無題


 ねぼけているのであろう、と言うことは明白だった。自分の体を強く、けれども優しく抱きしめているその
温もりに、ペリーヌは嘆息する。

「ちょっと、おきてくださいまし、ハルトマン、ちゅう、いっ」

 体を包むのはその腕と、慣れた自分の寝具。微かにめぐらせれば、視界に映るぼやけた天蓋からここが紛れも
なくペリーヌ自身の部屋であることを知る。強硬手段とばかりにそのまま身をよじらせて、声を上げて彼女の
腕から脱しようと試みるもそこは部隊一の眠り姫(自称)と名高いエーリカ・ハルトマンのこと。そのような
柔な抵抗では目を覚ますはずもなくペリーヌはほとほと困り果てるしかなかった。

 すべすべとしたエーリカの柔肌が心地よい。胸のふくらみは自分と同じでほとんどないも同然だというのに、
この人と来たらどこもかしこも柔らかいのだ。もぞもぞと微かに続けていた抵抗さえ諦めてその腕にひとまず
身をゆだねると、エーリカの体からはなんとなく、甘いいい香りがしているような気がした。寝る前にチョコ
レートでも食べたのだろうか?

(ハルトマン中尉ならやりかねませんわね)

 想像でしかないその憶測は、ペリーヌの胸に事実としていともあっさりと収まった。それだからゲルトルート
がまた怒るのだ。ハルトマン、お前はまた夜中にお菓子を食べて!それに食べ散らかしたものは片付けろと
いつもいつも言っているだろう!そんなゲルトルートの怒鳴り声さえも容易く耳の奥から聞こえてきそうなほど。
もちろん、それを聞くエーリカがいつもの寝ぼけ半分で、あくび交じりに左から右へ、まるで双方の耳の穴が
どこにも通じずに繋がっているかのような顔をしていることも間違いなく。

 紛れもなく、それは。あるひとつのしあわせの風景だった。
 慌しいけれどもどこか穏やかな、『いつも』のやりとり。

 そんなことを感じるのはペリーヌがこの部隊の一員としてすっかりこの場所に馴染んでしまっているからだと
いうことに、しかしながらペリーヌは気がついていないのだった。だからこそ、自身の想像に口許を緩ませて
いることをペリーヌは自分でも知らない。まるでアフタヌーンティーに注ぐミルクのように広がっていく、
この感情の名前さえ。

 うう、と、微かな声を上げて。エーリカが身じろぎをする。ようやっと目を覚ますのか。ほっとペリーヌは
息をついた。坂本の鍛錬に付き添うことを己が悦びとするペリーヌにとって、一つ年上の同僚であるところの
彼女の向こうから差し込んでくる光は普段ペリーヌが見るそれよりもずっと遅い時刻を示している。いくら
『あの』エーリカ・ハルトマンとは言え、このような時間まで眠りこけていることはあるまい…

 そんな、ペリーヌのささやかだけれども確信に満ちたある種の未来予知は、当然のことながらあっさりと
打ち壊される。だって身じろぎをしたエーリカが一向に目を覚ます事はなく、ただひたすら、その自分の腕の
中にあるペリーヌを更に強く抱き寄せたのみであったのだから。

「…ハルトマンちゅういっ、いいかげんにっ、おきてっ、くださいっ、な!」

 するどく囁きかけるも、やはり彼女が起きる気配はない。どうしよう。このままでは鍛錬に付き添うどころか、
朝食にさえ遅れてしまうではないか。真っ先にからかってきそうなあのリベリアンやスオミのことを思い起こ
して、困惑を通り越して泣きたい気持ちにペリーヌはなる。そもそもいったいぜんたいどうして、こんなことに
なっているのだろう。もっとも、兼ねてから不思議なところが多い節のあるエーリカのことなのだから、深く
考えたほうが負けであるとはペリーヌ自身も重々承知しているのだけれど。

(もう、これじゃあ、本当に…)

 いつもやれ起きるのが遅いだの、不真面目だの、ゲルトルートほどではないものの口うるさいペリーヌである。
もちろんそれは自らがそういった部分がないことを自負しているからこそ口に出来るわけで、そんな自分が
『寝坊』などと格好つかない真似をするのは、なんとしても回避したかった。けれどもそう思っていくら抵抗を
しようとも、ペリーヌを抱きしめる二本の柔らかな腕が弱まることはないのだ。

(だめよ、だめ。わたくしは、わたくしは、ちゃんとしていなくてはいけないんだから──)

 だって故郷を取り戻すために自分は戦っているのだ。他の国の人間のように、数合わせや同情でこちらに派遣
されてきたわけではない。ここはガリア奪還の最前線。ガリアのウィッチ全員から選ばれて、自分はここにいる。
だから、遊んでいる場合ではない。ペリーヌは己の誓いを、目的を、再び胸で反芻する。

(でも)

 そのとき、心のどこかが反意の声を上げた。けど、でも、だって。そして、子供の言い訳のような言葉を
繰り返す。

(…とても、温かい)

 すう、すうと、額の辺りに掛かる息遣いが。受け止めてくれている胸が。回されている腕が。包み込んで
くれている、そのすべてが。
 どうしようもなく温かくて、先ほどとは全く違う成分を持った熱いものが胸から喉へ、喉から鼻へ、目頭へ。
こみ上げてくることをペリーヌは感じていた。ちょい、と視線を上にあげれば、きらきらと差し込む朝の光。
…どうしてだろう、普段よりもよっぽど、眩しく思えるその明かり。その眩しさが妙に懐かしくて、ペリーヌは
また泣きたくなる。

(あれ、そう言えばわたくし、どうしてこの人がハルトマン中尉だとわかっているのかしら?)

 自分の中でとっくに答えが出ていたそれが、今更ながら不思議に思えた。だってペリーヌの目では、眼鏡なし
で人の顔を判別することなど出来ないのだ。そもそもこんな至近距離では顔の確認をすることさえ出来たもの
ではない。すぐ目の前の薄い胸も確かにエーリカを象徴してやまないものであったが、それは彼女と決め付ける
のには少々決め手が足りなかった。だってペリーヌには人の胸をまさぐって楽しむような趣味はないから。

 きらきら、きらきら。
 涙に乱反射して、視界が更に輝きを増してゆく。もともとぼやけていた視界が更に歪んで、もう何もかも形を
成していない。だって、エーリカの髪が余りにも綺麗に太陽の光を反射するものだから、視界は金色に染め
られていくばかりなのだ。だってその金色は、ペリーヌの髪にさえも届いてさらにその輝きを増し加えてゆくの
だから。

(ああ、そういうこと、なのね)

 きんいろ。こんじき。
 その言葉が胸に去来した瞬間、ようやっと。答えが形となってペリーヌの前にあらわれた。それは、今も
あっさりとエーリカの腕に収まっている理由と同じであったことにペリーヌはふっと気がつく。そう、抵抗して
も振りほどけなかったのではない。これは自分の中に、彼女の腕から逃れたくない強い気持ちが働いていたから
なのだと。

 泣かないで。

 寝ぼけているのは明白なはずの、エーリカの優しい優しい囁きがペリーヌの胸に届く。ぎゅうと抱き寄せる
彼女はもしかしたら自分と同じ気持ちでいるのかもしれない。そう、ペリーヌには思えてならない。

 わたしはここにいるよ。

 ペリーヌと同じ色の髪を持った、たった一つ年上の少女が、再びそう囁く。怖い夢を見た幼い日に、ペリーヌの
母親がそうしてくれたように。同じ色をしているから、間違えるはずなどなかった。彼女の髪が太陽の光に
とてもとてもきれいに輝くことを、ペリーヌは良く知っていたから。だってその輝きは、ペリーヌの母も孕んで
いたものだったのだから。その輝きを恋しく思って、本当はいつもいつも目で追っていたのだから。
 悲しいのはきっと、ペリーヌと同じようにまた、エーリカの希うその相手も、ここにはいないからだ。
…それならば。

(抱かれていてあげましょう)

 それがいつになるのかは分からないけれど、せめてエーリカが切ない夢から覚めて、その内容などすっかり
忘れてしまうまで。

「泣かないで。私はここにいるよ──ウーシュ。」
「うん──おかあさま。」

 けれど、その代わりに。
 自分もまた、この温もりに存分に甘えさせてもらおう。
 自分勝手に作り上げた交換条件に満足して口元を緩ませると、ぎゅうと自分を抱きしめるその温もりに
ペリーヌは身をゆだねることにした。



 視界を眩しく照らす金色に、目を見開いたエーリカはぎょっとした。ふと、自分がどこにいるのかわからなく
なり、腕の中にある光源はそのままにぐるりと視界をめぐらせて見る。天蓋つきの天井、真っ赤なじゅうたん、
いすの上のぬいぐるみ。何よりその整然とした様から、とりあえずはこの場所が自室ではないことを認識する。

(きのー…何があったんだっけなあー…)

 目の前の金色を抱え込んだまま次は思考をめぐらせた。寝起きのうまく働いていない頭では、昨晩のことさえ
思い出すのは困難に思われた。
 無意識のままに、自身の包み込んでいるそれを撫でる。柔らかくてふわふわしていて、まるで絹のような
手触りのそれからは、微かにみずみずしい花の香りがする。

 ふっと、胸に焼きつくのは言いようもない懐かしさ。幼いあの日の記憶。
 姉の自分から見ても不思議なところにまみれていた双子の妹のウルスラが、ふと理由も分からず涙を流して、
唇をかみ締めて自分を見つめてくることがあった。けれどウルスラはとてもとても寡黙な性格をしていたから、
その涙の理由など決して教えてはくれず。かといって月並みな慰めの言葉を掛けることさえエーリカの性格から
言うと困難であったからやはり何の言葉も掛けてやれずにただひたすら抱きしめていた。当然のごとく二人で
共有していた寝台で、ウルスラがすっかりと泣き疲れて眠ってしまうまで、ずっと。

(だれだろう、このひとは)

 でも、いま。
 自分の抱きしめているその人が、ウルスラでないことくらいエーリカにはわかっていた。瞳に映る金色は同じ
輝きをしているけれども、ウルスラが今、ここにいるはずはないのだから。それに、髪質も、香りも、頭の形も、
全部。記憶に残るウルスラのそれとは異なっている。エーリカは彼女のたった一人の姉なのだから、そんなこと
すぐに分かってしまうのだ。
 ウルスラの泣き顔を最後に見たのはいつだったろう。こうして彼女を抱きしめて最後に眠ったのは、果たして
どのくらい前のことだったろうか。

(最後の日、だったかなあ)

 そうだ。『ウィッチになる』。そう言ってエーリカが家を出て行くその前の晩の話であったと、エーリカはよう
やっと思い立つ。
 あの日もどうしてかウルスラは泣いた。いつものように黙って口をかみ締めて。ねえ何を怒っているの、それ
とも何かが悲しいの。何度尋ねても、彼女は決して答えてくれなかったことを覚えている。思い当たる節がない
わけではなかったけれど、何も言ってくれないものだからエーリカにウルスラの涙の真意など推し量りようも
なかった。だから、

──ねえ、一緒に眠ろう、ウーシュ。……泣かないで、私はここにいるから。

 なんて、いつも並べる精一杯の優しい言葉を掛けて彼女をベッドに引き入れて、そうして抱きしめて眠ったの
だと思う。次はいつ会えるのか分からない、ある意味最後の夜なのだから、エーリカとしては精一杯お姉さん
ぶってやりたかった。

「泣かないで、私はここにいるよ」

 ウルスラではないとわかる、その金色に優しく語り掛ける。どうしてだろうか、そう、言葉にするだけで
いつも心のどこかにあった言いようもない曇りが、優しくふき取られて澄んでいくような気がした。腕の中の
彼女は身じろぎをしながらも強い抵抗を示そうとはしない。ウーシュ。妹ではないとちゃんと分かっているのに、
つい、付け足してしまう。寝ぼけた頭はその目の前の誰かがなんという人物かという答えをはじき出しては
くれなかったけれど、その優しさにエーリカはふと、泣きたいくらいの気持ちになる。

 黒い悪魔、なんて。まるで憎き敵たるネウロイのような二つ名で呼ばれる自分。銃器なんてもう携えなれて
しまった。あの黒い影を見つければ、無意識でもそれを打ち倒してしまえるのであろうとエーリカは自負して
いる。エーリカ自身、それは誇りであると思っているし、そうして平和な、また家族と安心して暮らせる世界を
取り戻せるならばそれでいいと思っている。

 けれどふと、あの頃に戻りたくなるときだってあるのだ。鉄砲どころかはさみさえ満足に扱えない柔らかな手で
妹の手を握り、父に抱きしめられ、母の子守唄を聞きながら穏やかに眠る。それはかなわぬ願いだと知っている
から、ふとした瞬間に焦がれてやまない。

(ありがとう)

 それでもいま、こうして。自分と同じ金色を持つ人を抱きしめて。
 眠るだけでも充分に、救われているような気がした。たとえそれはかりそめであると遠くから見た誰かが
笑おうとも、エーリカにとってこの状態は十二分に、『幸福』と呼ぶことが出来たから。

 きっとしばらくしたら、自分を探した同僚が怒鳴り込んでくる。そうだ、確か昨日もまた彼女とケンカをして、
拗ねてこの部屋にたどり着いたのではなかったか。深夜の来訪に宿主は非常に嫌な顔をしていたけれど、ぬい
ぐるみを人質にとったらそのうち呆れたように折れてくれた。二つ金色の頭を並べて、どうでもいい質問を散々
彼女に浴びせて、それにやはり呆れ半分で、けれども生真面目に返してくれる彼女の返答を聞いているうちに
部屋に来た理由などすっかりと忘れて眠りについてしまった。

 意地っ張りで強がりで、けれども残酷になりきれない優しい子。エーリカの妹とは全然違うけれども、守る
べき相手であることは変わらない。だって彼女もまた、エーリカにとっては僚機なのだから。

「泣かないで、私はここにいるよ──」

 君のことも、君の国も、ちゃんと守ってみせるよ。取り戻してみせるよ。
 愛おしさとは別の何かで熱くなって、濡れていく胸の辺りを感じながらエーリカは柔らかなその金色に口付けた。



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