なつび
遠くの方から笛の音が聞こえてくる。 優しい音色。 素朴な調べにまどろむ内に、少しずつ意識がはっきりしてきた。
肌がじっとりする。 まだ春先なのに、夏日だね。 ふぁ~あ。 起き上がって、軽く伸び。
ぴ~ひゃらら。 どん、どん。 趣のある、実に扶桑らしい楽器の音。 今、何時だろ。
首を巡らして、にっこり。 ショージ。 扶桑の文化の中でも、これの美しさときたら別格だ。
光に透けた模様を、暫くぼんやりと眺めていた。 おっと。 いけない、いけない。 少しでも気を抜くとこの調子。
「あれ。 起きたんですか、シャーリーさん?」
「ん。 モーニン!……でもないよな。 イブニン? 昼寝にしちゃ、ちょっと長かった?」
「今ちょうど夕方くらいですねー。」
背中から、宮藤の声。 気のおけない友人はいいもんだ。 居候にも気後れが無くて済む。
振り返らずショージに近寄って、すらりと開ける。 うわぁー。 なんて綺麗な茜色。
野山の向こうに水平線が見えるくらい、何も無いカントリー。 朴訥な美しさが胸を打つ。
みーんみんみん。 セミの鳴き声が聞こえる。 なんて気の早い奴なんだ。 セミの季節はまだまだ先だろ?
そんなに生き急ぐ事は無いじゃないか。 フライングも辞さずに駆け抜ける。 まるで、私のような奴。
ぴ~ひゃらら。 どん、どん。 みーんみんみん。
「いい音だね。 音の繋がりに乏しいけれど、それのおかげかな。 聞いてるだけで、ノスタルジックな気持ちになる。」
「今日はお祭りですからね~。 本当は案内したいんですけど、私もお手伝いに行かなきゃいけなくて。
浴衣だけは着付けしていきますから、楽しんできてください。 もう、随分ここに慣れてきたみたいだし。」
「ありがと。 ま、いざとなったら、あいつの友達がなんとかしてくれるでしょ。」
ショージの向こう側。 林の方で遊ぶ子供たちを見やる。 その中でも一際目を引く、美しい少女。
褐色の肌。 長い黒髪。 均整の取れた頭身。 扶桑の少年少女とは一線を画す輝き。
気付かないだろうけど、手を振ってみる。 やっぱり気付かない。 くすくすと笑って、宮藤に向き直る。
「一週間であいつも完全に馴染んだみたい。 こんなに長々と居候しちゃってごめんな、宮藤。 迷惑じゃない?」
「ぜーんぜん! ここには私と美緒さんだけですから。 いつまでもいてください!」
おっとっと。 そかそか。 もう、宮藤じゃないんだっけ。 この子はちっとも変わってないから、つい忘れそうになってしまう。
でも、ま。 あたしにとっては、いつまでも「可愛いミヤフジ」のままだから、ね。 別に気にする事は無いか。
そんな事を考えて、自嘲する。 最近の私は、こんな考えばかり。 先延ばしとか。 今はいいかとか。 そんな考えばかり。
ここに来た理由だって、あるけど。 先延ばしして、のんびりするばかり。
扶桑はあまりに平和すぎて。 スピードとは無縁の世界。 たまに、この居心地の良さが怖くなってしまう。
大戦が終わって、もうどれくらい経ったろう。 共に戦ったみんなは、どうしているだろう。
あたしは、これから、どうするべきなんだろう。 駆け回る子供たちを見やりながら、あたしは今もぼんやりしていた。
「そう言えば少佐は祭りのお手伝いかい? ふっふっふっ。 浮気相手がここにいるとも知らずに、のん気じゃのぉ~。」
「あ~れ~。 おやめになって~。」
宮藤を抱きしめて、ふざける。 笑い合うと、まるであの頃のままのよう。 でも宮藤たちは、確実に歩みを進めている。
「あっはっは。 いけないね、こういうのは。 少佐に見られたら、セップクかな?」
「ふふふ。 シャーリーさんは冗談って分かりますから。 でも、冗談じゃない時は。 舌、噛みます。 扶桑撫子、ですから。」
息を呑む。 澄み切った目。 心の底から操に殉じていると分かる目。 あの頃の宮藤には無かった、女としての芯。
それが、ぞくりとするような色香を宮藤に与えていて。 変わってないだなんて、とんだ勘違い。 どぎまぎしちゃうよ。
「参った。 扶桑の貞操観念は、美しすぎるよ。 聞いてる方が切なくなる。 すっかり大人になったね、宮藤。」
「え、え? そういうのじゃないですよー。 ただ、誠実でいたいだけなんです。 あ。 ルッキーニちゃん、帰ってきましたよ。」
手をふりふりこちらへ駆けてくるルッキーニ。 夕日に滲むその姿は、少女と大人の間に爪先立ちするような危うさで。
私はその気持ちを押し殺すように、ルッキーニを抱きとめた。
「ただ、誠実でいたい、か……。」
「ん? なんか言ったシャーリー? あ、次はあれやろうよ! シャテキ! 全部撃ち落としてやるもんね!」
ぴ~ひゃらら。 どん、どん。 どこの国でも田舎の夜は暗い。 でも、今日は例外。
一時の憩いを求めた人々をいざなうように、幻想的な炎が燃えている。 提灯、だっけ。 なんて美しいんだろう。
淡い灯火。 祭囃子。 行き交う浴衣の人々。 一つ一つが優しく絡まりあった幽玄な光景。 大切な人の手をとって、歩く。
「ルッキーニ、ユカタを着た時はしとやかに歩くもんだ。 急がなくても、シャテキは逃げないよ。」
「えー、シャーリーらしくなーい! 早くしないと終わっちゃうよ!」
袖を引っ張る姿に、思わず微笑がもれる。 いつもよりも、もっと明るいルッキーニ。 こっちまで嬉しくなってくる。
あたしたちは流石に目立つのか、すれ違う人たちは皆まじまじと見ていく。 たまにルッキーニが手を振る。 こっちでできた友達かな。
その中には子供もいる。 大人もいる。 子供でも大人でもない、こいつ。 あぁ、こいつの横顔。 なんて、綺麗なんだろう。
「もー、これ思った方向に飛ばなーい! 整備不良なんじゃないの~?」
「ふふふ。 貸してみな、ルッキーニ。」
ぽん、ぽん、ぽん。 三の一。 な、なんだよ。 これじゃカッコつかないじゃん。
へったくそーと揶揄されながら、戦利品であるキツネのお面を被せてやったら。 ルッキーニは嬉しそうに笑った。
「あー、楽しかった! 少佐がタイコ叩いてるとこ、似合いすぎ! 芳佳、お嫁さんしてたねぇ~。」
まだたけなわの広場を後にして、家路を辿る。 ルッキーニを見るたびに湧いてくる、暖かな感情。 手放したくなかった。
ずっと先延ばしにしていた。 あぁ、でも、もう。 祭りがいつかは終わるように。 私も、前に進まなくちゃ、いけないんだ。
「扶桑か……遠くまで来たもんだね。 あたしたち、もう世界中を周ったんじゃないかな?」
「そうだね。 みんな同じ所に住んでたらいいのに。 芳佳も。 シャーリーも。 あたしのマーマも。」
「ほんとにね……。」
誰もいない、雑木林。 ここから先には宮藤たちの家だけ。 それは、逃げ場を残しておきたいという弱さだったのだろうか。
まだ家まで帰りきらない内に、あたしは歩みを止めた。
「わっとっと。 も、もう、急に止まったら危ないじゃん! どしたの、シャーリー。」
「……ルッキーニ。 真面目に、聞いてほしい事があるんだ。 あたし……。」
「ストップ!」
わわ。 びたっと。 目の前に手の平を突きつけられて、思わず言葉を切るあたし。
意表を突かれて、手の平ごしにルッキーニを見る。 はっとした。 ルッキーニの顔は、真剣そのものだった。
「その前にあたしから、いっこだけ。 ……ね。 シャーリーは、あたしのこと、すき?」
「……あぁ。」
「あたしも、すき。 だから、聞かせて。 シャーリーは。 あたしが一緒にロマーニャに住んで、って言ったら。 どうする?」
……。 駄目だ。 泣くな、あたし。 でも。 不意にこみあげたそれが、あまりにも強くて。
押さえ込むのに精一杯で。 あたしは答えられなかった。 愛しい。 どうしようもなく、ルッキーニが、愛しい。
今にも泣きそうな、ルッキーニの瞳。 分かっていたんだ。 あたしが、言おうとしてた事。
瞳を見つめれば、分かってしまう。 今日、あんなに明るく振舞っていたのも。 この時を、予感していたからなんだ。
この子は確かに、もう子供じゃなかった。 分かった上で。 あたしの言葉を待っていたんだ。
あたしの、言葉。 ……あたしは、リベリオンに帰る。 その時。 ルッキーニを連れて行く気は、無いって。 その、言葉を。
スピード狂い。 夢追い人。 そんな風に言えば、カッコはいいけれど。 きっと、欠落してるんだ。 人として、大事な、何かが。
ルッキーニを愛してる。 ルッキーニには、愛する家族がいる。 それを思えば、ロマーニャに住んだっていいはずだった。
でも、あたしには選べなかった。 リベリオンこそが、スピードを求める上で、一番適した国だから。
あたしは、愛しい人より、スピードを選んだんだ。 いや。 そんなに可愛いものじゃない。 あたしは。
スピード以外の何かが零れ落ちていっても、ぼんやり見ているだけの人間なんだ。 例えそれが、二度と戻らないものであっても。
ルッキーニには、分かっていたんだ。 あたし。 ルッキーニの事。 こんなに愛しく思うのに。 こんなに切なく思うのに。
さよならを告げられたら、決して引き留めないだろうという事を。 なりふり構わず縋り付くような人間ではない事を。
本当はスピードなんて問題じゃないのかもしれない。 引き留めたいという気持ちが無いなら、多分こんなに苦しんだりしない。
ルッキーニはローティーン。 恋に恋しているだけなのかも。 それに、母親と過ごす時間を彼女から奪うわけにはいかない。
そんな良識と、スピードというエゴイズム。 きっと、それを打ち破るだけの強さが、あたしには無いだけなんだ。
「……何も言ってくれないんだね。」
ばいん。 ばいん。 ヨーヨーを突きながら、ルッキーニが笑う。
「あたしたち、一緒に色んな所回ったね。 楽しかったな。 大戦も終わったのに、ずるずる一緒にいて。
そんないい加減な生き方が、すごく幸せだった。 シャーリーの胸に抱かれてるだけでよかった。 ありがと、シャーリー。
こんな気持ち、教えてくれて。 あたしね。 きっと素敵な大人になる。 すれ違うみんな、振り返るくらいに。
シャーリーの事なんか忘れちゃう。 もう二度と、振り返らない。 だから。 シャーリーも振り返らないで。 約束だよ。」
胸が詰まる。 なんて健気な子。 なんて暖かな心。 あたしなんかとじゃ、最初から釣り合っていなかった。 あたし、最低だ。
この期に及んで、何も言ってやれないのか。 言わなくちゃ。 何か。 開きかけたあたしの唇に、ルッキーニが指を当てた。
「駄目だよ。 そんなの、駄目。 自分に正直なシャーリーでいて。 あたし。 そんなシャーリーが。 すき、だったよ。」
そう言って、ルッキーニはキツネのお面をススッと下げた。
キツネのお面が笑っている。 滑稽とすら言える、その姿。 でも。 震えていた。 お面とアゴの間に、雫が染み出した。
じゃあね、って。 くるりと、身を翻すルッキーニ。 あたしに、そんな資格は無いのに、思わず、捕まえようと手を伸ばして。
それが虚しく空を切って。 ぽつんと佇んだあたしの手には、何も残っていなかった。
「おはようございます、シャーリーさん。 起き抜けで、悪いですけど。 美緒さんが、呼んでます。」
「おはよ、宮藤。 分かった。 すぐに行くって、言っといて。」
とても長い夜だった。 まるで眠れずに。 何度ルッキーニの部屋に行こうと思ったか。
でも、それは一時の気の迷いに過ぎないから。 あたしは、殺しても殺しても死んでくれない心を、夜通し殺し続けた。
着替えようとして、宮藤がまだそこにいる事に気が付いた。 あたしと視線を合わせないで、宮藤が言う。
「ルッキーニちゃん、バス停に送ってきました。 次のバスで、帰るらしいです。」
「……そっか。」
「私、二人が来てくれて、凄く嬉しかった。 凄く楽しかった。 ……これが最後なんて、嫌、です。」
「……ごめんね、宮藤。」
宮藤が泣いている。 怒っている。 気のおけない友人はいいもんだ。 まるで自分の事のように、泣いてくれる。 怒ってくれる。
ちょっとの間、宮藤を抱き締めて、あたしは坂本少佐のとこへ向かった。
「おはよう、シャーリー。 いい朝だな。 そんな顔で迎えるのは、勿体無いぞ。」
「おはようございます、少佐。 本当に、そうですね。 ……あの、あたしに用事って?」
「わっはっはっ! 私はもう少佐ではない。 そんなに肩肘張らなくてもいいだろう? で、まぁ。
お前を呼んだのは他でもない。 ちょっと、車の調子が悪いんだ。 機械に強いお前に、見てもらおうと思ってな。」
へ、へっ? 車? ルッキーニの事かと身構えていた私は、ちょっと拍子抜けしながらガレージに向かった。
「……少佐、これ、走ってる方が不思議ですよ。 あちこち限界です。 多分、新しいの買った方が安いかも……。」
「そうか、うーん。 まぁ、知り合いから譲ってもらった物に、文句を言ってもバチが当たるか。 あいつの平手打ちは痛いしな!」
土の匂いがするガレージ。 細かく点検するまでもなかった。 廃車寸前のオンボロ。
どう見ても限界。 それでも、乗り手に愛されてる車だと一目で分かって。 私は暖かな気持ちになった。
「どうだ、扶桑に来て。 お前が何かに迷っていたのは、分かっていた。 答えは見えたか?」
はっとする。 軽く車を弄っていた所に、突然の質問。 頭を掻きながら、苦笑。
「敵いませんね、少佐には。 ……見えた、つもりです。 あたしには、スピードだけ。 その思いに殉じます。」
「……そうか。 なら良かった。」
ニカッと眩しい笑顔を向けられて。 あたしは、羨ましさのあまり、泣きそうになった。
少佐だったら、こんなにみっともない結末は無かったに違いない。 宮藤は、とても幸せそうだった。
あたしが扶桑に来た理由。 少佐と宮藤がどうしてるか見たかったんだ。 それが、あたしの決断のヒントになるかもと思って。
でも結局は、あたしが酷薄な奴だって事を。 あたしと、宮藤たちの差を、見せ付けられただけだった。
「シャーリー。 一つだけ言わせてもらおうか。 何もな。 かなぐり捨てた方がスピードが出るとは、限らんぞ。」
考えに没頭していたら、少佐に肩を叩かれた。 顔を見上げる。 目と目が合った。 不思議な気持ち。 なぜだろう。
もう、少佐の右目に魔眼は無かった。 それなのに。 あたしは、この心を、完璧に見透かされている気がした。
「こんな田舎の、こんな悪路でな。 このオンボロときたら、えらいスピードが出るんだ。 私は、思う。
理屈じゃない部分が、こいつを速くしている。 込めた想いだけに。 重ねた年月だけに。 宿るものがある、と。
なぁ、シャーリー。 戯言と思ってくれていいが。 お前もひょっとしたら、捨てるより、抱え込んだ方が、速くなるのかもしれんぞ?」
えっ? 抱え込む方が、速くなる? ……あぁ。 もう間違いない。 ルッキーニの事を言っている。
そうだ。 ずっと、ずっと、一人でやってきた。 あたしとスピード。 それ以外を含んだ世界なんて、考えてもみなかった。
あたしは。 変わる勇気を、出せずにいたのだ。 ウジウジしたあたしを、少佐が怒鳴りつけてくれる。
「やってもみない内から、決め付けるな。 恐れるな。 お前は、恐れているだけだ。 自分の可能性を信じられないだけだ。
例え、信じられなくてもいい。 守るべきものくらい、抱き締めて飛んでみせろ。 お前は。 前人未到を目指す女だろう!!」
……くそったれ。 そうだ。 結局、全部あたしなんだ。 あたしが、中途半端なだけだったんだ。
本当は、ルッキーニも、スピードも、手放したくない。 そのくせ、あんなに、ルッキーニを悲しませて。
適当な言い訳を用意して、大人であろうとしただけなんだ。 両方を抱え込んで、成功してやるって勇気が、無かったから。
スピードという化け物を恐れないあたしが。 あんなに小さな子の、純粋すぎる気持ちを恐れていた。
そうだ、シャーロット・E・イェーガー。 あんたは世界最速の女じゃないか。 こんなのカッコ悪すぎる。 許されないよ!
「ありがとうございます、少佐。 やっぱり少佐は、いつまでもあたしの少佐です。 あたし。 追いかけます!!」
「シャーリーさん、こっち! みっちゃんのおじさんのトラクター、準備してもらうから!」
「お父さんのトラクター、違法改造してあって速いんだから! 任せといて!」
猛ダッシュするあたしに、助けの声。 ありがと、宮藤、みちこ! でもね。 悪いけど、待ってられない!
玄関先にあった自転車のハンドルを掴む。 助走から一気に飛び乗って。 あたしは全速力でペダルを踏み出した。 ばひゅん!
「はっ……。」
「はやーーーっっっ!!!」
「うむ! それでこそシャーリーだ! ……ところで、芳佳。 追いかけるって、何の事だ?」
「……えー。 し、知らないで喋ってたんですかぁー……。」
宮藤たちの声があっという間に後方に消えていく。 ズババと空を切り裂く音。 あたしの魔法は、加速。 こんなもんじゃないからね!
バス停を過ぎた。 くそ、もういない! ……いないなら。 見つかるまで追いかける!
田舎でよかった。 見通しは抜群にいい。 はっ、はっ。 ……ちくしょう。 胸が苦しい。 足が酸欠になりそうだ。 なまってる!
オマケにこいつ、漕いでも漕いでも一向にスピードが出やしない。 足が空転している感じがする。
!! 焦燥感に苛まれるあたしの前に、曲がり角。 このスピードじゃ、曲がれない……?
いや。 やってもみない内から決め付けるな、シャーロット。 信じるんだ。 ここを曲がりきれたら、あたしは生まれ変われる。
ルッキーニを幸せにできる。 音速だって越えられる! あたしは。 前人未到の女だぁーーーっ!!
ぎゅがががが。 シールドを信じて、自分の足を地面に突き刺す。 衝撃が伝わる。 砕けたっていい。 曲っがれぇーー!!
スカッと。 ここしかないというポイントを、あたしはすり抜けた。 やっっ。 やった! やったぞ!!
あたし。 乗り越えられる女だ! それを裏付けてくれるかのように。 我に返ってみると、あたしはもう、バスに追いついていた。
並走。 みんながあたしを見ている。 運転手はどう思うだろうか。 いきなりスピードを落としたりしないだろうか。
くそ、そんな事を考えてる暇は無い。 聞こえないかもしれない。 でも。 言いたいんだ。 叫びたいんだよ。 聞いてよ、ルッキーニ!
「ルッキーニぃーーー!!! あたしが馬鹿だったぁーーー!!! 戻ってきてくれぇーーー!!! 悲しくて、もう駄目!!!
あたし、あんたがいないと生きていけない!!! 世界最速になったって、あんたに言えなきゃ嬉しくない!!!
あんたが来てくれって言うなら、ロマーニャにだって、何処にだって行く!!! 許してくれなんて、言えないけれど!!!
もう一度、あんたと一緒にいたいよぉーーー!!! はっきり分かったんだ。 あんたのこと。 愛してるんだぁーーーーー!!!!!」
全力で叫んで、叫んで、叫び倒した。 これが、あたしの本音。 あたし、欠落なんてしてなかった。
ずっとずっと知ってた。 分かってた。 逃げてただけだった! ルッキーニ! 戻ってきてよ!!!
そう思ってたら。 ぼん、っとバスの天井が吹っ飛んだ。 え? え? 何事!? 勿論ききぃーっ、とバスは急停止。
わわわわわ!!! あたしは急には止まれずに、明後日の方向へ驀進。 何とか止まってはみたものの、振り向いた刹那。
ぶろろろ。 ……へ? バスは、あたしの横を悠々と通り過ぎていった。
「待っ……待てこら! 逃げても無駄だぞ! どこまでだって追いかけるからなー!」
「なんで?」
えっ。 バスに向かって拳を振り上げてると、後ろの方から声がして。 ゆっくり後ろを向いたら、さぁ。
そこには、腕を組んで仁王立ちして、あたしを睨み付けるルッキーニがいた。
「る……ルッキーニ!」
全速力で駆け寄る。 ルッキーニ! あたし。 あたし! ぱっちぃぃぃん! ……アウチ!?
いっ、て。 ほっぺた。 はたかれた。 フルパワーで。 涙を流しながら、ルッキーニが怒る。
「遅いよ!! どこが世界最速なわけ!? お、追いかけてきてくれないのかと、思っちゃったじゃん!!」
「……ごめん。 あたし、とんだビビリだったね。 でもさ。 もう絶対こんな事しないから。 ほら、指きり。」
「絶対だかんね! ほんとに針千本飲ますかんね! もう……こんなの、やだかんね。」
「……うん。」
大人とかさ。 子供とかさ。 ほんとに馬鹿だったよね、あたし。 あたしが背伸びして、大人ぶってたように。
ルッキーニだって、大人ぶってくれてたんだよね。 あたしのために。 あたしと一緒にいたい、くせに。
あたしがスピードと生きるなら、笑って見送ろうと、頑張ってくれたんだね。 そんなの、今更ようやく分かる、なんてさ。
好きだよ。 心から。 手加減無しで、きっつく抱き締めてくれる、我侭で、聞かんぼな、あたしだけのお姫様。
きーこ。 きーこ。 魔力を使いすぎたせいで、あんまし力が入んない。 ルッキーニを後ろに乗せて、ゆっくりと坂道を登る。
「ルッキーニさぁ、ひょっとしてバスの屋根が吹っ飛んだの、あれ、あんたの仕業?」
「もっちろん! 運転手さん、パニック起こしてて、止まってくれそうに無かったから。 悪い事しちゃったなぁ!」
にひひっ、と笑うルッキーニに反省の色は見られない。 う、うーん。 まぁ、あたしのせいでもあるしなぁ。
背中にもたれかかった小悪魔が、きゅう~、と私を抱き締めて、呟いた。
「あたしが馬鹿だったぁー。 戻ってきてくれぇー。 あたし、あんたがいないと生きていけない~。 ……えへへ。」
「え、ちょっ、こら!? き、聞こえてたのか!? 走りながらだったから、聞こえないかな、って思ったのに!」
「魔力のせーじゃない? シャーリーさぁ、ロマーニャ人になれるよ! すっごい熱烈なラブコールだったもんね! にひっ!」
ったくぅ。 まぁ、それも悪くないかもね。 あたし。 未来のロマーニャ人候補だもん、ね!
「ね、シャーリー。 あたし、リベリオンに住んでもいいよ。 いつまでも子供じゃないもんね。 一人暮らし、できるよ?」
「ばぁーか。 あんたにはまだ早い! まずはあたしがロマーニャに……。」
「いや、あたしが……ぷぅー。 あっつーい。 なんだか、言い争うのも疲れちゃう。 そこら辺は。 おいおい考えよっか!」
きーこ。 きーこ。 ゆっくり自転車を漕ぐ。 そよ風が気持ちいい。 くぁー。 まだ春先なのに、今日も夏日。
汗ばむ体。 進まない自転車。 丘を登りきったら、遠くの方に宮藤たちが見えて。 あたしたちは、元気に大きく手を振った。
おしまい