学園ウィッチーズ 第22話「ゆらめき」


 リーネとペリーヌは昼食場所へ向かう途中で芳佳に遭遇する。
「芳佳ちゃん、久しぶりに一緒に食べない?」
 リーネはランチボックスを胸の辺りに掲げながら、笑顔を向けたが、芳佳は両手を顔の前であわせて頭を下げた。
「ごめん、リーネちゃん! 実は寮に忘れ物しちゃって……。それに、今日サーニャちゃん具合悪くて休んでるみたいだからなにか作っときたくて」
 ペリーヌはサーニャの病欠を疑わない芳佳に思わず真実を話しそうになるが、半ばおろかなほどの純粋な眼差しを前に、ぐっと押し黙り、隣のリーネの表情から笑みが流れ落ちていくのを眺めるに留まった。
「それじゃ、またあとでね」
 芳佳はリーネの機微には気づいてはいないのか、無邪気に手を振りながら、学園の外へと駆け出していった。
 リーネは芳佳が背を向けるまで手を振った後、しゅんと肩を落とす。
 ペリーヌはその横顔にいたたまれなくなり、そっと彼女の肘のあたりを掴むと、引き寄せた。
「昼休みが終わってしまうわ」

 シャーリーは、散らかったエーリカのベッドの上で彼女に向かい合うようにして横向けに寝そべり、彼女の腰の辺りに置いた手を歌に合わせて上下させる。
 まったくまぶたの下がらないエーリカの大きな瞳の中に映る自身の困惑顔に、シャーリーは眉をより一掃しかめた。
「……なぁ、あと何曲歌えばいいんだよ」
「さぁね……」
「もうレパートリーないぞ」
「あのさ」
「うん?」
「……シャーリーって世話焼きだね」
 表情一つ変えず、すっぱり言い放つエーリカに、シャーリーは白い歯の間から笑いをこぼしながら、
「たまにこんな自分が嫌になることもあるよ……」
「じゃあ、ほっとけばいいじゃん。すすんで苦労人なっちゃったりしてさ……」
 エーリカはシーツに膨らませた頬をこすりつけ、遠い目でぼんやりと、しかしながら、棘のある言葉を連ねていく。
 シャーリーははあっと大きく息を吐いて、エーリカの腰の辺りに置いた手を頭に持っていって、柔らかな金髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「したい苦労だから別にいい。なんとでもいえ。てか眠れ。体に……障るぞ」
 エーリカはシャーリーの言葉にまばたきをすると、頬から息を抜いて、唇を引き締め、わずかばかりに顎を引いて、シャーリーを見上げた。
「……ありがとう」
「おいおい。そうやってかわいい顔しても、だまされないぞ」
 うりゃうりゃと付け加えながら、シャーリーはエーリカの髪をまた乱す。
 エーリカは口でだけやめてと言いながら、シャーリーの手に心地のよさを覚えたのか、ようやく小さく声を出して、笑った。

 しぃんと静まり返った室内で二、三回寝返りを繰り返した後、サーニャはむっくりと起き上がり、厚いカーテンから透けている日の光を重いまぶたから覗く翠の瞳に映し入れる。
 室内時計を確認して、学園は丁度昼休みごろであろうかなどと考えながら、大き目のシャツに袖を通すと、音を立てぬようにドアを開け、廊下の赤いカーペットに視線を落とし、左右を確認して部屋から滑り出た。
 白いおなかはすっかりへっこんで、サーニャは足早にキッチンへ向かい物音に気がついてはたと足を止め、ためらいを見せた後、また歩み出す。
 そうっとキッチンを窺おうとしたサーニャにすぐさま声がかかった。
「サーニャちゃん、起きてて大丈夫?」
 その声にびくりとしながらも、サーニャはゆっくりと声をかけてきた主に姿を見せると、近づいていった。
「芳佳ちゃん、学校は?」
 芳佳は頭をかきながら、
「忘れ物しちゃって……。それに、サーニャちゃん具合悪いって坂本さんが言ってたからついでにおかゆでも作っていこうかなって。食欲、戻った?」
 と言って、トパーズのような茶褐色のまっすぐな瞳をサーニャに見せ付けながら、返答を待っている。
 サーニャは仮病を使って寮に留まった事実を言えるはずもなく、その視線から逃れ、あまったシャツのすそを握り、もじつく足元を目に入れ、そこに伸びる影に顔を上げた。
 いつの間にやら目の前に立った芳佳がすかさずサーニャの額に手を当て、自分の額の熱さと比べて目を細めた。
「熱はないみたいだね。あっ……」
 芳佳は背後の鍋の音にサーニャから離れると火を止めてもう一度彼女を見つめる。
 サーニャはかすかに早くなった心音に戸惑いながら、小さくうなづいた。

 シャーリーは規則正しくなり始めたエーリカの寝息をしばらく聞き入れた後、彼女の髪の間に沈み込ませていた指をそっと引き抜いて、細心の注意を払い、散らかった床からなんとか足場を見つけ出しながら抜き足差し足で移動し、部屋をあとにする。
 窓の向こうに郵便係を視止めると、長い足を大きく開きながら早足で玄関に向かい、ノックされる前にドアを開け、郵便を受け取り、ごくろうさんと言いながらドアを閉め、それを背にしながら、郵便物を確認する。
「これこれ……」
 取寄せたバイクの部品カタログに頬を緩ませながら一通一通封筒を確認し、はらりと落ちたサイズ違いの封筒に膝を折り、拾い上げた。
「……ミーナ・ディーリンデ・ヴィルケ……オストマルク……音楽学校?」
 シャーリーは封筒の表と裏を何回か見ながら、眉間の皺を深くした。

 開け放たれていた生徒会室のドアがこんこんとノックされ、ミーナは書類を広げていた机から顔を上げた。
「あら、美緒」
「昼食はもう済んだのか?」
 ミーナは坂本の問いに瞳をぱちくりさせ、ちらと時計を見、あと十分もすれば午後の授業が始まることに気がついた。
「ああ……そういえば、忘れていたわ」
「おいおい、ミーナらしくないな」
 他意のない坂本の一言にミーナは一人でぎくりとしながら、少しばかりの苦さを表情に残し、笑う。
「何か用事?」
「おっと……。そうだったな。ハッキネン主任教官経由で病院から連絡があった」
「トゥルーデになにか?」
 立ち上がりかけるミーナに坂本は制止を促すように手を軽くあげた。
「慌てるな。バルクホルンじゃなく、その妹のクリスが目を覚ました。本来であればあいつに言うべきなんだろうが、あいにく入院中だしな」
「……クリスが」
 ミーナが思わず瞳に涙をためるのを見届けて、坂本も感化されたように微笑んで、車のキーを投げ渡すと体をずらした。
「早くあいつにも知らせてあげるんだな」
「ありがとう」
 ミーナは目尻を拭いながら、坂本に笑顔を寄越して、駆け出した。
 トゥルーデはどんな顔をするか――
 彼女の顔を思い浮かべたミーナの頭にある不安がよぎり、つい足を止めかけるが、ぶるりと振り払うように首を振って、校舎を抜け出した。
 
 化学室の窓から校庭を横切るミーナを見送りながら、ビューリングはウルスラが作ったサンドイッチにかじりつく。
 まずくはない、かといって極上のおいしさ――というわけでもない、まさにウルスラが作ったと納得がいくような、はみ出しの見当たらない、杓子定規な味。
 ごくりと飲み下したビューリングの顔のそばにコーヒーカップが差し出される。
 ビューリングは横目を送り、ひと呼吸おいて受け取るとあたたかいカップに手を添え、それを渡してくれた人物――ウルスラに目を側めた。
 ありがとう。
 その一言も出てこず、ビューリングはそんな自分につい顔をしかめかける。
 ウルスラはふぅふぅとカップから漂う湯気に息を送りながら、ちびちびとコーヒーを味わい、さきほどのビューリングと同じようにミーナを見つめていた。
「昔は……彼女が上官だったんだろう?」
 ビューリングの問いにウルスラは横に首を振って、カップの中に映る自身の姿を見つめた。
「実感はない。私は……カールスラントが壊滅にしかけたころにスオムスに転属したから…」
 言いかけて、ウルスラは何か思い出したかのように目尻を強張らせ、またコーヒーを飲む。
 ビューリングはウルスラのその微妙な変化を察知すると、視線をカップの中で揺れるコーヒーに移して、その中でたゆたう自身を見つめ返した。
 
 午後の授業がすべて終わり、坂本と醇子は書類を渡しあいながら、廊下を進む。
 醇子は坂本から渡された書類へと熱心に目を通し、項目を映るごとに口元を緩ませたり、眉をしかめる。
 坂本はその様子を仔細に観察し、つぶやいた。
「……後進を育てるという大義自体は気に入っているが、いざやってみるとなかなか骨が折れるな」
 その言葉に醇子はようやく坂本に視線を移し、上品な笑顔とともに答えた。
「そうは見えないけど? それに、美緒は教官をやりたがっていたじゃない」
「まぁな……。だが、醇子ほどの管理能力はないというか、多人数をさばくのはまだまだ苦手だ。改めてお前のすごさを感じた……」
 坂本はそう言いながら進むが、醇子が足を止めたため、振り返る。
「どうかしたか?」
 醇子は胸の抱いた書類を持つ手に力を入れて、ほんのりと頬を染めた笑顔を見せたかと思うと、そっと坂本の腕に手を回し、また歩き出した。
 坂本はふわりと揺れる醇子の髪からうすく香るにおいに胸の奥を波つかせながらも、自分の言葉に何かしらの喜びを感じ取ったと思える醇子の行動に相好を崩した。

 ゲルトルートのいる病院にたどり着いたミーナは、ノックするために握った拳を空に浮かせたまま考え込むような表情を見せたのち、手を下ろして静かに個室のドアを開けた。
 薄いカーテンで日光をさえぎった灰色の部屋の中、ミーナが差し入れた厚い本を胸に抱いたまま、ゲルトルートは寝息を立てている。
 ミーナは後ろ手にドアを閉めると、視線だけをゲルトルートに向け、沈潜するかのようにその姿勢を保ったかと思うと、静かにドアから離れ、ベッドのパイプに音を立てないように慎重に手をかけ、腰を折った。
 眠るゲルトルートの鼻先にかかるかかからないかの距離でミーナの赤い毛先が揺れる。
 ミーナは垂れた髪をそっと耳にかけ、穏やかな呼吸を繰り返すゲルトルートの口元に注視をしていたかと思うと、意を決したかのように彼女の顔に自らの顔を近づけた。
「トゥルーデ、起きて」
 耳元でのミーナの呼びかけに、ゲルトルートはゆっくりとまぶたを開け、ベッドのそばで直立し、自分を見下ろす形になっているミーナに微笑んだ。
「来ていたのか」
 その笑顔に応えるように、ミーナも口角を引き上げた。
「ええ。それに良い報せがあるの。クリスが目を覚ましたわ」
 まどろみから抜け出せない様子だったゲルトルートがかっと目を見開いて、ベッドから立ち上がると勢い余って倒れそうになり、ミーナに支えられながら、彼女を見上げた。
「ミーナ、本当……なのか?」
 ミーナは深くうなづいて、ゲルトルートを抱きしめる。
 しかし、その瞳はどこか寂しげで、空疎さを秘めていた。
 
 放課後となり、ペリーヌはクラスメイトがいなくなった教室で花瓶に新しい花を挿し、そっとなでるように花に触れながら形を整えた。
 自然とこぼれる笑み。
 その浮き立つ気持ちを保ったまま、少しばかり乱暴にくくられたカーテンの皺を伸ばし、留め直しながら、ふと窓の外へ目を向け、反射的にカーテンの陰にその身を隠した。
 自身の行動に顔をしかめながら、カーテンから離れ、自然な姿勢で窓の前に立ち、その向こうに映る坂本と醇子の仲睦まじい様子に胸をかきたてられたのか拳をきつく握りしめる。

「エイラさん、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「どってことないって。それにしてもすごい資料の数だったなー」
「そうですね」
 資料運びでもやらされていたのか、エイラとリーネはそんな会話を交わしながら教室に入り、つきあたりの窓のそばに居るペリーヌの後姿を目に入れ、不思議そうな顔を見合わせるとエイラが背後から近づいて、ペリーヌの顔の横に自身の顔を並べて視線の向きを合わせた。
 話しながら、笑顔を向け合う坂本と醇子。
 坂本が何か冗談でも言ったのか、醇子は彼女の肩を叩き、空いた手で口元を押さえ、また笑う。
 あれぐらいの年のころでは、よく見られる自然なやり取り。
 しかし、すぐ隣にいる少女にとっては――
 エイラはそうっと瞳だけを動かしてペリーヌの横顔を見ようとするが、ペリーヌは踵を返し、舞い上がった髪でエイラの鼻先をかすめると自席に向かいカバンを掴み上げた。
「暗くなる前に帰りますわ」
 エイラは取り繕ったような甲高い声で発せられたペリーヌの言葉に、つい悲しげな表情をにじませる。
 無理するなよ――
 その一言が、ペリーヌを救いえるか?
 エイラは一瞬間だけ考え迷った後、無言で前に進み出てペリーヌと同じようにカバンを持ち、リーネに呼びかけた。
「そうだな。サーニャも退屈してるだろうし、帰ろう」
 リーネはひとつでもタイミングを間違えればなにもかもが崩壊しそうな、頼りない薄膜に守られたこの雰囲気を壊すまいと判断し戸惑いながらも、エイラとペリーヌに顔を向け、うなづいた。


第22話 終



コメントを書く・見る

戻る

ストライクウィッチーズ 百合SSまとめ