さよならサーニャ
エイラはベッドに寝て、頭上の照明群を見詰めていた。
これが人間として見る最後の光景だと思うと、余りにも味気なかった。
今更逃げだそうにも、もう遅かった。
第一、麻酔が効き始めた体は意のままにならなかったし、手足は頑丈な革ベルトで固定されている。
抗議しようにも、胃の中まで達している太いゴムチューブのせいで、呻き声一つ出すことはできないのだ。
全ては愛しのサーニャのためであった。
政府の人工ウィッチ計画は全会一致で可決され、速やかに本格始動することになった。
アンドロイドウィッチを開発して、ネウロイの新型機に対抗しようというのが計画の骨子である。
そのアンドロイドの叩き台として、まず既存のウィッチをサイボーグ化することが急がれた。
白羽の矢は501部隊に立った。
ミーナは全力で反対したが、軍部と政府の圧力は凄まじいものであった。
結局、501部隊はウィッチを一人サンプルとして供出しなければならなくなったのだ。
公平なクジ引きの結果、サーニャがその生け贄となることが決まった。
当然ながら他のウィッチたちは猛反対をしたが、心の底では自分が選ばれずに済んだ幸運を神に祈らずにはおれなかった。
そんな中、エイラだけが最後まで折れなかった。
挙げ句、自身が代わりにサンプルとなることを志願したのである。
「出来損ないのサーニャが代表だなんて、笑わせてくれるナ」
思ってもいない憎まれ口をきいてしまったことだけが、エイラの気掛かりであった。
今となってはどうにもならないことだが、こんな計画を考えた政府首脳をエイラは恨んだ。
そして、人間の胸の内に潜むエゴというものを、エイラは心底から恨まずにおれなかった。
準備が終了したのか、マスクを着けた医師たちがベッドの周囲を取り囲んだ。
光のない虚ろな目が不気味であった。
医師の一人がエイラの体を覆っていたシーツを剥ぐ。
真っ白な、そして一つまみの贅肉もないスレンダーな体が顕わになった。
手足が自由にならないエイラは、恥ずかしい部分を隠すことも出来ない。
しかし、自分を見詰める複数の目はいずれも人間のものとは思えず、そのため彼女は羞恥心を覚えずにすんだ。
「こいつら、あたしを人間だなんて思っていない……」
まさしくエイラが思ったとおりであった。
最高司令部直属の科学者である医師たちにとって、ウィッチなどただの実験動物同然だったのである。
無性に腹が立ったが、不思議と恐怖感はなかった。
むしろサーニャがこんな目にあわなくて本当によかったと安堵さえした。
サーニャの命を救うには、やはり自分が犠牲になるしかない。
エイラはそう決意して、この実験に自らの体を捧げることにしたのだ。
しかしそれは将来の夢も、愛しいサーニャのことも全て忘れ去ることであった。
エイラの目の前で何かがキラリと光った。
それは研ぎ澄まされたメスに照明が反射した光であった。
その冷たい眩しさが不快で、エイラは視線をずらす。
「あたし、もうすぐ人間じゃなくなるんだナ……」
それでもサーニャが救われると思えば後悔はなかった。
今、自分ではなくサーニャがベッドに寝ていると想像するだけで耐えられない。
エイラは胸元の一点に圧力が掛かるのを感じて身をすくめようとした。
しかし麻酔の効いた体には痛覚はなかった。
胸元に感じた触感は、生身に突き立てられたメスの先端であった。
その感覚が滑るようにヘソの辺りまで降りてくる。
「何をされたんダ?」
恐る恐る目を開けたエイラが見たものは、縦一文字に切り裂かれた自分の胴体であった。
「…………!」
エイラが呆然とする中、毒々しい色の内臓が腹圧でせり出してきた。
「…………!!」
悲鳴を上げようにも、チューブに押し潰された声帯は役に立たなかった。
嘔吐感が込み上げてきて、続いて目の前が真っ暗になった。
途端に大脳に突き刺さった電極に電流が走る。
それは失神を許さないよう、脳波計と連動した覚醒システムであった。
なぜ全身麻酔が許されず、また失神するのもダメなのかエイラには分からない。
意識を失うと魔力がどうとか教えて貰ったが、エイラには話の半分も理解出来なかった。
嘔吐感は治まらず、胃の中のモノが食道を逆流してきた。
喉の奥にまで差し込まれたチューブが、胃液をメインとした吐瀉物を吸い込んでゴボゴボという音を立てる。
だが、腹の中でパチンという音がしたかと思うと、胃液の逆流は治まった。
ホッとしたのも束の間、医師の一人が腹部に手を突っ込み、血塗れの胃を取り出してきたのを見てエイラは半狂乱になる。
胃液の逆流が止まったのも当然、その供給元が断たれたのであった。
意識が遠のいていくが、脳への電気刺激で現実に引き戻される。
続いて長い小腸がズルズルと引きずり出され、適当な長さに切断されてポリバケツに投げ込まれる。
そして大腸も同じく古びたゴムホースのような扱いで手早く処分された。
その後も、医師たちはエイラのはらわたを不要物として次々に廃棄していく。
それを直視したエイラは、自分がまな板の上で下ろされる魚になったような気がした。
余りに非現実的な、発狂してしまってもおかしくない状況であった。
エイラの傍らに何かの装置が置かれ、チューブが何本か取り付けられる。
「これ以上、何をする気なんダ……」
エイラが不安に思う間もなく、胴体の裂け目が力任せに広げられ、胸部の皮下組織が顕わにされた。
「あぁ……オッパイが……」
小さいが形のいい乳房は、エイラの密かな自慢であった。
その自慢の乳房を盛り上げている脂肪細胞群がグチャグチャになり、基部から台無しになってしまった。
エイラは泣きそうな顔になるが、冷酷な医師たちは気にもせずに作業を続ける。
表層部の筋肉が切除されると、白い肋骨が見えてきた。
巨大なペンチのような器具がエイラのあばら骨を次々にへし折っていく。
その度、バキン、バキンという身のすくむような音が部屋中に響き渡る。
痛みは無いが、嫌でも伝わってくる衝撃が不気味であった。
やがて、プラモデルのパーツをライナーから外すように肋骨が取り除かれた。
エイラは胸の中央部左寄りに、トクントクンと収縮している毒々しい色の自律器官を見つける。
「あたしの心臓……?」
むろん自分の心臓を見る機会などこれまでなかったが、内臓の位置や形くらいは知っていた。
メスを持った手が心臓に近づくのを見て、流石にエイラも身震いした。
「そ、そんな……あたし死んじゃうダロ。や、やめ……」
エイラの両目が一杯に見開かれる。
怯えるエイラの目の前で、心臓の大動脈がさっくりと切断される。
途端にもの凄い勢いで鮮血がほとばしった。
胸の中から赤黒い心臓が取り出され、鮮血がボタボタと滴り落ちた。
文字通りエイラは目の前が真っ暗になり、意識が薄れていくのが分かった。
すぐさま動脈の切断面に人工心臓のチューブが接続され、脳内への血液流入が再開される。
この時、エイラの全身の筋肉が弛緩し、股間からは糞尿が漏れ出ていた。
これが、彼女が人間として行った最後の排泄行為になった。
循環呼吸器系の内臓が完全に取り払われると、手術は腹部の下層部へ移行していった。
鋭いメスが一振りされる度、エイラは自分が人間から遠ざかっていくのを感じた。
そして遂に、メスは彼女の子宮に及んだ。
女性にとって最も神聖な器官が、汚らしい生ゴミ同然に汚物入れへと投げ捨てられる。
つづいて股間の外性器が一気にえぐり取られた。
「サーニャ、ごめんナ……」
もう、そこに愛しのサーニャの口づけを受けることは永久に叶わない。
そう考えると自然に涙が滲んできて視界がぼやけた。
「サーニャ……さようならダ……」
固く閉じられた目の端から、銀色の滴が流れ落ちた。
(つづく)