Her warmth side:M
夜10時を過ぎたころ。
やっと仕事に区切りがついて、お風呂でひといき。今日はちょっと頑張ったわ、と凝った首をまわす。
身体を洗ってから湯船につかると、じわじわと身体の芯へ熱が伝わっていった。
ひとりでお風呂へ入ることはよくあるけれど、なんだか今日は…。
疲れているのだろうか。心に、潤いがほしい。
お風呂につかったまま手足を動かす。
ふぅ、などと息を吐いた。
広いわね、この湯船は。
今更言うまでもないことをぼそりと口に出した、その後の静寂に耐えられなくなって私は湯のなかへ潜った。
◆
なにをしていても、浮かんできてしまう顔がある。
たぶん私は彼女に恋をしているのだと、随分前から知っている。
知っているけれど、どうすることもできないのだ。
きっと彼女の中に、女としての私はいないし、私が彼女をそんな風に思っているだなんて微塵も考えていないのだろう。
仕方がないことなのかもしれない。年も階級も行動も違いすぎているから。
お風呂を上がってから食堂に向かうと、彼女――リーネさん――の淡い色の髪を見つけてしまった。
なるべく普通を装って話しかける。
「あら、リーネさん」
リーネさんの視線が、私の服に注がれていた。そうだった。お風呂で温まった後だから、きちんとした服を身に着けていない。
「ごめんなさいね、こんな格好で」
「いえ。…紅茶、お入れしましょうか?」
「ええ。お願いするわ」
本当によく気のつく子だ、と感心しながら、椅子に腰掛け、数枚の書類とにらめっこをはじめる。
今日中にこれだけは片付けておきたくて、お風呂をあがってすぐ部屋に戻り、取ってきたのだ。
リーネさんが、入れてくれたお茶をテーブルに置く。作業をしているときはなにか口に入れておきたくなるもので、私はすぐに口をつけた。
瞬時に舌がひりひりとする。
「ごめんなさい、熱すぎました?」
「いいえ。無意識のうちに口をつけて、びっくりしただけよ」
もういちど、こんどは意識して紅茶を飲む。うん、美味しい。不味いはずはないわ、だってあなたが入れたお茶だもの。
また書類と格闘しようと視線を落としているうちに、リーネさんの姿が見えなくなっていた。
あれと思って周囲を見渡そうとしたところで、両肩にぬくもりを感じた。
「え? なに、どうしたの?」
リーネさんが後ろにいた。可愛く微笑んで、私の肩を揉みはじめる。
「お疲れでしょうから…」
ほら、こんなところであなたの優しさ。思わず涙腺がゆるむところだった。
お礼を告げて、リーネさんに身を任せる。
「あ、ほら。書類から手を離してください」
私のほうが三つも年上なのに、まるでリーネさんのほうがお姉さんみたい。私が手にしていた書類をす、と取り上げて遠くに置く。
ちょっと甘えてもいいのかしら。
「仕事する時間と休憩する時間、ちゃんとわけなきゃダメですよ」
…甘えちゃうことにしましょう。
リーネさんの手が、心地よいリズムを刻む。
なんだか眠たくなってきた、そのときに突然リズムが崩れた。
「すみません! い…痛かったですか?」
「あ、いいえ。大丈夫よ」
どうしたのかしら。振り返って彼女の顔を見ると、なぜか頬が染まっていた。
「あの…ミーナ中佐」
「なぁに?」
どもりながらも話しつづけるリーネさん。
「その…、なんていうか、お仕事がんばりすぎないでください」
「え?」
「…あんまり無理すると、お身体に悪いですし…」
視線が重なった。リーネさんの青い瞳の中に小さな私がいる。
「リーネさん、もしかして心配してくれてるの?」
「…は、はい」
すごく、うれしかった。部下に心配され、さらにそれを口に出させるなんて上官失格なのかもしれないけれど、ただうれしかった。
「ありがとう。私は幸せ者ね…。でもいいのよ。私にはこれくらいが丁度いいの」
ちょっとだけ無理をするのが私なのだ。それ以前に、私の仕事はあなたたちのためのものなのだから。
「じゃあ、」
リーネさんがなにかを言うまえに私は立ち上がっていた。
「それより。リーネさんこそ、がんばりすぎてると私は思うわ」
本心だった。
「いつもみんなに気をつかって。訓練もあるのに…、疲れてるでしょ?」
やさしいリーネさんは、一癖もふた癖もある隊員たちそれぞれを気にかけてくれる。
仲間ひとりひとりを見ながら生活することは、決して簡単なことではないというのに。
ぐっ、ぐっ。
私はリーネさんの薄い肩を揉みはじめる。さっきのお礼も兼ねて、日ごろの感謝をあらわしたかった。
「そんな、私が!」
上官の好意はありがたくうけとっておくものよ、リーネさん。
◆
いつのまにかリーネさんが眠ってしまっていた。
やっぱり疲れていたんじゃない。こんなところで寝てしまっては風邪を引いてしまう、でも起こすのは逆にかわいそうで。
すうすうと寝息をたてているリーネさんを見ながら…、もしかしたらこの子の寝顔を見るのは初めてかもしれない。
生まれ育った国を守る最後の砦で日々戦っている彼女は、まだたった15歳の女の子なのだ。ここ501に、ブリタニア出身のウィッチはひとりだけ。故郷からのプレッシャーはきっと他からは想像できないほどのものなのだろうに…。
時々、思うことがある。リーネさんは将来、私なんか比べ物にならないくらいのすごいウィッチになる、と。
『故郷を守る』ということ――私にはできなかったこと。なぜかわからないけれど、リーネさんならきっとやり遂げるだろうという確信がある。
_
「リーネさん」
そっと呼びかけてみても返事は寝息だけ。
じっと寝顔をみつめていると、眉がわずかに動いて、ちいさく声を発した。
「…ちゅ…さ…」
「ミー、ナ…ちゅ…さ……」
聞き間違いかしら。それともあなたの夢に私が出演中なのかしら。後者だったらうれしいけれど…。
かなりの意識を集中させて、リーネさんの口もとに注目する。
今度は声は出されなかった。ただ、唇がうごいた。
私の唇もうごいていた、彼女のものと同じように。
気づいたときには彼女の顔が目の前にあった。
馬鹿だわ、私は。
勝手に、しかも寝ている相手に、キスをしてしまったのだ。
◆
何分か――何十分か、経った。
リーネさんの眼がとつぜん開く。
「…中佐?」
正直おかしいのではないかと思うくらいに心臓が高鳴っていた。可能な限り冷静を装って話す。
「…おはよう、リーネさん。といっても、さっきから一時間くらいしかたってないけど」
声はなんとか正常のようだけど、たぶん私はいま変な顔をしているのだろう。リーネさんの表情に疑問が混じる。
「わ、私そんなに寝てました?…ごめんなさい、お疲れなのに」
かなり危険だ。すぐにでも離れないとボロがでてしまいそう。
「いいえ。ほらはやく部屋に戻ってゆっくり寝なさい」
「…あなたも」
ああ、こんなところでまで気を使わなくていいのに。
「ええ。そうするわ」
答えて、リーネさんに背をむける。どうしよう、顔が熱くてしかたがない。
「じゃあおやすみなさいね」
ティーカップを片付けていなかったことに気づき、厨房まではこんでから、私は逃げるように退出した。
なんてことをしちゃったの、私。明日いったいどんな顔をしてリーネさんに会えばいいの?
まだ熱の冷めない頭の中。
私は歩きながらひとり思案していた。
Fin..