Panthera
「こんばんは皆の衆。 見て見て! どう? 可愛い?」
夕食後のラウンジ。 みんなでくつろいでいると、エーリカがとてとてと駆け込んできた。
読んでいた小説から顔を上げてそちらを見やる。 エーリカは、ちょうど私の目の前でくるりと優雅に一回転した。
「これからの軍服には可愛さも必要だよ! というわけで、ファッションリーダーたる私が先陣を切ってみましたー。」
ひら、ひら、ふわり。 特徴的な動きに思わず目が奪われる。 薄布がエーリカの動きに合わせて舞い上がる。
裾は膝上15センチ。 細やかなプリーツは僅かな動きでひらひら揺れて、思わず目で追ってしまう。
ホワイト・ペールイエロー・ライトブルー。 淡い色彩のギンガムチェックは、雨上がりの空を思わせる清々しさだ。
ベルト! 普通ならば既婚女性のみが履くそれを、エーリカはズボンの上に重ね着していた。
呆気にとられた頭に思考能力が戻ってくる。 なんだこれは。 一体こいつの脳味噌には何が詰まってるんだ。 ウニか。
制服は国民の血税で支給されているんだぞ。 わけの分からんアレンジを施すな! 思わず叱責が口をつく。
「ベルトって……お前は既婚者か!? 軍服に可愛さを求めてどうする。 ネウロイが見惚れてくれるわけでもないだろう!」
「ふーんだ。 やってもいない内から知った風な事言わないでよね。 トゥルーデに若者の気持ちは分かんないよ!」
「お前と二つしか違わんわ!!!」
べーと舌を出すエーリカ。 軍服に機能性以上のものなど要らん! プライベートで好きなだけ着飾れ! プライベートで!!
「可愛い!! 私は滅茶苦茶可愛いと思いますっ!!」
「なー。 可愛いよなー。 さすが宮藤はどこかの誰かさんとは大違いだね!」
「サーニャとはまた違った感じダナー。」
無邪気かつコケティッシュ。 エーリカそのものといった感じのその服は、確かによく似合っていた。
軍服である必要はまるでないがな! 本当にこいつは毎日毎日よくもまぁ、次から次へと奇行を思いつくものだ。
嘆息して宮藤たちと盛り上がる様を遠巻きに見やる。 と。 その時だった。
ちらり。
ドキン!!!! なっ!? なっ。 なっ。 なーーーっ!!?
なんだ、今の感覚は!? ベルトの裾から、ほんの僅かにエーリカのズボンが覗いた。 その瞬間。
私の心臓が、まるで別の生き物かのように跳ね上がった。
こっ。 これは? 一体どうしたというんだ。 さんざん見慣れたエーリカのズボンが、ちょっぴり見えただけじゃないか。
それなのに。 苦しい。 苦しいんだ。
どき、どき。 どき、どき。 胸が得体の知れない高揚感に満たされる。 一言で表すなら。 ときめき。
「なんだよー、見んなよー。 トゥルーデにとってはどうでもいい事なんでしょー!」
「べ、別に見ていない! そんな事よりだな。 恥ずかしくないのかエーリカ! ズボンがちらちら見えてるじゃないか!!」
「え? どゆこと? ズボンくらい、いっつも見てるじゃん。 変なトゥルーデ!」
エーリカがくすくすと笑う。 !!? あ。 う。 ああぁ。 どうした事だろう。 かっ……。 可愛いっ!
何気なく微笑んだだけのその笑顔が、物凄く可愛い。 なんでだ。 なんでこんなにエーリカが可愛く見えるんだ。
毎日見ていたはずのズボンが、こんなに見てはいけないものに思えるのは何故なんだ。
みんなが私と同じようにベルトの裾を注視するのが、こんなにも気に入らないのは何故なんだっっ!!
ひら、ひら。 ちらっ。
ひら、ひら、ひら。 ちらっ。
だっ。 駄目だ。 ベルトの裾から、僅かにライムがかった白が覗く。 それだけで、胸が高鳴り、締め付けられる。
一体どうしたと言うんだ。 ベルトを履いた。 それだけなんだぞ。 他はいつものエーリカじゃないか。
こんなに輝いて見えるなんて。 こんなに愛くるしく見えるなんて。 傍からも分かったのだろうか。 宮藤がふふ、と笑って言った。
「もう、バルクホルンさんったらすっごい夢中。 可愛いって認めたらいいじゃないですか。 素直になりましょうよ!」
「なっ。 だだ、誰が誰を可愛いと思ってるだと!? 別に夢中じゃない! 変な事を言うな、宮藤!!」
「素直じゃないなぁ。 私だって、ズボンが好きなわけじゃないですよ? 履いてる人の魅力に気付いたと言うか……この角度!」
そう言うと宮藤はググッと腰を屈めて、やおらベルトの中を覗き込むような角度をとった。 頭に血が上る。
「こっ、こらぁ!! そういう事はやめろ!!!!!」
「うひゃっ!!? す、すいません!!!!」
自分でも驚くほどの大声だった。 私に集まる視線。 くっ。 駄目だ、駄目だ駄目だ! これだけは言っておかなくては!
「エーリカ! そんな風にズボンをチラチラ見せるのは止めろ。 はしたないぞ! もっとしとやかに動け。 慎みを持て!!!」
「え? なんで? ついさっきまで、ズボンが丸々見えてたじゃん。 隠れてるぶん慎みはアップしてるよ?」
「なんででもだ! 気になって仕方ないんだ。 そんな様を誰にでも見せるんじゃない。 私以外には見せるんじゃない!!」
心中の思いを一気に吐き出して、少しだけ気持ちが楽になった。 エーリカはあまりに無防備すぎる。
私ならともかく、そこいらの人間をこんな気持ちにさせるような行為をさせておくなんて、心配で仕方がないじゃないか!
「へっ、えっ、えっ? ……う、うん。 トゥルーデがそう言うなら……そうする。」
ほんの少しの間ぽかんとしてから、赤くなって顔を伏せるエーリカ。
柄にもなくモジモジしているが、ようやく私の気持ちに共感してもらえたのだろうか。
背中に妙な視線を感じるが、頑として無視する。 私はこれまでに無い保護意識のようなものが湧いてくるのを感じていた。
「屋根の塗り直しかぁー。 なぁに描いちゃおっかなー。」
「花柄とかにされても困るわよ、フラウ。 まぁ、たまには日曜大工も楽しいわよね。」
梯子を立て掛けながら笑うエーリカ。 ミーナはやる気まんまんで率先して梯子を登っていった。
屋根のペンキ塗装。 初めての経験だな。 これが一般家屋なら業者を呼べばいいが、軍の施設となると話は別になる。
いつもは作業員たちがやってくれるのだが、彼らのスケジュールはぱつぱつだ。
休ませたいというミーナの意向は充分すぎるほど分かる。 長々と考えていてふと我に返ると、隣にはまだエーリカがいた。
「なんだ、エーリカ。 まだ登ってなかったのか。」
「……トゥルーデが先に登ってよ。」
少し怒ったような顔のエーリカが放った台詞で、思わず顔に血が上る。 なっ、なんだ! どういう事だそれは!
手がベルトの裾を押さえているのが腹立たしい。 きっ、貴様! 私が下から覗くとでも言いたいのか!
最近ずっとこの調子だ。 最初の頃は、ズボンを見られたって恥ずかしくないと言っていた癖に!
……いや。 エーリカのせいにするのは、フェアではない、な。 もう半月になる。
半月もの間、私の瞳は私の意に反して……本意だったのかもしれないが……ひらめくエーリカのベルトを追い続けてきたのだ。
そして恥ずべき事に、ベルトの裾から覗くズボンに、私の心はときめいていたのだ。
しかし、それを言葉にして認めてしまう事は、何か人として大事なものを失うような気がして憚られるのだった。
「そういうのを自意識過剰と言うんだ! くだらん事を気にする暇があったら、さっさと登ってミーナを手伝ってやったらどうだ!」
「悪いけどね、トゥルーデに言われても説得力が無いよ! そんなに食い入るように見られたら、流石に気になるの!」
「だっ、誰が食い入るように見てると言うんだ! 誰が!!」
「トゥルーデだよ! ここ最近、ずっと!」
「ぐっ。 そんなに見られるのが嫌なら、そもそもベルトなんて履かなければいいだろう! なぜそうしないんだ!!」
「そっ、それは。 だって。 ……トゥルーデが、気に入ってるみたい、だから。」
えっ。 エーリカの言葉に思考が停止する。 居心地の悪い沈黙。 何か言わなければ。 なのに。 何も言葉が浮かんでこない。
最近はいつもこうだ。 まるで熱に浮かされたみたいに、私の思考が止まってしまう。
「ちょっとー、何言い争ってるの? 一人でこの面積は無理よ。 手伝ってくれないかしら。」
頭上からミーナの声がして何とか気を取り直す。 そうだ。 ミーナを手伝わなければ。 頭を上げてぎょっとする。
「ミーナ! 何やってるんだ! 危ないぞ!!」
「大丈夫よ。 最近はデスクワークばかりだし丁度いいわ。 こう見えても、私結構こういう仕事得意なのよ?」
ミーナはとっかかりも碌に無い斜面を上機嫌で塗装していた。 危なっかしいでは済まない。 今すぐ落ちたって不思議じゃない!
何を考えているんだ。 お前は中佐なんだぞ。 そんなのは私に任せてくれれば……。
喉から出かけたその言葉を、すんでの所で飲み込む。 言えない。 言う資格が無い。 私は、ベルトの事で頭が一杯だったのだから。
なぜミーナがあの作業を始める前に気付かなかったんだ。 ベルトなんかより、ずっと重要な事じゃないか。
いつだってミーナを支えていようと、その規律を自分に課していたはずなのに。 失態、だ。
「ちょ、ちょっとミーナ! それ以上左に動いちゃ駄目だよ! 止まってて!」
「でもねぇ、あとちょっとであの段差の下が塗れるのよ。 もうちょっ……きゃあ!!?」
「ミーナ!!!!!!!!」
ずるっ。 ぐらり。 どしゃっ。 私たちの見ている前で、ミーナは屋根から落下した。
「大袈裟よ、あなたたち。 そんなにしょげこまれると、自分がどれだけ恥ずかしいミスをしたのかと思っちゃうわ。」
肩を落とす私とエーリカの手をそっと包むミーナ。 幸い、ミーナの怪我は大事には至らなかった。
「でも今日は安静にですよ、中佐。 もうくっついてますけど、腕、折れてたんですからね。」
りんごを剥きながら宮藤が言う。 ずきりと胸が痛む。 骨折。 我々は何をしていた? 私は何をしていたんだ。
後ろめたさ。 なぜ、気付いた時にすぐ駆け出さなかった? なぜ、私の心はあれほど鈍っていた?
分かっていた。 エーリカ。 最近の私の頭の中はエーリカの事ばかりだった。 今の服装に変わってから、ずっと。
何してるんだ私は。 何のためにここにいる? 誰かを救うためではなかったか。 宮藤にそれを教わったのではなかったか。
「もう、本当に平気なのよ。 いつもだったらあなたが明るいムードにしてくれるんだけどな、フラウ。
うん。 私が軽率だったわ。 ふふ。 でも、私なら大丈夫。 これでもね、悪い事ばかりじゃないの……あっ。」
コンコン。 ノックの音と同時に、そそくさと髪を撫で付けるミーナ。 少しだけ開いた扉から坂本少佐が顔を覗かせた。
「ミーナ、具合はどうだ? ちゃんと何も考えずに休んでいるか?」
「えぇ。 あなたこそ大丈夫? ちょこちょこ見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、仕事は疎かになっていないかしら。」
「心配無用だ。 ん? りんご、か。 よし。 口を開けろ、ミーナ。 まだ手に無理させてはいかんからな。」
「え? ええぇ? え、その……。 ……ありがとう、美緒。 あーん。」
な、なんだ。 付き合いの長い私だ。 言葉は控えめでも、ミーナがそわそわと喜んでいるのが見てとれる。
どうやら本当に、この状況に喜びを感じているようだ。 考えてみれば、ミーナが世話してもらう側になる事なんて無かったからな。
たまには誰かに思いっきり甘えるのもいいかもしれない。 少佐のように頼れる人なら、まさにうってつけだろう。
少しだけ気が軽くなった。 邪魔しないよう、宮藤とエーリカに目配せして、我々は病室を後にした。
夕食後、エーリカが部屋に訪ねてきた。 話の内容も分かっていた。 夕食を食べている時から。
いや、本当は。 もっと前から分かっていた。 エーリカが来なければ、私から訪ねていこうとさえ思っていた。
分かっていた。 分かっていたのに、やめられなかった。 そのふざけあいを、やめるべき時が来たのだ。
「私ね。 この格好、やめるよ。」
「……ミーナの事は気に病むな。 我々にできる事は、無かった。」
「かもね。 でも、考えちゃうんだ。 以前の私なら。 以前のトゥルーデなら、気付けたんじゃないかって。
ミーナに怪我させなくて、済んだんじゃないかな、って。 最近の私たち、さ。 熱があったんだよね、きっと。」
胸がちくちくする。 自分から言うべきだった。 こんなに言い辛い事を、言わせてしまっている。
「私ね。 嬉しかったんだ。 トゥルーデが、こんなに私の事を見てくれるなんて、今まで無かったから。
でも、本当は、分かってた。 これは私の魅力じゃないって。 あくまで、このベルトのおかげなんだって。
小道具でズルして、惑わせてるだけなんだって。 分かってたんだけどね、あは、あはは。 ……分かってた、のに。」
……こんな顔させたくない、のに。 否定できない。 事実から目を背けていられる時間は、終わったのだ。
その通りだ。 このベルトのせいだ。 このベルトが見せる、無垢で儚げなはためきに、私は胸をときめかせていたのだ。
胸が痛い。 そんなに自分を責めないでくれ。 私だって、この熱に浮かされていたかったんだ。
この熱が、あまりに心地良くて。 ミーナを傷つけて、エーリカを傷つけて、そんな事になるまで手放せないほど。
うなされていたかったんだ。 ひた隠しにしていたこの病を、いつまでもこじらせていたかったんだ。
「いっつもさ。 終わってから気付くんだよね、私。 でも、きっとすぐ忘れる。 夜を越えれば。 明日になれば。
眠りが、全部洗い流してくれる。 それが私のいいところ。 だから、さ。 そんな顔しないでよ、トゥルーデ。 ね。」
ジッパーを下げる細い指。 私は、なんて、どうしようもない。 こんな時まで。 隙間から覗く白に、クラクラしてる。
ふぁさ、とベルトが地面に落ちる。 無言で見つめあう。 ……おかしい。 おかしいな。
もうベルトは無いのに。 心臓がうるさいくらいに打ち続けている。 達観したような顔で、そっと抱きついてくるエーリカ。
「ドキドキしてるね、トゥルーデ。 ふふ。 こんなベルトくらいで、おっかしーんだ。 ……ね。
今だけ、こうさせて。 もうこれで、おしまいだから。 せめて、このドキドキが消えるまで。 聞いてたいんだ。
ちょっとの間だったけど、トゥルーデは私に夢中だったんだぞ、って。 覚えていたいんだ……。」
抱き締めずにはいられなかった。 少し驚いた顔をしてから。 エーリカは、ぐい、と私の首に額を押し付けた。
ドキドキ、ちくたく。 ドキドキ、ちくたく。 ドキドキ……。 何分経ったろう。 確かにもう、エーリカはベルトをしていない。
分かっている。 流石にもう、気付いてしまった。 もうベルトは無い。 今も私はこの通り。 つまり。 つまりだな。
「……え、えっとぉー、その……お、収まんないね。 ドキドキ。 ど、どしたの? トゥルーデ?」
まったく。 まったく! どの顔さげてそんな事を聞くんだ、お前は?
でも嬉しかった。 エーリカの顔から、さみしそうな色が消えた。 それが無性に嬉しかった。
宮藤が言ったんだったか。 ズボンが好きなわけじゃなくて、履いている人が好きなんだろうって。
きっと今まで気付かなかったエーリカの価値に気付いたんだろうって。 それは、まさに的中だったのだ。
きっかけは確かにベルトだった。 けれど。 ベルトは終着点ではなかったのだ。
「……最近、トゥルーデが優しすぎて。 あんまり居心地良すぎたから。 あんまり幸せだったから。
ベルト履かなくなったら、どうなっちゃうんだろうって。 今まで通り暮らしてけるのかなって。 そればかり考えてた。」
「ああ。 私も考えていた。 ベルトなんて、ただの布なのにな。 ふふ。 きっと、熱のせいだ。」
「……うん。 熱のせいだね。 えへへ。」
あまりに目を近づけすぎると、何を見ているのか、分からなくなるように。 私たちの距離は近すぎたんだ。
だからきっと、ベルトのひらめきの向こう側に、見えなくなっていたエーリカのかたちが透けて。 私は心奪われていたんだ。
バタバタばたーん! エーリカの頬に手をやって顔を近づけたのと同時くらいに、部屋の扉が唐突に開いた。 いや。 壊れた。
重なり合うように雪崩れ込んできたのは、501の隊員たち。 えーっと……。 何事だ?
「こ、こんばんは、バルクホルンさん、ハルトマンさん! ふー、暑い熱い! こ、今夜はなんだか暑いですね!」
「何言ってるのお馬鹿! あ、いえ。 ほほほ。 嫌ですわ。 このドアったら、たてつけが悪くって……。」
「まったくだなぁ。 それじゃ我々はここら辺で修理屋でも呼んでくるとしましょうか。 な!」
一目散に逃げ出す面々。 覗かれてた事を理解して、不心得者たちを追い掛け回しだしたのは、およそ一分ほど固まってからだった。
「なんだよー。 私たちなりに心配してたんだぞ。 晩飯ん時も、なぁんか空気が重かったからさぁ。」
リーネが淹れてくれたお茶をすすりながら、ミーティングルームでくつろぐ私たち。
まだ頬が熱い。 まったく、油断も隙も無い連中だ。 恥ずかしい所を一部始終見られてしまったじゃないか。
「うぅ、ごめんなさい……でも丸く収まってよかったですね。」
「まぁ、私がただのベルトに執着するはずもなかった。 冷静に考えてみれば、自明の理だったな。」
「それはどうカナ!?」
む? 自信満々のていで現れたのはエイラ。 何か異論でもあるのか?
「にひっ。 あれだけベルトをガン見しといて、そんなの信じられねーよット。 これを見てもまだそんな事が言えるかナ!」
そう言ってエイラに手を引かれて出てきたのは……宮藤、なのだが。 いつもと違う、その姿。
今日の宮藤は、紺色のベルトを履いていたのだ。 そして何とも無節操な事に。 それを見た私の胸は高鳴っていた。
「ちょ、ちょっとエイラさん! 芳佳ちゃんに何してるんですか! 変な事して大尉を惑わせないでください!!」
「フフーン。 やだネ! 大尉に悪戯するチャンスなんてそう無いダロって! ほれ宮藤! 回れ回れ! チラッといったれ!」
「え、えーっ。 いいのかなぁ……。」
くそっ。 よりにもよって、宮藤をチョイスするとは! エイラめ、後で覚えていろよ……。
横を見ると、エーリカが不安げな顔で私を見つめている。 しっかりしろ、ゲルトルート。 こんな顔させてなるものか。
何も心配要らないぞ、フラウ。 これは試練だ。 この茶番に終止符を打つため、神が与えた試練なのだ!
「さてさて、鬼が出るか、蛇が出るか? 何が出るかはお楽しみっト! それじゃ宮藤! レッツビギン!!」
「じゃ、じゃあ……いきます!」
きゅっ。 くるっ。 ふわり。 宮藤のくるぶしが綺麗なアクセルを描き、その場で回転する。
裾が浮き上がり宮藤の足があらわになっていく。 どきどきどき。 くっ。 流石は宮藤! かなりの破壊力だ。
理性が悲鳴をあげるような感覚。 耐えろ、私……! やがてベルトはふわりとリミットラインまで舞い上がり。
ちらり。 運命の、刻。 見えた。 宮藤のズボンが、見えた。 ……見えたの、だが。
ひゅるるる。 それは一瞬の事。 私は、自分の中で急激にボルテージが下がっていくのを感じた。 見えた。 確かに見えた。
宮藤の……いつもの、紺色のズボンが。 紺色。 ……紺色。 ……紺色、か……。 …………ふーん。
プシュウゥゥ。 ピタッ。 オール・グリーン。 西部戦線異状なし。 その光景は、全くもってまるで感動をもたらさず。
私の心臓は完全に平静を取り戻した。 何の動揺もなくなった私は、エイラに向けて言い放った。
「愚問だったな、エイラ。 そのベルトは確かに宮藤に似合っている。 が! それだけだ。
特別なものは何も感じない。 これでハッキリした。 私が惹かれたのはベルトではない。 エーリカそのものだ!」
「トゥルーデ!!」
「ウォウ!! ……フッ。 負けたヨ、大尉…………。 これで私の悪戯は94戦94敗か……。」
エーリカをひしっと抱きしめて、勝利の余韻を噛み締める。 あぁ。 なんと素晴らしい勝利だろう。
宮藤といえど、私の心を惑わす事はできなかった。 それはつまり紛れもなく、この気持ちは本物なのだという証明だったのだから。
「……なにか、物凄く紙一重だったような気が……。」
「え、何が、リーネちゃん? 私、すごく感動しちゃった! 真実の愛ってあるんだね!」
「えへへへへー。 私は最初っからトゥルーデのこと信じてたもーん。」
「当然の結果になっただけだ。 あまり言われると恥ずかしいだろう。 ふふ。」
「し、真実の愛、かなぁ……。 まっ。 いっか……。」
「おめでとう、トゥルーデ、フラウ。 私も負けてられない、かな。」
慈しみに満ちたミーナの笑顔。 ん? 負けてられない、とは? 視線の先を追うと、そこには坂本少佐。
あぁ。 あぁ、あぁ。 そういう事か! 私ときたら、まったく鈍いものだ。 改めて、微笑ましい気持ちで坂本少佐を見やる。
…………ん? なんだろう。 そこで私は違和感に気付いた。 何かおかしい。 少佐は何かに心奪われているようだった。
なんだ? またも視線をトレースしてみる。 ペリーヌ。 意外と言えば意外。 ペリーヌを見ているのか?
いや。 違う。 これは、まさか。 ……少佐が食い入るように見つめていたのは、ペリーヌのタイツに開いた小さな伝線だった。
……。 それは、ちょっとしたきっかけなんだ。 どうしようもなく振り回されてしまう、その感情に気付く、きっかけ。
例えばそれは、ヒラヒラしたベルトであるとか。 穴の開いたタイツであるとか!
思わず、はぁ、と溜息が出る。 哀れなるミーナ。 果たして私にしてやれる事があるだろうか? さしあたって、できる事。
……衣類の片付け、かな。 この腕の中のお嬢さんまで、気まぐれにタイツを履くなどと言い出さないように!
おしまい