dream a dream
エーリカが、死んだ。
はじめは何を言っているのか分からなかった。しかし、やがてその意味が分かり
トゥルーデは震え、吐き気を催し、涙が止まらなくなった。
トゥルーデが持ち場を離れたその時ネウロイの奇襲を受け、基地が突如として半分消し飛んだ。
エーリカはその直中に居た。
多分、何が起きたか知る暇も無い程の瞬間的な死だから、本人の苦痛は無かった筈。
現場を目撃し生存者の救助に向かった者から、そう慰めの言葉が掛けられた。
唯一回収され、トゥルーデのもとに戻った遺品。それは彼女のそれと同じ、エンゲージリング。
爆発の影響か、傷が付き、エーリカの血がこびりついていた。
トゥルーデは胸に押しつけ、咽び泣いた。
主無き空の棺を前に、うつむき気味の皆。
いつもの陽気な501ではなく、厳粛、悲壮、怒り……それらが複雑に混じった、喪服姿の乙女達。
遺体らしきものは遂に発見されず、普段エーリカが身に付けていた衣類を遺体の代わりに棺に入れたが、
それで空虚な空間も皆の心も満たされる事は無く……
ブリタニアを覆う冷たく澱んだ雨が、彼女の死を、より重く、現実として突きつけた。
ミーナが控えめな声で弔辞を読み上げる。トゥルーデはこらえ切れなくなり、人目を気にせず泣いた。
皆、どうして良いか分からない。失った、大切な仲間。
しかしネウロイに向かう憎悪よりも喪失の気持ちが大き過ぎて、ひどく緩慢な葬儀となった。
やがて棺は土に埋められ、墓標が立てられた。
葬儀を終え、部屋に戻り、喪服を脱ぎ捨てる。実感が湧かない。
ふと「どうしたの?」と彼女がひょっこり部屋に現れる気がして。
トゥルーデは何度もドアを見た。
戻る筈も無い。
のろのろと服を着替える。いつまでも悲しみに暮れていられない。
次こそ、憎きネウロイを倒す。エーリカの弔いの為にも。
だけど、今は……そんな気持ちさえ起きない。
遺品を棚の上にそっと置く。
「どうして、どうして……私の大切なひとばかり」
目覚めぬクリス。この世から文字通り消えてしまったエーリカ。
トゥルーデは気付くと大粒の涙を目に溜めていた。
これが現実なのか……夢であって欲しかった。
その日からトゥルーデは部屋に籠もる様になった。
訓練どころの話ではなく……ウィッチとしての魔力も精神的なショックの影響か急激に衰え、
ストライカーを履いて空を飛ぶ事すらままならなくなった。
ミーナは憐れみ、気持ちの整理が付くまで暫くの間地上勤務扱いとしてくれたが、
実質的にトゥルーデは部屋に籠もったまま。
食事もろくに取らず、ただただ、失った最愛のひとの事だけを考え、名を呼び、呆然と、天井を見上げた。
どんよりと曇り空が広がるある日の夕方。ドアがノック無しに開いた。
トゥルーデは部屋に入ってきた姿を見て飛び上がった。
「エーリカ? エーリカなのか? 生きて……」
ベッドから飛び降り、二歩進んだ所でふと冷静になる。
「いや、その眼鏡……ウルスラか」
こくりと頷く、双子の妹。カールスラント軍支給の黒いコートが喪服に見える。
「姉の墓に、花を」
「スオムスからわざわざ?」
「姉が死んで、私も悲しい。だから、休暇を取ってブリタニアに来た」
ぽつりぽつりと喋る、エーリカの妹。
「そうか。エーリカも喜ぶだろう」
トゥルーデはふらふらとベッドに戻ると、腰掛けた。
目の前に、愛しのひとそっくりの人間が居る。呼吸が乱れる。
だが、所詮は全くの別人。そう、別人なんだと、トゥルーデは心の中で反芻した。
「さっき、ヴィルケ中佐から聞いた。バルクホルン大尉が心配だと」
ミーナの呼び方ひとつとっても、エーリカのそれとは違う、堅い響き。同じなのに、どこか冷たい声。
「私は、少し、疲れただけだ。直に戻る」
「戻らない。もう何日もこうしてると聞いた」
「ミーナ、お喋りだな」
ウルスラは溜め息を付くと、棚に近寄り、指輪を手にした。
「おい、それは……」
「知ってる。唯一の遺品だって。棺に入れなかったって」
ウルスラは指輪を手に取ると観察した。
「僅かに歪んでる。爆発の影響?」
「知るか。早く元に戻せ」
トゥルーデのぶっきらぼうな言葉にウルスラは反応した。トゥルーデの顔を覗き込む。
思いがこみ上げて来たのか、今にも泣きそうな顔をしている。
「どうして私がここに居るか、バルクホルン大尉は分かる?」
「婚約者を亡くして、ショックで飛べなくなった惨めなウィッチを笑いに来たのか?」
トゥルーデはぼそりと、自嘲した。ウルスラは複雑な顔をした。
「姉は、そんな貴方を見たらきっと悲しむと思う」
ウルスラの言葉に、トゥルーデはぐさりと胸をえぐられた気分になった。立ち上がり、ウルスラを睨み付ける。
「じゃあどうしろと!? 最愛の人間を失って、お前は冷静で居られるのか?」
無言で見つめるウルスラを前に、トゥルーデは気持ちをぶつけた。
「すぐに仇とばかりにネウロイを片っ端から倒せ、とでも言うのか?」
なおも無言のウルスラ。いとしのひとと同じ顔をしているのに、無表情。死者の国から来たのかと錯覚さえ覚える。
「双子だからって何だ! 私とエーリカの何が分かる!? エーリカは……私にとって全てだったんだ」
「その通り。双子だからって、私と姉は全然違う。貴方達の事は分からない。何も」
ウルスラは、そう言うと、血まみれのままになっている指輪をハンカチで拭いた。
「でも、大切な家族を失ったのは私も同じ。それだけは忘れないで欲しい」
綺麗に汚れを拭き取る。指輪は傷だらけながらも、昔日の輝きを少し取り戻した。
ウルスラは自分の指にはめた。
「何するんだ、ウルスラ! それはエーリカの」
トゥルーデの前に立つ。慣れない感じで、トゥルーデをそっと抱く。
「私は、姉にはなれない」
思わぬ行動に、怯んで身体が動かないトゥルーデ。
「でも、今の貴方には、心の安らぎが必要」
「そ、それは……」
「だから私が、姉の代わりになる。今だけ。それで少しでも貴方の心が癒されるなら」
「そんな事をして、エーリカが喜ぶとでも……」
悔し紛れに顔を背けるトゥルーデ。だが、眼鏡を取り、棚に置いたウルスラを見て、気持ちが揺らいだ。
いつも一緒に居た、いとしのひと。
同じ顔。同じ髪の色。指輪も。
気付くと、トゥルーデはウルスラを抱きしめ、唇を重ねていた。
でも、すぐにトゥルーデは唇を離した。エーリカの唇はもっと薄く柔らかく、艶がある。
ウルスラは長く北国で過ごしていたせいか、少し荒くざらついている。
「姉を失って辛いのは私も同じ。その思いを、私達で少しでも共有出来れば」
トゥルーデはウルスラの胸に顔を埋めた。
そして、いとしのひとの名を、叫んだ。何度も。
「なるほどね」
エーリカは、目覚めてまだ呼吸が荒いトゥルーデを優しく抱きしめながら、彼女が見た“夢”の内容を全て聞き、想像した。
「まったく、勘弁してくれ……悪夢にも程が有る。お前が死んだなんて」
「私の名前繰り返し呼んで叫んで泣いてたと思ったら、ウルスラの名前まで出て来て、どんな夢みてるのかな~って」
「ならニヤニヤ見てないで起こせ! 私を現実に戻せ! 悪夢から解放しろ! 私がどれだけうなされたと思ってるんだ!?」
「ん~。でもねえ」
エーリカはトゥルーデの胸にそっとすり寄ると、肌の匂いを確かめて、呟いた。
「夢の中でも……、そんな酷い夢を見ても、私をずっと大事に想ってくれるんだなって、安心した」
つかえ気味の溜め息で回答に替えるトゥルーデ。
「あと、ちょっとムカついたかな」
エーリカの言葉に、トゥルーデはどきりとした。
「な、何故」
「だって……」
「ああ、ウルスラだな。名前が出て来たから。さっきも言ったけど、夢だからな。夢だ。あれは夢。
実際彼女が来たからと言って……」
「私が死んだって時のある種シミュレーションでもある訳でしょ? ま、ウルスラがそんな事する筈無いとは思うけどね」
「ああ。私も彼女をお前の代わりにするつもりは無い」
「あんな夢見た後で、よくもまあ言い切れるもんだね、トゥルーデ」
意地悪な笑顔でトゥルーデの頬をすりすりと玩ぶエーリカ。
言葉に詰まり、天井を見るトゥルーデ。まだほんの少しだけ、涙が残っていた。息が少し詰まる。
エーリカはそんなトゥルーデの頭を自分の胸に埋め、優しく撫でた。
「でもトゥルーデ、悪夢よく見るよね。何か生活に不満でも?」
「生活に不満……少なくともエーリカ、お前との間には無いぞ」
撫でる髪がしなやかに指先を伝う。解けた髪をすくって、エーリカはふっと笑って言った。
「何処までも馬鹿真面目なんだね、トゥルーデ」
「ほっといてくれ」
「ほっとけないよ……だからこうしてる。だから、愛してるんだろうね」
「私もだ、エーリカ。愛している」
「ねえ」
エーリカに促されて、唇を重ねる。夢に見たものとは違う、エーリカのリアルな……そして懐かしくもあり、
いつもの柔らかな感触に、トゥルーデは安心し、酔いしれる。エーリカを抱く腕にも力が入る。
「夢で良かった。お前が居なくなるなんて、考えられないし、考えたくもない」
力が抜け、ぽつりと呟くトゥルーデをそっと抱き寄せると、エーリカは自嘲気味に小さく笑った。
「でも人生なんて、ただの夢みたいなもんじゃん?」
「ヤケに達観してるな、エーリカは」
「私とこうやってイチャついてるトゥルーデも、実は夢みてるだけだったりしてね」
「や、やめろ。恐い事言うな」
「だけど夢も色々あって、気に入る夢とかも、あるでしょ?」
「それは、夢によるとしか」
「私は、夢は好きだよ、トゥルーデ。私もトゥルーデの夢に入れてよ」
「どうやって?」
「まあ、トゥルーデ。悪夢を見たんだから、少し寝たら?」
「眠る気が起きない。あんな夢の後じゃ……」
「大丈夫。私が横にいるよ。少しは夢をみなきゃ」
「ヘンな夢を見るくらいなら……」
トゥルーデはエーリカをぎゅっと抱きしめると、もう一度口吻を交わした。お互いの存在を確かめる為に。
「ずっとこうして、いた方が良い。その方が幸せだ」
「言うと思った」
エーリカはふっと息をつくと、トゥルーデにキスし、唇を頬に、首筋に這わせた。
甘い吐息が、トゥルーデから漏れる。
「今夜は寝たくないから寝かさない、って事で良いよね?」
トゥルーデの答えをあえて唇で塞ぐと、エーリカはつつと漏れる雫を舌で絡め、愛おしむ行為に耽った。
全ては、トゥルーデの為に。
指先が絡み、指輪がお互いの存在を確かめ合い、腕が、身体が絡み付く。
夜が、ふたりが、まもなく加速した。
end