If.<イフ> -ジ・アナザー・ストーリーズ- CASE 01:"Barkhorn"


 ある夜。

 ここはカールスラント――とは言っても、夏でも涼しい。避暑地としては良いのだろうが、逆に冬は寒くて仕方がない。それに夏も、涼しいとは言え
暑いことには変わりない。どこと比べて暑いのかといわれればなんとも答えようがないのだが、日中は汗ばむのが普通だった。ほんのわずかな短い夜に
吹く冷たい風は、昼に火照って疲れた体を休めるには至福とも呼ぶにふさわしい。

 そんな街の、ちょっとした公園。小さな池のほとりに、二人の少女が座っていた。姉妹のようで、姉が妹に膝枕をしてあげていた。姉はそろそろ中学に
進級しようかという年頃で、当然妹はまだ小学生だ。二人で夜空を見上げて、ほんの数時間しか見ることの出来ない夜をその目に焼き付けている。

「きれーだね、おねーちゃん」
「ああ、きれいだ。……いつか、こんな空を飛んでみたいな」

 柔らかい笑みを浮かべる姉。妹の髪をやさしく撫でながら、きらきらと輝く星たちをじっと見つめていた。妹も空を眺めて、しかしその傍らで姉の姿も
その目に焼き付けていた。空に憧れて見上げる姉の顔は、いつもどこか優しくて柔らかい。そんな姉が、妹は大好きだった。

「……いつか私もウィッチになって、空を飛ぶんだ。そしたらクリス、お前にもみせてやる」
「ほんと!? やったー!」
「きっと気持ちいいんだろうなぁ……もし私が飛べたら、クリスもみっちりしごいてやるからな! そしたらクリスも、きっとウィッチの仲間入りだ!」
「うー、それってよろこんでいいのかなぁ……わたし運動苦手だよぉー」

 妹のクリスが、複雑な表情を浮かべる。すると姉はやさしく笑って、妹に大丈夫だよと声をかけた。いつだって私がそばにいるから、きっと苦しいことも
乗り越えられる。辛い運動も、きっとやり遂げられる。―――そう励ます姉の笑みに、妹は満面の笑みで応えた。……とても微笑ましい姉妹の姿。二人は
それから少しして家に帰った。ほとんど白夜に近いカールスラントのこの地域で外が暗くなるというのは相当遅いので、親にこっぴどく叱られてしまった。
それでも、二人きりになると楽しそうに笑う。翌朝、寝坊して学校に遅れそうになったのは良い思い出である。



 それから数ヶ月して、姉は見事にウィッチの訓練生として合格を果たす。彼女は学校を上半期限りで辞め、十月からの下半期は訓練校で基礎訓練に早速
打ち込むこととなった。初めの二日は希望に満ち溢れた若人の笑顔で、それからしばらくは辛い肉体訓練の日々が続く。何度も心が折れそうになって、もう
自分はウィッチになんてなれないんじゃないかと思うこともしばしばあった。だがそのたびに励ましてくれる妹の顔が、姉に力を与えた。そうして地道な
努力を積み重ねること半年、新年度に入るとついに彼女はストライカーユニットによる実技訓練にまで漕ぎ着けた。

「クリス! 明日、初めての飛行訓練が決まったんだ!」
「ほんとに!? おねーちゃんすっごーい! ねえねえ、どこ飛ぶの!」
「あはは、まだ基地の上の低いところを飛ぶだけさ。それでも、ストライカーをついに履けるんだ、わくわくするよ!」

 まるで幼い子供のようにはしゃぐ姉を見るのは、クリスも久しぶりだった。空を飛ぶということが姉にとってどれだけ大きなことか、クリスはこのとき
改めて実感した。

 そして迎えた翌日。姉はついにストライカーユニットに足を入れ、教官の指示に従って滑走路へ向かう。緊張の面持ちで手はぷるぷると振るえ、だが
心はこれまでにないほど高揚するのを感じた。

『行くぞ新人、ついて来い!』
「はい! ゲルトルート・バルクホルン、出ます!」

 ――姉が高らかに宣言する。教官機がぐんと速度を上げ始め、ゲルトルートもそれに続いて速度を上げていく。魔力を注ぎ込んで体勢を整えるだけで、
自分の体が見る見るうちに加速する。なんだか不思議な心地だった。そしてついに教官が地面から離れ、自分も以前教官から教わったとおりに体を起こして
いく。徐々に推力は下向きに変わっていき、ゲルトルートの体はふわりと宙に浮いて―――ついに、ゲルトルートも地面を離れた。

「わ、わっ……」
『はっはっは、フラフラじゃないか! ちょっと動かすだけですぐ反応するからな、気をつけるんだぞ!』
「っと―――こ、こうかっ……?」

 次第に高度は上がっていき、地面から百メートル程度上昇したところで水平飛行に移った。周りは見慣れた街が広がっていて、まるで滑走路がマッチ棒の
ように見える。憧れた空に、ついに自分はやってきた。ゲルトルートは嬉しくなって、両手を広げながらくるくると回り始めた。

「すごい、飛んでる! 私……私、飛んでるぞっ!」
「はっはっはっは! どうだバルクホルン、空を飛んだ心地は!」
「……最高です! ありがとうございます、坂本大尉!」
「はっはっは、訓練はまだまだこれからだぞ!」

 そのときゲルトルートの教官を務めていた、隻眼の外国から来たウィッチ。なぜ片目に眼帯をしているのかは教えてもらえなかったが、ともあれ当時
大尉だった美緒も初めてゲルトルートが空を飛んだのには心底喜んでいた。それもそのはず、美緒もゲルトルートが最初に持った教え子なのだ。

 その日のゲルトルートの初飛行は大成功。美緒の気遣いで、クリスの通う学校の上空も飛ぶことが出来た。よく目を凝らしてみるとクリスが笑って手を
振っているのが見えて、ゲルトルートも自然に笑みが浮かんだ。


 それからゲルトルートは徐々に飛行技術を上達させていった。家に帰ると、親は日に日に開花するゲルトルートのウィッチ適性に喜びながらも複雑な
表情を浮かべていた。ゲルトルートとしては素直に喜んでほしかったが、軍隊であることを考えるとなかなかそうも行かないのは仕方がない。代わりに
クリスがとても喜んでくれたので、何より嬉しかった。クリスはいつか自分も飛ぶんだと張り切って、ゲルトルートに訓練を申し込んだ。ゲルトルートも
それじゃあ約束どおりやってやろうと気合を入れて、自分が教わったようにクリスの体力づくりから訓練を始めた。徐々にクリスも成長していき、やがて
いつしか訓練学校の試験を受けても合格しそうなまでに体力がついて―――。



 そして一九三九年。ネウロイの突然の襲来とともに、平和な日常は消え去った。丁度美緒が扶桑に一時帰還して留守だった時、ネウロイの魔の手は
カールスラントにも及んだ。撤退戦には、まだ銃器訓練を始めたばかりだった新人のゲルトルートも投入された。そこでミーナとエーリカと出会い、
更にそこで――――クリスとの、長い別れのときが訪れる。

 意識不明の重体。あの柔らかい笑みを向けてくれたクリスは、今深い眠りについたまま目を覚まさない。……まるで大事なものを失ったような、そんな
錯覚に囚われた。




 それから三年。ゲルトルートは十八歳の誕生日を迎え、ネウロイとの戦闘も激化の一途を辿っていた。カールスラント空軍だったはずの所属は、いつしか
第五○一統合戦闘航空団、通称ストライクウィッチーズ隊に変わっていた。あくまで出向の形ではあったが、しばしカールスラント軍とはお別れである。
……当たり前だ。ほとんどが占領された国に、多くの軍隊など運営できるわけがない。まだストライクウィッチーズ隊として戦えるだけ、ゲルトルートは
幸せなほうと言えた。




 そうしてゲルトルートは、今日も訓練に勤しむ。守るべき何かを守るため、守れなかったものを取り戻すため。……そんなものが出来ないと、心の
どこかで決め付けながら――ひたすらに自身を磨く日々を続けていた。









   CASE 01:"Barkhorn"
    ――――心を閉ざした一人の姉と、柔らかな笑みの一人の妹。二人の姉妹の、悲しくて切ないものがたり。







「ご苦労だったな、バルクホルン」
「……少佐、いつからそこに」
「はっはっは、気づかないとは注意力が足らんな」
「それ、以前風呂で宮藤に言ってなかったか」
「何? お前、あそこにいたのか」

 驚いたような表情を浮かべる美緒に、ゲルトルートは少佐も注意力が足りないじゃないかとここぞとばかりに反撃する。少し口端を吊り上げてからかって
みたが、お前には似合わないと一蹴されて少しヘコんだ。

 朝の自主練習を終え、ゲルトルートと美緒と二人そろって食堂へ向かう。そろそろ、リネットと芳佳が朝食を完成させている頃だろう。皆降りてきて、
もう食べ始めているかもしれない。納豆を除けば美味しい料理ばかりなので、朝練習などで体力を使った後にはなかなかありがたかった。今度自分も、
お礼に何か作ったほうが良いかもしれない。ゲルトルートはそんなことを考えつつ、隣で似たようなことを考えていそうな美緒におにぎりはやめとけと
助言した。

「……お前、私に喧嘩を売っているのか?」
「は? 何故そうなる」
「大体貴様、元は私の訓練生でありながら態度がデカいんだ」
「はぁ?! 今更何を言い出すんだ、まったく……少佐、なんか悪いものでも食ったか?」

 どうやら美緒の機嫌を損ねたようだ。ゲルトルートはやれやれと肩を竦めながら食堂の扉を開ける。さすがに上官と部下の関係なので、扉は自分が
あけておいて先に美緒を通す。それには美緒も満足したようで、この程度で機嫌が取れるのなら安いものだとゲルトルートは内心一息つく。
カウンタには五種類の皿が並べられていて、色とりどりの料理が盛り付けられていた。フレンチトーストにウィンナー、玉子焼き――なんとも
オーソドックスな朝食で、実に美味しそうだ。

「おはよう、リネット、宮藤。毎朝大変だな、おかげで助かる」
「いえ、私ができるのなんてこのぐらいですから」
「はっはっは、リーネは相変わらずだな」
「坂本さん、朝から元気ですね……」

 リネットと芳佳は食器の片づけを済ませてから食べるとのことだったので、ゲルトルートと美緒は先にいただくことにする。ミーナはもう起きて来て
食べ始めていたが、エーリカは相変わらず寝坊のようだ。起こしに行こうかとも思ったが、腹が減ったので先に食うことにした。いただきますと一言
言って、フォークで突付く。

「流石はあの二人だな、美味い」
「この基地も二人のおかげで大助かりねぇ……なんだか基地の中だけに閉じ込めておくのはもったいないわ」
「お前、自分で規則作っておきながら何言ってんだ」
「そ、それとこれとは別なのよ! トゥルーデだって、クリスに食べさせてあげたいと思わない?!」
「ッ―――そ、それは確かにそうだな、あ、あはは」

 一瞬フォークを落としかけて、何とかつかみなおす。ちらりと視線だけ厨房に向けると、相変わらず洗い物をしている芳佳とリネットの姿があった。
どうやら聞こえていなかったようで一安心である。全くミーナは時々爆弾を投下するから困る、とそんなことを考えながら適当にあしらう。何より
今は食事が美味しいので満足だった。朝の訓練で消費したエネルギーが、また補給されるようである。
 それからしばらく談笑の時は続いて、結局エーリカも起こさずとも自分でおきてきたのだった。

 - - - - -


 - 数時間後 -



「敵襲―――!! 方位二八〇、高度三千……違う、訂正! 方位三四○、高度千です!」
「宮藤とペリーヌは私のところに! リーネとルッキーニはバルクホルンの指揮下に入れ!」
『了解!』

 ゲルトルートと美緒、そして訓練に出ていた芳佳とリネット、ペリーヌにルッキーニの計六名で迎撃にあがる。だが、ゲルトルートは既に違和感に
気づいていた。おそらく美緒も同じのはずである。今回敵の位置を報じたのはいつもどおりミーナだが、ミーナのレーダーがそんな大幅に間違う訳が
ないのだ。誇大評価などではなく、現実的な問題として何かがおかしい。方位も高度も、詳しい情報では速度から飛行経路まですべて違う。一体、
何故こんなに間違うのか―――どこか重要な点は見落としてないか。ゲルトルートは頭をフルで回転させるが、それでも追いつかずついに敵を視界に
捉える。

「敵発見! コアは中央だ、各員中央を狙え!」
『了解!』
「少佐、やっぱり様子が変だ。私は少し距離を置いて様子を見ることにする」
「分かった、頼んだぞ」
「了解」

 手短に会話を済ませ、ゲルトルートはルッキーニに先行させる。リネットには後衛として、エネルギーを充填しているレーザーの発射口を順次
潰させていった。当の本人は何もせず、その代わり周囲の様子や気配にすべてを集中していた。きっと何か間違いがあるはずだ、何が間違って
いるのか、それを究明しなくては―――そうしてゲルトルートが意識を集中していると、かすかに方位二八○のほうにジェットエンジン音のような
ものを聞き取ることに成功する。ゲルトルートはひとまず残りの全員をその場に残し、自身でその反応の方向へ向かった。すると―――

「くそ! 二機だ! ネウロイは二機! こちらで一機捕捉した、この高度じゃ基地に突っ込む!」

 ゲルトルートが手早く説明すると、芳佳も同行するといったん戦線を離脱した。どうやら只者ではなさそうだが、芳佳とゲルトルートならば問題ない。
美緒やミーナたちは自分達の獲物に集中し、新手は二人に任せることにした。芳佳もゲルトルートも、特に気にかけることなく敵へ向かう。
 敵はミサイル型の高速飛行型。速度が出ないと追いつけるか分からないが、改造された二人のストライカーは追い抜けるほどの速力を誇る。

「宮藤、お前は左側を! 私が右側を叩く!」
「了解!」

 二人は息ぴったりで指示の位置につき、敵のレーザーを回避しながらとにかく敵に向けて撃ち続ける。味方が敵を挟んで向こう側にいるのが少々
ネックだったが、壁を貫通できるほどの威力でなければよほど問題はないだろう。ゲルトルートはそう踏んで、最低限弾が流れていかないように
気をつけながらコアを探った。
 だが、マガジンを半分ほど使っても未だにコアは見つからない。だいぶ蜂の巣にしたはずなのだが―――おかしい。

「くそ、どれだけ撃ってもコアが出てこない……」
「こっちも同じく……ダミーでしょうか」
「こんなデカいダミーなんてあるか? ……とりあえず叩けそうなところを全部叩いてからにしよう」

 そういいながらも敵のレーザーは容赦なく飛んでくる。しかし二人の回避は完璧で、こうして話しながらでも片手間で回避できるほど余裕だった。
ゲルトルートはさらに速度を上げて前に出てからノーズコーンを撃ちぬき、だがコアは出てこない。芳佳もどう考えてもありえない尾翼なんかも
撃ってみたが、やはり見当たらなかった。
 となると、残りはひとつ―――エンジンユニットだ。

「あっつあつのコアですかね」
「そんな感じだな……叩き込むぞ!」
「了解!」

 ひらひらとまるで蝶のように空を舞い、敵の攻撃がかすりもせず空しく宙を斬る。敵の周りを回りながら、敵を翻弄しつつ真後ろに着いた。
ここは敵の攻撃がこない反面、ノズルによって熱が溜まりやすい箇所。あまり長くは居られないため、早いところケリをつけたい。ゲルトルートは
二つの銃を同時に構えると容赦なく引き金を引き、弾は熱に押されながらもエンジンを何度となく叩いていく。芳佳もまっすぐ銃弾を叩き込み、
徐々に敵のエンジンが悲鳴を上げて破片を散らし―――見えた、ボイラの中で燦然と輝く真っ赤なコア!

「あれだ!」
「いっただき!」

 咄嗟に芳佳が対応してコアを撃ち抜く。直後ネウロイが白く発光し減速、二人は余裕の表情でひらりとかわして上昇。やがて振り向くと白い破片が
空を埋め尽くしており、その光景は幻想的で美しかった。ともあれゲルトルートと芳佳で共同撃墜、スコアがまた少し伸びた。二人は軽く両手をタッチ
して勝利を分かち合うと、インカムで撃墜を報告した。丁度時を同じくしてミーナたち一行も迎撃に成功。同時に攻めてきた二機のネウロイは、かくして
空に散ったのだった。

 - - - - -

「お疲れ様です、バルクホルンさん」
「ああ、ご苦労だったな。流石宮藤だ、狙いも正確だった」
「そんな、バルクホルンさんほどじゃないですよ」

 帰還後、芳佳とゲルトルートの二人は談笑しながら廊下を歩いていた。一通り報告も済み、今は気ままな自由時間である。芳佳も訓練はあと数時間
先まで入っていないので、しばらくゆっくりしていても問題ない。わずかな休みの時間だったが、わずかであるが故に大切な時間だ。二人はゆっくり休める
ようにと、ロビーに向かっている。

 今日も二人のコンビネーションは抜群だった。二人で一つの獲物を狙って、互いの邪魔やけん制をすることなく効果的にダメージを与え続ける。弱点を
見つけ出すまでの時間を半分未満に短縮し、実際に弱点を見つけてからは攻撃を受けないぎりぎりのところで一気に畳み掛けた。目を合わせずして互いの
意思が分かり合える、完璧なペア。芳佳の技量は確かにまだエースと呼ぶには早いかもしれないが、ゲルトルートの戦力と相まって猛将のような活躍を
見せている。

「流石は私とお前だな」
「ある意味当然といえば当然ですね」

 今まで、美緒とゲルトルートの二人に教導してもらってきた。だが延べ時間で考えれば、ゲルトルートに教えてもらった時間の方が圧倒的に長い。
それに基礎を叩き込んでくれたのがゲルトルートだったため、芳佳にとっては美緒と組むより彼女と組んだほうがよっぽど戦いやすいのだ。ゲルトルートも
また然りで、訓練も含めずっと時間を共にしているため戦闘面でのバックアップは完璧ともいえる。逆に言えばバックアップが必要な分、まだまだ芳佳も
成長の余地があるということだ。

「油断することなく努力を積み重ねることだ」
「了解です」

 ……ゲルトルートはそう言って芳佳の背中をぽんぽんと叩いたが、しかしその一瞬で胸が強く締め付けられるのを感じた。そういえば、随分昔に
まったく同じことをクリスに言ったことがある。……クリスに言ったまったくそのままを、今は芳佳に言う。それがゲルトルートの心の奥底にある
『ゲルトルート自身』には、辛いことに思えたのかもしれない。楽しかった日々は今の彼女にとっては辛くて苦しくて重い過去でしかなく、それと
結び合わされることは単なる重荷でしかないのだ。
 底のないような悲しみに、唐突に襲われる。まったく予想だにしなかったその重荷に耐え切れず、ゲルトルートは不覚にも目じりから涙を一滴零すことに
なってしまう。こんなことでいちいち泣いているなんて、本当にどうかしている。

「バルクホルンさん……? あの、何かありました?」
「いやなんでもない、気にするな、大丈夫だ」
「で、でも―――
「大丈夫だ、心配ない!!」

 まるで何かを振り切るように、ゲルトルートは怒鳴っているといっても過言ではない気迫で言う。それに後悔して、しかしこれ以上言葉を続けると
泥沼にはまる気がしてもう何も言わなかった。代わりに、一瞬で気まずい空気になったこの場から逃げ出すように早足で歩き始める。芳佳はその切り替えに
ついてこれず、「あの」と呼び止めようとするだけで結局ゲルトルートを止めることも叶わない。……それは奇しくも、カールスラントが火に包まれた
あの日の朝のバルクホルン家のようだった。死の危険がある戦場に向かうゲルトルートと、それをとめようとして手を伸ばしたけれど届かないクリスと。
……それが思い起こされて、ゲルトルートはますます足早にその場を立ち去る。芳佳もただ呆然と見送るだけで、伸ばした手を力なく下ろすしか
できなかった。
 ほんのわずかな休みを、有意義に使おうと思ったのだが……どうやら、そうもいかなさそうである。二人は、もう見えなくなった互いの名前を小さく
口にしてからそれぞれの行動に移った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ―――それはまるで、あの日の如く。


 平穏で静かに流れていた時間をぶち壊して基地には警報が轟き、直ちに迎撃機が上がる。前回の出撃からたった三日、このまま戦いが続けば敵の襲来は
毎日にでもなるだろう。それでもウィッチーズ隊にはこれといった切り札がなく、今もやってきた敵を一つ一つつぶしていく以外に方法はなかった。

「高度三千、速度五百―――数百!」
「百……前出てきたキューブタイプと似たようなものだな」
「以前のような人型が出てこなければいいが……」

 ゲルトルートの言う人型というのは数日前に襲来した『人を真似るネウロイ』のことだ。ペリーヌと芳佳が事前申告なしではあったが模擬戦闘を行って
いたため迎撃にまわしてもよかったが、現場のペリーヌの意見で全員が合流してから向かった。結果的に敵の攻撃が思いのほか激しくゲルトルートや
エーリカでさえ苦戦させられたため、ペリーヌの選択とそれに合わせた芳佳は間違っていなかったといえる。
 だが、もしそんなのがたくさんやってきたら。ウィッチーズ隊に勝ち目がないのは明らかで、基地からの撤退時間を稼ぐなんて作戦も考えなくては
ならない可能性も出てくる。折角皆で思い出をいくつも作り上げてきたこの基地、そこから出て行くなんて考えたくもない。ましてや基地に火がつくなど、
もっての外である。

「―――目標発見! 航空機型、中央四十、左三十、右三十! 各個撃破を守り、二人一組で戦え!」
『了解!』

 編隊を組んでいた一行は徐々にばらけ始める。今回は数が数だったので全員に上がってもらっているので、十一人編隊は一人あまりが出てしまう。
技量に優れた人が一人になるべきという暗黙の了解からエーリカが挙手。残りの十人で編隊を組むことになるが、そうなると必然的にゲルトルートと
芳佳が組むことになる。
 ……仲直りは未だできていない。それどころか、顔を合わせると気まずくて日常ではまともな会話すらできていない。任務中の多少の事務的やり取りは
普通にできるのだが、相手の気を使う場面ではどうしても声をかけられない状況だ。

「―――よろしく頼む、宮藤」
「はい、お願いします」
「……どうする? 今まで通り戦うか、戦法を変えるか」

 それは暗に、『一緒に戦うか別々にするか』という二択を示していた。今までのコンビネーションは互いの信頼があることが絶対で必要不可欠だ。今の
この状況でそうやすやすとできるものではなく、歯車がかみ合わなければ互いが互いの邪魔になる。そうなるぐらいなら、個々で戦って自分の背中は自分で
守ったほうがよっぽど安全で戦いやすい。あいにく今のゲルトルートに、芳佳と一緒に戦ってうまく戦える自信はなかった。
 ――そしてそれは、芳佳も同じ。

「今日は分かれましょう……」
「……了解。すまんな」
「こちらこそ」

 二人は気まずげに目を合わせてから、少しずつ距離を離していく。接敵寸前で美緒がちらりと振り向いた際にそれが見えたのか、今まで互いのフォローに
入る形で戦っていた二人が別々になっているので少し驚いていた。ただ何かの考えがあってのことだろうと、美緒も特にそれについては言及していない。
―――ともあれ、これから大空中戦の始まりである。一行は気合を入れなおすと、眼前まで迫った接敵に備える。

「まもなく散開する。全機安全装置を解除、交戦に備えよ!」

 美緒が声を上げる。前方には、遠く小さく輝く光点。全員が同時に安全装置をはずし、今か今かと美緒の散開の指示を待つ。一秒が一分に、一分が
一時間に感じられる時間の中―――ついに。

「全機散開! 交戦を許可する!」


 ―――戦いの火蓋が、切って落とされた。



 各ペアがそれぞれロッテを組んだまま散開していき、その中で芳佳とゲルトルートは一人ずつで散っていく。芳佳は左翼側(向かって右側)、
ゲルトルートは右翼側(向かって左側)を狙う。やがて光点がゆっくりと黒点に変わっていき――――刹那、二人は同時にシールドを展開!
直後にシールドを何度もレーザーが叩き、二人の動きを一瞬止める。しかしほんの一瞬の攻撃では足止めにもならず、シールドを解除すると即座に銃口を
敵に向ける。ヘッドオン状態、叩きやすい今の内にできるだけつぶす!

「当たれ――――!」
「食らえッ!」

 芳佳の九九式二号二型改、十三粍が火を噴いた。山形の軌道を描きながら弾は敵の編隊へと吸い込まれるように飛び―――タイムラグの後、敵の編隊から
いくつか白い雨が降り出す。その数一、二、三……どんどんと墜ちていく! 芳佳は攻撃の手を緩めず、敵とすれ違う寸前まで撃ち続ける!
 ゲルトルートも自身の得物を両手に構え、その射線を見据えて引き金を引く。二丁の銃から7.9mm弾丸が無数に飛び出していき空を駆け、やがて空は
真っ白な破片を散らしていく。――――とにかくここで落とさなければ後で不利になる、今落とせる限り落とす!!

 だが敵も馬鹿ではないらしく、ある程度撃墜したところで一気に散開。適度に散ったところで二人は敵編隊とすれ違い、それより手前からスプリットSの
機動をはじめていた。敵の後方、次の攻撃チャンスは振り返ってから敵がばらけるまでのごくわずかな時間―――せめて二機は落とす! 芳佳のA6M3aが
火を噴いて出力を爆発させ、一気に反転。まだ体が慣性で流されているうちに、照準を安定させて引き金を引く! まるで発光するかのように弾は飛翔し、
手前にいた数機に容赦なく襲い掛かる! 計五機いたその場の敵機は気づくと一機にまで減っている――上等だ。芳佳はその一機を追いかけつつ、ちらりと
ゲルトルートのほうを目線だけ見やった。

「大丈夫かな……って!?」

 一瞬の油断。その隙を敵は逃さず、芳佳にレーザーが迫る! 咄嗟にシールドを展開しガード、サイドステップで回避してから襲い掛かってくる敵の
コクピット部分に弾をぶち込む。弾はそのまま装甲を貫通してコアをぶち抜き、すれ違いざまに散っていった。

「危ない危ない……気をつけないと!」

 芳佳は再びA6M3aの出力を爆発させ、一気に加速。敵の三機編隊の群に食らいつくとその隊長をなす機体に鉛玉を容赦なく叩き込む! 敵機は破片を
ぼろぼろと落としながら火を噴き、やがて白く散る。それを確認するなり残りの二機が散開していくが、許す芳佳ではない――! 左側にいた機体に狙いを
定めて撃ちながら、体は右側にいた機体を追う。そして追いつくと、芳佳はおもむろに――――高度を急降下、敵機に対して強行着陸に出る!

「ハッ、背中ががら空きだよッ!!」

 重量物の落下音。空中で聞こえるはずのない鈍い音が轟いて、ネウロイの軌道が一気に変化する。まるで突っ込んだような着陸をした芳佳、しかし怪我は
ない。そのままさらに出力を上げて機体の上を移動しながら、なおも照準はもう一機を狙う。さすがに二つのことを同時にしながらの射撃はうまくいかないが、
十分牽制はできている。このまま――――!

「食らえッ!!」

 いつの間にかコクピット部に移動した芳佳はストライカーに魔力を叩き込んで大きく振り上げる。そしてそれを、何の容赦もなしにいきなり力の限り
振り下ろし――――!!!!


 金属がはじけるような鋭い音が鼓膜を襲い、それと同時に敵機のコクピットは圧壊。その内側にあったコアまで弾け飛び、芳佳が乗っていたネウロイが
真っ白に発光―――刹那、A6M3aのエンジンが唸りを上げる! 芳佳の体は空中に舞い戻って加速し、真後ろでネウロイが爆発―――空に散る。近接格闘、
ゲルトルートに教わった技術は伊達じゃない!
 芳佳はその勢いのまま、先ほどまで牽制していた敵機に直撃を食らわす。数発当てたところでコアが出現し、そのままコアにも直撃弾。三機編隊をこれで
壊滅させた。

「―――次っ」

 転進して次のターゲットへ。芳佳はもう一度ちらりと振り向いて、ゲルトルートの姿を確認する。……大丈夫だろうか。一言謝って仲直りして、互いの
背中ぐらいは守れるようにしておいたほうがよかったか……そんなことを考えながら、しかし今は戦闘中。芳佳は再び気合を入れなおすと、正面に向き直った。

「え?」




 ―――――視界が真っ赤に染まり、目の前に人一人分は飲み込めそうな熱線が迫った正面へ。




 悲鳴と爆音が、ミリにも満たない時間を置いて戦場の空に轟いた。


 If.<イフ> -ジ・アナザー・ストーリーズ-
   CASE 01:"Barkhorn" #02
    ――――心を閉ざした一人の姉と、柔らかな笑みの一人の妹。二人の姉妹の、悲しくて切ないものがたり。



「くそッ!! 救護班、滑走路で待機しておけ!!」
『すでに展開済み、到着し次第搬送可能です! 治療準備もできています!』
「なら……ッ、くそ!」


 何かを言いたくて、でも何もいえない。畜生、なんでこんなことになってしまった。悔しさが滲み出て、もう言葉にならなかった。



 悲鳴が空に轟いて、爆音が耳を劈いて。ゲルトルートは咄嗟に振り向き、一瞬で絶望した。そのとき彼女の視界に映ったのは、赤く輝くレーザーに
芳佳のストライカーが丸呑みされている光景―――味方が、大事な家族が撃墜される瞬間だった。
 扶桑海軍の誇り、A6M3aは無残にも爆発して空に散る。破片が光を反射して輝き、皮肉にもネウロイと同じく輝く破片を撒き散らす美しい光景を
生み出していた。ゲルトルートは直ちに戦闘を中断して芳佳の身を回収、周囲で自分たちを狙っているいくつかを散らすと全速力で基地へ向かった。

 現在、速度は時速七百キロにまで達している。だが視界に映る基地はなかなか大きくならない―――気持ちだけが先走って、早く帰りたいのに帰れない
もどかしさにさらに焦る。

「くぅ……」
「宮藤! しっかりしろ、宮藤ッ!!」


 芳佳の負傷は、目も当てられないほどだった。ストライカーの爆発に加え、鉄でも土でも溶かしてしまうほどの強烈な熱線に触れかけたのだ。足の皮膚は
完全に焼け爛れて原型がなく、爪も抉られたようにひしゃげている。血液も相当の量が蒸発していた。ようやく心臓からなけなしの血が供給されてくるが、
焼け落ちた皮膚の断面からただ漏れ出るばかりで意味を成さない。ただ焼けているだけでも吐き気がしてくるというのに、その焼けた皮膚がさらに鮮血に
染まっていく。―――ずっと一緒にいた仲間が、家族が、妹分が。……こんなことになるなんて。

「ごめん、なさい……ご、ごめん、なさいっ……」
「何を謝っている、お前は何も悪くないだろう!? いいから今は体力を使うな!!」


 ……あとは私に任せろ。言ってやりたかったが、とてもゲルトルートには言うことが出来なかった。ようやく滑走路に進入というところ、時間はもう大分
経ってしまっているはず。ゲルトルートは減速する間も惜しくて、速度を落としながら無理矢理地面にストライカーを叩き込んだ。強行着陸である。
 滑走路が隆起し、ストライカーが悲鳴をあげ、足がガタガタと振るえ、火花が散り、破片が散り、火が吹き――――。多少減速したとはいえ六百キロ超の
速度を地面にぶつければ、当然その力は相当のものになる。ゲルトルート自身も足が死にそうになるが気合と魔力でカバーし、目の前で救護班の人たちが
衝突を避けて逃げていく。くそ、何故とまらない、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ―――!!!

 滑走路を過ぎ、もうハンガーに突入するかしないかというところ。ようやく止まれそうな速度にまで低下すると、ゲルトルートはストライカーの膝後部を
切り離した上でストライカーを脱いだ。一瞬足がもつれるが、何とかたたらを踏んで転ばずに済む。救護班はまた戻ってきていて、後は芳佳を渡せば処置室まで
一直線である。

「―――よろしく頼む……!!」
「急げーッ!! 早く動くんだ、走れッ!!」
「道を空けろーッ!!」


 ……担架に乗せられた芳佳は見る見る小さくなっていき、建物の中に消えていく。喧騒とともにやがてゲルトルートの視界からは無くなり、残ったのは
虚無感と絶望、自身の無力と後悔ばかり。その場に膝から崩れ落ちると、四つん這いの形で頭を垂れた。……悔しさや悲しさ、自身への憎しみの涙が
止め処なくあふれてくる。
 一体自分は、こんなところで何をやっているのか。芳佳のために、今まで何をやってきたのか。……この戦いで、自分は芳佳のために何が出来たか。
ゲルトルートは溢れてくるいろいろな『モノ』に耐えることもできず、ただずっと泣き続けた。その陽が傾いて、景色が色を変えるまで……。



「……トゥルーデ」
「!?」

 いきなり声をかけられて、ゲルトルートは肩を震わす。今はぺたりと尻から座り込む形になっていて、ずっと地面を見つめながら芳佳のことばかり
考えていた。そういえば先ほどまで何かが炎上していた音がしていたが、聞こえない。もう燃え尽きたのだろうか。

「……フラウ……」
「滑走路、ダメになっちゃったね。ま、直せるモンだから直せばいいからそう大したことじゃないけど」
「……すまない、私がもっと落ち着いていれば」
「やっぱり。トゥルーデはいつだってそうやって自分で抱え込む。ダメだよ、そういうの」
「……私のせいだ」

 芳佳が墜とされたのも。滑走路が使えなくなってしまったのも。自分自身がこんなにも苦しいのも。全部すべて、まとめて自分が悪いのだ。他の人に
非なんて、どこにあるのか。ゲルトルートは自分に責任を転嫁することで、他の人との人間関係なんて気にしなくて良いという一種の逃げ道に
迷い込んでいた。『お前のせいだ』と他人に責任を押し付けるよりはマシという考え方も出来るが、『自分に責任を押し付けている』という意味では
どちらも大差の無いことである。
 今のゲルトルートには、言われても理解できぬことだったが。

「……宮藤、大丈夫かな」
「今までどおり、あいつの背中を守ってやれば……私がちゃんと守ってやれれば、こんなことにはならなかったのに」
「そんなこと言ったって……ううん、やめとく」

 エーリカは説教を始めようとしたのだろうが、ゲルトルートの負担になると気づいたのかやめた。ゲルトルートとしては、一人きりになって全部
投げ出してしまいたい。説教というのは未来に繋げるための忠告であり、そんなものは投げ出すには余計なものだ。今のゲルトルートには、もう何も
要らない。
 ……ようやく頭を上げて、エーリカと目を合わす。口で言っている以上に心配そうな顔に、ゲルトルートも少しだけ驚いた。

「……そういえば、お前はどうしてここに……」
「もう戦闘は終わったよ。あたしだけ、トゥルーデの様子を見に先に帰ってきたの」
「そうか……すまない」
「ところでそこに転がってるのってトゥルーデのストライカー?」

 エーリカが指を指すのでそちらに顔を向けると、無残に燃え尽きた黒い塊が文字通り転がっていた。ころころと、風にあおられて回っている。それは
よく見てみるとFw190Dで、さらによくよく見てみればゲルトルートの使っていた6型のプロトタイプだ。……強行着陸して、その結果ストライカー
ユニットも燃えてしまった。暫く空は飛べなさそうである。……芳佳が見たらなんて言うだろうか。もう、何をどうすればいいかなんてまったく
わからなかった。
 エーリカは、傍にいて手を握ってやれと言う。しかし自分に、そんな資格なんてないんじゃないか……そんな気がしてならなかった。そもそも
これは考え方如何の問題ではなく事実として、芳佳とゲルトルートが別々に戦う方を選んだ元々のきっかけはゲルトルートだ。あの時あんなに
邪険に怒鳴るようなことが無ければ、今でも笑っていられたかもしれないのに。

「……私が悪いんだ」
「はあ、こりゃ重症だね……大丈夫だよ、宮藤ならきっと―――
「すまないフラウ……もう、一人にさせてくれ」

 今は、誰とも話す気にならない。いろいろなものが頭の中でぐるぐると回って、様々なものが混ざり合って。もうぐちゃぐちゃで、何が正しくて何が
間違っていて何が悪くて何が原因で―――何もわからなくなっていた。人と話したって、余計にそれが混ぜっ返されるだけだ。一人でぼうっとしていたい。
 ……普段のゲルトルートではそんなことまず言わないため、それを見てエーリカも幾分か驚いているようだった。それでようやく今のゲルトルートの
状態を理解したか、エーリカは気まずそうな顔を浮かべながら去っていった。

「……トゥルーデ、元気になってね」
「それは宮藤に言ってやれ」
「……あいよ」

 それからエンジン音が聞こえてきたので、ゲルトルートは一時的に滑走路から姿を消した。暫く様子を見て、誰もいなくなった頃を見計らって再び
戻ってくる。……滑走路の最先端、いつだか芳佳とリネットが座って話し込んでいた場所にゲルトルートも座った。陽はさらに落ちて、そろそろ夜陰が
ちらちらと見え隠れしている。こんな時間に戦場から帰ってくれば、いつもなら風呂や飯が恋しくなるのだが……今はそのどちらも余計だった。
 ……地平線をずっと見つめる。だが、だからといって何か分かるわけでもない。

「……休もう……」

 ゲルトルートは頬に手を当てると、それを支えに仮眠の体制に入った。考えても考えなくてもぐるぐるといろんなものが交錯する、だったらいっそ
そんなものが無い世界へ逃げてしまえばいい。精神状態が最悪なのは自分でも気づいているので、『眠る』とは言っても本当に眠れるかは不安だった。
だが思いのほか疲れていたのか、あっさりと眠りに落ちた。……果たして、夢の中では幸せに笑えるのだろうか。ゲルトルートは、暫くの間動かなく
なっていた。

 - - - - -



「――――ん」

 ふと気がついて、目を開ける。いつの間にか空は真っ暗になっていて、冷たい風が涼しい。見渡しても当然誰もいないので息をひとつついてから、
両手を天に伸ばして体をリラックスさせる。一瞬、なんでこんなところでこんなことをしているんだろうかと思って―――すぐに思い出す。今日は
最悪な一日だった。
 それから少しずつ、今日起こったこと、今日思ったことを整理し始めた。これまでにあったこと、それが絡んでくること、今日あったことの原因、
理由――――ひとつひとつ、ゆっくりと結び合わせていく。
 だがそれも長くは続かず、結局のところ自分が悪いんじゃないかという結論に至って投げ出した。考えれば考えるほど原因が自分にあると思えて、
それが自分の首をどんどんと締め付けているようで苦しくなる。

「……」


 ふと空を見上げた。星がいくつも輝いていて、綺麗だった。……まるで幼い頃のあの日のようだ。懐かしい、そんなことを考える。そういえば
あの頃はよくこうやって見上げて、クリスと笑いあっていたものである。
 ……クリスと、よく笑っていたものだ。本当に――――。
 そう思っていると、扶桑の諺でなんと言うか忘れたが今一番会いたくない人がやってきてしまう。車輪がきしむように回転する音が聞こえて、ああ
これは車椅子なんだなと見なくても分かってしまった。……なんて言えばいいのか、ぜんぜん分からない。何を話せばいいのか、何を謝ってどうすれば
いいのか、ひとつも分からなかった。

「……宮藤……」
「空、綺麗だね」

 それは今までとは違う、とても親しみのこもった話し方。今までの日常の、『大尉と軍曹』の話し方ではない――まるで友達のような。一瞬それに
ゲルトルートもたじろいだが、逆に助けられたようで心がすっとする。もういっそこのままでいいかと、ゲルトルートは肩の力を抜いた。……それから
何をいえばいいか分からなくて、でもとにかく芳佳がこうなってしまったことに関しては自分の責任である。何はともあれ、とにかく―――。
 謝ろうと口を開けようとしたが、芳佳が先に声を出したのでやめた。

「……もう飛べないって。魔力の供給がうまく出来なくて、無理矢理やると足に負担がかかりすぎて壊死するって」
「――――すまない、私のせいだ。本当に……なんて言っていいか」

 目の前で腹を割って死んだほうがいいんじゃないかと本気で思えるぐらい、悔しくてつらくて苦しくて恨めしかった。何故自分は、芳佳をこんなにして
しまったんだろうか。なんであの時、あんな一言で二人の間に溝や亀裂を作ってしまったのだろうか。どうして、それから仲直りしようとしなかったの
だろうか―――。すべてが自分の責任に思えて、ゲルトルートはどんな言葉を使っても芳佳には赦してもらえないだろうとさえ思った。体中の力が抜けて、
もう何でもよくなる。

「……なんで謝るの? 今日のは単に私が余所見しただけで、私が自爆しただけだよ」

 まるで分からないという風で芳佳が尋ねてくる。これは一種の尋問だろうか、それとも拷問か。いずれにしろゲルトルートとしては逃げ道が無いので、
一つ一つ言っていくしかなかった。そうして自分自身の責任を改めて知って、どん底に叩き落されるわけか。……希望の見えない思考では、そんな暗くて
真っ黒な考え方しか出来なかった。
 ……まず一つ、あの日あんなことを言ってしまったこと。これがきっかけで全部の歯車が狂いだしたのだから、誰から見てもこれが原因であるのは
明らかである。あれが無ければ、今日だって一緒に戦って互いの背中を守りあって余裕で勝てたはずなのに。それに、どうやらこの一件以来どうも芳佳の
元気が無かったと聞く。あの『きっかけ』で、芳佳からずいぶんとたくさんのものを奪ってしまった。活力、精神、力、そして『翼』……。
 次に、それを解決しようとしなかったこと。自分がきっかけで起こったことなのだから、自分からけりをつけなければならないはずだったのに。それを
『声がかけにくいから』と遠く逃げて責任から目をそらして、その結果がこれである。目も当てられない、自分自身が殺したくなるほど恨めしい。仲直りが
きちんと出来ていれば、たとえ一時は道を踏み外してもまた一緒に手を取り合えたはずだったのに。
 他にも戦闘中にフォローできなかったこと、治療の場にも立ち会ってやれなかったこと、自身の無力……なんでも思いつくものを上げて、自分が原因で
こうなったんだと言い連ねた。……その度に胸が苦しくなって、いっそ消えてなくなってしまいたくもなった。

「……なんでそうやって自分を責めるかな」
「事実だから―――今まで、事実から目を逸らし続けた結果がこれだ。だから本当のことと向き合わないと――
「今言った中で本当のことなんて、ほんの一握りしかないよ」

 ……芳佳が、そうフォローする。それでもゲルトルートには、自分がやってきたことの積み重ねの結果にしか思えなかった。首を傾げてやまない
ゲルトルートについに痺れを切らしたか、芳佳がぽつぽつと話し始めた。

 確かにあの日にゲルトルートがいきなり態度を変えたのには驚いた。いきなり怒られるとは思わなかったので、どうすればいいか分からなかった。
だがいずれにしろ、あれで関係が悪くなってしまったのは事実だ。ならばどちらが原因とかどちらの責任とかそういうのは関係なしに、どちらかが何らかの
形でアプローチしなければならなかった。また一緒に笑いあいたいと心から願うなら、理由なんて関係なしに歩み寄れるはずだ。……それが、今回は
どちらも手を伸ばさなかった。それは確かにゲルトルートにも非はあるが、それと同様に芳佳にも非がある。芳佳がそのとき受身であったのは事実だが、
だからといってずっと受身で居ていい道理など無い。本当に関係を正したいと思ったら、近づくべきだったのだ。それが出来なかったのは、芳佳もまた
弱い人間だったから。
 戦闘中にフォローできなかったことも、無力だったことも、敢えて責めるのであればすべて二人とも等しく責められるべきものだ。一人だけが背負って
もう一人が手ぶらでいいなんて、それこそおかしな話である。そもそも今回芳佳が撃墜されたのは芳佳がゲルトルートの様子を見ようと余所見をしたのが
直接の原因であって、そのほかはあくまで間接的な原因でしかない。確かに『それが無ければ撃墜には至らなかった』だろうが、だからといって『それ
だけが理由』というのはまったくの間違いなのである。いくら間接的な原因があったとしても、芳佳が前を向いて敵の攻撃に気づいていればきちんと対応が
出来たはずなのだ。つまり簡単に言えば、『撃墜された』という一つの事実だけを挙げてみれば自業自得である。

「だから謝らないで。何も悪くないとは言わないけど、だからって一人で抱え込むことはないんだから」

 ……芳佳がやさしく笑う。ゲルトルートは意表を突かれたようで、そして今までずっと胸中を渦巻いていた悩みや苦しみが元々無かったように消えていった。
無意味に自分を追い込んで、自分に責任を押し付けて。それがどんなに意味の無いことか、自分はもしかしてそれをどうにか立証したかったのではないか。
芳佳がそうなってしまってはいけないので、それを説得するために無意識のうちにそれを求めていたのかもしれない――。芳佳を大事にしすぎて、その
想いがあまりに強すぎて、自分に背負いきれる限界を超えてしまっていたのではないか。だからきっと、それらが自分に跳ね返ってきてすべて負担になって
しまっていたのだろう。それを無意識のうちにやっていたのだから、ゲルトルートもなかなか危ない人間である。
 まったく、この女は恐ろしい。自分では気づかなかったことを、するすると紐を解くように理解させてくれる。ゲルトルートはようやく芳佳のほうを
振り向いて数時間ぶりの顔を見て、そして少し驚いた。……あの芳佳の独特の髪が崩れて、今はまっすぐに下ろされている。こうして見るととても綺麗な
髪で、そして遠く見覚えのある姿だった。特徴的な前髪が目に映って、その姿を目にして――――ゲルトルートはまるで釘付けされたように視線を外せなく
なった。


「……そうでしょ、『お姉ちゃん』」


 芳佳が、ゲルトルートにそう言った。風が吹いて、ゲルトルートとおそろいの『右に大きく跳ねた前髪』がゆっくりと風に靡いた。


「……そう、なのかな。いや、そうなんだろうな」
「昔からの悪い癖」
「ああ、すまない、どうも抜けなくてな……ありがとう、『クリス』」


 ゲルトルートが、芳佳に向かってそう言った。

 いや、正確には少し違う。

 ……車椅子に座ったままのクリスに向かって、言った。

「やっぱりお前にはそのほうが似合う」
「えへへ、ありがと。私もお姉ちゃんとお揃いがいいな」
「はは、なんだか懐かしいな」

 それからクリスがせがむので、ゲルトルートは彼女を一度車椅子から降ろして横にした。頭を自身の膝の上に乗せて、膝枕をしてやる。……何年ぶり
だろうか、こんなことをするのは。そういえば以前やったときも、こんな星空の綺麗な夏の夜だった。
 ゲルトルートがクリスの頭を軽く撫ぜると、クリスも気持ちよさそうに目を細める。本当の名前を呼び合えるのが、こんなに心躍るものだなんて。
そう思うと、過去の傷跡が蘇ってくるのは仕方の無いことかもしれない。

「……すまんな、クリス。私が無力なせいで、お前には辛い思いをさせている」
「名前のこと? 気にしないで、これはこれで気に入ってるの」
「そうか、ならいいんだが……本当にすまない」

 ゲルトルートが、安心したような困ったような複雑な表情を浮かべる。それを見たクリスが右手を伸ばして、ゲルトルートの左頬を暖かく包んだ。
冷たかった体温が徐々に戻ってくる感覚で、暖かくて心地がいい。ゲルトルートは冷えた心が少しずつ充実していくのを覚えて、またクリスの頭を
撫でて微笑んだ。そうするとクリスも嬉しそうに笑った。

「私ね、子供の頃はお姉ちゃんが笑って撫でてくれるのがすごい好きだった」
「そ、そうか?」
「うん。今もまたこうやって見れると、すっごい嬉しいな」

 そう笑うクリスを見ていると、ゲルトルートも嬉しくて笑みがこぼれる。空は星が煌いて綺麗で、涼しい風が吹いて。凡そ六年ぶりに、二人は夜空を
見上げた。今までここを飛んでいたのかと思うと、無性に楽しくなって仕方が無い。

 カールスラントが炎に包まれて撤退戦になったあの日。クリスは炎に飲まれて倒れそうだったところを、ブリタニアの兵士に助けられた。何とか街を
抜けて安全なところまで避難したのもつかの間、クリスにウィッチとしての適正があると分かるなりブリタニア軍はクリスを軍で匿った。やがて軍の
命令でクリスは諜報員として活動するようにと命ぜられ、優秀なウィッチやストライカーを輩出している扶桑皇国に宮藤芳佳として飛ばされる。暫くは
義母達と共に幸せな日々を送っていたが、軍からの命令である以上それだけでは生きていけなかった。結局、ブリタニアがうまく仕向けたおかげで美緒が
スカウトにやってきて、気がつけばストライクウィッチーズの隊員である。
 それからはウィッチーズの内情を定期的にブリタニアに連絡するよう言われていたが、その諜報活動そのものを実はミーナと美緒には知らせてある。
つまり『ブリタニアに情報をリークしている』という情報をウィッチーズ隊にリークしていたのだ。二重スパイ、というやつである。その為、報告しても
困らないような情報ばかりがブリタニアに漏れ、その中にスパイスとして実際の軍備関係の話を盛り込む程度に抑えられていた。新型ストライカーが
配備されたと報告しておいて、実際はシャーロットとルッキーニが調整したストライカーが音速を超えただけだったなんてこともあった。これはこれで
なかなか面白い日々で、それなりに楽しんでやっていた。
 しかし、芳佳とクリスが同一人物であることは未だ本人とゲルトルートの二人しか知らない。二重スパイであるというのはあくまで『宮藤芳佳』として
であり、クリスティアーネ・バルクホルンは公には病院に居ることになっている。

「……ねえお姉ちゃん」
「うん? どうした?」
「昔みたいに、また歌うたってよ」
「……またいきなり恥ずかしいことを言い出すなぁ」

 急に言われて歌えるようなものではない、と返したがクリスは歌ってくれないと赦さないとここで耳が痛いことを持ってくる。言葉に詰まった
ゲルトルートは、やむなく流されるがままに歌うことになってしまう。
 ……六年前は互いにまだ子供だったからよかったものの、今はもう成人もその視野に見えてきたというのに。ゲルトルートとしては恥ずかしかったが、
まあたまには妹の我侭を聞いてやるのも悪くない。クリスの頭を撫でながら、ゲルトルートはゆっくりと歌いだした。

『黄昏時に 燃え立つ空は まるで――』
「~♪」

 ゲルトルートもまだ幼かった頃、親がよく弾いてくれた曲。学校の行事で演劇をやると言われたときに、簡単なミュージカル形式を最後に入れようと
盛り上がった結果詩をつけて使ったものだ。歌うのもゲルトルート自身ということで緊張したが、本番で一度も間違えずに歌えたのは最高の気分だった。
後で家族や友達がみんなで喜んで褒めてくれたのは本当に嬉しかった。それからたまに、クリスにせがまれては歌うこともあった。今でも歌詞は完璧に
覚えていて、いつだって歌える。
 ……あの頃は本当に楽しかった。

『――幕が開き物語始まる さあ目指すのは 幸福な結末――――』


 戦いの果てに、幸福な結末など果たしてあるのだろうか。ゲルトルートは疑問に思いながら、それでも……きっとそれがあると信じて。その想いを、
今この歌に乗せて。

 夕食時の基地に、ゲルトルートの歌声が響く。クリスは終始、満足そうにしていた。

 - - - - -

「……やっぱりいい歌だね」
「久しぶりだなぁ……なんというか、感覚を忘れてしまったよ」
「嘘。すっごい上手かったよ、前よりずっと」
「そりゃあ、あれから六年も経てばな」

 笑いながら話す。だが……そろそろ時間も時間なので戻らなくては。ゲルトルートもようやく落ち着いてきて腹が空いてきた頃だ、時間的にもちょうど
ぴったりなので行くことにする。クリスを抱きかかえて再び車椅子に座らせると、壊れた滑走路のうちまだ生きている端のほうを歩いていく。
 ……そしていい加減話さなくてはいけない、現実的な問題。

「……飛べなくなって、お前はどうする?」
「私は別になにも。昔お姉ちゃんがはじめて飛んだとき、学校の上を飛んでいくのを見たのは本当に嬉しかったから……お姉ちゃんが飛んでくれていれば、
私は満足だよ」
「そうか……。仕事はどうする?」
「ミーナさんとか坂本さんの手伝いとか、観測手とか、整備とか……何とか探して、ここに残れるようにしたいなぁ」

 そう語るクリスの顔は、決して穏やかでは無かった。その雰囲気からして、ゲルトルートもなんとなく察する。……まもなく、戦況は大きく動き出す。
クリスの撃墜という一件を通して、敵と味方というものがはっきりと分かれるはずだ。誰が敵で誰が味方か、それがはっきりする。そうなった時、クリスは
どうするのだろうか。どうすれば最善なのだろうか――――そんなことを考える。具体的に言えば、ブリタニア軍が行動を起こしたときにクリスはどう行動
するべきか。
 すると顔に出てしまっていたか、クリスが苦笑気味に言った。

「……出るよ。私がきっかけになってみんなを巻き込んだんだから、私が行ってケリをつけてくる」
「その足でか?」

 足が死のうとなんだろうと、それによって多くの人が救われるならそれほど嬉しいことは無い。自分が犠牲になって世界が平和になるのなら、喜んで
犠牲になってみせる。……それが宮藤芳佳、ひいてはクリスティアーネ・バルクホルンという人だ。昔からそんな気があったのでゲルトルートも今更
とやかく言ったりはしないが、やはり大事な妹なだけに怪我もなにもしなければそれが一番だった。

「一個我侭言ってもいい?」
「言わなくても分かるし私もそのつもりだが、まあ一応聞こう」
「えへへ……」

 クリスの考えそうなことなど一発で分かる。それに、ゲルトルートとしてもまさかクリスを一人で行かせたりなどするものか。飛べば足が死ぬと言われて
いるのに一人で行かせれば、ストライカーも使えなくなって墜落するのは目に見えている。そんなことを許せるほど、妹を粗末に扱う姉ではない。今では
たった一人の、身近にいられる血のつながった家族なのだ。ミーナや美緒たちももちろん『家族』だが、それとは別に血のつながった姉妹である。それを
守るのは、姉として当然の義務だ。

「……一緒に、来てくれる?」
「勿論だ。お前のためならどこへでも行くさ」
「ありがとう、お姉ちゃん。大好き」
「そ、そういうのは……んんっ」

 一度咳払いをして、恥ずかしそうにしながらゲルトルートも言う。

「……私も大好きだ、クリス」
「えへへっ」

 二人は嬉しそうに笑いながら、ハンガーへと入っていく。……さて、ここからはクリスは宮藤芳佳軍曹だ。最後にゲルトルートは名残惜しそうに頭を
撫でてやると、それきり二人はいつもどおりの関係へと戻った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 食堂に入ると、丁度リネットが食器を並べているところだった。表情は硬かったが、それでも多少は笑みを浮かべる余裕もあるようだ。エーリカや
ミーナに至っては何も心配ないと言わんばかりにいつも通りにしていた。

「遅れてすまない」
「心配をおかけしました、すみません」

 ゲルトルートと芳佳の声がして、みんな一斉に振り向く。それがあまりに全員一致していたので二人とも一瞬たじろいだが、元気そうな芳佳の姿を
見て安心したようだった。リネットが駆け寄ってきて大丈夫かとしきりにたずねているが、大丈夫だからと芳佳も苦笑気味。ゲルトルートがリネットの
頭を軽く撫でてやると、顔を真っ赤にして止まってしまった。

「おーい、リーネちゃーん?」
「……リネット?」
「は、はわわ!? なな、なんでもないです、はひっ!」

 ……慣れていないのだろうか。リネットは走って厨房に戻ろうとしたが、どこからどう見ても危険だった。いいからとゲルトルートが言って、二人が
厨房に入っていく。芳佳も運ぶのを手伝うつもりなのだが、それこそ無茶だとリネットやシャーロットが止めようとする。……どいつもこいつも心配性だ、
普段からこれだけ仲間のことを想ってやればもう少し規律もよくなるんだが。そんなことを考えながら、大丈夫だと手を挙げながら余裕で言う。現に
芳佳は、常に座った状態で移動できる利点を生かして膝にも食器を置いて運ぶ気満々である。

「あああ、危ないよ!?」
「だから大丈夫だってば……悪いのは足だけだから。足はバルクホルンさんが居るから大丈夫だから」
「お前達は座っていろ」
「……バルクホルン、それあたしらの台詞なんだけど」

 ともあれ食器は一通り並び、夕食の団欒のときが始まる。結局芳佳も足の処置は無事終了し、車椅子ならば自由に動き回れるまでになった。まだまだ
制限は多いとはいえ、日常生活に困らない程度の怪我で済んでよかったものである。おかげで他の部分は元気で居られるので、食事中も他の人といつも通り
話していた。そうして元気にしていると皆の心配も吹っ飛んだようで、ルッキーニやエーリカからは『心配かけさせておいて元気じゃないか』といつも通り
セクハラもされる。これはあまり嬉しくないが、まあたまにはいいのかもしれない。

 風呂も、ゲルトルートとリネットの手助けによって普通に入ることが出来た。周りの人の補助は必要だが、逆に言えば補助があれば日常生活には
困らないで済みそうだ。空を飛べないことは何よりの痛手だが、まだ普通に生活できるだけでも良しとする。ちなみに夜は、正式にゲルトルートの部屋で
寝ることに決まった。リネットが多少不服そうにしていたので、昼間だけでも一緒に居られるようにと配慮することにする。
 そして部屋に二人きりともなれば、他からの監視の目は無い。部屋の中だけは、肩の力を抜いてゆっくりと休むことが出来る。

「……ふぅ、今日は疲れたな」
「お姉ちゃんの場合気疲れじゃないの?」
「うぐ……お前、そういうのは思っても口にしないものだぞ」
「えへへー、だってお姉ちゃんだもん」
「なんだそれは……」

 苦笑しながら、いつも通り服を脱ぐ。それを見てクリスが昔からそうだと不思議そうにしていたが、自分にとっては風習化してしまっているので
なんとも言い様がなかった。まあクリスが迷惑がっているとかいうわけでもないので、さっさと全部脱いだ。クリスに関しては幼い頃から互いの体は
よく知っていたので-特にゲルトルートはクリスが小さい頃はよく世話をしていた-、裸でも別に恥ずかしいとは思わなかった。
 かくしてゲルトルートのベッドに二人で入り込んで、就寝のときを迎える。クリスがゲルトルートの胸元に顔をうずめて気持ちよさそうに笑い、
ゲルトルートも口では仕方ないなと言いつつも頭を撫でてやった。どうやらまんざらでもない様子である。まさに姉妹水入らず。とはいっても二人とも
クタクタだったので、睡魔に抗うことなくさっさと眠りにつくことにした。

 ――――明日は良い一日になってほしい。そんなことを、心から願わずにはいられない夜だった。なんとなく、『明日』が分かってしまったからこそ。

 二人ともそろってそんなことを考えながらの就寝だった。


 If.<イフ> -ジ・アナザー・ストーリーズ-
   CASE 01:"Barkhorn" #03
    ――――心を閉ざした一人の姉と、柔らかな笑みの一人の妹。二人の姉妹の、悲しくて切ないものがたり。


 悪い予感はたいていいつも外れない。時折、自分の予想が忌々しいとさえ思える。エイラにも負けない未来予測能力だ、とそんなズレたことを
ぼんやり考えながら、ゲルトルートは廊下を走る。傍らには――





 翌朝。ゲルトルートが何か違和感に気づいて目を覚ますと、ごそごそと動く少女の姿があった。寝ぼけ眼でじっと見ていると、やがて目が合う。
そこにいたのは最愛の妹。しまったといった顔になるクリスに、状況がつかめないゲルトルートは首をかしげながらも笑いかけた。

「ごめんね、起こしちゃった?」
「……ああ、でも問題ない」

 頭をくしゃりと撫でると、クリスは気持ちよさそうに目を細めた。布団をぱさりとどけて起床すると、思ったより寒くて一瞬身震いする。だが
それが気のせいだとすぐに気がついて、過ごし易い気温じゃないかと首をかしげた。なぜ自分は今、身震いを起こしたのか―――ああ、そういえば
『今日』は『今日』か。ゲルトルートは半ば当たり前のようなことを確かめて、それから下着を着けながら窓の外を見やった。クリスのほうも、
自分で車椅子に乗り移れたらしく窓際で外を眺めている。眼下では自主練習に励む美緒の姿があって、クリスは遠い目でため息をついた。
 ……さて。今日一日、平和に過ぎることはまずありえないだろう。

「お姉ちゃん」
「うん?」
「……今日はよろしくね」
「ああ」

 分かりきったかのように返事をするゲルトルート。上着を着ながらクリスの頭をわしゃわしゃと撫でてやって、外を見やる。この蒼い空が、猛獣の
ような牙をむくのは果たして今からどれぐらい経ってからだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、何をするでもなく二人はぼうっと外を
眺め続けた。まるで今しか見られないかのように、ずっと、ずっと――。

 やがてファンファーレが鳴り響いて、二人は現実に戻ってくる。最後に互いの本当の名前を呼び合って抱き合うと、そこからは二人は大尉と軍曹に
切り替わった。宮藤芳佳軍曹の一日が、今日も始まる。

 異変を感じ取ったのは、昼食が終わってまだ日の高い午後二時ごろ。ミーナや美緒がせわしなく動き回って、基地上層部にあわただしさが見え隠れ
してきた。その正体に気づいたゲルトルートと芳佳は、顔を引き締めた。隣ではリネットがゲルトルートとともに芳佳の車椅子を押していたのだが、
二人の気迫に気づいてたじろぐ。

「え、えと、二人とも、どうしたんですか?」
「ん? ああ、なんでもない。気にするな」
「強いて言うならミーナさんたちどーしたんだろってぐらい」

 適当にあしらって、『それより』と話題を元に戻した。それでもゲルトルートと芳佳はずっとミーナや美緒たちに視線を向けてばかりだったので、
リネットはどうしようかと心の中で右往左往していた。だがその心配も間もなく必要なくなる。

『――――緊急警報発令! 緊急警報発令! 出撃可能なウィッチは全機出撃! 方位を350に合わせて空中待機せよ!!』

 ……ついに来たか。ゲルトルートは芳佳を安全なところに避難させてから行くからとリネットを先に行かせると、芳佳―――クリスと二人きりで、
廊下に立ち尽くした。

 - - - - -

「……立てるか?」
「うん、大丈夫。魔力でなんとか」

 クリスはゆっくりと立ち上がって、ふらふらしながら足の状態を確認する。……魔力がこもっているから何とか立てるものの、やはり足は使い物には
なりそうもない。ゲルトルートが支えてくれて、それでようやく直立できる。まあ空に上がってしまえば後はストライカー次第なのでどうにでもなる
だろう。足はなくなってしまうかもしれないが、それで世界を救えるなら十分である。
 ともあれ、一刻を争う事態だ。ゲルトルートはクリスを抱えると走ってハンガーへと向かい、その間にクリスは髪型にちょっとした小細工を加えた。
まだいつも通り後ろに跳ねた特徴的な髪型を形成しているが、果てさていつまで持つものか。クリスはくすくすと笑いながら、ゲルトルートに連れられて
ハンガーへたどり着いた。互いの間に会話はほぼ無かったが、不思議と退屈もしなかったし心は落ち着いた。さて、出撃である。

「それじゃ、行こうか、お姉ちゃん」
「ああ。行こう、クリス。初めての『二人』の空だ」
「……うん!」

 それはきっと、最初で最後。クリスがクリスとして空を飛べる、そして芳佳としても空を飛ぶのは最後となるはず。だがそれでもかまわない。二人は
互いの手をぐっと握り締めて、胸を張って空へと飛び出した。離陸すると同時にゲルトルートはクリスの身を抱えて、編隊へ急ぐ。二人で飛んでいては
サーニャ辺りに一発で気づかれてしまうから、抱いて飛んだほうが気づかれにくい。そんなちょっとした仕込である。
 ―――嵐が、少しずつ近づいてくる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「バルクホルンだ、すまない、待たせた」
「―――遅いぞ、何をやっていた!」
「ちょっと荷物を届けにな」

 そう答えるゲルトルートの口調は、どこか含みを持っていた。それが何となく気になって美緒が振り返ると、そこには信じられない光景があった。
―――A6M3a。美緒も装着しているストライカーを身に着けた、宮藤芳佳。それがゲルトルートの腕の中に、すっぽり収まっていた。あまりに驚愕
して、しばらく言葉が出ない。
 その間に、事態が進んでいった。

「大丈夫か?」
「な、なんとか」

 その会話で、全員が振り向く。――聞こえるはずの無い、宮藤芳佳の声。だがそれを耳にして、更に一行が振り返って目にしたものは美緒と同じ。
そこを飛んでいるのは先日撃墜されたばかりの宮藤芳佳そのものだった。そして一度でも空を飛べば、足が壊死して切断を余儀なくされてしまう容態の
はず。それが胸を張って堂々と飛んでいるのだから、言葉を失っても無理は無い。
 それに対して怒りの咆哮をあげたのは、当然とも言えるミーナだった。

「……命令違反です! 宮藤芳佳軍曹、直ちに帰投せよ!」
「誰だ?」
「宮藤芳佳って、そんな人はここにはいません」

 だがしれっととんでもないことを言って知らん振りをするゲルトルートと芳佳。流石にこれには美緒も平常心を維持し損ねたか、怒気を含んだ声で
無線に向かって吼えた。

「ここは遊び場ではない! さっさと帰れ!!」
「だから宮藤芳佳などこの空には存在しないと言っている。なぜ聞こえん?」
「ならそこを飛んでいるのは――――」


 誰だ。美緒はそう言おうとして、だが今度こそ目を見開いて本当に何も言えなくなった。ミーナも揃って、口をあんぐりとあけて『あ』も言えない。
風に煽られてか、いつの間にか芳佳の髪型は崩れて大きく変化していた。どちらかと言うと、『セットした髪型が天然に戻った』と言ってもいい。
そこにいたのは、ミーナも実際に見た事のある―――クリスティアーネ・バルクホルン、ただその人だけ。ミーナが会った当時に比べれば背も大きく
伸びて、髪型を変えるだけで誤魔化せるほどに容姿は変わった。
 芳佳は――――無線に向かって、猛々しく言った。

「こちらクリスティアーネ・バルクホルン。出撃停止処分を受けていないため空に上がって参りました。これより姉の指揮下に入ります」
「ゲルトルート、これより敵地へ侵攻する。援護は頼んだ」

 勝手に話をつけると、二人はブーストを炊いて一気に一行を引き離していく。しばらくの時を空けて正気に戻ったミーナと美緒が、大急ぎで二人の
後を追った。それにあわせて他のウィッチ達も出力を上げて、吹っ飛ばしていく。……予想外に予想外が重なって、事態は混迷を極めている。ただ、
ミーナの中では少し理解が出来る内容でもあった。理由も無しにブリタニアが芳佳の引渡しを要求するとも思えなかったので、今回のブリタニア空軍の
軍事行動には聊か疑問があったのだ。だがなんとなく、それが晴れた気がする。

「前方の二機を大急ぎで追います! 各機、出力全開!!」
「我々の任務は、出撃してきたブリタニア空軍の侵攻を阻止することだ。詳しいことは前方二機のほうが詳しそうだ、私たちは二機の援護に回る!」
『了解!』

 詳しい話を聞きたいのは山々だが、生憎今は一秒たりとも無駄に出来ない緊急事態。事情を知っているゲルトルートとクリスに任せる以外、方法は
無かった。

 現状、ブリタニア空軍がウィッチーズ隊に向けて大編隊で接近中である。彼らは宮藤芳佳を引き渡せ、さもなくば基地に対する殲滅作戦を開始する、
そう言って無線を遮断した。まるで意図の分からない要求であったが、基地を爆撃されるわけには行かない。理由も無く大事な仲間を引き渡すわけにも
行かなかったので、ミーナとしては交渉とそれが決裂した場合にはブリタニア空軍機を全機撃墜する覚悟であがってきたのだ。
 敵がこうした行動に出てきたのは、芳佳……クリスが撃墜されたのが原因だ。空を飛べないウィッチに需要が無いように、空戦の詳細なデータが
手に入らない諜報員は必要ない。ブリタニア空軍はそうしてクリスを回収して、社会的であれ物理的であれ抹殺するつもりでいた。だがそれをクリスや
ゲルトルートが見抜いたことから、作戦は失敗に終わろうとしている。それどころか、大損失さえ想定できる状況だ。

 ブリタニア空軍は、機密漏洩等を避けるためになんとしてもクリスを確保したい。ところが肝心のクリスが最強のエースである姉を引き連れて
上がってきてしまったので、まずそこで頭を抱えざるを得ない。更にクリスとゲルトルートは、戦争を拡大させるようなこんな行為に手を出した
ブリタニア空軍本部に対する奇襲と殲滅を考えている。クリスは当然ブリタニアでネウロイ研究が行われていることは知っていたので、ネウロイの
一番の大元となるコアがブリタニア空軍本部基地に保管されているという事実も知っていた。これを破壊すれば、すべてのネウロイは司令塔を失って
活動継続が不可能に陥るはずである。そうなれば戦争も終焉を迎え、平和な時代が訪れるはずだ。ならばそれを行わない手は無い。
 場所を知っているのは、ウィッチーズ隊の中ではクリスだけだ。だから最後の最後までゲルトルートが後について援護して、止めはクリスが
最悪は命と引き換えてまでネウロイコアを破壊する。文字通り命がけ、しかし人一人の命どころかもっと多くの命を捧げても対価としては十分な
戦果が期待できる。クリスは、最良ならば両足を失うだけで済むという好条件を飲まずにはいられなかった。
 そこまでブリタニアが把握しているかどうかは別だが、ブリタニアの戦況が予想より悪くなっているのは明らかだ。物量的には明らかにブリタニアの
優勢であることに変わりは無いが、憂いが多くなるのは敵からすれば決して嬉しいことではない。

「こちらブリタニア第百八戦闘機隊。宮藤芳佳軍曹は直ちにブリタニア空軍へ帰還し、本部の指示に従え」

 ブリタニアからの無線が、全員のインカムに入る。だがクリスもゲルトルートも一言も返事をせず、仕方が無いので皮肉がとっても大好きで上手な
ミーナが相手をせざるを得なくなった。

「あら、こちら第501統合戦闘航空団、こちらに宮藤芳佳なんて兵士は存在しませんが?」
「……従わない場合、命令違反としてストライクウィッチーズ隊に対する報復活動も検討せねばならない」
「あらあら、ずいぶん物騒なことで。人事異動に対する命令違反が基地に対する爆撃だなんて、今まで聞いたこともありませんわね」

 ミーナがいけしゃあしゃあと答えて見せると、ブリタニア空軍の連中も少しずつ頭に熱を上らせはじめる。これはいい調子だとミーナは手ごたえを
つかみ、更にヒートアップさせていく。今までブリタニアの空の防衛を成功させてきたのは九割ほどがウィッチーズ隊であったのに、ブリタニア空軍に
このスコアを維持できるかどうか。最初に突っ込んだ点はソレで、次は味方に対する攻撃を行った場合の処罰、首相の意思と反する活動に対する責任、
仕舞いにはミーナまで報復がどうのと言い出した。
 それらでついに頭がカンカンになったか、ブリタニア空軍の総大将は引渡しなどどうでもいいかのようにウィッチーズ隊の全滅を命じた。爆撃編隊も
いるらしく、基地への爆撃準備も整えているようだ。

「全く、短気ねぇ」
「誰のせいだ、誰の……」
「まあいいわ。先頭二機はこのまま直行、残りのウィッチーズ隊でブリタニア空軍を相手にします。全機、交戦準備!!」

 ゲルトルートとクリスはいかに敵の包囲網を突破するかを考えるのに必死で、支援に回る残り九機の戦友たちの身を案じている余裕は無い。対して
ミーナたちもこれと言って有効な戦略は考えておらず、二人が本部を撃破して帰ってくるまでなんとしてでも防衛線を死守するという『目的』しか
浮かんでこない。それでもゲルトルートとクリスがかなりの勢いで飛ばし更にそれに味方が追随していると言う構図上、双方の距離は見る見るうちに
縮まっていく。
 そして、ついに『刻』は訪れる。それは唐突に、クリスから飛び込んだ。

「敵編隊を視認!! ざっとみて戦闘機百以上、爆撃機二十以上……相当こちらのことを警戒しているようです!」

 ……普通に戦ったら、あっけなく負けて終わるだろう。というか爆撃機二十機以上って、対空砲火も備えていない基地に対して一体どれだけ戦力を
割いているのやら。ともあれこちら側の絶望的なまでの劣勢は確かなようで、ウィッチには劣るものの機動性の高い戦闘機群に高性能な爆撃機の機銃
砲座――それらを相手にして、果たしてどれだけ戦えるか。弾薬も限られている上にエース一人と背中を預けるには十分な仲間一人が乱戦の中から
抜けるとなると、九機で出来ることは本当に限られているようにしか思えない。
 それでも。戦わなければ、明日は無かった。

「……間もなく接敵します。全機、準備はいい?」
「作戦はどうするんだ? そんな数を相手にするんじゃ―――」
「笑わせないで、そんなものあるわけないでしょう」

 冷や汗を垂らしながら、ミーナが苦笑気味に言った。あのミーナでさえこれだ、全員は一気に気を引き締める。前方ではついにいくつかの閃光と
爆発、煙が姿を現し、ゲルトルートとクリスが交戦状態に入ったのが確認できた。
 慌てて美緒が眼帯をはずして状況を把握し、そして引きつった笑みと大量の冷や汗を流しながら報告する。

「―――敵戦闘機百三十五、爆撃機三十二。あのバルクホルンと宮藤の二人がかりで戦って、二人の被撃墜が秒読み段階だ」
「……ちょっと待てよ、ソレって
「全機出力全開!! どんな遠距離からでもかまわん、とにかく撃て!! 二人に戦火を集中させるな、拡散させろ! 急げ!!」

 ――シャーロットが顔を真っ青にしながら言おうとして、かぶせるように美緒が叫んだ。半ば悲鳴にも近かったが、言い終わる前にすでに全員が
出力を上げていた。……美緒が見たのは、三十機に追われるゲルトルートと四十五機に上下前後左右から撃たれるクリス、更に上空から悠々と
二機以上の二門以上を備えた機銃砲座で狙い済ます三十二機の爆撃機だった。残りの五十を超える戦闘機隊はこちらに向かって全速力で向かって
来ている。……ゲルトルートとクリスは、このままではあと三十秒も持たないだろう。この状況では、クリスを宮藤と呼んでしまうのも無理は無い。

「くそ……ッ、どこに避ければいいッ!!」
「シールド張っても後ろが……ああ、もう……横も上も下も―――逃げ場がないいいいいい!!!」 

 続いて無線に飛び込んでくるのは、大量の弾丸が空を切り裂いて豪雨のように降り注ぐ音。そしてそこに混じる、ゲルトルートとクリスの焦りと
絶望に満ちた言葉の数々。言葉が聞こえてはしばらく止み、また少しのときをあけて言葉。撃墜されたのではないかと冷や冷やしながら一行が
ようやく戦場にたどり着いたとき、すでに五十機超の戦闘機が編隊を取り囲んでいた。エイラやミーナ、エーリカの指示でなんとかここまで被弾せず
たどり着いたものの、ここからどうすれば良いかなんて全く見当もつかない。撃墜されるのを待つ以外に、今出来ることなどあるのだろうか。

「とにかく味方のケツに食らいついている敵機を叩き落せ!」

 美緒の切羽詰った声が無線に飛び込み、それから全員が無口になってひたすら引き金を引き続けた。この乱戦の中にあってサーニャのフリーガー
ハマーはすさまじい威力を誇り、一度の攻撃で十機近くが火を吹いて落ちていく。しかし一番の難点はフリーガーハマーの装填数がたった九発である
ことだ。一応予備の弾薬も持っているが、すべてあわせても十五発。早々に撃ち切ってしまうと、後が無い。特に今までなら緊急時はゲルトルートから
一丁借りると言う手も無くは無かったが、今回はゲルトルートは一番前に率先して突っ込んでいかなくてはならない。そうなると二丁とも揃っている
必要があったので、借りることも出来ない。
 リネットの狙撃で多少はなんとかなるかとも思っていた美緒やミーナだったが、冷静に考えればこんな場所で落ち着いて正確な射撃なんてできる
ハズがない。たとえゲルトルートでも、あんな連射率が低い上に馬鹿デカくて重たいライフルで空中戦なんて無理だ。先ほどから命中弾は無く、
落ち着いて冷静に構えようとしても戦闘機隊が邪魔で仕方が無い。何とかエーリカ達に追っ払ってもらっても、上空の『航空艦隊』からの攻撃が
凄まじ過ぎてとても構えられたものではない。エイラの先読み能力も、こんな乱戦の中では活きるはずが無い。エイラ本人も今までに無いほどスコアを
あげているものの、落とせど落とせど数は減らない。たとえ一人が十機撃墜したとしても百十機、爆撃機も含めればまだ五十七機もいるのだ。そんな
状況で全員が全力を出し切れないこの現状、誰もが死を覚悟しながら戦っていた。
 ――――だが、転機は訪れる。

「――――抜けたッ!!」
「こちらバルクホルン、包囲網を突破しました! 私たち二機はこれより全速力で戦域を離脱、そのまま敵本部基地へ急行します!」

 『バルクホルン』。二人を固く結ぶ絆、その名前。二人が突破できただけでも、ウィッチーズ隊の目的は半分達成されたと言っても過言ではない。
残る目的は『生き残る』、ただこれに限る。二人の突破口を開かなくてはならなかったところが、自分や味方の生存だけを考えて戦えばいいのだ。
先より気は楽といえる。まあ、大して変わっていないと言えばそうなのだが。

「お前らが帰ってくるまで戦いは続くんだからな。さっさと帰ってきてくれよ!」
「当たり前だ!」
「行って来ます!」

 シャーロットの後押しを背に、二人はぐんぐん加速していく。何機かがこっちに追撃しようとしてきたが、あまりに速度差がありすぎてか諦めて
戻っていった。おそらくは本部の対空砲火辺りにつぶされるとでも思っているのだろうが、果てさてそんなことがあり得るのやら。わずかに得た休息の
時を、クリスとゲルトルートは互いに抱き合ってそれぞれの体温を確かめ合うことで消費した。死ぬつもりなどさらさら無いが、世界は思っても見ない
方向に転がることも少なくない。互いの温度を、これでもかと言うほどに感じあって。

「……おねえちゃん」
「うん」
「愛してる」
「私もだ、クリス」

 世界で最も仲良しと言われれば納得してしまいそうな、仲睦まじい姉妹。二人は最期になるかもしれないこの瞬間を思って、相手への親愛の気持ちを
表すために。
 ……ほんのわずかな間、口付けを交わした。

 - - - - -

 ブリタニア空軍本部基地。ウォーロックと呼ばれる部隊の所属するこの基地において、最重要防衛対象とされているのは他でもないネウロイコアで
あった。この地から生まれ育ち、やがて人類から名を与えられるまでに成長した殺戮兵器―――怪異、またの名を『ネウロイ』。その力をもって
すれば、世界をその手中に収めることも可能な世界で最凶の『物質』。今やネウロイの研究はネウロイとしての活躍のみならず、現代兵器との融合は
おろか近未来兵器とされたジェット駆動戦闘機や人型戦闘機械の開発に着手できるまでに至っている。ここまでの実験はすべて順調、それどころか
ガリアはともかくカールスラントをはじめとする欧州の半数以上を手に入れると言う予想以上の戦果を挙げているのだ。それを、こんなところで
阻止されてたまるものか。なんとしても守らねばならんと、ネウロイコアを用いてまで防空設備を整えている。

「ターゲットはこちらに亜音速で接近中。間もなく観測所から視認できる距離に侵入します」
「対空兵装の用意は」
「問題ありません、すべて完了しています。首相にはどう説明しましょう?」
「撃ってきたのは向こうだ。適当に言っておけ」

 ……首相はストライクウィッチーズ隊に対して友好的だ。それどころか、ネウロイに対して徹底抗戦の構えまで見せている。ネウロイによる世界
掌握を企むブリタニア空軍にとっては厄介な存在だが、極秘裏に進めているこの計画には彼の支援が必要不可欠だった。首相にすら極秘で進められて
いるこの計画は、新鋭機開発という名目の下投入されている莫大な税金を用いなくては存在し得ないのだ。首相には適当なモデルにネウロイコアを
突っ込んだ、実戦投入はおろか飛行試験にすら使えないようないい加減なものを飛ばして見せて満足させている。流石はネウロイコアなだけあって、
航空力学など全く考えないいい加減な設計であるにもかかわらず縦横無尽に空を駆け巡っているのだから素晴らしい。これには首相も大満足らしく、
ブリタニアの誇りとまで言ってのけた。まさかネウロイコアが使われているとは露知らない首相を見ていると、空軍の人間からすれば笑いのタネで
ある。

「ここまでいいように利用させてもらった。それをここで頓挫させるわけにはいかんのだ」
「全防衛部隊へ、なんとしても二機のターゲットを撃墜せよ。生かしておくな、殺害しろ。脳天か心臓にその炸裂弾をぶち込んでやれ」
『了解』

 ネウロイなどという人類の敵を量産する部隊に、慈悲も何もあったものじゃない。計画の邪魔をするものは全て障害、全て跡形も無く消し飛ばす。
光を失った瞳はすでにヒトと呼べるものではなく、私欲に目を眩ませたケダモノと言うにふさわしかった。これを相手にするというのだから、クリスも
ゲルトルートも正気かどうか疑わしいものである。
 ……戦の結果はどうなることか。決戦は、この時点で静かに幕を開けていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 まずは対空兵器群を超低空から侵入して破壊し、なんとかネウロイコアを人為的に操作している証拠を表に出させる。具体的に言えば、敵の防衛用
レーザー砲台を稼動させる。ブリタニアの空軍基地からネウロイと同様のレーザー攻撃が発射されたともなれば、それは世界的な大問題に発展する。
この時点で、自分たちが撃墜されても問題ない体制が整う。ここから更に敵のレーザーを回避しながら懐に飛び込み、内部へ侵入。敵兵士を蹴散らし、
ネウロイコアまで突入する。内部構造を知っているのはクリスだけなので侵入はクリスに頼み、ゲルトルートはコアから最寄の場所――屋上から、
建物を破壊してクリスの脱出路を確保する。大体の流れはそんなところだが、何しろ敵が未知数すぎる。想定外の事態が発生しても、冷静に対応する
他無かった。

「クリス、最後に一言言っておく」
「なに?」
「―――死ぬな」
「お姉ちゃんもね。基地でまた、今度は生還の喜びを分かち合おう」

 それは暗に、もう一度―――生きて帰ったら、互いの存在を確かめるための接吻を交わそうと言っていた。本来口付けは親愛の念の表現であり、
そこに性は関係ないものである。それをよく理解しているゲルトルートは、強く頷いて両手の銃を打ち合わせてかちんと甲高く鳴らせる。……生涯を
たがえぬと約束した証に金属を打ち鳴らす、契約のしるし。『金打』――美緒から教わった、扶桑の昔の慣わしだ。

「一緒にいよう」
「うん!」

 クリスは嬉しそうに笑って、そして前に向き直る。徐々に見えてくるのは敵の航空基地、そしてたった二機のウィッチを相手にオーバーキルとしか
言い様が無いほどの大量の対空兵装。それらを見やって、でも不思議と戦うことに対する恐れは沸かない。それよりも人に銃を向けることのほうが
聊か恐ろしかったが、不思議とそれも沸かない。少し考えて、どうしてか理由が分かった。分かるとあっけないもので、クリスは姉のゲルトルートが
眼をちらちらと落ち着かないように動かしている間にセーフティロックを解除する。それからようやくゲルトルートの落ち着きの無い様子に気づいて、
どうしたのかを声をかけた。

「……生身の人間を相手にするのは初めてだ」

 さっきのは対航空機だったので、多少の怖さは打ち消せた。というより自分が文字通り冗談抜きに死にそうだったのでひたすらに必死だった。だが、
今度はそうも行かない。対空兵器を狙えば、そこにいる人間が視界に入るのは必然だ。つまり人間に向けて銃を放つことになる。流石に対人戦は
ゲルトルートも経験が無いので、手が竦んで動かない。
 そんな彼女を見て、クリスはゲルトルートの肩に手を回しながら言った。

「大丈夫だよ。お姉ちゃんなら出来る」
「……そうかな」
「――――『あれ』は『ヒト』じゃない。人間の見た目をした、もっと別の異質の物体」

 そう言うクリスの顔は非常に険しく、また何かを憎むようだった。当たり前だ、生まれ故郷であるカールスラントを火の海に飲み込み、愛していた
両親と生き別れさせたのはあそこで作られた怪異なのだから。簡単にそれを説明すると、ゲルトルートも納得したように頷いた。そして今度こそ震えの
ない手で安全装置を解除すると、交戦体制に入った。
 ……今までの恨みを、ここでたっぷりと晴らしてやる。クリスとゲルトルートは、敵の基地をにらみつける。


「―――往くぞクリス!!」
「生き残るよ、お姉ちゃん!」


 ―――――二人は、互いの得物を同時に前に構える。そして引き金を引くか引かないか、その刹那の瞬間――――ついに敵の対空砲火が打ち上げてくる!!


「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」




 二人の咆哮が、天高く轟いた。『バルクホルン』、エンゲージ!

 - - - - -

 対空砲火はまるでさっきの乱戦の如く打ち上げてきて、回避を許してくれない。それでも二人はわずかな隙間を狙って避け続け、なんとか超低空に
侵入する。手を伸ばせば地面に届く距離、下手に銃を構えれば地面に引っかかって墜落する―――それだけの低空。だが、おかげで敵は狙いがつけ難い。
明らかにこちらに撃ってくる弾の数が減少し、近くで炸裂する対空砲の爆発はしかし体を捉えることはない。

「―――いけええええ!!!!!」

 クリスは叫びながら、引き金を思いっきり引いた。跳ね回る銃、押さえつける手。強い銃の振動が嫌でもここが戦場であることを感じさせ、しかし
それ以上にクリスの体を包むのは熱気と高揚。気分はこれ以上ないほどに高まり、それでもなお高揚していく。地面をうなる空気、空を舞う草、それらが
間近に感じられるほどの低さ。―――まるでエースではないか。
 クリスの放った弾丸はまるで吸い込まれるように敵の対空車両に着弾し、爆発と同時に周囲の人間を含めて吹き飛ばしていく。地面にクレーターを
作り出し、だが一~二両潰したところで対空砲火は減らない。……知ったことか、減らないなら潰せばいい!!

「うあああああああああああああああ!!!!!」

 雄たけび。火を噴く銃に負けない声が空に轟き、まるで自分のものと思えない勇ましい叫びが木霊する。見る見るうちに敵の対空車両は潰えていき、
だがそれでもやはり頭上を飛んでいく弾の数は減らない。敵の基地の周囲を回りながら次々と破壊していくが、キリがない―――問題ない、弾は予備が
ある。力持ちの、世界で最も尊敬する、最も信頼する、そして世界で最も愛する姉に預けてきた。彼女が持っているのだから心配はない。クリスは
全く躊躇うことなく、南十字星の如く、無限に続くメビウスの輪の如く敵陣を業火に巻き込んでいく!


 対して反対周りに回るゲルトルートも、地面に服が擦れるか擦れないかの低空を亜音速で飛ばしながら敵を次々と破壊していった。クリスが突入する
ためには対空砲火が一つでも多く沈んでいる必要がある、そのためにならばいくらでも身を危険にさらしてやる! ゲルトルートは弾を温存する目的で
両手に持った銃のうち片方ずつを均等に使いながら、対空車両をまるでごみのように蹴散らしていく。何度か、目の前や真後ろに敵の弾が着弾して爆発
した。燃え盛る炎とそこからくる爆風、強烈な熱がゲルトルートの体を襲って、それでもお構い無しに撃ちつづける。愛する妹のため、そして二人の
愛するこの世界を守るため。ゲルトルートは、持てる力を最大限使って撃ちつづける!

「はあああああああッッ!!!」

 銃を持つ手が徐々に疲れを感じてくる。知ったことか、自分は鉄骨だって持ち上げてみせる。ゲルトルートは魔力で無理やり手の疲労を隠すと、
更に次の目標を破壊し、次々と敵の包囲網を破壊していく。
 そうしていると、視界の端に最愛の妹の姿を見つける。間もなく半周、互いの交差ポイントがやってくる。このまま丸々一周した後、高度を上げて
残った対空兵装を確認してもう一度低空侵入。対空砲火を更に潰して、敵がレーザーを使い始めたら内部に突入する。……うまく行ってくれ!
ゲルトルートはまだまだ足りないととにかく我武者羅に撃ち続け、そして視界の傍らで戦果をどんどん上げているクリスを見て負けてられないと
更に気合を入れなおす。自分だって、世界一愛している妹のためならば鬼神にでも悪魔にでも亡霊にでも英雄にでもなってやる。クリスの通る道は、
自分が切り開く!!

「お姉ちゃん!!」
「クリス!!」

 二人は一瞬、目線だけを交差させる。それだけで、互いのボルテージを最高潮に上げるのには十分事足りた。


 更に半周を、飛行速度も射撃速度も上げていく。特にゲルトルートは弾薬にそこそこ余裕があるので、ついに両方を同時に使い始める。クリスが
だいぶ破壊してくれたが、それでもまだ撃ち損じはゲルトルートと同じぐらいにかなり多い。ならば自分が掃除してやる! この日のために調達した、
二丁のMG151/20が火を噴く。今までは一丁しか持っていなかったのだが、クリスのために今まで治療費と称して貯めてきた貯金を全額叩いてなんとか
調達したものだ。おかげで調子は最高で、見る見るうちに敵が炎に焼かれていく!

「待っていろクリス、お前は必ず生きて帰すからな……!!」


 クリスも、姉が破壊していった対空砲の残りを更に次々破壊していた。弾薬が残り少なくなってきたが、まだまだマガジン丸々一つ分残っている。
臆することも心配することもなくひたすら引き金を引き続け、生きている対空砲を次々に打ち壊していく。オーバーキルだろうとまで思われていた
対空砲はいつの間にか通常の航空基地並にまで減少していて、それでもなおクリスは引き金を引くことをやめない。相手がオーバーキルで挑んで
くるなら、こちらも同じくオーバーキルで対抗する―――手加減など、必要なものか!!
 祖国を、そしてこの世界を破滅に導く……この姉妹の仲さえも断ち切ろうとする劣悪な悪魔、下衆どもに加減など必要あるものか!!

「一人残らず蹴散らしてやる、私たちの平和を取り戻してみせる!!」


 二人は、要塞と称するに相応しい敵航空基地を相手取ってなお勇敢、果敢であった。一周を終えて二人揃って高度を上げる頃には敵の対空兵装は
数えられるほどしか残っておらず、ウィッチ隊攻撃に向かった航空編隊よりもこちらの被害のほうがはるかに甚大である。……それを確認している
最中、敵の中央管理施設が赤く発光し始めたのに気がつく。―――まさか!!

「避けろクリスッ!!」
「お姉ちゃんッ!」


 二人はとっさに回避行動を取り、刹那、先ほどまで二人がいた場所を赤い閃光が駆け抜けていく。大気はおろか地面まで焼ききれるほどの超熱を
誇るレーザー……それが、人の手から発射されている!

「っし!!」

 思わずゲルトルートがグーの手を握り締める。これでブリタニアの『人類の敵』としての存在が明確になった。これは一番に報告しなくてはならない
朗報だろう。

「こちらゲルトルート、やったぞ! 奴等がついにレーザーを吹いた、奴等がネウロイの元凶だ!! 証拠をつかんだぞ!!」
『なんだって!?』
『レーザーだと?!』
『まさかブリタニア空軍がネウロイを……そんな!』

 無線の向こうで、味方がうろたえているのがまるで見て取るように分かる。そして少しずつ、味方がブリタニア空軍に対して一致し始めていることも。
……勝てる。流れは確実につかんでいる。判断さえミスしなければ、確実に勝利はこちらの下にある! 先ほどまでの超がつくほどの劣勢はどこへやら、
ウィッチーズは気づかぬうちに優勢に逆転している。

「クリス、予定変更だ。対空砲はもう十分潰せた、お前は敵の攻撃を避けながら真正面から突っ込め!!」
「うん! お姉ちゃん、上空から援護お願い!」
「当たり前だ! ほら、マガジンだ」

 ゲルトルートが投げやったマガジンを受け取り、残弾が残りわずかのマガジンを躊躇いもなく投げ捨てる。そして新しいマガジンを付け替えて、装填を
完了する。―――いける。絶対に、生きて帰れる!

「往くぞ! 急降下、真正面だ!!」
「うんッ!」

 クリスは勢い良く、まっすぐ急降下。速度をぐんぐん上げて加速し、シールドを展開。刹那の間を空けて、展開したばかりのシールドをレーザーが
容赦なく何度も叩く。だがクリスは意に介せず、まるで何事もないかのように降下。眼前に迫る地面、まだ機種起こしには早い、もっとだ、もっと、
もっと下がれる! 行くんだクリスティアーネ・バルクホルン、しっかりしろ、自分が皆を、世界を、そして何より姉を守るんだ!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 思いっきり降下してから、これでもかと言うほど勢い良く機首を起こす。奇しくも破壊した対空兵器群が二列に並んで、その間を通る形になる。
……本部施設、もといコアは真正面。そしてそこに続く、対空砲の道。―――最後を飾るにはもってこいだ。最高の道、これ以上なにを要求しようか!
上空から、ゲルトルートが容赦のない『爆撃』を繰り出す。コアは躊躇うことなくレーザーを乱射し、シールドを展開して減速することを恐れた
クリスはシールドを一切展開せず回避だけでレーザーを捌いていく!!
 右、左、上、下、右、下、右、上――――左! 熱線がすぐそこを掠めていき、だがかまうことなくクリスは出力を上げる!!

 徐々に大きくなる施設、撃つなら今しかない……どうなっても知るもんか、ただ自分はここを破壊して生きて帰るだけだ!!!

「往けえええ、クリスウウウウウウウウウッ!!! 突っ込めええええええ!!!」


 ゲルトルートが、力の限り叫ぶ。



  行ってやる。クリスは引き金を思い切り引いて、本部施設に向けて突っ込んでいく。




 死なない勢い。止まないレーザー。注ぎ込まれる銃弾。崩壊を始める建物。迫るクリス、そして壁。コアは壁の向こう、いまだ姿を見せず。


 そうしてクリスは、ついにコアを拝むことなく本部施設の目の前まで達してしまう。このまま行けば、壁に直撃して即死だ。





「はは、ははははは――――そこで壁にぶつけて死ね! 貴様らなど死んでしまえばいい!!!!」


 聞き覚えのある声。そうか、ここの管制官だったか。



  ――――そんな死を迎えるほど、愚かな訳がないだろう!




 クリスは構うことなく、片手で銃を撃ちながら片手でバリアを展開する。流石に片手で銃を撃つのは堪えるが、構うものか。ひたすら前方に
撃ち続け、そしてそのまま壁に真正面から突っ込み―――!!!!

「はあああああああッッッッ!!!」

 腕が一瞬で悲鳴を上げ、それでも魔力で無理矢理補強して壁にぶち込む。バリアは次々に壁を吹き飛ばして打ち砕き、土埃が視界を包み、そして
ついに最も頑丈なコアへの壁にぶち当たるが―――だめだ、この壁はこのままじゃ打ち抜けない。このままぶつかると、バリアの上からでも衝撃で
死ぬ!!

「……ッ、お姉ちゃんッ!!」
「任せろ!」

 真後ろからゲルトルートが勢い良く突っ込んでくる。二丁のMG151/20が前方の壁を叩いて、クリスの九九式と協力して壁を次々削っていく。
やがて壁は今まで打ち砕いてきた壁とほぼ同じ厚さにまで削れ、クリスは臆することなく加速する! ……これなら突っ込める、確実に抜けられる!!

「コアをぶち抜いたら真上だ。屋上に大穴をあけた。生きて帰るぞ、クリス!」
「当たり前!!」

 いつの間にか隣で同じようにバリアを展開しているゲルトルートと、手を繋ぐ。左手に九九式、右手にはゲルトルートと一緒に握るMG151/20。
無論、ゲルトルートの右手にはMG151/20――――二人で三丁の銃をぶっ放し、そして……今までで一番分厚かった壁に、文字通り『激突』する!!

「「往けえええええええええええええええええええ!!!!!」」



 二人の叫びは力となって壁を打ち抜き、二人の体を広大なコア管制室へと誘う。そのままコアに真正面から突っ込み、まるで何もないかのように
コアに真正面からぶつかって蹴散らす。壁が余りに硬すぎたためコアにぶつかった衝撃をほとんど感じられず、二人はコアを破壊した実感もないままに
高度を上げていく。天井にはゲルトルートがあけた小さな穴があり、そこに勢いを殺さぬまま突っ込み――――天井をぶち抜く。そこから先は大穴に
なっていて、シールドを展開するまでもなかった。だが残った対空砲が打ち上げてくるのを警戒して、二人は後ろ向きにシールドを展開する。
 ……さて。コアは破壊したはずだが。二人は実感ないまま、建物を脱出してまばゆいばかりの空に飛び出て―――――。

 ……少しして、後方で耳を劈くほどの大爆発が起こった。二人はびっくりして両耳をふさぎ、それから振り返って……本部施設が、コアの破壊に
あわせて爆散していくのを見た。確かにコアは破壊された、敵基地は沈黙。……だがそれでも、なんとなく勝利の実感がわかない。強いて言うなら、
先ほどまで地獄を思わせていた対空砲火やレーザーたちが一切なくなり、ただ風の吹く音だけが聞こえる点だけが異なっていた。

「……勝った、のかな」
「さあな」

 二人は減速して空中でホバリングし、他からの無線連絡を待った。両手を握ったまま、ぼうっと空を見上げて。空の蒼さを、改めてまじまじと
見つめた。

 ……それから五分か十分か、一時間か。どれほどか分からないほどの時間が流れてから、インカムに連絡が入った。


「……坂本だ。バルクホルン隊、応答せよ」
「こちらゲルトルート。クリスともども目標の破壊に成功したが……そっちでは変化はあったか?」


 ゲルトルートが何の気なしにそう連絡して、はたと気がつく。……そういえば、目標破壊を報せ忘れていた。


「……そういうのは先に言え!! 残存敵航空戦力は全て投降、ネウロイ自滅の連絡があちこちから飛び込んで基地の管制塔がオーバーフロー
しているぞ!!」
「……え?」
「聞こえなかったか!? ネウロイ消滅の連絡がガリアなりカールスラントなりいたるところから入ってきてるんだ! こっちが捉えきれないぐらい
大量にな!!」


 ……それってつまり。

 ゲルトルートとクリスは顔を見合わせて、そしてクリスが小さくつぶやいた。


「……勝ったの?」
「――――まだ分からんのか!! 我々の、いや違う、お前たちの大勝利だ!!!」



 喜々として叫ぶ美緒。それを聞いて、ようやく二人は現状を把握した。やはりさっきのコアの破壊は、ターゲットの撃破で間違いなかった。二人は、
世界を戦争から救った英雄になったのだ。……あっけなかったように思うが、それでも常人では成しえなかったことに変わりはない。

「やった……やったぞ、クリス」
「うん……勝ったよ、お姉ちゃん」

 しばらくそうして静かに勝利を確かめてから。



  二人はおおはしゃぎしながら、抱き合って基地に帰還した。


「やった! やったよお姉ちゃん、私たち勝った!」
「加えて無事生還だ、最高じゃないか!!」


 帰路の途中で、クリスはついに意識を失う。分かっていた結果に慌てることなく、ゲルトルートは最愛の妹を抱きかかえて帰還するのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 その後。


 クリスは予想通り、足が真っ黒になるまで壊死していた。膝から上は生きていたのでそこから魔力は供給できていたようだが、過負荷によって脚部が
耐え切れなくなり当然切断措置を取らざるを得なくなった。医師は随分と悔しそうにしていたが、当のクリス本人はとても清々した表情だった。これで
世界が平和になるんだったら安いものだと笑ってさえいた。
 治療が済んでからは完全に車椅子生活になり、それも徐々に慣れていった。ゲルトルートとリネットが甲斐甲斐しく世話をしてくれたおかげで日常
生活には困らなかったし、ウィッチーズ基地においても活躍の場は残してもらえた。

 それから程なくしてストライクウィッチーズ隊は解散することになるが、クリスは扶桑とカールスラント、ブリタニアの三国において自由に行き来が
出来る特権を得る。戦争終結の立役者という功績からすれば当然とも言える結果だろう。その間、お約束として扶桑では宮藤芳佳、それ以外では
クリスティアーネ・バルクホルンとして振舞うことになっていた。扶桑での生活はそれはそれで気に入っていたので、別に宮藤芳佳として暮らすのも
苦にはならない。ちなみに扶桑の友人たちにも、宮藤芳佳が偽名であることは一通り教えて回った。それでも皆受け入れてくれたので、やはり親友だと
思った。
 それに、長期休業時はカールスラントに遊びに行ったりも出来るのだ。加えて言うなら、カールスラントの学校と扶桑の学校を行き来する事だって
出来る。ゲルトルートは相変わらずカールスラント空軍でエーリカやミーナともども空軍の任務に就いているので、カールスラントで一緒に暮らせると
お互いにとても心地がいい。

 そして未だに、ゲルトルートとクリスの周りには結婚だのなんだのという話は浮かばない。エイラとサーニャはスオムスが同性婚を許されている
関係で同棲していたりするのだが、そういった同性同士の絡みもない。

「なんだクリス、数学か?」
「うーん、因数分解ってなにーっ」
「はは、仕方ないなぁ。私が教えてあげるよ」
「うーっ」

 二人は相変わらず、顔をあわせる度に仲良くしている。一部からはいちゃついていると言われるほどだ。もはや他の人間に興味を持つ必要などなく、
クリスにとっては姉が、ゲルトルートにとっては妹が居てくれるだけで十分だった。

 二人は今でも、スキンシップの一環として口付けを交わすことが多い。それが徐々に『スキンシップ』の域を抜けてきているのは、また別の話。









  世界一幸福な姉妹が守った世界は、今日もおおむね平和である。









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