無題


この蒼を見るとあなたを思い出すわ、と。
そんなことを平然と言ってのけて、私の心臓が暴れだすのなんて気付きもせずに彼女は笑う。胸に
こみ上げた気持ちは切なさに似ていたから、涙をこらえようと唇をかみ締めたら結果として顔をしか
める体になってしまった。

私のこと、苦手でしょう?

そんな、表面だけの反応に目ざとく気付いてその人は笑う。私はなあんでも知っているの。そう言わん
ばかりにまた、柔和な笑顔を顔一杯に貼り付けるのだ。なぜ、と問うたらきっと、『私はあなたよりも
年上だから』なんて当然のようにのたまうのだろうと思った。それなら、彼の坂本少佐はどうだとい
うのか。あの人は彼女よりも年上だというのにこういった他人の心の機微にはとんと鈍い。それが
自分の向けられたある種の熱情であるばあいには、尚更に。

年上、だなんて。そんなの、3歳だかそんなものでしょう。そんなちっぽけな年の差なんて、大人に
なったらないようなものじゃない。
言い返したくて、でも彼女の目に対峙して、そして口を開こうとしたらきっと泣き言と涙しか出てこない
気がして私はそれをしない。傍らに立つ彼女の顔を懸命に見ないようにしながら、その空の蒼さに唇を
かみ締めているだけだ。抜けるように蒼い空。微かな曇りさえ許さない空は水色ではなくて本当の、
蒼い蒼い色をしている。それは高みの果てなど無いかのようにどこまでもどこまでも広がっていて、
私はその蒼さに、広さに、いつも感嘆の息をつくことしか出来ないのだ。ともすれば私を押しつぶしかね
ないほどの威厳を持ったその蒼さを、ガリアを見渡すことの出来るこの花畑から見るのが私の癖に
なっていた。こうして己の矮小さを思い知って、自省をするのだ、いつもいつも。祖母の遺してくれた
マリーゴールドをはじめとした様々な花々の香りに囲まれて私は一人、故郷を思い、現状を憂い、己を
律する。…その反省は結局、基地に帰り着いてしまった瞬間夢のように消え去って全くの無駄になって
しまうのだけれど、それでも私にとってはとてもとても大切なひと時だった。

(苦手です、それはもう)

答えたら、彼女は一体どんな顔をするのだろうと思った。悲しい顔をするだろうか。それとも「やっぱりね」
なんていって笑うのだろうか。知りたかったけれども試す勇気は湧いてこなくて、私はただ黙りこくる。
苦手です。だってあなたは優しすぎるのだもの。優しいくせに、強くて、強いくせに、弱いのだもの。そして、
弱いくせに気丈で、気丈な癖にもろい。大人びているのに幼くて、子供じみているのに洗練されている。
年齢の割りに大人びているのか、それとも本来大人びている精神に体が追いつかないだけなのか。
どちらにしても彼女は私などとは全く違う精神のつくりをしているのだと思っていた。そもそもの骨格が
違うのなら、同じものになれるはずが無い。軽やかに飛ぶための体を持った鳥と地べたを這いずり回る
ヘビとが同じつくりをしているはずが無いもの。


…けれど、それは、違うって。
そう気付かされたのは、つい最近になってからだ。


いつものこの、海に面した花畑に。
彼女の赤を見つけたときにどきりとした。それが何に起因するものなのかは分からなかったけれど、
私の来訪にいち早く気付いた彼女が振り向いてふっと笑ったその瞬間、それは早鐘の音となって私の
体全体にどくどくと熱い血潮をめぐらせたのだ。

(どうして、ここを)
(いい眺めよね、とても)
(………)

そうですね、と返さないのは、私の問いを平然とすり抜けた彼女に対するささやかな仕返しでもあって。
けれども予想通り彼女はそれを意に介すことすらなく微笑む。
背景の鮮やかな青に、彼女のスカーレットは相容れない。もしも今が夕方で、この場所が血のような
紅に染められていたなら息を呑むほど絵になったであろうと思うのに。

彼女の姿はその背後に、どす黒く空を穢すあの異形の巣を隠してくれていた。それだから私の瞳には
青と赤しか映らずに、普段この場所に佇むときに感じる胸をかきむしりたくなるような感情を覆い隠して
くれる。彼女が意図してそれをしていたのかは分からないけれど、尋ねたら「ばれちゃった?」なんて
あの、茶目っ気を隠さない笑顔を浮かべて答えるのかもしれなかった。

「"貴女ならこの蒼さを なんて呼ぶ?聞かせてよ"──」
「…っ、そ、その歌、どこでっ!?」
「ふふふ、私は人よりもよっぽど耳が利くものだから」
「ぬ、盗み聞きは、よくないと思いますっ!!」
「あら、ごめんなさい。でも」

とても綺麗な声だったものだから、つい聞き惚れてしまっていたの。
優しく、歌うように紡がれる彼女の甘い甘い言葉が私の耳に温かい何かを流し込んでいく。けれど彼女の
姿を見止めた時点で私の体はとてもとても熱くなってしまっていたから、それをどこにやったらよいのか
わからずにただ戸惑うだけ。
それは、この場所で私がいつも口ずさんでいる歌で。むかしむかし、おばあ様が歌って聞かせてくれた
子守唄に、私が好き勝手な歌詞をつけたものだった。似合わない、なんて言われそうだから誰の前でも
歌ったことが無い。そもそも、誰かに聞かせようと思って口ずさんでいるものではなかった。
きれいなこえ。かつて声楽家を志していたという彼女にそう評され、胸に言いようも無い喜びが湧く。
けれどそれをどう表現したらよいものか戸惑って、私は口をつぐんでしまった。かくしてそれは、彼女に
多少気を遣わせる結果となったらしく。

「友、だとかあの人なら言いそうね」

本当に飛ぶことが好きなんだから。呆れ混じりに吐き出された言葉が決して私に対するものではない
ことなど知っている。いつの間にか隣り合って共に空を眺めている彼女の横顔をちらりと見やったら
なんとも言えない神妙な表情をしていて、胸の奥にどう名前をつけたらいいのか分からないもやもやが
広がった。この人がこんな切ない表情を浮かべるのは、"あの人"に対してだけだ。他の事なら悠々と
笑んでいられる彼女が、焦りをにじませた表情を隠せなくなるのは。そのことに、彼女は気付いている
のだろうか。いいや、きっと気付いてはいない。それだからこうして、無防備にも私の前でぽろりとその
感情の切れ端をこぼすのだろうから。私がその人を敬慕していることを知っていて、だからこそ話の
取っ掛かりにでもしようと思案して、それを口にしたのだろうと思うから。

けれど彼女は分かっていない。私の世界はあの人ばかりで構成されているのではないのだということ。
私の世界にはきちんと彼女も含まれていて、私だっていま傍らにいる彼女のことを、いくばくかは理解
していること。理解してその上で、上官として、仲間として、ある種の情を抱いていること。
そう、だから──だから今、こうして胸が締め付けられるのだ。だってそんな悲しそうな表情をするから。

「今、ここにいるのはわたくしと、貴女だけですわ。少佐はいらっしゃいません」
「…そうね」
「…あの」
「なあに?」
「……中佐なら、なんと呼びますか。この蒼さを」

思わず尋ねてしまったのは、翳った彼女のその顔に、その問いで少しでも光を差して上げたかったから。
他人に文句を連ねているようで実際は自分自身に一番苛立っている私とは真逆だ。この人は他人の
煩いでこんなにも顔を曇らせる。そうして思い悩んだところでその人がどうこうなるわけではないのに、
心配して心配して、やまない。

わたし?
その問いが、自身に向けられるとは想定していなかったのだろう。赤い髪をしたその人は潮風に髪を
なびかせたまま、赤い瞳を丸くして私を見やった。貴女です、フュルスティン。返した言葉は決して皮肉
などではない。それは、精一杯の親しみと敬意の表れだった。

「そうねえ。広すぎて想像もつかないから、『なんて呼ぶ?』なんて聞かれても少し困ってしまうわね。
 でも、私は、この蒼を見ると」

ペリーヌさん、貴女を思い出すわ。
柔和な微笑とともに与えられたのは、予想外にして、想定外の、攻撃。リーネさんのボーイズライフルで
だって、こんな衝撃は与えられないのではないかというほどの。
「…わ、わたくし…?」
「ええ、ペリーヌさんのようじゃない?本当に綺麗な、蒼。ね、"青の一番"さん?」
よかったらまた、あの歌を聞かせてもらえないかしら。出来れば、一緒に。
まるで手を伸べてエスコートをするかのように差し出されたその言葉に、私は諾することも否する事も
うまくできない。
「そうね、今からいきなり、はちょっと急よね。そうだ、私の家に来ない?きっとお母様もお父様も、
 ペリーヌさんのことを気に入ると思うわよ」
それは一体助け舟だったのか。分からずに私は彼女を見つめ返すだけ。けれど見つめ返したらその瞬間に
赤い瞳にとらわれて、また泣きたくなる。いつか、さえ付け足さないその約束は、まるで明日にでも散歩に
出かけるかのような色合いを持っている。

はい、いきます。

なんだかその答えだけは、きちんと口にしておかなければいけないような気がした。





足早に、基地への帰路に着く。足が逸るのは、そうして頭に風を送り込まないと火照って茹だってどう
にかなってしまいそうだからだ。
一人きりになった途端鼻がつん、として、視界がにじんだ。彼女と一緒にいたときは懸命にこらえていた
涙が、ようやっとじわじわと浮き上がってくる。

(苦手だわ)

唇を軽く噛む。きっと今の私はひどく情けない顔をしている。
だってあの人はいとも簡単に私の弱さを暴いてしまうのだ。ううん、私だけではない。出会う人すべての
心の幕をひょいとめくりあげて、的確に痛むところをさすって、「よく我慢したわね」などと言って微笑む
から。それは実に洗練された、そしてすべてを悟った、大人そのものの行動で。
けれど彼女は気付かない。その表情の翳る瞬間が、確かに彼女にも存在しているということを。私は
そこに、精一杯背伸びをして、かかとを高くして震えているひとりの少女を見る。私となんら変わらない、
意地を張っているばかりの子供の姿を。いじらしいぐらいに愛おしくて、胸が締め付けられるほどに
切ないその光景を。

荘厳な城を模した基地を背景に、蒼い蒼い空が広がっている。
もうしばらく空を見ていく、と言った彼女は今頃泣いてはいないだろうか。それともあの言葉どおり、私の
ことを思い出しているのだろうか。…別にそうして欲しいとかではないけれど、できるならきっと、後者の
ほうがいい。その蒼の先にあるガリアで喪った、かけがえの無い人たちを悔いるよりかはよっぽどいい。

出来れば少しぐらい、心温かな気持ちになってくれたなら。
それはとても傲慢な願いだけれど、そう願わずにはいられなかった。




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