Winning Colors
なにもかもが上手く行かなくて。悔しくて仕方なくて。
そんな時にいつも思うこと。
――――虹になりたい。見上げる空にかかるあの輝く七色の虹に。
『Winning Colors』
少女は自分の名前が嫌いだった。いや、嫌いというのは正確ではないかもしれない。
むしろ、正しいとか正しくないとかいう視点で言えば、それはあまりに正しかった。悔しいことに。
自分の物心つくまえにもういなかった両親は的確にそのことを見抜いていたのだ、と彼女は思う。
だって、五色だ。中途半端にもほどがある。二人の姉と比べればなおのこと。
なにより、彼女はウィッチだった。いくら新米だと言っても。焦がれ、憧れ、見上げる空の虹が七色なら、
二色足りない自分はどうあってもそこに行けないと考えてしまうのだ。その位、彼女は真剣だった。
――――諏訪五色。それが少女の名前だ。
虹になりたい。
つまりそれが、五色の願いだった。その願いを叶えたくて必死に頑張ってきたけれど。
そんなささやかな努力も結局は無意味なのかもしれない。自分はやっぱり虹にはなれないんだ。
そう思ってしまうのは、多分本物の虹を見てしまったから。あの子は――芳佳は、本物の虹だ。
ウィッチを目指した時から一歩ずつ上ってきた段の数をあの子は一足飛びに追い越してしまった。
そう気づいたときは本当に悔しくて仕方なかったけれど、でも何故か嫌な気分にはならなかった。
それは、きっとそれが芳佳だったからなのだと五色は思う。
そして、自分がそう思う理由も彼女はもうなんとなく分かり始めていた。
会いたいなあ。ただ、そう思った。
やっと決まったロマーニャ行き。これでブリタニアで頑張っている芳佳と同じラインに立てる。
でも……そうだ。きっとロマーニャに行ったら、もう芳佳と会う機会なんてないんだろう。
あったとしても、それはずっと先のことだ。分かっていても、なんだか心が締め付けられるみたいに痛かった。
いや、だからって密航はなかった。あれは疾風が悪い。
けれど、一体どこまで疾風は自分の心の中を見抜いていたのだろうか。もしかして、全部?
それだってありえない話じゃないと五色は思う。彼女はなにかと聡いから。
暗く湿った船底で、疾風はそれ以上のことを五色に聞こうとはしなかった。
彼女が知ってること、知らないこと。あえて聞こうとしなかったこと。きっとその全てが、今ここにいる理由だ。
「どうしたの、五色ちゃん?」
ほんの三ヶ月ぶりなのにひどく懐かしいように思えるその声。
そのくらいで大きく変わるなんてそうそう有り得ないし、
実際容姿は五色の知る彼女そのものだというのに、感じる雰囲気はまるで違うような気がする。
「え? あ、なんでもないって」
「なんか悩んでるみたいだったよ? ……ロマーニャ行くの、不安?」
「まさか! やっと私の実力が認められたのよ。そういう芳佳だってちゃんとやってるの?」
芳佳と呼ばれた少女は、あはは、と苦笑いをこぼして頭を掻いた。
いや、お恥ずかしい限りで、というなんとも情けない答え。
大丈夫なのだろうかと思うと同時に、五色の脳裏に今日見た光景がよみがえる。
数日行方不明だった疾風を助けに行った帰りに遭遇したネウロイとの一戦。
引き締まった表情で、まだ不慣れだろうストライカーユニットを乗りこなし戦っていたその姿。
凛々しくて、自分の知っている芳佳とはまるで別人のようで、五色はわずかも目を離すことが出来なかった。
同じラインにだなんてとんでもなかった。自分が立ち止まってもがいているその間に、
芳佳はもう次へ次へと進んで、彼女を置き去りにしようとしているように思える。
喜びたいのに喜べない大好きな親友の成長。
芳佳……私も、本当にちゃんとやれるのかな? 思わずそう問い掛けたくなった。
「ここのみんなは凄いから。私みたいにウィッチなりたてのヒヨコは迷惑かけるばっかりで」
「……うん。なんだか、私も圧倒されちゃった」
「同じ新米軍曹の子もいるけどね。一緒にいたリーネちゃんがそうだよ」
ブリタニアに渡った五色達が密航者として見つかった時、芳佳と一緒にいた少女。
おっとりして優しそうで、五色や疾風と同じく優秀なウィッチの姉をもつ女の子だった。
控えめな言動と裏腹の正確な射撃技術。実戦で結果が出てないからと本人は言うけれど。
かなわないなあ、何から何まで。そんな気持ちが五色の心を通り抜けた。ウィッチとしても女の子としても。
大体、あれは反則だ。自分の胸をぺたぺたと触りながら五色はうなだれる。戦力の差は圧倒的だった。
「芳佳は頑張ってるね。こんなエースの人たちと一緒に戦えるなんて」
「そんなことないよ。ここへ来たのもたまたま竹井大尉に推薦されただけで。
私が『宮藤』じゃなかったら、別の誰かだったかもしれないって思うもん」
部屋の時計がカチコチと音を立てる。背中に感じる空気がピンと張りつめるのを五色は感じた。
芳佳が言いたいことは分かる。――ウィッチを名乗る者で宮藤の名を知らないものなんていないから――
でも竹井大尉はそんな選び方をしたりはしないし、その別の“誰か”が誰であるかなんて考えたくもない。
そう。聞きたいのはそんなことじゃなかった。
間借りした芳佳の部屋に差し込む月の光が、蒼白く二人を照らす。
「それは違うよ。ここに芳佳が来れたのは芳佳だから。芳佳だから選ばれたんだ」
月がまぶしかった。言いながら、しかし五色は芳佳を見ることが出来なかった。
今振り向いて見る芳佳の顔はきっと綺麗で。窓の外にぼうっと視線をやりながら五色は膝を抱えた。
わずかな荷重の変化に反応してベッドがきしりと鳴る。それと重なるように頬に当たる熱い吐息。
背中から差し込まれるように前に廻された腕が五色の胸元でクロスする。薄布越しに触れる身体の感触。
芳佳、なにを。そう聞こうとして声が声にならなかった。二つの呼吸音だけが浅く共鳴してゆく。
「今日の五色ちゃん、なんか……らしくないね」
「そう? 芳佳の思う私らしいって、どんななの?」
五色の問いに、芳佳は廻した腕の力をぎゅうっと強めながら、うーんと思案する。
その声があまり真に迫っているように聞こえず、五色はこっそり苦笑を漏らした。
こんなところは、いかにも芳佳だ。努めて見ないようにしていたその姿がわずかにガラス窓に映って、
思わずどきっとするほど愛おしい。こんな感情、芳佳にはほんの少しでも伝わっていて欲しくなかった。
自分より高い体温が背中に首にあって、五色は自分のそれも上がってゆくのを感じずにはいられない。
「いつもキレイで凛としてて、一生懸命なカンジ……かな?」
「なにそれ……冗談ばっかり」
「……冗談なんかじゃないよ。私がウィッチになろうって思ったのは、だって、五色ちゃんがいたから」
言葉と同時にするっと抜き取られた二本の腕が五色の顔を捕え、無理矢理に振り向かせる。
驚きに身を硬直させてなされるがまま、五色はただ芳佳の瞳に釘付けになっていた。
分かっていながら身動きだってとれない。身体ごと拘束され、ふわりと重ねられる口唇。
信じられないほど熱くて、甘くて。思考も不安も、形さえ残らないみたいに。
「芳佳、今なに……」
「五色ちゃん。私、五色ちゃんをもっとそばで感じたい。誰よりも近くにいたいよ。ダメ、かな?」
「ダメ、じゃない。けど」
五色の答えに合わせるように、芳佳は右腕を五色の胸元へとすっと伸ばす。五色の答えを遮るように。
その続きがなんなのか。そんなこと目の前の少女が考えてくれたりしないことも彼女はよく知っていた。
そう、ダメじゃない。ダメじゃないから困るんだ。もし許してしまえば。
やっと抑え込んでた戦線が一瞬で崩壊してしまうのは確実で、でも今の五色に抗う術なんてあるはずもない。
触れた手から胸へと伝わる熱がちっぽけな理性の壁を突き崩していく。
「……やわらかい。なんだかくらくらするよ」
「そんっ……なこと、言って。私の胸じゃ触りがいだってないでしょ?」
「どうして、そう思うの?」
わざとだ。芳佳はわざとこんなことを言っているのだ。どうしてなんて、聞くまでもないことなのだから。
押し付けられる芳佳の指が服と薄い膨らみのむこうから、直接心臓を捕まえようとしているような気さえする。
そんな魔法にかかったように力が抜けて自分では支えてもいられない五色の身体を、芳佳は左腕で抱え込んだ。
胸にぐいぐいと食い込ませた指に、五色がぎゅっと瞳を閉じて肩で息をしているのを見て取ると、
今度はその肩を押さえつけて、押し倒すように五色の身体ごとベッドに沈める。
「芳佳……っ!?」
「だめ、やっぱりこれじゃ足りない!」
もう我慢出来ないというように、芳佳は五色の服の隙間から手を無理矢理差し込んだ。
その腕をなんとかつかんで止めようとする五色を無視するように、
はじめはブラウス越しに、やがて膨らみとも呼べない膨らみを覆うそれをずらし、直に触れる。
いや、触れるなんていう優しいものなんかじゃなかった。指の跡がはっきり残りそうな、そんなイメージ。
月の光に五色のそのなめらかな肌を照らし出させ、映るその先に芳佳が口唇をよせた。
「あ……んっ!」
「五色ちゃんっ」
「や、あっ」
手脚に力を込めて、ぎゅっと身を縮こませて。それでも波のように来る感覚は耐えられない。
芳佳の舌が、手が、五色の両の膨らみの上で踊り、その影を落としてゆく。五色は頭を何度も振って、
自分を狂わせようとするものを追い払おうとしたけれど、それは五色の必死の抵抗さえ器用に交わしてゆく。
たまらなくなって、五色はそばの枕をひっつかんでしがみついた。顔も埋めて、何も見えないように。
真っ暗な頭の中で再構成される芳佳の行為が、ひどくリアルに感じられる。
「……どうして顔、隠そうとするの?」
「だって、きっと今私恥ずかしい顔してる、そんなの」
「見せて? 五色ちゃんの顔、見ていたい」
芳佳の声がほんの耳元で響く。いつの間に! それだけで飽き足らないのか、
芳佳は五色の耳の形まで舌で確認しながら、魔力に反応して現れたキツネ耳の付け根も指でなぞる。
二つの身体の触れ合った部分が熱くて、喉が灼けついたみたいで息も出来ない。
五色はやっと芳佳の瞳を見ながら、なにかを求めるように高い声で喘いだ。
まるで自分のものじゃないみたいな気がする、そんな声。
「そこ……は」
「五色ちゃん、かわいい」
「……っ、ばか!」
嬉しくて楽しくて仕方ないみたいな芳佳の顔が憎らしい。
自分は今にも吹き飛んでしまいそうな意識を保つだけで精一杯なのに。
きっとそんなこと芳佳はお構いなしなのだ。もう思い通りには動いてくれない身体がかたかたと震えた。
「五色ちゃん?」
「……お願い。するのはいいから、だからもう少しやさしくして……」
「あ……ごめん。大丈夫だから、ね?」
そう言いながら、芳佳はあやすように背中を撫でる。ゆっくり、力を抜いて、と。
浅い呼吸を繰り返しながら、その腕から伝うようにおそるおそる五色は芳佳の背に両手を廻した。
向かい合う瞳と瞳。透き通ったその表面に乗る薄い紅。引き寄せられるように二人は口唇を重ねた。
時を刻む甘い旋律。五色の口唇をはむ芳佳のそれが転調を繰り返して、抱きしめる両腕にパルスを送る。
その動きに引きずられるように五色の手が芳佳の身体をさまよい、奥から手前へと位置を移していく。
「……いいなあ。芳佳、ちゃんとあるんだ?」
「な、ないよ? 私は、だってちんちくりんの豆狸だし」
気にしてるのか、してないのか。にわかには判断のつかない口調。
そっと添わすように手を当てながら、でも、と五色は思う。もしこれが芳佳のものでなかったら。
大きさなんてまるで関係なく、きっと自分はこんな気分にはならないだろう。心まで麻痺するような、
そんな感覚にぼーっと沈んでゆく五色を見て、芳佳は自分の方に意識を引き戻すように耳たぶを軽く噛んだ。
ぴくんという微かな反応。嬉しそうに腕の力を少しだけ強めて、今度は五色の首筋に口唇を押しつける。
すぐそこにある彼女の頬は赤く染まっているだろうか。汗ばんだ肌から沸き立つ熱っぽい少女の匂い。
いつも気丈な五色の口からもれる甘い声音が、芳佳の感情の水面を泡立ててゆく。
それもなんとか抑えようと五色が懸命になってるのが分かるから、なおさらだった。
これは本当に現実なの? その答えを探るように芳佳は五色の身体に手を這わせていく。
その乱れた吐息と一緒になって上下する二つの膨らみに、そして下腹部に。
いや、息が整わないのは芳佳だってもう同じだけど。でもそんなこと、気にしてなんていられない。
心を落ち着けるように、ゆっくりロールを描いて下へ、下へ。少しずつ、指の先に感じるものが色を変える。
「もうだめ……っ」
「五色ちゃん、ここ、いい?」
ついついとズボンの縁をなぞりながら。芳佳のその問いが許可を求めているのでなく、
単なる確認に過ぎないのだとは、五色にも分かってはいたけれど。でも。
「ま……って」
「待たない」
当然のような答えに、重なる直線的な指の行方。その動作にとまどいもためらいも、ありはしない。
五色の身体が反射的にこわばる。ぎゅっと瞑ったまぶたの裏に感じるエーテルの炎。熱が、衝撃が
「は、あっ、ん――――っ!」
世界を、真っ白に塗り替える。
身体の感覚を繋ぐ糸がぱつんと切られたようで、意識だけが遥か遠くに置き去りにされたみたいだった。
「気がついた……?」
それは一瞬のようにも永遠のようにも思える時間の後。ぱっと開いた五色の目に飛び込んできた芳佳の表情。
不安そうな申し訳なさそうなその顔を見て、はじめて五色は自分がそれまで呼吸もしていなかったことに気づく。
本当はなにが起きたのかさえ、よく分からなかったけど。
痺れたように動かない身体の、髪を首筋を、ゆっくりと撫でてくれている芳佳の手がなんだか気持ちいい。
ふんわりとその心地よさに身を委ねながら、五色は指の先まで力が戻るのを確かめる。
そしてぎゅっと、その手で自分を撫でる芳佳の腕をつかみ取った。ねえ、聞いて? そんな意思表示。
「……芳佳ばっかり、ずるい」
びっくりしたように芳佳がこっちを向いた。でも、それは五色の言葉に驚いたのではなくて。
その表情のまま芳佳は五色の瞳に指を添えて、そこに結んだ雫を静かに掬いとる。
「五色ちゃん、ほんと、大丈夫だった……?」
どうしてそんなことを言うのだろう。
そんな言い方をされたら、いくら口唇を噛み締めても、いくら胸を押さえつけても。
「……大丈夫じゃない」
「え……」
「大丈夫なわけない。芳佳と一緒にいられるの、今日が最後かもしれないんだから。
それなのに、平気でいられるわけないじゃない……」
五色の潤んだ瞳に、芳佳の心が吸い込まれていく。
自分の腕を握るその手の力がほんの少し強くなったのを感じて、芳佳は五色の身体をぎゅっと抱きしめた。
はっきりと、強く、強く。
「ね。一緒にしよう、いっぱいしよう。夜が明けるまで。
でも、きっとこれが最後じゃないから」
「……うん」
「大丈夫。きっと大丈夫だよ」
五色ちゃんならきっと大丈夫だよ。きっとどんな願いだって叶えられる。
そう胸の奥で言いながら、芳佳は五色の口唇をそっとふさいだ。
短い雨の音で目が覚めた。
冷静になるとついさっきまでのことが急に恥ずかしくなって、二人は慌てて背中を向けた。
痕、残ってるね。そう口にしたら、芳佳のばか! と本気で怒った声。
そんな反応も愛おしいんだ。そう考えていると、肩にとん、という感覚が降ってきた。
振り向こうとしたすぐそばに顔をうずめる彼女の姿が映る。
「芳佳……。私は本当に、大丈夫かな?」
震えるような声だと思った。その問いに、返せる言葉はなかったけれど。
代わりに彼女の身体に腕を廻して抱きしめる。こつんとおでこをぶつけると、彼女が小さく頷くのが見えた。
本当に、大丈夫だよ。だって、君が行く空も海もこんなにあおいんだ。
雨上がりの空には七色の虹。でも、この目に映る君はそれ以上に輝いているんだから。
きっと望む場所に行けるよ。あの虹のむこうまでも――――。
そんなことを思いながら、芳佳は五色を乗せた船の行く先をいつまでも見つめていた。 fin.