本音と建前・その後
「なんかよけちゃったんだけど」
しるか、と思いつつ、シャーロットは本気で不可解そうな顔をしているエーリカを見おろした。自室の入り口、あの晩
のことを彷彿とさせるような突然の訪問はすでにうとうととしていたシャーロットの眠気をすっかりとうばいさり、それでも
ドアノブにかけていた手をひいてしまおうかと思いたってみても、それよりもさきに訪問者はわきをとおりぬけて部屋の
なかへとまんまと侵入してしまう。
「あのー。なんか用?」
「用がなきゃこんなとここないよう」
勝手しったるとばかりに奥へとすすみ、エーリカはひょいとベッドに腰かける。よく言う、すこしまえまでは用もない
のに寄ってきたくせに。そんな憎まれ口がうかんでも、本当に口にだせることはない。かわりにきょろきょろとひとの
部屋を見まわしている少女にうんざりとした顔をむけても、結局効果もない。
(てか、キスもまだしてなかったのかよこいつら)
ノックにさそわれて扉をひらいた途端にとんできたのは、キスされそうになったんですよ、などというのんきすぎる声。
しかもシャーロットがぎょっとしている暇もあたえないように先の台詞がつづき、自分のとったその行動が本気で理解
できない顔でエーリカは腕をくんでいた。呆然と見おろしつつもそのころにはシャーロットも彼女がなにを言わんとして
いるのか把握してしまっており、しかもあまりにあんまりな相談内容なものだからいまではすっかり気分が悪くなって
きていた。
「なんかさあ、急にくるから。思わずこう、顔そらしちゃって。そしたら超気まずくなって、逃げてきちゃった」
ジェスチャをまじえつつ説明し、足をぷらぷらとゆらしながら平気な顔でエーリカが言い訳のようなことばをつむぐ。
そういうのは本人のまえで言っておくれ、シャーロットは内心つぶやきつつ、結局となりに腰をおちつけながら足を
くんだ。とにかくおいだしたい。
「悩みごとの相談は、中佐あたりにでもしたらどうだい」
「えー、ミーナ?」
実に簡単で効果的な解決法が思いうかんだとシャーロットはにやけたが、エーリカから返ってきたのは難色だった。
「ミーナにこんなこと言うのはずかしいじゃん」
「へえ、おまえにも羞恥心なんてあったのね」
あるに決まってるよ、とほほをふくらますエーリカを見ながら、彼女と同郷の上官の顔を思いうかべる。それこそ相談
相手にふさわしい、この少女のことなら当然シャーロット以上に、ひょっとしなくともバルクホルン以上にわかっている
ような人物だ。それなのに、ずっといっしょに戦ってきた信頼すべき彼女に、エーリカはどうやらなにも言っていない
ようすだった。
(確かに、いままでじれったいようすを散々見られてきていまさらうまいこと収まりました、なんて言いだせないか)
だいたいなんか顔がこわかったんだとかむしろあれはもう反射だったんだとか、すっかりとミーナの話を流してしまい
ひとりで勝手にしゃべっている横顔を見つめる。おまえさ、あれだね。そうしていると、ふとことばがこぼれてしまう。
きょうは妙に饒舌なエーリカがやっとつぶやきをとめて、シャーロットを見た。
「普段でかいこと言ってるわりに、いざとなると怖気づくタイプ」
「はあ?」
そのつぎには、こいつはなにを言いだすんだといったふうにぽかんと口をあけた。
「このわたしが? そんなことあるもんか」
「じゃあなんでよけちゃったわけ?」
「だからそれは、トゥルーデが全面的に悪いんだよ」
ゆるぎない本気の表情で、まったくとりつくろう気もない本心でもって言ってから、エーリカは機嫌をそこねたのか眉
をよせる。シャーロットはまばたきをしながらへんなことを言うなと語る視線をうけて、内心肩をすくめた。
(ほんとに自覚ないのかな、かわいいの)
ふと、悪戯心がわいてしまう。ふうんと鼻をならして、となりの少女にすこしだけからだをよせる。
「……じゃあ、あたしとキスできるわけ?」
耳元でつぶやけば、思ったとおりにおどろいた顔がこちらをむいた。けれどすぐにエーリカは反射的ににげようとして、
しかしそうすると先程のシャーロットの決めつけを認めてしまうと思ったのか動きをとめる。その隙をのがすはずもなく、
シャーロットはさらに顔をよせた。
「……いで」
が、結局接触することはかなわず、エーリカの顔面でいっぱいになっていたはずの視界がいまは入り口の扉のあたり
をうつしだしている。思わず自分のあごをおしやる手をはらってからなんとなく元のほうへむきなおれないまま、へんな
方向にねじれてしまった首筋をなでた。
「それって、論点がずれてると思うんだけど」
「ちぇ、ばれた」
舌をだし、ぱっとからだをはなしてお手上げのポーズをとる。残念そうな声をつくって、本当はほっとしていた。いったい
なにをしているんだろう。自分にあきれた問いかけをしてみると、返ってきたのはだってという言い訳である。
(だって、こんなのひどいじゃないか)
あんなことをしでかしたやつに、あいかわらず無邪気に近づいてくるなんて思慮がたりていないにちがいない。シャー
ロットはうんざりとした。そういう考え方をしてしまう自分にも、その思考の原因になっているただの同僚にも。くるりと
からだのむきをかえ、ベッドのうえであぐらをかく。すると背後から名をよぶ声がして、だけれどふりかえる気になんて
なれなかった。
「……トゥルーデってむかつくんだ」
ふとしたつぶやき。つぎには背中にあたたかみがふれてぎくりとする。思わず硬直してしまい、それが自分にもたれて
いる子につたわっていなければいいと思う。
「わたしとシャーリーってなかいいじゃん」
「……、まあね」
「うわなにいまの間、むかつく。まあいいや、それでさあ、そしたら、あいさつくらいするじゃん」
「うん、するね」
「トゥルーデのやつ、それっくらいも気にくわないのかしらないけど露骨に機嫌悪そうな顔するのね、あ、今朝の話なんだ
けど」
今朝と言われ、シャーロットも記憶をたどる。そういえば朝食をとりに食堂へいったところ、ちょうど入り口のほうで件
のふたりと顔をあわせておはようと言ったおぼえがある。しかしそのあとの記憶は先の彼女の言い分とは食い違って
いた。あいさつだけで素通りならば、さすがのバルクホルンだって不機嫌になるはずがない、それはさすがに器が
ちいさすぎるというものだ。事実は、エーリカはおはようのあともやれきょうは散らかったベッドのはしで寝てたせいで
おっこちて目が覚めただのだからもう起きてるのにトゥルーデはきょうもでかい声で起こしにきてうるさかっただのと
意味もない報告をシャーロットにしてみせていたのだ。いま述べたとおりにそれはエーリカにとってまったく意味をなさ
ないなんとなくの行動であり、それ故に今朝のシャーロットとの会話は彼女のなかではあいさつのみの簡素なものと
記憶されていた。しかしそれは、バルクホルンがおもしろくなさそうな顔をして先に食堂へはいっていってしまうほど
には時間を食うものだったのだ。
(まあ、あれくらいでご機嫌ななめになっちゃうってのも充分器がちっさいけど)
しかし、相手が自分だったということを加味すればしかたのないはなしかもしれない、とシャーロットは思う。散々
挑発して、あまつさえ本気で手をだしてしまったやつが相手だったんだから。しかも、それだというのに問答無用で
ひぱっていかずにおきざりにするあたりがなにもわかっていないというかなんというか。
「きょう一日むすっとしてるしさ。言いたいことあるなら言えばいいのに、それもできないのに顔にばっかりだすんだ。
そのくせさ、なにってきいたらなんでもないんだって。そんなわけないくせに。そしたらさ、こっちもあっそうってなる
じゃん。だから、じゃあもういいよって言って、そしたらトゥルーデのばかったら、もういいわけあるかってさあ。逆ギレ
ってやつだよね、もうさ、あったまきちゃってさあ」
ぶつぶつと、かすかに口調をあらげながらエーリカは文句をたれた。それから不意に、シャーロットの背にかかる
重みが増す。だからね、きょうここにきたのは当てつけ。すこしだけねむたそうな声。シャーロットは、不覚にもどきり
としてしまう。どうしようと思うのだ、もしかしたら、彼女はまだ自分を信頼しているのかもしれない。都合のいい空想
が思いうかんでしまいかすかに首をふる。
「キスよけて気まずかったから逃げてきたんじゃなかったっけ?」
「そうそう、思いだしたよ。むかついたからだんまり決めこんじゃおうと思って無視してたら、急に顔ちかづけてくるん
だもん。なんでそのタイミングなわけって感じじゃん、だから多分よけちゃったんだよ」
故に自分はいざというときに怖気づいてしまうようなたまではないのだ、と暗にエーリカは主張したいようだった。
しかし、そんな明確な理由があったうえでの回避行動ならば、いまのいままでその原因を忘れているということなど
ありえるのだろうか。自分のしたことに本気で首をかしげていたくせに、そんなのはただの後づけにちがいない。
この調子だと、キスだってまだまだできそうにないな。思いうかんで、ついくっくと笑ってしまった。
「なんだよ」
「いや、大変そうだなと思って」
「大変だよ、ぶっちゃけトゥルーデがこんなにめんどくさいなんて思わなかった。なんかまえまでのがよかったなあ」
「おいおい、それ本人のまえで言うなよ、多分いろんなことがおわるから」
「べつに言わないけどさ……」
ふあ、とあくびがきこえる。背筋かかる体重は心地よく、すっかりと身をあずけきられている。まずいと思った。まさか、
ここで寝る気なのだろうか。あわててももうおそい。ハルトマン、と名をよんでも、すでに返事はなかった。
(し、信じらんない……)
おだやかな寝息までがきこえてくる。シャーロットは頭をかかえ、くやしまぎれに彼女をささえている自分の背中を
とっぱらってしまう。するとエーリカはシーツにぽすんとおちてしまい、だけれど起きる気配は微塵もなかった。無防備
すぎるのか、シャーロットにされたことなど本当に彼女にとってはまったくどうでもいいようなことだったのか、はたまた
そのうえでまだこちらのことを信用しているのか。いやひょっとしたら、散々なことをしてしまったシャーロットへのいや
がらせをまだつづけているつもりなのかもしれない。もっとも真実に近そうな憶測、だけれどそれは結局憶測の域を
でない。エーリカの行動の意味が、まったく読めないのだ。
ふと、ここにきたのはただの当てつけなんだという先程のことばを思いだす。あれはひょっとしたら、だから他意など
ないんだぞと釘を刺されたのではなかろうか。まるでこちらの気持ちなど真に受けていないような素振りをして、この
頭のいいエーリカが本当にそんなへまをしてしまうとは思えない。はかりかねるこの子の思いをしりたくて、つい寝顔
を見おろす。すやすやとした寝息と、気持ちよさそうな閉じた瞼。そうだ、この子にはこんなようすが似合うのだ。眠る
のがだいすきなエーリカは、しあわせそうに眠りにおちていてしかるべきだった。
(……だめだ、全然わからん)
いつのまにか至近距離まで寄せてしまっていた顔をふいとはなしてため息をつく。そもそも寝顔から真意を読みとる
ことなどできるはずもない。かと言って、起きているときにだって彼女の考えていることなどなかなかわからないわけ
だけれど。シャーロットは、自分のなかにエーリカを起こしておいだすという選択肢が存在していないことにあせって
いた。
(だってかわいいんだ)
ばかだと思う。こんなふうにこちらの思いをさっぱりと無視されてしまっても、仮にしっていてぞんざいにあつかわれた
としても、そのエーリカらしさが、こんなにも魅力的に見えるのだ。
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「寝不足?」
間の抜けた顔であくびをしている横顔を見つけて、エイラは自然と声をかけていた。んあ、と、それにまた間の抜けた
返事がきこえてきたのと同時に、となりの席に朝食のもられたトレイを音もなくおく。するとシャーロットはとんとほおづえ
をつき、ちらりと瞼のおちかけた目で朝のあいさつもできない同僚を見た。エイラはそこでやっと、おはようと言う。普段
からの彼女に対してはおそようというのが朝のあいさつだったのだけれど、きょうは確かに、おはようで問題のない時間
帯の起床だった。はよー、と返しつつシャーロットがふと彼女のむこう側をみればちゃんとサーニャも腰かけていて、
それでもシャーロットと同じように眠たそうに重い瞼でまばたきをくりかえしている。
「寝不足ね。まあ、そんなもん」
テーブルのうえにおいたほおづえをくずさないままに先程の問いかけの返事をして、途端に再度あくびがこぼれて
しまった。あの子が寝ついてしまってからすぐさま彼女の部屋へはこべばよかったのに、なんとなく長いこと寝顔を
観察してしまったのが眠気のおそらくの原因だ。そんな救いようのない話はできるはずもなく、シャーロットはふっと
エイラから目をそらす。
「あ、なあ」
途端、くい、とエイラがあごで示す。なんだと思わずそちらに顔をむけると、そこにはちょうど食堂にはいってこようと
しているエーリカとバルクホルンがいた。つれだって歩くふたり。まえをいくひとは妙にげんなりとしていつもはつっぱって
いる肩肘もきょうはこころなしかおちていて、うしろの少女もおもしろくなさそうにつんとした表情をしている。きのうの
あれやこれやは依然継続中らしい、とシャーロットは思った。
「あいつらって、けんかしたらただでわかるよな」
ふとしたエイラの指摘に、本人たちのかわりにシャーロットがぎくりとしてしまう。こうさ、微妙にほら、ついてまわってる
ハルトマン中尉の距離のあけ方がひろい。両のてのひらで幅をつくって、普段よりもはなれ気味なふたりをからかうよう
に笑った。
「いつもは一歩もはなれないところキープしてるのに。それでもいっしょにいるってのは、ごちそうさまって感じだけど」
「……それはさすがに、おまえには言われたくないような」
「な、なんだよ」
話相手の切り返しの意図をすっかりと読んでしまうエイラはぎくりとひるんで、ちらりとシャーロットとは反対側のとなり
についている少女を盗み見る。つられてシャーロットもエイラ越しにながめると、実は先程からとなりに座っていたはず
のルッキーニがいつのまにやらサーニャの横に移動していることに気づく。シャーロットがエイラと話しはじめてつまら
なくなっていたのか、あいかわらず瞼の重いサーニャににこにこしながら話しかけていた。
「べつに、わたしたちはけんかなんてしてないぞ」
「いまじゃなくても、いつかけんかしてもってことだよ。ごちそうさま」
けんか最中のふたりにむけた揶揄を今度は不当に自分にむけられ、エイラはほほを朱に染めてだまってしまう。
勝手に決めつけるなと反論してしまえるところなのに、実際けんかをしたとしてもどうせ自分があの子のそばから
はなれてしまうなんて想像もできないエイラは、健気なうえに大変やさしい人物であった。ただし、根性が不足して
いるところが玉にきずなのだ。
「……あれ、中尉のやつごはんの準備しないで座っちゃった」
ごまかすように、エイラが視線をすこしはなれたところの例のふたりにむけなおす。シャーロットもしかたなしにそれ
にのってやると、確かに彼女はすました顔でなにもおかれない席についている。しかもその横では、ぽかんとした表情
でバルクホルンが立ちすくんでいた。
「あれは、わたしのぶんも用意しろってことかしら」
「ははは」
エイラのおそらく的確であろう推量に、シャーロットが笑い声で同意する。バルクホルンはあわててエーリカを説得
しにかかっているけれど、やつにあの意外と頑固な少女を言いくるめられるとは思えない。エーリカの朝食の準備を
するほど世話を焼いては威厳にかかわるとでも思っているのか彼女は必死な顔をしているが、残念ながらバルク
ホルンの威厳など元よりあってないようなものだとシャーロットは考える。そうしているうちに、エイラがふうんと鼻を
ならした。
「フラウ、たのむから。だって」
「え、きこえんの?」
「いや、唇読んだ」
「……ああそう。てか、あれだね。ハルトマンって、典型的なおひいさん体質っぽい」
「どっちかっていうと女王じゃないか」
「見た目はかわいいお姫様だからそれでいいんだよ」
「あっそ」
ふたりして観察していると、結局あきらめたバルクホルンがうなだれたようすでトレイをとりに歩きだした。おもしろいな
あいつら。エイラのつぶやきに、シャーロットはまたはははと笑ってみせる。
「しかし、ああいうのにはいい加減にしろって一喝するかむこうが飽きるまでそつなく言うこときいてやるかしないと。
妥協をおねがいするなんていちばんだめなやり方だよ」
「前者は大尉の得意技に思えるけど」
「扶桑には惚れた弱みということばがあるらしい。ちょっとちがうけど、まあ似たようなもんだろ」
用意してもらえた朝食をぱくつくエーリカと、そのとなりでげっそりと肩をおとしているバルクホルンをながめて、シャー
ロットは唇のはしに笑みをうかべる。エイラはパンにかじりつきながら、横目でそれを盗み見ていた。でもさ。すると
ふわりとことばがこぼれる。それの出所は、となりであいかわらずほおづえをついている人物の唇。
「ああいうのをとことんべたべたに甘やかすのって、きっと楽しいよね」
そして、思わずといったふうにつづいたつぶやきに、まばたきをしてしまう。あまりにやわらかい視線でもってあちら
側を見つめ、それがむかっているのはふたりになのか、それともその片方だけになのか。どちらかによって意味が
かわりきってしまう。ごくと口のなかのパンをのみこんで、エイラは今度こそ明確にシャーロットを見た。
「……バルクホルン大尉に、楽しむ余裕なんてないと思うけど」
「はは、違いないねえ」
それでもついエイラがあたりさわりのない切りかえしをしてしまうと、サラダにはいったレタスを指でつまみながらシャー
ロットは肩をゆすって笑う。なんとなく見ていられなくて、彼女とは反対側のとなりの少女のほうへと視線をむけた。あい
かわらずそのひとつむこうの少女がなにやら一所懸命話していて、サーニャもそれをきくのに一所懸命な風情だった。
かわいらしい組み合わせだなあとエイラは目を細め、そのつぎにはシャーロットのごちそうさまということばを思いだして
赤面した。ばかか、照れる意味がわからない。それは存分に、やっとおちついてくれたらしいエースふたりにおくりつける
べき祝辞じゃないか。だけれど、先程そうは反論できなかった。自分でそのことばを言ってしまってから、これは彼女の
まえでわざわざ言う台詞でないと思いあたったのだ。
「なあ」
呼びかければ、薄ら笑いをうかべた顔がこちらをむく。いつも笑ってごまかして、それは実に大変なことだろうと思う。
「すきだった? それとも、すきなの?」
我ながらことばを濁す気がなさすぎると思うけれどそれもしょうがない。ぎょっとした目のシャーロットの視線をうけとめ
ながら、エイラはふんと鼻をならす。ぱちぱちと瞬いて、彼女はやりにくそうに眉と口元をゆがめた。
「……それはまた、唐突だね」
「ゆっくりたずねてもごまかされるだけだからな」
「おまけに、直球すぎる」
「遠まわしに言ってもごまかされるだろ」
「……、きびしいねえ、きょうは」
「こないだ、きびしいこと言われたから仕返し」
「やっぱり根にもってんのね……」
だからさ、おごるって言ってるじゃないの。どこいきたい、なにがほしい? エイラがそんな話をしたがっているのでは
ないとわかっていて、シャーロットはなんでも言ってごらんと両手をひろげてみせる。結局そうだ、彼女は、本音をさらけ
だすことが意外とすくない。すこし腹がたったから本気で目をきつく細めると、シャーロットはおやと瞬きをしてから肩を
すくめる。いちいちそうやって余裕をかますことを忘れない彼女に、エイラは今度は心配になった。すきって言っても、
そうね、かわいいのはすきだ。でもさ、だれかをすきだってしってて、本気になるわけないじゃん、あたしだってばかじゃ
ないんだよ。だってシャーロットは、たったそれだけの、ただの建前だけをエイラにほうって、また件のふたりへと視線
をむけなおしてしまうのだ。
「あ、そういえばさ、意外とあの子もそういうタイプだろ、ハルトマンほど過激じゃないにしてもさ」
「あ、あの子ってだれだよ」
「わかってるくせにい」
そして最後には、そうやってすっかりとごまかしきってしまう。いちいち手を残していて、ペースを自分のほうへともって
いくことばかりが得意なのだ。エイラはそういう非難を思いつくのに、それを口にだすよりも指摘されたとなりのあの子
のことばかりを気にしてしまう。なんだと、サーニャがあのふてぶてしいハルトマン中尉と同じようだって、そんなことが
あるものか、いや確かにすねたらちょっとたいへんだけど……。そこまで瞬時に思いついてからはっとする。思わず
となりを見ればにやけ顔があってあわてた。
「じゃあ、シャーリーの部屋にあるミニバイクがほしい」
「へ、いや、あれはだめだろ……」
いつのまにか自分たちが主題になりかけていた話をそらすために、結局シャーロット自身の核心に近づいていた
話題をもみ消す手助けをしてしまう。いつものとおりに笑っているシャーロットをながめ、エイラは苦々しく思いながら
も表情はかえない。もっとかわいらしいものにしときなよ、たとえばサーニャとおそろいのなんかとかさ。ごはんだって
おごっちゃうよ。そんなくだらない雑談ばかりはさらさらとでてくるくせに、どうして言いたくても言えないことは、本当に
言わないでいてしまうんだろうか。
「……まあ、わたしじゃ役者不足だって言うなら、しかたないけどさ」
「え?」
いまの台詞が本当にきこえていなかったのかすらもわからない。とぼけた声になんでもないと返事をしてから、エイラ
はふと思案してから再度口をひらく。
「さっきから、なんだかんだであいつらに対して口調がひがみくさかったって言ったんだ」
「……ほ、ほんときびしいねきょう」
ははは、と力のぬけた声で笑うシャーロットに、やっとなんとか一矢報いることのできた気になる。だけれど、そんな
ことでは全然足りない。格好つけていないで肩の力をぬけばいいのだ、シャーロットにそうさせてくれるひとはどこかに
いないものだろうか。エイラはそんな、やはりお節介なことをぼんやりと考えていた。
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ひどい既視感である。昨夜とまったく同じようにノックの音がした、いやな予感に手招きされつつドアをひらいてみる
と、立っていたのは意外すぎる人物なのであった。
「……」
そこにいたのはバルクホルンで、しかもいまにもたおれるんじゃないかと思われるほど必死な顔をしていた。どうやら
ここにいたるまでに大層な葛藤があったのが見てとれる。シャーロットが瞬時にドアをしめなおしたいと思ったのについ
しぐさだけでどうぞと招きいれてしまえるほどには、バルクホルンは疲弊しきっていたのだ。
しんとしてしまった自室のなかで、シャーロットは椅子に腰かけ手渡された酒瓶をてのひらでもてあそびながらベッド
のはしにすわらせたバルクホルンを観察する。この堅物に贈賄という行為にたどりつく思考回路が存在したことに
驚いた。それほどに彼女はこまっていて、その困りごとの内容も想像がつく、こちらも既視感。きのうの訪問者と似た
ようなことだろう。まったく、上手に一日ずらしてくるなんてなんと息のあっていることか。シャーロットはぼんやりと考え
ながら視線をおとしていたが、明らかに相談の類をもちこんだ顔をしているバルクホルンだってなにも言いださない。
こちらからきりだせというのか、まったく、エーリカの言うとおりどこまでも面倒くさいやつだった。
「ハルトマンからきいたよ、けんかをキスしてごまかそうとしたんだって?」
「は、はあ?」
端的に言ってやると、バルクホルンは頓狂な声をあげた。さらに一拍おいてからかあっと顔を赤くして、勢いをつけて
たちあがる。
「なん、ちがう、それはだから、違うんだ、断じて!」
つばをとばして大声で弁明されるが、シャーロットのしったことではなかった。いったいどうしてどいつもこいつも言って
やるべき相手にではなく自分に言いわけをしようとするのか。耳に指で栓をしながら、シャーロットはげんなりとして
しまう。
「あのね、そういうのはあたしじゃなくて中佐に解決策を考えてもらいなよ」
瓶をそのへんにあった机のうえにおいてから近づいて、言いたいことはわかったからとりあえずおちつくようにとぽん
ぽん肩をたたいてやってから、バルクホルンのとなりにつく。するとやつも多少は冷静さをとりもどして決まり悪げに
すわりなおした。
「ミーナには、だって、いまさら……」
はずかしそうな横顔に、シャーロットはもちろん納得する。エーリカと同じようなことを言うのだ、それは実に当然の
ことで、実におもしろくない。
(こんなところまでなかがいいんですね、ははは)
今朝エイラに指摘されたとおりに内心でひがみのにじみでた口調でからかってみる。しかしそんなことはなんの
ストレスも発散してくれないし、やつはまただまってしまうばかりなのだ。それにしたって、こいつらにはデリカシーって
ものがないのかしら。シャーロットはひそかに息をつく。言ってしまえば恋敵だったような相手、しかも負かした相手に、
よくも恋の相談をしようと思いたてるものである。まあその鈍感さこそバルクホルンなわけであるけれど、シャーロット
の色眼鏡からしてみるとエーリカのらしさとちがって全然かわいげの感じられないのが残念なところだ。
「てか、ひとつきかなきゃいけないことあるんだけど」
あいかわらずバルクホルンは自分から話そうとしないので、シャーロットはちょうどいいと思って切りだす。すこしまえ
から、気になってしかたのないことがあった。とても重要で、ほんのすこしの説明では到底納得できようもない疑問。
なんで、ハルトマンのやつ髪きっちゃったわけ?
「……」
ぎょっとしたようにバルクホルンがシャーロットを見る。それを不満をあらわに見かえすと、やつは不服そうに視線を
そらした。そうなのだ、せっかくきれいにのびかかっていた彼女の髪は、唐突に数か月前と同じようにさっぱりとした
長さにもどってしまっていた。
「し…しるか、きりたいからきったんだろ」
「げーなんだよそれ、もしかしてまたへんなこと言ったわけ?」
「ち、ちがう、そんなわけないじゃないかっ、それどころか、あ、あんなに」
あのあと、何回言わされたと思ってるんだ、もう一回もう一回って、は、は、歯が浮くかと……。あのあと、とやらを
思いだしているのか、バルクホルンは赤いような青いような顔をしてトリップしはじめた。あいつはすぐに調子にのる
んだとかそのくせすなおじゃないんだとか、ぶつぶつとひとりでつぶやいている。それをながめながら、シャーロット
はやつがなんの話をしているのかを推しはかりきっていた。きっとあれだ、すこしまえにひだまりのなかで、いまいる
ふたりとルッキーニとエーリカという奇妙な四人組でひなたぼっこをしていたとき。
(ねえ、髪をのばしたハルトマンってかわいいと思わない?)
どうせこの鈍くてしかたのないろくでなしは、まともにエーリカのきれいな髪をほめてやったりしていないと思った
から、シャーロットはそうやってヒントをあげた。その途端だ。バルクホルンはぎっとおしだまり、そのつぎには自分
を抱えこむエーリカの腕からぬけだして妙にかしこまってエーリカのとなりにすわりこんだ。それからでてきたのは、
タイミングというものをまったくしらない台詞。
(か、かわいい、すごく)
必死な口調で言ってから、やつはうつむいてかかかと顔を赤くした。おお、とシャーロットはそのときこそ思った。
しかし、つぎにエーリカに視線をうつすと、少女はぽかんとした顔をしていた、かと思うと、一瞬後にはぼっと真っ赤
になってしまったのだ。いやあ、唖然としたね。シャーロットは思いだしながらうんざりする。ふたりしておおいに赤面
してうつむいているとなりで、こんなに空気になりたいと思ったのははじめてだった。唯一の救いは、ルッキーニだけ
はあいかわらず夢のなかにいたことくらい。
(まったく、どうせなら、ふたりっきりでそれっぽい雰囲気のときにでもそっとささやいてやればよかったんだ)
そうすれば、あんなに真っ赤でかわいらしいエーリカをバルクホルンは独り占めできたというのに。しかもあのあと
エーリカは、照れ隠しかはしらないけれどバルクホルンの頭をぺしんとたたいて、その手でシャーロットまでついでと
ばかりにはたいてからやっと、バルクホルンの手をとってやってきたときと同様ぱっとどこかへいってしまったのだ。
なんというかこう、いったいどうしてこんなバカップルのたわむれに巻きこまれなくてはいけないのだろう。
「ほんっと、あんたってつかえないよね」
「な、なんだと?」
「だからさ、なにごとにももっとやり方ってものがね……」
きっと、とシャーロットは思う。かわいいと言われたからそれでいいのだ。当初の目的とはちょっとちがうけれど、
バルクホルンにほめてもらえて、それでエーリカはすっかりと満足できたのだろう。だからといってすかさずもとどおり
の髪型にもどしてしまうというのは、実に彼女らしくてしかたがない。
(長い髪がそんなにめんどくさかったんだろうか)
ちくしょ、かわいいなー。思わず胸の奥からむずむずとわいてくる感情。それに、シャーロットはむなしくなる。だって
だ、シャーロットがなんどかわいいと言ってもうさんくさそうな顔しかしないでいたエーリカは、バルクホルンのあんな
不器用なひと言だけで真っ赤になって満足してしまった。泣きたいならいつでもかすと言ったこの胸では結局一度も
泣かなかったくせに、やつのまえでばかり大泣きしていた。すべて当然のことなのに、シャーロットは、むなしくなって
しまうのだ。
「ちゃんと言い方考えればさ、ハルトマンだってもっと髪のばしてたかもしれないのに。ったくさあ、そんなんだからキス
だってよけられるんだよ」
「は、な、なん」
「てゆうか、あたしとしてはあんたにキスでけんかをごまかそうっていう発想があったってことに驚き」
「だ、だからそれは違うって言ってるじゃないか!」
わかっていてからかうと、バルクホルンは思ったとおりのあせった顔で大声をあげた。あれはそんなんじゃなくて、
気づいたら、なんか、こう……だ、だからとにかく、違うんだっ。弁解しているつもりらしいが、ただの失言にしかきこえ
ない言いわけにシャーロットは思わすあははと笑った。
「気づいたらねえ。あんた絶対むっつりだと思ってた」
「お、おまえはいちいち……」
さらにからかう口調で言うと、やつはまた顔を赤くした。意外と自覚はあるらしい。へえと思ってにやけると、バルク
ホルンはくやしそうに眉をゆがめ、しかしつぎにはふと、すねたようなかなしいような、そんな顔でうつむいた。
「い、いやだったんだろうか」
「……」
ああ、やっと本題だ。シャーロットは瞬きをして、それからうつむいたバルクホルンをしたからのぞきこんでみる。
なさけない顔で眉をさげて、まったくこれだから根性なしは困るんだ。シャーロットはふと思いつき、はあとため息を
ついてみせる。
「だから、ものごとにはやり方ってものがあるんだって。たとえばさあ」
ひょい、と唐突にバルクホルンの手をとる。すると彼女はぎょっとしたようすで顔をあげてもちあげられた自分の手を
見て、つぎには反射的にそれひこうとする。たとえば、こうやって気をとられてるうちにね。ひそりとささやき、急な展開
についていけていないバルクホルンの顔にそっと、顔をよそせた。
途端、がつんという音。
「……いったい!」
「うるさい!」
シャーロットはげんこつをくらった脳天をおさえて身をはなす。なんてやつだ、拒絶するにしたって、もっとかわいらしい
やりかたがあるだろうに。
「おまえがへんなことをするのが悪い」
「キスの仕方の一例を見せてあげただけじゃないか、本気でするわけないだろ、あんたなんかにっ」
「本気じゃなくても冗談でできるやつだよおまえは! 冗談で……」
いまにももう一発くらわせたい顔をしていたバルクホルンは、自分の発言にはっとしたようにだまった。それからくるり
とからだのむきをかえ、すっかりとシャーロットに背を向けてしまう。しばしの沈黙、そのあと、バルクホルンはぼそりと
らしからぬひかえめさでつぶやくのだ。冗談、なんだよな。
「……」
彼女がいったいなにをたずねんとしているのかは、残念ながらわかりきってしまった。シャーロットはぼうっと、すこし
だけまがりぎみの背中をながめる。いつもはあんなに緊張している背筋が、いまはなさけなくへたりこんでいた。
(みんな、そんなことばっかりききたがる)
どうでもいいじゃないか、そんなこと。今朝にエイラにだって言ってやりたかった台詞を、今度ものみこむ。エーリカは
シャーロットのキスをただの冗談だとバルクホルンにつげていた。それを納得しきらないのもしょうがない。シャーロット
は、ライバルに対して本気の感情をあらわにした覚えがある。熱くなりすぎたそれは大層滑稽で、叶わなかったいまで
はただのまぬけな本気だった。ひょっとしたら自分から表情をかくしている彼女は哀れみの気持ちをにじませた顔を
しているのかもしれない、勝者の余裕というやつか、そんなの、本当にあわれであわれでしかたないじゃないか。
「決まってるよ。そもそも、いっしょにいてもべつの女の話しかしないようなやつにいったいどうやって本気になれって
んだ」
だから、一所懸命強がった。するとバルクホルンはばっとこちらをふりかえり、おどろいたようなはずかしいような
顔で赤くなる。そうだよ、あんたの話ばっかりさ。むずがゆいくらいにね。なんだって、とたずねられるまえにかさねて
教えてあげる。そうすれば彼女はからかわれていると思ったのかなにかしら言いかえそうと口を開いていたが、結局
うまい切りかえしが思いうかばなかったらしくてすぐにおしだまる。にやけて見せればもちろんバルクホルンはくやし
そうに眉をよせるが、そんな赤いほほでこわい顔をしたってただの照れ隠しにもなりはしない。
(あいつは、ずっとそんな感じなんだ、あたしといっしょにいるくらいじゃ、あんたのことわすれられないの)
ああ、なんだってこんなやつがそんなにいいんだろう。ねえハルトマン、あたしだったら、おまえのしてほしいことを
たくさんたくさん、言われなくたってしてあげるよ、言ったってしてくれないようなやつとはちがうんだ。ちょっとずつ
のびる髪だって、おまえが飽きないように毎日毎日ちがうことばでほめてあげるし、キスがしてほしかったら目を見て
くれるだけでいいよ。きっとどんなに甘やかされても満足できないようなわがままなおまえを、あたしならきっと満足
させてあげられるはずなんだ。
「……でもさ、ねえ、バルクホルン」
急に弱気な声がでる。それを隠すように、シャーロットはふんと鼻をならしてみせた。
「ハルトマンってのは、実にやっかいだ。ありゃあ、意外とひとに懐きにくい分いっかい気を許したらとことんだね、冗談
でだってキスしてきたようなやつのこと全然警戒しないんだもの。あのまんまじゃね、今後危険だと思うよ、いろいろ」
「な、なんだと?」
「それにね、あいつ自分のかわいらしさを笠にきてふるまってるようなところがあるけど、ありゃただのポーズと見たね、
あたしは」
「はあ?」
腕を組み急にせつせつと語りだしたシャーロットを、バルクホルンは怪訝な目でねめつける。こちらがなにを言いたい
かまったく理解していない顔に、思わずため息がもれた。
「だってさ、このあたしがあんなにモーションかけてたってのに全然真に受けないんだもの。ねえ、なんでかわかる?
あんなにかわいいのに、ほんとに自分がかわいいかなんて本気では納得していないんだ」
「はあ……」
「ったく、まぬけな返事しないでよ。つまりさあ、むかしっからとんとあんたに相手にされなかったのが、けっこうしつこく
こころの底にきざまれちゃってるって言ってるんだよ」
「な、あ、相手にしなかったって」
「いやね、あんたが内心どう思ってたかなんてどうでもいいの。口にだして言ったことなんてほとんどないんだろ、どうせ
いまだって」
すっかり図星をつかれているようすのバルクホルンはだまってうつむいて、だってそんなの、とぶつぶつと言いわけ
まではじめてしまう。ああ、面倒くさい。シャーロットは、いったいどうしてこんなに一筋縄ではいかないようなふたりが
くっついてしまったのだろうかと真剣にうんざりとした。
「あのさー。あんたがそんなんだから危険だって言ってんだよ。ちゃんとひきとめとかないと、ふわふわしてるハルトマン
にそのうち勘違いしたやつが本気になっちゃうかもしれないよ」
思わず、挑発するような声がでてしまう。するとはっとした顔がやっとこちらを見て、また既視感を覚えるのだ。ずっと
むかしに、そのときこそ本当にただの冗談で言ったことだ。そのうちに、どこかのだれかにとられちゃうかもよ。ただ
けしかけるためだけの、いまのこれとはくらべられないほど中身のない台詞。どうか頼むから、あれと同じような響きを
もたせて言えていてくれ。願った途端に、がばりとバルクホルンが立ちあがる。
「ふ…ふん、おまえはまったく、いちいちもっともらしいことを言うのが得意だな、本気になるだって? ふん、そんなの、
どうせただの……」
あきらかな虚勢でもってえらそうなことを言い、しかし言い切るまえにバルクホルンは我慢しきれずにかけだす。ばた
ばたとおちつきの欠如した足音をたて、おおあわての背中がドアのむこうに消えるのを、シャーロットは展開について
いけぬようすでぼんやりとながめた。ああそうかと思う。きっとこれから大慌てでエーリカのところへいって、それで
はずかしくなるような不器用なやり方でもっておまえはかわいいんだからあんまり平気な顔でだれにでもよっていって
はだめなのだと一所懸命さとすんだろう。
(……あれって、あたしに本気になられちゃまずいってことかしら)
あらあら、勝者の余裕なんて、全然ないじゃない。シャーロットはぽすんとベッドに背中をおとし、ふふと思わず笑み
をこぼす。本当はわかっていた、エーリカは、そういうなさけなくてかっこうわるくて全然うまくやれないバルクホルンが、
かわいくてしかたないのだ。自分を甘やかしてくれるひとを探している反面で、それのできないやつが自分のために
一所懸命なところを見るのがだいすきで、だから、そつなくなんでもしてくれるやつなんて必要ないのだ。まるで矛盾
しているようなその望みは、それこそきっと恋というやつの醍醐味にちがいない。
「ああもう、やっぱそういうとこもかわいい……」
シャーロットは天井をながめていたが、いまにも泣きだしそうな声をあげてからころんとベッドのうえでまるまった。
バルクホルン、あたしなんかが本気になったって、本当は全然あんたたちの障害にはならないよ、だってあたしは、
いままでずっと、本気だったんだ。むなしい思いにとらわれて、彼女は、今夜はひとりやけ酒ときめこもうとバルク
ホルンがもってきた酒瓶を視界のはしにひっかけながら考えていた。
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ふんだりけったりというのはまさにこういうことにちがいない、とシャーロットは思っていた。執務室へつづく廊下を
とぼとぼと歩く。きょうここを通るのは、もう何回目だろうか。
朝にひらかれたミーティングのあと、さっさとハンガーのほうへむかおうとしたところで、シャーロットはミーナに呼び
とめられた。ちょっといいかしら。その台詞からはじまった彼女の頼みごとは、まったく理不尽としか言いようがない。
「手違いで、処分しなくてはいけない書類が大量にでてしまったの。申しわけないんだけれど、それを焼却炉へはこぶ
のを手伝ってくれないかしら」
はあ、わかりました。そのときは、ふたつ返事でよく考えもせずに了承してしまったが、いまになって思えばわざわざ
シャーロットに頼まなくてはいけない仕事ではないような雑用を申しつけられたわけなのだ。しかも大量というのが本当
に大量で、山のように積まれた紙の束を両腕でかかえて、シャーロットは幾度とミーナのいる執務室と焼却炉を往復
した。無論、ひとりでだ。手伝ってくれと言ったはずの上官殿は、ではおねがいね、と笑って自分はさっさと自分の仕事、
つまりは難しそうなデスクワークを開始してしまっていた。
かちゃ、と極力音をたてないようにドアノブをひねる。先程はこんだ紙の束が最後だったから、シャーロットはやっと
ふしぎなおねがいごとから解放されるはずだった。だから、じゃあもういいですかね、とひくい腰でもって言ってから
すかさず逃げだすつもりだった。しかし、うまくいかない。
「ありがとう、助かりました。どうぞ、それ」
ドアをあけた途端、顔をあげぬままに、シャーロットがなにかしら言いだすまえにミーナのほうから声がとんでくる
のだ。それ、と言われ見つけたのは、ソファののまえのひくいテーブルのうえにおかれたティカップ。薄い色の飲み
ものが注がれて、まさに見はからったタイミングでいれられたのであろう、さめていないそれは、ふわりと湯気をたてて
いた。
「……」
どうも、ありがとうございます。そうちゃんと言えたかどうかさだかではない。それというのも、きょうのミーナは非常
に奇妙だからだ。これってつまり、こういうことだ。シャーロットは現状の原因についての恐らくあたっているであろう
仮説をすっかりと用意しており、それはとても意外でおどろくべきことであった。
「あのー」
「はい?」
小学校の先生のような、やわらかくてかわいらしい返事が逆にすこしこわい。うつむいた表情だってかすかに微笑
をたたえていて、だけれどそれはミーナの考えをすっかりと隠す役割しかはたしていない。これは、やきもちってやつ
ですか。意を決したシャーロットが仮説の検証のために急に切りだしてみても、ミーナはあらあらと本意の読めぬ
つぶやきをこぼすのみ。
「紅茶がさめてしまうわ」
「あ、はいはい。いただきます」
指摘にあわててカップに手をのばすと、ミーナが一瞬だけ視線をもちあげてシャーロットを見た。そしてシャーロット
はミーナをずっと見ていたものだからふたつの線はぱちんとぶつかり、しかしだからと言って状況に変化がおきるわけ
でもない。
それというのも、あのふたりのせいにちがいないのだ。シャーロットはやっとカップに口をつけながら内心でごちた。
はずかしいからといって、せっかくのミーナにはなにも言わないでこちらにばかりいい加減にしてほしい相談事をもって
くるものだから、シャーロットはやさしい上官にまでかわいらしい嫉妬でもってこんなにささやかなやつあたりをくらって
しまう。
「あの、あいつらは中佐に言うのははずかしいそうですよ」
「そうでしょうね、私だって、あの子たちから話をきいたらはずかしくて赤くなってしまうに決まってるもの」
「そうなの?」
「ええ、あの子たちは、むかしからはずかしいのよ」
「まあ、確かに……」
ぼんやりと、先日のやつらの話をきいているときのことを思いだしてみる。やっかいだやっかいだと思いながらきいて
いるから気づかなかったけれど、なるほど確かにやつらはいちいちはずかしい悩みをぶつぶつと愚痴っていた。ああ、
と思う。あの子たち、とミーナはいとおしそうに口にした。彼女がずっと見てきた、お互いのことが気になってしかたが
ないくせに全然そんなことはないような顔をして、ふしぎとふたりのあいだではそのとりつくろいはおどろくほどの効果
を発揮していたむかしなじみの友人たち。傍目の立場のミーナに言わせれば、そのようすはおかしいほどにはずかし
かったのだ。
「かわいいでしょう、フラウとトゥルーデって」
「じれったいくらいにね。まだキスもしてないみたいですよ」
「あら、本当にかわいらしいのね」
ミーナは手はやすめないままにふふと笑う。シャーロットは、すこしだけ申しわけなくなる。そんなかわいらしくて
はずかしいふたりをずっと見てきたのはミーナなのに、今度はその場所をこの自分はのっとっているのではない
だろうか。
マーマみたい、とルッキーニによく言われた。少女の母親はとてもやさしくて、とても強いひとときく。だけれど、シャー
ロットに言わせれば、ミーナこそが素敵な母親の像に近いひとに見えていた。確かに彼女はやさしくて、そして強さも
もっているように感じるのだ。手のかかるものばかりの部隊のいちばんうえに立ち、それでもいつも笑っていたし、
たとえばシャーロットのわがままを手助けしてくれるほどの器のおおきさだってそなえている。それどころか、いとしい
子たちがすこしはなれていってしまったことにこんなにすなおにやきもちをやいてしまえるほどに大物でもあった。
(全然あたしはマーマじゃないみたいだよ、ルッキーニ)
少女のもとめるやさしさと強さを提供することはたのしかった、だけれど、それがまったく自然なおこないであるか
どうかは疑問だ。シャーロットは、ルッキーニにそう思ってもらえるようにかすかな努力をかかせない自分を自覚して
いた。
あたしなんかじゃだめだよ、と、エーリカにもバルクホルンにも言わなくてはいけないと思った。ちゃんと中佐のところ
へいきなよ、あたしみたいなろくでもないやつのところへきたって、全然どうにもならないんだから。そう思うのに、結局
どちらのひとも部屋に招きいれてしまうのはどうしてなのか。シャーロットは、原因に思いあたれない。本当はふたりの
話をきくのは泣きたいほどに切なくなるのに、どうして断ってしまえないのだろう。
「シャーリーさん」
はっとした。顔をあげればいつのまにやらミーナがとなりに立ち腰をかがめて、ソファにすわりこんでいるシャーロット
の、カップにかかる手に手をかさねている。
「……紅茶がさめてしまったわ」
そう言っていれなおすためにとりあげられそうになり、シャーロットはあわててテーブルにカップをおいた。
「いい、大丈夫です。もういくから」
ミーナのやつあたりは、大成功におわったと言ってよかった。だってシャーロットは、ここにいるととてもみじめな気分
になっておちついていられないのだから。たちあがろうとした、なのにそれもできない。なぜかといえば、たちあがるべく
ソファについた手にミーナのそれがかさなったからだ。
「ねえ、あの子たちは、はずかしくて、それに本当にどうしようもないの」
ぎしとソファがなって、ミーナがシャーロットのとなりに腰かける。視線の高さが同じになり、それはまるで母親のよう
にやわらかい。シャーロットはうろたえかけて、だけれどそれもさせないようにとミーナが口をひらくのだ。むかしからよ、
むかしから、お互いのこととなるとまわりが見えなくなってしまうのね、トゥルーデは仕方がないにしてもフラウもそう
なんだから、ね、どうしようもないでしょう。ただかさねられただけのてのひらとシャーロットの前髪のそばによせられた
額が、まるでさとしてくれるようにあたたかい。
「あなたは、本当にやさしいひとね」
ふせられた目元で、ミーナはふしぎなことを言う。ぼんやりとしてしまっていたシャーロットは、彼女のこんなに親身
なしぐさを見たことがない。彼女からエーリカとバルクホルンをとりあげてしまったはずの自分に、どうしてこんなに
やわらかく接してくれるのか。やさしいだって、だれの話をしているんだろう、自分こそそんなにやさしい声で言っても、
そう言われたやつが滑稽になっちゃうだけの話じゃないですか。そう笑ってみたいのに、どうしてかいまのシャーロット
は、こどものようにされるがままなのだ。
「大丈夫、どうしようもないあの子たちがやってきたら、しるもんかってつっぱねてしまえばいいの。そうしたら、そのあと
は私がちゃんとひきうけるんだから。ねえ、だから大丈夫なのよ、シャーリーさん」
ミーナはまるでこころを読んでいるかのように、先程シャーロットの内心にうかんだ疑問に答えてあげた。ききたくない
ふたりの話をちゃんときいてあげてしまうのは、あなたがやさしいからなのよと言いたげに、さも真実をつげるように
ささやきかける。てのひらにはいつのまにかわずかばかりの力がこめられ、額と額もくっついている。ああそうかと
思った。エーリカとバルクホルンがミーナに話をしたがらない理由が、なんとなくわかった気がするのだ。だって、なに
も言わなくても、それどころか必死に隠していても、こんなにあっさりと、なでるようにあばいてくれる。
「……やさしくなんか、そんなわけないよ」
ぽろりとことばがこぼれれば、なみだもいっしょにあふれてしまう。こんなことになってしまうなんて、計算外どころの
話ではない。
「ハルトマンにキスしちゃったんだ、それをバルクホルンに見られて、あたしのせいでだめになったらどうしようって
思った。こわかったんだ、こわくてしかたがなくて、だからちゃんとなってくれてうれしかった。でも、すきだったんだ。
ほんとに、あたしだってすきだった。だいすきなんだ」
エイラに問いつめられたときにもバルクホルンにさぐられたときにも言えなかった本音が、たずねられてもいない
のにどんどんとあふれてくる。ふわふわと頭をなでられて、こどもみたいに涙だってとまらない。やつあたりだなんて、
やきもちだなんてどうしてそんなひねくれた思いつきを真実ときめてしまったんだろう。全部が全部そうじゃないとは
言いきれないにしても、ミーナはきっとはじめから、シャーロットの頭をなでてやるためにわざわざそれをよそおう
ような口実を準備してまで自分のそばに呼んでくれたのだ。
「あなたは本当に、とってもいい子よ、ね、本当よ」
はらはらとしずくがおちつづけ、ミーナはずっと、シャーロットからはなれようとはしなかった。
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「あああ……」
シャーロットは自分のベッドのうえにからだをなげだしながら、思わずあふれてくる声にこまりはてていた。昼間に
さらしてしまったどうしようもない失態がなんどとりはらおうにも脳裏にちらついて、そのたびはずかしさが声になって
とびでてくるのだった。
(だーもうあんなの、なんつー…)
あああ、と、思いだすたびだ。そのたび、顔も赤くなってじたばたとベッドのうえでのたうちまわってしまうほど。あの
あと、はっと我にかえってたちあがり一所懸命とりつくろったが欠片ほどの効果もえられなかったのだ。あの、ちがう、
これはその、中佐が変な雰囲気つくるから、なんだかこっちまでへんな気分になってきただけで、だからえっと、いま
の全部、ほんとじゃないんだ。まぬけにぬれるほほをぬぐいながら必死な口調でごまかそうとしたけれど、ミーナは
はいはいわかってるわ、なんて全然わかっていない顔で微笑むから、くるりと身をひるがえして逃げだしてしまった。
(だけど、ちょっと、ちがう、かなり楽になったのは本当)
ふとシャーロットは、あいかわらずはずかしがりながら考える。隠していたことをさらしてしまうのは、こんなに気を
ぬけさせてくれるだなんてしらなかった。熱いほほにふれる。そうか、あたしって、やっぱりまだこんなにもすきなんだ
なあ。
唐突に自室のドアがあく。ノックもぬきにそんなことをするのはたったひとりしかいない、とシャーロットはしっている。
だから彼女は、シャーリー、とつぎにはとんでくるおさない声におどろきもしない。ぽん、とベッドにとびのってくる訪問
者、つまりはルッキーニをシャーロットは両手をひろげてむかえた。
「ねえねえ、きょうはいっしょに寝てもいい?」
「ん、どうしたんだよめずらしい」
「へへへー」
なんとなくだよ、と言いたげな笑いかけに、シャーロットはこころがほっこりとあたたかくなっていくことを自覚した。
この子は、いったいどうしてこんなにタイミングがいいんだろう。胸にとびついてくるのをだきしめて、なんだか泣きそう
になっている自分がなさけなかった。
「ねえ、そういえば最近ハルトマン中尉とあそばないんだ」
それなのに、今度は急に痛いところをついてくるものだからあなどれない。それはそうだ、もともとバルクホルンと
ばかりいたエーリカが、あれやこれやと言ってシャーロットのそばにいたからこそルッキーニといっしょになっている
こともすこしはふえていた。だけれどいまはすっかりと元のとおりにおさまっているから、すると、シャーロットといっしょ
にいることのなくなったのと同様に、自然とルッキーニとのつながりもかすかにうすれてしまったのかもしれないのだ。
「シャーリー、中尉とけんかしちゃったの?」
しかも、その全貌を本能で理解しているところが末恐ろしいとしか言いようがない。ぎくりとしていると、ルッキーニは
首をかしげる。でもへんだよ、そんなの。
「だって、ハルトマン中尉はシャーリーのことろくでもないって言ってて、邪魔だって言ってやれって言ってたんだもの」
エーリカとバルクホルンがやっとのことで丸く収まった直後にきかされた衝撃の事実を、まったく痛いタイミングで
再度きかされる。シャーロットはげんなりとしながら、でもへんだよ、からつながらないその台詞をふしぎに思う。
「そうそう、あいつにきらわれちゃったからね。だからそんなひどいことまで言われちゃうんだ」
「ひどいことかな」
「ひどくないか?」
きょとんとするルッキーニ。どうにも話がかみあっていない。シャーロットはのしかかってきていたルッキーニをかか
えたまま身をおこし、じっとその無垢な瞳をながめてみる。この少女が言わんとしていることを探りあてたかった。
だけれどそんなことをしなくとも、ルッキーニはさっさと答えをくれるのだ。
「だって、シャーリーが言ったんだよ。中尉にいじわるされたとき、それってあいじょうひょうげんなんだよって。だから、
いじわるなこと言うのも、そうなんじゃないの?」
「……」
さも当然のように、自信満々に言いきってくれる。シャーロットはぽかんとかたまりそれからぽろぽろと目からうろこ
がはげおちていくような気分になった。そう、そうだよ。一所懸命ルッキーニに同意して、そのつぎにはたえきれず
抱きしめてしまう。
「ああ、ルッキーニってほんとにかしこいね。本当に、将来がたのしみだ」
「うじゅ、く、くるしいよう」
ルッキーニがじたばたとシャーロットの腕のなかであばれた、だけれど、気づけばうろこではないほかのものが目
からおちてくるものだからはなしてやることもできない。しまった、昼間のことのせいで涙腺がすっかり脆弱になって
いるじゃないか。そうか、とシャーロットは思う。エーリカは、お気にいりのやつにほどつれない態度をとるところが
あるじゃないか。だから、バルクホルンにはあんなにきびしい愚痴をこぼして、それでも本当は、だいすきなんじゃ
ないか。
(そうかそうか、あたしだって、影できびしいこと言われちゃってるんだよな)
シャーロットは急ににやけるほほに困惑し、さらにはまたにじんできた涙にあせって、ルッキーニにそれを見つけ
られないように必死で胸のなかに抱きしめた。それなのにしまった。あんまり強くだきしめすぎて、ルッキーニの本気
の抵抗にあい、結局まんまとぬけだされてしまったのだ。
「あれっ、シャーリー?」
そうすれば泣き顔はばっちりと見られて、少女はおどろきを隠さない声をあげる。あわてて目尻を乱暴にぬぐって
へへへと笑ってみせた。
「ルッキーニがあんまりかしこいからね。感動して涙がでちゃった」
「ほんと? あたしってそんなにかしこい?」
「うん、もちろんね」
ぽんと頭をなでてあげれば、ルッキーニはうれしそうに笑ってシャーロットに抱きつきなおす。本当にすなおだ、そして
かしこくて、シャーロットは自分のそばにおいておくなんてもったいないと思う。でも、もうすこしだけ。ルッキーニが自分
からいなくなってしまうまでは、この子のすべてに甘えてしまおう。ありがとな、ルッキーニ。耳元にひそりとささやいて、
そうすればいとしくてかわいい女の子は、よくわからないような顔をして、それでもすぐに得意げに笑ってくれるのだ。
(ありがとう、やさしいやつばっかりだね)
そういえば、逃げだしてしまったからミーナにも礼を言いそびれている。そうだ、あのときはとぼけてしまったけれど、
役者不足だなんて卑屈なことを言ってくれたお節介やきのエイラにだって、おごるよ、なんてうわっつらのことばだけで
ごまかしているんだ。急に視界がひらけたように、いままでやり逃してきた大事なことがどんどんと見つかる。シャー
ロットは、自分がなかなかにまわりを見ていなかったことに驚愕した。
「よしルッキーニ、きょうはおまえの秘密基地でふたりで寝よう」
「えー、でもあたしの基地って、どこもけっこう、あぶないんだよ」
「大丈夫さ、あたしはそんなにまぬけじゃないよ、ねえ、そんな気分なんだ、きょうは」
さあ、案内しておくれ、おまえの素敵な秘密基地に。ひょいと抱きあげると、やっと乗り気になったルッキーニがきゃっ
きゃと笑った。それにあははと笑いかえして、いつもつかれるくらいに笑っているのに、どうしてか久しぶりに笑えた気
がした。
(そうか、笑うのって、つかれることじゃないはずだもの)
しまったな、そんなことにいまさら気づくなんて。それを気づかせてくれたのは、たぶん、いろんなひとなのだ。シャー
ロットはついこめかみをおさえてしまう。だって、こんなにやさしいひとばかりじゃあ、いくらありがとうと言ってもきっと
たりない。こうなったらついでだ、エーリカやバルクホルンにも言ってやろう。ねえ、あたしがそろそろ一皮むけられそう
なのは、どうやらきみらのおかげらしいよ、だからありがとね、それで、ちょっと気がむいたらでいいから、あたしにも
ありがとうって言っておくれ。だってあたしだって、こんなにやさしいやつみたいなんだから。
おわり