もうすこしがんばりましょう
部屋がちらかって寝るところがないから、とおなじみの前置きをして、あけたドアのすぐそばに立っていたフラウは平気
な顔で私のわきをくぐりぬけ他人の部屋への侵入をまんまとはたした。私がなにかを言うまえにさっさと奥までいって、
ぴんとなったシーツのうえに遠慮なくとびのる。こら、ハルトマン。かたい声をつくってしかってみても、トゥルーデもはやく
はやく、なんていっしょに寝ましょうと手招きするだけなのだ。これがまるで自然なことになっていることに私は危機感を
おぼえずにはいられなかった。
「おまえはな、まったく、そんなことをしていたら私になにされたって文句言えないぞ」
だから、冗談めかして言ってみた、いや、心の底から疑いようもなくそれは冗談だった。そうだ、私がいちいち甘やかし
て寝床をかしてやるものだからフラウのやつは調子にのって眠るところがなくなるほどに部屋をちらかしてもこまらないん
じゃないか、だから、この部屋にもこれなくなるようなことを言ってやればいい。しかしまあこのフラウのことだから、うわあ
トゥルーデのくせにへんなこと言ってるよ、なんておかしそうに腹をかかえるだけだと思った。そう信じて、そう言った。
だというのに、いったいこれは、どういう状況なんだ。
「な、なに?」
きゅ、と、フラウの指先がおしかえすしぐさで私の肩のあたりをつかんでいる。それから、あせった表情が見あげてくる。
私はといえば、予想外としか言いようのないフラウの反応に完全にかたまっている。瞬きすらもわすれて、かすかに赤く
なったほほを凝視していた。それっぽい空気をもたせるために、ベッドにすわるフラウに覆いかぶさるような体勢でもって
先の上品とは言えないジョークを言ってしまったために、まるでいまにもおしたおしてしまいそうに、私はフラウを見おろし
ていた。
「え、と、だからえっと…、え?」
まのぬけた反応しかできない。だって、私の冗談なんかでフラウがこんな顔になるなんて思ってもみない。そのうちに、
たえきれなくなったようにフラウがうつむき、はずかしげに唇をとがらせた。それでも、あいかわらず指は私の服をつか
んでいるのだ。えええええ、と内心でさけばざるを得ない。私は盛大に動揺していた。どうしよう、どうしたらいい、ただの
冗談だったんだ、なんて言いだせる空気じゃない。いやそもそも、本当に冗談だったのか、危機感なんてものを覚えて
いたのは、本当にフラウのちらかし癖の増長を懸念したものだったのか、本当は、先程冗談を気取っていったことこそ
が、危機感の真の原因にちがいないのではないか。驚くような結論にたっした途端、まるで見計らったかのようにフラウ
が顔をあげる。やっぱりそれは真っ赤になって、きっといまの私もまったく同じ様相をしているにちがいなかった。トゥル
ーデ、となまえをよぶ唇。
「……」
返事をすることもできずに、私はすいよせられるようにくちづけた。やわらかい感触、したことがないわけではなかった
けど、なんどしてもやっぱりこのふしぎなやわらかさは私をくらくらとさせ、まるで反射的に一瞬だけではなれることになる。
しかしフラウのやつは催促するようにあごをもちあげるものだから、私は逃げられなかった。勝手にまた唇に唇がよって
いって、まんまとくっついてしまう。同じようなことをなんどか繰り返しているうちに、今度はさそうようにフラウの唇がか
すかなすきまをあけてしまう。完全に手玉にとられているとしか言いようがなかった。それとも無意識でこんなことをして
いるのだろうか。私は考える余裕もなく、舌を侵入させることしかできない。
「……ん」
極度にそばで、フラウの甘い声をきく。寝起きのときの赤ん坊のような甘えたそれと似ていて、だけど全然違った。背筋
がぞくりとして、ものを考えようとしている意識がうすれていく。私は夢中でその声をごまかそうとフラウの口のなかをかき
まぜる。それなのに結局そのたびフラウは苦しそうにのどで声をならして、つまりそのたび私は夢中になるしかなかった。
フラウの舌はちいさかった、ちいさくて、甘い。いつのまにかフラウの両手は私の背中にまわりそれでもさっきまでと同じ
ように指先がかたい布をにぎっていて、私だって無意識のうちにフラウの肩に片腕をまわしたりもう片方のてのひらを
ほほにはわせたりと逃がさないように必死な格好をしていた。
「んっ、ふ……ん」
ふたりぶんの途切れがちの響きが室内にこぼれて、自分がいったいどんな動きをしているのかもわからなかった。
こんなキスのしかたなんてしらないから、からだが勝手にするままにフラウを舌でかわいがることに真剣になっていた。
フラウだってきっとそうで、まるで夢中にちいさな舌を動かして私のことをもとめている。だけどたぶんそんなことじゃ全然
息なんてあっていないから、私たちはただおたがいにすき勝手なことをしているだけなのだ。それなのに、と思う。それ
なのに、こんなに気持ちいいんだ。
「んうっ…」
ふと気づいた息苦しさにはっと我にかえって、あわててからだをはなすと、フラウも苦しそうな息をつく。それからけほと
むせるものだからあせった。
「あ、ご、ごめん」
自分だって息を乱しながらフラウの背中をさすってやると、そんなのはいらないとでも言うように身をよじられてしかた
なしにやめる。フラウがてのこうで口元をぬぐう。そこをぬらしていたのは、いったいどっちのものだったのか。そんな考え
が頭をよぎった途端に体温があがっていやになった。へんなことしてわるかった、もうねよう。さっさとそう言ってごまかして
しまおう。うつむくフラウを呆然と見つめながら思うのに、先に口をひらいたのはフラウだった。
「す、するの?」
なにを。そこでそうきけなかったのは正解だったのか不正解だったのか。ぼんやりと赤い顔をして、フラウはまた私の
軍服をつかんでいる。ゆっくりと少女の面があがり、くりっとした、だけどなにかにさいなまれるようにゆれるふたつの目が
見あげてきた。その色はなにをにじませているのか、ひょっとして期待なのか、そんなの都合がよすぎやしないか。まて、
まつんだ。ついさっきまではくっつけるだけのキスしかしたことがなかったのに、急にこんなの、おかしいにきまってる。
沸騰しかけている思考で、なんとか冷静と思われる結論をだす。
「あの、えっと」
いやいや、もうおそいだろう、だから、ねようじゃないか。そう言う予定だった。それなのに、トゥルーデ、と急に名を
よばれた途端。
「す、する」
しらなかった、私は極度のばかだったみたい。
一瞬後冷静になってももう遅くて、私はとにかく自分の発言に責任をもたなくてはいけなかった。フラウはまたはずかし
げに唇をとがらせてうつむいているので、おそるおそるのぞきこんでなあと呼びかける。
「あの、するって、どうすればいいのかな」
「しらない」
「えっと、ふ、服とか。ぬがせばいいのか」
こちらとしては意見を尊重しようと真剣にたずねたわけだけど、フラウにしてみるとうっとうしい質問だったらしい。言った
途端にばちんとふとももをたたかれてしまった。
「い…」
「し、しらないよおそんなの。ちょっとは自分で考えてよ」
「あ、そう、そうか」
ひょっとしたら赤く手形がついているかもしれないそこをさすりながら、私は必死にうなずいてみせる。そしてとまどう手
つきでフラウの上着に手をかけた。するとびくとフラウの肩がゆれて、ぎょっとして視線をあげると、意地っ張りの顔で
なんでもないと首をふられてしまう。どうしよう、やめると言うならいまのうちだ。いまのうちなのに、ばかな私はフラウの
服をぬがしにかかる作業をやめられない。
「えっと、…あ、あれ」
しかも緊張のあまり指先がうまいこと動かないものだから手間どる。もたもたとフラウの襟元あたりで動きがわだか
まって、全然作業はすすまなかった。おかしいな、とかもっともらしいことを言いながらそんなことをしているものだから、
しまいにはフラウの手がぺちんと私の両手をはらってしまう。
「も、もういいよ。自分で、ぬぐから…」
それからそんなことを言ってくるりとからだを反転させて私に背をむける。トゥルーデも自分でぬいでて。フラウのちい
さな背中のむこうからきこえる声になんとかうんと応え、それからあわてて自分もフラウに背をむける。この状況でもぞ
もぞと脱衣している姿を冷静に観察できるほど私はしっかりできた人間ではないみたいなのだ。なさけなさにため息が
でそうになったのをなんとか我慢して、今度は自分の衣服に手をかける。それも結局、全然うまくやれなかったわけだが。
「ねえ」
唐突に背後から声がしてぎくりと肩がゆれた。あわててふりかえろうと思うけど、うしろのフラウがいまいったいどんな
格好をしているのか予想もできなかったので思いとどまる。なんだ、とかたくなってしまう声でたずねると、フラウは一瞬
だまってしまった。
「……ぬぐって、どこまでぬげばいいの」
やっとでてきたのは、普段のやつからは想像もできないようなか細くてしおらしいつぶやき。ぬぐ、どこまで。……どこ
までなんだろう。おそらく最終的には全部なんだろうけど、たとえば脱がす楽しみとか脱がされる楽しみとかのことを
考えるとちょっとは残しておいたほうがいいんじゃないか。ふと思いついた一瞬後にはなんとも下品なことを考えている
自身に赤面した。
「あー。あの、フラウの、ぬぎたいところまで、で、いいんじゃないか」
ごまかすために奇妙に上擦ったおおきな声で言うと、わずかばかりの間をあけたあと、なにそれえ、とフラウがおこった
ようなすねたような実に複雑な声をもらす。ぎょっとして思わずふりかえると、フラウの背中がある。ちぢこまったそれは
ちいさなフラウをもっとちいさく見せていて、無意識にこくとのどがなる。互いのはだかなんて見慣れているのに、全然
そんなふうには感じられない。フラウは上下の下着だけをのこして、あとは無残にベッドのしたへとほうりなげていた。
そこではっとする、おろかな考えごとをしながらぬいでいたものだから、私はたった一枚、ズボンだけがそのままの、やつ
以上にはだかに近い格好になっていた。かあっと身勝手にはずかしくなって、つぎには手がのびて背中にあるホックを
はずしにかかっていた。
「…な」
ぎょっとしたフラウがふりかえり、その勢いのままブラジャーを両腕からぬいてほうりだされたほかの衣服のうえに
なげた。だって、フラウばっかりずるい。内心で言いわけして、想定外にむかいあうかたちになったむこうからびっくり
した目が見ているのをなんとか見かえした。が、それは数秒ももたない。そよそよと視線はおよぎ、フラウのうしろの壁
あたりにピントをあわせてかたまった。直視できるはずがない、なぜならフラウはいま、あまりにも素肌をさらしすぎて
いる。そうだ、見慣れているはずなのに、いまばっかりは全然そんなふうには感じられないのだ。それだというのに、
あんなに大事なものを考えなしにとっぱらってしまうものだから、私はどうしようもなくなってしまった。
「…んっ」
途端、急な刺激があった。とはいえそれはとてもゆるやかでかすかなもの。はっとして視線をずらすと、フラウの両手が
私の胸にくっついていた。フラウ、とおどろいた声で呼ぶと、フラウは上目づかいで私を見た。うるんだ目、なんだか熱に
浮かされたような視線が、私の表情をながめている。おそるおそるといったふうな動きが、ゆっくりと私をなでていた。
「あ…フラウ…」
よわよわしい刺激に情けない声がもれる。そのたびフラウはびくりとするように手の動きをぎこちなくした。そうだ、すき
にさせてやることにしよう、たぶんそのほうがいい、私が下手なことをして傷つけてしまうよりは、そのほうが絶対にいい。
決めこんで、私は目をとじた。ぞくぞくとした、だって、フラウの手はちいさい。このちいさな手が私にふれていると思うと、
きゅうと腹の奥があつくなる。息が荒くなっていくことを自覚した。フラウはちいさい、手だけじゃない。さっき感じた舌
だって、耳だって鼻だってなんだって、フラウはちいさいんだ。かあ、と頭の芯が熱くなっていく。ちいさいフラウ、かわ
いいかわいいフラウ。いまそのフラウが、私にふれている、……。
「うわ、わっ」
そう思うと我慢の限界だった。すきにさせてやろうと決めたばかりなのに、私はフラウと同じように目のまえのささやか
なふくらみへと手をのばしていた。だ、だめ、トゥルーデ。あせった声がとんできて、その出所をじっと見た。真っ赤な顔、
どうしよう、私もいまこんな顔をしていたんだろうか。思いついてはずかしくなっていると、急に視界が黒になる。えっと
まぬけな悲鳴をあげて、すぐにフラウのてのひらが私の両目を覆っているんだと気づいた。
「な、なんだよ」
「だって、トゥルーデが、わ、あ、やだ」
抗議のつもりでついフラウにすいつく手に力をこめるとまたあわてた声。
「み、見るのやだ」
「な、おかしいだろ、おまえはさっき私をじろじろ見てた」
「うるさいうるさい、くちごたえすんな、トゥルーデのくせに」
「は、はあ?」
なんだそれは、くせにって、つまり私は、おまえには口ごたえもしちゃいけない人間なのか。理不尽な言い分に反論が
うかんだが、その一瞬後にはてのひらの感触を思いだして息をのむ。やわらかくあたたかくて、そのなかにぴんとかたく
なっているところがあった。てのひらをおしかえすその感覚にかあっと頭のなかが沸騰する。フラウはちいさいからここも
こんなにちいさくて、だけど、こんなふうに気持ちよくなれるところ。ぎゅっと手の平たいところでおしつぶすと、フラウが息
をのむ。
「んっ、ん」
くぐもったこらえた声、目は見えないけれど、耳はばかみたいにさえていた。指のさきでこすると、今度こそあっと高い
声がなる。両方をおなじように、ひっかくように刺激した。そのたび、私の視界をさえぎるてのひらがふるえた。
「トゥル、デ、あ、まって、まってよ。…っん、も、やっ」
いつのまにかフラウのてのひらは私の後ろ頭のほうに移動していて、くしゃと髪をつかんでいた。ふたつに結いっぱなし
だったリボンがぱらととける。もういやだと首をふって、指先を髪のあいだにからませてくる。ひらけた視界で、やっとフラウ
を見た。きゅっと目をとじて、唇をかんでいる。だめだ、そんなことしたら、血がでるじゃないか。自分がいじくっているせい
でフラウは血がでるようなあぶないことをしているのに、まるでそんなことはしらないように心配ごとをこころのなかでつぶ
やいた。だから行為はやめられないまま、それでも唇をかむのをやめさせたくて無意識に唇にくちづける。なめて、力の
こもるそこを解放したかった。するとフラウは腕を首にまわして私をだきよせてきて、その拍子にバランスが崩れてベッド
にふたりしてたおれこむ。フラウがしたになって、おしつぶさないようにあわててシーツに手をついた。キスしていたのが
離れて、だけどすぐにまたひきよせられてかさなる。衝動的に舌をさしいれれば、熱くてしかたがなかった。
「……あっ」
ふと、胸からはなれた手持ち無沙汰なてのひらを横腹のあたりにはわせると、びくとフラウがふるえ、私自身もぎくりと
した。そうだった、まだふれていないところがしたのほうにあって、そして私は、そこにふれたかった。
「ふ、フラウ」
名を呼ぶと、フラウがはずかしそうに眉をよせた。フラウ。ふるえるのどでまぬけになんども呼びかけて、ほほにふれる
とそれに手がかさなってくる。どうしよう、いいんだろうか、さわっても。どきどきしながら、おなかのあたりにあった手を
したにすべらせ、ふとももにふれた。途端、あっとフラウが声をあげる。
「や、やだ」
反射的な拒絶。私は思わずはねるように手をうかせて、いやだと言った顔を見た。するとフラウははっとしたように
口元をおさえ視線をおよがせて、もうなにも言わない。いやか、と必死な声でたずねても、フラウは口をひらかなかった。
どうしよう、ああそうか、いやならやめればいい、簡単なことじゃないか。そう思いつくのに、この口は全然ちがうことを
言いはじめた。
「あの、その。もしいやになったらえっと、途中でやめるから。なんなら、なぐってくれてもかまわない、だから……なあ、
フラウ」
格好悪いにもほどがある口説き文句で、私は必死にフラウの許しを請うた。私から視線をはずしっぱなしの目下の子
に懇願する目ですがって、フラウがうなずいてくれることを待ちわびた。が、それよりもさきにぐいと肩をおされてぎょっと
した。
「え、あ」
「もういやだ」
されるがままばっと身をはなすと、拒絶の行動のつぎには拒絶のことば。一瞬呆気にとられた後、血の気がひいた。
もういやだ、いまフラウはそう言った。あまりの衝撃に瞬きひとつできずにかたまっていると、フラウはまるですねた動き
のてのひらで自分の両目を覆った。
「なんで、どれもこれもわたしに決めさせたがるの、服だって、わたしのぬぎたいとこまでって、まるでわたしがぬぎたい
みたいじゃないか、いまだって、し、したいならすればいいのに、なんでわたしがしてって言わなきゃなんないの。なんで、
全部言わないとわかんないんだよ」
つづくことばに、私はなにも反論できない。ち、ちがう、それは全部、フラウの意見を尊重しようと思って。言いわけは
うかぶのに、口が全然まわらないのだ。そのあいだもフラウはトゥルーデはばかだ変態だと罵声をしたからとばしてきて、
私はそれを甘んじて受けるほかない。
「もういや、トゥルーデってなんでそんなに頭悪いの?」
そして最後のしめには大層に失礼なことを言われた気がしたが、そんなことはまったくどうでもいいことだった。なぜか
と言えば、顔を覆う指先のあいだからしずくがこぼれてきたから。つまり、フラウがさめざめと泣きはじめてしまったから。
「え、あ、わわ」
おおあわてで親指でそれをぬぐう。だけどやさしくする余裕なんてあるはずないみたいで、乱暴な手つきでなんどもほほ
をなでた。ごめん、といったいなにに対する謝罪かもわからないまま繰り返し、そのたびフラウはしゃくりあげていた。
「えっと、ごめん。なかないで、たのむから」
「…いてないよ」
ばればれのうそに、そうだな泣いてないよな、と思わずうなずく。するとそのうちに冷静さをとりもどしてきたのか、フラウ
がぺちんと自分の顔にくっついている私の手をはらって今度はばしばしと私の頭をはたきはじめた。それはいつもどおり
の甘えたがりのこどもの手つきで、ほっとする。
「なんで謝ってるの?」
「……へんなことしたのおこったのかと思って」
「へんなことなんてしてないじゃん、なにもしてないよ」
「で、でも」
「なんだよ、わたしはいやだなんて言ってないじゃないか、……いや、ゆったかもしれないけど、でもそんなの、ほんとじゃ
ないに決まってるのに。……もうやだ、なんでこんなこと言わなきゃなんないの?」
ばしん、とおおきな音をたててひと際強い衝撃が額にぶつかる。やわらかいフラウのてのひら、ちょっと痛かったけど、
全然痛くなかった。やばいと思う、どうやら私は、本当に頭が悪いみたいだった。だって、ひとのことを遠慮なくはたき
まくるようなやつが、こんなにかわいい。真っ赤な顔をしてすねたようすでごしごしとまだしめっている目を擦るフラウが
驚くほどかわいくて、思わずごくりとつばをのんでしまうほど。目元を覆っている両手のうちの片方の手首をとって、私の
急な行動にぎょっとしているフラウの瞼に唇をおしつける。わ、とフラウは声をあげて、つかまれていないほうの手で私
のほほをおしかえそうとした。
「いやだ、くすぐったい」
たわむれ程度の力が私をおしやろうとしながらいやだと言うけど、これはほんとのいやではないのだろうか。さっきフラウ
はそう言って、だけど残念ながら私には本当かうそかの判別なんてできそうにない。だから都合のいいようにとることに
した。瞼だけじゃなくてあったかいほほにもキスをして、額にも鼻のてっぺんにも唇をすべらせた。そうしているうちに
いつのまにかフラウの両のてのひらが私のほほにはっていて、ひきよせられて鼻の頭に自分のそれをすりつけてくる。
やわらかいしぐさ、私はまたどきどきして、今度は唇に唇をかさねた。
「…ふ、フラウ、…」
ぼんやりとした思考で、目下の子に呼びかける。その子はてれくさそうな表情で、そのくせトゥルーデへんな顔してるよ、
なんて軽口をたたく。それはきっとそうにちがいない。私はたぶんいま、とてつもなく情けない表情をしているにちがいない
のだ。フラウ、と必死になまえを呼んで、てのひらをわき腹にはわせた。私のほほにふれるてのひらがびくとふるえて、私
もふっと息をのむ。どうしたらいいのかわからない、やめたほうがいいのだろうか。まったくまとまらない結論を急ぐが、
そうしているうちにもてのひらは勝手にしたのほうへと動いていく。泣きそうな目元がふるえている、どうしよう、どうしよう。
あせる思考とは裏腹に、確実に私の手は目的地を理解していた。へそのとなりをすりぬけて、ついにはフラウを守って
いる唯一の布きれに指先がふれる。
「…あ」
それだけでフラウはちいさな悲鳴をあげて、ぎゅっと目をとじた。どくどくと心臓がなっていて、のどがかわいてしかたが
ない。もうだめだった、本当はやめたほうがいいのかもしれない、だけど、もうそんなことはどうでもよかった。一気に
てのひらを侵入させて、熱いそこに指先をすべらせた。
「ふあ、あ、あっ」
高い声、フラウの声。甘ったるい。普段から甘えた声をだすのが得意なはずのフラウ、だけどこれはそんなのとは全然
ちがった。頭の芯がゆられるように、鼓膜からとどくそれは私の意識を朦朧とさせる。もっとききたくて、一所懸命指を
動かした。そのたびフラウは目じりに力をこめて頭をふって、おさない顔とはつりあわない、私の全然しらない声をあげた。
「いや、もうっ、あん、あっ…」
フラウのつめが、私のほほにくいこんでくる。ああ、こら、またつめを長くして。ちゃんと切れっていつも言ってるだろう。
呆然と説教がうかぶが、一瞬後にはとんでいく。私のしたでフラウは全身をふるえさせて、真っ赤な顔がまたぬれている
のだ。泣いてる、そう思った途端に、名を呼ばれた。トゥルーデ。馴れ親しんだ発音。フラウが私を呼んだ。それは完全
なとどめだった、私はついにはなけなしの理性すらも奪われて、夢中に必死に、フラウを感じることしか考えられなくなる。
「トゥル、デ、あっ、トゥルーデ、ねえ、トゥルーデっ…」
「うん、フラウ、っフラウ……」
我をわすれた動きで指を動かせば、フラウもそのたびかわいらしい声と表情で私をめちゃくちゃにした。たくさんなまえ
を呼ばれて、だけどそれでも足りなくてもっと呼んでほしくて、私もなんども呼びかけた。情けないへんな顔で、自分こそ
甘えた声がこぼれだす。いつのまにかフラウは首に両腕をまわして私を抱きよせていた。限界が近いのか、すがるしぐさ
が一所懸命でかわいくて、私もまるでおいつめられていく。甘い息と声を耳のすぐそばに感じながら、私は無意識にフラウ
がより高い声をだしたかすかな突起を刺激する。
「あっ、だめ、あっ、……っ」
最後のほうは、もう声にもなっていなかった。腕も足も全部をこわばらせて、フラウは息をのむ。そのようすを全身で
感じていると、つぎには苦しそうな、そのくせ満足したような息づかいをふるえさせながら、フラウは私をやわらかく抱き
しめた。甘えるようにほほにほほを寄せて、首にまわった両腕が私を拘束して離さない。おかしい、甘えているのはフラウ
なのに、まるで自分こそ甘やかされているような気分になった。密着するからだに心底安心している己がまぬけでしかた
がないと思うのだ。でもそんなのしょうがない、だってフラウの肌はどこもかしこも、こんなに気持ちいいんだ。
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なにか言わなくちゃ、と思うが、まったくことばがうかばないのでおとなしくただフラウを抱きしめていた。
おわってしばらくしてからズボンのなかが気持ち悪いとぽつりと言ったものだからあわててぬがせてやろうかとしたら、
もう平手ではあきたらなかったらしいフラウにグーで頭をなぐられた。おかしい、こいつはこんなに暴力的だったろうか。
それとも、そうならざるを得ないほど私が無神経なのか。結局もぞもぞと自分でズボンをぬいでいるフラウの横でついで
とばかりに私もそれをぬぎすてていると、ベッドのしたの惨状が目にはいる。ふたりぶんの衣服がめちゃくちゃにちら
ばって、なんともおちつかない情景。気になってしかたのないはずのそのようすが、だけどいまはどうでもよかった。
だって急に、さっきまでおこっていたはずのフラウが私の腕のなかにすりよってきたから。
そしてまあさっき述べたように、ベッドのなかでフラウをただ抱きしめて、私は必死にことばをさがすこととなったのだ。
謝るのはちがう、たぶん。ちゃんと気持ちよかったか、これはかなり切実に気になったがきいたらたぶんまたなぐられる。
あいしてるよフラウ、……だめだだめだ、唐突すぎる。
「ねえねえ」
そもそもそんな歯のうくような台詞は正解不正解以前に言えるわけがない。まぬけなほどに真剣に思考をめぐらして
いると腕のなかから唐突な呼びかけ。ぎくりとして、思わずはいと裏返った声で返事をしたら笑われた。はいだって、
トゥルーデばかだ。おかしそうなこどもの笑い声。ばかだと言われたのに、普段どおりのそのようすにほっとした。して
いると、おもむろにあごがつかまれてぎょっとする。
「うわ、なんだよ」
「した」
「した?」
「舌だよ。したー」
べえ、とフラウは舌をだして、思わずつられて同じしぐさをすると、フラウは奇妙に真面目な顔で私のそれを観察した。
急になんだ。たずねたいのに舌をだしたままじゃしゃべれない。おとなしくしたいようにさせてやっていると、フラウが
ふうんと鼻をならす。
「トゥルーデって舌ながい?」
「は? ……さあ、どうかな。ひととくらべたこともないから。でも、たぶんおまえよりはながいよ」
もういいらしいから舌をひっこめて返事をすると、だよねえ、とフラウはうなずいた。わたしさあ、きいたことあるんだけど。
「舌ながいひとってキスうまいんだって。あれうそだね」
「……ど、どういう意味だ」
フラウの言いたいことは残念ながらわかったが、ついたずねかえすと楽しげに笑われるだけの結果におわった。いや、
わかっていたことじゃないか、どうせ私は、う、うまくない。あれもこれも、全然うまくやれないことなんて、わかっていたこと
じゃないか。当然の結論にそれでも傷ついていると、またフラウの声がした。あのね。きょうのこいつは、よくしゃべる。
「さっき、へんな顔って言ったでしょ」
「……ああ」
それはきっと、最中のことだ。あんまり必死だった私は、さぞひどい顔をしていただろう。なんだよ、わざわざむしかえさ
なくてもいいじゃないか。どんどんと情けなくなる。どうしよう、私はどうやら、いいところなんてひとつもないみたいなのだ。
だから、ごめんねあれうそなんだ、というフラウのらしからぬ控えめな声は、全然ぴんとこなかった。
「あのね、わたしのこと呼ぶトゥルーデが、トゥルーデのくせにすごくかわいかったから、うそついちゃった」
ごめんね。きゅっと首元に抱きつきながら、フラウが不可解なことを言う。かわいいだって、だれが。そんなの、かわいい
のなんて、おまえにきまってるじゃないか。あんなふうに真っ赤になってふるえて、それだけじゃない、ひとのことをばかに
して大笑いしてるときだって、急におこってすねるときだって、おまえはいつもかわいくてしかたがないじゃないか。ああ
そうだと思う。言ってやらなくちゃいけないことが見つかった。常々思ってるのに、全然つたえられないこと。抱きしめ
かえして、急な私のしぐさにぴくとふるえたフラウの耳元に一所懸命唇をよせる。
「…、か、かわいいのはおまえだ。かわいい、フラウ」
だめだ、やっぱり私は最後まで決まらない。上擦った声でつっかえて、それなのにフラウはふふと笑って甘えたしぐさで
私の首筋に額をすりつけてくれる。どうしよう、だめだ、一生敵う気がしないんだ。
「そうか、わたしはかわいいのか」
「……うん」
「ねえ、またしたい?」
「……、う、うん」
「へへへ、そっかそっか」
じゃあね、わたしがしたくなったらまたしようね。上機嫌なつぶやき、それはどうやらおやすみのかわりだったらしい。
うん、と反射的に三度目の同じ返事をしようとしたところで、ぱたんとフラウは私の腕をまくらにした。首にまきついていた
拘束がとかれて、さっさと目をとじてすやすやとはやくも寝息をたてるフラウ。私は呆然と見おろして、ぱちぱちと瞬きを
する。なんだって、フラウはいまなんて言った。またって、そう言った。まさかの次回を示唆されて、私は唐突に先程まで
のあれこれを思いだしてしまう。うわあ、ばかだ。フラウはもう寝ているのに、私はひとりで興奮した、だってかわいい
フラウが腕のなかで寝ているんだ、きのうまでしらなかったフラウをまた見る方法を、私はしってしまったんだ、……。
ちなみにその日は結局一睡もできず、しかもフラウがしたくなったらということは私がしたくなってもしないのかもしれ
ないということに私が気づけたのは、明け方ごろになってやっとだったそうだ。
おわり