サン・トロン1943 Chloe & Schnaufer


「釣り、ですか?」

 フライトの中止が告げられたミーティングの直後、その場でハイディを捕まえて声をかけた。

「ああ、趣味なんで出先ではいろいろ回ってるんだ。今夜の試験はどうやらなくなりそうなんで、折角だから一緒にどう?」
「あ、はい。是非」
「よし、決まりだ」

 是非、とは予想以上のいい返事だ。
 快活という表現にはまだまだ程遠いが、周りに確認する限りでは大分明るい表情を見せるようになったらしい。
 とはいってもそれはまだ私といる時だけのようなんで、それが嬉しいやら悲しいやら。

「どこまで行くんでしょう?」
「ハッセルトの北まで出ようと思ってる。スヘルデ河だったかな……本当はもっと南の方まで出たいところなんだけど、残念ながらガリアに近い所はネウロイの勢力下なんだよね」
「そうですね……早くネウロイを駆逐してクロエの好きな事がいっぱい出来たらうれしいです」

 君の好きな事は考えなくても良いのかい? 心の中で問う。
 でも、ここでその一言を口にしない分別が、大人の私にはあった。
 ここまでハイディの心に踏み込んでおきながら、その孤独、心の傷の大きさとそこからの反動からなのか、私に依存しすぎている事に気付いてしまったからだ。
 試験期間が終了すればここを離れてしまう私にこれ以上依存してしまっては、きっと独り立ちできなくなる。
 だからといって放っておく事もできなかった。彼女には支えが必要なんだ。
 それは大人になりきれない私の甘さだった。

「ねぇ、綾香……あなた、このままでいいの?」
「武子……」

 車両の使用許可を取るために訪ねた上司である武子に、そう問われた。
 主語の無いその問いかけが何を意味しているかなんて明白だった。

「あなたはうまくやってるわ。試験も円滑に進んでる。だから責任者としては文句のつけようもないの」
「…………」
「でも、仲間として友人として、あなたもあの子も見ていられない。このままじゃあの子を傷つけて終わるだけよ」
「ありがとう。解ってるよ、武子」
「大丈夫……なの?」

 上官としてではなく、本気で心配してくれている親友の貌が、そこにはあった。
 必要以上に近い間合いで喋る事、笑顔が私だけに向けられる事、無言のままにおやすみのキスをせがむ事。
 私とハイディが危険な距離にいるって、心配してくれてる。

「正直わかんないさ。大丈夫じゃないかもしれない。でも、お前だって私と同じ場所にいたら同じ事をしたんじゃないのか? もうちょっとやり方はスマートだったりするかもしれないけどさ」
「……だから、だから余計に気になるのよ。あの子、あなたに良く懐いてるわ。でも、それはあなたにだけなの、わかってる?」

 改めて思う。武子は、やっぱりすごい。
 私が悩んでる所とか、うまく言葉にしてくれる。
 同い年だって言うのに、私よりもずっと大人だ。
 多分、きっと、私がウィッチの力を引き摺ったまま中途半端でいるうちに、武子はずっと大人になってしまうんだろう。
 友として、仲間として、肩を並べる関係で居たい。
 でも同時に、そんな思い以上に私の心も体も空に捕らわれつづけている。ウィッチとして飛ぶことに。
 今にして思えばハイディのことにも踏み込むべきではなくて、ちゃんと関係を線引きした上で臨むべきだったんだって思う。
 そして考える。
 今わたしにやれる事はなんだろうか。 
 大人としてハイディにしてやれる事は無いだろうか?
 ひとつ思い出した事と思考が連結され、何気ない思いつきを口にする。

「なぁ武子、坂本とは連絡取れてるのか?」
「あ、ええ。制限はあるけど、一応ホットラインもつながるわよ」
「そいつはいい。一つ考えてた事があるんでちょっと相談したいんだ」
「わかったわ」
「内容は……」

 考えを話した。
 真面目な顔で聞いてくれた武子は笑顔で私のアイデアに乗ってくれた。


 基地の備品らしいフォルクスワーゲンを借り、ハッセルトへの街道を進む。
 夜道ではあるが、疎開が進んだ環境では広い街道に通りが少ないので快適に飛ばせる。
 ネウロイの侵攻がこの周辺にまで及んでいないのは、ガリアを源流とし南東方向から大きく回り込んで流れているスヘルデ河のお陰だろう。
 そんな自然の恩恵に感謝しつつもう一つの恩恵にあずかろうという魂胆だ。
 助手席のハイディは窓の外を見つめている。
 空から見下ろす風景とは一風変わった趣があるのかもしれないが、夜の闇を暗闇としか認識できない才無き身としてはただヘッドライトで照らされた世界を凝視し、運転に集中するだけだ。

「ねぇ、クロエ……今更なんだけど」
「なんだい?」
「釣り、ってどしたらいいの?」
「む、どう応えたらいいものやら……説明するのは難しいな……まぁ、道具は君の分も持ってきてるから教えながらやるとしよう」

 とはいえ、何も調べてないから愛用の釣具を適当に持ってきただけだったりするのでそもそもまともな釣りになる保障は無い。
 現地の人間に聞くにしても、ブリタニア語やカールスラント語くらいならともかくこっちの言葉はよく解らんからなぁ。
 それ以前に、そもそも灯火管制された環境で真夜中に人と出会うとも思えない。
 思えば無謀な真似をしたもんだ。
 まぁ、余り俯角考えず、釣り糸を垂らすだけの真夜中のピクニックと割り切って楽しむか。

 ハッセルト市街を抜け、スヘルデ河に到着。
 河といっても、内陸の割にはかなり広い。
 つくづく思うのだが扶桑の河と欧州の河ではそのスケールが違いすぎる。
 個人的な好みでいうと扶桑の河の方に軍配が上がるのではあるが、そこはそれ、折角なんだから普段味わえないものをじっくりと堪能させて貰おうとしよう。
 カールスラント製の揃いコートを着て車を出、凍える指先で針と糸を用意して、予め基地の近くで取得しておいた餌をつける。
 この時点でハイディはちょっと引いていたようだが、私にとっては見慣れた反応なんで極力そこに話題が向かないようにしながら彼女の分も準備。
 護岸工事された河縁に立って、まずは自分の釣り糸を垂らし、その後にハイディにも後ろから手伝って同じ様にさせる。 
 その、白といってもいい太陽の下では眩しいほどの銀髪、見慣れた場所。
 そんな白の向こうを臨む見慣れた風景、感じ慣れたまだ頼りない小さな背中の体温。

「これで、後はどうするの?」
「待つんだ」
「待つ?」
「そう、ただ待つんだ。魚が針にかかるまでただひたすらに」
「楽しいんですか?」

 前にも聞いたような質問。

「楽しいよ。語り始めたら止まらなくなるんじゃないかってくらい、楽しい」

 自然に漏れる笑顔での返答。
 ハイディにもそれ以上の言葉は要らなかったようで、少し嬉しそうな顔をすると水面へと視線を向けた。
 暫くは無言の時間。
 一人なら何て事の無い、むしろ心穏やかに竿の、ひいてはその先にある世界の感触を楽しむ時間。
 そんな時間だというのに、傍らに座り、白い息を吐きながら寒そうに肩を震わせるハイディが気になって、釣りを楽しむことなどできなかった。

「ハイディ、無理はしなくて言いよ。退屈だし、寒いだろ」
「寒いけど、退屈じゃないです。だって、クロエと同じ時間を過ごせてるから……クロエはこれが楽しいんでしょ。だったら私もこれを楽しいって思えるようになりたい」
「ハイディ……」

 私には辛うじて名前を呼ぶ事しかできなかった。
 本当に、いつからこんなに迄ハイディはわたしの事を慕うようになってしまったんだろう。

「ねぇ、クロエ……あなたは任務が終わったら、扶桑に帰っちゃうの?」

 またしばらくの沈黙のあと、ぽつりとクロエが呟く様に言った。

「ああ、残念ながら私は扶桑の軍人なんだ」
「あなたのこと、いっぱい調べた。あなたならきっとカールスラントでも色んな事できる……ううん、扶桑よりもカールスラントの方がもっと楽しいと思う」

 そう、きたか。

「すまない。そのつもりは無いんだ」
「もうすぐ試験期間も終わっちゃう……。わたし、クロエがいなくなったら寂しいよ……とても、寂しい」

 泣き笑いの表情。

「それは光栄だ。別れを惜しんでくれるなんて、友人としてはこれ以上の事は無いんじゃないかな」

 笑みを浮かべ応えるが、ハイディはうつむきながら搾り出すように言葉を続ける。

「茶化しちゃ、イヤ」
「そんなつもりはないんだが……」
「キスは……扶桑のキスは特別な人とだけするって……。クロエにとってわたしは、特別なんじゃなかったの?」
「そ、それは……」

 決して言葉を荒げるでなく、ただ泣きそうな声で訴えてくるハイディ。
 言えなかった。
 ただ、欧州での風習にあわせたものだったなんて。
 君が寂しそうだったから何かをしたかったなんて。
 大人として、先達として、踏み込んだ責任を取らなければいけなかった。
 でも、私は何もできず、ハイディを見つめ返すだけだった。
 その赤い瞳は、暗闇の中で悲しげに揺れて、ただ時間と私の心を飲み込んでいった。
 やがて、長い沈黙を破ったのはハイディだった。

「寒いから、車の中で待ってます」

 それだけ言って、釣竿を私へと返し車の中へと消えた。
 その釣竿は今の今まで握られていたものとは思えないほど冷たかった。

 そこから先二人に会話は無く、ただ無言だけが広がっていた。
 何も出来ないまま、出会った頃よりも冷えてしまった彼女を横目に、収穫の無い夜釣りの帰路へとついた。


「武子……」

 車のキーを返しに、責任者である武子の部屋を訪ねた。

「あら随分早いのね……って、何かあったの?」
「先に謝っとく。ゴメン。きっとハイディに嫌われた。試験がうまくいかなかったら、責任を取る」
「え? ちょ、ちょっとどういうこと? どうしたの? 何があったの!?」
「すまない、先に眠らせてくれ」
「ちょっとっ!綾香!!」

 逃げるように、いや……その場から逃げて立ち去ろうとした私の肩を、武子が掴んで振り向かせる。
 ほら、やっぱり私は大人になりきれない。
 逃げたって解決するはず無いのに、どうして良いかわかんなくていっぱいいっぱいになって悪い方へと転げ落ちる選択肢を選び続けてる。

「話して、綾香」

 両の肩を掴まれて、正面から見つめられる。
 至近距離から見据える、強くてそれでいて優しい視線。
 名を呼ぶ声が余りにも優しすぎて、心が溶ける。不覚にも涙腺が崩壊しそうだった。
 だから、そんな姿を見せてしまう前に全てを話した。

「ねぇ、綾香。あなたは良かれと思って彼女に踏み込んだ。ただ、それだけでしょ」

 結局、話しながらいつの間にか涙が零れていた。
 でも、大人の武子はそんな私の情けない貌を見ないように、優しく抱きしめてくれていた。
 私は武子の問いかけに、ただ「ああ」とだけ頷く。

「私もね、そう思ったわ。彼女が人付き合い苦手そうなのはすぐにわかったし、それを解消する事でより試験もうまく良くと思った。
 だからあなたのしてる事がうまくいけばいいと考えていたの。綾香、あなたは今まで色んな仲間たちといい付き合いをしてきたわ。
 慕われる事にも慣れてる。でもあなたや私が思うよりも、彼女の、ハイディの思いの根が深かったからどうしていいかわからなくなったんでしょ」
「ああ、多分そうなんだな。軽い気持ちで助けたい、何とかしたいって踏み込んで、ハイディを傷つけてしまった……」
「そう、ね……。でも、慰めるのはここまで」
「え!?」

 武子の声が変わって、鋭さを増す。
 聞きなれた話しのわかる審査隊の上官じゃなくて、耳に馴染んだ六十四戦隊の隊長、フジの声色だ。

「まだ終わってないわよ綾香……試験も、あの子との関係も。諦めるのは早いわ。そうでしょ」
「武子……」
「あなたのアイデアを実行するにもまだ間があるわ。それに直接彼女の口から嫌いといわれたわけじゃないでしょう。いいえ、むしろ嫌われてたとしても最後まで自分を貫いて、道をつけてあげなさい。それが責任よ」

 やっぱりこいつは生粋の指揮官だな。
 私のような無責任な部下に、下っ腹までずっしりと響くほどの重みを含んだ言葉を与えてくれる。

「武子、やっぱりお前すごいな」
「え……すごいって……」

 キョトンとする武子。こういうギャップのある表情も下の連中からはかわいいって言われるんだよな。
 私の評価はカッコイイばかりなんでそういう所もちょっと憧れる。

「大人だし、隊長だって事さ」
「私は、まだ翼を持ってるあなたのことが羨ましいのよ、綾香」
「飛べるのもおまえがいて巣を護っててくれるからさ」
「大分調子が戻ったみたいね」

 いつの間にか厳しさは去り、また優しい口調へと戻っていた。
 実際何一つ解決なんてしていなかったけど心が軽くなった私は冗談を口にする。

「ああ、口のうまい隊長に乗せられたからね」
「乗る気の無い人間は乗せないわ」
「ありがとう武子。自分を見失わずに済んだ。私さ、やっぱりハイディにも私にとってのおまえみたいな親友を作れるようになって欲しい」
「ええ、私もよ。だからその為の協力は惜しまないわ」
 

 翌日からも、電探の審査は続いた。
 私は多分傍から見たら滑稽なほどに彼女に向かって笑いかけ、話しかけた。
 ハイディの態度はそっけなく、必要最低限の会話しか成立しなかったが、幸いな事に任務に私情を挟むような性格ではなかったお陰で電探の調整の方も進んでいった。
 ハイディの想いにも感触はあった。
 思春期の彼女の中で、とうの昔に麻痺していたはずの「一人は寂しい」という気持ちは既に蘇っているんだ。
 そんな思いを抱え続ける事ができるほど彼女は強くない。
 だから、ハイデマリー・W・シュナウファーという少女の明日の為、わたしは大人の残酷さを以て彼女に臨み笑顔でその感情を刺激し続けた。
 今、私の事を解ってくれているのはきっと武子だけだ。
 もしかしたらハイディには一生恨まれるかもしれない。拭い得ない大人への不信感を植え付けてしまうかもしれない。
 それでも、君の心の礎の一端と成れるなら、本望だ。



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