無題


 祖国を侵略によって失い、奪還を夢見て異国の地にて仲間と共に奮闘を続ける一人の少女がおりました。
少女はただひたすらに夢の実現のため研鑽を重ね、年にそぐわぬ戦いに身を浸し、傷つき、疲れ、しかし友
に支えられ、少しずつ成長していきました。
 少女はやがて恋をします。相手は戦女神の顕現のような美しい一人の乙女でした。道に迷い、胸を焦がし、
恋に破れてなお、その乙女の笑顔と己の夢を心の支えに、少女は戦いを続けておりました。
 しばらくして、少女は再び恋をします。先の乙女とは姿においても心においても、似ても似つかぬ相手で
ありましたが、先の乙女と同じくらい、いえそれ以上に、少女は彼女を愛しておりました。
 これは、その少女の、ほんの少し変わった恋のお話です。


「ペリーヌさんの、ばかあぁぁぁぁーーーー!」
 連合軍第501統合戦闘航空団の本拠地である小島に、リーネの叫び声がこだました。直後、基地食堂の扉
が引きちぎれんばかりに開け放たれ、リーネが弾丸のように走り去っていった。芳佳はおろおろし、美緒は
きょとんとし、カールスラント組は一様に「またやったよ」という顔をし、リベリアン・ロマーニャ連合は
聞こえなかった振りをし、スオムス・オラーシャ合同夜間哨戒班は安らかに眠っていた。罵声の矛先となっ
たガリア淑女はやはり何もわかっていない顔で呆然と食堂の椅子に腰を下ろしたまま動けず、基地配属の整
備兵たちは何時間で事が治まるか賭を始めた。
「この場合、引き金は誰かしらね」
 うんざりといった感じでミーナが言う。その隣に腰掛けたバルクホルンが、
「引き金は宮藤、撃鉄は坂本少佐、弾頭はリーネで、」
「引き金を引いたのはペリーヌだね」
 エーリカがだらしなく机の上に伸びながら言った。ミーナがひとつ溜息をつく。
「ええと…どういうことでしょう?」
 なんだかよくわからないが自分が原因の一端らしい、ということだけ把握した芳佳が尋ねる。
「うん、つまりだ。宮藤がこの…オジヤだかオカユだかいう扶桑菓子を」
「オハギだよトゥルーデ。オしか合ってないよ」
「う、そうか…。オハギをひとつ余分に作ったのが、そもそもの発端だな」
「ええぇぇぇっ!?」
 芳佳は素っ頓狂な声をあげたが、美緒はある程度得心がいったようで、ばつの悪そうな表情で頬を掻いた。
「なるほどな、私は少しばかり余計なことをしたようだ」
「誰が悪いって訳じゃないのがまた厄介だよねー。宮藤はおやつ作っただけ、少佐は親切心、強いて言うな
らペリーヌの鈍感っぷりが悪いといえば悪いけど、上官から勧められたら断れないよねえ」
 我関せずを決めこんでいたシャーリーが口を挟む。その膝に乗っておはぎをぱくついていたルッキーニが、
口の周りをあんこでべたべたにしながらにゃははーと笑った。
「む、面目ない…。どうも私はそういう事柄に関してはいまいち気が利かなくてな…」
 美緒がちらりと横目で、自分の想い人を見やる。
「ともあれ! ペリーヌさん、いつまでも呆けてないで早く追いかけなさい。彼女は、…その、あなたの、」
 ミーナが場を仕切り直すように大きな声を出した。やや頬が赤いのは、何故からか。無理矢理スルーされ
た美緒がすこししょんぼりしているのを、エーリカがにやにやしながら愉しんでいた。
「…恋人でしょう?」

 弾かれたようにペリーヌが立ち上がった。シャーリーの口笛を背に受けながら、先ほどのリーネ以上の速
度で食堂を駆け抜け、半ば体当たりしながら扉を跳ね開けて走り去っていく。遠くでなじみの事務官の悲鳴
が聞こえ、跳ね返ったドアが閉まる音にかき消された。ミーナが三度溜息をつく。
「弾丸がリーネなら、嫉妬心が火薬ってところだね。訓練ん時じゃ見たこと無い速さだったよー、あのダッ
シュ」
「なかなか詩的じゃないか、リベリアン。お前にも詩を解する心があったんだな」
「まーぁねー。カールスラントの堅物よりは恋する乙女してるつもりよん」
「トゥルーデも結構恋する乙女だよ?」
「エーリカ! 余計なことを言うな!」
 まあこれでなんとか片づいただろう、という安堵の雰囲気が食堂を漂う。あの二人がつき合いだしてから、
このようなやりとりは日常茶飯事だったのだ。だいたいリーネがやきもちをやいて、ペリーヌがそれをな
だめ、最後は二人仲良く手をつないで帰ってくるところをシャーリーやルッキーニに冷やかされ、ミーナや
美緒が仕切り直すというのが定例であった。整備兵たちの賭の種になるのもむべなるかな。
「炸薬が嫉妬心なら、薬莢は何だろうな? 嫉妬心を包み隠し、しかし弾丸の射出を手助けする重要な部分
だが」
「ほら、そりゃあアレでしょ少佐」
 美緒の問いかけにシャーリーが乗り、
「「愛だね、愛」」
 ルッキーニとエーリカが同時に答え、それぞれの恋人にウィンクした。バルクホルンはあっさりと顔面を
真っ赤にさせ、シャーリーはルッキーニをぎゅっと抱きしめてほおずりした。ついにミーナは頭をかかえて
突っ伏した。
(部隊長としては、この甘々した流れは律するべきなのかしら…)
 傍らに立つ美緒を見上げる。目が合って、困ったように微笑まれる。あわてて熱くなった頬を隠すように
俯く。
 ミーナだって恋しているから、わかる。答えはすでに決まっているということを。

「はっ、はんぶんこ! はんぶんこしましたね!? 坂本少佐と!」
 リーネの自室の扉の前で、ペリーヌは途方に暮れていた。なんとかリーネを探し当てたはいいが、自室に
引き籠もって出てきてくれない。美緒とペリーヌでおはぎを半分こしたことに相当なショックを受けている
らしい。会話をしてくれるだけまだ仲直りの芽はあるが、先ほどからはんぶんこはんぶんこと呪詛のように
繰り返すだけで話が先に進まない。時折差し挟まれる、リーネが嗚咽をかみ殺している静寂がペリーヌの胸
をちくちくと突き刺す。
「リーネさんお願い聞いて。別にあれは貴方が気を病むような事じゃなくて…」
「病みますっ!」
 矢のような返事が返ってくる。昔までのペリーヌなら、とうに癇癪を起こして、見限るなりドアを破壊す
るなりしていたはずだった。それをさせないのは、やはり自分に負い目があるからだと思う。言い訳の出来
ない無意識の奥深くで、自分は喜んでいた。憧れの人に目を掛けてもらえた、優しくしてくれた、自分はこ
の人にとってやはり特別な存在なのではないか…そういう想いが動いたことが、ペリーヌにはどうしても否
定できなかった。
「でも。いま、愛しているのは、貴方だけなの」
 額を扉に押しつけて、ペリーヌはぽつりともらした。この気持ちにも偽りはない。リーネに対する「好き」
と、美緒に対する「好き」が、ようやく分かたれつつあるのを、ペリーヌははっきりと感じ取っていた。
言葉にするとどちらも「好き」になってしまうが、芯はまったく違う。伝えたくても伝えられない想いがわ
だかまり、くやしさに歯がみする。
「ねえ、リーネさん。どうしたらわたくしの気持ちをわかってもらえるかしら。いくつ言葉を重ねればわた
くしの想いは届くかしら。わたくしは貴方さえいれば、」
 しかし、その次の言葉が口から出てこない。ペリーヌの根幹たる、貴族として与えられた教育が、矜持が、
誇りが、上っ面だけの愛の言葉でこの場を煙に巻くことを許さないでいた。
 リーネさえいればいいなんて嘘だ。これは、そんなに簡単に割り切れるような問題ではないのだ。もちろ
んリーネは失いたくない。だが、例えば501のみんなを、自分の悲願を、ひいては世界を、自分の愛した
人と天秤に載せるようなことはできない。これは映画や小説ではないのだ。愛をささやいて全てが収まると
思ったら大間違いだ。ほんの一片の嘘という薬を飲んで誰かにうそを付くのなら、家に火を放ってでも結婚
を認めさせる、強烈な力を持ったジュリエットになろうと決心した。ロミオは耳を塞いで縮こまっている。
ならば。
 ペリーヌは拳を作り、大きく振りかぶって、愛する人に届くように、扉を殴りつけた。

「リーネさんッ、いつまでメソメソしているの! 仮にもわたくしの恋人たるものが、つまらないことで悩
まないで!」
 うわぁぁぁぁぁなんかやっちゃった、とだれもが小声で悲鳴を上げた。なにこれ、逆ギレ? と誰かがさ
さやいた。わからん、様子を見るぞ、と誰かが促した。
「わたくしには夢があります。ガリアを取り戻し、クロステルマン家を復興させ、あまねく領民に幸福を与
える夢です。きっと平坦な道ではないでしょう。しかし、わたくしは必ずやり遂げます。ネウロイを撃退し、
一刻も早くガリアを解放しなければなりません。そのときに隣にいるべき貴方が、いつまでもこんな所で
膝をかかえて丸くなっていないでッ! わたくしを愛し、わたくしに愛されたいなら、その一生全てをかけ
てついてらっしゃい!」
 なんかすごいねペリーヌ、と誰かが言った。返事は誰からもなかった。
「確かにわたくしは坂本少佐が好きでした。否定しません。さきほどの食堂でも嬉しかった。命を預けるに
相応しい方だと思うわ。けれどッ!」
 どん、と再び扉が悲鳴を上げる。
「あの人の隣にいるべきはわたくしではなく、わたくしの隣にいるべきは貴方でしょうッ、まだそれがわか
らないの!?」
 凄烈な愛の告白だった。ギャラリーは既に言葉もなく押し黙り、事の成り行きを見守っていた。
「…あの、」
 扉のすぐ近くから、おずおずとした声が漏れ出てきた。
「一生かけて、ついていって、いいん、でしょうか」
「わたくしがそう言いましたッ!」
 リーネのときおりしゃくり上げる声。
「私、体力、あまりなくて、げんきなときはいいですけど、病気になったりしたら、」
「負ぶってでも連れて行きます!」
「あんまり、お金とかも、もってませんけど、」
「必要ありません!」
「嬉しいときは、分かち合って、」
「当たり前です!」
「悲しいときは、」
「わたくしの胸を貸して差し上げます!」
「いの、ち、」
 ついにリーネの声が止まった。しかし、
「命ある限り、ついてきなさい!」

 ドアが弾けるように開かれ、涙でぐしゃぐしゃになったリーネが飛び出てきた。ペリーヌはそれを支えき
れず廊下に押し倒される。ペリーヌに覆い被さって泣きじゃくるリーネの髪を撫で、背中を優しく叩く。
「ペリっ、ヌ、さっ、ごっ、めんっ、あうっ、ふあぁぁぁっ」
「いいのよ、リーネ。わたくしも悪かったのだから。ごめんなさいね」
「うあああああぁぁぁぁぁ………」
 リーネが泣きやむまで、ペリーヌはその髪に頬を埋め、ずっと抱きしめていた。
 その周りには、いつの間にか、抱き合う二人の外に誰もいなくなっていた。

「大変お騒がせをいたしました」
 まだ目元の赤いリーネと、いつもと変わらぬ様子のペリーヌがぺこりと頭を下げる。見守る7人の目が、
どことなく優しい。
「雨降って地固まる、というやつだな」
「大雨だったねえ」
 バルクホルンとエーリカがまず感想を述べた。リーネは真っ赤になって俯いてしまう。よくよく見ると、
リーネとペリーヌの手はずっとつながれたままだ。それに真っ先に冷やかしを入れるはずの二人は、
「いやー…やるねえ、ペリーヌ」
「びっくりした」
 ペリーヌの行動に感心したように、しかし口元はにやにやしている。
「とりあえずおめでとう、かな、ペリーヌ」
「リーネちゃんおめでとう!」
 美緒と芳佳が口々に祝福の言葉を述べる。向けられた二人は、ありがとうございます、と答えるだけにと
どまった。やっぱりまだ恥ずかしいらしい。
「まあ、収まるべくして収まるべき所に収まったってところかしら…」
 お願いだからこういう騒ぎはこれっきりにしてね、と釘を刺すのは忘れないミーナ。恐縮する二人に美緒
が、
「いや、しかし目出度いじゃないか! 式はどっちで挙げるんだ?」
 もじもじしながら、それはまだ決めてなくて、とはにかむリーネと対照的に、ペリーヌはぽかんとした様
子で、
「はぃ? 式ですか?」
「いや、お前達、結婚するんだろう? そういう意味じゃなかったのか、あの言葉は」
「ふぇぇ!?」
 空気の読めない美緒は、なおも言葉を続ける。
「気づいてなかったのか!? ペリーヌの言葉、健やかなるときも病めるときも、っていう意味だろう? 
ち、違ったのか!?」
「お、おほほほ、もちろんですわ…あ、嫌、リーネ、そんなに強く手を握らないで、いた、いたいいたいい
たたたたたーーーーー!」
 ペリーヌの悲鳴が、場の全員には、地雷の爆音に聞こえたという。


「ぺ、ペリーヌさんの、……ばかああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 そのときの様子を、ゲルトルート・バルクホルン大尉は、後に「周囲の温度が5度下がって、20度上が
った」と表現した。エーリカ・ハルトマン中尉はあろうことかバルクホルン機を盾にするという暴挙に及び、
シャーロット・E・イェーガー大尉並びにフランチェスカ・ルッキーニ少尉はこの時点で戦線を離脱。ミ
ーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐は先任士官の責任感からか戦線離脱こそしなかったものの、真っ先に
食堂のテーブルの下に避難した。坂本美緒少佐は、自ら地雷を踏んだ責を負い、なおも爆心地に吶喊、戦死
した。逃げ遅れた宮藤芳佳軍曹もそれに殉じた。戦死者3名を出した凄惨な戦争は、この事件を発端に約3
日にわたって断続的に続き、整備兵達の懐をある者は暖かく、ある者は冷たくさせたという。


 なお、余談であるが、このころからペリーヌとリーネの左手の薬指に、鈍い光を放つ銀の指輪が飾られる
ことになる。


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