T⇔E Ep.5


「ビューリング、ちょっと待って」
ビューリングが廊下で食堂を目指して歩いていたところに背後から小走りの足音と智子の声が届いた。立ち止まって、智子の到着を待つと同時に手近にあった花瓶の中に今まで吸っていた煙草をそっと落とした。
「ビューリング、ねぇ」
右肩を叩かれ、僅かの痛みを感じながら顔だけで右後ろに振り返った。すると直ぐにまた痛みが頬に突き刺さった。
「…どういうつもりだ智子」
智子の人差し指がビューリングの頬肉を押していた。
「ん? えー、そう、扶桑の一種の愛情表現よ。深くは考えないで頂戴」
智子はビューリングがもう少しあたふたしてくれると期待していたのだが、冷めた反応をされてしまったら大人しく引き下がるしかなかった。
「愛情…」
ビューリングは智子には聞こえないようモゴモゴ呟いていた。何気ない一言だったがそれは銀狐の胸に反響した。
智子の指は頬を離れ、痛かった? と尋ねられた。
「…いや、別に」
ところで、とビューリングは言葉を続ける。
「何か用か?」
「あー、うん。此の後飛行訓練でもしない? 偶にはビューリングと二人というのもいいわと思って」
「そうだな、そう言えば最近は訓練もあまりやっていなかった気がする」
右手で口元を押えて記憶を探るビューリング。
「…ふむ。確かに最近は訓練を怠っているな。まあ、熱血なんてほど遠い私には進んでやろうなんて気は起きないんだが」
皮肉げに笑うビューリング。智子はその笑みを隠しもせずに再び智子に言葉を放つ。
「久々に、タイマンでもするか」
内心で、智子からの誘いを断るわけがあるまい、とビューリングは一人笑う。
智子とはいいライバルであり、いい仲間であり、関係も持つほど良い仲なのだ。
「それもいいわね、久しぶりに腕が鳴るわ」
「二十分後に空で会おう。互いの姿を確認したら即ゲーム開始だ。もちろん初撃で勝負が付いても気付かなかった、は言い訳にならない。これでいいか?」
中々シビアなルールだが、久しぶりのタイマン訓練でお互いに腕が鳴っている。
接近に気が付かないということはエンジン音が鳴り響くためまず無いが、万が一ということもある。
「空域は?」
「スオムス全上空」
「模擬武器は?」
「好きなのを使え。銃でも刀でも構わない」
「勝利条件は?」
「ペイントの着弾、及び近接武器の当たり」
智子が右手を差し出し、ビューリングもそれを握り返した。

――
――

二人の勝負は大々的に発表されたものではないため、以前ハルカとジュゼッピーナが決闘したときのような騒ぎにはならない。
しかし、刻一刻と心地よい緊張をする心臓に、ビューリングは煙草を吹かした。
寒空に紫煙が舞うが、雪景色に紛れ直ぐに見えなくなる。
整備兵に智子は、と聞くと先に出ていますと答えた。
「訓練ですか」
無言で頷くと、模擬刀――智子が接近戦の訓練のためと用意していたもの――を腰に差し、ペイント弾を装填されたブラウニングを手に取る。
扶桑刀のような細く長い刃物は扱いに慣れていないがまあいい。
模擬刀は刃が、とてもじゃないが切れるような細さではないように作られているため、本物よりも重い。いわゆる本物の峰の部分を両刃に備える刀と思ってくれればいい。
智子相手なら最終的にはこれを使うことになるのだろう、と一度腰の鞘から抜いて手応えを確かめる。
二三度、智子の見様見真似で素振りをしてみる。そう、心頭滅却中の智子の素振りの真似だった。
手に掛かる重さは、振れば案外軽く感じられた。なるほど、扶桑刀とは確かに優れた刃物であるようだ。
切れない切っ先を見つめてビューリングは煙草を最後の最後まで吸いきる。
それを吐き出しながら鞘に小気味よい音と共に仕舞う。
飛行脚を装着し、ビューリングは空で待つ智子を、約束の五分遅れの出発。
上昇を果たし、全方位に警戒をしながらビューリングは上空で銀髪を揺らしていた。
このスオムスの上空で、同じように智子も自分を探しているはずだ。
フィールドはスオムス全上空と広いが、辺境まで行ってしまえば途端に勝負は成り立たなくなってしまうことはお互い分かっている。
まずは、お互い視認しなければ、勝負は成立しないからだ。
基地から飛び立って上がれるだけ上がってきたが、さて。
智子の行動を読んでみる限り、基地からそう離れては居ないはずなのだ。
勝負を成立させるために。いち早く相手を視認するために。
考えを巡らせていたビューリングの視界が突如白い靄に覆われた。
「雲か…!」
雲の移動速度は想像以上に速い。車並みの速度で巻き込まれれば、雲から脱出するには下に行くか上に行くかのみだ。これ以上上空には行けないため、下に行くしか無くなる。
ビューリングは急降下を始め直ぐに雲から脱出した。
見上げる雲はかなりの大きさだった。智子の姿ばかりに注意をしていて、雲の接近に気が付かなかったとは、不覚だった。
そして続く"智子"の行動もビューリングの不覚の内だったのだ。
低く響くエンジン音、それをビューリングの耳が捉えた頃には、智子はビューリングの正面に居た。
降下するビューリングは丁度、頭上の雲を見上げている。
ビューリングは直ぐに驚愕を持って音のする方向に顔を向け、智子の模擬刀が煌めいていることを、視認。
視認が遅すぎた。智子のある意味セコい戦法に、まんまとやられた。
しかし、ビューリングもこの初撃だけで終わるわけがない。
模擬刀であれ顔面に向けての攻撃というのは避けなくてはならない。
それは智子も重々承知で、自分のことに気が付いたビューリングが体勢を整えようとし、胴体をこちらに見せたときに決めるつもりだった。
――だから、こそ。
ビューリングはそのまま智子の胸に飛び込んだのだ――!

肉弾戦のカウントはされない。よってこれはビューリングの初撃とはならないが、智子の初撃を回避したのだから、充分だ。
智子には事故に遭ったような衝撃が襲った。しかしそれはハルカによくやられている感覚とまるで同じだった。
まさか胸に飛び込んでくるなど思いもしなかった。ビューリングがそんな戦法に出るなど、全くの予想外で――。
「なるほど、こうして顔を埋めてみると、良さが分かるな」
落下しながらのそんな余裕ある言葉も、智子には思い掛けない言葉であって。
見上げるビューリングの視線は、じっと智子を見つめる。
仮にも年上であるビューリング。そんな彼女が智子の胸に居て上目遣い…。
しかも本当に珍しいことであるが、ビューリングの至福の表情。若干頬を染めて微細な笑みを浮かべた。
「な、ななななにを試合中にぃいい?!」
やっと口を突いて出た言葉は動揺しっぱなしで、模擬刀を手放してしまった。
「可愛いとかそんなんじゃないわ! 危険! 危険よビューリングあなた、あな、あなた…!!」
背中に回ったビューリングの両手で智子は身動きが取れない。両手はわたわたして稀にビューリングを叩くが、勝利条件はあくまで"近接武器の当たり"である。拳は含まれない。
少なくともビューリングは、智子の胸に飛び込むまでは、真面目に戦闘しようと考えていた。
だが、以前抱いた智子の身体を思い出し、スイッチが入ってしまった。
「そうか危険か。…その危険を器用に扱うかまんまと飲み込まれるかは智子次第だがな」
ビューリングはわざわざペイント弾を撃つようなことはせず、腰の鞘から刀を抜き出して智子の両足の間に差し入れた。
太ももをなで上げるその冷たい感触に智子は身震いした。
この時点でビューリングの勝利が決まったわけだが、二人とも既に勝負のことなど吹き飛んでしまっている。
上空の甘い続きは、降下した森の一角で行われた。

――

―おまけ―

「智子ちゅぅいいい~~~! どこにいっだんでずかぁああああ~~~~~!!」
ハルカが大泣きで基地の廊下を徘徊していた。宛ら悪霊だが誰も声を掛けることができない。
「ハルカ待って! そっちには居なかったよ!」
ジュゼッピーナだけがその状態のハルカに声を掛けることが出来るのだった。
「本当ですかパスタ准尉ぃ…? 私を差し置いて中尉といいことなんて許さないですから!」
「本当よ。少しぐらい信じてくれても良いじゃないの。変態海軍娘」
大体、と続けてジュゼッピーナは言う。
「トモコ中尉を見つけたら真っ先に抱きついていちゃいちゃするわよ。それぐらい分かりなさいよ」
「それもそうですね…ごめんなさい」
ハルカは目元に残っていた涙を拭ってジュゼッピーナに向き直る。
何だかんだでお互い智子のことを想っているだけあり、智子に関しては仲良くもあり恋敵でありと忙しい。
そしていまは智子のために団結して智子を見つけてあんなことこんなことをしようという魂胆だった。
「いいわ、いつものことだし。…それより、どうやら訓練に出てるみたいよ。行き先が分からないから追えないわ」
ジュゼッピーナは一時休戦という意味でハルカに言った。
「そうなんですか…。帰ってきたらお仕置きしましょうね!」
「ええもちろんよ! また何回撃墜出来るか勝負ね」
ニヤニヤと二人で目線を交わし合って、ジュゼッピーナが言った。
「そうだ、トモコ中尉が帰ってくるまでおやつでも食べましょうよ。ラザニア作ったの」
「わー! 本当ですか、いただきまぁす!」
食堂に二人駆けていった。
そして一時間後、夕食すら食べることを許されずその後一晩を過ごすことになるとは、智子は考えもせずにビューリングと唇を重ねていた…。



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