ゲルトルートと魔法のズボン


 とある昼下り。ゲルトルートは人気のない廊下で、銀色のズボンを拾った。
ズボンには一枚の紙切れが添えられていて
そこには角の丸い女の子らしい字面で、次のように綴られていた。
『このズボンは魔法のズボンです。
履いた者の望みをたちまち叶えてくれます。
ただし、効果はズボンを着用している間だけです。
それでは良い一時を』
 ゲルトルートは肩を落として本の少しばかり溜め息を吐いた。
 誰がやったか知らないが、もし見つけたら徹底的に絞ってやる
と心に誓いながら、ゲルトルートはズボンをコートのポケットに押し込むと、午後の軍務に勤しんだ。


 ゲルトルートがもう一度ズボンを手にとったのは
その日の仕事が終わり、夕食を食べ終えて、自分の部屋でくつろいでいた時だった。
 ベッドに仰向けて寝そべると、銀色のズボンを両手で掲げる。
ズボンはよくよく見てみると、極めて丁寧な造りをしている事に気がつく。
 まず何と言ってもその手触りである。おそらくシルクが使われているのではないだろうか。
なんにしても、その極上の触感から、相当な代物が用いられているのは、間違い無いだろう。
 次にその刺繍である。よく観察すると、下地の銀よりもう一段明るい銀色で
幾何学的な紋様が描かれているのがわかる。魔方陣を連想させる模様だ。
 ゲルトルートは腕をそのままに上体を起こすと、ズボンに鋭い眼差しをおくった。
無論、糸のほつれなどは一切なく、真に丁重な仕上がりだ。
これなら、そこらの貴族はもちろんの事、皇帝家にすら、出したとしても恥ずかしくはないだろう。
 ゲルトルートはもしや、と思った。もしかしたら、紙に書いてあることは本当かもしれない。
 そう思わせるぐらい、そのズボンは完璧だった。天下無二の宝物として崇め奉られても不思議とは感じないほどに。
 それには気品があった。神々しさがあった。眩い後光すら感じられた。

 ゲルトルートはベッドから音も立てず、静かに立ちあがる。
ゆっくりとした動作で、ズボンを腰の上にあてがうと、果たしてそれは、ぴたりと合った。
 運命かも知れない。はたまた神様からの贈物か。
 ゲルトルートはおそるおそる、銀色のズボンを履きにかかる。
額に一筋の汗がながれる。喉を鳴らし、ズボンを掴む手は、微かに震えていた。
何度も足に引っ掛けながら、漸くゲルトルートは自身のズボンの上に、銀色のズボンを身に着けた。


 ゲルトルートはこの素晴らしい状況に夢見心地だった。
間断なく耳に入る“妹達”の甘える声に、頬が緩むのを抑えられないでいる。
ミーティングルームにゲルトルートの理想郷が築かれていた。
部屋の中央のゲルトルートを中心に、楽しい喧騒が広がっている。
 俄に魔法の体現。猫の耳と猫の尻尾。頭部のアンテナ。
騒ぎのはしにいたサーニャの様相に、皆の視線が集まる。
サーニャは目を瞑り
「何か…近付いてくる」
どよめきの中でゲルトルートが
「ネウロイか?」
と口を開く。
「わからないわ」
目を開けて
「けど、北…ロンドンからたがら…」
「奴か」
坂本がミーナに視線を向ける。
「ええ。多分そうね…」
頷いて、ミーナはゲルトルートへ顔を向ける。他の者も不安気な面持で頭を向けた。
ゲルトルートは困惑気味に周囲に視線を巡らす。
 そんな時に、誰かが弱々しく、震える声で囁いた。“お姉ちゃん”。
ゲルトルートは瞬間、身体を強張らせる。誰か、後に続いて“お姉ちゃん”。
 次第に多くなっていくその声に、一々身体をびくびくさせて、ついに
「“お姉ちゃん”に任せろ!」
握り拳を胸の前にして、高らかに宣言。
部屋はどこか、和やかな空気に包まれた。ゲルトルートは“妹”に囲まれる。
前に後ろに抱き着かれ、ゲルトルートは“妹達”の頭を聖母のように撫でてやる。
 そんな中で、サーニャが独り呟いた。
「来た」

 ドアを蹴破る音がけたたましく鳴り響いた。同時に、ブリタニア陸軍の服を着た男が二人、部屋の中に駆け入る。
兵士はウィッチを囲むように両面に分かれ、短機関銃を腰に構える。
 ゲルトルートは“妹”を守るように両腕を広げ、左右の兵士をきりっと睨み付けた。
後ろには肩を寄せ合う“妹達”の怯え、ざわめく声。
 汗が、ゲルトルートの顔を輪郭沿いに伝う。汗は、そのまま下顎に達し、床に小さな染みを造り出す。
 そして、廊下を歩く音…。
単調な足音。それは、万力の歯車のように刻々と、迫り、音量を上げて、近付いてくる。
 ゲルトルートは兵士を視界に認めながら、ドアの方を警戒する。
淡々と、冷酷に歩みは進む。ざわめきは、いつの間にか
消え失せていて、部屋に響くのはただ、規則的な、足の音。
ゲルトルートの心臓は、早鐘のように動作を速くする。
生唾を飲み込んで、腰を掴まれる。振り返ると、心配そうな“妹達”。
ゲルトルートは一瞬目を丸くして、直ぐさま細め、微笑んだ。“妹達“も微笑んで
そして、歯車は止まった。


ゲルトルートが振り向くと、そこには一人、マロニーが居た。
ゲルトルートは顔を改め、毅然たる態度でマロニーに歩み寄る。
見上げて、階級の差異を無視するかのように、きつく、その冷淡な瞳を睨め付ける。
左右の兵士は無礼な態度をとるゲルトルートに対し、銃を構えた。
が、マロニーはそれを手振りで制す。そして、ゲルトルートを俯瞰し
不意に、笑顔になって、口を開いた。
「“お姉ちゃん”」


ゲルトルートはズボンを脱ぎ捨てた。


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