先生はお姉ちゃん


「宮藤さん、リーネさん。 この間の座学テストの答案を返すわね。」
食後の一時。 思い思いにくつろいでいると、ミーナがテスト用紙のようなものを持ってやってきた。
答案を覗き込むや否や、のほほんとくつろいでいた宮藤の顔が蒼白になる。

「うわっ! ヒッデー!!」
「あちゃー……。」
図々しく覗き込んだエイラとリベリアンが、揃って声を漏らす。 なんだ? そんなに酷かったのか?
たるんでるな、宮藤! ウィッチは成年でその人生を全うするわけでは無いんだぞ。 学を疎かにしては立ち行かないだろう。
釣られて覗き込んだ私の視界に飛び込んできたのは、一つの大きな丸と無数の撥ねマーク。

……こ、これは。 叱責しようと用意していた言葉が、喉に詰まって消えていった。
揶揄するのが憚られるほど、悲惨な結果。 ぜっ。 ゼロか! 0点。 正解率、きっかり0パーセント。
笑い話ではよく聞くが、まさか実際に取る事が可能だとは。 いつも朗らかな宮藤が、今はすっかり泣きそうだ。

「物凄く勉強ができる必要はないけれどね。 あまり使わないせいかしら。 理数系が、少しね。」
「宮藤。 私はお前を十代で燃え尽きるような人間にさせたくない。 ウィッチとしての技量だけではなく、その、他にもな。」
ひ、悲惨だ……。 ミーナも坂本少佐も慎重すぎるくらいに言葉を選んでいる。 なんと痛々しい光景だろう。

「わ、私。 私なりに、頑張ったのに。」
「芳佳ちゃん……。」
宮藤が頑張っているのも、好きでこの成績を取ったわけではないのも、誰にだって分かる。
しかし、人生とはとかく思うような結果がついてこないものだ。 それを笑い話にもできない場合、一体どうすればいいんだ?
宮藤の落ち込んだ顔を見ると、胸が痛む。 何と無力なんだ、私は……。

「流石にこのままにはしておけないわよね。 本当は私が教えてあげたいんだけれど……。」
「我々は体が空かないからな。 バルクホルン。 本当に済まないが、暇な時に宮藤の勉強を見てやってくれんか?」
そうだ。 このままでいいはずがない。 頼むぞバルクホルン。 宮藤を助けてやってくれ……って。 え?

「わ。 私が!? 宮藤の勉強を見る!!??」
「えぇ。 この中で一番の適任はあなただと思うの、トゥルーデ。 何とかしてあげてくれないかしら。」
「何とかって……。」
私が適任と言うより、私以外の連中の不安要素が多すぎる、というのが正直な所だろう。 宮藤の顔をちらりと見る。

「よ、よろしくお願いします、バルクホルンさん!」
慌てたようにお辞儀する宮藤。 私は眉をしかめて、軽く溜息をついた。

「で、うまくできなかった、と。 トゥルーデかっこわりー!」
「うぐぐ……。」
ミーナの部屋で、憩いの時間。 宮藤への最初の家庭教師を終えた私。 結果は、大失敗だったと言わざるを得ない。

  「遅筋は一般的に赤みがかっています。 では、白いのは何でしょう。」
  「魚肉?」
  「液体が固体になる事を凝固と言います。 では、固体が液体になる事を何と言うでしょう。」
  「食あたり!」

「で、張り倒したと。」
「そんな気は無かったんだが、条件反射で……宮藤はすっかり萎縮しきってしまって、勉強どころではなかった。」
いつまた叱られるのかと怯える宮藤の顔を思い出すと、自分の頭を殴りたくなる。
できないから勉強が必要なんだ。 分かっていた事じゃないか。 なぜあれしきの事で叫んでしまったのだろう。

「宮藤、普段からトゥルーデに怒鳴られてるからなー。 その上、空き時間にまで怒鳴られるんじゃ、たまらないよなー。」
「ちょっと、フラウ。 言いすぎよ。」
図星すぎる言葉に、ずんずん気持ちが沈んでいく。 落ち込む私の肩をポンと叩いて、エーリカが言った。

「ね、トゥルーデ。 イメチェンしよっか?」

翌日。 またしても家庭教師の時間がやってきた。 大丈夫。 今日は大丈夫。 コンコンと宮藤の部屋のドアをノックする。

「はいっ! どうぞ!」
緊張しきった声色。 宮藤にこんな風に思われている事が悲しくなる。 恐る恐る扉を開けて、私は部屋の中に入った。

「きょ、今日もよろし……って、あれっ。 えっ? ば。 バルクホルンさん……ですよね?」
赤面しながら頷く。 キャミソールの上から、シフォンの柔らかなワンピース。 足元まで覆うそれは、既婚の図書館司書のよう。
いつものおさげをやめて、ポニーテールに結った髪。 伊達メガネだけは何とかやめさせてもらったが。
大人しく、それでいて理知的に。 今の私は普段の飾り気ない姿ではなく、どこからどう見ても文科系の温和な家庭教師だった。

「その……昨日は本当にすまなかった。 反省、している。 もう一度、私の授業を聞いてもらえるだろうか。」
「え、えっ! それは勿論! こ、こちらこそお願いします……?」
エーリカに教え込まれたマニュアルを、スラスラとそらんじる。 そう。 変わらなくてはならないのは私だ。
もう二度と私のする事で、宮藤に辛く悲しい思いをさせたくない。
私は、この家庭教師の時間だけ、軍人である自分を捨てる。 一人の、心優しい家庭教師になってみせるぞ!!!

「1+1は幾つになるでしょう。」
「田んぼの田?」
「ミカンを手に持って手を離すと、地面に向けて落下します。 なぜでしょう。」
「手を離したからじゃないですか?」
くっ……。 張り倒したくなる衝動を必死で抑えつける。 落ち着け、私。 ふざけている感じはないじゃないか。
怒りを制御するんだ。 ここで持ちこたえねば宮藤の未来は真っ暗だぞ! エーリカはなんと言っていたか?

(クリスだと思って接してあげるんだよー。 クリスだったら、チンプンカンプンな答えでも怒鳴ったりしないだろー?)
そうだ。 クリスだと思えばいいんだ。 今の答えはクリスが言ったものだ。 もしクリスだったら……。

「あ、あの……や、やっぱり、全然とんちんかんですよね、私。」
「ふふ。 気にするな。 お前の頭が、素直で柔らかい証拠だ。 ただ、今日はお勉強だからな。 違う考え方でやってみよう。」
驚愕が見てとれる。 私の言葉に、それまでビクビクしていた感じの宮藤が、目をまぁるく見開いた。
まさか宮藤にクリスを重ねるだけで、自然に柔らかく振舞えるとは。 顔にも微笑が浮かんでいるのが分かる。
自分でも驚くと同時に、少しばかり呆れる。 参ったな、私の性格には。 これでは宮藤が萎縮してしまうのも仕方は無い。
そうだな。 生死に関わる問題でも無い。 肩の力を抜いて接してみようか。

(興味のある題材に当てはめて教えてみるのが近道だと思うわ。 具体的なイメージがあると違うものね。)
ミーナの言葉を思い出す。 興味のある題材か。 よし。 戸惑っている宮藤に少しばかり身を寄せて、優しい感じで語りかけてみる。

「身近な物で考えてみようか。 お前がリーネの胸を持つとする。」
「え! り、リーネちゃんの胸を、モツ? モツって、持つ!? ホールドアップですか!!?」
「あぁ。 下から支えるように手で持つのを想像してほしい。 重みはあるか?」
「はい!! 心地よい重みです!!!!」
先程の様子からは想像すらできなかったくらいに元気のいい答えが返ってくる。 う、うーん。 本当だ。
食いつきの良さが全然違う。 ……教育って難しいなぁ。 気を取り直して、続ける。

「そ、そうか。 なぜ重いかと言うとだな、それは重力のためだ。 重力は分かるな? 聞いた事くらいあるだろう。
 その重力によって、リーネの胸が落下しようとする。 その力がお前の手にかかる。 だから重いんだ。」
「落下だなんて! リーネちゃんの胸は垂れたりしてませんっっ!!!」
「い、いや! そうだな、形はいいな。 それでだな、なぜあの形になるかと言うとだな。 それは重力のおかげなんだ。」
「え? 重力のおかげ? リーネちゃんのあの胸が!? し、知らなかった。 重力って偉い!!」
「あ、あぁ。 偉いな。 二つの物体がある場合、そこには常に引き合う力が働く。 それを万有引力と呼ぶ。」
「ばんゆーいんりょく?」
ようやく本題までこぎつけた。 宮藤の興味を惹き付けながら、学問の話まで持ってこれたのだ。 いい調子ではないだろうか?

「その通り。 この場合、リーネの胸と引き合ってるのは、地球だな。 その力で、リーネの胸はあの形に保たれている。
 無重力の場所だと、胸の形もまた違ってくるんだぞ。 この、地球と我々の間に働く万有引力を、一般的に重力と呼ぶわけだ。」
「えぇっ!! ち、地球まで惹き付けちゃうなんて……凄い! やっぱりリーネちゃんの胸は凄すぎます!!
 そっかー。 私の手が皆さんの胸に吸い寄せられてしまうのも、『ばんゆーいんりょく』のせいだったんですね!」
うんうんと頷く宮藤。 確かにそこにも万有引力はあるのだが、なぜこんなにも釈然としないのだろう?

「い、いや、まぁ、そうとも言えるだろうか……。 こほん。 では、宮藤。 ここまでの話を踏まえて、もう一度。
 さっきの問題をやってみよう! ミカンを手に持って、手を離す。 ミカンは地面に向けて落下する。 さて。 なぜでしょう?」
言い終わって、汗が出てきている事に気付く。 大丈夫だ。 上手くいく。 今度はきっと上手くいく。
私は上手くやれた。 宮藤だって、やればできる奴だ。 固唾を呑んで見守っていると、宮藤が朗らかに答えた。

「あっ! ……今度は、分かりました。 ミカンと地球の間に、万有引力が働いてるから、なんですね!」
太陽のような笑顔から、待ち望んでいた答えが紡がれた。
瞬間。 目の前が一気に開けたような感覚がして、私は宮藤に抱きついていた。

「へぁ!?」
「やった! やったぁ宮藤! 正解だ! お前はきっとできる奴だと思っていた!! うん。 やったぁ!」
宮藤の頭を抱き締めたまま、浮かれる私。 知らなかった。 教える喜び。 生徒が、教えた内容を吸収して、成長する。
それがこんなに嬉しい事だったなんて。 はっ。 一人で盛り上がっていた事に気付き、慌てて宮藤を解放する。

「す、すまん宮藤! あ、あんまり嬉しくて、つい。」
「いえ。 そんなに喜んで貰えるなんて、私も嬉しい、です。 ……私、ずっとバルクホルンさんに教えてもらうのが憂鬱でした。
 間違ったら怒られるんじゃないかって。 迷惑をかけてしまうのは嫌だし、怒られると落ち込んでしまうから。
 でも……馬鹿でした、私。 こんなに優しいなんて。 こんなに嬉しいなんて。 勉強が、こんなに楽しいなんて。
 バルクホルンさんに教えて貰えてよかった。 バルクホルンさん。 先生、って。 そう呼んでも、いいですか……?」

せっっ。 せ ん せ い !!!??? 俯いて頬を染めながら、もじもじと可愛い事を言ってくる宮藤。
その桜色の唇から放たれた言葉の破壊力は、私の平常心を粉々に打ち砕くに、十分すぎる程の威力を持っていた。
先生。 せんせい。 ば、馬鹿な。 何をうろたえる、私!? ちょっと呼び方が変わっただけじゃないか。 そうだ。
何も特別な事ではない。 あぁ、だがしかし。 姉と呼ばれる以外に。 まさかここまで破壊力を持つ呼ばれ方があったとは……。

「す、すいません。 やっぱり、こんな私の先生なんて嫌ですよね……。」
「何を馬鹿な!!! お、お前の方こそ、いいのか? こんな偏屈な教師でも……。」
「勿論です。 バルクホルンさんがいいんです! ……良かった。 これからも、よろしくお願いしますね。 せ・ん・せ!」
にっこりと。 あまりに無垢な笑顔を向けて、私の手を握る宮藤。 私の思考回路はあえなくショートしたのだった。

「リベリアン、もう食べ終わってるのか? そうなら、ついでに食器持って行くぞ。」
「お。 悪いね、ヤワラカブツ。 頼むわ!」
や、ヤワラカブツ!? 夕食を終え、食器を回収する私に、耳慣れない呼称がつけられた。

「あー、分かるぅー。 最近の大尉って、なぁんかやーらかい感じだよねっ!」
「だろだろ? 前までのバルクホルンだったら、間違ってもあたしに食器持ってくか?なんて聞かなかったよなー。」
「うむ。 心身共に充実しているようだな。 戦場でも、安心して見ていられるぞ。」
やいやい言われて面映い気持ちになる。 私が変わった? 自覚は無いのだが、そうなのだろうか。
確かに最近いいリズムで生活できている気がする。 それが表面にも現れているという事か。 おそらく、やはり。

「はいっ。 家庭教師の時も、すっごく優しく教えてくれるんですっ。 ねっ、せーんせっ。 ふふっ。」
「勘弁してくれ、宮藤。 それはその、時間限定という事で。」
そう、家庭教師。 それがとても上手くいっている。 色々と懸念もあったが、結果として私も宮藤も充実した生活を送れている。
いや、ひょっとして自分は教師に向いているのではないか、とさえ思えてきたくらいだ。
勉強を教える時の私は、相変わらず服装を女性らしく変えて、リラックスしたスタイルに変身する。
それが二人の秘密の合図みたいで、何だかくすぐったい気持ちを覚える。

「最近は座学の成績も悪くないわ。 七割くらい取れればいいかな、って考えてるテストで満点近い成績を取り続けているのよ。」
「も、もう、ミーナ中佐ったら。 人の成績をばらさないでくださいよぉー。」
「まぁいーじゃんか宮藤! これなら隊長がばらさなくなったら、アー、わりー点だったんダナ、って分かるし!」
「ほ、ほらぁ! こういう人がいるんですからぁー!」
エイラと宮藤がじゃれる。 微笑ましい。 教える程に分かる。 宮藤は、私が思うよりも、ずっと大きな可能性を持っているんだ。
私もお前に教えられてばかりなのではないかと思うよ。 照れ臭いから、口には出せないがな。

「この頃、暇な時間は大体二人っきりで勉強してますもんね。」
ん? ぼそりと呟いたのは誰だったのだろう。 言葉に秘められた沈んだ調子が、少し私の気に留まった。
さっと見回してみる。 リーネのようだったが、特別な素振りはしていない。 空耳か? 気を取り直して、エーリカに話しかける。

「なぁハルトマン。 教師としての心得で質問があるんだが……。」
「んー? もうトゥルーデはベテランだろ。 私から言える事なんて、無いと思うな。」
エーリカはそう言ってフイッといなくなってしまった。 な、なんだ。 やけにつれないじゃないか!
気付かない内に、何か気に障るような事をしたのだろうか。 戦闘でバックアップに頼りすぎているとか……?

表面上は上手くいっているように見えていた、この生活。 だが、しかし。
教師とはそれ程甘くないものなのだと、程無くして私は思い知らされた。

沈黙。 宮藤はおし黙って。 私は言葉を探して。 それが妙な緊張感を湛えた沈黙を生んでいた。
いつものように服装を変えて、いつものようにお勉強。 ただ違うのは、私がミーナから預かった答案用紙を持っているという事だ。
30点。 いわゆる、赤点ラインだ。 最近は調子が良かったのよ、だったか。 この落ち込みようを見れば一目瞭然だな。

「そんなに気にするな、宮藤。 たまたまさ。 ちょっと短期間で詰め込みすぎてしまったかもな。 今日は復習中心にやろう。」
「たまたまじゃ、ないです。」
視線を合わせてくれないまま、搾り出すような声。 これまでが好成績だっただけに、ショックも相当だろう。
胸が痛い。 教え子の苦しみは、私の苦しみだ。 たまたまじゃない、ときた。 壁を感じているのだろうか?
自分には向いていないと思ったのかもしれない。 理由を話してくれるのかと思ったが、宮藤はそれきりまた黙ってしまった。

「なぁ、宮藤。 向き不向きを見つけるのも勉強なんだ。 嫌なら、この分野の勉強はやめて、他をやってみようか?」
我ながら、らしからぬ言葉を吐いたと思う。 家庭教師のバルクホルンは、随分と甘いものだ。
だが、心からの言葉だった。 宮藤は限られた時間で最善を尽くしている。 それは、誰よりもこの私が一番よく知っている。
もし向いていないのなら、違う方向を検討してやるのも私の務めじゃないか。 そんな教師たらんとしていた心が、一言で揺れた。

「先生が悪いんだ。」
一瞬で思考が止まった。 何を言われたのかが、上手く把握できなくて。 私は口を空しくパクパクさせた。
なっ。 何だって。 私が、悪い? それきり、またしてもの沈黙。 時間だけが、流れる。 心が少しずつ痛み出した。
私が、悪いだって。 ……そうだったのか? 上手くやれている気になっていた。 姿を変え、性格を軟化させる、芝居じみたひととき。
だが、私はそのひとときが好きだった。 教師に向いているかも、などと、思い込み始めてさえ、いた。
なのに。 それは全て、私の都合のいい解釈に過ぎなかったのだと。 いま、宮藤は確かにそう言ったのだ。

「先生が悪いんだ!」
肩口に衝撃。 ぶつかられて、横倒しになる。 半身を起こした状態で呆然と首を左に捻ると、宮藤が燃えるような瞳で私を見つめていた。
そんな。 そんな事って。 あの宮藤が力に訴えたという事実が、完全に私から思考力を奪っていた。

「私の……せい?」
頭が働かない。 私は何を図に乗っていたのだろう。 ただの一言で揺らぐような、そんな小さな誇りで。 人にものを教える、などと。
釈迦は大した人物だ。 この体勢でよくもまぁ、あれだけ寛いだ表情をしている。 私はこれ程に、頼りない気持ちになっているというのに。
宮藤が何かを喋ろうとしている。 寄る辺ない子供のような心境で、私はただそれを待つしかできなかった。

「先生が、悪いんだ。 ……勉強が、手につかないんです。 寝ても覚めても、考えるのは先生の事ばかり。
 明日はどんな服着てくるのかなって。 どんな風に褒めてくれるのかなって。 そんな事ばかり考えて。
 笑ってくれたら嬉しくて。 悩ませてしまうと切なくて。 ふとした拍子に触れでもしたら、もう何も考えられなくなる。
 なのに、先生は平気な顔して。 こんな気持ち、知らなければよかった。 勉強なんて、できるわけない。 私。 苦しいんです……。」

…………。 は? どれだけ自分の教師としての資質を悪し様に罵られるのだろうと怯えていた私。 だが。
聞かされた言葉は、それとは全く違う種類のもの。 いや、むしろ。 より一層たちが悪いとすら言える陳情だった。
え? ぽかーんと。 怯えも何もかも吹っ飛んで、完全な虚脱状態。 間の抜けた声しか出てこない。

「え、えぇと宮藤……これは、その、なんだ。 ……ドキドキ☆課外授業とか。 そんな感じの事態なのだろうか。」
「茶化さないでください!! 私は真剣なんです!!!」
「すいません!!」
思わず謝ってしまった。 な、なんだ。 これは、まさか。 生徒と教師。 放課後の何ちゃらというシチュエーションなのかぁっ!?

「先生……この苦しさは何なんですか。 この気持ちを何て言えばいいのか、知らないんです。 教えて、ください……。」
「まっ、待て宮藤! 生徒と教師でこんな……いや! そうだ、きっとそれは思春期によくある、憧れにも似た……。」
ずずいと宮藤に詰め寄られる。 ちっ、近いっ。 なんで力が入らないんだ。 支離滅裂な言葉しか思いつかないのは何故だ?
私の胸を触りながら、潤んだ瞳で見つめてくる宮藤は、こんなにも幼さの残る外見なのに、まるで少女には見えなかった。
だ、駄目だ、こんなの。 だって、だって。 ……えぇと。 色々とまずいじゃないか!! どっ。 どうしよう?

ピピピピピピピピピピーーーーーー!!!!!!!
突然の大音量で、私も宮藤も我に返った。 耳に優しくないその音は、ホイッスル。 音源に目を向けると、そこには。

「ストップですー! なななに不純異性交遊……もとい、同性交遊してるんですかぁ! 指導! 教育的指導ですーーー!!!」
「あのね、トゥルーデ。 勉強を教えてあげてとは言ったけれど。 保健体育までしてくれなくて、いいのよ?」
涙目でホイッスルを吹き散らかすリーネ。 目のやり場に困っているように、赤い顔をしたミーナ。
そしてニヤニヤと笑う、その他大勢の野次馬たち。 我々はものの見事に晒し者となっていた。

「やれやれ宮藤。 以前から思っていたが、その、なんだ。 お前は少し、女性の胸に執着しすぎではないか?」
「あうぅ……。 ごめんなさい、坂本さん……しくしく。」
「本当に何を考えていらっしゃるの!? それでも軍人なのかしら。 我々は色恋のためにここにいるわけではありませんのよ!」
「ウンウン、全くその通り。 お前に言われたらお終いダヨナー。」
掴み合うペリーヌとエイラを尻目に、溜息をつく。 リビングには微妙な雰囲気が漂っている。
事情を説明しないわけにもいかず、結果、宮藤は見事に集中砲火されていた。

「まぁ……そんなに宮藤を責めないでやってくれ。 何と言っても思春期だ。 そういう気持ちになる時もあるだろう。
 それにこう見えて私も一人前の女だ。 昂ぶった宮藤に迫られたとて、自分の身持ちくらい、自分で守れる。 騒ぐ程の事は無い。」
「……それはどうかしら。」
「相変わらず自分を知らないねぇ……。」
白い目を向けてくる面々。 な、なぜだ? 貴様ら、私を何だと思っているんだ! 守れるぞ! 自分の身ぐらい守れるんだぞ!

「もう許してあげていーんでない? 誰も損したわけじゃないんだしさ。 でしょ、ミーナ?」
朗らかにとりなしてくれるエーリカ。 落ち着け所だと思ったのだろうか。 ミーナも頷き、それがお免状となった。
恩に着る! 礼を言おうと思って振り返ると、エーリカはさっさとリビングから立ち去ろうとしていた。
何故だろう。 その時。 その瞳に、なぜだか、見過ごせない色が見えたような気がして。 私は咄嗟にエーリカの腕を掴んだ。

「……何、トゥルーデ? 私、もう眠りたいんだけど。」
「いっ、いや。 その……お前、医者になりたいんだろう。 その割には、ちっとも勉強しているように見えないが?」
口をついたのは、いつものお小言。 むっとしたように眉をひそめると、エーリカが言い返してきた。

「心配いらないよ。 私の妹見てみ? 物凄い天才だよ。 おんなじ頭のつくりしてるんだから、へーきだって!」
「勉強はそんなに甘くないぞ。 毎日の積み重ねが大切だ。 だから、だな。 お前さえ、よければだが。 私の生徒にならないか?」
きょとん、と。 意外そうな瞳。 それはそうだろう。 私だって、自分がそんな事を言うなんて、想像していなかった。
穴の開くほど私を見つめていたエーリカが、やがて、悪戯っぽく笑った。

「いいのかなぁー。 私、相っ当ぉーな問題児だよ? トゥルーデ、胃に穴が開いちゃうかもね。」
「どこかの誰かに毎日鍛えてもらっている。 その点は問題無い。 しかも、鍛える時間が更に増えるんだからな。」
ニッと笑うと、エーリカもいつもの顔で笑い返してきた。 あぁそうだ。 これだ。 この笑顔が無かったんだ。
さっきのエーリカの笑顔は、なんだか本物では無い気がしたんだ。 それが私の目に留まったんだ。
理由は分からないが、この笑顔が戻って良かった。 安堵していると、突然、エーリカを掴んでいるのとは逆の腕を引かれた。

「わ、私は。 どうなるんですか?」
宮藤が、捨てられた子犬のような顔して、そんな事を言うものだから。 そんな顔すぐに止めさせたくて、勢い込んで答えた。

「勿論お前の面倒も見るぞ! なに、やってみせるさ。 世の中の教師は30人以上もの生徒をだな……。」
「駄目です。」
「そう、駄目な感じで……。 へっ? だ、駄目? 駄目って。 何が駄目なんだ、宮藤?」
それは、全く想像していなかった切り返しで。 思わずオウム返しに聞き返す私。

「駄目だから駄目と言ってるんです! 私かハルトマンさんか。 どっちか一人を選んでください!」
「何ぃーーーッ!!?」
何故か二者択一が発生した。 そんな馬鹿な!? これは複数解の許される問題だろう、宮藤? なぜ択一式になっているんだ?

「……私は、トゥルーデの言う事に従うよ。 でも、何の心配もしてない。 私の生徒にならないかって言ってくれたもん、ね。」
にっこり笑うエーリカ。 可愛い事を言ってくれてはいるが。 天使のような笑顔を浮かべてはいるが!
違う! この笑顔は違うぞ! これは、この笑顔は。 腹に一物隠している時の笑顔だぁーーーッ!!

「私ですか? ハルトマンさんですか? 先生。 私、もっと先生の授業、受けていたい。 イヤですか……?」
「トゥルーデ。 面倒な事はパパッと済ませちゃった方がいいよ。 もう答えは決まってるもん、ね?」
「え、うぐ、いぁ? い、いや。 だから、それって両立可能だろう? 二人とも私が教えれば済む話だと思うんだが……。」
「「 絶対ダメ!! 」」
「何故なんだぁーーーッッ!!??」
冷や汗が止まらない。 理解不能だ。 なんでこんな事態に陥っているんだ。 二人のこの迫力は何なんだ!?
明らかに不条理な選択を迫られているのに、それを受けなければ女じゃない、とでも言うような空気が辺り一帯に満ちている。

宮藤は私の授業を受けたい。 エーリカも私の授業を受けたい。 よって、二人とも私が教える。
物凄くシンプルな式じゃないか。 どう考えても最適解じゃないか!? なぜこの答えがまかり通らないんだぁーー!!??

「先生!」
「トゥルーデ!」
詰め寄られる私。 助けを求めるようにみんなを見ても、全くの徒労。

「うーん、人生は数式みたいにはいかないんだねぇ。」
「懲戒免職だけには気をつけてね? あなた、流されやすそうだし……。」
「私が教えてあげるから! 円周率イコール3だよ芳佳ちゃん!」
「やーい! 色惚けツンツンメガネ!」
「きぃーっ! 言ったわねぇー!」
20時を過ぎて、なお喧騒のリビング。 なんと混沌とした光景なのだろう。 思わず遠くを見つめながら思う。

あぁ。 私はやはり教師になど向いていない。 生徒の方がずっといい。
仮にこの問いに答えてくれる教師がいたならば、私は今すぐにでも月謝を払うだろう。

なぁ、誰か。 誰でもいい。 聞きたいんだ。 聞かせてくれ。
どうか、今すぐ私に。 この場を上手く切り抜ける方法を教えてくれぇーーーーー!!!!!

おしまい


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