えりたん! その3
ねえ、一体これはどういったことでしょうか。夢でも見ているのでしょうか。
頬をつまんで確かめる。引っ張って伸ばして痛くって、現実と認める。いやあ、でも、それにしても、ちょっと
これはありえないでしょう。
「…うーしゅ」
私のすぐ傍らですうすうと眠りについている彼女を、起こそうと思ってそう呼びかけた。けれども意図せず
ささやき声のような、小さなものになってしまう。
「…うーしゅ、めがね、はずさないと」
お互いよく似た容姿をもった、一卵性の双子の私たち。そんな私と彼女とを唯一分かりやすく、はっきりと
判別することが可能となるそのアイテムに手を伸ばす。恐る恐る両手を彼女の頬の上辺りにやって、起こさ
ないように慎重に。その手つきは我ながらどこか恭しくて、まるで騎士の口付けのようだ、なんて思ったら少し
笑えてしまった。
胸に湧き上がるのは、多分喜びや充足感と呼ばれる類の感情。本を読みながら時折居眠りをしてしまう
彼女の、メガネをはずしてやるのは私の役目だった。そう、まるで駄目な姉だった私が彼女に施すことの
出来たたぶんたった一つの仕事だった。実際にそれをするのはひどく久しぶりだったけれども、どうやら体は
覚えていたらしい。
めがねが取り去られると、そこにはもう一人の私がいる。金色の髪をして、金色のまつげをして、少し低めの
鼻をひくひくと時折鳴らして穏やかに眠りについている。
(かわいいな)
そう思うのは、決して私がナルシストだからではないとわかってほしい。そりゃ、別に容姿に対するコンプ
レックスはないしペタンコの胸を触られようが何しようが平気だけれど、この気持ちはそれとは全く別物だ。
たとえこの子が私と同じ容姿を持っていようとも、私はそれを指してこんな気持ちを抱いているんじゃない。
トゥルーデあたりなら理解してくれるかな。それとも「お前にそんなことわかるわけない」なんてつんとされる
んだろうか。だったら、寂しいな。
もう何年会っていなかったろう。記憶の中の彼女は最後に会ったそのときそのままで、だから幼い姿をして
いて。私は夢の中で時折、私の胸の中で寂しいよと涙を流す幼い彼女をぎゅうと抱きしめてやっていたの
だった。無口で、無愛想だけれども、そんな彼女が本当はとてもとても寂しがりだということを、私はおねえ
ちゃんだからちゃんと知っていた。自分勝手にどんどんと前に行く私のことを、彼女がどれだけ心配そうに、
心細そうに見ていたか、本当はちゃんと分かっていた。
そんな彼女が、ウルスラが、その面影を残したまま、けれども確かに少し大人びて私のすぐ傍らで眠って
いる。その寝顔はあどけなくて、私が幼い頃眠った振りをしてこっそり盗み見ていたそれと全く変わらない。
ひとまず体を起こして、あたりを見回して…二倍、いや、三倍びっくりした。そうだ、そもそも私、ベッドなんかで
寝た記憶ない。それはもちろん私の部屋、とりわけベッドの上が、ひと一人落ち着いて眠りに就くことも出来
ないくらい散らかっていたからなのだけれど。
ねえ、やっぱりここは夢?それとも天国?地獄?
恐ろしいほどに片の付いた私の部屋は、開け放たれた窓から新鮮な空気を得てゆうゆうとノビをしている
ようにさえ思えた。誇らしげにどん、と私を囲んで、どうだ、これが私のあるべき姿なんだぞとえらそうに語り
かけてきている気がする。別に散らかっている部屋が好きだとか汚れてないと落ち着かないとかじゃない
けれど、こいつに屈したら負けのような気がする。
そんなことよりも、もうひとつ。ベッドの傍らにイスを引き寄せて、その上でやっぱりくーすか眠りこけている
もう一人の人を見て呆れた声を上げる。本の朗読でもしていたのだろうか、そのおなかの上には読みかけの
本が広がっている。
(やっぱ、夢じゃないか、これ)
片付いた部屋と、ウーシュと、そしてトゥルーデ。確かのこの二人の仕業ならこんなにも部屋が片付いている
のもおかしくないけれど…でも、何かが少しずつ、不自然だ。いつもと違うんだ。
だって部屋の掃除をしていたなら、トゥルーデは確実に私のことを起こしたろう。それなのに今日は一度も
起こされた記憶がない。お前が起きなかったせいだ、と言われたらそれまでだけれど、トゥルーデの起こし
方なら一度は確実に目が覚める。また眠ってしまうだけで。
それに、ウーシュがこんなところにいるのもおかしい。あの子はスオムスにいるはずで、私が毎週手紙を
出したって半年も返してくれないくらいで。…そんなこの子が、わざわざこんなブリタニアくんだりまできて、
更には私の横で幼いあの日と同じように眠っているだなんて。
ああ、これはやっぱり夢なんだ、と納得した。だって幸福すぎるもの。世界で一番大切な妹と、頼りにして
いる相棒が、こんなにすぐ傍にいる。私は私で一度も起こされることなく目一杯寝て、そうして自ら覚醒して。
だから頭がとてもすっきりしているんだ。ここにミーナや隊のほかのみんなもいれば最高だけれど、それ
以上を望むのはちょっと傲慢すぎるかな、と思えるくらいには、
開け放された窓の外から、いい匂い。匂いがある夢なんてなんてリアルなんだろう。現実世界では夕ご飯時
なのかな。それとも、朝ごはんかな。もうすぐトゥルーデが口うるさく起こしに来るんだな。起きろハルトマン、
起床の時間だ!!って。でも、今なら許そう。こんなに幸福な夢をずっと見ていたら、きっと目が覚めたときに
とてもとても寂しくなる。
両手を伸ばして、ふわふわ。
かわるがわるに二人の頭を撫でてみた。疲れ果てているようで、それぐらいじゃ起きないほどにぐっすり
眠っているらしい。いつも私に対しては気を張ってばかりの二人だから、こういった無防備な寝顔を見られる
のはたとえ夢の中でも幸福で仕方がない。
枕元に置かれたたくさんのプレゼントやお祝いのカードにも、夢見心地の私は全く気がつかなくて、夜が
近づいてだんだんと暗がりを増していく自分の部屋の中で、幸福の笑みを漏らす。ねえ、あのね。それが
私の夢なんだよ。これが私の願いなんだ、ふたりとも。いつも心配だとか、迷惑ばかりかけてしまっている
けれど、私は本当の本当は、ちゃんと休んで欲しいって思ってる。そしてたまには私だってそんな姿を見て
労わったり、ねぎらったりしたいと思ってるんだ。
どたばたと、近づいてくる足音がする。わいわいというにぎやかな声は、私を覚醒にいざなっているのだろう
か。もうすぐドアがノックされて、そうしたらそれは現実の世界へと戻るときなのだろう。
ごめんね、いつもありがとう。目を覚ましたら今度こそ、もう少し君たちに優しく出来たらいいな。また手紙を
出すからね、ウーシュ。次はちょっとくらいなら、お掃除も手伝うから、トゥルーデ。
確認するようにもう一度、ほっぺたをつまんで引っ張ってみる。微かな痛みと引っ張られる感覚。
まったくもう、本当にリアルな夢だなあ。このまま現実になってしまえばいいのに。
そんな冗談じみたことを考えながら、私は私を覚醒へといざなうはずのみんなの来訪をもう一度毛布を被って
待ちわびることにした。
その3・了