エース #05
ブリタニア首都から二時間。まるで荒野のように草木一本生えていない土地に、大きく左右を分断する亀裂があった。複雑に曲がりくねり、中では
空気が暴れまわる。時には『神の怒り』と呼ばれたり、時には『天からの雷-いかずち-』と呼ばれたり、時には『地獄からの招待状』と呼ばれたり――。
その呼ばれ方は実に様々であるが、つまりはそれだけ険しい谷であるということだ。これまで幾度となく橋を架けようと多くの人が挑み、そしてその
険しさや気候の悪さから大勢の命がそこで失われた。陸路であっても、決して平穏と呼べる土地ではない。
――――深く長く続く谷、死への門……アリアナブリッジ渓谷。宵闇の中にあって、その谷は静かに息を潜めていた。
谷を遠く見るはるかな遠方に、一機の大型輸送機が飛んでいた。内部には何か貨物を積んでいるのか、通常の巡航速度よりもゆっくりと飛んでいた。
優雅に舞う姿、しかしそれは一切の明かりを消された隠密行動中であった。羽音は遠くかすむ渓谷にも届かず、風下の街にさえも耳に入らない。静かに
空をまっすぐ飛ぶ機体は、やがて右側ハッチを開放させた。空中の気圧は非常に低く、とても寒い。冷たい空気が機内を満たし、そして―――開放された
ハッチから、一人、二人、また一人……人が落ちていく。足に重量物をつけられ、まるで放り投げられるように空に投げ出される人、人、人。それらが
すべて落下すると、輸送機の扉は再び閉まった。
……地面に吸い込まれるように落ちていく人達。だが、それが地面に接することはなかった。
* 「エース」 5 *
『作戦空域に到着。これより作戦行動を開始します』
そう連絡が入って、すでに数分が経過。予定通りの地点で輸送機から放り投げだされ、低空まで自由落下した後エンジン点火。ストライカーユニットは
絶好調の様子で音を立て、遠くへ飛んでいきたいと自ら主張しているかのようだった。しばらく待っていると、後方に十一人のウィッチ達が集結する。
さあ、全員集合だ。これより、渓谷へ向けて飛行する。
「こちらチャーリー3――――ベルクート。目標へ向けて飛行します、機動開始地点まで全機待機してください」
『了解』
芳佳が、左右に広がるデルタ形編隊の中央で無線機に向けて言った。今作戦においては、芳佳がチームのリーダーであり全員の指揮者である。そう、
今回はミーナやゲルトルート、美緒の指示はない。すべて自分で指示して味方を動かさなくてはならない。文字通り『小隊長』だ。……自分が、この
編隊のトップである。
その重責は、芳佳の肩に重く圧し掛かっていた。渓谷という狭いステージを高速で突破しなくてはならない今回の作戦において、果たして味方を連れて
飛行なんてできるものだろうか。味方のフォローなど、できるものだろうか。……不安が、いくつも重なって積もった。
そんなとき。ふと左肩が叩かれた気がして振り向くと、ゲルトルートが目の前にいた。一時的に編隊を崩してこっちに来たらしい。
「肩の力が張ってるぞ。どうした芳佳、緊張でもしているのか」
「……トゥルーデさんはしないんですか?」
「私か? 私なら体の震えを抑えるのに必死さ」
そう言って微笑するゲルトルート。それは夜の大空の中にあっても暖かくて、元気を分けてもらえるようだった。そして実戦経験が致命的に少ない
芳佳にとっては、熟練者によるフォローがなくては実戦ではなかなか戦えない。おそらく今回だって、歴戦のエースであるゲルトルートや教官だった
美緒が共にいてくれるからこの作戦を立案できた。たった一人だけだったら、言ってもすぐ揉み消されるのではないかと不安で言えなかっただろう。
そして今も、編隊長という立場にいきなり立たされて不安だらけである。
だが、こうして強くて頼りがいのある人がそばにいてくれると心強い。それに、あのゲルトルートも緊張していると言っている。エースにもなれば
そんなことはまったくないのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。自分だけではないという安心感が、また芳佳の緊張を解した。
「エースになれば緊張しなくなるのかと思ってました」
「それは人次第だろう。エーリカなんかは見た目どおりまったく緊張しないからな」
ちなみにコールサインやTACネームで話していないのは、無線機を介していないからである。無線では、ほかの人に聞こえてしまうため周波数を変えて
話さなくてはならないのだ。それに一応、戦場では無線による私語は厳禁とされている。それよりは、こうした個人的な話は直にしたほうが早い。特に
今は低速で飛んでいるため、耳元で話せば聞こえるのだ。
「私は戦闘が始まる前にしばらく目を瞑って静かに考えるんだ。自分のこと、訓練でやってきたこと、今回はどう戦えばいいか――そんなことをな」
「精神統一みたいなものですか?」
「ま、そんなところだな」
確かに、ゲルトルートがエースと呼ばれるようになって長い。一応本人も、エースと呼ばれるほどの戦果をあげていることは自負している。だがそれでも、
新人時代に突如襲い掛かった祖国陥落――――あれが頭から離れない。ああならないためにはどうしたらよいかと考えると、度重なる訓練と共に実戦の
前にはしっかり復習することが必要だと感じた。いくら訓練が完璧にこなせても、実際の空で動けなくては意味がない。その為あの日以来、いつも出撃する
際には必ず一度気を落ち着かせてこれからの戦闘について考えることにしている。それをしないと、あの燃え盛る『自分の街』の光景が頭の中から離れて
くれないのだ。また大切な人を失うような気がして、たまらない。
そう語るゲルトルートの顔は、穏やかに笑みを浮かべていた。何かに安堵しているような、そんな表情。
「でもな、今日はちょっと違う」
「え?」
「こんな経験、今までにないからな。確かに訓練でやってきたことや芳佳に教わったことは確認しているのだが、どうにも落ち着かない」
苦笑気味に、ゲルトルートはそう言った。渓谷突破だなんて、そんな任務は過去に経験しているわけがない。いくら幾度となく実戦の空に上がって
いるとは言え、未経験の『敵』を相手にするのは怖いらしい。
それでも、失敗する光景は不思議と想像できないという。ぶつかったらどうしようだとかいろいろと不安要素はあるが、何故か最悪の事態は
浮かばない。想像はできるが、『そればかり出てきて成功できる自信がない』ほどの重症ではない。
「なんとなく、どこか安心感があるんだ。きっとお前のおかげだな」
「へ? 私ですか?」
「私もどこかで他人に頼っているのだろう。人間というものは孤独が怖くてな、だから私に『こういう飛び方』を教えてくれたお前が怖がっているのを
見ると、一人じゃないんだと安心する」
結局、ゲルトルートも同じことらしい。芳佳は思わず苦笑して、人間というのは面白いものだと思った。どれだけ強そうに見えたとしても、どこかに
必ず弱い部分がある。エーリカであればトップエースのくせにズボラで、片付けや朝が苦手なところ。ミーナは人を失うことに誰よりも敏感で、半ば
アレルギー症状になりつつあるところ。美緒もきっと、どこかに弱い面があるのだろう。芳佳自身も、低空を高速で抜けられる自信自体はあるものの実戦の
空には未だ馴染めないでいる。
「……なんか、すごい意外です」
「話すとよく言われる。ミーナにもエーリカにも坂本少佐にも、最初は言われたものだ」
「あはは、やっぱり」
「―――大丈夫、お前は強い。できるさ」
そう言って肩を叩いてくれるのは、とても暖かくてありがたかった。密かな憧れのトップエースに『強い』と言われれば、少しでも自信になるものだ。
それに、とゲルトルートは付け足して言った。
「初めてお前の後について飛んだとき、どう飛べばいいか分からなかった私にお前は『こうしろ』『ああしろ』と指示してくれた」
「は、はい」
「列機としては隊長機以外に頼るものがないんだ。その隊長機が要所で指示を出してくれるのは、列機からしたらこれほど頼れるものはない。あの時の
お前は、信頼して十分についていけるものだと思ったな」
「―――あ、ありがとうございます」
「それにあの林の中での機動、あのときに私が本当に行けるのか不安になったときにお前が掛けてくれた言葉は、十分に私を強めてくれた」
「へ? 何か言いましたっけ」
「『行けます、私もウォーリアも』だったか……そんなようなことだ」
聞きながら、芳佳は今のゲルトルートに同じことを言いたかった。今こうして声を掛けてくれることで、緊張が魔法のように解けていく。先ほどまでは
本当に自分が隊長を努められるのかどうか不安で仕方がなかったが、今は胸を張れる気がする。……それによくよく考えてみれば、自分がゲルトルートの
力になれたことが今までにもあったのを思い出した。記憶が思い出せないと悩んでいるとき、そして激しい痛みに悩まされていたとき――あの時、彼女は
確かに芳佳に対して『ありがとう』と言っていた。
……誰でも弱い面はある。だが芳佳には、それをフォローできる力がある。同じように、芳佳にも弱い面があり、ほかの人にはそれをフォローできる
力があるのだ。そしてあの夜、初めてあの訓練に挑戦したゲルトルートに勇気を分け与えられたように。今日だって人数が増えるだけで、部隊のみんなを
力付けてあげることぐらいはできるはずである。
「ありがとうございます、おかげで大分自信が出てきました」
「ああ、それでいい。それでこそ私の知っている宮藤芳佳だ」
「えへへ、なんだか照れますね」
いい具合に緊張がほぐれた。この調子で、作戦も成功させたいところである。
「―――美緒、大丈夫?」
「ああ、問題ないさ。宮藤の奴にも心配されてな、少々面白いものをもらった」
ゲルトルートと芳佳を見ながら、ミーナは何より美緒の身を案じていた。彼女のシールドはもはや使い物にならないのだ、これでは渓谷内を飛べない。
だが反対に美緒は気楽なようで、気負うことなど何もないとあっけらかんとしていた。そんな楽観的な考えがどこから出てくるのか、今のミーナには理解が
できない。
すると美緒が懐からお守りをひとつ取り出した。お守りというには少し大きいが、見た目はそのものである。
「扶桑ではこれを持っていると神に守られるというおまじないのようなものでな。ただ、これは宮藤のお手製だそうだ」
「……それって効果あるのかしら?」
「何を言うか、失礼な奴だな。コイツがあるから今の私は飛べるんだ。これはな、単なるお守りじゃあない」
確かにお守りというものに本当に効力があるのならば、芳佳が自作したものでは意味がないだろう。まずお守りというもの自体に信憑性が無いので
なんとも言えないが、少なくとも『神に守られる』という観点から言えば無意味である。……こんな布切れを持っているだけで守られ、持っていない人は
守らない神というのも本当に神なのかどうか疑わしいものだが。そんな理由から美緒は正直お守りとやらは信じていないのだが、それでもこれを持って
きたのには訳がある。
縛ってある口を軽く開いて中身を取り出すと、そこには金属でできた何かのカートリッジのようなものがあった。中央部はガラスになっていて、管状に
なっている。その中に青い光が満ちていて、それは見た目液体のようだった。
「魔力カートリッジだ。この光ってるのは宮藤が事前に充電しておいてくれた魔力だな」
「……物があるのは知ってたけれど、まさか本当に使えるなんてね……宮藤さん、どこから仕入れてきたのかしら」
「さあな。とにかく、あいつのあれだけ高密度な魔力を貰えたんだ。渓谷突破時にストライカーと防御で三分の二程度は使っても問題ないはずだ」
敵の基地に着いたら、攻撃させる前につぶすのが前提となる。敵の迎撃体制が整うまでに全滅させられればそれが理想だが、規模からしてそれは無理と
言えるだろう。幾度かは攻撃を受けかねないので、その際に防御を展開する必要がある。……それだけの魔力が残っていれば十分だ。ゲルトルートと芳佳は
間違いなく突破できると信じているので、それと美緒とで最低でも三人は行けると踏んでいる。大火力のゲルトルートに、最近射撃訓練で腕を飛躍的に
あげている芳佳が居るのだ。火力は申し分ない、絶対に生還できる。
「あいつも、本当に気が利くな」
「でも、大丈夫かしら……あのフラウが行けるかどうか不安がってるのよ?」
「へぇ、あいつが―――まあ確かに、暢気に飛んでいるように見えて仲間想いだ。あいつは抜けられるかも知れんが、味方を想うなら不安なのも頷ける」
美緒は特に不安要素は無いものとしている。今朝の訓練で芳佳が随分とコテンパンに叩いてくれたおかげで、リネットやクリスも目覚しい成長を遂げた。
確かに全編芳佳についていくのは無理だろうが、おそらく風の谷半ば程度まではついてこれるものと思っている。それだけ来れれば十分だ、特にクリスに
関しては今回が初実戦なのだから。
「まあ、何とかなるだろう」
「私もできる限りついていくわ。今の宮藤さん、随分頼れそうだしね」
「ああ……あいつなら、私たちを確実に導いてくれるだろう」
「ふふ、美緒が見たかったのはこれね」
『あいつは皆の後ろではなく、前を飛べる。それを見てみたい』――――いつかミーナに言った言葉だ。そして今、前を見やればそこに芳佳の背中が
ある。そう、いつの間にか美緒やミーナよりも前を飛んでいるのだ。見たかったものが、今こうして現実になっている。美緒としてはこれほど嬉しいことは
無かった。
「……さあ、あなたの見たいものはもう実現したわ。もういいでしょう?」
「全く、お前も強情だな。降りんぞ、私は」
「どうして! 貴女だって十分強情よ、だって――
「……さっきも見たろう? 私はあいつに……宮藤に守られながらなら、まだ飛べるんだ」
ちらりと美緒が、もう一度あのお守りを見せる。一回出るごとに補充しなくてはならないが、ウォーロック程の猛攻が来ない限りは持ちこたえて
くれるだろう。芳佳には無理をさせることになるが、美緒には芳佳に無理をさせてでも飛ぶほどの強い想いがあった。無論、芳佳の戦士としての寿命を
縮めてまでやろうとは思っていない。ちゃんと芳佳のことを考えて、その上での結論だ。
「大丈夫だ、心配するな。あいつは死ぬまで魔法が使えるさ」
「……確かに、宮藤家の家系を見ていると、亡くなるまで強大な魔力を備えた人達しか居なかったわ。衰えている人すら、ほとんど居なかった」
「無茶や無理は若い頃にするものだ。私も宮藤も、お前もな。ミーナ、お前だって未だに魔力の衰えの傾向が見られん。だったら、まだ二十歳になるか
ならないかぐらいの今のうちに、思う存分無理をしようじゃないか」
若い頃の無茶無謀は、年をとってから響くとはよく聞く。だがそれで世界に平和が訪れるなら、それで世界のためになるなら―――御の字ではないか。
自分の身を削ることで世界の役に立つことができるのなら、世界で多くの人を守ることができるのなら。喜んで、その身を削ろうではないか。
――――美緒の言葉の意味するところは、そういうことだった。ミーナは苦笑しながら答える。
「もう、仕方ないわね……あの人のこともあるし、乗っからせてもらうわ」
「そうこなくてはな。その為にも、今日はちゃんと帰るぞ?」
「そうやってフラグを立てないの!」
「ああ、すまんすまん。素なんだ」
二人の苦笑が、小さく響いた。
「もう、芳佳ちゃんっ……大尉に近づきすぎだよぉっ!」
「あらあらリーネさん、随分と嫉妬深いことで」
「ぺ、ペリーヌさん?! そんなんじゃありませんよ、決して!」
「嘘が見え見えでしてよ。全く、素直じゃありませんのね」
「人のこと言えないくっせにー」
「ってルッキーニ少尉、貴女って人は!」
それぞれが、戦地を前にして思い思いに言葉を紡ぐ。それは談笑であったり、相談であったり。だがそれぞれが思うことは同じだった。……きっと
出来る、その為に余計な緊張はここに置いていこう。全力で戦えれば、きっと皆で笑って帰れる。
「やっほークリスー、大丈夫ぅー?」
「初めての実戦がこんななんて……お姉ちゃんの馬鹿」
「お、緊張してるなー。肩揉んでやろうか、うりうり」
「ちょ、きゃっ! しゃ、シャーリーさんっ、そこ肩じゃないです、ひゃうっ!」
「相変わらずぺったんこだなぁ。芳佳よりないんじゃないか?」
「歳が歳だから仕方ないじゃないですかぁ、ひゃうぅ!?」
『くおおぉぉぉらあぁぁ、リベリアアアァァァン!!! 貴様、何をやっているかああぁぁぁぁ!』
「あっはっは、おねーちゃんが怒ったぞー」
――― 一人一人、出来ることを全力で。持てる力を振り絞って。その為に、ちょっとだけ息を抜いて。
『もう、ウォーリア! 落ち着いてっ!』
「お、さすが隊長! 頼りになるねぇ! これじゃトゥルーデもタジタジなわけだ」
「なんか楽しそう……」
「ハイハイ、サーニャはああいうことしないでいいカンナ?」
「……楽しそう」
「おーい、サーニャー?」
「えい」
「ってこらぁ!! む、胸を揉むナァ!」
……ちょっとだけ、の域を超えていないでもないが。
ともあれ、結果的に緊張がほぐれれば何でもいい。この作戦が上手くいくためなら―――微笑ましいことだ。
開戦のときは、刻一刻と近づいていた。
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- アリアナブリッジ渓谷上空 ○二一三時 -
『渓谷上空に到着、まもなく突入地点となります。各機編隊を組みなおし、攻撃態勢を整えてください』
芳佳の一言で、編隊の全機がそれぞれ自分の位置に戻る。つい先ほどまで緩んでいた顔が、一気に引き締まる。……まもなく、あの人外ともいえる作戦が
決行されるのだ。生半可な気持ちで居ては、確実に墜ちる。
改めて、今回の作戦に関して芳佳から説明が入る。
『各所、突破が厳しいと思われる箇所に関してはタイミングを合わせて旋回していきますので、無線はよく聞いていてください。風の谷突入手前から
フルスロットルで駆け抜けますのでしっかりついて来てください。また何処に居ても、少しでも無理だと判断した場合は高度を上げてほかの人の針路の
邪魔にならないようにして減速し、後退してゆっくり来るように。慌てたり焦ったり、多少の無茶がそのまま墜落につながります。決して無理はせず、
限界が近かったり不安だと感じたら即座にあきらめてください。先行できる人で先行し、残りの人達は後から合流してくだされば構いません』
芳佳ほどの実力があれば、旋回のタイミングは感覚で分かる。地図も完全に頭の中に叩き込んであるため、ルートも今すぐにだって言える。だが、
それについてきてもらうためにはどう旋回すれば良いかを確実に伝えなくてはならない。幸い角度や速度の感覚は体で分かるので、何度に体を傾けて
どれぐらいの勢いで旋回すれば良いか、速度をどれだけ落とせば良いかは口頭で伝えられる。後は、それにどれだけの人がついて来れるかである。
まあ、今朝の訓練であれだけ出来ていたのだ。最終的には少数先鋭になったとしても、途中まではついてこれるものと考えている。その点は美緒と
同じ考えであり、ゲルトルートやミーナも同様だった。
……絶対、全員生還するんだ。誰一人として犠牲は出さない。その為に、自分がしっかりしなくては。芳佳は心の中で改めてそれを確認し、よしと
気合を入れなおした。
『それと、突入してしばらくすると敵の警戒網と思われる空域に突入します。渓谷から顔を出した場合敵に感知される可能性がありますので、できるだけ
避けてください。但し、それが原因で墜落してしまっては元も子もありません。どうしても無理だと思った場合は、速度を落としながら最悪高度を上げても
構いません』
一応、確認のために付け足しておく。いくら奇襲が出来なくなるとはいえ、それで死なれては本末転倒だ。最悪、もし発見されたとしても芳佳と
ゲルトルート、美緒にシャーロットの四人は千キロ超という化け物じみた速力を誇る。それだけの速度で渓谷から出てくれば、敵も対応しきれないはずで
ある。
……後は、後ろがついてこれるか否か――――ただそれに尽きる。
『○二一四時――――作戦開始まで、残り一分。訓練のときと同様の順番で一列に並びなおして下さい。なおスカイレーダは適宜、状況が更新され次第
報告をお願いします。但しこれに関してもそれにばかり気をとられて墜落しては意味が無いので、余裕が無ければ報告は後回しで構いません』
考えれば考えるほど、言わなくてはならないことだらけのような気がしてならない。だが、いつまでも言っていられるほど時間的余裕も無い。芳佳は
残り三十秒程度であることを確認し、後ろを振り向いた。とりあえず一列には並んでいるようだが、間隔が少し狭すぎるように感じた。これは渓谷突入時に
距離を開けてもらえばいいか。
『――――、残り二十秒! 突入時にはそれぞれの間隔をしっかり取ってください、但し風の谷突入後は出来るだけ間隔を詰めて。互いの距離を、常に
正確に保つことを忘れないで。全機、安全装置解除! 突入に備えよ!』
―――さあ、まもなく始まる。突入地点が、もう目の前まで迫っている。
今こそ、訓練で培った実力を試すとき。―――かかって来い。どんな場所であっても、どんなに険しいカーブであっても。絶対、全員で超えてみせる。
残り、十秒――――!
『十―――!九―――!八――――!七――――!六――――』
五を数えた。突入に備えて、背面飛行へ移る。後続の各機もロールし反転、そして―――
『三――――二―――― 一!
突入せよ!』
芳佳がぐっと機首を起こし、同時に出力を跳ね上げる。針路は一気に下を向いて急降下し、渓谷が見る見る眼前に迫り―――やがてその距離が三分の一まで
近づくと、百八十度反転して逆方向に機首を起こす。徐々に針路が水平に近づき、そして――――左右に崖が迫る、ついに渓谷内部へ突入した!
『前半はゆるいカーブが続きます、速度に慣れて目を合わせて!』
了解、と返事が聞こえてくる。良い返事だ、その声を裏切るんじゃないぞ―――芳佳は心中で叫びながら、最初の左カーブへ突入する!
ゆるく旋回していき、地面からいくつも飛び出る棘状の岩を次々と回避していく。ここは林と違って岩が完全に不規則に飛び出ており、一直線に結べる
ルートが存在していない。飛びにくい場所だ、内心舌打ちをしながら右へ左へと避けていく。上下の機動は出来るだけ避ける、でないと三次元機動は簡単に
操縦不能に陥ってしまう。
やがて左カーブが終わり、続けて右カーブが始まる。同様に右へ体を倒してゆっくり旋回し、前を見据える。後方の様子が気になるが、気に掛けている
余裕などない。今はとにかく、前に進むだけだ!
―――速度が若干遅い、いつもより慣れない。これでは飛びにくい、隊長がしっかりしなくてどうする。芳佳はもっと飛びやすいように、速度をさらに
二段階あげた。後方でまた速くなったと声が聞こえた気がしたが、気にしてなど居られない。死にたくなければ、ついて来い!
『次、直線の後鋭角右カーブ!』
言って三秒後、水平飛行に移行する。カーブの途中だったが構わず水平に戻すと、やがて慣性で曲がりきって直線に出る。ここぞとばかりに後ろを
確かめたが、全機無事に着いてきている。よし、この速度で安定だ。風の谷まではこれでいける、芳佳はそう踏んで前を向き直った。徐々に迫るカーブ、
対策は―――今!
『右百度! 三――二――― 一―――今!』
大きく体をひねり、右に百度バンクさせる。そしてそのままの状態を維持し、再び三つ数え――――今!
ゼロを宣言すると同時に機首を壁に対して八十度まで傾ける。体は一気に渓谷の下へ落ち込んでいき、さらに右へどんどん旋回していく。斜めに針路を
取ることで、旋回距離を大きくとって曲がりやすくしようという算段だ。後ろのほうで苦しそうな声が聞こえるが―――こんなところで苦しまれては困る!
芳佳は構うことなく、棘と壁の間を巧みにすり抜けていく。さすが渓谷の中、風が全く無い。
やがて曲がり終わる頃に水平に戻し、後続の無事を確認し―――次は左鋭角、さらにその後右につながる!
『左七十、旋回後合図で右百二十! 三――二―― 一―――、今!』
一気に左向き七十度まで体を傾け、さらに合図で―――旋回開始! 下がった高度をリカバリーするように、今度は上を目掛けて斜めに進路を取る!
体は徐々に狭い谷底から解放され、高度を上げていき、しかし高いGが体を襲ってストライカーが軋む。この程度、問題ない――――今だ、逆に回せ!
『反転して!』
言うと同時に、機首を起こしたままで右に百二十度方向にロールする。再び右下方に沈んでいく体、また深い闇が視界を覆う―――三、二、一!
『水平、高度を確保!』
体を水平に戻した後機首を上げ、高度を取る。この先は低空が段差になっていてこのままだとぶつかるのだ。
ひとまず最初の難関を抜け、後方が無事であることを確認する。――――さて、次の大きな右を抜けたら左に鋭角、その鋭角カーブの先がついに
『風の谷』である!
『右にゆるく曲がった後、カウントゼロで左に百度、旋回しながら「風の谷」に突入します! 旋回中に速度を大きく上げるので、確実についてきて!』
風の谷は、飛べる限りの最速で飛ばなくてはならない。後ろに気流を作ってやらなくてはならないのだ――――何、問題ない。
右に軽く体を倒して旋回していき、来る次のカーブに備える。……頼むからついてきてくれよ!
『三、二、一―――ゼロ! フルスロットル!』
左に百度まで傾け、一気に機首上げ。同時に後方のエンジン音が一気に高まるのが聞こえ、一足遅れて芳佳とゲルトルート、美緒がリミッターを突破して
出力の限界まで上げる!
『か、間隔が縮まる―――』
『そのまま加速し続けて! 風の谷突入まで、三―――二―――一――――――――来る!!』
次の瞬間、芳佳の体が大きく風にあおられて高度が下がる。だが体は柔軟に対応し、高度を取り直し――しかし左に右に、勝手に体が揺さぶられる!
思った以上に風が強く、速度を出していても風に負ける。ならばどうすればいいか――――簡単なことだ、もっと速く飛べばいい! 芳佳のストライカーが
さらに火を噴き、プロペラから火花が散り、煙が吹き上がる。構うもんか、コイツは今絶好調なんだ! ぶっ飛ばせ、風なんかに負けてたまるか!
『次、右に百三十! 三、二、一、今!』
一気に右に傾け、その後二つだけカウントして機首を壁に対して百度もの角度に起こす。体がつぶれるように苦しく、あまりに強いGが芳佳の体を
容赦なく蝕む。知るか、そんなこと! さっさと曲がれば良い話だ、これぐらい耐えれなくてどうする! 後続のことなど考えていられない。今は自分が
突破できなくては、後ろも続くように突破できなくなる。何より最優先すべきは、自分自身のクリアだ!
『―――っく、だめッ―――』
『ハンターとワイルダー、速度低下。後退します』
……リネットとクリスが脱落した。少し早いが、あの二人なら良く頑張ったほうだ。残りの機体、ちゃんとついて来い!
『機首を戻して! ――――左百、二、一、今! ――――二、一、機首を上げて!』
さらに逆方向のGが体に襲い掛かり、内臓がつぶれそうな錯覚に囚われる。だからどうした、今は曲がれ! ストライカーが悲鳴を上げ、大きく軋み
パネルが外れかける。知ったことか、ちゃんとついて来い、私のストライカー! 芳佳は心の中で叫びながら、旋回の勢いを緩めなかった。流れる崖、
足元に迫る壁、襲う強風、つぶれる体――――全てが初めてで、全てが芳佳のヴォルテージを最高潮に叩き込む!
『水平に移って――――!?』
水平飛行に移る。だが直後、眼前での崩落を目の当たりにする。予想通りではあったが、旋回直後とは間が悪い。全く、呪われた家系だ! 芳佳は
そんなことを心中でぼやきつつ無線に吼えた。
『落石確認、崖が崩落する! 高度をとってシールド展開、各機備えよ!!』
いいながら高度を上げてシールドを開くと、シールドに大きな岩が激突する。瞬間腕が砕け散りそうになり、気合だけで耐えた。急いで高度を
リカバリーして崖から出ないように気をつけ、背面飛行から何とか水平飛行に移して高度を保つ。だが後続はそうは行かなかったらしく、いくつかの悲鳴が
無線から飛び込んだ。くそ、思ったよりも状況が悪い!
『だああ、無理、無理―――!』
『……カノン、高度を超過。渓谷から単機浮上します』
―――敵に察知される。だが想定の範囲内だ、風の谷を無傷で抜けられるとは到底思っていなかった。何、ショーに観客が増えるだけだ、逆に面白い!
やってやろうじゃないか、いつでもどこからでもかかってきやがれ! 芳佳は速度を落とさぬまま、次の右旋回に備える。
『カノン速度低下、後退します』
『敵からの被弾を避けるためこのまま渓谷内を突破します! 右方向、百度! 三、二、一、今!』
気にもかけないかのように叫び、右に大きくひねる。さらにそこから四カウント数え――――強く機首を引き起こす!!
崖に対して直角。目の前を崖が過ぎていき、その中でも強風が縦横無尽に駆け巡り、小石が体中を打ち付ける。体は安定せず、渓谷内で上下し―――だが、
それでも出力を緩めることは決してしない!
ちらりと盗み見た後方、随分と苦しそうなのが数人居る。くそ、ここでも脱落者が出るか!
『――――ッ、ああ―――っ!』
『ホープ、後退――――だめ、スカイレーダ、速度低下……後退します!』
エイラとサーニャもここで落ちた。残るは芳佳、ゲルトルート、美緒、ミーナ、シャーロット、エーリカ、ペリーヌ――――七機、十分だ!
機首を戻し、水平飛行に移行する。次の難関を突破すれば、風の谷から脱出する。――――問題は次の難関の難易度が、尋常ではないところだ!
『次、このままの速度では突破不能です、合図と同時に減速して五百まで落とします、思い切り急制動を掛けて! いきます、三、二、一―――!』
ゼロ――――芳佳がストライカーを思い切り前方に突き出し減速、一気に五百キロまで落として再び加速する。ここから加速すれば、ちょうどあそこを
抜けるスピードでいけるはずだ!
後方では接触を回避するためにラインを崩して姿勢を崩すものが出てきている。さすがに高速飛行時での同時減速は無理があったか―――それでも、
今ついてこれている人間だけでも先へ行く!!
『―――プラズマ、速度低下。後退します』
ペリーヌがここで脱落した。残り六機――――なんとか抜けてくれ!
『次から角度を言っている余裕がありません、今から言うのを叩き込んで! 左百、右八十、左百二十、右七十! カウントゼロで順番に超えます、機首は
起こしっぱなし! いくよ、三、二、一―――今!』
……左に思い切り傾け、百度から機首を最大まで引き起こす。九十度を超えた角度、多少の減速と共に鋭角コーナーに突っ込む!! ストライカーの
パネルをカバーするビニール外皮が一部吹っ飛び、プロペラで粉々になる。小石がストライカーを打ちつけ、内部の脚部との固定部位が徐々に緩む。
知ったことか、ここを抜ければどうにでもなる―――今は耐えろ!! 軋むプロペラ、熱い両足、煙を立てるストライカー、流れる崖に目もあけられぬ強風、
容赦の無い自然が芳佳を次々と叩きつける!
『二、一、右へ!』
今度は機首の傾きはそのままに右に八十度へロールし一気に高度を上げる。まるでレーシングコースのヘアピンカーブだ―――面白い、コースは
テクニカルなほどクリアできたときの達成感も大きいものだ! 芳佳はそのまま速度をさらに上げて、後続が飛びやすい気流を作ってやる。角度がきつい?
笑わせる、この程度芳佳の前には壁にすらならない!
『二、一、左! ――――――三、二、一、右へ!!』
まるで鳥になったかのようである。流れる崖が右に左に、視界の中で踊り狂う。この狭い空の中でも自在に飛べる、芳佳の中でどんどんヴォルテージが
上がる。完全に火のついた彼女を止めることは、今の誰にも出来やしない。たとえ上空で、敵戦闘機隊のエンジン音が無数に響いていたとしても!!
『敵機接近、崖に向けて攻撃をしています―――そこを抜けた直線、崩落確認』
『平気、突っ込むよ!』
『――――状況変化。キャプテン、およびガーディアン後退―――先行隊、残り四』
芳佳、ゲルトルート、美緒、シャーロット。構わん、これだけ居れば問題は無い! 体を水平に戻し、ついに強風の嵐から脱出する! しかし風が削った
広い谷から脱出するということは、道が大幅に狭くなり飛びにくくなる――――だからどうした、狭いところはホームグラウンドだ!
芳佳は一直線に飛び、前方が砂埃で隠れているのを確認する。あそこは――――ちょうど左カーブのすぐ手前、カーブが視界に映らない!?
『やってくれたね――――目印アリガト!』
敵が落とした岩がちょうど旋回の目印だ―――これは楽で良い! あの左カーブを抜けたらまっすぐ直線に飛んだあと左に旋回し、直後に最後の関門
『クランク』だ!
面白い、ここまできたらやってやる!
『敵より先行し奇襲を仕掛けます、先行隊、全機リミッター解除! 限界速度まで加速、以降減速はしないものとします!! ついて来れないと判断したら
直ちに後退せよ!』
――――正気か、自分は。―――もちろんだ、こんなこと冗談で言えるか。
ここから加速すれば、クランクには九百五十キロで突入できる。クランクをフルスロットルで突破すれば敵要塞上空には亜音速で突入可能だ、奇襲攻撃と
しては十分!
やってやる、今日の私は――――――――『エース』になるんだ!
『左、百二十! 三、二、一、今! 岩の真上で崖に対して百二十度まで機首を起こして!!』
後方で後退するものは確認できない。つまり四機全機、このまま加速して突っ込む!! 敵の落とした岩が眼前に迫り、今すぐ脇を―――――今だ、
機首を起こせ!芳佳の体がぐっと向きを変え、内側の崖を向き、そしてさらに後ろへと回っていく。後方が視界に映り、ゲルトルート、美緒、シャーロットの
姿が鮮明に視界に映る。
良くここまでついてきたものだ、さすがは501の誇るエースたち――――だがこの先、ついてこれるか!
『機首を戻して! 水平飛行、左にヨー動作で旋回した後クランクにこのまま突っ込む!』
しばらく直線に出る。現在のスピードは七百九十、このまま加速して九百五十まで一直線だ。――――さあ、どれだけついてくる!
『ウォーリア、私はこのまま行く。ベルクート、お前を信じる』
『こちらナデシコ、ウォーリアと同じだ。ついて行くぞ』
『―――シュヴァルツェだ、突破できるか分からない。挑戦してみるがおそらく後退する、すまない―――任せた』
『了解、無理はしないで。こちらベルクート、これより最終関門「クランク」へ突入する!』
―――九百三十――――九百四十――――!
『左にヨー旋回、直後右に百五十、左に五十、右に百二十、左に七十、右に百六十!! 三、二、一、行け!!』
スライドするように左に曲がり、軽く曲がったカーブをギリギリで旋回し――――前方、ついに壁のようなカーブが視界に入る! 体を思い切り
ロールさせ、百五十度とほぼ真下を向くような角度で進入する。――――耐えてくれよ、この体。おそらくこれでかかるGは人間の耐えうるレベルを
超過する――――知るか、今日の私は『エース』なんだ!!
『――――突っ込めええぇぇ!!!!』
芳佳の雄たけびが無線に響く。刹那、芳佳の体が大きく回転し、後ろを向くほどの勢いで旋回する。針路は大きく旋回していき、それでも見る見る
うちに崖に吸い寄せられ――――左へ五十度に体を傾け、同じく後ろを向く勢いで回転!! 慣性で何とか最初のカーブを突破し、次のカーブへ――――
ストライカーが壁面を擦り、砂をあたりに撒き散らし、一筋の線を崖に残していく! 芳佳の額から渓谷に突入して初めて汗が流れ、顔が引きつる。
あの芳佳でさえ――――だが勢いは決してとまらない!
さらに右に百二十度に傾け、一気に機首を起こす。現在の速度は八百六十、この調子で突破できれば出口から加速すれば確実に千を超える!!
芳佳の体はまた針路に対して壁のような角度に向き、無理矢理針路を捻じ曲げる。体が悲鳴を上げ、口から血が滴っている。――――だからどうした、
今越えなくてどうする!しっかりしろ宮藤芳佳、お前が皆の命を背負っているんだ!
左に七十度傾け、一気に機首を起こす! 曲がれ、曲がれ、曲がれ―――!
『―――はあああああぁぁぁッ!!!』
その腰に、信念を貫く銃を携えて。その瞳に、大きな決意を宿して。その足に、空を翔る翼を備えて!!
最後のカーブへ突撃する。右に百六十度――――過去最高値! 一気に傾け、機首を体に鞭打って今まで以上に起こす!! 後方が視界に入り、
ゲルトルートと美緒が苦しそうに曲がっているのが見え―――さすがにシュヴァルツェは脱落したか、だが三機でどうにでもなる!!
行け、宮藤芳佳、突っ込め―――――先頭を行くんだ!
―――――体を水平に戻す。遠のきかけた意識が一気に体に戻ってきて、前方にはまっすぐ続く渓谷が見えていた。ついに――――ついに、クランクを
あの超高速状態で突破した!!
『こちらベルクート、クランクの突破に成功ッ――!』
『ウォーリア、同じく……はぁ、死ぬかと思った』
『こちらはナデシコ――――寿命が確実に縮まった』
三人とも、無事とは言いがたいが突破に成功した。さあ、これからが本番だ!
芳佳を先頭に、ゲルトルートが左、美緒が右についてデルタ型三機編隊を形成する。大きく右に旋回すると渓谷が一気に開け、前方に敵要塞が見えてくる。
三人のストライカーが一気に火を噴き、再び回転数が最大を超えた物理的限界まで達する。火花が盛大に吹き飛び、ストライカーが赤く発光し――――!!
速度がぐんぐん上がる。九百、九百二十、九百五十、九百七十―――!!
『私が右目で簡単に状況を見る。ベルクート、指示を頼む』
『了解しました』
――――千! 千五十! 千百――――!
雲の壁が発生し、芳佳の体はその中央を勢いよく突破する―――――ついにこのときがやってきた!! 亜音速でも発生する雲、コイツを一度でいいから
抜けてみたかった!
『―――見えた!!』
ギリギリで旋回していくと、前方に眩いばかりの敵基地が見えてきた。即座に美緒が眼帯をはずし、詳細を確かめる。―――右に地上機動部隊、中央が
備蓄施設、左が対空防衛網!
『左ウォーリア、中央私、右ナデシコ! 隊形はこのままで大きく散開! 攻撃しながらパスし、その後反転しながら状況を見て配置変更を行います!』
『ウォーリア、了解!』
『ナデシコ了解した!』
見る見るうちに左右の崖が広がっていき、ついに渓谷を抜けたんだと身にしみて実感する。――――敵の基地の探照灯がこちらを捉え、慌てふためいた
ように警報が鳴り響き――――遅い、こちらは既に銃口を構えている!!
『射撃用意―――!』
――――さあ食らえ、鉛の雨を!!
『交戦開始!!』
マズルフラッシュが視界を焼き、地上が次々と爆発し燃え盛る。照準の間に合わない敵対空機関砲がむやみやたらと弾を撃って空に美しい線を描き、しかし
鉛球によって粉砕されていく。敵の燃料タンクが爆発し、戦車隊が吹き飛ばされ、管制施設が消滅し、コンクリートが隆起する―――!
一度目の攻撃を終えて、急上昇。振り返るとようやく対空砲が攻撃準備を整えたあたり―――展開が遅い、余裕で追撃できる!
『ウォーリア中央、私が左へ! ナデシコは今のまま!』
『了解!』
『了解だ!』
降下動作に入りながら、高速でウォーリアと位置を入れ替える。すれ違いざまに互いの目線が刹那の瞬間だけ合った。―――さあ、もう一度だ!
『うおおおぉぉぉぉぉ―――――!!!!』
引き金を思い切り引き、とにかく目に映るものに対して容赦なく鉛球を撃ち込む。ミサイル、ロケット弾、トーチカ、対空車両、携帯ロケット砲――――。
なんでもとにかく片っ端から吹き飛ばす! 次々に視界が赤く染まっていき、爆発の炎で視界がどんどん焼かれていく。目と耳がおかしくなりそうな状況下、
二度目の攻撃を終えて再び上昇する!
中央をゲルトルートに任せたのは単純に数が多かったからなのだが、ゲルトルートの火力のおかげで大分殲滅されたようだ。それでもまだ足りない―――!
よし、今度は反転だ!
『ウォーリアはそのまま、私とナデシコで交代を!』
『了解だ!』
『わかった!』
再び亜音速で入れ替わり、今度は敵の地上機動隊をぶちのめす!! 戦車やら地雷敷設車やら何やらが大量に転がっているが、何、敵ではない――――今の
この速度を相手に、狙えるものなら狙ってみろ!!
『三度目のアタック―――――行きます!』
燃料タンクがいくつかあるのでそれにゆうばくさせつつ、地面すれすれの超低空に侵入して敵戦車に側面や正面、背面など様々な方向から直接攻撃を
叩き込む。九九式、12.7mmをナメるな――――痛い目見せてやる!!
『――――っし!』
三度目の攻撃が終了し、再び上空へ。敵の大半は沈黙し、もう残っているものは少ないと思われ―――――だが、要塞の様子が一変する!!
地面から突如棒状の物体がコンクリートを破って出現し、それらが空中に向けて真っ赤なレーザーを――――本命か!?
三人は口元をいびつに吊り上げ、獲物を見つけた狩人のように狂人じみた顔で反転、一気に地面に詰め寄る!
『ターゲット変更、敵レーザー砲台! 片っ端から全部叩きのめして!』
『了解だ!』
ゲルトルートのMG131にMG151/20が火を噴き、砲台を二基同時に火の海に巻き込む! 芳佳の九九式二号二型改12.7mm砲が雄たけびを上げ敵の砲台を粉々に
弾き飛ばし、美緒の九九式が火力を爆発、今まさに撃とうとしていた砲台が暴発して消滅する!
しかし次から次へとコンクリートを破って現れる砲台、これではとてもではないが対処していられない。―――知るか、見えてるものを撃てばいい!!
引き金を引こうとした次の瞬間、視界の端から無数のロケットが飛来―――砲台群を全滅する! 視界をやると、そこにフリーガーハマーを構える
サーニャの姿―――さらに横には、ボーイズ対装甲ライフルを構えるリネット! 後続部隊が到着した、もう敵は敵で無くなった―――!!
『火力集中、とにかく全部燃やし尽くす!』
―――落とされた戦闘機隊の無念を、今ここで晴らしてみせる。今こそ、ウィッチーズ隊の本気を見せ付ける時だ!
音の速さで翔る三機、その優雅でかつ繊細で―――そして攻撃的な動きは、もはや誰にも追いつけるものではない。そこに更に九機の支援砲火が入れば、
この程度の砲台群など――――。
『……何か来ます!』
突如サーニャが叫び、刹那の時を空けて地面が大きく揺れ始める。全員が一度攻撃を中断すると、やがて地面の中央から亀裂が生じ、要塞全体が次々と
崩れはじめ―――――内部から、巨大な砲口が姿を現す!
『奥の手か――――ここまで持っていれば、確かに戦闘機隊などつぶされてしまいそうなものだな!』
美緒が叫びつつ、芳佳とゲルトルートと三人で一度合流して先ほどと同じく編隊を組みなおす。上空を周回し、そして―――――敵の砲撃が、来る!
『全員回避!』
次の瞬間には敵の真っ赤なレーザーが空を焼く。それはウィッチーズ基地をもいともたやすく吹き飛ばせそうな巨大なもので、直撃を食らえば死は
免れない―――あいつを前にしては、芳佳のシールドでさえ意味を成さない!
ならばどうすればいいか―――簡単だ、撃たせなければいい!
『敵がエネルギーを収束させたときに砲口を狙って! エネルギーを暴発させれば自壊が狙えます!』
『なるほど、了解だ! 全機タイミングを合わせろ!』
周囲を周回飛行しつつ、常に砲台にダメージを与えつづける。さあ、早くエネルギーを溜めろ。まだか、まだか―――――!!
そのとき砲台が赤く光を帯び、ゆっくりと砲口のエネルギー球を肥大化させていく。今だ、今しかない!!
『撃てぇぇい!!!』
美緒の咆哮が轟き、そして全ての攻撃が咆哮に集中する! 降り注ぐ弾、弾ける弾頭、止まない鉛球の雨、研ぎ澄まされた巨大な弾丸―――全てが、
一つの的に襲い掛かる!!
……一瞬、砲台にヒビの入る音がした。
『―――!! 全機、距離を取って! 離脱、離脱せよ!!』
芳佳が無意識のうちに叫ぶ。一瞬たじろいだが、全員が大急ぎで敵から距離を開け―――そして敵が、レーザーを発射した――――!!!
直後。巨大な爆発が砲台を包み、そしてコンクリートから崖から全てに巨大な亀裂を入れ、その亀裂からも火が噴出し――――一帯が全て爆発して
吹っ飛ぶ!!
『シールド全力展開、爆発に備えて!!』
叫びながら芳佳はゲルトルートと共に美緒の下に急行し、三人で強大なシールドを張ってみせる。美緒は、一人でこれを防げるほどのシールドを
張れるほど魔力が残っていない――!
「すまんな、二人とも」
「何を言うんだ少佐、私たちは仲間じゃないか」
「そうですよ、坂本さん。――――互いに助け合わなきゃ」
……言い終わった直後。地面が一気に隆起し、その下からまるでマグマの噴火のような炎が噴出し一帯を包む。どれだけのエネルギーを地下に集結させて
いたのかは分からないが、それはリベリオンの誇る原子爆弾や水素爆弾にも匹敵するほどの強大な爆発で―――――やがて視界が焼かれて真っ白に染まり、
何も見えなくなった。耳が轟音で麻痺し、何も聞こえなくなる。世界が、真っ白に包まれる――――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『……こちらベルクート、各機状況を報告せよ』
芳佳が試しに無線に言ってみた。視界はまだ戻らず、だが徐々に地平線が見えてくる。右手にはゲルトルートの手の温度が感じられ、そしてゲルトルートと
芳佳とで取り囲むようにしている美緒の体温もひしひしと感じられた。
さて、全員無事だろうか。―――ちょっと待て、何を疑問系にしている。無事に決まっている、これはあくまで確認だ。
『こちらハンター、何も見えませんが無事です』
『カノン、生存報告ー。生きてるよー』
『シュヴァルツェだ、終わったのか? 真っ白でどうなってるかさっぱりだ』
『こちらスカイレーダ……飛んでいます。但し爆発の影響が酷くて、何も捉えられません』
『プラズマ、ちゃーんと生きてますわ。ご心配なさらず』
『ホープだ、スカイレーダのそばにいるゾー』
『ナデシコ、無事だ。ベルクートとウォーリアに助けられた』
『こちらキャプテン、さっすがウォーリア達だね、私には敵わなかったよーてへへー』
『全く、お前はもうすこし緊張感というものをだな……ウォーリアだ、こんなことで死んでたまるか』
――――十機のレスポンスは確認した。だが……十秒待っても残り二機、クリスとミーナの返事が返ってこない。まだ視界が利かないので何ともいえないが、
無線機の不調だろうか。返事が来るまで待とうかと思ったが、いつまで経っても返事は返ってこない。
『ガーディアンおよびワイルダー、応答しろ』
ゲルトルートが呼びかけるが、やはり返事はない。まさかとは思ったが、そんな冗談にもならないようなことを考えるのはやめようと考えを改める。
さて、どうしたものか。とにかく視界が利くまで待とうと時間を置いていると――――突然。
『うわぁぁ!!??』
『ふあッ!? な、何!?』
『何だなんだ!?』
芳佳とゲルトルート、美緒の三人に何かが激突した。後方からだったが、一体何なのか。半分、あれではないかと予想して、いやしかしそれは無いだろうと
首を振って―――――
『あっはははは、お姉ちゃん面白ーい! ワイルダー、やっと無線機の調子回復しましたー』
『もう、あんなに強い光を直視するなんて皆基礎がなってないわよ? ガーディアン、無事です』
全く、人騒がせな連中だ。確かにスタングレネードの要領で、光を直視しなければ問題は無い。が、いかんせん防御を優先しすぎてそこまで頭が回らなかった。
苦笑しながら、全機生還を確認する。――――さあ、帰るとしよう。
『ふう、やっと視界が利いてきた……それでは全機の無事を確認しました、これより帰投します』
『――――了解だ、「エース」』
『え?』
ゲルトルートが突然、全く関係の無い名前で呼んだ。と思ったが、自分に向けられたものに限った話ではないと今頃理解する。早とちりとは良くないものだ、
今頃になって恥ずかしさが顔にこみ上げる。変に返事などしないほうが良かった。まあ、軽く流しておけばいいか。
芳佳は言い訳をいろいろ考えたが、結局その場の流れに任せることにした。
『お前のことだ、ベルクート』
―――うん? どうも自分は感覚がずれている気がしてならない。やっぱり自分に向けられていたのではないか。そんな他人事な考えで、苦笑しながらぼーっと
飛ぶ芳佳。
――――あれ?
『え、エースぅ!?』
『何言ってるんだ。今日は間違いなくお前がトップエースだろうが』
心底嬉しそうにゲルトルートがそう言って、肩を思い切り叩く。まるで最初の頃の美緒のようで、痛いけど嬉しかった。……しかし、今日は自分に出来ることを
最大限やっただけだ。エースと呼ばれるほどの活躍はしていない。さすがに謙虚して芳佳はそう呼ばれるのを断ろうとしたが、だがそれを言った瞬間
全員から酷い猛反発を受けた。
『お前、あんな飛び方しておいて未熟者だぁ!?』
『そ、それじゃ私達はどうなっちゃうのー!』
『貴女という人は本当に!』
『あたしの十発十中スキルでさえエースなんて呼ばれないのに……うらやましいぞー!』
『それを自分から断るなんて……』
『バカダナーお前ー』
『全くだ。ベルクート、お前はアホだ。それでも扶桑のナデシコか』
『あ、アホって……酷くないですかー!?』
『だからエースって言ってるんじゃない。知ってる? 私達ウィッチーズ隊では、撃破数が百を超えるとエースと言われるの』
『は、はあ……百?』
『今回でお前の累計破壊数が百二十ぐらいになったはずだ。見ていた限りではな』
『はー、すごいですね少尉……私もそんな風になりたいなぁ』
『ま、私やウォーリアには及ばないけどねー。うしし』
……TACネームというのは、他人が申請しても通るものだ。つまり本人の意思とは関係なく決められてしまうこともある。今回もその例に漏れず、
芳佳は必死で首を振っているのに勝手にTACネームを決められる運びとなってしまった。今日から、宮藤芳佳のTACネームは『エース』である。
―――意外なところで、もっとも自分がつけたかった名前を手に入れてしまった。全く、世の中不思議なことだらけである。
ふぅ、と一息ついて―――――いきなり、目の前が真っ暗になって飛行不能に陥る。
「!?」
………少しして意識が戻り、カッと目を見開いて高度を戻した。周りから心配されるが、特になんでもないと苦笑気味に答えた。――が、心配性の
ゲルトルートはどうやらごまかせなかったようで。いや、共に同じ速度で飛び続ければ気づくのも当たり前か。
『あんな速度であの渓谷を抜けたんだ。傍から見ればただの基地外だぞ』
『うー……あはは』
『――――それを簡単そうにやり遂げるとは、さすが501の誇るエースだな。だが口から血を流していては、説得力の欠片も無いぞ』
そういえばそうだった。クランクを高速で抜けたあたりから、口から血が垂れていたのだった。内臓が何か一つ傷ついたのかもしれない、帰還したら
病棟へ行こう。それまでは自分で治癒を掛けて応急処置しておけば良いかと結論付けた。
なんだかんだで、ゲルトルートに抱かれて皆と共に帰還する。やがてしばらく行ったところに輸送機を見つけ、降下時と同じく扉から乗り込む。
……ふう、今日は疲れた。さっさと寝たい。
「ご苦労だったな、『エース』」
「なんか恥ずかしいですよぉ、そうやって呼ばれるのー」
「何、私も最初はそうだったもんさ」
「ええ、トゥルーデさんが!?」
「だから前も言っただろうが、私にも新人時代があって当たり前だと」
今でも芳佳の脳内では、ゲルトルート=生まれつきの天才の方程式が成り立ったまま崩れない。ゲルトルートからしたらいい迷惑なのだが、まあそれも
悪いとは思わなかった。相手が芳佳だからかもしれない。
さあ、早く帰ろう。―――芳佳は自分に治癒を掛けた後、そのまま機内で眠りについた。ちゃっかりゲルトルートが膝枕をしていたのは、後々基地内で
大問題に発展することとなるが……それはまた別の話。
「奴ら、やってくれましたな」
「ああ……私達の研究の成果が―――あんな連中を、野放しにしてはならん」
―――――ブリタニア国内で、ストライクウィッチーズへの風当たりが強くなっている。それもそのはず、ウィッチーズ隊が今回破壊した基地は
ブリタニアの―――――。
...to be continued?