第5手 腕を組む
「何でこんな事をしなけりゃいけないんだ」
「仕方ないわよ美緒」
ミーナにたしなめられ、美緒はううむと唸った。
今夜行われる軍と政府の合同会議の後、社交会と称してダンスパーティーが用意されているのだと言う。
そこで少しは社交ダンスも出来ないと……と言う訳で、美緒はミーナの部屋で、ダンスの手ほどきを受けていた。
「私は軍人だぞ。踊りをしに欧州に来ている訳ではない」
「でも、佐官としては、こう言う知識も少しは必要じゃなくて?」
「まあ、な」
美緒はふと、祖国の同僚を思い出した。
「リバウの貴婦人」と呼ばれた彼女なら、きっとこう言う事もうまくこなすに違いない……。
考えを巡らせているうち、くいと顔をミーナの方に向けられる美緒。
「何、考えてたの?」
少し疑いの混ざった眼差し。
「いや、別に」
「余計な事は考えなくて良いの。私が教えるから、貴方は言う通りにしてね」
「分かった」
ミーナは操り人形みたいにぎこちない美緒の腕を取り、ポーズはこう、動きはこう、と教えていく。
「そう。それで私と合わせて。試すわよ。一、二、三……そう、足のステップはそれで良いわ」
「難しいな。肩も凝る」
「ネウロイとの戦いや貴方の剣術みたいにうまくいかないのは仕方ないけど、最低限はマスターしてね」
「さりげなく厳しいな、ミーナ」
「これは貴方の為でも有るし……、上官としての私の立場も分かって頂戴」
「ミーナの為とならば仕方ないな」
ミーナはふっと笑い、美緒の手を取った。
「さあ、続き、行くわよ」
ミーナの部屋の外で、中の様子を窺う人影がふたつ。
「なんか、リズム取ってる感じ……」
「リズム? 何やってるンダ?」
「何か入りづらい。どうしよう」
そう言って傍らに立つエイラに声を掛けるサーニャ。
うーん、と首を捻った後、おもむろにポケットからタロットを取り出し、一枚引き、出たカードを見てぎょっとする。
「な、何だコリャ?」
「んもう、エイラったら」
サーニャは少し呆れた顔をしてドアに手を出す。
「ま、待て」
サーニャの手を抑えるつもりが、思わずバランスを崩し、体重がドアに乗ってしまう。
かちゃり。どさっ。
物音に敏感に反応し、きっと顔を向けるミーナと美緒。
「う、うワ」
部屋の中に倒れ込んだエイラが、見てはいけないものを見てしまったかの様な顔をして、怯えて後ずさった。
「どうした、お前達?」
美緒が固まったまま、不思議そうに問い掛ける。
「すいません、書類を……」
「あら、サーニャさん。せめてノックくらいして欲しかったわね」
ミーナも咄嗟の事でダンスのポーズのまま、美緒とふたりして動きを止めていた。
「ミーナ隊長に少佐、何してんダ?」
「見ての通りさ」
「どうしてダンスなんて?」
「今夜の会議の後の社交会で、必要なんだそうだ。私にはこう言う欧州のマナーとかの心得が無いからな」
「そうなの。ちょっとみ……坂本少佐に、お稽古つけてたのよ」
取り繕うミーナ。
「あの」
サーニャが書類を机に置いた後、意を決したかの様に言った。
「私、お手伝いします」
「お手伝い?」
一行はミーティングルームに移動した。訓練などの時間中とあって、他に誰も居ない。
これ幸いとばかりに、ミーナと美緒はテーブルや椅子を脇に少しどかし、サーニャはピアノを準備した。
改めて準備が整うと、ミーナははじめの姿勢を取った。
すらりと伸びた脚、しなやかにこちらを招く腕、柔らかな指先がとても美しい。
美緒は思わずごくりと唾を飲んだ。
「じゃあサーニャさん、ワルツで、少しテンポを遅めにね。曲は何でもいいわ。リズムがはっきり取れるのをお願い」
「了解しました」
ズンタッタ、ズンタッタ……サーニャが控えめにピアノを奏で始めた。
「さあ、美緒、私の手を取って」
「あ、ああ」
「もう始まっているから、姿勢を正して。そう……で、私と腕を……」
手を繋ぎ、腕を組む。
リズムに合わせて、二人はミーティングルームの空間で、改めてワルツを踊り始めた。
「一、二、三、一、二、三……そう、うまくなったじゃない美緒」
「そうか?」
「ほら、横を見ないの。次でターン、で、またシャッセ」
「おっとっと」
「大丈夫?」
「足の運び方が慣れない。なんだか足首をひねりそうだ」
か弱い撫子らしいと言うべきか、普段の剛毅さは無く、ただ泣き言が漏れる美緒。
「今は普通の靴だけど、社交会場ではヒール履くんだから」
「ひ、ヒール? 私がか? あんな不安定なの履けん」
「頑張って」
にっこり笑うミーナ。
「あんなバランスが不安定な靴で、しかも踊るのか……器用だな」
「踊る事しか出来ない人は、私達がストライカーで空を飛んで戦うのを見て、びっくりする筈よ。それと一緒」
「そう言われてもな」
「はい。じゃあ続き。……サーニャさん、少しだけテンポを早くしてくれる?」
「分かりました」
「助かるわ。声でテンポ取るだけだと、どうしても単調になるのよね」
「私はその単調なのに、未だに慣れんのだが」
「慣れよ、美緒」
「うう……扶桑舞踊ですら苦手なのに、欧州のなど……」
「ほら、文句言わないの。佐官の仕事よ」
説教しつつも、ミーナは嬉しそうだ。
美緒も、ミーナの動きに必死についていく。
「少し、慣れてきた」
「そうね。スローワルツだから、比較的簡単だし、応用も利くわ」
「しかしミーナは何処で習ったんだ?」
「淑女のたしなみよ」
「そうか……と言う事は」
「?」
「いや、何でもない。ミーナは私と違って経験豊富だからな」
不意に足を止めるミーナ。
「それは誉め言葉?」
「勿論そう取って貰いたい」
「そう。なら良いんだけど」
再び動き出す二人。
サーニャはゆったりとしたペースで、ワルツを弾いている。
「凄いなサーニャ。ワルツって言われただけでこんなにたくさん演奏出来るノカ」
「ワルツはリズムが三拍子で簡単なの。リズムをきっちり取れば、後は即興でも」
「流石、音楽家なんだナ、サーニャは。……弾いてる姿、楽しそうダゾ」
「そう?」
ピアノを弾きながら、エイラに微笑みかける。ピアノを自在に操る美しさに、エイラは胸の奥の部分を射抜かれ、
かあっと頬が熱くなった。
「……ワルツだ。ワルツが聞こえる」
「何で?」
「ウニャッ!! ミーナ中佐と坂本少佐が踊ってる」
「ほ、ホントだ……」
訓練やら任務を終えて戻って来た隊員達は、不思議な光景を目にする事になる。
楽しそうにピアノに向かうサーニャ。
時折言葉を交えながら美緒を指導し、舞うミーナ。
真剣な面持ちでミーナについていく美緒。
サーニャの傍らで、ゆったりとした面持ちで曲を反芻するエイラ。
一同は、ミーナと美緒に釘付けになった。その視線を浴びて、美緒の耳元で囁くミーナ。
「ほら、皆見てるわよ?」
「うっ? な、なんで……晒し者じゃないかこれじゃあ」
「私は楽しいけど……ほら、足をもう少し近く」
「あ、ああ」
頬を少し赤らめて、ミーナのなすがままステップを繰り返す美緒。
そんな姿を見て収まりがつかない者がひとり。
「な、何故少佐が中佐とワルツを!? ワルツくらいなら、ガリア貴族の子女たるこのわたくしが……」
「ベ、ペリーヌざん、ぐるじいです、首がら手をっっ……」
「芳佳ちゃんの首しめないで!」
「お前ら少しは落ち着け」
シャーリーが呆れてペリーヌ達をなだめる。
「ミーナ。少佐とどうしてワルツを?」
トゥルーデが全員を代表して質問する。
動きを止めたミーナは、少し乱れた髪をふぁさっと戻し、にこりと笑った。
「今夜の会議の後、社交会が有ってね。そこで」
「なるほど」
「本当は他にも教えたかったんだけど、何せ急だから、比較的簡単なワルツなんてどうかと思って。
サーニャさんにも協力して貰ってたのよ」
「シャーリー、あたし達も踊ろうよ!」
「あたしはどっちかと言うとワルツよりも……」
美緒は笑うと、皆に声を掛けた。
「何なら、皆で練習してみるか? せっかくだ。ちょっと狭いがな」
「じゃあサーニャさん、続きをお願いね」
「はい」
ピアノの演奏に合わせて、数組がペアを組み、円舞を始める。
その光景を見て、トゥルーデはカメラを引っ張り出し、ぱしゃりと一枚収めた。
「トゥルーデ、写真ばっか撮ってないで、私達も。ね?」
「ああ」
エーリカに引っ張られ、輪の中へ入るトゥルーデ。
「シャーリー、足ばらばら」
「トロいの苦手なんだよなあ……ルッキーニだってステップぐちゃぐちゃじゃないか」
「シャーリーと一緒で楽しいから、あたしはこれでいいよ」
「そっか。あたしもだ」
「リーネちゃん、上手だね」
「昔、姉妹でちょっと練習した事あったから……。芳佳ちゃん初めて?」
「うん。全然」
「私が教えてあげるね」
「ありがとう」
一人取り残されたペリーヌはエイラのそばに寄ってきた。
「どうしたんだヨ。誰かと踊らないのか?」
「相手がいないのにどうやって」
「そっカ」
にやけるエイラ。
「てんで不釣り合いですけど、暇そうにしてるから、エイラさんとならご一緒しても宜しくてよ?」
「ん~。見てるだけでイイヤ」
「なんですの、そのなげやりな態度は! わたくしが気に食わないとでも!?」
「ナンダヨモー。ホントは、私だってサーニャと……」
そんな二人のやり取りを横で聞いて、くすっと笑うサーニャ。
「二人も踊って」
「え? 良いのか、サーニャ」
「私はこうして弾いているだけで楽しいから」
「わ、分かった……今日だけ、今日だけダカンナ!?」
「わたくしもですわ!」
二人がおずおずと輪の中に入る。
全員がゆったりとしたペースでステップを踏み……暫くして、自然とペアが入れ替わる。
「あら、ペリーヌさん」
ミーナはペリーヌの手を取った。
「中佐、これもお勤めとお聞きしましたが」
「そうなのよ。坂本少佐は出たくないみたいだけど、私達佐官だから仕方ないわね」
「でも、ダンスでしたら、わたくし多少心得が有りますから、お教え出来たのに」
「そうね」
ミーナは苦笑し、言葉を続けた。
「ペリーヌさんは本当に上手いわね。いっそ、今夜の社交会、私達と替わってもらおうかしら」
「え!? そ、それはちょっと……」
ふふっと笑うミーナ、困り果てるペリーヌ。
ピアノを操るサーニャは少し悪戯心が出たのか、リズムはそのままに、演奏ががらりと即興曲に変わった。
ピアノを弾く手にも力がこもる。
「ハニャ? 曲変わったよ」
「サーニャやるな」
いつしか輪も一周し、元のペアに戻る。
「さすがね、サーニャさん。……いつかサーニャさんと一緒に、コンサートを開きたいわ」
「ミーナとサーニャなら、さぞかし美しいものになるだろうな。いつか聴いてみたいものだ」
「ありがとう、美緒」
「礼を言うのはこっちさ。何だか全員でワルツと言うのもな」
笑みがこぼれる。
“すてきなワルツ練習会”は、夕食前まで続いた。
基地の前に黒塗りの立派な車が停まった。
礼服姿のミーナと美緒。いつもは付けない飾帯やら勲章やらもごてごてと軍服の上に付け、服に着られている印象だ。
「私は嫌なんだ、こういうのは。何か苦しくてな」
「良いから。今夜限りだから我慢して。ね?」
「……分かった」
周囲では、そんなミーナと美緒を見て隊員達が驚きの声を上げていた。
「やっぱ勲章付けるとカッコイイねえ、二人とも」
「二人とも、我らが501の誇りだな」
「いってらっしゃい。お土産楽しみにしてるよ」
「そう言うとこじゃなくてよ。……さあ」
ミーナがすっと手を差し伸べた。美緒は慣れぬ手つきでミーナの手を取り……
ぎこちなく、そっと腕を組み……車に乗り込む。
そんな二人をにこやかに見送る隊員達。手を振る者も居る。
ミーナと美緒が車のドアに手を掛け、閉めようとしたその時。
あの忌まわしい、いつもの警報音が鳴り響く。
舞踏会に行く前にときが来て鐘が鳴ってしまった……、そんな腑抜けた印象だ。魔法は行く前から“解けて”しまったのだ。
「ネウロイか!」
「こんな時に?」
司令所から連絡を受ける。今回のネウロイは、大型が二体。
間の悪い事に監視網の不意を付かれたらしく、既にブリタニア本土のあと僅かまで迫っていた。
他の基地からは既に邀撃のウィッチが多数離陸しているとの情報も受けた。
「ミーナ……」
「私達が出ないと、示しが付かないわね」
「そうだな」
ミーナと美緒は車から降りると、運転手と従者に邀撃の旨、今回の会議と社交会の欠席の件を伝えた。
「行くか。空へ」
「ええ」
おろおろする一同を目の前に、ミーナが凛とした表情を作った。
「ストライクウィッチーズ、全員出撃準備、急げ!」
「よおし、楽しい楽しい、“魔女(ウィッチ)”の時間の始まりだ!」
美緒は礼服を脱ぐと、皆に向かって怒鳴った。
end