えりたん! その1
ふわり、ふわり。甘い香りがキッチンに広がって、私はそれだけで幸せな心地になる。リーネちゃんが甘い
甘いお菓子をたくさんたくさん作ってくれているのだ。
「腹減ったナー。なあなあ、ちょっとくらい味見してもいいダロ?」
つぶやくのはエイラさん。聞いたそばから返事も聞かないで山盛りのブルーベリーやラズベリー、コケモモに
手を出してつまんで食べて、「だめっていってるじゃないですかっ」と、お菓子やお茶についてはどこか厳しい
ところのあるリーネちゃんにまたたしなめられていた。それでもやめる気配が感じられないあたり、エイラさんも
エイラさんでリーネちゃんの性格をよく理解しているなと思う。
私の目の前にあるおなべの中で、小豆がお湯を赤い色に染めていく。ふんわりと、やわらかくておいしそうな
いい香りがなべから漂って、ほらまた、私のおなかの中の虫さんが一匹増えた。
「…ミヤフジさん、いったいそれはなんですの?」
「これは、お赤飯を作るための煮汁です。扶桑では、おめでたい席には必ず出るんですよ。坂本さんも大好き
です。もちろん、私も!!」
「あなたの好みなんて聞いておりませんわよ。…でも…まあ、あの腐った豆よりは食べられそうですわね。
それにしても扶桑人は豆、豆、豆ですのね。まるでどこかのカールスラントさんのお芋のようですわ」
「もー、お芋もいいかもしれませんけど、お豆には栄養がたくさんあるんですよ!特に納豆を作るのに使う
大豆なんて畑の肉とも呼ばれていて…」
「納豆の話はおやめなさいっ!」
「えええー…おいしいのになあ…」
いぶかしげな顔でたずねてきたペリーヌさんと、そんなやり取り。エイラさんはまたベリーに手を出して、リーネ
ちゃんに手をはたかれていた。口元がすっかりベリーの色に染まっているの、エイラさんは気づいてないんだ
ろうか?もっとも、気づいても気にしなさそうだとは思うけれど。
「っていうか、二人とも見てるだけじゃなくて手伝ってくださいよぉ。」
「よ、よしかちゃんそれは…」
「や、だって私、つまみ食い担当だし」
「……わ、わたくしはもちろん、お二人が失敗しないように監督をする役目でしてよ!?そんな、私がお料理を
全くできないとか、そういうことじゃ絶対!ありませんから!!」
「まーまー役立たず同士仲良くイコーじゃんか、ツンツンメガネ?」
「最初から働こうともしていないエイラさん、あなたに言われたくはありませんわっ!!」
「サンドイッチ却下したのツンツンメガネじゃんかよー」
「あなたときたらいつもそれじゃありませんか!もっとこう、レパートリーをお持ちなさいっ!!」
何もしていないのに悪びれもなく、むしろけろりとしているエイラさんと、言い訳をしながらなんだかんだ言って
あせりを隠せないペリーヌさんのやり取りがおかしくてつい噴出す。と、それがばれてしまったのかギン!と
音が鳴りそうな目でにらみつけられたのであわてて頭を抑えた。するとすかさずリーネちゃんが「まあまあ」と
困った笑顔を浮かべながらフォローをしてくれる。うん、きっと、胸の大きさと心の大きさって比例するよね。
だってほら、胸が大きければ心臓も大きくなって、心臓が大きいってことは、心が広いってことだもんね。
お赤飯に、ちらし寿司、お刺身に、お吸い物。見ているだけで心躍る、香りをかぐだけで、お腹が踊る。そんな
お祝いのお料理。どんなつらいことより、苦しいことより、優先していい「たのしいこと」。
「手伝って」と文句は言ったけれど、それが本心ではないことをみんなきっと知っている。こうして誰かのために
お料理を作る。誰かを喜ばせるためにお料理を作る。そう実感しながら作業をすることが、私はとても好き
だから。…まあ、エイラさんはともかくペリーヌさんはそもそも戦力にならな…いやなんでもないなんでもないです。
「ジュジュジュジュジュジュジュ、いいにおーい!!なになになになに、なに作ってんの!?…って、ウ、ウジャジャジャ
ジャジャジャジャーーーーー!!!」
窓から、ひょいと。現れる黒い影はルッキーニちゃん。春風に乗って運ばれた甘い香りに誘われてきたの
だろう、目がらんらんと輝いている。飛び込んできたものだからバランスを崩して、すぐそばにいたリーネ
ちゃんの胸にダイブ。もちろん怪我なんてするはずない。だってそこには上質なクッションがあるんだもの。
…いいなあ。あ、今度は顔を押し付けてる!ずるい!
「なんかおいしそうなもの作ってるね」と笑うルッキーニちゃんに、エイラさんが自分のことは棚に上げて
「つまみ食いすんなよ」という。口元がそんなに汚れてちゃ、ぜんぜん説得力がありませんよ、エイラさん。
そう言ったら「げっ」とばつの悪そうな顔をして、そんなエイラさんにこらえきれずペリーヌさんが笑った。
「笑ったらとてもかわいいのにね」とミーナ中佐がよくつぶやくのを聞くとおり、無防備な笑顔をもらすペリーヌ
さんは普段のとげとげしさなんて全然なくて、親しみやすい。
「お菓子とお料理を作ってるの。ほら、今日はお祝いでしょ?」
諭すようにリーネちゃんが言う。あ、そっか。ルッキーニちゃんが飛び上がった。そうだねえ、お祝いだもんね
え。そう言葉にしながらも、きっと彼女の中でそのお祝いは「美味しいものをたくさん食べられる日」と認識
されているのは明白で。
「でもでも、そのお祝いされる人はまだ寝てたよ。さっきみたもん」
重ねられた言葉に、ああ、やっぱりね。みんなで失笑。あの人はきっと、起こされなければ夕方まで起きて
こないだろう。だからこそこうしてのんびり準備をしているわけだもの。
「ねーねー、あたしパスタが食べたい!!つくってつくって!!!」
「え、パスタはちょっと…むり、かも…」
「え゛ーーーーーー!!!」
いいじゃんいいじゃん、お祝いでしょ!おいしいもの食べるんでしょ!!リーネちゃんの胸にうずまったまま、
子猫さんはじたばたする。うう、うらやましい。シャーリーさんならともかく、リーネちゃんまで独り占めするの
はずるいよう。
「こーら、ルッキーニ。あんまりわがままいうんじゃないぞー」
そんなとき、ひょいと大きな影が現れて子猫さんの服をつまんで抱き上げた。シャーリー!!!ルッキーニ
ちゃんがぱあっと顔を輝かせてその…また、例の場所に顔を摺り寄せる。やっぱりここが一番だよねえ、
なんて贅沢な発言。わかさ、わかさってなんだ。振り向かないことだ。
「おー、うまそうだなあ、どいつもこいつも。」
「味見しなくても大丈夫ダゾ。味は私が保証してやるからナ」
「ははは、つまみ食い担当もご苦労さん。夜が楽しみだ」
うーん、やっぱり胸の大きさと心の大きさは比例するらしい。ルッキーニちゃんが「エイラつまみ食いした
でしょ!?」と叫ぶのをよそにシャーリーさんは余裕の表情…と、言ってる間にいつのまにか口をもぐもぐ
させてるのは、きっと気のせいだよね、そうだよね。
ゆでた小豆と煮汁を分けて、おなべにもち米と水を足す。ほんのり褐色を帯びたまだ染められる前の白い
お米。これからしばらくつけおいて、その間に次の料理を準備しないと。おはぎとか、甘い物好きのあの人は
喜びそうだなあ。明るい色をした髪と、柔らかな笑顔を思い出す。なんだか心がほんわかしてくる。「眠って
ばかりで、怠惰で、どうしようもないやつだ」なんていう人もいるけれど、そんなところさえも愛嬌に思えるのが、
あの人のすごいところだと思う。
ほら、ね。こうしてきっと、間違いなく、絶対、誰よりもおいしそうな顔をして食べてくれるその人のことを考え
ながら手を動かすのは、本当に本当に、楽しい。
あたし、ハンバーガーが食べたいな。ぼやくシャーリーさんに「サンドイッチなら作れるぞ。大体おんなじだろ」
とエイラさんが提案して、「なんでもパンにはさめばいいと思っているでしょうあなたは!」とどうしてかまた
ペリーヌさんが怒る。ルッキーニちゃんが私の肩をたたいてきていったいなんだろうと思ったら、あんかんベー
をされたその舌がブルーベリーの青に染まっていた。エイラさん同様頬も汚しているところを見ると、つまみ
食い担当は一挙に増えたらしい。
と、そこにか細いささやきが聞こえたような気がして視線をめぐらせたら、すぐ近くにいたエイラさんはそこに
いなくて今食堂に入ってきたサーニャちゃんに駆け寄っていた。寝ぼけているのだろうか、焦点の定まらない
瞳をしたサーニャちゃんがエイラさんのほっぺたについたベリーのあとをみやって、いったい何を考えたのか
ぺろりとそれを舐め取って。サササササーニャ!!!上がる叫び声にシャーリーさんとルッキーニちゃんと
一緒に大笑い。
穏やかな昼下がりの温かな空気の中へ、笑い声が円やかに溶けて行く。私たちを急かすあのサイレンが
鳴り響かなければ、ここは本当に、単なるひとつのおうちだ。もしくは学校のようだ。仲良しが集って、時には
言い争ったりしながらも楽しく過ごす場所。
「で、我らがお嬢様はまだ眠り姫なのかな?」
フラウ。こんな呼び方したらバルクホルン辺りが顔しかめそうだな。肩をすくめながらシャーリーさんが笑う。
知ってる?あいつ「黒い悪魔」っ名前の方が有名みたいだけど、「ブロンド姫」ってあだ名もあったらしいよ。
その言葉に、きらびやかなドレスを来たあの人を想像してちょっと納得。…ただし、あの人の部屋の散らかり
ようはみなかったことにして置いて。けれど考え方を変えてみたら要するにそれは王子様を阻むイバラ代わり
なのかも、なんて、リーネちゃん辺りなら言いそうだ。
「はるばるスオムスから妹まで来たってのに本当にマイペースだよナー…」
「無言で掃除を始める妹さんも…」
着々と出来上がっては良い匂いを漂わせるお料理やお菓子に、みんなの笑い声を大さじでいっぱい。あの人と
違ってちょっと気難しそうに見える妹さんも喜んでくれるかな。ガラスのレンズの奥にある、あの人と同じ色を
した輝きに思いをはせる。背丈も体付きももちろん顔も本当にそっくりなあの妹さんも、笑ったらきっと可愛ら
しいんだろう。
煮汁に浸しておいたもち米を、砂糖と塩を加えて火にかけていく。こうして水分を飛ばして、水分を飛ばして。
あとは蒸したら完成で。懐かしく口の中に蘇るもっちりとした食感と、お豆のかぐわしい香りを想像して今から
舌なめずり。きっとペリーヌさんあたりはまた「やぼったい」っていうんだろうけど、私はこの素朴な味がとても
大好きだ。
「おー、良い匂いがすると思ったら、やっているな!」
「あらあら、美味しそうね」
「あ!坂本さんにミーナ中佐!!よろしければ味見しますか?」
「あら、いいの?」
「もちろん!ね、リーネちゃん、そろそろお茶の時間じゃない?」
さっきから時計をそわそわして落ち着かない様子のリーネちゃんにそう声を掛けたらうんうん!と何度も
何度も力強いうなずき。おおう、これがいわゆるじょんぶる魂って言うんだろうか?
「今日はおはぎも作ってみたんですよ、坂本さん。楽しみにしていてくださいね。」
「おはぎか…それは、楽しみだな!」
じゃあ、お祭り前のティータイムにしましょうか。ミーナ中佐の言葉にうなずく私たち。主役たちはいいの?
バルクホルン大尉も。尋ねられたら、中佐はにっこりと笑ってこう言う。
「主役は最後にでてくるものでしょう?前座は前座で、楽しんでも良いじゃない。」
不思議な説得力のあるその言葉に、みんなでそうだね、と笑い合う。バルクホルンさんにはちょっと申し訳ない
けど、きっと彼女も今を彼女なりに楽しんでいるのだろう。…あのひとの、部屋の掃除を。
扶桑に、ブリタニア、ガリアに、スオムス、オラーシャ、リベリアンにロマーニャに、カールスラント。
てんでばらばらの私たちが、今考えているのは間違いなく、たった一人の人のこと。ううん、正確には二人
だけれど。言葉少なくてちょっと不思議で、とてもとてもズボラで。それなのに世界でも指折りのウィッチで。
上の偉い人たちからはあんまり評判が良くない、なんて聞くけれど、私たちは彼女がとても素敵な人である
ことを良く知っている。だって、一緒に飛んであれほど安心できる人はきっと他にいない。にこやかな笑顔に
隠された強い信念に、それが宿った強い背中に、後ろから飛ぶ私はいつも心打たれるから。多分みんな、
きっとそうだから。
それよりきっとなによりも、一番おいしそうにご飯を食べてくれる人だから。
だからたぶん、こんなに張り切ってご馳走を作りたくなっちゃうんだろう。
「行こう、芳佳ちゃん!」
急かすリーネちゃんの声で我に返る。ティーセットを抱えたリーネちゃんがにこにこと笑っている。
お祭りの前の、静けさだから。だからちょっとのんびりしよう。
おいしそうに蒸しあがったお赤飯に、ハルトマンさんの幼く朱に染まる頬を思い出してつい笑みがこぼれた。
その1・了