木漏れ日
第501統合戦闘航空団、ストライクウィッチーズ。彼女たちが所属するこの基地は、ドーバー海峡に張り出した小さな島でありながら緑も美しい
場所である。その為隊員たちがひっそりと余暇を過ごすには最適な環境にあり、時たま森林浴をしている者も見ることができる。そして中には、
周りが気づかぬうちに『緑』に魅入られている者も少なからず居るようであった。
日が昇り、早朝訓練を終えた芳佳と美緒が隊舎へと戻っていく。丁度同じタイミングでサーニャが帰還し、食堂まで同行していった。この日も
敵襲やその予報は全く無く、また二~三日の間にも予報は無い。ずれ込むこともなさそうで、なんとも平和な一日になりそうであった。その為か、
以前のズボン騒ぎの日と同じく起きてくる人は極端に少ない。食堂に入ると、不満を露にした大尉とそれに付き合う大尉の姿があった。
「全く、どいつもこいつも……」
「まあいいっしょ。アタシだって誰かさんのせいで遅刻しかけたことだってあったし(※『夜の窓辺の暖かさ』参照)」
「ゔ……」
「今日は敵も来なさそうだし、もし万が一来たとしても今起きてるので十分対応できるだろうしなー」
「……ってちょっと待て、あの日結局お前は遅刻していないだろうが」
ゲルトルートが不満を言って、シャーロットがそれを適当にあしらう。そして二人の前には山積みのイモ……、いつも通りの光景だった。
芳佳は挨拶だけすると厨房に入り、バターと自分の分のイモを持ってシャーロットの隣に座る。美緒はゲルトルートの隣で、サーニャは厨房で食して
早々に自室へ撤退していった。
現状、起きているのは芳佳と美緒、ゲルトルート、シャーロット、そしてミーナの五人のみ。残りはまだ寝ているのだろう。ミーナは司令室に篭って
書類と戦闘しているに違いない、美緒は後で手伝いに行ってやろうと決めた。ゲルトルートは相変わらず起きてこない連中に対して悪態をついているが、
もう慣れっこなので皆適当に流していた。が、そろそろ飽きてきたので話題を変えることにする。
「ところで皆さんって今日はどういう予定なんですか?」
「皆つっても宮藤以外だと三人しか居ないけどなー。私はハンガーでぼちぼちかなぁ」
「ミーナが忙しそうなんでな。今日は手伝いに行ってやる予定だ」
「私は少々やりたいことがあるのでそっちに行くつもりをしている」
芳佳は今日、訓練が休みだった。その為誰かと出かけたりなんだりで休暇気分で居たのだが、なかなかそうは行かない。周りの人たちはみなやるべき
ことだらけで、芳佳とスケジュールが合う人などそうそう居なかった。まあ、ストライカーの整備やらなにやらでつぶそうと思えば時間なんてつぶれる
ものだが。そう苦笑気味に話すと、なら私が何か付き合おうかとゲルトルートが提案してきた。流石にゲルトルートにもやりたいことがあるらしいので
遠慮し、気持ちだけ受け取ることにする。
それからぼちぼち各自のスケジュールの時間に入り始めたので、流れ的に解散となった。未だ食事にすら顔を見せない連中が大勢居るのが気になるが、
まあそのうち起きてくるだろう。きっとゲルトルートに絞られるであろう人たちに向けて合掌しながら、芳佳はハンガーへ向かった。
- - - - -
ハンガーでは、しばらくシャーロットと談笑しながら整備をしていた。だが普段から整備班の人たちが入念に手入れをしているおかげで、それもすぐ
終わってしまって手が空いてしまう。どうしようかと迷ったが、部屋に居ても暇なので久々に基地を散策することにした。普段も毎朝ランニングは
やっているのだが、いかんせんランニングゆえ景色がすぐ流れてしまう。ゆっくりのんびり、森の中を歩き回るのも気持ち良いかもしれない。気分転換には
良いだろうと思い至り、いっそそこで一日をつぶそうという結論に至った。基本的に食事の時間だけはタイムスケジュールで区切られているのだが、
厨房の出欠表にチェックをしておけば特に居合わせなくても問題ない。さっさと厨房で印を打つと、おにぎりや簡単な弁当を作って竹編みのバスケットに
放り込んだ。こんなことをするのはどれだけ振りだろうか。芳佳は少し気分が高揚するのを感じながら、水を汲んだボトルを手に外へ顔を出した。
「うっー、日差しがまぶしいーっ」
扶桑の夏は厳しいが、ブリタニアは比較的温暖で過ごしやすいといえる。しかし芳佳がやってきた今年は不運にも熱波が来ているらしく、全体に気温が
高めだ。普段でも夏場は汗をかく程度の気温にはなるらしいが、今年はまるで扶桑の夏と同じほど日差しが厳しい。まあ芳佳としては、扶桑と大して
変わらない気温というとある意味過ごしやすくていいのだが。ただせっかく外国に来ているのだから、それなりに変化があってもいいのではないかという
不満もあるのは事実だった。
「まあいいんだけど」
それでも、気温が高ければその分森の中のひんやりした空気は気持ちがいい。日差しが照っていても、左右に木々が広がっているだけでも随分と気分が
落ち着く。とはいってもやはり日差しが痛いので、早いところ森の奥へ進んでいくことにした。やがて頭上も葉で隠れ、涼しく非常に心地のよい空間が
広がる。ところどころから聞こえる虫の声がまた気持ちよく、歩きながら目に付いた草や花を観察してはまた歩を進めていく。小学校の頃、よく近所の森で
そうやって遊んでいたのをふと思い出した。
「なんだか懐かしいなぁ……みっちゃん、元気かな」
ぽそりと呟いて、まあ美千子のことだから大丈夫だろうとすぐそんな思考を放りやった。余計なことを考えると、逆の結果になってしまうことも少なく
ない。そうして目をやると、また別の草が目に付いた。
この森も誰かが手入れしているのだろう。ペチュニアやラブリーメイアンといったピンク色の花が、目にやさしく映える。奥にもベゴニアなど多くの花が
ちらほらと見え、緑の多い森の中でアクセントとして美しく咲いていた。季節が変わるとまた別の花が咲くのだろうか、こうして落ち着いてみてみると
なかなか美しい『庭』である。芳佳はゆっくりと足元の花や草木を眺めながら、奥へ奥へと進んでいく。日は徐々に高くなっていき、それでも日のあまり
差し込まない森の中はひんやりとして心地よかった。
それから少し進んで、木漏れ日で太陽の光が線になって見える少し開けた場所に出くわした。ここら辺りは来たことが無かったので、気づかぬうちに
大分ランニングコースから外れていたのだろう。流石にこの程度の森で迷子になることはまずありえないので、その辺は心配ないのだが。
美しい木漏れ日は涼しい森に適度な光量をもたらし、そのわずかな日向にはルリマツリが綺麗に咲いていた。……それともう一つ、見慣れたものが
そこにあって芳佳は驚く。
「あ、あれ? バルクホルンさん?」
「ん――――ああ、宮藤……こんなところに人が来るなんて珍しいな」
大木が一本植わっていたので、ゲルトルートはそれに寄りかかりながら木漏れ日の中で本を読んでいた。ルリマツリに囲まれて、時折蝶などの小さな
虫が本の端に留まる。芳佳は珍しいものを見たと興味津々にゲルトルートの側に座り込んだ。
話を聞くと、ここは前から気に入っている場所で他の人はほとんど知らない穴場らしい。一人で読書に耽るには丁度いい場所で、元々ゲルトルートは
読書が好きだとのこと。一時期はよく来て読んでいたのだが、ここ数ヶ月は忙しくてなかなか来れなかった。だが最近はネウロイの襲撃ペースが崩れて
来たことから、逆にシフトから外れている人員の余暇に余裕が持たれるようになった。普段が忙しい分、わずかな時間ながら与えられる休みはできるだけ
ゆっくり休んでもらおうというミーナの配慮だ。ゆっくり体を休めてもらって、次の出撃に疲れを残さない。つまりは、今日はゲルトルートも芳佳と同じく
朝だけのいわば非番状態であった。
「あとここを知ってるのというとサーニャぐらいじゃないか?」
「へー……すごい綺麗で落ち着く場所ですね」
「ああ。この基地で一番良い場所だろうな」
そう言って、ゲルトルートは一旦読むのをやめて空を見上げた。緑がやさしくて、そしてその緑の隙間から見える空が蒼くて。綺麗な頭上は、見ている
だけで心が落ち着いた。
そんなゲルトルートが読んでいる本。今手中にあるのは『姫君の青い鳩』という童話で、横には数冊積まれていた。中には長そうな小説もあったが、
そのほとんどは童話等の手軽に読めるものだった。
「童話、好きなんですか?」
「子供の頃、よく母さんに聞かされてな。その影響だろう」
「へぇ……いいお母さんだったんですね」
「今は生憎、生き別れだがな。まあ、戦争が終わればじき会える」
そう語るゲルトルートの表情は、内容に反して穏やかだった。祖国がらみの話になるといつも険しい表情になるゲルトルートが、かつての記憶について
話しているというのに柔らかな笑みを浮かべている。芳佳にとっては新鮮で、これもちょっとした驚きだった。これほどに、自然というのは人の心を「砕く」
力があるのだろうか。
ゲルトルートのその態度が少し意外だと口にすると、当の本人はまるで自覚が内容でゲルトルート自身も驚いていた。
「……確かに、こんな静かで綺麗な森の中で、祖国奪還だのと騒ぐ気にはならないな。祖国は大事だが、だからといって自然を壊していい道理はない」
「ふふ、優しいんですね」
「そうか? ……お前が言うのならそうなのかもしれんな」
言いながら、ゲルトルートは芳佳の頭を軽く撫でる。芳佳はくすぐったそうにしながら、それでもなんとなく心地よくてされるがままにしていた。
少しして気恥ずかしくなったか手が離れ、そのまま再びゲルトルートは本に目を落とした。一言『読みたかったら自由に読んでいい』と芳佳に言って、
それきり言葉は無くなった。
なんとなくの無口な空白の時間。だがそれは決して居心地の悪いものではなくて、むしろ心の安らぐ落ち着いた時間だった。芳佳はまた散策するか
このままゲルトルートと一緒に読み物に耽るか悩んだが、なんとなく歩き出すのが躊躇われて一番上にあった本を手に取った。少し古ぼけた表紙で、
丸っこい文字で『童話迷宮』と書かれていた。原本はカールスラント語のようだが、これはゲルトルート本人の字だろうか、翻訳された字が直筆で
書かれている。ぺらりと捲ると、色の褪せ始めたページが目に入った。どうやら幼い頃から大事にしていたようで、遊び紙の下のほうには小さく
カールスラント語の文字が綴られていた。数字と文字の羅列の雰囲気から察して、恐らくゲルトルートの誕生日に贈られたものなのだろう。年齢は、
よく見てみると五歳と書かれている。
……思わず微笑がこぼれる。またページを捲ると、妖精と鍵の絵が描かれていて、『童話迷宮』のタイトルが再び書いてあった。優しそうに笑う
妖精は、まるでこっちにおいでと誘っているようだ。次のページから、本編が始まった。
ある日の夜遅く、お姫様は妖精が飛んでくるのを見ました。初めて見る妖精さんでしたが、その手には小さな鍵が握られています。
「おひめさま、おひめさま。明日の近くで、大きな扉があなたを待っていますよ」
そう伝えて、妖精さんはお姫様の周りをひらひらと飛びました。ひらひら、ひらひら。きらきらと光る羽の色は、何色と言えばいいか分かりません。
そんなお姫様の様子を見て、妖精さんはくすくすと笑って言いました。
「なぞいろ(謎色)の羽っていうの。幸せを運ぶと、謎色の羽になれるの」
お姫様はしばらく見とれていましたが、先ほどの妖精さんの伝言を思い出してはっとしました。
「そうだ、私はよばれてるんだ。行かなくっちゃ!」
お姫様は慌てて走っていきます。妖精さんは、お姫様を案内するようにお姫様の前を飛んでいきました。
ですがお姫様は、どこか元気がありません。妖精さんは思いついて、一つのお菓子を取り出しました。
「シャーベットって言うお菓子なの。食べてみて!」
お姫様は、言われたとおり食べてみました。するとそれはとても冷たくて、けれど甘くておいしかったのです。
「ひとさじ食べると、冷たくて甘いの。愉快でしょう」
妖精さんは笑いながら言いました。お姫様も楽しくなって、一緒に笑って元気になりました。
お姫様はそれから、お城を抜け出して多くの場所へ冒険に出ました。山をこえ、川をこえ、森をこえ、妖精さんの導くまま走ります。
「おひめさま、おひめさま。ここが扉です」
その扉は、妖精さんが最初に言ったとおりとても大きいものでした。そこに小さな鍵穴があって、妖精さんの持っている鍵とぴったりです。
お姫様は、ちょっとだけ不安になりました。その扉は大きな大きな教会の入り口で、中には王子様がいるんだと妖精さんが言ったからです。
お姫様は王子様のことが好きでした。でも、小さな時からずっと一緒だったので、言い出すことができませんでした。
ちょっとだけ不安になったので、お姫様はまた元気をなくしてしまいました。妖精さんは心配します。
妖精さんがお姫様の顔を覗き込みます。お姫様は妖精さんを見て、きらきらと光る謎色の羽を見てついに決心しました。
これからどうなるのかは、きっと妖精さんが知っています。『幸せを運ぶと、謎色の羽になれるの』と、妖精さんが言ったのを思い出しました。
お姫様は、妖精さんに向かって言いました。
「鍵よ、未来を見せて!」
妖精さんは笑って、鍵を扉に差し込みました。すると大きな扉は、ゆっくりと開き始めました。そこにはたくさんの人と、そして王子様が居ました。
「がんばって、おひめさま」
妖精さんが背中を押すと、お姫様は王子様の所へ歩いていきました。王子様はお姫様を見て、嬉しそうに笑いました。
お姫様は、恥ずかしそうにしながら王子様に言いました。
「おうじさま、おうじさま。私をお嫁にしてください!」
王子様は笑って、お姫様に口付けをしました。お姫様は笑って、小さなぽっけから壊れたクラリネットを取り出しました。
そのクラリネットは、むかしむかし王子様とお姫様がけんかをしたときに壊れてしまったものです。
お姫様はそれをほうり投げると、クラリネットはお星様になって二人の前で光りました。どうやら、二人の行く先を導いているようです。
「鳴らないならいらないわ!」
お姫様は、王子様と一緒になれたことが嬉しくて、泣いてしまいました。だから、幸せな涙にかなしい思い出はいりません。
「クラリネットはお姫様の気持ちがわかるの。だから、二人の道を明るく照らすの」
妖精さんがお姫様に教えると、お姫様と王子様は手を結んでクラリネットの照らす道へ走っていきました。
気がつくと夜は明けて、朝になっていました。どこまでも続きそうな草むらが、朝の気持ちいい風で揺れています。
お姫様と王子様は、手を結んで走っていきます。
「銀の迷宮でめぐり合える恋人でいて!」
お姫様は、そんなことを王子様に言いたかったけれど、でも恥ずかしかったので言えませんでした。
妖精さんのきらきらと光る羽を、お姫様は銀色と名づけました。だから、迷ってもまためぐり合える、銀の迷宮。
でもやっぱりお姫様は恥ずかしくて、言えませんでした。
お姫様と王子様は、手をつないでまたお城へ戻っていきます。森をこえ、川をこえ、山をこえ、冒険をします。
冒険の中で、お姫様と王子様は、思い出をいくつも作っていきます。
この冒険から、今度はお姫様と王子様の物語がはじまります。でもそれは、お姫様と王子様の、二人だけのひみつです。
さあ、どんな物語がはじまるのでしょうか? お姫様と王子様は、クラリネットのお星様と妖精さんに導かれて、いつまでも二人で一緒に歩いていきました。
一通り読み終わって、ぱたんと閉じる。童話なんて、果たしてどれだけぶりに読んだだろうか。鳥のさえずりが聞こえる中、こうして本を読むのは
心地いい。心が温まるのを感じながら、芳佳はもう一度本に目を落とした。
「なんでクラリネットはお姫様の気持ちが分かったんだろうな」
「え?」
「どうしてクラリネットはお姫様と王子様を導いたのか……。当時の私は、そうやってよく真剣に母さんに聞いたものだ。嫌な思いや辛い思いが後の自分の
ためになると言うのは、その本で初めて知った」
そう懐かしそうに言うゲルトルートの表情を見ていると、芳佳も自分の幼い頃を思い出す。自分はいつ、そんなことを知っただろうか。なんだか、
未だに過去の思い出に引きずられているような気がしてならない。そう苦笑気味に言うと、ゲルトルートはそんなわけあるかと頭に手を置いて優しく
教えてくれた。
父親を失った悲しい過去に囚われ、戦いを恐れていたのが最初の芳佳だ。しかし今ではウィッチとして戦場を駆け回り、父である一郎が芳佳に託した
ユニットで誰かを守るために戦っている。十分、過去の痛みを今の力に変えている。
「そういえばそうですね、あははっ」
「人というのはそういうものさ。だから私も戦える」
「えー、バルクホルンさんなんてそれなしでも十分強そうですよ」
「……それって褒めてるのか?」
――二人はそうして、読書しつつその合間に談笑して時間を潰していった。森の中で穏やかに流れる時間は、とてもゆっくりに感じられた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……ところで」
「んー?」
「バルクホルンさんはお昼どうなさるんですか?」
「特に欠席の連絡はしていないからなぁ、戻るつもりだがー……」
「そうですかー……」
二人とも会話が間延びしているのは、読みながら会話しているからである。
芳佳としてはゲルトルートと一緒にここでゆっくり食事でもと思ったのだが、ゲルトルートは戻るつもりらしい。仕方ないので一人で食べることにする。
量はそれなりにあるので問題ないと思ったのだが、まあ元々食べてもらうつもりではなかった。大分本も時間も消費できてきたのでよしとする。今読んで
いるのは、最初にゲルトルートが読んでいた『姫君の青い鳩』だ。あと一冊ライトノベルが残っているが、これは時間がかかりそうなので後回しに
していた。
「……よし、私はもう戻るが……どうする? 別に置いていっても構わんから、読みたければそのまま読んでもらってもいいが」
「えーと……それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ、好きにすると良い―――?」
去り際に若干疑問符を浮かべていたのが気になったが、まあそれより読むことにしようと芳佳は本に集中した。
- - - - -
しばらくして、絵までしっかり堪能して本を閉じた。時間的にはさほど経っていないだろうが、そろそろ小腹も空いてきた頃だ。読みながら食べると
本を汚してしまうので、ここで一旦区切って食事にすることにした。自分の本ならお構いなしに読みながら食うのだが、流石に他人の本となるとそうそう
それをやる気にはならなかった。
「―――ただいま」
「おかえりなさー……ってあれ? 随分早くないですか?」
「直前だったが出欠表にチェックを打ってきてな。どうだ、ひとつ休憩にティータイムでも」
お盆を両手で支えながら、ゲルトルートが帰ってくる。お盆の上には紅茶のセット一式と菓子類がいくつか乗っていて、加えて少し大きめのショルダー
バッグを一つかけていた。中には本が数冊入っているように見受けられる。丁度よかったと芳佳はバスケットを広げ、木漏れ日の中での昼食会をとることに。
「しかし、まさか宮藤とこんな時間を過ごすとはなぁ」
「私もこんなところに人が居るなんて思いませんでした」
「ここは前から?」
「いえ、今日初めてです」
単に森を散策しようと思っていただけだったが、気がつくとこんなところでのんびりと読書どころかお茶会と随分上品な時間を過ごしている。なんだか
不思議だったが、ゲルトルートの意外な一面も見えたので今日は充実した一日だ。自分の好みだけで作ったランチだったので少し不安だったが、美味しそうに
食べてくれているのを見て安心する。ゲルトルートの淹れてくれる紅茶もなかなか美味で、和食と紅茶という組み合わせではあったがくつろぐには
十分だった。
しばらく話しながら一息ついていると、そういえばとゲルトルートが芳佳に尋ねる。
「宮藤はどうしてここに? わざわざ弁当なんか用意して」
「ちょっと基地内の散策でもしようかなって思ったんです。ほら、私外はランニングコースしか見たこと無かったので」
聞いてゲルトルートはああなるほどと納得し、なら良い機会だし一緒に回ろうかと提案する。本は極端な話自分の部屋でも読めるし、芳佳が読みたい本が
あるなら貸してやるからいつでも読めばいいと妥協案を提示した。芳佳としてはどちらでもよかったのだが、せっかくゲルトルートが提案してくれたものを
ここで無下にするのも勿体無いしゲルトルートにも悪い。お言葉に甘えてと返事して、その場をてきぱきと片付けた。ふと最後に回していたライトノベルに
目が留まって、ゲルトルートが渡してくれたのでありがたく受け取る。これで、部屋に戻ってからの暇つぶしが一つ増えた。
「ああ、そうそう……一つ頼みがあるんだが」
「なんでしょう?」
「……この場所なんだが、出来れば他の人には言わないでほしい。ゆっくり落ち着いていたいんでな」
「任せてください、こう見えても秘密は守るほうなんです」
その前にお前は規律を守れと苦笑いとともに軽く小突かれ、芳佳も苦笑しながら頭をぽりぽりと掻いた。どうも信頼できる友人や知り合いの秘密は
しっかり守れるのだが、規律だのなんだのは守れなくていけない。個人的には、何かをしようと思ったときに足かせになって邪魔でしかないのであまり
守ろうと言う気もしなかった。……そんなことを言うとぶん殴られそうなので口にはしなかったが。後日その考えが元になって戦争が終結に大きく
傾くのはまた別の話である。
他人に教えないことは良しとして、それなら出来るだけ自分も来ない方がいいだろうとふと思う。せっかく見つけた良い場所、自分も使いたい思いも
あるのは事実だ。だが先に見つけたのはゲルトルートであり、何より普段見ることの出来ないゲルトルートの姿がここにある。それを邪魔するのは
気が引けて、邪魔者は消えたほうがいいだろうと結論付けた。
「お前はいつでも来るといい」
「へ?」
「これも何かの縁だろう。全く誰とも共有しないよりは、一人か二人程度なら共有できたほうが嬉しいもんさ。増えすぎると厄介だが」
「そ、そうですか?」
「ああ、また今日みたいに紅茶でも飲みながらゆっくり話そう」
……というわけで許可が下りたので、これからも時間があったら顔を出すことにしようと考え直す。ついでにそういえばと思い出したのでサーニャの
ことを尋ねたが、そう頻繁には会わないが時々居合わせることもあったそうだ。最近はゲルトルート自身が来ていなかったのでなんともいえないが、
以前と変わっていなければたまに会うこともあるだろう。もし顔をあわせたら、三人で茶会も楽しいかもしれない。芳佳はいつかそんな日がくるといいなと
思いながら、ゲルトルートと二人で森の中を回った。
気づくと夕暮れ時になっていて、隊舎に戻る頃には二人ともクタクタになっていた。
- - - - -
「今日はありがとうございました」
「いや、私のほうこそ楽しくさせてもらったよ。ありがとう」
「あの、本はいつ返せば?」
「読み終わるまで持っていればいいさ。無期限貸与、もし終戦までに読み終わらなければ扶桑に持って帰ってもいいよ」
「それは流石に悪いです、そのときは途中でも返します」
つまりは芳佳の自由にしてくれ。ゲルトルートは笑いながらそう言うと、自分の部屋へ戻っていった。
あれから二人は戻ってからシャワーを浴びて、食事のあとはそのままロビーで全員集まって雑談の時を過ごした。今日は割と早い段階で全員が
集まったので、雑談そのものも大分長かった。話の中では今日芳佳が何をしていたかという話も出てきたが、もちろんゲルトルートの件については
触れていない。
そうして一日を過ごして、今はもう就寝時間である。芳佳は程よく熟睡できる程度に疲労を感じられたので、借りた本を本棚に大切に仕舞って
ベッドにもぐりこんだ。今日は、本当に楽しかった一日であった。
その後週一回度程度の間隔で、ゲルトルートと芳佳の秘密の茶会は続いた。終戦を迎えても、二人が国へ帰るまでずっと―――ずっと。
終戦を迎えウィッチーズ隊が解散しても、記念にとその場所には一冊の本が丁寧に包まれて置かれていた。本の名前は―――
――――『童話迷宮』、そしてその下に「銀の迷宮」と追記されている。いつかまためぐり合えると、そう信じて。
今でも芳佳の本棚には、買ったことのないライトノベルがたった一冊だけ置かれている。
fin.