ふたりのり


「ちょちょちょちょっとルッキーニちゃん! これってまずくない!!? とっ、止まれないよぉ~!!」
「アニュワワワワワ!!! ウジャアアアァァ!!?」
かっ飛ばすあたしたちの行く手に、姿を現した巨大な赤岩。
前輪が勢い良く岩に激突する。 芳佳の悲鳴。 その声が、あたしのそれと重なって。

青空の下、あたしたちは仲良く宙を舞った。

「よっしかー! いるぅー?」
ちりんちりんとベルを鳴らして注意を惹く。 今日の非番はあたしと芳佳だけ。
こんな風に窓の外で騒いでたって、だぁれにも分からない。 窓がパタンと開いて、芳佳が顔を出す。
にっひひ。 見てる見てる。 扶桑にもこれ、あったのかな? よく考えたら知んないな。 どっちでもいいけど!

「あれぇー。 自転車だぁ! 綺麗な青色。 ルッキーニちゃん、これ買ったの?」
「ううん。 整備の人が、子供がもう乗らなくなったからって。 譲ってもらっちゃった!」
「へぇー、いいなぁー。」
羨ましそうな声に、ますます鼻が高くなる。 ふふん。 綺麗でしょ、綺麗でしょ。 貰ってから一生懸命に磨いたもん!
足が有ると無いとじゃ、休日の過ごし方も全然違うし。 なんで今まで思いつかなかったのかなって感じだよね!

「それでさぁ芳佳、いきなりなんだけど。 これ。 自転車の乗り方、教えてくんない?」
「へ? ……の、乗り方? ルッキーニちゃん、自転車乗れないの?」
「むっ。 なんだそれ! 今、あたしのこと馬鹿にしたにゃぁ~!」
「ばっ、馬鹿にはしてないよ! なんか、その年で乗れない人も珍しいなぁ、って思っただけで……。」
「馬鹿にすんなーー!!」
そだよ。 あたしは乗れないよ! あたし、子供の頃から軍隊にいたんだもん。 自転車なんか乗る必要が無かったんだもん!
そもそもロマーニャの町はごちゃごちゃしてて、自転車なんかあってもしょーがなかったんだぞ! 必然的な結果だよ!

「もういいもんね! ふんだ! こんな事、芳佳にしか頼めないから来たのに! あっかんべーだ!」
「あっ、待って待って! 一緒に行くってば!」
芳佳が窓からぴょこりと飛び降りる。 申し訳無さそうな顔。 んふ。 素直なやつ。 よしよし、勘弁してあげよう!

「でも意外かな、私にしか頼めない、なんて。 こういうのって、シャーリーさんが優しく教えてくれそうなのに。」
「…………シャーリーには、乗れるようになってから見せるの。 いいから教えてよ!」
「ふーん、そっかー。 シャーリーさんの前でかっこつけたいんだ! ふーん。 ルッキーニちゃんのかっこつけー。」
ペシペシ芳佳を叩きながら、自転車のとこまで連れて行く。 絶対後で仕返ししてやるかんね!
自転車に跨った芳佳の後ろにちょこんと乗って、残念な胸にしがみつく。 あたしたちは昼下がりの基地を勢い良く飛び出した。

…………。 カラカラとホイールが回り続ける。 奇跡的にあたしたちには傷一つ無かった。
自転車も奇跡的に助かった。 つまり戦果は被害ゼロ。 でも。 でもね。 これだけは言わなきゃ気が済まないよ!!

「なんだよ芳佳! 芳佳も自転車乗れないんじゃん! 最初にそう言えー!!」
「そうだよ! 私もこの年で珍しい方に分類される人なの! でも話の流れ的に言えなかったんだもん!」
「芳佳のかっこつけ!!」
「かっこつけじゃないもん! そもそも、なんでこんなに基地から離れた場所で練習するの? 基地ならこんな大岩も無かったのに!」
「だって基地だと練習してるとこみんなに見られちゃうかもしんないじゃん!」
「ルッキーニちゃんのかっこつけ!!」
「かっこつけじゃにゃうあーーー!!!」

基地から離れた岬の近くには、なだらかな丘が長い長いスロープを描く林道がある。
そこを抜けると海に面した大きな大きな原っぱがあって、自転車の練習にはもってこいのはず、だったのに。
芳佳がこぎ出す後ろに乗って、悠然と原っぱまでサイクリング。
そのシナリオは、芳佳が実はまともに自転車に乗れなかったという計算外の事態によって、大きく狂わされたのだった。

「大体、曲がれないだけで走れるんだから、乗れないとは言わないよね、うん。 乗れる乗れないで言ったら乗れるの方だよ、絶対。」
「うじゅー、もうその話はいいってばぁ。 まぁ、あんな大岩がいきなり出てきたら、芳佳じゃなくたってヤバイよね……。」
「そうそう、私じゃなくたって危ないよ。 下り坂と曲がり角のロッテだもん! 撃墜必至だよ!」
二人でぶちぶち言いながら自転車を押していたら、林道がようやく終わって、視界がぱぁっと一気に開けた。

「うっ……うわぁーーー!!!」
「にしし。 どんなもんだ芳佳ー。 凄いでしょ! 凄いって言えーー!!」
海を大きく頂いた青々とした草原。 青の岬。 この一帯は、太陽に照らされる事で信じられないほどの美しさを描き出す。
寒々しい景色の多いブリタニアで、ロマーニャの海を思い出させるこの場所が、あたしはたまらなく好きだった。
だから、ここで練習したかったの。 芳佳にも、この光景を見せたかったんだよね。

「あたしだけの秘密の場所だったんだっけど~。 芳佳にだけは教えてあげる。 二人だけの秘密だぞ!」
「え。 い、いいの、私で? そんな大切な場所。」
「いいのって、何が? 変な芳佳! ほりほり、約束。 ゆーびきーりげんまん、うっそついたらはーりせんぼんのーますっ!」
「ゆーび切った!!!」
二人で顔を見合わせて、くふふと笑う。 そ。 芳佳にだけは教えてあげる。 いっつも優しくて、料理も美味しくて。
シャーリーには甘えたくなるけど。 芳佳といる時は、前に進んでいく気持ちを強く持てる。
親友。 大事な芳佳だから、あたしの大事を教えてあげる。
面と向かって言ったら、扶桑人の芳佳は照れすぎてポックリ逝っちゃうかもしれないから。 今は勘弁してあげるけどね!

「わーい! 見て見て芳佳! てっばなっしうんてーん!!」
「あんまり調子に乗っちゃ駄目だよー! さっきまでちゃんと抑えててね、とか言ってブルブルしてたくせにぃ~。」
「そんな昔の事はわっすれったもーん!!」
あたしってばやっぱり天才だよね。 あっという間に乗れるようになっちゃった! 左右へ小刻みにシフト。 軽い軽い!
この程度の事もできないなんて芳佳はかーいそうだねー。 ガツッ。 ……はれ? 突然視界がくるくる回って。 ずっしゃーん。

「あぁもう、だから言ったのに。 平気、ルッキーニちゃん?」
「……。 うえ゛え゛えええぇぇぇん!! よしかぁー! 痛いよぉ~!!」
「わ、わ。 大丈夫だよ、ルッキーニちゃん。 すぐ治してあげるからねー。」
思いっきりこけて膝や顔を擦り剥いたあたしを、あったかい光が包む。 あぁ。 ほっとする。
ほっとするのは、治癒の光だからじゃなくって。 芳佳のあったかさがあたしに伝わってきてるんだよね、きっと。

「はい、おしまい。 もう痛い所は無い?」
「うん! もう痛くなーーい!!」
「きゃぅ!」
ガバッと芳佳に抱きつく。 ゴロゴロと斜面を転がり落ちて、柔らかな草むらに寝転んだあたしたち。
汚れちゃうでしょって苦笑してても、芳佳の声は楽しそう。 自転車、乗れるようになったし。 お休み、お休み、一休み。
何を急いでいるのか、青空に浮かぶ雲が足早に流れていく。 唐突に、何かが込み上げて。 あたしはぽつりと呟いた。

「ねっ、芳佳。 ……芳佳は、ウィッチやめた後の夢とかって、ある?」
「えっ? ゆ、夢? うーん。 考えた事無かったなぁー。 ……ね、どしたのルッキーニちゃん? 何か……変だよ。」
「……変、かな。 そうかも。 あたしね。 最近ちょっと、胸がおっきくなった。」
「へ、へっ? 胸? な、何言ってるのルッキーニちゃん。 その話と胸と、何の関係があるの?」
確かに。 何の関係があんだろね。 分かんない。 でも。 最近あたしは、ずぅっと考えてた事があってさ。
そして。 もしそれを誰かに話すなら、それは芳佳しかいないって。 なんとなくそう思ってたんだ。
だから、こんな風に思いがけず、あたしの口から言葉が零れだしちゃったの、かも。

「あたしさ。 最近何かが変わってきてるの。 自分でもよく分からないし、うまく言えない。
 でも、確かに何かが違ってきてるんだよ。 楽しい事だけ考えて。 気持ちよく寝て。 それだけで良かったのに。
 最近は、昔はちっとも気にしなかった事が、気になって眠れなかったりするんだ。」
「眠れない!? ルッキーニちゃんが!!??」
むっ。 大袈裟に驚く芳佳を睨み付けると、慌てて口を押さえる素振り。 もう。 こっちは大真面目なのにさぁ。

ごろりと寝心地の悪い胸に頭を乗せる。 芳佳は相変わらず残念賞。 それをいっつも笑ってたはずなのに。 なのにね。
にゃんでかな。 今のあたしには、薄いままで変わらない芳佳の胸が。 やけに羨ましく思えるんだよ。

「あたし、ウィッチ以外の生き方を知らないな、とか。 あたしの責任、とか。 あたしの将来とか。
 一度考え始めるとさ。 答えなんて出ないのに、ずっとずっと悩んで悩んで眠れなくなるの。 変な気持ちなんだ。」
「え。 ……んと。 それは、多分。」
「多分?」
ちょっと驚いた。 返事なんて期待してなかったのに、芳佳には答えがあるみたい。 待ってると、自信なさげに芳佳は言った。

「多分、なんだけど。 それは……ルッキーニちゃんが、大人になり始めてる、って事なんじゃないかな。」
「……大人?」
あたしが、大人? 大人って、大人? ……思ってもみなかった答え。 大人って、なろうとしてなるものではなくて。
望もうと望むまいと、必ず訪れる変化なのだと。 そんな当たり前の事に、あたしは生まれて初めて気付いた。

「あたしが、大人になる。 ……変なの。 ねぇ、芳佳。 芳佳は15歳だよね。 あたしより大人。 15歳って……どんな気持ち?」
「え、えーっ? そんな事言われても。 私だって、たったの15歳なんだよ? ルッキーニちゃんと変わらないよ。
 毎日悩んだり、立ち直ったり。 それで私が納得したからといって、それが答えなんて思えないし。 ……難しすぎるよ。」
「ふーん。 あーあ。 芳佳に聞けばスッキリするかもって思ったんだけど。 もっとモヤモヤしちゃった。」

芳佳のぺったんこの胸に乗せた頭を持ち上げて、もうちょっと上にずらす。 言えないよね。 最近はさ。
こんな風に芳佳にくっついてる事さえ、甘酸っぱく思える時があるんだって。 そんな事言ったら、芳佳は、どう思うかな。

「そうだね。 なんかモヤモヤする。 どんな風になれば。 大人になった、って言えるんだろうね。」
「分かんない。 毛が生えるとか。 胸がおっきくなるとか。」
「……そういうのだけじゃ、大人って言えない気がする。」
「……うん。 違う気がする。 なんだろうね。 大人っぽい事を当たり前のように考えたり、したりできる人……?」
「大人みたいな事、か……。」

芳佳の手が、あたしの結わえたテールを弄ぶ。 芳佳の匂いはお日様の匂い。 芳佳の鼓動が聞こえる。
とくん。 とくん。 そのリズムに合わせて息を、吐く。 吸う。 吐く。 そよ風が頬を撫でる。
あたしも芳佳も喋らない。 土手の上で、風に吹かれたホイールがカラカラと音を立てている。 ずっとずっとこのままでいい。
このままでいられたら、どんなに幸せだろう。 前までのあたしなら、きっと何も疑わなかった。

「ねぇ芳佳。 ……キス、してみよっか。」
「え?」
呟いてみて。 芳佳の瞳を見つめる。 何も込めないで見つめる。 特別な気持ちも、メッセージも。 必要とは思えない。
口で言う必要も、目で言う必要も無い。 声にしても、たぶん意味なんて生まれない。
ロマンチックな気持ちも無くて。 あたしの心は透明な何かに満たされていて。 それが何だか無性に尊いものに思えた。

「大人みたいな事。 してみれば、分かるかも、しれないから。」
「大人みたいな事って……。」
芳佳の頬が桜色に染まる。 芳佳にあたしはどう見えてるのかな。 あたしに見えてる芳佳みたいに、素敵だといいな。
何となく分かるんだ。 芳佳の心にも透明な何かがきっとある。 あたしたちの間には、熱情よりも尊いものがある。
それが何なのか分からない。 うまく言えない。 うまく言えないのが、とても大切な事に思える。

沈黙。 芳佳は、何も言わない。 何も返さない。 ……困らせて、ごめんね。 あたしは笑って芳佳の肩を叩いた。

「……なんてね。 冗談だよ、芳佳。 赤くなっちゃって、かっわいー!」
そのままでいられたら、どんなに幸せだったろう。 前までのあたしなら、きっと疑わなかった。 でも、今のあたしは。
あたしの勝手な気持ちで、芳佳を途方に暮れさせたくないの。 それって、大人だから、とか。 そういうのじゃない。

そうして顔を離そうとした刹那。 芳佳があたしの手を掴んだ。 時間が、ゆっくりになる。 もう、殆ど止まってるくらいに。
無言で、静かに、その目を見返す。 芳佳の、綺麗な綺麗な黒い瞳。 あたし。 芳佳。 あたし。 芳佳。
見つめ合ってたのかな。 目が開いてるだけで、見えてなかったのかな。 分かんない。
風がそよぐ。 芳佳の匂い。 若葉のそれと混じりあう。

あたしたちの唇は、少しの間触れ合って。
離れてゆく湿り気を感じながら、あたしは、あたしの中にある大切な花を見つけたような気がした。

「……大人のキスとは違ったね。」
あたしは笑う。 芳佳も笑う。

「でも、子供とも違う気がした。 大人じゃないけど、子供じゃない。 ……何か素敵なものだった。」
「……うん。」
「私やっぱり、大人の気持ち、よく分からなかった。 でも。 いいよね。」
「うん。 あたしも分からなかったけれど。 これでいいよ。」
「うん。 これでいい。」
二人で顔を見合わせて、笑う。 しがらみも何もなくて。 たださっぱりした気持ちだけが残っていた。

「芳佳に相談してよかった。 やっぱり芳佳は、何か、特別。 恋人になりたいとか、そういうのじゃないけれど。 残念?」
「ルッキーニちゃんこそ!」
あたしの口ぶりにちょっと拗ねたような芳佳を見て、心が仄かな温度を持った。
やっぱり芳佳は、何か、特別。 恋人になりたいとか、さ。 そんな具体的な気持ちじゃないんだよね。 でも。
芳佳にとって一番のひと。 それがあたしだったらって思うと。 なんかね。 心が、きゅんとするのは、嘘じゃないんだ。

もう太陽は沈み始めていて、とても柔らかな陽射し。 あたしはこの黄昏の光がとても好きで。
これほど優しい輝きなのに、あたしを見つめる芳佳は、何だか眩しそうな顔してて。 迷子みたいな顔で、こんな事を呟いた。

「……ね。 私のこと置いてかないでね、ルッキーニちゃん。」
その芳佳の表情がひどく神妙で、あたしは思わず噴き出した。 あんまり馬鹿馬鹿しくて笑ってたら、芳佳はむすっと仏頂面。
それがますますあたしを楽しくさせる。 分かりきった事を、分かりきったように口に出す。

「あたしが芳佳を置いてくわけないじゃん。 ペリーヌなら分かんないけど! ほらほら。 こうしてれば、安心でしょ。 行こっ。」
「……もー。 真面目に言ってるんだよ? 信じちゃうからね!」
あはは。 信じちゃうってなぁに? おっかしーなー、もう。 拗ねてるその手を握って、強引に走り出す。
青い岬で、青い自転車は、ちゃんとお行儀よくあたしたちを待っていた。 えへへ。 一緒に帰ろ、芳佳。 大事な大事なあたしの友達。

それを口に出そうとして、あたしは良く分からない気恥ずかしさに襲われた。 なんでかなぁ。
いつものあたしだったら、すんなり言えちゃうんだけどなぁ。 にゃんかさ。 今日は胸の奥に、大切にしまっておきたいよ。

あたしたち。 多分もうそんなに長い間は、子供でいられない。 でも、忘れないよ。
ずっとずっとさ。 大人になっても、おばあちゃんになっても。 芳佳はあたしの一番の親友!

ペダルをぐいぐい確かめて、後ろの芳佳を振り返る。 にっと笑いかけると、にっと返してくれる。
あたしが芳佳を大切に思ってるみたいに。 芳佳もあたしを大切に思ってくれてたらいいな。
でも、自分がそうだから相手もそうだって、無心に信じられるほどには。 あたし、もう子供じゃないみたい。

「飛っばすぞー! ぎゅっと掴まってなよー、芳佳!」
「うん! ルッキーニちゃん!」
あたしたちを乗せた自転車が勢いよく坂を滑り出す。 シャーリーならきっとこうするってくらいに、全身全霊でペダルを回す。
そんなの当ったり前。 ゆっくりしてたら勿体無いじゃん。 もっともっとさ。 楽しい事していきたいもんね!

かっ飛ばすあたしたちの行く手に、姿を現した巨大な赤岩。 出ったなぁー。 さっきはお世話になりました!
でもね、悪いけど。 あたしってば天才なんだなぁ。 二度も遅れは取らないかんね!
今度は自分から岩に向かって突っ込む。 あたしと芳佳のハートのリズム。 どっちがどっちか分かんないくらい、ぴったんこ。
思い切り前輪を持ち上げると、芳佳が楽しそうに笑い声をあげて。 その声が、あたしのそれと重なって。

茜空の下、あたしたちは仲良く宙を舞ったんだ。

おしまい


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