守るための未来
「お前の見ている光景を私にも視せてくれないか?」
突然の坂本の言葉はエイラにとって果てしなく意外なものであった。
「いきなりなに言ってんダヨー、少佐ぁ。新手のナンパ?」
エイラの返答に、坂本はいつも通りのわっはっはという特有の笑いをもって応えた。
「ふむ。それもいいかもしれんが、それよりも思うところがあってだな!是非にお前の未来予知を借りたいと思ってだ。」
あぁ、なんだ。そんなことか…と、エイラは納得をする。
エイラの持つ固有魔法は未来予知…数ある魔女の固有魔法の中で唯一、この世の理を超越した魔法である。
あまりにも稀有なその能力は、一般人のみならず魔女にとっても羨望の眼差しを向けられるもので、こういった類の頼みごとは決して珍しいものではなかった。
ただ唯一、驚く点と言えば、それを頼んだのが坂本であったということであろう。
エイラにとっての坂本美緒は、努力という行為を非常に大切にしており、未来も自らの力で切り開くことを良しとする人間であった。
だからこそ坂本の頼みはエイラを驚愕させた。
このようなことを頼むのは、専らシャーリーやルッキーニ、エーリカであり、坂本はそれからは最も遠い存在であると認識していたのだ。
「だめか?まぁ私も無理にとは言わんが。」
坂本が珍しく少し拗ねたような表情をとった。
エイラはそれを見て笑いをこらえる。
エイラにとって…いや、このチームにとって坂本は父のような存在であり、皆が信頼を寄せていた。
最高階級は中佐であるミーナであったが、坂本はそれとはまた別の次元で柱となっており、もちろんエイラだって尊敬しているのだ。
そんな坂本の子供らしいところがエイラにとっては可笑しかった。
「少佐なら別にイーヨ。でもなんで未来が視たいんダー?」
坂本にはサーニャも世話になっているし、戦闘でも頼りにしている。
だから、坂本の頼みであるならば断る理由はエイラにはなかった。
「どうしても言わなくては駄目か?」
困ったような顔をつくる坂本に、エイラはまた驚く。
今日は坂本の珍しい表情を随分と見るのだから、それも仕方がない。
「どうしても嫌なら別に言わなくてもいいけどナー。」
これがペリーヌ…いや、ツンツンメガネなら理由までしっかりと問いただすが、まぁ相手は坂本だ…きっと大切なことなのだろう。
エイラはイタズラは好きだが、年の割に大人びていて、人の心の機微に聡い。
豪放磊落な坂本が言うことを渋るようなら、無理にそれを掘り出そうなどとはしない分別は持ち合わせている。
誰にでも他人には言いたくないことの一つや二つはあるものだ。
坂本がそれについて助けを求めるなら、なにも聞かずに手を差し伸べればいいのだとエイラは知っていた。
「すまんなエイラ…今はまだ話せなくてな。いつか話せる時がきたならば話そう。」
すまなそうな顔で坂本はエイラを覗いた。
ニヤリとエイラが笑みを湛える。
「じゃあ魔力発動させるから手をつないでクレ。」
坂本がエイラへとにじり寄る。
手を繋ぐと言ったにもかかわらず、坂本の顔はエイラの頬へと触れており、むしろ腕を組むような形となっている。
突然目の前に現れた坂本の端正な顔にエイラはうろたえた。
エイラは他人の胸を揉むことが好きであるが、他人からの接触には慣れておらず、あまりにも近い坂本の姿に心臓が激しく音を立てていた。
「どうしたエイラ!私に未来を見せてくれるんじゃなかったのか?」
坂本はエイラの様子などお構いなしで頬を寄せる。
彼女にとっては何も変わったことをしているつもりなどないのだ。
「人の気も知らないデ・・・。発動するから少佐も使い魔顕現させといてくれヨ!!」
エイラにぴょこりと黒狐の耳と尻尾が現れる。
彼女の未来予知も高位精霊である黒狐の魔力に強く影響されたものだ。
それに少し遅れて坂本にもドーベルマンの耳と尻尾が顕現した。
魔力を発動した証に彼女の魔眼が怪しく輝きだす。
「私が未来の情報を持ってくるから少佐はそこから必要な情報を探し出してクレ!!」
エイラの言葉に坂本が強くうなずいた。
「ううん・・・私の目的のものはないなぁ。むっ!!これは…」
坂本がいきなり頬を朱に染めた。
何事にも動じない坂本が頬を染めるところなどエイラは見たことがない。
彼女はどちらかと言わなくても間違いなく誰かの頬を染める類の人間だ。それも無自覚でやっているのだから質が悪い。
そんな彼女が頬を染めるのだからあまりにも決定的ななにかを視たのだろうとエイラは結論に至る。
しかし、何度予知しても坂本が頬を染めるような未来はエイラには視えてこなかった。
「少佐ぁ、一体なに視たんダー?」
エイラの言葉に坂本は安堵の溜息を漏らした。
どうやらエイラに見られては困る類のものであったのだろう。
「なんだ・・・エイラは見てなかったのか?良かったような残念なような…よく分からんな!」
エイラには見えず、坂本だけに見えたある未来の図…それを招いたのは坂本の持つ魔眼の力である。
坂本の魔眼は遥か彼方までを見渡す千里眼…その力がエイラよりもさらに未来の映像を目撃させた事は彼女自身も気付いていなかった。
「これは必ず起こる未来なのか?」
坂本はエイラへと問う。
「それだと私のスオムスの同僚は何十回も死んでいるはずダナ。変えられなくちゃ未来を知っても意味はないゾ。」
エイラの未来予知は未来を変える力。切り開く力なのだ。
彼女はいつだって最悪の未来を避けるためにそれに立ち向かうのだ。
「では特に何もしなければ辿り付く未来が視えたということでいいのか?」
坂本は何かに強く執着しているようだ。しきりに首を傾げては思い出したように頬を染める。
そんな彼女の姿を見てエイラも難しい顔をしていた。
「まぁそうダナー。少佐ぁ、なにか意外なものでも視えたのカー?」
じろりと坂本の真っ直ぐな視線がエイラを刺す。
なにか聞いてはまずいことだったのかとエイラは身体をびくりと震わせる。
「意外も意外、あまりにも意外だったからな。まぁエイラには秘密だ!!」
坂本はいつもどおりの精神を取り戻したのかわっはっはと笑ながらそう述べた。
「ちぇっ…。そういえば目的のものは視れたのカー?」
エイラの言葉に坂本はハッと真剣な眼差しを見せる。
どうやら予想外の何かが本来の目的を忘れさせてしまっていたようだ。
「うむ。嬉しいことにまだ視えはしなかったな。」
坂本がやはりいつものように笑う。
坂本といえばこうでないとなぁとエイラは一人納得するのだった。
「だから明日からも1日1回視せてくれるか?」
エイラはその言葉に苦い顔をしたが、渋々と自らを納得させ、気怠そうに頷いた。
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それからは毎日エイラと坂本が手を繋いでなにかをしているのが基地では見られた。
ペリーヌは以前よりも一層エイラを目の敵にするようになりツンツンとしている。
中佐までもなにかみえないオーラでエイラを圧迫してくるのだ。
しかし、エイラは坂本にこのことは秘密にしておいて欲しいと頼まれていたため、理由を説明することもできなかったのだ。
そんな日々が2ヶ月も続いた頃であったろうか、坂本が視ようとしていた未来が遂に視えることとなる。
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坂本はその日もサーニャが夜間哨戒に出発したことを確認してエイラの部屋を訪ねた。
「私だ。入ってもいいか?」
坂本は律儀にもノックをしてエイラの返事を待つ。
彼女はもう当たり前になったことでも礼節は欠かさなかった。
「あぁ少佐。そろそろ来ると思ってたんダ。じゃあ早速魔力開放してくれるカ?」
エイラの言葉に坂本は耳と尻尾を顕現させる。
随分と長い間続いているため、エイラの使い魔と坂本の使い魔はすっかりと息が合っている。
「じゃあやるゾ。」
エイラの言葉とともに未来の断片が坂本の頭へと流れ込んでくる。
その中の1枚には坂本がずっと危惧していた事象そのものの映像がまぎれていた。
ぶるりと坂本の身体が震えた。エイラは突然の坂本の反応に目を丸くする。
坂本が顔を青くしているのだ。尋常なことではない。
「少佐!大丈夫カ!?」
エイラは坂本へと呼びかける。しかし、坂本は反応を返さない。
「おい、ホントに大丈夫カ!?」
何度も何度もエイラが声をかけると坂本も落ち着きを取り戻し始めた。
けれど、エイラは坂本の目の端になにか光るものが溜まっていたことに気付いていた。
「あぁ、取り乱してしまってすまない。大丈夫だ。」
坂本が、ははっと力のない笑い声をだした。
それはあまりにも頼りなく、普段の坂本からは決して想像出来ないような弱弱しいものであった。
「少佐…なにを視たのか話してくれヨ…。私は心配なんダ。」
エイラの言葉はまるで懇願のようであった。
彼女は元気のない坂本を見ることが辛かったのだ。
「エイラには世話になったしな…伝えておこう。」
坂本が神妙な面持ちで話し始める。
「私はもう二十歳だ…魔力の限界も近い。だからな、私はいつかネウロイに撃墜される未来が視えるのではないかと恐れていたんだ。
黙っていてすまなかったな。そしてそれが今日視えた…私は近いうちに墜とされるだろう」
坂本が視ようとしていた未来は自らの限界。いつその時が訪れるかを恐れていたのだ。
エイラの瞳にも雫が溜まり始める。
「大丈夫だ少佐!!もう出撃しなければ撃墜されることもナイ!!」
エイラが声を絞り出す。しかし、悲しいかな、エイラの予知は坂本の答えを知らせていた。
「そんなわけにはいかないんだ!!私は皆を置いて戦場から逃げることはできない!!未来を知りたかったのは逃げるためではない…覚悟を決めたかったからだ。
扶桑の侍は常に決死の覚悟で戦いに臨むものだ。私もその覚悟が欲しかった。突然来られては恥ずかしい話取り乱してしまうだろうからな。」
坂本の言葉にエイラは唾を飲む。
しかしエイラにはそんなこと認められなかった。
自らの力は最悪の事態から皆を守るためのものだとエイラは信じているのだ。それは上官を見殺しにするための力ではない。
「だめだ少佐!!私はどんなことしてでもとめてみせるからナ!!」
エイラが怒鳴り声を上げる。
坂本はそんなエイラの姿を見て涙を零した。
「いつか視た未来の方もその通りになったな…有り得ないことだと思ったのだが。」
坂本は目に涙をためながらも笑う。
そして彼女はいつか視た未来と同じ行動をとった。
「んっ…!?」
エイラの目が丸くなる。坂本の行動は彼女にとってあまりにも意外で、そして当たり前だった。
坂本の唇がエイラのそれをふさいでいた。
「ぷはっ。まさかこんなことになるとわ…」
坂本がいつか視た未来…それは自らがエイラと熱い口付けを交わす未来。
それを視た時の坂本にはありえないことだったが、いつのまにかそれはすっかりとありうる未来へと変わっていたのだ。
そしてそれは視えなかったエイラにとっても同じことであった。
「いきなりなにすんダヨー!!」
エイラは文句をこぼすが怒ってはいないことが丸分かりだ。
いや、正確にはそれで肝心の話題を逸らそうとされていることに怒っていた。
「嫌だったか?気付けば最近は毎日時を共にしていたからな…すっかりと私はお前に心を持っていかれてしまったよ。」
坂本の言葉がエイラに深く突き刺さる。
自らは坂本のことをどう思っているのか…それはエイラも気付いていないがとっくに答えは出ていたのだ。
彼女の口付けを決して嫌に思っていない。それどころか確かな気持ちが胸に溢れているのだ。
「嫌じゃナイ…。私も少佐のことは好きダヨ…。だからさ、もう出撃しないでくれるカ?」
エイラは坂本の腕にすがりつき、どこにも行ってしまわないように離さない。
しかし、坂本はエイラの腕を振り払った。
「ありがとうエイラ。これで私は戦いにいける…私は皆を、お前を守るために出撃する!!」
そうい言って坂本は立ち上がる。
計ったように基地にサイレンが響く。サーニャの哨戒網にネウロイがかかったのだ。
「私は行く!!お前は待機だ…分かったか?」
坂本の言葉にエイラはただ頷くことしかできなかった。
坂本の覚悟は本物で、彼女にはそれを遮ることなどできなかった。
「気をつけてくれヨ…。」
エイラの力ない声が部屋に響いた。坂本は微笑むとエイラへと口付けをおとす。
「行ってくる!!基地は任せた!!私もせいぜい墜とされないように精進するさ!!無碍にお前を泣かせはしない。」
エイラはそれ以上なにも言うことができず、坂本の後姿が廊下の向こうに消えるまでずっと眺めていた。
戦闘終了の連絡がインカムを通じてもたらされる。
通常、待機組はブリーフィングルームに詰めているものだが、エイラは自らの部屋の隅で膝を抱えていた。
坂本が視た未来のヴィジョン…それはエイラには視えなかったものだ。
彼女の魔眼は自分よりも遠くの未来を捉えている。
そのことにエイラは薄々気付きつつあった。
だから、坂本が撃墜される未来は今訪れているものではない。
エイラは自らにそう言い聞かせるが、身体の震えが止まらない。
彼女は、全員無事帰還の連絡が入るまで祈るようにギュッと目を瞑っていた。
10秒なのか1分なのか、それとも10分ほどが経過したのか、エイラには分からない。
きぃ、というドアの開く音が耳に響き、エイラは顔をあげた。
「少佐…?」
しかし、向けた視線の先にいたのはサーニャであった。
いや、本来それが普通なのだ。戦闘から帰還してエイラの部屋を訪ねる人物といったらサーニャなのである。
しかし、エイラの口から漏れたのはサーニャの名ではなかった。サーニャの瞳が曇る。
「あぁ、サーニャ…オカエリ。」
響いたエイラの声は、とても力ない。
膝を抱えたその姿は、北風にさらされている木の葉のような、今にも壊れてしまいそうな弱さを呈していた。
大丈夫だよ…そう言う代わりにサーニャは震えるエイラを抱きしめる。
「エイラ…どうしたの?」
サーニャが耳元で囁くと、エイラは無理矢理に微笑む。
辛くても無理ばかりして…なんでもないと言い張って一人で全てを抱え込むのは彼女の悪い癖なのだとサーニャは痛感していた。
「どうもしないヨ…。誰も怪我とかしてないカ?」
なにもないはずがない。
サーニャに対するエイラはいつも隠し事が下手だったが、今日は特にひどい。
普段はあっけらかんとしたエイラが部屋の隅で震えているなんておかしいのだ。
しかしサーニャは、それならいいの、とニコリと微笑んだ。
「皆無事…誰も怪我もしてないよ。」
サーニャの言葉にエイラの表情が緩む。
いつか起こりうる未来が今日でなかったことがひたすらに嬉しかった。
しかしそれは、行動しなければ必ず起こる最悪の未来が偶々今日は起こらなかっただけだ。
今日という日になにもせずに坂本を見送ってしまったことは、彼女を見殺しにしたことと変わらない。
その事実がエイラの胸をキリキリと締め付けていた。
「少佐はどうだっタ?」
紡ぎ出された言葉はあまりにもエイラらしくない。
彼女の心配する相手と言ったらサーニャであり、また、目の前にサーニャがいるにも関わらず誰か他の人物の話題をだすこと自体が珍しいことであった。
エイラに感じる違和感の正体…エイラの視線の先の光景がサーニャには見え始めていく。
一つ気付いてしまったら全てのピースが連鎖的に当てはまっていき全貌が姿を現す。
まるで作りモノのような笑みを湛えることしか彼女にはできなかった。
「坂本少佐がどうかしたの…?」
常時のようにだしたはずの声が思いがけず震えている。
しかし、エイラはそのことには気付かず、彼女の問いに苦い顔をして渋る。
坂本との約束だ。いくらサーニャにでも言えやしない。
エイラは床を見つめて黙り込み、サーニャはこれ以上問い詰める気はない。二人の間に気まずい空気が流れる。
訪れたその沈黙を破るようにノック音が部屋に響いた。
「エイラ…いるか?」
凛とした呼びかけは真っ暗な部屋を照らす降り注ぐ光のようだ。
声の主はエイラが今一番会いたかった人物…坂本美緒だった。
彼女の声が耳に入った瞬間に、エイラの頬が緩んだことをサーニャはしっかりと気づいていた。
「いるヨ。入ってクレ!」
エイラの返答に、坂本は部屋へと足を踏み入れた。
暗い部屋に坂本の影が伸びていく。
差し込んだ廊下からの光が眩しくて、エイラは目を逸らした。
「おお、サーニャもいたか。今日も哨戒ご苦労だった!」
エイラの隣に座るサーニャに気づいた坂本がいつも通りの様子で話しかけた。
わっはっはという特有の笑いも忘れない。
出撃する前の気弱な…そして、自らと口付けを交わした坂本は現実のものだったのだろうか、とエイラは思わず自らの唇に触れた。
必然か偶然か、ちょうどその時、坂本と視線が交差する。
エイラはなんだか気恥ずかしくなって、ぷいっとそっぽをむいた。
「サーニャはこの時間はいつもエイラの部屋にいるのか?」
サーニャがエイラの部屋を主な生活スペースとしているのは公然の秘密と言ってもかまわないようなことであったが、それでもそういったことに無頓着な坂本には初耳だった。
坂本はもしかしたら怒っているのかもしれない、とエイラは思い込んで狼狽する。
「あっ…エート、あ「そうです!」
エイラの言葉を遮り、彼女にしては珍しい強い口調でサーニャが返答した。
坂本もエイラも目を丸くして驚き、サーニャを見つめる。
しかし、それでもサーニャはかまわず言葉を続けた。
「坂本少佐こそなんの用ですか?もう随分夜もふけているのに。」
彼女の言葉には明確な棘が存在していた。
それはもしかしたら敵意というものだったのかもしれない。
自らの当然が盗られてしまうような気がして、サーニャはただただ不安だった。
当然は特別だということに彼女は気づいているのか気づいていないのか。
胸に燃え上がる敵意のようなそれを、嫉妬という感情だと認めるには彼女は少し幼すぎた。
けれど、確かに存在するそれは彼女には持て余されて、溢れ出し、棘となる。
「あぁ、少しエイラに用があってな。」
「その用を聞いているんです!」
坂本の言葉を遮るほど即座に、サーニャは問い詰める。
おとなしくて温厚な彼女らしくない姿にエイラも坂本も驚愕してしまっていた。
しかし、坂本はすぐに落ち着きを取り戻すとサーニャへと向き直る。
「サーニャ、悪いがこれは私とエイラの問題だ。いくらエイラと仲がよかろうがお前には言えない。」
真剣な眼差しがサーニャを貫く。
どうしてかどうしてか…サーニャの胸ではぐるぐると感情が混ぜこぜに渦巻いて、彼女には抑えられない。
けれど、坂本の返答は正論で、サーニャも言葉を紡ぎ出せなかった。
サーニャは暴れ出した気持ちをぶつけるように強くドアを開けると、きっ、と振り返る。
「今日は自分の部屋で眠るね!」
‘は’のアクセントを強くしたその言葉が勝手にこぼれだす。
パタンとドアの閉まる音が響くと、聞こえたことのないサーニャの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「怒らせてしまったか?」
坂本はすまなそうな顔でエイラへと視線をおくる。
「私もあんなサーニャ初めて見タ…。」
坂本の動揺に比べてエイラのそれはより強く、言葉が上手くでなかった。
坂本は一人嘆息すると、エイラの髪を撫でる。
「すまなかったな。サーニャの異変は私のせいだろう。私は来ない方がよかったのだろうか?」
坂本の言葉にエイラは首を大きく横に振ることで答えた。
サーニャの行動はエイラを大いに悩ませたが、それとは別のところで坂本の来訪を嬉しく思っていたのも確かだ。
それに、エイラは坂本をとめることをまだ諦めてはいない。
自らに好意を寄せてくれる…そして、自らも確かな気持ちを持ち始めている上官をみすみす死なせるわけにはいかないとエイラは強く思っていた。
どこにも行かないで…そう言う代わりにそっと軍服の袖を握る。
本当は手をつかみたかったが、ひどく臆病な彼女にはそれが精一杯だった。
キスまでしておいてそんなことに臆病になることないだろうと思うが、それが彼女の性分なのだから仕方がない。
代わりに坂本が無言でエイラの手をとる。そこのところやはり坂本は大人だ。
未来を視るためではなく手をつないでいる…その事実にエイラの心臓は鐘のように大きく音をたてる。
こんなに大きな音をたてたら、隣にいる坂本に聞こえてしまうのではないかと、残った方の手で胸を押さえるが益々鼓動が速くなるばかりであった。
「私は飛ぶことはやめない。戦闘だって今まで通り参加する。」
ポツリと、しかしハッキリとした声音で坂本が述べる。
暗い部屋に二人だけ。死をもじさない覚悟を決めた坂本をとめられるのは自分だけ…エイラにプレッシャーがのしかかっていく。
坂本が死のうとしていることを知りながらとめられなかったならば、ペリーヌに…そしてミーナ中佐にも顔向けできない。
いや、501の誰にだってそれは同じだ。坂本は誰からも尊敬され、部隊の父のような存在なのだから。
それになにより坂本に死んでほしくないと自らの心が叫んでいる。
ギュッと握った手にさらに力を込めると、坂本の手が汗ばんでいることに気づいた。
坂本だって死が怖ろしくないはずがないのだ。
自らが戦わなくては代わりに誰かが割を食う。
保身のために誰かを危険にさらすことなど彼女にはできなかった。
胸の奥から染み出してくる怖れを奥歯を噛み締めることで抑え込んでいるのだ。
「少佐がどうしても出撃したいっていうなら私はもうとめないヨ。だけど、その代わりに私を連れていってクレ。」
誰にも言えやしない。けれど自分だけはそれを知っている。
とめたってどうせ坂本は聞かないのだ。それならば私が彼女を守り通す。
エイラは一人そう胸に誓った。