あなたに贈るコンバラリア


 自分のことを少々怖がっていると思われる、ふたつ年下の彼女が突然「お願い事」をしに来たのは5月の
はじめの朝のことで、あまりにも意外なそのお願いにペリーヌはおもわずけげんな顔をして固まってしまった。
ペリーヌさん、と。聞きなれないその声で呼びかけられてようやっと硬直状態から脱する。たぶん、ひどく苦い
顔をしているのだろうと思いながらも必死に、取り繕うようにらしくもなく笑顔を浮かべてみた。
なんでもありませんわ。答えながら相手を見やるとかかとの高い靴のぶんだけ高くなっている目線を見上げて、
すこし緊張気味に彼女がこちらを見上げている。

 すずらんの花、いただけませんか。

 まるで新緑の若葉のようなエメラルドの瞳をめぐらせて早朝の廊下に立ち尽くし、誰かを探していたサーニャは
ペリーヌの姿を見るや否や顔をぼぅ、と微かに輝かせてこちらに駆け寄ってきた。そして開口一番、朝の挨拶も
そこそこに口にしたのが、その言葉。

 とりあえずなぜ、と問うてみる。というのも、ありとあらゆる意味での驚愕でそれ以上の言葉が出てこな
かったからだ。ペリーヌの印象では、サーニャはいつだって眠そうな顔をしていて、そもそもこんな朝の時間に
出歩いているような少女ではなかった。これはペリーヌ自身も失言であったと思っているが、北欧出身特有の
白い肌が生気のない人間のそれにさえ思えて──一言で言い表すとしたら、亡霊のよう、というのがペリーヌの
彼女に対する認識で。

 けれどいま、目の前に佇んでいるサーニャは普段の彼女とは違った雰囲気を纏っているのだった。いつも
ともにいる少女同様、一体何を考えているのか分からないぼんやりとした顔は鳴りを潜め、明らかな意思を
持った輝きをその瞳の輝きに孕ませている。何より、普段はそのエイラ以外とはまともに会話を交わそうと
さえしない彼女が、あえて一人でペリーヌを探して、そして口を開いて自分のしたいことを伝えてくるのだ。
これは自分でなくても相当驚くであろうし、よく晴れた蒼い空を窓から見やって『今夜は嵐でもくるのだろうか』
ぐらいは考えても許されるのではないかとペリーヌは思う。

 なぜ、すずらんの花を。
 なぜ、私に。
 なぜ、今日という日を選んで。

 頭の中をそういった疑問がぐるぐると渦巻いていく。若葉を湛えたサーニャの瞳からは強い意志が汲み取れる
けれど、いかんせんペリーヌはエイラのようにいつも傍にいるわけではないから、そこからその意図までを
読み取ることは出来ない。

 そのう、去年。しばらくして、ようやっとサーニャが口を開いた。ささやき声のようなか細い彼女の声は、
懸命に拾おうとしないとすぐに風にかき消されてしまう。去年?去年、一体何があったろうか。思い出せず
つい顔をしかめると、サーニャが少し困った顔をした。ああ、これではいけない。あのいたずら好きの同僚に
後で地味ながらも確実に堪える報復を頂戴する未来を想像して、再び慌てて引きつった笑みを浮かべる。エイラが
サーニャにするような、慈愛しか含まれていない穏やかな笑みを浮かべることはペリーヌには到底無理な話で
あったが、それでも多少の緩衝材になってくれれば、と思った。だって、ペリーヌだって別にサーニャを泣かせ
たり困らせたりしたいわけではないのだから。
 そのペリーヌの気持ちをもしかしたら汲んでくれたのかも知れない。明らかに引きつった笑顔であったのにも
関わらず、サーニャは少し、ほんの少しだけだけれども表情を緩ませて再び口を開いた。

「去年の今頃、基地にすずらんの花を活けていたので…その、ペリーヌさんならどこか基地の近くで咲いている
のを、ご存知なのかと…」

 気付かれていたのか。

 恐る恐る、だけれども普段のそれよりはよっぽどはっきりした口調で、語って聞かされた事実にとペリーヌは
思わず口をあんぐりとあけて固まってしまう。ガリアを臨める海辺の花畑でペリーヌ自身が育てた季節の花を、
基地中に活けていくのはペリーヌのささやかな趣味だった。それは誰にも言ったことが無い、秘密の行動で。
だからこそ誰の称賛も望んではいなかったのだ。

 …いいや、それは実際は、全く逆の理由なのかもしれない。本当は誰かの称賛が欲しくて、けれど気付いたと
ころで誰かが褒め称えてくれるとは思えなくて、怖くて、だからこそ何もいえずにそれをしていたのかもしれ
ない。リーネが「綺麗!」と目を輝かせて、見ごろが過ぎる直前を見計らってはドライフラワーにしてくれて
いるのを、心のどこかで誇らしく思いながら。それで十分と思えるほどペリーヌの心は寛大ではなかったけれど、
それでも何も含みもない喜びに満ちたリーネのその行動はペリーヌの心を確実に慰めてくれた。

 そう、誰もそれについて言及しないものだから、おそらくは基地の誰しもがそれに気付いてはいないと
ペリーヌは考えていて。けれどもみんながその花を見て顔を和らげているのを見やって内心大喜びしている
ことも、ペリーヌひとりの心に秘められたはずのひみつであったのだ。
 それだのに、この少女は丸一年も前からそれを知っていたという。こんな、すれ違いばかりでほとんど会話も
したことが無い、ナイトウィッチのサーニャが。

 胸の奥に熱い何かが注がれていく感覚を感じて、つい押し黙る。そう。5月のはじめには、すずらんの花を
活けると決めていた。その為にいまからそのすずらんを摘みに行くところだった。

 だって、今日は。5月1日は。

「…差し上げたい方が、いらっしゃるんですの?」
「……はい。」

 返事をしたその瞬間、サーニャの顔がぼっ、と赤くなった。揺らめかせる視線は、いずこへやっているのか。
それはサーニャの部屋の方向だったけれども、実際はその隣室に今頃いるであろう人に向けられていることは
間違いなくて。

「……すずらんは……すずらんは、エイラの国の、花だから。だから……エイラに。」

 上げたいと思ったんです。ペリーヌさんが活けてくれたすずらんの花は、とてもとても綺麗だったから。
ずっと、ずっと、上げたいと思っていたんです。

 勇気を振り絞っているのに違いない。もともと流暢ではない語り口は、普段のそれよりもよっぽど張り詰めて
いて。えいら。その名前を呟くその直前に、まるでそれが神聖な言葉であるかのように息を呑む。そうしないと
心臓が壊れてしまうといわんばかりに。
 けれどもそれと同時に、彼女が今日という日にすずらんの花を自分に欲した理由はそれだけで、それ以外に
何も思うところがないのだということを理解して少しだけ、ほんの少しだけペリーヌは寂しい気持ちになって
しまうのだった。もちろん最初から期待などしていなかったから、ほんのちょっぴりだけ、だけれども。

「…エイラさんに?」
「……エイラに。」

 そこにペリーヌは、ひとりの不器用だけれどもとても心優しくて、そして目一杯誰かを愛している少女を見る
のだった。彼女が普段携える武器など想像も出来ないくらいに、それは歳相応の、恋をしている女の子の様相で。
不思議なおかしさに思わずふっと息をついてしまう。すると今にも涙が浮かんできそうな目で見上げられたので、
慌てて三度取り繕おうと口を開いた、そのとき。

「おーーーーーい、サーーーーニャーーーーー!!!どこだーーーーーー」

 普段の平坦な声色はそのままに、けれども必死さを隠せないその彼女の声が耳に飛び込んできた。もしも今
サーニャが魔力を放出している状態であったなら、間違いなくびくりと耳と尻尾を立ち上がらせてしまっていた
ろう。それがなくても明らかなほどに体を震わせて、サーニャは焦ったようにペリーヌを見返した。確かに、
サーニャに対しては過保護にもほどがある気のあるエイラのことだ、ここで見つかったら今日一日は間違いなく
目を離してくれないのに違いない。

「行きますわよ、サーニャさん」
「…え?」

 ふう、とほんの少し溜めた息をついてサーニャの小さな小さな手を取る。実際の身長はたしかそう変わらない
はずだから、もしかしたら自分とそうは変わらないのかもしれないけれど、緊張で震えるその手はペリーヌの
それよりもよっぽど弱弱しく思えて思わず強く強く握り締めてしまう。だって幽霊みたいだと、そう言って
かつてサーニャを泣かせたのは紛れもない自分なのだ。そしてそれはその儚さを充分に知っているということ。

「エイラさんにみつかってはこまるのでしょう?しっかりしてくださいな」
「は、はいっ」

 きゅ、と握り返されるその手が、なんだか新鮮で懐かしくて、気恥ずかしくもあるけれど。今日だけはそんな
自分をかなぐりすてたいとペリーヌは思った。だって、今日は5月1日。ミュゲーの祭日なのだ。故郷を遠く
離れたこのブリタニアでも、周りにそれを知る人はいなくても、それでもペリーヌはこの日を大切にしたかった。

 ミュゲーの祭日。好きな人や大切な人にスズランの花束を贈る、ガリアの祭。そんな日に、サーニャが自分に
スズランの花を所望したことは単なる偶然であったろうけれども──けれどもそれを、奇跡だとも思いたかった。
彼女の瞳よりも幾分深い色をした葉の下に、まるで小さな鈴をつけたように咲く小さな小さな白い花。美緒の国の
言葉で『君影草』というのだというそれは、そう言えばなんとなくサーニャに似ているような気もする。大きな
葉に隠れてひっそりと、ちりんと鳴らす儚いけれども澄んだその音に想い人が気付いてくれるのを待っているのだ。

「あなたにはきっと、幸せが訪れますわ」

すずらんの一杯に咲く花壇で、サーニャにそれを手渡しながらペリーヌが言うと、サーニャはその瞳をまん丸に
見開いてペリーヌを見返すのだった。

「…わかってますわよ。らしくもない台詞だっていうんでしょう。…でも、ガリアでは。わたくしの故郷では、
今日この花を贈られた人は幸福が訪れると言われているんですのよ。だから、サーニャさん。あなたも幸せに
なれますわ。──エイラさんも」
「…あ…」

(あなたに、あなたたちに、もっともっと、しあわせがふえますように)
 いつも意地を張ってばかりで、傷つく言葉もたくさん言ってしまって。言葉のあまりうまくないペリーヌは
そうして失敗してばかりだけれども。
だからせめて、この花に自分のささやかな願いを、心ばかりの感謝をのせたいと願う。きっとそれを明かしたら
「お前らしくない」と、隊の皆は笑うのだろうとわかっていたからペリーヌはそれをあえて口にしてこな
かったのだけれど。
 なんとなく気恥ずかしくなって、サーニャに背を向けて花壇から今日基地に活ける分の鈴蘭を摘んでいく。
芳しい香りが鼻をくすぐって、不思議と笑みがこぼれる。

「……それなら」

 ふと、その背中に掛かった言葉に顔を上げ、声のするほうを見やった。すると、いつの間にか傍らに来ていた
サーニャが柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ているのだ。そしてその手に携えたスズランの花から、一本を
取り出してペリーヌに差し出す。

「…ペリーヌさんにも、幸せが訪れますように。……いつも基地のお花、ありがとうございます。」
「……ばか、それはさっきわたくしが差し上げた花じゃありませんの」

 憎まれ口をついたたきながらも、ペリーヌはうっかりその花に手を伸ばしてしまう。こんなに熱くなっている
頬では、きっとサーニャだって照れ隠しのそれと気付いてしまうのに違いない。事実、ペリーヌが顔をしかめた
だけで少し怯えた表情を浮かべるはずのサーニャが、そんなペリーヌを見て穏やかに笑んでいた。


「そう言えばサーニャさん、夜間哨戒帰りだったのでしょう?眠くはないので──って、え?」
 スズランの花束を腕一杯に携え、ペリーヌとサーニャは基地に戻る。ちょうどサーニャとであった廊下に差し
掛かったとき、はた、と思い出してペリーヌは背後を歩いていたはずのサーニャに振り向いて語りかけた。
すると、そこに彼女の姿はない。慌てて視線をめぐらせると、床にへたり込んでくーすかと眠りこけている
サーニャの姿があった。

「……~~~~~~~エイラさんッ!!どこにいますのっ!!!」

 声を張り上げて、先ほどは逃れたエイラの名前を呼ぶ。…緊張が途切れたのだろうか。それにしてもこれほど
無防備では、エイラも苦労するはずだ。頭を抱えるペリーヌ。
 エイラ。いとおしげな呟きが、静かな朝の廊下に響いていく。すずらんの花を、自慢げに腕に抱いたサーニャは、
すぐにやってくるであろうエイラに一足先にそれを手渡す夢を見ているのかもしれなかった。



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