hot stuff
管制塔の無線から、ミーナの合図が二人に聞こえた。
空を飛ぶ芳佳とヘルマは同時に加速し、位置取りを始めた。
「遂に始まったか」
美緒が呟く。
「ええ。高度9000からのスタートですわ」
ペリーヌがレーダーで補足した情報を伝達する。
管制塔のベランダには501の隊員全てが集まり、“世紀の一戦”の行方を見守っている。
先日の休憩時に出た“模擬戦”の話題は、結局シャーリーとの速度勝負そっちのけで「芳佳vsヘルマ」で決定し、始まったのだ。
雲一つない青空。ネウロイの警報も無く……模擬戦には丁度良い。
トゥルーデとエーリカは肩を寄せ合って空を見る。
「レンナルツとミヤフジが一対一の決闘ねえ。トゥルーデはどっちが勝つと思う?」
「私は……どっちにも勝って欲しい」
「どうして? 二人の“お姉ちゃん”だから?」
「ち・が・う」
トゥルーデはエーリカの顔を睨んで否定すると、再び空を見つめ、呟いた。
「かたや、我がカールスラントが誇る最新鋭のジェットストライカー。技術的にも、絶対に勝てる筈だ。
しかし、宮藤は我々501の仲間、家族みたいなものだ。あいつも何だかんだで、技術的に上達している。
501の代表として、簡単に負けて欲しくは無い」
偽りの無い、素直な気持ちを吐露するトゥルーデ。
「だよね~。ちょっと複雑な気分だよね」
「そう言うエーリカは、にやけてるじゃないか」
「見える?」
トゥルーデの腕をぎゅっと握って笑うエーリカ。やれやれ、と溜め息を付いてトゥルーデはエーリカの肩を抱き寄せた。
ルッキーニは、空に軌跡を残す二人を指差して言った。
「ねえねえシャーリー、どっちが勝つか賭ける? ……シャーリー?」
「いいよなあ……ジェットストライカー」
手摺に頬杖をついてため息を漏らすシャーリーを、エイラがつついて言った。
「まだ落ち込んでるのカヨ~。そのうちリベリオンでもジェットストライカー作るダロ?」
「それまでに、あたしがまだ現役のウィッチで居られたらいいんだけどさ……」
シャーリーは手摺をぎゅっと握り締め、身を乗り出して叫んだ。
「ちくしょー! そのストライカーあたしによこせー!」
「それにしても、リベリアンは病気だな」
ぽつりと呟くトゥルーデ。
「叫ぶなッテ。サーニャ起きちゃうダロ」
エイラに身体を預けながら、ぼんやりと空を眺めるサーニャの姿が有った。
「二人とも、加速してる……」
「宮藤は何考えてるンダ? 速度じゃ勝てないノニ」
エイラとサーニャは状況を見守った。
その横では、心配そうに見守るリーネの姿が有った。
「芳佳ちゃん、勝てるかな」
「大丈夫だリーネ。宮藤には勝算がある」
リーネの肩をぽんと叩き、頷く美緒。
芳佳は加速し、まずはヘルマの動きを探る。
一方のヘルマは、速度と高度を上げ、一撃離脱戦法の構えだ。
芳佳は、ハンガーを出る直前、美緒にぐいと肩を掴まれ、頬をくっ付けて言われた事を思い出す。
それは初めて空に上がった、あの時と同じ感覚。
「良いか宮藤。相手は一撃離脱を得意とする高速のジェットストライカーのウィッチだ。一撃離脱と言う事は、
初太刀……最初の一撃をやりすごせば後は何とかなる。まずは最初に気をつけろ。特に高々度ではな」
芳佳は心の中で反芻する。美緒のアドバイスはもう少し有った。
「前の戦闘でも知っての通り、あのストライカーは低速域では弱い。そこが狙い目だ。粘って格闘戦に引きずり込め。
もし相手が速度を落さなければ、私達の零式艦上戦闘脚の得意な低空域に持ち込め。いいな」
美緒の言葉を胸に刻む。うん、と頷き、九九式機関銃を構えた。
一方のヘルマは真っ向から芳佳を狙い、30mm機関砲で銃撃してきた。
最初の一撃。狙い澄ました、正確な射軸が芳佳を捉える。
ひらりとロールしてかわす。ぎりぎりのところを弾が飛んで行く。
幾ら模擬弾……ペイント弾と言え、肌に当たるとべとつくし、当たった瞬間はかなり痛い。
当たれば即負け、しかもべとべとのおまけつき。
それに……501のみんなの為にも、負けられない。
芳佳は顎を引くと、サイドスリップを掛けながら旋回、反転した。
ヘルマはその手には乗るまいと、速度を維持して芳佳をやり過ごし、大きな弧を描いて再び芳佳に迫る。
高速で迫るヘルマの銃撃を、またも皮一枚で避けきり、ロールを繰り返して隙をうかがう。
「まずは、初太刀でやられなかった宮藤を誉めるべき、か」
美緒が戦況を聞き、呟いた。
「流石に一撃で、とはいかないでしょうね。何せ、空戦技術……格闘戦に関しては、貴方の愛弟子だから」
ミーナが美緒に語り掛ける。
「ともあれ、どうなるか」
二人は揃って、空を見た。
「なんて面倒な!」
ヘルマは思わず声を荒げた。
当たる筈の弾が、当たらない。何故か避けてられてしまう。
一撃で仕留める筈が、出来ない。ひらりひらりと左右に振られ、蝶の如くかわされる。
そして得意の距離を取る事が出来ず……気付くと零式持ち前の小さな旋回半径で、いつの間にか背後を取られている。
勿論、即座に圧倒的な速度差で振り切り、再度一撃離脱での攻撃は出来ても、ひやりとする場面があった。
いや、むしろ僅かなタイミングでも、後ろにつかれるパターンが増えてきた。
芳佳もまだヘルマが操るMe262の速度に慣れないのか偏差射撃が微妙にズレて当たらないのだが……。
これが他の熟練ウィッチ……例えば、かの坂本少佐だったら……と思うと、ぞっとするヘルマだった。
司令塔では、戦況……と言っても模擬戦だが……が刻々と報告されていた。
「レンナルツ曹長、射撃するも当たらず。宮藤軍曹、一瞬背後を取るも振り切られる……」
様子を双眼鏡で眺めていたミーナは、顔を曇らせた。美緒がそれに気付き、どうした、と声を掛ける。
「いえ……私の予感が当たらなければ良いんだけど」
「それは悪い予感か? そうだろう?」
「ええ。あまりにのめりこんで低空域に入り過ぎると……」
「確かに、入り過ぎは危険だな」
戦況は膠着していた。互いに得意な戦法で譲らず、既に七分が経過していた。
芳佳は、賭けに出た。
再び一撃必殺で迫るヘルマをちらりと見やると、低空域へと降下し、ヘルマを誘い込んだのだ。
苛立っていたヘルマはそのまま低空域に突入し、芳佳を狙い撃つ。
芳佳は右に左にとスリップ、ロールを繰り返し、弾を避け、距離を乱す。
『宮藤さん、レンナルツさん、高度が低過ぎます。上昇しなさい』
ミーナからの指示が飛ぶ。その瞬間、芳佳は美緒直伝の左捻り込みを掛けた。
芳佳のストライカーが、身体がぐるりと回転し、ヘルマの真後ろにぴたりとつけた。
ヘルマは芳佳の動きに合わせ、顔を向け、機関砲を構えた。
その刹那、芳佳は、あっと言う顔をして、構えていた銃を放り投げ、ヘルマに近付いた。
「貰った!」
ヘルマはトリガーに指を掛けた。しかし、芳佳の突然の不可解な行動を疑問に思う。
その疑問は、振り返って気付いた。地面すれすれ、森林の直上が見え……
木々に接触し、ヘルマの意識はそこで途切れた。
「宮藤軍曹!」
かっと目を見開くと、ヘルマはベッドから跳ね起きた。
ぐい、とトゥルーデの腕が伸び、ベッドに押し戻される。
「落ち着けヘルマ。もう終わったんだ」
「……?」
何の事か理解出来ないヘルマ。身体にはほのかな光りと温かさがそそがれ、癒される。
「分かるか? ここは医務室だ」
傍らには、ベッドの脇で必死に治癒魔法を施す芳佳の姿があった。
「わ、私は……」
呆然とするヘルマ。部屋にミーナと美緒、そしてリーネが入ってきた。
「大した怪我で無くて、本当に何よりだわ、レンナルツさん」
「ヴィルケ中佐……坂本少佐も」
「貴方のストライカーも奇跡的にほぼ無傷だそうよ。外装が少し痛んだ位で。少しオーバーヒート気味らしいけど」
ミーナがほっとした表情で告げる。
「あの、一体……」
「レンナルツ、お前は失速して墜落したんだ」
美緒が告げた、衝撃の一言。
「つ、墜落……」
言葉が出ないヘルマ。
「宮藤さんとの格闘戦で低空域にもつれ込んでね……。幸い落下地点が森林地帯だったから、
木がクッション代わりになったのでしょうね。あと、宮藤さんがその場ですぐに治癒魔法を使ったから」
「ここに担ぎ込まれた後も、宮藤がずっとお前に治癒魔法を掛けているんだ」
「そう、ですか」
頭に巻かれた包帯を手で触る。真剣な眼差しで治癒魔法を続ける芳佳を見る。
芳佳の頭に生えていた耳が、不意に引っ込んだ。同時に身体の力が抜け、がくりと床に崩れ落ちた。
「宮藤!」
「芳佳ちゃん。大丈夫?」
慌てて皆に抱きかかえられ、芳佳は薄目を開けた。
「あ、バルクホルンさん、リーネちゃん。私なら……それよりも、レンナルツさんが」
美緒が、再び伸ばし掛けた芳佳の手を取り、言った。
「宮藤、もういい。レンナルツならもう大丈夫だ。お前は魔力を消耗しているから、今日はもう休め」
「でも、まだ。私、レンナルツさんに……」
「無理はするな。休め。これは命令だ、いいな」
美緒のきつい表情に圧されたのか、芳佳は弱々しく頷いた。
「はい」
「行こう、芳佳ちゃん」
リーネは芳佳の肩を支えると、よろよろと医務室を出て行った。ドアを閉める際、リーネからヘルマに向けられた視線が冷たく感じた。
「あ、あの……すいませんでした」
ヘルマは、しょんぼりと肩を落として呟いた。
「レンナルツさん。模擬戦だからこそ、無理はしちゃダメよ。ネウロイとの戦いでもないのに、傷付くのは……」
言い掛けて、そっと肩に手をやり、微笑むミーナ。まるで我が子を見守る母みたいな慈愛を感じる。
「申し訳、ありませんでした」
ヘルマはうつむいた。ぽつりぽつりと、涙が毛布に零れ落ちる。
ミーナは少し困った顔をして、美緒を見た。
「良い模擬戦だった。お互い一歩も引かぬ、見事なものだったぞ」
美緒があくまでウィッチとして誉め、慰めの言葉を掛ける。
「泣くなヘルマ。誰にだってミスは有る。宮藤もムキになって低空域に入り過ぎたんだ。奴も謝っていたぞ」
トゥルーデがヘルマの肩に腕を回す。
「でも、私……私……」
「ヘルマ」
トゥルーデの口から発せられた、柔らかなことば。家族に呼ばれたみたいな気分になり……
「お姉ちゃん」
ヘルマはトゥルーデにしがみついて、しくしくと泣いた。
トゥルーデは少し顔を赤らめてミーナと美緒を見た。二人とも、やれやれと言った顔をしている。
「後は任せたぞ、バルクホルン」
「よろしくね、トゥルーデ。私達はこれで」
「ああ。分かった」
ミーナと美緒は揃って部屋を出た。
二人っきり、医務室に残される。
ヘルマはまだ泣いている。
「悲しいのか? 悔しいのか?」
トゥルーデの問い掛けに、首を縦に振るヘルマ。
「誰に対して? 宮藤? 自分自身に?」
ヘルマの頭は動かなかった。感情が暴発したのか、単純な答えしか返ってこない。
冷静に自分の犯したミスを把握し、次の成功に活かすというのは、ウィッチとして当然の事だ。
しかし、その前にヘルマはまだ若い、と言うより幼い。理性よりも感情が先走るのもある意味当然だ。
「大丈夫だ、ヘルマ。問題ない」
トゥルーデはそっと抱きしめ、泣き止むのを待った。
ヘルマは疲れたのか、泣きながら寝てしまった。
トゥルーデはどうして良いか分からず、ひとまずそっと腕を離し、ヘルマをベッドに寝かしつけ、ふうと一息付いた。
「お姉ちゃん」
背後からの呼び声にぎくりとして振り返る。エーリカだった。
「何の真似だ、エーリカ。おどかすな」
「トゥルーデ、夕食になっても来ないから、心配して来ちゃったよ」
エーリカはそう言うと、廊下からディナーの一部を持ち出したらしい一皿を、トゥルーデに渡した。
「これは何だ?」
「リーネが作った、白身魚のフライ。タラかな。そのまま食べるの面倒だから私がパンで挟んでみました~」
「別にそのままでも良いと思うが……サンドイッチ風か。ともかく、有り難う」
「ソースとかは何もかけてないよ。私が何かするとトゥルーデ怒るから」
「余計な事はしないでくれ。頼むから」
「ほらね。まあ、冷めないうちに食べて食べて」
「ああ」
食パンに挟まれたフライを一口かじる。
カリッと揚がった衣にジューシーな白身、控えめにきいた塩胡椒が食欲を増大させる。
「うまいな」
「でしょ? 私が作ったんじゃないけど」
「いや。持ってきてくれただけでも嬉しいよ。有り難う」
もくもくと食べるトゥルーデ。エーリカはトゥルーデの横に腰掛け、ヘルマの寝顔を見て、呟いた。
「しかし、レンナルツも無茶したね。低空域で低速度の格闘戦なんて、Me262でする事じゃないよ」
「宮藤の粘り勝ち……と言いたい所だが、あいつもムキになり過ぎだ。相手を危険に晒すのはどうかと……」
「でも凄いよね。銃を使わずに撃墜だなんて珍しくない?」
「お互い煮詰まったんだろうな。しかし、ヘルマの所属部隊の連中が聞いたら何と言うか……。それが心配だ」
「大丈夫、さっきミーナから聞いたよ。書類上ではストライカーの動作不良って事にするって」
「動作不良か。随分と強引なこじつけだな。良いのか?」
「実際失速したし。まあ失速して当然の機動の結果だけどね」
「ふむ」
「まあ、ストライカーも殆ど損傷無いって話だし、大丈夫じゃない?」
「なら良いんだけどな」
「他に何か問題でも?」
「いや……」
最後の一口を素早くエーリカに食べられ、思わずぽかんとした顔をする。
そんなトゥルーデを見て、エーリカは笑った。
「トゥルーデ、考え過ぎ。大丈夫だって。ここは『連合軍第501統合戦闘航空団』、皆家族でしょ?」
「“死人に口なし”ならぬ、悪い事は言わない、か?」
「そうそう。皆で幸せになろうよ」
エーリカは腕を回し、トゥルーデに抱きついた。
拒む訳でもなく、トゥルーデはエーリカを抱きしめる。
お互い何も言わず、見つめあう。
何を思っているか、何をしたいか、何を求めているか、お互い手に取る様に分かる。
二人はそのまま距離を縮め、唇を重ねた。
「お姉ちゃん」
びくりとして振り向く。ヘルマが起きて、形容しがたい表情で二人を見ている。
「ヘルマ、いつ起きた?」
「レンナルツ、おはよー」
おどおどするトゥルーデ、あっけらかんと……いやむしろ反応を見て楽しんでいるエーリカ。
「ふっ二人とも何なんですか!? 人の前でうらやまけしからんことを!?」
ヘルマは怒りと羨望がごちゃ混ぜになったらしく、二人に向かって腕をぶんぶんと振っている。
「お、起きたなら起きたと言ってくれ」
「寝てる怪我人の前でそういう事するんですかお二人は!? この際言わせて貰いますけど……」
「まあ待てヘルマ、話を……」
「ねえレンナルツ、妬いた?」
「むきー!」
ドア越しにそっと中の様子を聞いていたミーナと美緒。
「大丈夫そう、だな」
「そうね」
二人は頷くと、医務室から離れた。
「それにしても、よく宮藤さんは低空域での格闘戦を選択したわね。Me262の不得意分野を見極めた戦法だけど……」
「ちょっと、無茶し過ぎたな」
「……」
ミーナの視線を受け、思わず二度見する美緒。そして天井を見、弁解する。
「すまん。確かに、宮藤にアドバイスをしたのはこの私だ。でも、墜落させろとまでは言ってない」
「最新鋭のストライカーと専属のウィッチを危険に晒さないで頂戴。あと、宮藤さん自身もよ」
「私はあくまで有効な戦術をだな……いや、悪かったミーナ」
「始末書を書く私の身にもなってよ」
「手伝おう」
「それだけ?」
「……何なりと」
「では、行きましょうか」
end