looking back
トゥルーデはミーナの事が好きらしい。普段の様子を見ていればすぐ分かる。だから、エーリカは言い出せない。
自分が「トゥルーデの事が好き」だなんて。
そしてエーリカは知っている。ミーナはトゥルーデに対して家族の様に接して振る舞っている。
けど、彼女にはそれ以上の“特別な存在”のひとが居る、と言う事も。
だけど、それをトゥルーデに言った所でどうにもなる訳でもなく……エーリカは思考が袋小路に陥った。
そんなある日の事。
いつもと同じく出撃し、ネウロイを仕留めた帰り。
「ハルトマン。おい、返事しろハルトマン」
「ん? ああ、ゴメン。なに、トゥルーデ?」
「いつものお前らしくなかったぞ。機動にいつものキレが無かった。どうした」
「私はいつもと同じだけど?」
「そうか? 私の思い過ごしなら良いんだが。なあミーナ、今回の作戦行動についてだが……」
またミーナ……エーリカはちょっといらっと来た。気持ちがストライカーの速度に表れる。
「おい、どうしたハルトマン。隊列を乱すな」
「ちょっとお腹痛くなっちゃった。先戻るね」
「おい……」
「良いでしょう。戦闘も終了した事ですし、整備員にその旨伝えます。急ぎなさい」
ミーナの凛とした声。基地に帰ってストライカーを脱ぐまでが戦闘、彼女らしい思考の現れだ。
「どうも」
エーリカは一人先行して滑走路に降り立ち、ストライカーを整備員に任せて、部屋に籠もった。
「ハルトマン、戦闘後のレポートはどうした?」
部屋の扉を開けてずかずかと乗り込んで来たのはトゥルーデ。
「お腹痛いから寝てた」
「床で寝る奴が何処にいる?」
「じゃあベッド片付けて」
「無茶言うな。とにかく、さっさとレポートを書け」
「じゃあ、トゥルーデの部屋の机借りるよ」
「お前っ……勝手にしろ!」
勢い良く扉が閉まる。
エーリカは書類を持ってふらふらと部屋を出て、殺風景なトゥルーデの居室へ向かう。
殺風景な部屋。写真立ては伏せてあった。まだ妹のクリスの事が気になるらしい。
すらすらとレポートを書き上げ、ふっと息を漏らす。
「ヘンなの」
ひとりでに呟いていた。トゥルーデのベッドにごろんと横になり、毛布を被った。
「ハルトマン、何をしている? レポートは?」
いつの間に戻って来たのか、トゥルーデが真上からエーリカを急かす。
「できた~」
「さっさと提出せんか!」
「明日にする。もう遅いし」
「まったく……」
トゥルーデはベッドの前で仁王立ち。
「どうしたの、トゥルーデ?」
「私のベッドだ」
「一緒に寝よう?」
「何を冗談言ってるんだ」
「イヤ?」
「なっ……何をいきなり?」
「私の部屋だと寝場所無いし、今日だけちょっと貸してよ」
「貸してって、筆記具じゃあるまいし」
「横で寝かせてよ」
トゥルーデは溜め息をつくと、ベッドにおそるおそる潜り込んだ。
エーリカは毛布を半分かぶったまま、窓の外を眺めた。半月が空に浮かぶ。
「どうした、エーリカ」
トゥルーデが名を呼んだ。日々の勤務が終わり“オフ”になった時、彼女はエーリカを姓でなく名前で呼ぶ。
「悩みでも有るのか?」
「どうして?」
「外を見て、悲しそうな顔をしていたから」
「別に」
ごまかしと苛立ちが混じり、ごしごしと顔を擦る。
「そうか」
トゥルーデは起き上がると、ぼんやりしていたエーリカのそばに寄った。
「何か問題が有ったら、言うんだぞ」
問題……それはトゥルーデ、貴方なんだけどな。エーリカは心の中で呟いた。
(どうして、ミーナの方ばかり向いてるの? どうして、私の事をみてくれないの?)
「どうして、だろうね」
思わず口に出ていた。
「何がだ?」
トゥルーデが聞き返す。
「何でもない」
エーリカの気持ちについて、当のトゥルーデは何も知らず。
(私だけ苦しんで……まるで一人で勝手に踊ってるみたいでバカみたいじゃん)
エーリカは何だか悲しくなった。だけど、本人を前にしても、言えない。
「どうした? 何でそんな表情をするんだ」
トゥルーデがびっくりして顔を覗き込む。
(どうして……私をそんな目で見るの。もっと悲しくなる)
エーリカは何も言わず、トゥルーデの肩に頭を寄せた。
「エーリカ?」
「ちょっとだけ、こうさせて」
「分かった」
あえて深く聞いてこないトゥルーデの優しさは、時に強烈な苦痛を伴う。エーリカはこらえるのに必死。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。トゥルーデは溜め息をひとつついて、そっとエーリカを抱き寄せた。
「大丈夫だ。皆が居る。私達は、家族じゃないか」
トゥルーデはそう言った。慰めのつもりらしい。でも違う。
エーリカの考えている事、思っている事は、もっと別の次元の事だから。
それはトゥルーデのこと。
何も言えず、ただ、エーリカは涙を流した。
ふと、目が覚める。
いつもの、トゥルーデの部屋。
「起きたか、エーリカ」
一緒に横になっていたトゥルーデが、優しく声を掛けてくる。
「……夢?」
ぽつりと呟くエーリカ。
「? 何の事だ?」
首を傾げるトゥルーデ。
あれは夢? 一体いつの事? 今は何月何日? エーリカは混乱した。自分の手を、指を見る。まっさらな指は綺麗だが何も無い。指輪が、無い。
指輪……じゃああの婚約も、その後の色々な事も、全てが夢? エーリカは左の薬指をそっとさすった。
「あんな夢……見なければ良かった。全て」
ぽつりと呟くエーリカ。
「何を言ってるんだ? そんなに酷い夢だったのか?」
トゥルーデが聞き返す。
「ん。何でもない」
「エーリカ」
トゥルーデがそっとエーリカの左手を取り、指輪をはめた。
「これ……」
よく見覚えの有る、エンゲージリング。トゥルーデもお揃いのをはめている。
「昨日の晩、私達一緒に寝ただろう? その時お前の指輪少し汚れてたから、私が綺麗にしておいた。どうだ?」
「あ。そう、なんだ。……うん。確かに綺麗になってる」
夢じゃなかった。指輪に関する事は、全て。
と言う事は、単に昔の出来事を夢で反芻していただけなのか、とようやく自覚する。
やわらかな部屋の明かりを受け控えめに輝く指輪をじっと見つめるエーリカ。何故だか分からないが、視界がぼやける。
そんな彼女を前に、トゥルーデは首を傾げた。
「どうした、エーリカ?」
「ばかあ」
突然抱きつかれ、泣かれて困惑するトゥルーデ。
「な、何だいきなり。エーリカ、どうした? そんなに嫌な夢でも見たのか?」
「指輪勝手に外さないでよ。勘違いしちゃったじゃん」
「す、すまん。お前が起きる前にはめようと思ったんだ。エーリカが揃えてくれた指輪だ、一緒のものだから、私としても、綺麗にしておきたくて……すまない」
すすり泣きが止まらないエーリカ。
トゥルーデはそっと抱き寄せると、エーリカが落ち着くのをじっと待った。暫くしてエーリカの呼吸が少し整ってきたところで
「何が有った。何を見た」
と優しく聞いた。
「あのね、トゥルーデ。昔の夢を見た。とっても胸が苦しくなる」
「それで、寝てる時に涙を……」
「うなされてるって分かってるなら、起こしてよ」
「すまないエーリカ。そっと抱きしめて、頭を撫でていたんだが……」
「そうなんだ」
トゥルーデに抱きついたまま、胸の膨らみを頬で感じる。よく知った温もりと匂いを感じ、ほっとする。
「ありがと、トゥルーデ」
「お前がうなされて泣くなんて、余程の夢だったんだな」
トゥルーデはそう言って優しく抱き直すと、彼女の耳元で囁いた。
「大丈夫だ、エーリカ。私が居る。お前を怖い目に遭わせたりしない。夢でも」
「やっぱり、トゥルーデだ。夢のトゥルーデと違う」
「悪夢の原因は私か?」
「そうだよ。昔のトゥルーデ」
「それは……何と言って良いやら。すまない」
「でも、今はっきり分かったから良いよ。お互い指輪してるし。夢は今の現実じゃないし、今の私達は夢じゃないって分かっただけでも嬉しい」
「ああ、現実だ。私達の、証だ」
指に煌めく指輪を見せ合う。そして指を絡める。
エーリカはもうひとつ、確かめたかった。
「ねえ、トゥルーデ。キスして」
「ああ。エーリカ。愛してる」
「私も」
そっと口吻を交わす。夢で見た朦朧とした過去が消え去り、いまの現実が鮮明なひとつのかたちとなって、記憶が甦り、巻き戻る。二人で重ねた、愛の証と絆。
「エーリカ、お前も何だかんだで、悪夢を見るんだな」
「トゥルーデ程じゃないよ」
「今度うなされてたら、遠慮なく起こすからな」
「そうして。私もそうする」
「約束」
二人、おでこをくっつけて、微笑み合う。ふたりだけの、秘めたる想い。
もう一度、どちらからとなく唇を重ねる。いとしのひとを感じ、心と身体に刻み込む。
今の自分達の、ありのままを。
end