ハニーバースディ
とうひこうしませんか、おじょうさん。
それは昼間の哨戒任務の真っ最中。突然エーリカがそんなことを口にするものだから、私は当然のごとく
顔をしかめた。
また始まったか、よりによって空の上で。そう内心呆れ果てながらやつを見るのに、当の本人と来たらやけに
朗らかな顔でいる。…いや、こいつがにこにこしているのはいつものことなのだけれど、どうしてか今日の
それにはどこか不自然さを感じたのだ。
「馬鹿なことをいうな。任務中だぞ」
「もう一通り哨戒は終わったじゃん。いいでしょ」
「基地に無事に帰投して、ミーナに報告を終えるまでが任務だ。ハルトマン、お前は戦闘だけをこなしていれば
いいと思っているようだが、ストライカーを履いたその瞬間からが任務であって、と言うことはストライカーを
脱ぐその瞬間まで任務なんだぞ。もっと言ってしまえば…」
「あーはいはいはいはい全然分かりませんー」
「話を終える前から理解をするのを投げ出すなっ!!」
その聞く気のなさを示すかのように、くるくると旋回しながらエーリカは空を自由に飛びまわる。抜けるように
晴れた、青い空。白い雲とのコントラストが美しい。
眼下に広がるのは田園風景で、柔らかな風がこの上空までも花の香りを連れて来てくれるかのようなの
だった。ああ、春なんだな。そう言えばもう3月だったか。青と白の世界を飛び回る気まぐれな子蜂を見やり
ながら、ついそんな抜けたことを考えてしまう。だってこんなにも穏やかなのだ。それこそ、ネウロイの出現
する気配なんて欠片も感じられないくらい。
ねえ、トゥルーデ、いいでしょう?
甘えるようにエーリカが重ねてくる。柔らかく微笑むその顔は、客観的に見ればとても可愛らしい部類である。
主観はこの際どうでもいい。
要するに私が何を言いたいかと言うと、その手に抱えられた銃器が余りにも似合わないということなのだ。
こいつと出会ってもう何年も経っているというのにいまだ、ふとした瞬間に違和感が襲う。髪の金色と、衣服の
黒のコントラストは、春の花畑を呑気に飛び回るミツバチのようだというのに、そんな可愛らしい容姿をして
おきながら実は飛び切りの毒を盛った針を持つクマンバチだなんて、誰が気付くというんだろう。彼女が目を
一瞬細めた刹那、目の前に広がっているネウロイの大群は即座に消えうせていいる。それは本当にその
一瞬の出来事で、これは別の誰かの仕業なのではないかと私は内心いつも驚愕しているのだ。
私のように無骨で、口調も堅苦しいようなやつがたとえ機銃を二丁抱えていようとそれに驚くようなものは
少ないだろう。驚きを通り越して認めてしまうしかないだろうと、自分でも思う。
でも、ハルトマンは、エーリカは、フラウは。
「おじょうさん、おじょうさん」
私の周りをくるくると、何かを示すかのようにミツバチは飛び回って囁きかける。8の字ダンスといったろうか。
確かいいものがそちらにあると知らせるためのもの。
「逃避行しませんか、お嬢さん」
私のいる位置よりも1mほど高い場所に静止して、もう一度エーリカは同じ言葉を繰り返す。フラウ、フラウ。
それはエーリカのためのあだ名だというのに、それを私に対して繰り返して。
そして朗らかに笑うのだ。地上でも、空の上でも、戦闘を終えた後も、休暇のときでも。いつもにこにこと笑って
いる。その肩にかかっているありとあらゆるものなんてほこりを払うかのようにぱっぱと振り払って、何事も
ないかのようにふんわりと。その様は「黒い悪魔」なんていうよりもむしろ「白い天使」といったほうがよっぽど
似合いなのではないかと思うんだ。そんな歯の浮くような言葉、絶対に本人にはいえないけれど。
小さい身体から伸びた腕から、私の目の前に小さな手を差し伸ばされる。
「いこうよ」
天使のような顔をした悪魔が、ミツバチのような姿をしたスズメバチが、そんな風に私を誘う。穏やかな風に
包まれて、ぽかぽかとした太陽に照らされて、なんだか夢見心地になっていく。
「…だから、いまは任務中…」
「逃避行しようよ、私が連れて行ってあげるから」
エスコートなんて到底似合わないくせにそんなことを言ってくるものだからつい、おかしくて噴出してしまう。
あー、笑うなんてひどいじゃないか!膨れ面をされたらこちらの負け、どんなにごめん、ごめんと繰り返しても
言うことを聞くまで絶対に機嫌を直してくれないだろう。この一連の行動まで計算ずくなのだとしたら、こいつは
私の気を緩ませる天才だ。だからこそ、いつも以上に気を引き締めていないとすぐに取り込まれてしまい
そうになるんだ。
口を尖らせながらも今だこちらに伸ばされている掌をぎゅうと握った。温かくて柔らかい温もりの端っこ。私の
手は大きいから、簡単に包み込むことが出来てしまう。
「…しょうがないな、どこまでもつれていけ。が、夕方には帰るからな!!」
「了解了解。大丈夫、坂本少佐にはもう連絡しといたし!」
「…坂本少佐?ミーナでなくてか?」
「細かいことは気にしない!!じゃあ、れっつごー!」
至極当然の疑問はふふん、と鼻で笑われて答えを得られないまま、私はフラウに手を引かれて基地とは全く
の別方向の空へと向かうことになった。
*
「あら、遅かったのね。待ってたのよ」
「ごめーん、ちょっと買うものがあってさー」
「み、ミーナ!?な、なんでここに!」
「いらっしゃい、お姉ちゃん、エーリカさん」
「ク、クリス!元気にしてたか!体調は?えっと、それからその…!!」
逃避行、といっても何のことはない。エーリカに連れて行かれた場所は妹のクリスが入院している病院だった
。いや、何のことはない、と言うことはないか。そりゃ、ここ最近見舞いに訪れる時間も無いほど雑務に追われ
ていたし、内心恋しく思っていたのも事実だし、クリスだって私に会いたがっていたはずだ。
それはまだいいとして、驚いたのはそこにミーナもいたことだった。だって彼女は今日は基地にいるはずで、
だからこそ私はさっきエーリカに「ミーナに報告するまでが任務だ」と言ったはずで。少なくとも伝え聞いて
いたミーナのスケジュールに、クリスの見舞いに一人で行くというものはなかったはずだった。
お姉ちゃん、落ち着いて。くすくすと笑われて、なんだかすごく気恥ずかしくなった。後ろでエーリカがニヤニヤ
笑っていることを知っていたから、懸命に顔をしかめて平静を装う。
「み、見舞いに行こうってことなら最初から言えばよかったんだ!なんだよ逃避行って、回りくどいだろう、
フラウ!」
「エーリカちゃんは焦らし上手なんです~。」
「真面目に答えろっ!そそそれに、ミーナも来るなら、なおさら最初から3人で来れば…」
「私は買い物があったのよ。あと、今日はお見舞いじゃないの」
ねー?と示し合わすように、エーリカとミーナとクリスが笑いあうものだから、私は更に訳がわからなくなって、
一人だけ仲間はずれを食らったような気持ちにもなってしまった。
「…ひどいじゃないか、私にも教えてくれればいいのに」
「あら、楽しみは最後に取っておくものでしょう?」
「楽しみって…別に楽しみなんて何も」
「ふふふ、それはどうかしら?」
君のお姉ちゃんは本当にこういうことに対して無頓着だねえ。呆れ一杯の呟きをエーリカがこぼす。そうなん
ですよ、困っちゃいますよね。クリスもそれに呼応して、ミーナもそれに合わせて笑うものだから私の取り付く
島がない。
お姉ちゃん、こっちに来て。クリスに手招きされて、おずおずとそちらのほうに向かった。はい、これ、プレゼ
ント。私と、エーリカさんと、ミーナさんから。笑顔と共に差し出された包みに固まる。
「え、え、え?こ、これ、なに?」
「お誕生日おめでとう、お姉ちゃん。」
「「おめでとうっ、トゥルーデ!!」」
すっかり頭の片隅、どころか外側にまで追いやってしまっていた事実をクリスに指摘された直後、右から左
から、ミーナとエーリカが同じ言葉を貰った。ゲルトルート・バルクホルン大尉、いつもありがとうありがとう、
誕生日おめでとう!気がついたら医者やナースはおろか、他の病室の人たちまでやってきて私に拍手を
贈ってくれている。壁に備え付けられたカレンダーには赤い丸が二つ。そのうちの一つに、3月20日。私の
誕生日があった。そうか、今日は、私の。
包みを開くと、中から現れたのは写真たて。シンプルな作りながら繊細な彫刻の施されたそれはたぶん、
ミーナとクリスとが二人で選んだものなのだろう。
「あ、ありがとう…そ、その、嬉しい…」
「あーあ、トゥルーデ泣いちゃったよー、単純だなあ」
「うううう、うるさいっ!!!」
「ほら、みんなで写真を撮りましょうよ、ね?」
ミーナの指し示す方向には、記者らしき人物とカメラ。エーリカの差し金か、それとも記者のカンというやつか。
…と、その前にしなくてはいけないことがあることに、私は気付いていた。これは、そう言う意味なんだろう?
そう伝えるためにエーリカに目配せをしたら、帰ってきたのはいつもの笑顔。でもちゃんと分かる。長い付き
合いだから、彼女が伝えたいことが。
カレンダーに描かれた二つの赤い丸。一つは私の誕生日。そして、もう一つの日付は。
「なあ、ミーナ」
「なあに、トゥルーデ」
「楽しみは最後に取っておくもの、なんだよな?」
「ええ、そうよ。だから最後まで言わなかったの」
「まだひとつ、忘れてるお楽しみがあるよ」
そう言って、私は手に持っていた包みを差し出す。つい先ほどエーリカと買い物に出かけたときに二人で
買った、ミーナへのお土産。おみやげ、とエーリカは言っていたけれど、その割にはラッピングの指定が
やたらと細かかったことを覚えている。ここ10日ほどずっと忙しかったから、私も、ミーナも、すっかり忘れて
しまっていたけれど。
「ミーナも、誕生日おめでとう!!!」
声の限りに叫んだら、医者が少し顔をしかめた。けれど直後、先ほどよりもずっとずっと大きな拍手喝さいが
病室を包み込む。後ろからぐい、と抱きしめられた。誰かと思ったらそれはもちろん、我らが参謀、かわいい
かわいいエーリカ・ハルトマンで。最初から最後まで、しっかりばっちり計画してひとりでニヤニヤしながら
実行していたのだろう。重要なことは私にも、ミーナにも話さないで。もしかしたらクリスとはちょくちょく連絡を
取り合っていたのかもしれないけれど。だって20の数字の上の段、11の数字の上もまた、赤い丸が描かれ
ているのだ。
「ミーナも、トゥルーデも、おめでとっ!!!」
驚きに、傍らのミーナが顔を自分の髪と同じくらいに真っ赤にする。どうせ忘れていたんだろうし、私の誕生日
を祝う計画で頭が一杯だったんだろう。ばかだなあ、エーリカにぬかりなんてあるわけないのに。私もミーナも
、すっかりエーリカのペースに乗せられてしまっていた。
「あ、ありがとう…!!まさか、こんなことあるなんて思わなかったから…」
慌ててミーナがハンカチで目じりを拭っている。私も乗せられた一人だけど、ひどく誇らしい気持ちになった。
こうして「家族」で、誕生日を祝える幸せ。けっして逃避とかではなくて、向き合ったからこそ得られたもの。
ぴか、ぴか、と、まばゆい光が私たちを包み込む。最初は驚きで表情が固まってしまったけれど、気がついた
ら自然と笑みが浮かんでいた。エーリカがいつも浮かべているのと同じような、朗らかな笑顔。幸せであると
いう証。
どんな偶然か、それとも必然か、ミーナが抱きしめている包みにも、写真立てが入っていることを私は知って
いる。それを彩るのはきっと同じ写真だろう。たぶん、きっと、ぜったい。
基地に帰ったら、また、みんながお祝いしてくれるからね。
私にいつも飛び切りの蜜を運んでくれる子蜂が、そんな言葉をまた、私に囁きかけた。
了