむいてしまった。
「ああ、嫌なら別にいいけどさ」
 やっぱりちょっといきなりすぎたかなぁ、と思いつつそう言うと、
「……構わないけど、狭いわよ」
 うつむいたまま、ハイデマリーは小さな声でつぶやいた。
「だいじょうぶ! トゥルーデ……えっと、バルクホルン大尉のベッドも同じぐらいだし」
「仲がいいのね」
「まあね! でもね、細かいところまでいちいち厳しいんだよ。朝早く起こされるし」
「噂は聞いているわ。規律に厳しいけど妹さんにはめっぽう甘い、って」
 さすがトゥルーデ、有名だね……。
「ハイデマリーは誰かと一緒に寝たりしないの?」
「……ええ」
 彼女は答えた。ほんの少し眉をひそめたような気がしたが、暗くてよくわからない。
「もしかして、私がはじめて?」
「……そうね、家族以外では」
 そう言ったハイデマリーの表情は、やはり闇に溶けてわからなかった。

   ◇

 服を脱いで先客がいるベッドに潜り込む。いつもより温度が高い毛布の感触がなんだかくす
ぐったかった。
 今日は、ひとりではない。
「へへー」
 ハルトマン中尉が抱き付いてくる。
「……ちょっと……」
「まぁまぁ、スキンシップスキンシップ! ふふー」
 私の言葉の前に、そう言って屈託なく笑った。不思議と嫌な感じはしない。
 ふと、子犬が懐くときはこんな感じなのだろうか、と思った。
 彼女はミーナ中佐やバルクホルン大尉と共に話の種になることが多いが、それに納得した気
がする。朗らかで自由で、素行が悪いという面で話題に上ることもあるが、誰からも愛される
ムードメーカー的な存在。
 私とは――まるで逆の存在。
 そんな私と彼女が夜間哨戒でロッテを組むなんて、本当におかしな話だ。
「すー……」
 ハルトマン中尉は私にしっかり抱きついたまま眠っていた。彼女の無邪気な寝顔を見ている
と、無益なことを考えているのが馬鹿らしくなってきて、私も目を閉じた。
 沈んでゆく意識の片隅で、私は遠い昔のことを思い出していた。
 こうして私を抱きしめてくれた両親のことを。
 ひとのからだは、こんなにもあたたかくて、やさしいことを……。

   ◇

 その夜。
 目の前にはいつもとは違う、誘導灯が整然と灯った滑走路。夜の闇にストライカーのエンジ
ン音が突き刺さる。
「うーん、やっぱりいつもと感じが違うなぁ」
「具体的には?」
「いやぁ、もう何もかもが違うって感じだよ。ストライカーの翼端灯点けるのも久々だし」
「今日ネウロイが来る可能性は低いらしいから、ゆっくり慣らすといいわ」
 準備が整ったところで、発進しようとハイデマリーに向き直ると、
「……おおー!」
「何?」
 ハイデマリーの頭部には、魔力で発現したレーダー魔導針が備わっていた。
「かっこいいな!」
「え? これ?」
「うんうん、いいなー。夜間って感じ!」
「どんな感じなのよ……」
 ひとしきり憧れたところで、ふたりで発進する。いつもとは違う夜空に身を躍らせる感覚が、
なんだかむずがゆかった。

 ハイデマリーと並列を保ちながら、眼下に広がる町並みを眺める。とはいえ、ほとんどの人
が寝静まっているのか、明かりはほとんどない。
「うー、やっぱり見えないよー」
「そうか……今夜はちょうど新月ね。さすがに星だけの光量じゃ厳しいかしら」
「ハイデマリーは見えてるの?」
「ええ、あなたよりかは」
「それがハイデマリーの能力?」
「ええ」
「どれぐらい見えてるの?」
「そうね……あなたからすれば、今日が満月に思えるぐらい」
「すごいな!」
 私が言うのもなんだけど、ハイデマリーって不思議な子だ。
 うまく言えないけど、なんだろう。私にはないものをいっぱい持ってる――そんな気がする。
 トゥルーデもミーナもそうだけど、ふたりとはまた違った魅力がハイデマリーにはあるのだ。
「うらやましいな!」
「そうかしら」
 彼女は涼しい顔で前方の空を見つめていた。
「真っ暗なところでもちゃんと見えるんだろー? すごくいい能力じゃん!」
「私はきらい」
「……え?」
 彼女の表情はそのままだったけど、発した声は今までと打って変わって、冷たかった。
 突然のことに困惑している私に続けて彼女が投げた言葉は、悲しい色を帯びていて、私にそ
の理由を理解させた。……彼女にとっては、ほんの一部なのだろうけれど。

「どうして私が眼鏡をかけているか、わかる?」

   ◇

 夜間視――光量の乏しい夜間でも視認性を確保できる能力。
 幼い頃、私はこの能力をちゃんと制御できなかった。
 そんな私にも太陽の光は平等に、無慈悲に降り注いだ。それこそ、眼が焼けつくほどに――。
 自ら眼球を握り潰したくなるような苦痛の中で私は育った。眩しくて痛くてまぶたを閉じ、
それでも眩しいから手で覆い、それでもなお、光は私を蝕もうと隙間から潜り込んできた。
 暗い部屋から出てこない私は、傍から見ればとても不気味だっただろう。いや、不気味とす
ら思われなかったかもしれない。私の存在を知る人間がどれだけいるのかさえわからなかった。
友達なんてできるはずもなく、ひたすらに両親の『看護』を受けた幼少時代。
 十歳になり、私はウィッチ養成機関に編入された。親元を離れ、光と孤独に怯える日々。
 能力の制御を覚えるのと、私の両眼が潰れるのと、どっちが先か? 恐怖を必死に塗り潰し、
時には耐え切れず自棄を起こしたこともあった。
 そして私は能力の制御を、ナイトウィッチとしての力を得た。
 光を恐れる私の生活は終わりを告げた。けれど傷痕は残った。長期間傷めつけられた視神経
が回復することはなかった。
 初めて眼鏡をかけたときの悲しさは計り知れなかった。確かに眼鏡で私の視界は綺麗になっ
たけれど、フレームの外の世界は以前と同じように、あまりに不確かなままで。まるで私と世
界が厚い壁で隔てられているような気がして。
「本当の世界はお前には届かない場所だ」と――そう告げられているような気さえして。
 眼鏡の度が強くて、痛くて、悲しくて、悔しくて、涙が出た。
 カールスラント空軍に配属され、夜空を駆ける魔女となった今でも、私はこの能力が大嫌い。
 こんな能力――

   ◇

「こんな能力、なければよかったのに」
 ハイデマリーのその一言に、彼女の悲しみがぎちぎちに詰められていた。
 私の勘は、たぶん当たってる。ハイデマリーはきっと、私にはないものをいっぱい持ってる。
私にはない能力も、思い出も、苦悩も、たくさん――。
 頭部の魔導針がノイズのように揺らめいた後。
「……ごめんなさい。あなたには、関係のない話だったわ」
 彼女はそんな言葉をか細くのどから絞り出して、私から顔を背けるように先行した。
「ハイデ――」
 彼女を呼び止めようとした刹那。
「――っ!」
 ハイデマリーの魔導針が、ノイズと同時に赤く明滅した。
「……いる……」
「いる、って……ネウロイ!?」
「静かに!」
 さっきまでとは別人のように張り詰めた雰囲気を纏わせ、彼女は目をつむっている。どうや
ら魔導針で敵機の情報を検知しているらしい。
「十字方向、距離四千。小型が三機。まっすぐこっちに向かってる」
「ミーナたちに知らせなきゃ!」
 あわててインカムを基地に繋ぐ――繋ごうとした。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「……つながんない……」
 何度繋ごうとしても、応答するのは断続的なノイズのみ。
「ジャミング!?」
 恐らくは、ネウロイが妨害電波のようなものを発信しているのだろう。これで連絡手段は断
たれた。
「連絡が取れないと、応援も来ないわね……」
「急いで基地に戻れば……」
「無理ね。町が敵の的になるわ」
「……じゃあ」
「ええ」
 やるしかない。
 背負っていた武器を取り、安全装置を解除。
 互いに目を合わせ、結論を声に出し、己を奮い立たせた。
『私たちで撃つ!!』

\n 気晴らしに夜の散歩をしていたバルクホルンが偶然見つけたのは、滑走路から星空を見上げ
ているミーナだった。
「ミーナ、まだ起きてたのか」
「トゥルーデ……」
 ミーナは少し驚いたようにバルクホルンを見た。
「あのふたりが気になるのか」
 バルクホルンの問いに頷き、ミーナは再び空に目を向ける。
「なぜ、ハルトマンとシュナウファーを組ませたんだ? あれはミーナ、お前の提案だと聞い
たが」
「どうしてかしらね……」
 遠い目をしたまま数秒、ミーナは愛する我が子を憂う母にも似た表情をしていた。
「シュナウファーさんは確かにナイトウィッチとしての才能は稀有だけど、ここに来るまでに
いろいろとあったようで、基地のみんなとも馴染めずにいるみたいなの」
「確かに他人を寄せ付けない雰囲気はあるな」
「だから、ちょっとしたきっかけになればと思って、かしらね」
 慈愛に満ちた目をするミーナに、バルクホルンは少し不満そうにこぼす。
「……ずいぶんとシュナウファーにかまうんだな」
「あらトゥルーデったら、妬いてるの?」
「なっ……そ、そういうことではなくてだな!」
 やたらと赤くなって慌てるバルクホルンを見て、ミーナは淑やかに笑った。
「私たちは同じチーム――家族だもの。困っていたら助け合うのは当然でしょう? シュナウ
ファーさんも例外ではないわ」
「……まぁな」
「それで、フラウが適任かと思って」
「それがわからん。いきなりハルトマンと組ませるのは、とんだ荒療治だと思うぞ。あいつは
規律に関してもそうだが、遠慮というものが……」
「フラウはトゥルーデによく甘えるものね」
「甘えすぎだ! あいつはいったいいつになったら、カールスラント軍人としての自覚が……」
 いつものように長い愚痴を漏らそうとするバルクホルンをミーナがなだめる。
「あの子は飄々としてて、気楽で素直で、私たちとは少し違うけれど、まっすぐで、むしろ助
けられることも多いわ。大げさにいえば――『太陽』みたいな存在。あなたもそう思わない?」
「……まぁ、あのお気楽さはないならないで、物足りない、かもしれない」
 視線を逸らしつつそんなことを言ったバルクホルンを、素直じゃないんだから、とミーナは
また笑い、三度夜を眺めた。
「だからこれは、ある意味賭け」
 ミーナに倣ってバルクホルンも宵闇を仰いだ。今夜は、月が出ていない。
「あの子は暗闇の『お月さま』を、ちゃんと照らしてあげられるかしら?」

   ◇

 変に気持ちが高ぶってきて、ハイデマリーの指示を聞くのも忘れて私は飛び出していた。
 少し速度を上げすぎたのか、自分の目ではかすかな翼端灯の光でしか後方の彼女を確認でき
なかった。
 インカムで通信を試みているのか、耳のノイズの音量が上下している。ジャミングは近距離
通信でも効果的らしい。
「ハイデマリーもミーナと同じタイプかなぁ……」
 怒ると怖そう。
 何度目になるかわからない自室禁固処分の危機を感じながらも、敵機に接近する。
「――あ」
 薄く赤く発光するものを前方にとらえた。ネウロイのビーム発射機構、それが三つ。
「見つけた!」
 その光が強くなる瞬間を見極める。
 赤い閃光が三本放たれたと同時、くるりとバレルロールで回避。
 すかさず真ん中の発射機構に向かって銃弾を叩き込む。命中を意味する金属音が数度響いた
後、敵のひとつは一際赤い光を放つコアと共にガラスのように砕け散った。
「まずひとつ!」
 これなら、ハイデマリーが追いつく前にひとりでみっつとも堕とせるかもしれない――そん
な驕りが湧いてくる。
 敵はV字型に編隊を組んでいたから、残りも近くに――
「あれ?」
 辺りを見回すが、いない。残り二機のネウロイが忽然と姿を消した。
「……逃げられた?」
 ――違う。嫌な感じがする。なのにとても静かだ。
「まだ、近くに……」
 自分の心臓の音がとても大きくて早い。高揚なのか、恐怖なのか、何が自分の中に渦巻いて
いるのかもわからないままに集中する。
 刹那。
「上っ!」
 ハイデマリーの叫びでとっさに星空を見上げる。
 闇の一部が赤い。そこから光の針が私を穿とうと飛び出す。
 シールドを――いや、間に合わない!
 衝撃が走った。

   ◇

 間一髪彼女を抱き留め、ビームを青白く輝くシールドで防いだ。
 ハルトマンではなく、私が。
 ちりり、と頭の奥で何か違和感を覚えたが、気にせず彼女の顔を見た。
「ハイデマリー!」
「勝手に飛び出さないで……何かあったらどうするの!?」
 ハルトマンへの注意は思ったより声が大きくなり、自分でも少しびっくりしてしまった。
「でも一機堕とした!」
「そういう問題じゃない!」
 エーリカ・ハルトマンはカールスラントが誇るエースであり、自由奔放――聞いていた噂の
通り、バルクホルン大尉が口うるさくなるのも納得だ。彼女の気苦労も相当なものなのだろう。
「……ごめん」
 彼女の謝罪の言葉を聞いて自分を落ち着かせる。今もネウロイに囲まれている状態、無駄な
話をしている余裕はない。
「ちゃんと私の指示を聞いて……さっさと切り抜ける」
「……よっし、オッケー!」
 ハルトマンも深呼吸して落ち着いたのを確認し、並列のままふたりで上昇。バレルロールで
ビームを回避しつつ、思案する。
 そのつかみどころのない性格とはまた別に、ハルトマンはどこか浮き足立っている。経験の
少ない夜間戦闘で緊張しているのだろうか。だが、日中と夜間では環境が違いすぎる。下手に
突っ込まれてもフォローしきれない。
「私が囮になるから、あなたはその隙に攻撃して。小型だから堕とすのにそう時間はかからな
いはず、焦らないで」
「了解!」
 ハルトマンは進行方向を九十度転回。
 ネウロイを引きつけた後、私の夜間視能力を使い敵を捕捉、攻撃。回避されてもハルトマン
が狙いやすいようにアシストする。
 いつものようなひとりでの戦闘とはまた勝手が違うが、これもよい経験になるだろう。
 ネウロイから放たれる数度目のビームをシールドで正面から防ぐ。
 ちりり、ちりり。
「――え?」
 さっき覚えた違和感が、頭の中で強くなっていく。
 嫌な感覚。眼の奥が、頭の中が焦げつくような感覚。
 ネウロイが私にビームを撃つたび――『光が迫ってくる』たびに強くなる。
 これは、まさか――。
 ハルトマンが、二機目のコアを撃った。
 ガラスの砕けるような音が、私の外と中の両方で鳴った。
 思い出した。思い出してしまった。
 あの感覚――地獄の日々。私の世界を削り取る、光束の暴力。
「ハイデマリー、後ろーっ!」
 ハルトマンの叫びに私の身体が反応する。
 振り返ると同時、黒いものが、私に赤い地獄を撃ってきた。
 身体に叩き込まれた無意識がとっさにシールドを展開。ビームが弾かれる轟音と共に、私の
眼を灼こうと、光が迫ってくる。
「いやあああぁぁああっ!」
 自分の声が遠く聞こえて、すべてが途切れた。

   ◇

 だれかが泣いている。
 声をころしきれずに、なみだを流している。
 わたしだった。
 とてもかなしくて、わたしは泣いていた。

 ――ハイディ。

 だれかがわたしを呼んでいる。
 わたしを「ハイディ」って呼ぶのは、おかあさんとおとうさんだけ。
 この声は――おかあさんだ。
 わたしたち以外、みんなもう眠ってしまっている夜。
 わたしの前には、明かりのない家の玄関に立つおかあさんとおとうさん。
 わたしの横には、カールスラントの女の軍人さん。
 そうだ。わたしが「ウィッチようせいきかん」に行くときだ。
 おかあさんはわたしの前にしゃがみこんで目の高さを合わせた後、やさしく言った。

 ――ねぇ、ハイディ。
 怒らないから、正直に答えて。
 その「ちから」は嫌い?

 少しためらった後、うん、とわたしはうなずいた。
 この「ちから」のせいで、わたしは苦しい思いばかり。
 わたしだけじゃなく、おとうさんとおかあさんまで苦しめてる。
 わたしが起きてる間は、夜でもまっくらな家で生活するふたり。
 たくさんつまづいたり、ぶつけたりして、目がわるくなってめがねもかけた。
 ごめんなさい、とわたしは言った。まともに声になったかはわからない。
 わたしは、おとうさんとおかあさんの生活までめちゃくちゃにしてしまった。
 きらいにならないで、と都合のいい言葉をはく。
 わたしに関わらなければ、ふたりはしあわせになれる。でも、わたしはひとりになる。
 わかっていても割りきれなくて、じぶんはどうしようもなくいやな人間だと思った。

 ――ハイディ。

 おかあさんが、いつもと変わらないやさしい顔でだきしめてくれて。

 ――だいじょうぶ。おとうさんもおかあさんも、絶対にあなたを嫌いになったりしない。
 何があってもあなたは、私たちの大切な家族よ。

 おかあさんのからだはとてもあたたかくて、とてもうれしくて、また泣いた。

 ――ハイディ、忘れないで。
 あなたには帰れる場所が、家族がいること。
 そして、もうひとつ。
 あなたが嫌いな、その「ちから」。
 それはあなたをこれからも苦しめるかもしれない。
 それでも、忘れないで。

 その「ちから」は――

   ◇

「ハイデマリー!」
 はきとした声に目を開けると、ハルトマンが私の顔を覗き込んでいた。
「ハルト、マン……」
「怪我はない?」
「……ええ」
 視界には彼女の顔、その後ろに森の木々とその間から覗く明るい夜空が見えた。
 横たわっていた身体を起こす。
「……ネウロイ、は」
「みっつとも撃った。ハイデマリーのおかげだよ」
 安堵したと同時に、己のふがいなさとハルトマンへの申し訳なさが心の中でふくれ上がった。
「ごめんなさい……私が、足を引っ張ってしまった」
「そんなことない! ハイデマリーがいなかったら、私だってどうなってたか……」
 返答に困って目を逸らし、脚部の違和感に気付いた。ストライカーがない。どうやら気を失っ
た際に脱げてしまったらしい。
「ごめんね。ハイデマリーを助けるのに必死で、ストライカーまで気が回らなくて。さっき通
信も直って、何人か来てくれるように頼んだから」
 私は何も言えないまま、空を仰いだ。
「……もうすぐ、日の出だね」
 ハルトマンの言葉に、私の身体が震えた。
「あ……」
 日の出、朝、太陽の目覚め――私の恐怖。意識した瞬間に震えが止まらなくなった。
 私の眼はもう光に耐えられる。それなのに――。
「なんで……」
 震える身体を、両腕で必死に守るように掻き抱いた。
 今更になって気づいた。光を恐れる生活は終わったと思っていた。まやかしだった。終わっ
てなどいなかったのだ。光から目を背けていただけで、何も変わってなどいなかったのだ。
 あのネウロイのビームも、いきなり怖くなったわけではない。今までの繰り返してきた戦闘
では、恐怖を感情ごとすべて押し潰して誤魔化していただけで――ずっと私は光に怯えていた。
 私を包んでいた殻はあまりに脆く崩れ落ちて、そうして曝け出した私の本当の姿は、あの暗
い部屋にいたときと、何も変わってなどいなかったのだ。
 まともに太陽を見据えたら、今度こそすべての景色が無くなってしまうかもしれないと恐れ、逃げて、繰り返す、終わらない地獄。
「……知らなかった」
 絞り出した自分の声は震えていた。
「私が、ここまで弱かったなんて」
 どうして私はこんなに弱いのだろう。何も出来ないのだろう。
 ナイトウィッチの才能だとか、そんなものには何の意味もなくて。
 目の前の壁を越えられずにもがき続けて――いや、もがくことさえしなくなったのが今の私。
 一人の女として、人間として、自分がいかに無力な存在なのかを思い知ってしまった。
「私……っ」
「ハイデマリー」
 そのはっきりと届いた声の方を見た。
 悲痛に染まっていただろう私の顔を、ハルトマンはまっすぐに見つめていた。
「今日の戦いで、改めてわかったんだ。ひとりでできることはそんなに多くないって。私だけ
じゃない。ハイデマリーも、きっと他のみんなもそうなんだよ」
 今日の私はハイデマリーがいたからなんとか勝てたんだ、と彼女は笑った。
「トゥルーデやミーナも、そういうタイプなんだけどさ……ひとりで全部抱え込んじゃうのは
よくないよ。命を預けろとまでは言わないけど、少しずつでいいから、信じてほしいんだ。ハ
イデマリーが一人でだめなら、私も一緒にがんばる。それでもだめなら、トゥルーデやミーナ
も支えてくれる。それでもだめだったら、他のウィッチも、ううん、もっとたくさんの人が支
えてくれる」
 そして、ハルトマンは、とびっきりの笑顔で言った。

「私たちはチームで――『家族』なんだから」

「あ……」
 それは本当に唐突な言葉で。
 私は戸惑うことしか出来なくて、それでもうれしくて。
「あはは、柄でもないこと言っちゃったかなっ! そろそろ帰ろっか!」
 彼女のあまりにわざとらしい照れ隠しに、思わず吹き出した。
「こらー! 笑うなー!」
 ハルトマンの少し赤くなった顔が面白かった。
 こんなに自然に笑えたのは、きっと初めてだ。
「……ハルトマン」
「なに?」
「ひとつ、お願いしてもいい?」

 ストライカーのない私はハルトマンに支えられ、再び空にいる。目の前にはカールスラント
の山々と、まだ顔を出さない太陽の気配。
「……ハイデマリー」
 彼女の呼びかけに顔を向ける。
「無理しなくて、いいんだよ?」
 私は首を振った。
「今なら、がんばれる。今だから、がんばらなきゃいけないと思う」
 そう言うと、ハルトマンはまた笑った。
「そっか! なら、私もがんばる」
 ふたりで東を見つめる。連なる山の稜線が燃えているようにきらめいて――。
「あ……」
「くるよ」
 そこから顔を出した金色が世界を彩っていく。日の出の時だ。
 私の世界が白く溶けていく。光とまともに向き合ったのは、きっとこれが初めて。
 恐ろしくないとはいえない。でも、私に触れているこの温もりがあれば、きっと大丈夫。
 眩しくて何も見えなくて、けれど確かに隣にいてくれる彼女を感じていた。
 そして、わずかな時間を永遠とも思えるほど長く感じた後、徐々に世界が復元していく。
「……すごい……」
 光の奔流に包まれた、私の知らない輝かしい世界がそこにあった。それは私を灼き尽くすど
ころか、ずっと凍てついていた私を溶かしてくれるようで――。
 私の眼から熱いものがこぼれた。けれど、今までのように悲しくも苦しくもなかった。どこ
か懐かしい温もりに満たされたような気持ちが溢れて、頬を伝って、遠い眼下にささやかな雨
になって落ちていった。

 ――何の変哲もない友達が欲しかった。一緒に笑いたかった。知らない世界を見たかった。
 それを叶わぬ夢だと吐き捨て、自分を殺し、世界を閉ざした。
 そんな私を家族だと言ってくれる人がいる。一緒に笑ってくれる人がいる。私の初めての世
界を、一緒に見つめてくれる人がいる。
 こんなにも簡単に、あなたは私を変えてしまった。昨日までの自分が嘘みたい。
 私は涙を拭って、その人の横顔を見た。太陽に照らされた彼女は、女神のように美しかった。
「私はハイデマリーの昔を知らない。どんなに大変だったかも、わかってあげられない。でも、
これだけは言える」
 太陽に照らされたまま、笑顔で私と視線を合わせて、彼女は言った。
「ハイデマリーはその能力で、私を救ってくれた――私たちの町を、多くの人を救ってくれた」
 私ははっと、カールスラントの大地を見下ろした。
 広がる町も光をまぶされて目覚めていく。暮らす人々の日常が今日も廻り始める。
 こんなに近くに、こんなに綺麗な風景があったのに。私は光から眼を逸らして、求めていた
世界までも拒絶していたのだ。
「だから」
 私がハルトマンに向き直ると、まるであの人のように、やさしい声で彼女は――
「ありがとう、ハイデマリー」
 その瞬間、私は思い出した。あの人の、あのときの言葉を。

 ――あなたが嫌いな、その「ちから」。
 それはあなたをこれからも苦しめるかもしれない。
 それでも、忘れないで。

 その「ちから」は――たくさんの人を守れる可能性を秘めていることを……。

「……ハイディって、呼んで」
「え……?」
「ハイディ」
 私は繰り返した。
 私の特別な名前。今までお父さんとお母さんだけが呼んでいたこの名前。
 だから、あなたがさんにんめ。
「私の――『家族』が呼ぶ名前」
「……うん!」
 私の友達で、親友で、家族。きっともっと増やせる。
 それは思っていたよりも、きっとずっと簡単なこと。
「じゃあさ。私のことは、フラウって呼んで」
 ――あなたが、教えてくれたこと。
「ありがとう、フラウ」
 私がそう言うと彼女はまた笑った。
「私こそ……ありがとね、ハイディ」
 とくん、と胸が鳴った。
 その笑顔はとても眩しくて、金色の髪も呆れるほど綺麗で――太陽に、似ていると思った。

   ◇

 あの日から数日が経った朝。
 私とトゥルーデは朝食を摂って、待機のため自室に向かっていた。
「それにしても、驚いたぞ」
「なにが?」
「通信を聞いて駆けつけたら、お前とシュナウファー大尉が朝日に照らされながら抱き合って
いたんだからな……」
「なーにトゥルーデ、もしかして妬いてるの?」
「そ、そういうことではない!」
 トゥルーデはあわてて否定したが、顔が真っ赤だから説得力がまるでない。
「ふふ、本当にそうかしら?」
「うわっ!」
 急に飛んできた背後の声に振り向くと、ミーナがいつものように笑っていた。
「み、ミーナ!」
「おっはよーミーナ」
「ふたりともおはよう。フラウ、先日はお疲れ様」
「おかげで眠いよー……今日休んでもいい?」
「ハルトマン! 相変わらずお前という奴は……」
 またトゥルーデの長台詞が始まると思いきや。
「――ミーナ中佐」
 聞き覚えのある凛とした声が割り込んできた。
 ハイディが敬礼をして立っていた。相変わらず立派な敬礼だ。
「ハイデマリーさん。どうしたの?」
「哨戒で報告したいことがいくつか……」
「わかりました、伺います。ふたりともちょっと待っててね」

 通路の端で話を始める二人を、私とトゥルーデはぼんやりと眺めていた。
 せっかくなので、少しだけ考えていたことを切り出してみた。
「ハイディってさ、ちょっとウーシュに似てたんだ」
「……ウルスラに?」
「眼鏡の奥の目とかがね。だからさ……もしかしたら私、ハイディをウーシュの代わ――」
「フラウ」
 トゥルーデが私の言葉を遮った。めったに呼ばない、『フラウ』の名前で。
「お前にとっては、ふたりとも大切な家族なんだろう?」
「……うん」
「なら、それでいい」
「いい、のかな」
「きっかけはどうあれ、お前がシュナウファー……ハイディと、家族でいたいと思ったなら、
私はそれでいいと思う」
「……うん」
 ああ、またトゥルーデに甘えてしまった。
 彼女の言葉はきついようで、本当に私たちを心配してくれているのがわかる。
 だから私は、そんな『おねえちゃん』みたいなトゥルーデに、とても感謝しているのだ。
 ……口には出さないけどね。
「トゥルーデもミーナも、ハイディの家族でしょ?」
「そうだな」
 そうだ。私だけじゃない。みんな、ハイディの家族なんだ。だから大丈夫!
 ……何が大丈夫なのかは、よくわかんないや。へへっ。

 ふたりの話が終わったタイミングで言葉を滑り込ませる。
「ハイディー!」
「フラウ……」
 彼女はあれ以来、とても明るくなったような気がする。夜間哨戒訓練で、他の人とロッテを
組むときもちゃんと話をしているみたいで、一部では人気急上昇だって。それが私にとっても
嬉しかった。
 ……何故か私と話すときにだけ、少し顔を赤らめるようにもなったけど。
「哨戒おつかれ! これから寝るの?」
「ええ、そうだけど……」
「じゃあ、一緒に寝よ!」
『え!?』
 私の言葉に、ハイディとトゥルーデが同じ発音を返した。
「は、ハルトマン!」
 あたふたするトゥルーデをよそに、ハイディはやっぱり顔を赤らめて、うつむいた後。
「……構わないけど、狭いわよ」
 以前と同じ言葉だけど、少しだけやわらかく、あたたかく聞こえた気がした。
「シュナウファー、お前まで……ミーナ! なんとか言ってくれ!」
「そうねぇ……せっかくだし、今日はお休みにしてあげましょうか」
 ミーナはいつもより少し眉を下げた笑顔で、あっさりと休暇をくれた。さすがだね!
「ミーナっ!」
 よしよし、味方がいなくなったトゥルーデに、私がとどめを刺してあげよう。
「もートゥルーデったらー。私の身体はひとつしかないんだからね?」
「だ・か・ら! そういう意味じゃなーいっ!」

 彼女の部屋は以前と違い、光が満ちている。
 カーテンは開け放たれ、ハイディは窓から青空を見ていた。
「ハイディ、今日は暖かいからこのまま寝ようよ」
 そう言うと彼女は私を見て笑った。
「ふふ、そうね」
 ちょっとどきっとした。
 その笑顔はすごく穏やかで、真っ白な髪もやっぱり綺麗で――月に、似ていると思った。
 射し込む光をそのままに、ベッドで身を寄せ合う。
「おやすみなさい、フラウ」
「おやすみ、ハイディ」
 ハイディの身体はあたたかくて、いい匂いで、あまりにやさしくて。
 まるで私とハイディはふたつでひとつの、対になった存在であるかのような錯覚さえ感じた。

 そう――まるで、太陽と月のように。


 Ende.


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