旦那様は魔女


夕食とか、その他色々の雑事も終わり、残るは明日に備えて寝るのみと言う時分。
私はミーティングルームのソファに腰かけていた。
心臓が今までにないくらい激しく拍動している、隣に坂本さんが座っているからである。
忙しいのにわざわざ私のお願いを聞いて、待ってくれていた――と言うことだけで胸が一杯になるが、ここからが本番。
かねてから夢想していたことを、今から実現させるのだ。
「宮藤、私に頼みがあるとのことだが……?」
坂本さんはその凛々しい顔を私に向ける、それだけで顔が赤くなるのを感じる。
「はいッ! あの――」
断られた時の覚悟はできているけれど、それでもやはり緊張する。
私は息を吸い込み、その『頼み』を口にした。
「さ、坂本さんッ! 私を……『芳佳』って呼んでくれませんか?」
ああ……言ってしまった。
坂本さんはあまり驚いた様子も無く、ただ私をじっと見ている。
私は返事までの時間が永遠に来ないような錯覚を感じた。
「何故だ、宮藤と呼ばれるのは不満か?」
不満だ。
もっと、もっともっと親しげに呼んでほしい。
あなたの素敵な笑顔を私だけに向けてくれたらどんなに良いか。
部下と上官の関係以上のものが私は、求めている。
そして、その暁には決して触れることの叶わない坂本さんの胸を、胸を……!
「どうした?」
これはいけない、少し別世界に行っていた……。
当然トリップしている場合ではない、ここで説得できれば晴れて芳佳、と呼んでもらえる。
私は頭を振って自分を奮い立たせた。
「はいッ! そのですね、部隊じゃ私以外の人は大抵坂本さんにファーストネームで呼ばれてるじゃないですか?」
「ふむ」
悪くない反応だと思う。
私は話を続ける。
「何と言うか……それを聞いてると私だけ仲間外れにされているような気分になってしまって、だから――」
「自分も姓じゃなくて名で呼んでもらいたい訳か」
坂本さんは考え込むような顔でこちらを見ている。
無理が、あったかな? 坂本さんの顔を見る限りあったのだろう。
苦くて重いものが私の貧相な胸を締め付ける。もしかすると嫌われてしまったかもしれない。

「やっぱり、駄目ですよね……こんなこと」
「違う、お前達にはわけ隔てなく接しているつもりだったんだが、そんな風に思われていたとはな」
「坂本さんの気にすることじゃありません! 私が勝手に思っただけですから……」
もう沢山だ。早くこの場から消えてしまいたい、これ以上一緒にいたら私は泣いてしまうだろう。
「馬鹿者、気にするに決まっているだろう」
しかし、坂本さんは意外な事を言った。
気にするとはどういうことか、私に気を使うことなんか無いのに。
「嫌な思いをさせてすまなかったな、みや――おっと……芳佳」
なんてことだ。今、坂本さんが、他ならぬ坂本さんが私のことを芳佳と!?
「えッ!? いいんですか!?」
「はっはっは、構わんぞ! たしかに皆のことは殆ど名でよんでるからな!」
「ありがとうございますッ!」
強烈な高揚感が体に満ちて、なんだかふわふわした気持ちになる。多分初めて空を飛んだ時以上。
その時もすぐ傍に坂本さんが一緒に居てくれたのことを思い出した。
「さて、他に用もないようだな。私はそろそろ戻るぞ、芳佳」
坂本さんがソファから立つ。つられて私も立ちあがった。
「ど、どうぞッ。 坂本さん!」
さっきから声が上ずってしまっている。芳佳と呼ばれるだけでここまで距離感が縮まるとは思わなかった。
今日は嬉しくて眠れそうもない。
「そうだ芳佳、私も美緒でいいぞ」
私の頭上に雷が落ちた。
「はい!? ああ、その……流石にそれは……不遜と言うかなんと言うか」
上手くしゃべることが出来ない。
芳佳と呼んでもらえた段階で私の頭の中はオーバーヒートしているのに、坂本さんはなんてことを言うのだろう!
「お前だってミーナのことを『ヴィルケさん』なんて呼んでいないだろう? 元々お前の言ったことだ」
確かにそうではあるが……ええい、こうなった以上もう一回覚悟を決めろ、宮藤芳佳!
「み……お……さん」
「何を恥ずかしがっている! もっとはっきりと言ってみろ!」
「美緒さん!」
もし旦那様を呼ぶならこんな感じなのだろうか? 旦那様は少佐――なんて甘美な響きだろう!
「そうだッ! それでいいぞ芳佳ッ!」
私は必要以上に強い力で背中を叩かれた。当然痛みなんて感じない。
幸せで胸一杯だ。それは狭苦しい私の胸を膨らませ、気分だけならリーネちゃん並にしている。
「む、もうこんな時間か……明日も訓練に励めよ芳佳!」
「はいッ! 美緒さんッ!」
また『美緒さん』といってしまった。顔がにやけるのを必死に隠しながら私はさか――否、美緒さんを見送った。
それにしても、もし美緒さんが旦那様だったらどんなにいいだろう。
毎日出迎え、炊事や風呂焚きをし、そしてそして夜には、夜には……美緒さんが私の胸を……!
私は美緒さんに娶られた時の日々を想像しミーティングルームにて独り、陶酔の境地へと旅立っていったのだった。
× × ×
私たち二人の呼び方を聞いて部隊――と言うか特定の二人に一波乱起きるのは、また別のお話である。



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