エース #04
それから数日の間、ゲルトルートと芳佳は毎晩夜間訓練飛行に二人で出ていた。初めのうちこそゲルトルートもタジタジだったものの、四日もすると
芳佳の後方を完璧に追随していた。未だに、新記録を更新し続ける芳佳を追い抜くことはできないが。とはいっても、ゲルトルートも自身の記録は毎回
更新している。先日は、ついにゲルトルートが初めて挑んだ頃の芳佳の最速記録を追い抜いた。まあゲルトルートが成長する間に芳佳も同じペースで
成長しているので、相対的な技量差は大して変わらないのだが。
しかし、いつまで経っても夜間低空超高速侵攻は芳佳のほうが上だった。訓練に費やした時間がまるで違うので当たり前といえば当たり前なのだが、
ゲルトルートとしては『新人』と言っていた相手に抜かれたままなのだ。悔しい思いがあるのも否めない。当然、『新人』と言っていた相手が自分より
上達していることに喜びを覚えないことは決してないのだが。
かくして、今晩も射撃訓練を無事終えて滑走路に戻ってきたところである。ちなみに今日は芳佳もゲルトルートも昼間に全員参加のサバイバル模擬戦で
クタクタだったため、スピードはそこまで出していなかった。
「ふう、お疲れ様です」
「ああ、芳佳もな。今日は本当に疲れた……さっさと風呂に入りたいな」
ぼやきながらハンガーに入り、ストライカーを外す。あの日オーバーホールして以来、調子は最高に良かった。芳佳はゲルトルートと共に訓練する
ことで自身の課題を見つけ出し、最初の技術的な壁をとりあえず乗り越えることができた。ゲルトルートとしても得意分野が増えるため、芳佳と共同で
訓練を行うことでより上を目指せた。
そうして、自身の上達を互いに確認しあいながらの訓練の日々が続いている。なかなか楽しくて、やめられそうにない。まだしばらく治安が安定しなさ
そうなので、もうしばらく飛べそうである。
――――そんなことを思った次の瞬間、基地内に緊急召集命令がかかった。またどこかの輩がなにかやらかしたのだろうか。これで世界が安定すれば
良いと思う反面、もっとこんな日々を続けたいと思う面もあった。
ともあれ、今はブリーフィングルームに集まらなくては。二人は風呂に行こうとしていた歩みを止め、ブリーフィングルームに向けて駆けていった。
「で、何だ?」
「この写真を見てほしいの」
全員が集まったブリーフィングルームで、写真が前のボードに張り出されていた。それは渓谷を撮影していて、しかしその先に何か明かりが灯って
見えた。それが何かまでは分からないが、探照灯や誘導灯が見えるあたり軍事施設であるのは間違いないのだろう。そしてこの渓谷には見覚えがある、
ブリタニアの奥地にあるアリアナブリッジ渓谷だ。ブリタニアの誇る最大級の渓谷で、幅こそ狭いものの深さは航空母艦一隻分と言われるほどの巨大
渓谷である。
「先日、この付近を飛行した哨戒戦闘機隊が全滅したわ。戦時下でもないのにね」
「な、全滅……!?」
「その戦闘機隊ってどれぐらいの規模だったんだ?」
「二個中隊って聞いてるから、少なく見積もっても三十はいたんじゃないかしら」
それだけの戦力を、一瞬で全滅させた基地―――聞いただけでゾッとする話だ。そして上層部は、実害が出ている以上放置できないから潰して来いと
命令したらしい。
「対空兵器に航空戦力で挑めってかー? 随分と無茶なこと言ってくる連中だねぇ」
「それが、渓谷の一部をクレーター状に大きく切り開いて設営された基地みたいなの。地上戦力で侵攻しようにも、敵より高い位置からしか進入できない」
たとえ地上戦力であっても、対空兵器に対して対象より高い位置から攻撃を仕掛けたら航空機と大して変わらない。つまり敵のほうが低い位置に存在
している以上、どんな戦力で攻撃しても対空兵器の餌食になるのは変わらないのだ。ならば小回りの効くウィッチーズ隊に攻撃を任せたほうが、勝率が
見込める。しかもエースが何人もいるこのストライクウィッチーズであれば、戦闘機隊や地上部隊よりよっぽど勝ち目がある。上層部はそこまで見込んでの
決断だった。
「そこまで言われたら引き下がれんな」
「とは言っても、どう攻めたものかしらね……渓谷の中は狭いし、途中には『風の谷』もあるから突破は簡単じゃないわ」
「『風の谷』って何ですか?」
「なんだ、芳佳は知らないのか」
アリアナブリッジ渓谷の中でも、ある一定区間は削られて広くなっている場所がある。それが『風の谷』だ。常にこのあたりの空域はゆったりとした
風が吹いており、逆方向の風が丁度『風の谷』上空でぶつかり合うことで渦や乱気流が発生する。それらの気流が逃げ場を失って谷に流れ込み、谷の中を
縦横無尽に駆け巡るのだ。おかげで土埃が常に舞い、それゆえに渓谷そのものが広く削られてしまっている。空間的には飛びやすくはなるのだが、如何せん
乱気流だらけなのでそう飛べたものではない。
……と説明を受けても、芳佳は首を傾げざるを得ない。
「……いけると思います」
「は?」
「え?」
「何?」
ほぼ全員が、芳佳の言葉を否定する。が、ゲルトルートは対して肯定的だった。実は強風で訓練が中止された日でも、救急隊に出動準備をしてもらって
特例で夜間機動飛行の訓練を行ったことがあった。美緒やミーナの同意の上で、風の中におけるウィッチの機動性実験を兼ねて、だ。結果、タイムは当然
暴落して過去最悪だったものの無事突破に成功した。あの時は規則正しく一方向に吹く風だったので、乱気流とはワケが違うが。
「それでも、強い風の中でもウィッチは飛べる」
「そりゃあ、訓練を受けていればそうでしょうけど……」
「なら、私とトゥルーデさんで先行して、その後から続いていくのはどうでしょうか?」
速度を出して飛べば、ある程度自分で風を作り出すことができる。一時的に乱気流の影響を受けにくい場所ができれば、そこを追随すれば比較的安全に
飛べる。但し、隊長機は乱気流の影響をモロに受けてしまう点や乱気流を押しのけられるほどの速度で渓谷を飛ぶのは非常に危険すぎる点、また後続も
その気流の中を飛ぶには速度を出さなくては気流がすぐ消えてしまう点など、問題が山積みだった。
……だがゲルトルートも、否定はしない。
「出撃予定はいつなんだ?」
「明日よ。明日中ならいつでもいいって」
「なら、明日の早朝に何度か低空侵攻訓練をしよう。そこで墜落するようなら話にならん、ちゃんとついて来れれば夜に出撃だ」
「夜間に渓谷を高速で抜けられれば、奇襲攻撃が仕掛けられます」
――― 一般論から言わせれば無茶無謀、それこそ『現場を無視した空論』である。だが、芳佳とゲルトルートは実際に夜間低空高速機動訓練を行って
実績を収めている。その二人がいけると言うのだ、それに他に方法も見当たらない。真正面から突っ込んでも悪くはないのだが、戦闘機隊がどんな方法で
撃墜されたのかが分からない以上リスクは避けたかった。少なくとも渓谷内にいれば、渓谷が崩されない限りは大丈夫である。
「無茶言うなヨー、いくら夜間飛行に慣れてる私やサーニャでもそれはムリダゾー?」
「……では、他になにか良い案がある人はいませんか?」
「あたしが単機先行して偵察してくるってのは?」
「見たところかなり巨大な要塞になっていそうだ、単機で突っ込んだら全火力が集中するだろうな」
「ゔ」
シャーロットの出力であれば、火器に反応される前に突破できるんじゃないかという考えも分からなくはない。だが最低でも三十もの戦闘機隊を一度に
全滅させるほどの能力を備えた基地だ。一機だけで飛び込んできたら、ミサイルやロケットでもない限り迎撃されてしまうだろう。
他にもいくつかの案は出たが、どれもこれも敵の攻撃を許してしまう可能性が高かった。一番敵による攻撃を受けずに奇襲が仕掛けられる可能性が
高いのといえば、やはり渓谷突破しかない。しかしそれにはあまりにリスクが伴う。下手をすれば、敵の攻撃が来なくとも全滅する。
「……他には」
「もう無いよー」
「うーん……」
「無いようでしたら、渓谷からの奇襲作戦を採用したいと思いますが何か異論は」
「マジで!?」
「ちょっとミーナ、それ本気ぃ?」
「中佐、危険すぎます!」
――――皆が皆、反対の意見を述べる。賛成意見を述べたのは、芳佳とゲルトルート、それと美緒の三人だけだ。
「低空侵攻なんて私でも出来るんですから、きっと皆さん出来ますよ」
「……その言い分はどうかと思うが、他の作戦よりはよっぽど勝算が見込める」
「いや、宮藤の言い分もあながち間違いではない」
新人だと侮っていたはずの芳佳が、コースを指定してやっただけでクリアできるのだ。渓谷もこの基地の周辺を飛び回るのも、狭くて速度が求められて
俊敏性が求められるという点ではすべて同じだった。あのルートは美緒も飛んだことがあるので、最悪は美緒と芳佳とゲルトルートの三人で先行して
先に基地の能力を叩いてしまえば良い。ある程度までの高速飛行技術ならあるので、低空で侵入して敵の攻撃をかく乱するぐらいなら十分に出来る。
特に芳佳とゲルトルートなら、最近の射撃訓練の成績も大分上がってきている。ターゲットは地上物なので、動いていてもそこまで速くは無いはずだ。
静止物に対する高速攻撃訓練なら、毎晩やっている。
「というわけだ。私も賛成する」
「……少佐が賛同されるなら、わ、私も」
「ペリーヌぅ、声が震えてるよん」
「まあまあ、それはいいとして。それじゃあ、渓谷からの侵攻を採用したいと思います。そこで渓谷の形状の関係でいくつかの問題点がありますので、
宮藤少尉とバルクホルン大尉、坂本少佐の三名からそれぞれアドバイスを……」
そう言いながらミーナが掲示したのは、アリアナブリッジ渓谷の全景図と要所要所の断面図だ。見る限り、ポイントは五つ。
一、入り口は人三~五人分程度の余裕があるものの、高度を下げれば下げるほど加速度的に狭まり、さらに底からはいくつもの棘状の岩が突き出している。
二、『風の谷』の内部において、鋭角カーブが三箇所ある。
三、『風の谷』の内部において、吹き荒れる小石や砂埃による視界不良や負傷の懸念。
四、『風の谷』の内部において、風に削られたという特性上、いつ崩れるかも知れない危険箇所が三箇所ある。
五、『風の谷』突破後、敵基地手前五キロ地点に複雑に組み合わさった複合コーナーが続いている場所『クランク』がある。
それをどう突破するか、という話である。
一つ目は、棘の先端部分と壁面との隙間を縫うように飛べば突破可能だ。それに岩盤が堅そうでしっかりしていそうな為、何本かは崩しても大丈夫と
思われる。これは芳佳の意見だ。
二つ目は物理的にはどうしようもないが、芳佳とゲルトルートの高速飛行による気流が残っていれば乱気流はある程度無視できる。後は個々の技量
次第である。これは美緒の意見。
三つ目はある程度我慢して、負傷に関してはどうしても避けられない場合はバリアを展開。視界不良に関しては、サーニャの能力を地形解析に使って
もらえばかなり解消できるはず。いざとなれば美緒の魔眼でもなんとかなりそうなものである。これはゲルトルートの意見。
四つ目はどう警戒しても、壁面から至近距離を飛ぶ以上どうしようもない。よって突破時にはバリアを必ず展開すれば、墜落は免れるだろう。これは
美緒とゲルトルートの共通見解。
最後の五つ目は、早朝訓練でライン取りの仕方を体に叩き込んでもらう。後はどういうラインをとってどれぐらいの速度でどんなタイミングで
引き起こせば良いかを、直前に芳佳やゲルトルートがアドバイスする。こちらは芳佳とゲルトルートの共通見解である。
「他に何かありますか?」
「渓谷から飛び出た場合、即座に敵の監視に引っかかるものと思ったほうがいいだろう」
「死ぬか生きるかの瀬戸際になれば最悪は飛び出してしまっても構いませんが、その前に無理だと判断したらそのまま飛ばないで速度を落としてください。
先行できる人が先に突破して、高速飛行に慣れない人は後から合流してもらえれば十分です」
「奇襲を成功させるためには、とにかく敵地を高速で抜けなければならん。渓谷出口から加速していたのでは間に合わん、最悪は最後の『クランク』から
加速せねばならんかもしれんな」
他にも、渓谷内部は全体的にいつ崩れてもおかしくないと言えた。特に、敵の迎撃が上がってきた場合などは先行するためにとにかく速度を出す必要が
ある。現状、芳佳とゲルトルートのストライカーはエンジン調整により千キロ超まで出る状態となっている。おそらく美緒のストライカーも同様の調整を
施すことになるだろう。普段はリミッターを装備しているので、八百キロを越えると加速が止まる仕様となっている。だが、先行する必要がある場合は
リミッターを解除して高速飛行に移らなくてはならない。シャーロットはさらに音速を突破可能であるが、音速はソニックブームの関係で事実上使えない。
もし敵が出てきた場合、間違いなく千キロ超の限界速度、亜音速まで飛ばす必要がある。幸い三人は亜音速下での機動技術を持っているので問題ない。
しかしシャーロットが不安なのと、それだけの速度を出すと崖のどこかが崩落するのはおそらく間違いない。
出来ればそういった状況にならないのが一番だが、見ただけでも渓谷の突破は困難を極めそうだ。恐らく、どこかしらでそうなるのは免れないだろう。
今この場でそれは言わないが、芳佳もゲルトルートも美緒も三人とも同じことを念頭においていた。状況を考えるときは、常に最悪を想定して動くべきだ。
「とりあえず今言えることはこのぐらいです。後は明日の訓練次第で隊列を決めて、特に気になる人がいた場合は個別に特訓ですね」
「ただ一つ問題がある」
――全員が夜間戦闘に出撃する。そうなると夜間飛行対策として昼間は十分な睡眠をとる必要があるのだが、昼間に緊急事態が発生した場合に対応できる
人がいなければならない。つまり、誰かが一日中起きていなければならないのだ。
今のところ、出撃予定は明後日〇一三〇時を想定している。それから現地に出向いて、〇二一五時に作戦が開始される予定だ。つまり夜間専従班は昼間に
十分な睡眠をとることが必要不可欠。だがその中から数人、昼間に回す人員が必要となるのだ。それが誰になるかは、今はまだ決められない。明日の訓練の
結果によっては、夜間任務のため体力を残す目的でさっさと就寝してもらわなくてはならない場合もあるからだ。
「それに、宮藤さんとバルクホルン、美緒の三人だけは絶対に昼間に回せないわね」
「だねぇ、隊長達にヘロヘロになられちゃ困るもんね」
さて、どうなることやら。ともあれ、明日の早朝訓練がまず第一の課題である。
とりあえず一通りまとまった所で一度解散となった。時間が大分遅くまできているので、早朝訓練を行うためにはさっさと寝なくてはならないのだ。
どうやら先ほど夜間訓練から帰ってきたばかりの芳佳とゲルトルートは、風呂に入るまもなく就寝する羽目になりそうである。仕方がない、明日の朝練の
後に入ることにする。
かくして全員自室に戻り、就寝することに。芳佳とゲルトルートの二人はその前に服を洗濯に出した。もう一式あるので、明日の活動には問題ない。
……明日は嵐になりそうである。
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- 翌朝 0510時 -
「おはようございます」
全員、すでにストライカーを装着済み。美緒のストライカーも、整備班の整備の甲斐あって亜音速飛行が可能なまでに再調整が施されていた。但し、
防御が張れないため出撃した際にどうなるかはまだ分からない。本人は出る気満々だが、敵基地までたどり着いた後はなんとか翻弄できるだろうが一番
厄介なのが『風の谷』である。どうしたものかと思ったが、どうにもならないので仕方がない。
ともあれ、今は早朝訓練の時間である。今回の訓練は、この基地で現状一番低空侵攻技術を持っている芳佳が教官を務めることとなる。正直、自分より
階級の高い人たちばかりを教導するのは気が引ける。が、そうも言っていられない。気持ちを切り替え、とにかく本気でやろうと決める。何しろこれが
出来なければ今日の作戦には参加できないのだ。芳佳やゲルトルート、美緒の三人程度でどうにかなるレベルの作戦ではない。何せ敵は、三十機前後の
戦闘機隊を全滅させるぐらいなのだから。
「ではルートを説明します。まず―――」
ハンガーにローラーで移動させられるボードを持ってきて、そこに基地の地図を貼り付けている。赤いペンで線を書き込みながら、飛行ルートを示して
いく。あちこちからいろんな声が聞こえてくるが、構わず説明を続ける。最初にルートを一通り説明した後、今度は要所要所でどんな機動で抜ければ
いいか、どれぐらいの速度でどんなタイミングでどれぐらいの角度で抜ければいいかを細かく解説する。
一通り説明を終えると、何はともあれ一度飛んでみるべしという持論の下実際に飛ぶことに。ゆっくり飛べば普通に飛べるルートなので、最初は問題も
ないはずだ。問題はスピードを少しずつ上げていったときに、どれぐらいで脱落者が出てくるかだ。一人も出なければベストなのだが、もしどこかで
脱落者が出てくると先が思いやられる。まあそんな悲観的なことを考えても仕方が無いので、とりあえず離陸する。
「それでは私を先頭に、バルクホルン大尉に二番機に入ってもらいます。三番機以降は暫定的に、坂本少佐、ミーナ中佐、シャーリー大尉、ルッキーニ
少尉、サーニャ中尉、エイラ少尉、ペリーヌ中尉、ハルトマン中尉、リネット少尉、クリスティアーネ軍曹の順でお願いします」
順番は、ある程度考えながら大雑把に割り振った。サーニャはレーダーなので全体が把握しやすい真ん中、エイラもセット。先行組は当然前へ、高速
飛行に慣れているシャーロットとその相棒のルッキーニも前へ。ペリーヌとエーリカで後ろをフォローしてもらい、リネットがクリスを引き連れる。
クリスは後ろをついていく形とした。
なんとかこの隊形で実戦まで持っていければ、考え直す必要も無くて楽なのだが。きっとそうも行かないのだろう、上手く組みなおせるといい。そんな
ことを考えつつ、隊列順に並んだのを確認して滑走路へ出た。
「では離陸します。離陸後しばらく上昇してから反転、ゆっくりとコースを飛行します。一通り飛び終えたら開始位置に戻り、少し速度を上げて再び
同じ経路を飛びます。同様にしてどんどん速度を上げていきますので、無理だと判断したらその時点で後続機の邪魔にならないよう減速して離脱して
ください」
一通り説明をすると、全員から返事が返ってくる。よし、これで後はひたすら飛ぶだけだ。初回ともう一周、それから速度が普段の飛行に近づいた
あたりで機動の説明を入れる必要がありそうだが、まあそれぐらいのものか。芳佳は肩の力を抜くと、出力を上げて勢い良く大空へ舞い上がった。後ろを
振り返ると、十一機のウィッチーズ隊が並んで飛行していた。それを見て改めて思う、ああ今自分はウィッチーズ隊全員を引き連れて飛んでいるのだと。
……さて、そんな考えはもう振り捨てよう。これからは訓練だ。ミスがあったら指摘して、容赦なく教導していこう。でなければ今夜の作戦は無理だ。
「――――ベルクート、これより機動を開始します。全機続け」
了解、と返事を確認し、スプリットSで反転。島に向けて飛行する。さあ、訓練開始だ。まずは軽く、三百キロ程度の超低速でコースを覚えてもらおう。
美緒に『教官はどれだけ階級が低くとも訓練中に限っては他の訓練生の上官だ』と言われたのを、改めて思い出す。……面白い、やってやろうではないか。
芳佳は内心ほくそ笑みながら、最初の外壁に向けて飛び込んだ。
- - - - -
「以上、一通りのルートです。これより再び洋上へ戻り、同じルートを飛行します。以降は一周ごとに百キロずつ速度を上げていくので、そのつもりで」
流石に三百キロ、約一五〇ノットでは簡単について来れた。さて、次は四百キロだ。四百もウォーミングアップの域を抜けない。本番は六百を超えた
あたりで脱落者が出るかでないか、そのあたりだ。九百でついてこれるのはせいぜいシャーロットぐらいだろう(※当然、ゲルトルートと美緒は別と
考える)と踏んでいる。
「――――二周目に突入する。全機続け」
芳佳が告げると再び全員分の返事が帰ってくる。返事だけは威勢がいいが、果たしてどこまで続くものか。楽しみなものである。
「『了解』の返事を確認。絶対続いてきてくださいね!」
―――言ってやった。芳佳は、先ほど突入時は二百キロ程度だったにも関わらず突入から早速四百で飛ばしていく。後方で抗議の声が聞こえたが、
確かに今は四百キロだ。『初回は三百キロを限度として飛行する』としか言っていないため、突入速度がどれぐらいの速度だろうと関係ない。むしろ、
四百キロなら全編通して四百キロを維持して飛べるぐらいでなくては困る。
さあ、お手並み拝見だ。かかって来い―――芳佳の顔は、いつしか挑発的なものに変わっていた。
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『後方、ハンター及びワイルダーが遅れています』
「しっかり着いてきて、実戦では待たないよ!」
『りょ、了解っ!』
現在、六百キロ。既にタイミングや進入角度などのアドバイスはしておらず、各員の感覚に任せて飛んでいる。そろそろ最後のゴールゲートが厳しく
なってくる頃なので、その辺だけは説明しないと大幅に減速するので危ないだろう。次の周回に突入したあたりで説明しよう。そんなことを考えつつ、
六百キロのゴールゲートをエンジンのカットオフもせず難なく抜ける。後方のゲルトルートも同じようなもので、美緒も当然楽々抜けていた。だが
それより後ろ、ミーナ以降は現状でも多少苦戦しているようだった。この様子では、リネットやクリスあたりが危ないかもしれない。
「そろそろゴール付近や廊下突破後の城壁が厳しくなってきます。無理だと思ったら後続の邪魔にならないよう減速すること。訓練で墜落なんて無様な
真似はしないでください」
『―――了解っ!』
リネットの必死そうな声が返ってくる。彼女は彼女なりにがんばっているのだろうが、実戦の空は『自分なり』では飛べない。あの渓谷は、こんな
生ぬるいものではない。
……さて、次からは容赦なく叩きのめしていこう。そろそろ、自身の最低記録が視野に入ってくる頃である。
「では次、上限を七百キロに引き上げて突入する」
恐らく次で普通に飛べば、最低記録よりは速く飛べる。……まだ准尉時代だった頃の記録だ、あんなものに負けてもらっては困る。後ろをちらりと
見て、なんとかまだ着いてきている十一機を見て内心笑った。さあ、ついて来い。
「ベルクート、機動開始」
スプリットSによる反転動作を行い、速度を一気に七百まで叩き込む。先ほどよりさらに百キロ増した速度で、大分見慣れた速度に近づいてきた。
とは言ってもまだまだ遅い。これでは昨日の肩の力を抜いた訓練とほぼ同じである。普段は平均八百五十から調子がいいときは九百五十で飛んでいる
ため、この程度は生ぬるいといえる。だが無線では大分息切れが聞こえてくる。
……頼むぞ、エースたち。自分みたいな新入りに、負けないでくれよ。そう願う顔はとても挑戦的で、ひどくクレイジーだった。
「―――行きますよ!」
機首を起こして壁面ギリギリに接近。流れるレンガの模様が目に留まり、やはり遅いと感じる。速度を上げたい思いを堪えて、七百キロを維持して
壁面のゲートをくぐっていく。風切音がようやく耳元で聞こえてくるほどの速度になり、ゲートも大分横に流れていくようになった。それを目線で
流しながら、次の林へ突っ込んでいく。
難なく穴に突入し、いつもどおりのルートを飛んでいく。自分には木と木の間が道になって見えるが、後続にはどう見えるだろうか。右へ左へ、
いつものコースを飛んでいく。ゴム製のポールが視界に映り、それを手で軽くタッチして旋回。上昇に備えて待機し、やがて林が途切れたあたりで
上昇機動を行う。七百であれば慣性もそこまで強烈には働かないので、早め早めを心がけていれば壁面ギリギリにまで迫ることはない。……そう思って
いたのだが、何かあったときのためにシールドを張っておこうと思い至った。大き目のシールドを、ゲルトルートが墜落したとき同様壁際に展開する。
すると数秒後、後方でシールドに激突する音が聞こえた。―――誰だ。
「?」
『―――すみません!』
帰って来たのはレーダー役のサーニャの相棒、エイラの声だ。エイラがぶつかるとは珍しい、と一瞬思った。だが、未来予知が出来ても体が
追いつかなければ意味がないのだと知る。七百でぶつかられたのでは困る、この先自分のタイムにも挑戦しようと思っているというのに。
「こんなところでぶつかってる余裕ないですよ、この後九百五十まで行きますからね」
『……!』
「それぐらい飛べないと、今夜の作戦は出れませんよ!」
言いながら楽々高架通路のゲートを抜け、そのままの流れで廊下を狙う。このスピードなら、わざわざ急上昇して狙いを定めなおす必要などない。
そうしてゆっくりと向きを変え、廊下と同じ向きに直る。――よし、今だ。百八十度ロールして降下し、ある程度降下したところでまた百八十度ロール
して機首上げ。難なく廊下に突入し、いつもより遅めに天井を狙って機首を起こす。そしてまた誰かの接触に備えて壁際にシールドを展開すると、今度は
何度か激突する音が聞こえた。
……七百が限界なのだろうか。正直、それでは相当困るのだが。ならば、皮肉でも言って『あんなやつに負けてられるか』とムキにさせよう。
「―――今夜の作戦に出たくない人は返事を」
そう言った瞬間、無線から聞こえていた息切れの声が一斉に止んだ。……しばらく静寂が訪れ、その間に最後のゲートをくぐり終えた。後ろを
振り向くと、後続の皆が執念でゲートをくぐっているのが見える。何とかここまで、接触はあったものの脱落は無しで来た。―――さあ、ここからが
本番だ。八百は、最後のゲートでエンジンをカットオフしなければ突破できない。そして廊下を抜けた後の壁も、本気で天井にぶつけるつもりで
行かないと壁に激突する。
「出たいなら、次も接触しないでついてきてください。次で一度でも接触が認められた場合、脱落とします」
『!!』
―――緊迫した雰囲気が、一気に部隊を包んだ。ゲルトルートと美緒が、少し面白そうに口元を緩ませている。
これだ。芳佳はそう思った。――今、私は技術の足りない人を訓練している。この緊迫感が、『教官と訓練生』の関係だ。美緒の下で訓練を受けていた
頃のことを思い出してそう思う。
――面白くなってきた。
「ベルクート、機動開始。全機続け!」
再び『了解』の号令。ならば約束どおり、一度でも接触したら墜落判定としてやる!
何度目になるか分からないスプリットSの後、芳佳は全力で加速。八百キロまで達し、そのまま城壁のゲートへ突っ込む!
そして訓練は新たな展開を迎えた。
- - - - -
「反応が遅い!」
『っ!』
「天井にぶつけるつもりでって何度言えば分かる!」
『すみませんっ!』
「エンジンを切るのが遅すぎます! だから点火も間に合わない!」
『はいッ!!』
八百キロで接触無しは、前方三人とミーナ、シャーロットにエーリカの六人だけだった。残り六人は全員アウト。それが気に食わなかった芳佳は
現在、八百キロで三周目に突入している。それでも、先ほどようやくペリーヌが接触無しで一周成功しただけだ。サーニャとエイラ、ルッキーニに
リネットとクリスは未だに何度も壁にぶつけている。おかげで今は芳佳だけでなく、ゲルトルートと美緒も無線で声を飛ばしている。
そろそろ集中力の限界だろうか。それでも、実戦に回せる体力はまだ残っているはずだ。構わず、芳佳はもう一周突入した。
「実戦は今夜! それにまわせる体力を残したければ、さっさと合格してください!」
『りょ、了解っ!』
「まだこの後九百が待っているんだ、さっさと次に行くぞ!」
『はいっ!』
「返事だけじゃどうにもならん、態度で示せ!」
『は、はいッ!』
――――最初のゲート群を突破し、林の中へ突っ込む。慣性を考慮しての早め早めの機動で葉にも触れず穴に飛び込めるはずだが、後方ではまた
枝と枝が激しくぶつかり合う音が聞こえた。誰かがまた接触している。
「もう一周!」
『―――すみませんっ』
リネットか。地上では親友だが、教官と訓練生の立場の間ではそんなもの関係ない。今は、今夜の作戦をなんとしても成功させなくてはならない。
そのためであれば、嫌われてでも鬼になってみせる。それが必要だと、信じているから。
右に旋回した後、一本左に避けてさらに右へ。芳佳は機動するたびに防御を展開しているが、後続はどうやらそれを過信しすぎているらしい。つまり
ぶつかっても死なないという甘えが、動きを鈍くしている。
「――以降、シールドは一切展開しません。死にたくなければクリアすること!」
『――!!』
息を呑む音が無線から聞こえる。……正直なところ、八百キロをシールドにぶつかりながら飛び回る人なら渓谷突破にはいらない。もしこれで誰かが
怪我をした場合でも、結果は変わらないだろう。それだったらむしろ、成長する可能性が大きい方に賭けたい。ハイリスクハイリターンとはこのことだ。
芳佳は難なく林の中を抜け、再び城壁に立ち向かう。といってもいつもより遅い八百キロ、いつもどおり機首を起こすといつもより大きく余裕を持って
回避できる。だが後ろを振り返ると、リネットやクリスがぶつかりそうになっていた。それでも、シールドは展開しない。ぶつかってもそれはそれで
一つの経験だ、痛みを覚えることも必要である。一瞬ゲルトルートが妹を想うが故にシールドを展開しようとしたが、思いとどまってくれたようだ。
過保護なのは本人にとって良くない。多少の放任は、本人の成長のために必要である。芳佳はじっと二人の様子を見て―――やがて、ぶつからずに壁を
回避できたのを確認する。
「城壁の回避を確認。次へ向かう!」
『……了解!』
心なしか、リネットの声に元気が戻ったように思う。―――やればできるじゃんか、流石はリーネちゃん。
勢い良く高架通路に突入し、低空飛行からゲートをくぐる。ここは誰でも余裕で突破できている。流石にギリギリを飛ぶだけというのは簡単なようだ。
そこから急上昇し、廊下に向けて狙いを定めて急降下。早めに引き起こし、水平飛行に移って廊下を狙う。
「今度もシールドは展開しません。もう一度言います、天井にぶつけるつもりで思いっきり引き起こして。じゃないと訓練で死ぬよ!」
『―――はいッ!!』
リネットもクリスも、サーニャもエイラも、ルッキーニも。死にたくはないだろう。力強い返事が聞こえ、そしてそのときには既に芳佳は廊下に突入
していた。いつもどおりのタイミングで機首を引き起こし、そしていつもより遅いことから逆に本当に天井にぶつけそうになりながら突破する。城壁を
楽に越えて、後ろをまた振り返る。後続は――――リネットとクリスが、先ほどと同じく壁に激突しそうな勢いで飛び出してきた。だが、先ほど同様
シールドを張らずに様子を見る。やがて……服が壁と擦れたのは確認したが、怪我はしていないようだった。つまり体は触れていない。
「最後、ゴールゲートに突入します。これが突破できたら、次のもう一周は上限を無しにしてラストフライトとします」
芳佳が告げると、全員が息を呑む。そして、ゆっくりとゲートを狙い済まし―――。
芳佳、ゲルトルート、美緒は問題なくエンジンのカットオフから再点火までスムーズに進みクリア。ミーナとシャーロットも無事突破し、さて
ここからが問題である。後ろをじっと見ていると、ルッキーニは少しバランスを崩しながらも接触せずクリア。サーニャとエイラも、サーニャは
フリーガーハマーが重い関係でふら付いているがクリアした。残るはリネットとクリスだが――――。
『ッッ、突破しました!』
「了解、こちらでも確認。それではこれより、最後の一周へ突入します。同じく一切のシールドを展開しませんので、死にたくなければ死に物狂いで
なんとしてもクリアして見せてください――――ベルクート、機動開始。突入する!」
『了解!!』
クリスの突破を確認した。よくもまあ、こんな短期間で出来るものである。正直、クリスに関してはここまで出来るものとは思っていなかった。後は
リネットを含めて出来て当たり前と思っていたが、まだ実戦に出たこともないクリスがこれほどとは。――その才能を活かすためにも、ここは何としても
生還してほしいところである。
芳佳は容赦なく出力を全開にする。ゲルトルートも同様だ。狙うはもちろん自己最高記録、もう後ろなんて構うものか。芳佳は全力でぶっ飛ばし、最初の
ゲートにいきなり九百二十キロで突入した。ゲルトルートは九百キロ。
『は、速いッ!?』
『二人は自己ベストを目指して飛んでいる。全機へ、ベルクートのゴールゲート通過より四十秒を超えてゲートを潜ったものは腹筋百回だ!』
芳佳とゲルトルートは既に無線を切っており、自分の記録を出すことに集中している。ようやく最後尾のクリスが八百五十キロで最初のゲートに
飛び込んだところだが、その時点で芳佳はもう雑木林に突入済み。この時点で十秒の差がついている。
先ほどまでとはまったく別次元の速度で流れる木々。芳佳とゲルトルートはそこを、まるで木々が避けているかのように一度も掠りすらせず抜けていく。
ゴムのポールにタッチして、どんどん右旋回していく。現在は九百五十キロ、過去最高速度までもうすぐである。直後芳佳は思い切り機首を引き起こし、
上昇体制に入る。針路がぐんぐんと天を向き、壁際ギリギリまで接近する。だがそれでも芳佳は機首を起こし、壁際から距離を置いた。その状態で反転、
一気に逆方向へ機首を起こしてぐるっと逆に下へ向かう。城壁の高さまで残り数メートルと言ったところで芳佳の体は壁に再び接近し始め、そして角を
掠るかのようなギリギリのライン取りで通路に突入。そのままゲートの上限ギリギリの高度を飛行し、ゲートを難なくクリア。そこから少しだけ上昇して
目的の廊下を確認し、一気に急降下する。急降下と同時に機首を起こし、水平より遥かに上方、上向き三十度まで機首を起こす。急降下は重力加速度が
加わる分、一気に速度が増す。
―――やがて水平飛行に移った芳佳だが、水平飛行に移るとほぼ同時に廊下内に突入。速度はもうほとんど亜音速、九百九十キロまで達している。
これでは機首起こしがいつもどおりでは間に合わない。ならば―――今だ! 八本目の柱で機首を起こし始め、奥から四本目の柱付近の天井めがけて
思い切り機首を起こして高度を上げる。針路は徐々に上を向き始め、やがて―――鼻の先が、一瞬だけ建物の天井の角に擦れた。ほんの僅か、小さな
かすり傷が出来た。そのまま機首を起こし続け、壁際ギリギリまで耐える。ストライカーユニットのプロペラが刹那の瞬間壁に当たり、それも気にせず
ゴールゲートへ向かって突き進む。上昇した時点で速度が九百五十キロ、ゴールゲート付近では千キロに間違いなく達する。……面白い、やってやろう
ではないか!
「行けえええぇぇ!!」
出力全開。思い切り吹っ飛ばし、千キロをあっという間に突破する。亜音速でも発生する『雲の壁』をついに突破し、そのままゲートに向けて突っ込む!
それより遥かに手前に機首を思いきり起こし、上向き百四十度を超えたあたりでエンジンをカットオフ。地面に描かれた白いラインなんてとっくに見えない
速度に達しているので、あとは流れる景色と自分の速度から察して再点火するしかない。
―――――――まだだ。
「今だッ!!」
A6M3aのエンジンが火を噴き、プロペラが摩擦熱で煙を上げて火花を散らしながら鬼の如く回転する。それによって芳佳の体は上空に跳ね上げられ、
地面に接触する寸前だったストライカーユニットは地面との距離を開ける。そして芳佳の体は、目と鼻の先にゲートを見据えながら――――やがて何にも
接触することなく、ゲートを無事に突破した。宮藤芳佳、フィニッシュである。
「っし!! タイムは!」
直ぐに無線をつなぎなおし、ハンガーでタイム計測をしていた整備班長に声を飛ばした。すると、ついに―――
『やったぞ! 記録、二十秒も一気に更新だ! これで四分を切ったぞ!』
……ついに。ついに、五分以上に分厚かった四分の壁を切った。―――これだけ上達すれば、渓谷なんて朝飯前だろう。芳佳は肩の力を抜いて、高度を
大きくとってコースを見やった。ゲルトルートも直後にフィニッシュしたようで、記録を大幅に更新していた。美緒はしばらく時間を空けて、十秒ほど
遅れてゴール。それ以降も続々と入ってくる。
しかし芳佳が記録を大幅に塗り替えたせいで、後ろのほうが泡を食った。リネットとクリスは、何とか自身が飛べる最高速で飛びぬけた。正直死ぬかと
思ったと後日語っているが、それでも先ほどの八百キロで一度もぶつけずに飛んだときよりも速かった。当然、今回も一度もぶつけていない。正確には
掠ってはいるが、芳佳と同程度なのでカウントしない。結果、二人は芳佳よりも一分十秒遅れてゴールする羽目になってしまう。芳佳が記録を更新せず
普通に九百キロペースで飛んでいれば何とか間に合ったかもしれないが、九百どころか千キロでぶっ飛ばしていたのだ。
「……十分な結果です。全員クリアとします」
『あ……ありがとうございますっ!』
……これにて訓練は終了。芳佳の教官としての空は、一度幕を閉じることとなった。
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一行はそのまま着陸し、そのうち大半がロビーで大の字になって倒れこんだ。時間は八時三十五分、早朝からここまでずっと訓練しっぱなしだった
ことを考えると体力は限界である。恐らく、意図しなくとも十二時間程度の爆睡が出来るだろう。それで体力が回復するかどうかは甚だ不安だが。
「あ゙ー……もうムリ……」
「エイラさんもお疲れ様です。最後のほうは見事でした」
「ヴー……いいから寝たい……」
「あはは……」
ともあれ、低空侵攻についてはこれで大分よくなっただろう。とにかく狭い所への恐怖心や高速飛行中の機動への恐怖をなくしたかったのだが、まあ
何とかなったと言ってもいいレベルだ。
しかし一番の問題がもう一つ転がっているのを忘れていた。
「で、宮藤さん?」
「なんでしょう?」
「みんなクタクタだけど、昼間の警備は誰がやりますか?」
「――――――――――あ゙」
……そう。本当にすっかり忘れていたのだ。今夜の作戦には飯を食って寝れば何とかなるだろうと思ったのだが、昼間のことは本当に忘却の彼方で
あった。
どうしたものか。まず八百キロで何度もアウトになっていた五人は即効でアウトだ。どう考えても体力的に限界である。シャーロットは意外とピンピン
していたので多少希望はある。ペリーヌも、余裕とまでは行かないがまだ飛べそうである。ミーナは寝かせろオーラが漂っているので無理。エーリカも
もう半分寝ているのでアウトだった。そして先頭三人は絶対に出られない、と。
「シャーリーさんとペリーヌさん以外居ないわねぇ」
「あ? 私なら別に問題ないよー、徹夜でスピードに挑戦したこともあったしねー」
「そういえばあったわね……」
「私は正直なところ休みたいのですが……まあ、他にいらっしゃらないのであれば仕方がありませんわね」
本当はペリーヌも数回アウトになっていたので、あまり体力的な余裕は無いはず。ならば止むを得ない、体力に余裕がある人が上がらなくては今夜の
作戦が決行出来なくなってしまう。
「いや、私がやりますよ」
芳佳が挙手をしながら言った。その瞬間、視線が一気に芳佳に集まる。昨日、絶対に先頭三人は出てはいけないと話したばかりだというのに。それに、
芳佳は特に駄目である。教官としてさっきまで飛び回って、指摘したりシールドを張ったり記録に挑戦したりといろいろやっていたのだ。それに加えて
今夜も隊長として全員を引っ張らなくてはならない。機動のタイミングやら何やらもすべてその場で指示しなくてはならないため、芳佳に疲労が溜まって
しまうとそれは部隊全体を危険に追いやることになる。
「認められません。あなたは休むのが今の任務です。これは命令です、従いなさい」
「……でも私はまだ飛べますし、体力に余裕もあります。今朝やったのだっていつも慣れてることですし、渓谷の地図は頭に入っているので問題ありません」
「今は問題なくとも、もし昼間に何か有事があって出撃したら疲労が蓄積します。そうなると思い出せないことも出てくるかもしれません。あなたは今夜、
皆さんを導く隊長として上がってもらわなくてはならないんです。隊長に不備は許されません」
……芳佳としては大丈夫なつもりなのだが、ミーナが上手い言い回しで許してくれない。言い返そうと思えばいくらでも言い返せたが、それは体を
気遣ってくれているミーナにも悪いし何より皆に悪い。疲れているのに、こんなところで無駄な時間を使っては欲しくないだろう。仕方が無いので、
今回は退くことにした。
「了解です。それじゃあ、私はゆっくり休ませてもらいますね」
「ええ、その代わり作戦の時はバリバリ働いてもらいますからね」
「お手柔らかにお願いします……」
苦笑気味に言う芳佳。一見隊長など務まるのか不安だが、それでも先ほどの訓練の『教官』は本物だった。あれだけの器を持つ人になら、誰でもついて
いけるはずだ。
作戦開始まで、あと約十七時間。この後二度目の朝食をとって、ペリーヌとシャーロットが哨戒任務に出る。他の人たちは直ぐ就寝し、二人に関しては
任務から帰還し次第仮眠を取る。その後、夕食と最終的なブリーフィングでついに出撃である。
……明日の平和を勝ち取るため。芳佳を始めとするストライクウィッチーズ隊の面々は、今夜の作戦に向けて動き出す。
―――――続く