ハルいちばん!
トゥルーデの寝顔。 考えてみれば、ほとんど見た事が無いかもしれない。
まじまじと見つめながら、そんな事を思う。
大抵、私の方が起きるの遅いもんね。 一時間とか二時間とかいう単位で。
「トゥルーデ、起きろー。 起きないとキスしちゃうぞー。」
んんんーと口を近付ける。 一糸まとわぬ姿で眠るトゥルーデは、ドキドキするくらいしどけない。
……冗談でやってみたけど。 な、なんだか緊張してきちゃった。 こらこら、何を考えてるのだね、私。 落ち着け、落ち着け。
ひとまず接近を中止して目を開く。 ふと見ると、目を閉じたトゥルーデの頬が紅潮している。 ……。
「こらトゥルーデ! 起きてるだろー!!」
「あたたたたた! 夢じゃなかったのか。 お前が私より早く起きているとは……。」
こめかみをグリグリしてトゥルーデを起こす。 いつものカッターに袖を通すトゥルーデ。 慌ててストップをかける私。
「ちょっとちょっと! クイズです。 今日は何の日でしょう、トゥルーデさん?」
「え?」
私の問いかけに、ちょっとだけぽかんとした表情を見せて、すぐに得心顔。 よしよし。 許容範囲。 許してあげよう。
「悪い、起き抜けでぼうっとしていた。 春を探しに行く日……だったな。」
正解。 微笑を浮かべるトゥルーデ。 私もニコニコと頷き返した。
「いやー、二人一緒の休日も久し振りだね! 私、フラワーパークに行くの初めて!」
「しかし春を探すというのは本来、初春の行為だと思うが……まぁいいか。 菜の花ガーデン。 随分庶民的なフラワーパークだな。」
「もともと家庭菜園だったらしいけど、評判いいみたいだよ。 ロイヤルガーデンとは違った味があって、いいよね。
私達もたまには季節を感じなくっちゃ! 別に新聞の折り込み広告で、たまたま目に留まったからとかじゃないよ?」
はいはいと生返事するトゥルーデをつっついていると、バスが街に到着した。
フラワーパークはちょっと外れの方にある。 アクセスマップを取り出そうとするトゥルーデを押しとどめる。
「待って、トゥルーデ。 せっかく街に来たんだし、用事無い? 先に済ませちゃおうよ!」
「え? うーむ。 幾つか欲しい雑貨はあるが……荷物にならないか?」
「ロッカーに預ければいいじゃん。 私さー、フラワーパークに着て行く服を買いたいんだよねぇ。」
「は、はぁ!? 服? 今着ているのじゃ駄目なのか? そもそもお前は服を買いすぎじゃないか? 何回も着ない癖に。」
「いーの! その時の気分が大切なんだよ。 見て見て。 ズボンだって真っ白。 今日のお出掛けのためにおろした新品だよ?」
「分かった分かった! 見せなくていい!!」
くすくす笑いながら、お気に入りのブティックへと向かう。 せっかくの休日だもん。 したい事ぜんぶやらなくちゃ!
「はーい、そこのかわい子ちゃん! 誰待ってんの?」
「誰じゃない! お前だお前! 一体買い物に何分かかって……。」
振り返ったトゥルーデが、私の姿を見て言葉を切った。 どうかな。 割と一所懸命で選んでみたよ。
パステルブルーのハーフトップの上から、水色の花をまぶした白いフレアワンピ。 フリルと肩口のリボンがとってもキュート。
着飾るアクセは一切無くて、パッと見ワンピしか着てない素朴な感じを出してみました。
足元は白のローヒールミュール。 頭は欲しかったキャスケットをぐっと我慢して、お嬢様然とした白いキャペリーヌ。
これまさに春のお嬢さんという出で立ちで、私はトゥルーデの前に立った。
「見て見てトゥルーデ! どう? かわいい?」
「……っ。」
「む。 何だよー、何か言えよー。」
ふいっと顔を背けるトゥルーデに不満を覚える。 そりゃキミに気の利いた言葉なんて期待してないけどさ。
それでも頭のどこかで芳しい反応を想像してた自分が馬鹿みたい。
半袖のチュニックにショートデニムで小ざっぱりしたトゥルーデは、マニッシュでいてフェミニン。 美人さと清潔感が際立っている。
だから釣り合うように色々考えたんだぞ。 本当はお揃いのシュシュを付けたいけれど、私のショートにはそぐわないのが残念。
「よくお似合いですよ。 本当に、清楚で可憐な春の花のよう。 お客様のイメージにピッタリ合っていると思いますわ。」
こちらをチラチラ見てるのに、一向に何も言ってくれないトゥルーデにむすっとしていたけれど。
店員さんの言葉に思わず微笑してしまった。 清楚で可憐な花のよう!
立てば爆薬・座れば機雷・歩く姿は戦闘機とまで呼ばれた黒い悪魔に、なんとまぁマッチした形容でしょうか!
まぁ、いいんだけどね。 可愛く見せたいと思って、可愛く見られる。 喜ぶべき事だよね。
「あ、待て、エーリカ。」
お会計のために店員さんについて行こうとしたら、トゥルーデが私の手を掴んで引きとめた。
「ん? 何?」
「あ、いや、その……なんだ。 それ。 ……よく、似合ってる。 可愛いよ。」
へっ。 柔らかく微笑んでそんな事をのたまったトゥルーデは、私の手を取ってサッサとレジへと歩き出した。
後ろから僅かに見える耳の裏はまっかっかで。 引っ張られるように歩く私も、多分ユデダコになってるに違いなかった。
「しかしまぁ……見事に化けたな。 どこのご令嬢かと思ったぞ。 クリスが見たら、お前だと気付かないんじゃないか?」
「クリスは誰かさんと違って目聡いから気付きますー! まぁね。 私が本気を出したらこんなもんよ。」
ブティックを出て、ゆるゆるとウィンドーショッピング。 ラゲッジロッカーに荷物をしまって、オープンカフェでブランチ。
さてさて、準備万端。 私達はいよいよフラワーパークへと足を運ぶ事にした。
「きれ~い!」
淡い黄色、強い黄色、明るい黄色、落ち着いた黄色。 一面の菜の花にモンシロチョウが群れている。
暖かな陽射し。 頬を撫でるそよ風。 菜の花ガーデンは、息を飲ませるというより、ほっとするような美しさに満ちていた。
「いい眺めだ。 クリスにも見せてやりたいな。 ふふ。 そう言えば、お前もまるでモンシロチョウみたいだな。」
「ん? ん? それは私がミリキ的で可愛いって事かな?」
「まぁ概ねそんな感じだ……痛っ! つねるなよ、フラウ。 今日のお前はモンシロチョウみたいで可憐だ。 これでいいか?」
よろしい。 最初から正直に言えばよいのだぞー。 見回してみれば、園内はそこそこ賑わっている。
家族連れやカップルの姿がちらほら。 ……。 私も、トゥルーデに腕を絡めてみる。
「ね、トゥルーデ。 やっぱりカップルが多いね。 こうしたら私たちも……カップルに見えるかな?」
「わっ、我々は女同士だろう! せいぜい仲の良い姉妹という所だな。」
「……はいはい。 悪うございましたね、お姉ちゃん。 これでご満足ですか?」
「なんだ、その言い回しは。 やめろ。」
その語調はハッとするほど強くて。 思わずトゥルーデの顔を見た。 怒ってる。 な、なんだよ。 そんなに怒る事ないじゃん。
「私はお姉ちゃんじゃない。 お前の言葉は空虚だ。 そんな言葉を聞かされても空しいだけだ。」
「え、えっ? な、なに。 ごめん。 そんなに怒るなんて思ってなかった。 わっ。 私はただ……。」
「姉様だろ。」
「…………へ?」
「へ?じゃない! そうだろ! お前が父を父様、母を母様と呼ぶなら、私は姉様でなければおかしいだろうが!
お姉ちゃん、などと。 そんな着飾った言葉に意味は無い! 恥じるなエーリカ! 本当の自分をさらけ出せ!!
気持ちは分かる。 標準から外れた呼び方は恥ずかしいものだ。 しかし! 私はそんな小さな事にこだわる女ではなぁい!!
さぁ! もはや何も遠慮する事は無いぞ! 思う存分私を姉様と呼ぶがいい! さぁさぁ!! 早く!!!」
…………。
「……うっ。」
「う? ……う姉様? これはまた新しい呼びか……。」
「うっきゃーーーーー!!!!!」
「ぷおおぅぅぅ!!??」
ぱっちぃぃぃん。 怒りをこめて平手打ち。 ほんとにもう! トゥルーデを放っといて、ぺたりんことスタンプを押す。
「痛たた……。 何やってるんだ? それ、スタンプカードか?」
「そだよ。 園内スタンプラリー。 全部押すと景品が貰えるの。 家族用とカップル用があって……私達はカップル用。」
へっ?と間の抜けた声を出すトゥルーデ。 呆けた顔に思いっきりあかんべーして、私は菜の花畑を後にした。
「えーと……お二人は恋人さんなんですか? その……女の子同士ですけど。 うぅ、罰当たりです……ぼそぼそ……。」
「こ、恋人? そんな……むぐぐ。」
「そうでーす! 今ブリタニアで一番ホットなカップルでーす!」
トゥルーデを抑えて返答する私。 なんかこの係のお姉さん、ウィッチ年鑑で見た事あるような気がするなぁ。 気のせい?
カップル向けスタンプラリーの景品授受。 私達は他のカップルの間に入って、ちょっとしたセレモニーに出ていた。
「景品はこのカップルネコペンギンですー。 可愛いですよねぇー。 あ、と。 忘れてました。
景品贈呈の前に、実は、そのぉー……お二人でキスしてもらえますかぁ? る、ルールですのでぇ……。」
え。 キス? そ、そんなイベントがあるんだ。 トゥルーデの方を見れば、羞恥で真っ赤になっている。
ギャラリーの視線が私たちに集中しているのが分かる。 トゥルーデと私が向き合ったまま、何も起こらずに時間だけが過ぎていく。
早くしなよ彼氏ぃー! 品の無い野次。 こいつらぁ。 場にそぐわないにも程がある。 叩き出してやろうかな?
「やってられるか!!」
「ひぃ!!」
はっ。 竦み上がる係のお姉さん。 え、ちょっと。 突然怒りを剥き出したトゥルーデは、衆目の中、歩み去ってしまった。
「とぅ、トゥルーデ。 待ってよ! そんなに怒る事ないじゃん。 ごめんね。 調子に乗りすぎちゃった?」
スタスタと歩み去るトゥルーデに必死で追いすがる。 キッと振り返った目を見て、足が止まる。 うそ。 なんて、傷ついた瞳。
「奴らの目を見なかったのか? 好奇の視線。 女二人の列席。 私達の事を嗤っていた! こんな事。 やめておけばよかった。」
グサリと。 トゥルーデの言葉が胸に突き刺さった。 こんな事。 こんな事って。
私。 私、は。 今日一日、楽しかった。 嬉しかった。 幸せだった、のに。 トゥルーデにとっては。 こんな事。
「……トゥルーデは私といたのが恥ずかしかったんだね。 女の子同士だから? 悪かったね。
今日の事は忘れてよ。 そんでさ。 あそこにいた人たちみたいに。 素敵な彼氏でも作って、一緒に来ればいいじゃん!」
吐き捨てた後に、我に返る。 語調も、中身も。 物凄く険のある言葉だった。 私。 何を言ってしまったんだろう。
トゥルーデの顔がぐっと歪む。 怒ってるというよりも。 まるで、泣くのを我慢しているような。
「随分な言い種だな。 それはお前の願望か? 私は、とんだ悪ふざけに付き合わされたという事か。
お前こそ、適当な恋人でも作ってくればいい。 私と違って、ちゃんと一緒に楽しんでくれるような誰かと一緒にな!」
「どっ。 どうして、そういう事言うわけ? 今。 二人でいる時に。」
「先に言い出したのはお前だろう! 今日の事は忘れろ、か。 その方がいいだろうな。 ……もう、帰ろう。」
なに。 なにこれ。 頭がガンガンする。 なんで。 なんでこんな事になっちゃったの?
トゥルーデの背中を見つめながら、フラフラと歩く。 貰ったぬいぐるみの袋が、私の手の中でクシャクシャに潰れていた。
コンコン。 ノックの音で我に返る。 見慣れた私の部屋。 今日も終わりかけている。 このノックの仕方は、多分。
「フラウ、入るわね。 お夕飯まだでしょ? サンドイッチ作ってきたのよ。 ……電気、点けてもいいかしら。」
やっぱりミーナだった。 私の様子が変だと気付いたんだ。 笑顔を向けられない。 食欲も無い。 ありがと、って呟くのが精一杯。
「素敵な服ね。 今日、買ってきたの? ……ね、フラウ。 明日も、お休みする?」
あぁ。 そう言えば、帰ってきてから着替えてない。 明日も、お休み? 軍人の言葉じゃないね。 それ。 友達の言葉だよね。
ミーナはあまりに優しくて。 あまりに暖かくて。 もう涙がこらえられなくて。 私はミーナにすがって、声をあげて泣いた。
「うん……。 うん……。 帰ってきてから今まで、一人で頑張ったんだものね。 辛かったわよね。」
ミーナは、何も聞かなかった。 ただ抱き締めてくれていて。 その温もりが心強かった。 繰言を聞いて欲しいわけじゃない。
ただ、この暖かさを一分一秒でも引き伸ばしたくて。 私は昼間の事を何もかもミーナに打ち明けた。
「えっく。 私、馬鹿だ。 トゥルーデと一緒に、休日を過ごしたかっただけなのに。 あんな事。 うぇっく。 言う、なんて。」
「そうね。 よく本質が大事とは言うけれど、本当は形式も同じくらい大事なものなの。
トゥルーデはそれをよく分かっていて、形式をとても大切にする人でしょう。 向いていなかったのかも、しれないわね。」
ミーナの手は、とても繊細。 ガラス細工でも扱うかのように、私の背中を撫でてくれる。 嗚咽が止まらない。
「でもね。 あの子、そんな事で本気で怒るような人かしら。 むしろ自分だけの問題なら、幾らでも我慢してしまう人よ。
きっとトゥルーデは。 フラウが、そんな奇異な目で見られる事が、耐えられなかったんじゃないかしら。
知ってる? あの子、自分以外の誰かがあなたを悪く言おうものなら、物凄い勢いで怒るの。 あなたの事が、大切なのよ。」
えっ。 ミーナの言葉が私の心にゆっくりと浸透してくる。 私の、ため?
トゥルーデは、私の振る舞いに怒ったのだとばかり思い込んで、他の可能性を考えてもみなかった。 私の、ため。
ミーナの言う事が本当だとしたら。 私は、トゥルーデに、なんて最低な事を言ったんだろう。
改めて泣きたくなってきた。 それは、私のちっぽけさに対して。 そして。 一言も弁明しなかった、トゥルーデに対して。
途方に暮れて、ミーナを見上げる。 ミーナは母親のように優しく微笑んで、私の事を、突き放してくれた。
「あの子と話してらっしゃい。 きっと大丈夫。 あなたもトゥルーデも、私の最愛の人よ。 私の人を見る目を、信じなさい。」
とても綺麗な笑顔。 何の根拠も無い安請け合い。 それが、私にちっぽけな勇気をくれて。 私はようやくミーナに笑顔を向けられた。
「トゥルーデ。 入ってもいい?」
「……あぁ。」
トゥルーデの部屋。 来たはいいものの、言葉が出ない。 トゥルーデも私も、最初の一言を言いあぐねたまま。
ミーナ。 勇気をちょうだい! 彼女の笑顔にすがるように、なけなしの勇気をかき集めて。 遂に私は、言いたかった事を口にした。
「さっきの、事だけど。 ごめん。 ごめんね、トゥルーデ。 私、腹がたって仕方無かったんだ。
トゥルーデも周りにいた人たちみたいに。 私といるより、素敵な男の人と一緒にいたいのかなって、思ったんだ。
それが普通だよなって思ったら、無性に悲しくなって。 言わずにはいられなかったんだ。 だって。 だって、わたし。」
一息に話してしまえば、と思ったけれど。 頑張ったんだけれど。 ……無理だった。 視界がぐにゃりと歪む。
「わっ、私はこんなにひっ。 トゥルーデの事。 好きなのにぃっ。」
涙がぶわっと流れ出す。 あれほど泣いたのに、ちっとも涙は涸れていなかった。
嗚咽が言葉の邪魔をする。 泣くよりも先に、言葉を紡ぎたいけれど。 あぁ。 なんて弱いこころ。
私にあの言葉を言わせた気持ち。 あの時は分からなかった。 ううん。
きっと無意識の内には分かっていたけれど。 自分から目を背けていたんだ。 もう嘘はつけなかった。
分かっていたんだ。 恋なんだって。 でも、目を閉ざしていたんだ。 言えなかったんだ。 だって。 女の子同士だから。
私はあの時、トゥルーデに拒絶されたと思ったんだ。 この気持ちを、見透かされたんじゃないかと思ったんだ。
夢想していた幸福も、これまでの親愛も何もかも、打ち捨てられてしまいそうな気がして。 そう思ったら。 あんな、ことを。
傷付けたくなかったよ。 許されなくても。 もう傍に、いられなくても。 あやまりたいよ。
トゥルーデがためらいがちに私に触れようとして、中空で手を引っ込める。 所在無げに視線を逸らしたまま、呟いた。
「……知ってるよ、その気持ち。 分かりすぎるくらい、分かる。 あの時。 私の気持ちは、今お前が言ったそのままだった。」
咄嗟に意味が理解できずに、言葉を反芻する。 私が言った、そのまま? ……私といるよりも。 素敵、な。
膝が震える。 やっぱり、私は、弱い。 トゥルーデが私を抱き寄せる。
やめて。 優しくしないで。 これなら、嫌われてしまう方がよっぽど楽だった。 やだよ、こんなの。 やめてよ!
離れようともがく私を、お構いなしにぎゅっと抱き締めて、トゥルーデが続きを喋り出した。
「きっと、私の方が酷い。 売り言葉に買い言葉で、自制を忘れてしまったんだから。 あの言葉。
私の隣に、お前じゃない誰か。 そんな事言ってほしくなかった。 朝から、あの時まで。 私はとても幸せだったのに。
お前にとっては、その程度のものだったのかと思ったら、悲しくて。 許せなくて。 ……お前を、傷つけてしまった。」
もがき続けていた体を、ぴたりと止める。 え。 今。 トゥルーデは何て言ったの。 思わず、瞳を見つめた。
「言いたくてたまらなかった。 分からないのか?って。 私が、他の誰といたいはずがあるんだって。
けど、言えなかった。 きっと、お前と同じ理由だと、思う。 怖かったんだ。 ずっと言いたかった。 好きだ、フラウ。」
自分の耳を疑いかけて、気付いた。 ……なんて見覚えのある瞳。 泣き腫らして、苦しそう。 私と同じ瞳。
そう。 言えなかったんだ。 言えないよ。 女の子が、二人。 ガール・ミーツ・ガールだなんて、誰も笑ってくれないじゃないか。
それでも、気持ちに嘘はつけないから。 私と同じように、トゥルーデもずっと、苦しんでたんだ。
あぁ。 早とちりも、すれ違いも、その全てが雪解けのように流れ去って。 私達は、身を寄せ合って泣いた。
「……でも、トゥルーデだって悪いんだぞ。 いっつも素っ気無い、気の無さそうな素振りして。」
「あぁ。 恥ずかしかったんだ。 私は、ちょっとした事で視野が狭くなる。 良くない癖だ。」
「すぐ冗談を本気に取るし。」
「口うるさいしな。」
「無駄に頑固だよ。」
「妹に過保護すぎるきらいもあるな。」
「バーカ。」
「その馬鹿を好きな奴がいるというから世の中は不思議なものだ……ぐっ。」
腹パンチ。 呻いて少し顔をしかめたトゥルーデが、笑い声を洩らす。 バーカ! バーカ!
「ね。 私達……両想い、なんだよね。」
「ん、む。 そ、そういう事になるな。」
「……お付き合いしちゃう?」
「そ、そりゃまぁ、そうだろう。 うん。 好きあってるのに離れるなんて、おかしな話だ。」
「じゃあ証拠。 見せあおうよ。」
……。 ほんの少しの間、唇が触れた。 こくん、と。 私の喉を伝わっていく温もり。 頭がぽーっとする。
こんなに幸せで、いいのかな。 何だかフワフワしたまま、素直な気持ちを言葉に変える。
「いつか、私。 今日をやり直したいな。 もう。 絶対、まちがわないから。」
「……そうだな。 私も、まちがわない。 もう、まちがえようがない。」
今日があったから、今の私達があるわけだけど。 やっぱりね。 まちがいは改めておきたいもんね! でもその前に、まずは今日。
「振り回してごめんね、トゥルーデ。 もう我慢しないでいいよ。 全部受け止めるから。 トゥルーデのしたいようにして。」
そうだよ。 今日も、これまでも。 なんだか、私ばっかり我侭言っちゃってるような気がする。
私はしたいようにするから。 トゥルーデもしたいようにしてほしいな。 トゥルーデの我侭ならさ。 幾らだって聞いちゃうよ。
「し、したいように? 我慢するな!? でっ、でも……あのだな。 ……いや。 分かった。」
「うん。 トゥルーデの思うように……って。 はれっ?」
こけっ。 一瞬、何が起こったか分からなかった。 こかされた私は、ベッドの上に押し倒されていて。
何も見えない。 ……ひょっとしてこれ。 お互いの顔が近すぎる? 物凄く近くで吐息を感じる。 その距離およそ0センチ。
パニックの最中、視界が戻って、トゥルーデの喉がこくりと鳴って。 私はようやく理解した。 ……いっ、今。 大人のキスされたー!?
「甘くて……暖かい。 なぁフラウ。 無理に奪う気は無いが、求めてもいいだろう? ……私の自惚れで、なければ。」
「え? う、自惚れじゃ……ないけれど。 うう奪う? 何を!? あ、あ。 味の感想なんて言うなーー!!」
あれ。 顔が熱い。 胸が苦しい。 トゥルーデの目が熱っぽい。 あれ。 あれ? こっ、この体勢。 やばくない!?
「ちょっ、ちょっと! なんで足、股の間にこじ入れてくるの? うう、う。 奪うつもりは無いって言ったじゃん!」
「だ、断じて奪うつもりなんて無い! でもな、これは私の自惚れなのか……?」
「自惚れ! もんのすごく自惚れですからぁー! だだ駄目だってばトゥルーデ! こういうのはもっと段階を踏んでいこうよ!」
急展開すぎて、心の準備が追いつかない。 タイム! タイムぅ! 私。 求められてる!?
湯だって煮えた私のハートは、今にも噴きこぼれてしまいそう。 無理! 嘘でも冗談でもなく、真剣に無理だよーー!!
おなかまで捲り上げられたワンピースの裾を必死で押さえながら、何とか思いとどまってくれるよう手を尽くす。
「ほら! トゥルーデのお尻撫でちゃった! こういうのまだ早いって思うでしょ?」
「綺麗だ。 なんて、柔らかい。 大切に触らなければ、壊れてしまいそうだ。 無駄の無いすらりとした太股も……。」
「ほっ、ほら! トゥルーデの胸触っちゃったよ! 恥ずかしいでしょ!? ほんとまだ早いよね!!?」
「滑らかで形のいいへそ周りも……。」
「う、あ、うぁ。 うーいぇいーーーーー!!!!!」
「ぷおおぅぅぅ!!??」
ぺっちぃぃぃん。 何を言っても止まらないトゥルーデに、ありったけの恥ずかしさを込めて平手打ち。 羞恥にまかせて言い募る。
「とぅ、とぅ。 トゥルーデのバカ! エロス! アダルト!! アナヴキっ!!! はは恥ずかしいって言ってるでしょ!!」
「なっ!? あ、アナヴキは言い過ぎだろう? 品の無いスラングを使うんじゃない!!」
「アナヴキだからアナヴキって言ったんだもん! ほんとに駄目だから! 猶予期間を要請します! ……今日は。 ここ、まで。」
トゥルーデの下唇をそっとつまむ。 ここ、という意味を強調するように、ふにふにと唇を弄ぶ。
しばらく難しい顔をしていたトゥルーデだったけれど、ふっと眉間から力が抜けて、諦めたように苦笑した。
「分かったよ。 頭を冷やす。 今日はここまで、約束する。 だからそんなに睨んでくれるな。」
「遅いよ! まったく、こうと決めたら一直線なんだから。 ……あっ、あーゆーキスは。 事前に言ってよね!」
ぺちりとオデコに一発かます。 わざと怒った顔をしてみると、トゥルーデが慌てたように弁明した。
「いっ、いやその。 私は口下手だろう? 言葉で尽くそうとしても、こんな気持ち伝えきれない。
体が動いてしまったと言うか……。 口移し、したかった。 私がお前を感じたように。 私を感じてほしかったんだ。」
怒ったふりで聞いてはみても、頬が緩んでしまう。 お馬鹿な事言ってさー。 ん。 許してあげるよ! えへへ。
「……ところで、フラウ。 今日もらったぬいぐるみ、あるだろう。 カップルになってる奴。 あれ、一つずつ部屋に飾らないか。」
えっ。 ちょっぴり頬が染まる。 おそろいのインテリア。 それ、恋人っぽい。 うん、と頷いてそそくさと取りに帰る。
「あれっ。」
「これは……。」
可愛いラッピングをぺりぺり剥がした所で、私達はちょっぴり驚いた。 いわゆる、不良品だったんだ。 でも、これは。
トゥルーデと顔を見合わせて、笑う。 カップルネコペンギン。 男の子と女の子が一対になった人気商品。
けれど今、中から出てきたのは。 仲睦まじく寄り添う、二つの女の子ペンギンだったのでした。
「やっぱりきれ~い!」
「こら、走るなフラウ。 蝶が逃げてしまうだろ。」
あの日のやり直し。 シフトを弄って、また二人同じ日に休みが取れたのも、ひとえにミーナのおかげ。
職権濫用かな、なんてちろりと舌を出したミーナを思い出して、思わず微笑が漏れる。 ふふ。 愛してるよ、ミーナ。
あの日と同じ服。 あの日と同じ場所。 少しだけ雲の流れる晴れ空の下、菜の花たちは今日も並んで風に揺れている。
風が散らした淡い香りの中、モンシロチョウたちはいまだ元気に飛び回っていて、まるでそっくりあの日のまま。
「ね、トゥルーデ。 あの時のセリフもう一回言って。」
「セリフ?」
「うん。 お前はモンシロチョウみたいだ。 可愛くてたまらない。 フラウ最高!とかいう奴。」
「さりげなく捏造を入れるな! まったく。 ……どうしてもか? 改めてもう一回となると、その、歯痒いものがあるんだが。」
「どうしても! 私は意外に乙女ちっくなんだってば。 ほらほら。 可愛いエーリカちゃんのために、恥をかきたまい。」
「……こほん。 今日のお前はモンシロチョウみたいに可憐で、綺麗だ。 フラウ。 これまで以上に。 いつまでも、お前を愛してる。」
へっ。 えぅ……。 思ってもいなかった切り返しで、繋いだ手に力が篭る。 私から仕掛けた悪戯なのに、トゥルーデの方が笑っている。
「……あ、あの日はそんな事まで言わなかったじゃん。 あの日のやり直しなんだってば、今日は。」
「言いたかっただけだ。 もうやり直しはいいさ。 あの日の代わりじゃなくて、今日でいい。 今日があればいいんだ。
柔らかな陽射し。 一面の菜の花に囲まれ、辺りには蝶が舞い、大切な人と二人きり。 私に、これ以上何を望めと言うんだ?」
トゥルーデの手が、優しく私を振り向かせる。 あぁ。 心臓がうるさい。 本当は。 本当はその言葉を待っていた。
やり直すまでもなく。 今日の方がずっと素敵だって、言ってほしいと思っていた。 あぁ。 本当に。 好きだよ、トゥルーデ。
「帽子のつばが邪魔で、お前の顔がよく見えない。 取ってもいいか? ……って。 おい。 この天邪鬼!」
トゥルーデの言葉に、ぐい、とつばを引っ張ってわざと目深に帽子を被る。 駄目。 見せない。 絶対見せない。 ……あっ。
「ほら、取った。 まったく、何を隠す事があるん……だ……。」
「あぅ……。」
見られた。 取り繕う言葉も出てこない。 だって。 だってさ。 今の私。 りんご以上にまっかっかなんだもん。
今の私は、トゥルーデへの気持ちだけで出来ていて。 今見られたら。 私が本気でトゥルーデを好きなんだって、ばれちゃうじゃないか。
「……今のお前に何を返せば、その気持ちに釣り合うのか分からない。 フラウ。 心の底から、言える。 愛しているよ。」
「……私も、愛してる。 ねぇ、トゥルーデ。 言葉じゃ伝えきれないね。 こういう時は。 どうしよっか……。」
それきり、言葉は無くなって。 さぁーっと風が吹き抜けて、菜の花たちが一斉になびく。 穏やかなさざめき。
見詰め合っているだけで、何もかも満たされている、けれど。 踏み出してみるね。 もう一歩。 トゥルーデとなら、さ。
モンシロチョウがひらひらと舞う。 柔らかな陽射し。 緩やかな境い目。 どこまでがひとつ? どこからがふたり?
分からない。 私はそっとつま先だちした。
おしまい