第24手 キス・ふとももに
ルッキーニがドタバタ走って食堂に入ってきた。
朝から騒がしいヤツダナ。
いや、朝というにはもう結構遅いんダケド。
サーニャにつき合っていっしょに寝てたせいで、すっかり朝食の時間は過ぎてしまっていた。
そんなわけで、私とサーニャはみんなとは別に、遅い朝食を取っているところだった。
つまり、食堂には私たちふたりっきり。
なのに……なんダヨ、コイツ。
私は冷たい視線でルッキーニの方を見た。
ルッキーニはドアをバタンと閉め、背中をドアにピタッと添わせている。
神経を食堂の外、駆けこんできた方に向けているように見える。
誰かに追われてるのカ?
私はそう、ルッキーニに訊こうとした。
「ルッキーニちゃん、おはよう」
けど、それより前にサーニャがそう言って、それで口から出そうとしてた言葉は呑みこまれてしまった。
私は少し、戸惑ってしまった。
「おはよ、サーニャ、エイラ」
と、息を切らせたルッキーニ。
もう“おはよう”じゃなくて“おそよう”な時間ダケドナ。
「どうかしたの?」
サーニャがそう訊くと、ルッキーニはビクッと体を震わせた。
サーニャの言葉で、じゃない。
そうじゃなくて、向こうからドタバタとまた足音が聞こえてくる。おそらくそのためだ。
やっぱり追われてるらしい。
「ゴメン」
ルッキーニはそう言って私たちの方によってくると、テーブルの下にもぐりこんだ。
そうして私たちのすぐ足元までやってきて、身をひそめた。
「ルッキーニを見なかったか!?」
そのすぐあと、力強く開けられたドアから開口一番にバルクホルン大尉は言った。
大尉の全身は水でずぶ濡れだった。
きっと、ルッキーニのイタズラにでも引っかかったんダナ。
私はチラリ一瞬だけ、テーブルの下に視線を落とした。
ルッキーニは鼻先に人差し指1本立ててシーッとしている。
まあ、私もイタズラは好きだし、コイツとは趣味の方向性も似てるし……
ここは黙っててやってもイイカナ――と、普段なら思ったかもナ。
ケド。
……オイ、ルッキーニ。
オマエ、ずいぶん近くないカ? サーニャの足と。
ナニそんなにひっついちゃってんダヨ!?
「ルッキーニなら――」
ここにいるゾ、とチクろうとした声が、そのなかばで止まった。
ふとももをぎゅっとつねられたからだ――私の隣に座る、サーニャに。
私は顔をサーニャに向けた。
サーニャも私を見る。その顔はちょっと怒っている。
言っちゃダメ。目だけでサーニャはそう告げた。
……なにするんダヨ、サーニャ。
これじゃ、私やサーニャまで共犯みたいになるじゃないカ。
「どうかしたのか?」
私たちのつくってしまった不自然な間に、大尉はそう訊ねかけてくる。
「いや、えっと……ルッキーニになにかされたのカ?」
なんとか私はそう言って、話をそらす。
「床に写真が落ちてるから拾おうとしたら、上から水が降ってきた」
と、大尉は憮然と答えた。
そういえば、大尉は水に濡れてへなへなになった写真を手にしている。いったいなんの写真ダロ?
「お前たち、なにをにやけてるんだ」
私がニヤついていると、大尉は不機嫌に言ってきた。
私は顔をまたサーニャに向けた。サーニャもそういう顔をしている。
だって思うヨナ。まさかそんなベタなトラップに引っかかるなんて、って。
それにしてもバルクホルン大尉って、こんな人だっけナ。
前はとにかく生真面目で、隙がなくて、イタズラしてもあわててくれないツマンナイ人だったけど、
最近はちょっとカドが取れてきて、その中途に堅物っぷりが逆に面白い。
私は今のバルクホルン大尉の方がずっと好きだ。
いつからだろう? 大尉がそういうふうになったのは。
少し考えてふと、私はそのことに気づいた。
そうだ、それはアイツが来てから――
それに、この人だけじゃない。
サーニャだってそうだ。
さっきだって気さくにルッキーニに挨拶して、こうしてルッキーニが隠れるのに協力してやって。
前はこんな積極的に、私以外の人と打ちとけてつき合うなんてなかったヨナ。
アイツが来てから、少しずつだけど変わっていってる。サーニャも、バルクホルン大尉も。
きっとそれは、いい方に向けて。
じゃあ私はどうなんダロ?
ふと、そんなことが頭に浮かんだ。
私だって変わってるのカナ? 自分のことだしよくわからないナ。
――でも、変わりたいと思う。
そういう気持ちが、私のなかにある。
いや、“変わりたい”じゃなくて、“変わらなきゃ”ナ。いい方に向けて。
本当はずっと気にしていた。
気にしていたけど、改めようとか思わなかった。
私はサーニャが誰か他の子と仲良くしたりするのを見ると、それをつい邪魔してしまう。
私だけのサーニャでいてほしいという気持ち。独占欲。
そういうところが、私にはある。
でも、私のそういう気持ちが、サーニャのみんなと仲良くしたいって思いを邪魔しちゃってたんだ。
ホント、ヤなヤツダヨナ私って。
サーニャのためならなんだってしてあげたいとか思ってるのに。
サーニャのことが大好きなのに。
この気持ちをすっかりなくしてしまうなんてムリだし、なりたくもない。
でも、ほんの少しくらい変わらなきゃナ。いい方に向けて。
「そんなことより、ルッキーニを知らないか?」
と、大尉が訊いてくるので、私は肩をすくめて、そう言った。
「ルッキーニだったら、向こうの方に走ってくのを見たナ」
そうしてまた、バルクホルン大尉は走っていってしまった。私が言った方に。
ホント、朝から騒がしいヨナ。
いや、朝と言うにはもう遅いんダケド。
「もう行っちゃったみたい」
サーニャは小声で、足元のルッキーニに告げてあげた。
ひとまずホッとするルッキーニ。
「じゃ、あたし行くね」
ルッキーニはテーブルの下から出てこようと体を動かす。
大尉の走っていった反対方向に逃げれば、そうそう見つかることはないだろう。
ルッキーニはもぞもぞとこっちに近づいてきて――
「Grazia、サーニャ」
ルッキーニはそう言うと、サーニャのふとももにチュッと軽くキスをした。
「ナ、ナニしてんダヨ!?」
私は咄嗟のことに声をあげた。
すると、ルッキーニはさらに――
「それにエイラも」
そう言って私のふとももにもキスをした。チュッと。
ズボン越しにルッキーニのやわらかい唇の感触。
それはさっき、サーニャにつねられた場所だった。
私の体は固まってしまう。
そんな私にかまうことなく、ルッキーニはテーブルの下から出てきて、そそくさと食堂をあとにした。
私は呆然としたまま、それを見送った。
ルッキーニのヤツ……
もし、サーニャも私もズボン越しにじゃなかったら、
首根っこひっつかまえて、バルクホルン大尉のとこにつき出してやったんだからナ。
アーア、やっぱり急には変われないナ――まあ、いいヨナ。少しずつで。
でも、少しずつでも、ちゃんと変わっていかなきゃナ。
私も、サーニャも、他のみんなも。
変わってかなきゃ。いい方に向けて。