無題
あなたは私のヒーローなのよ。
そう言っただけで顔を真っ赤にして恥ずかしがるあなたにはまだ、私の本当の気持ちなんていえそうにない。だって
否定されたら悲しいもの。あなたは本当の本当に優しい人で、声を荒げて「ちがうんだからな!」と叫ぶのは単なる
照れ隠しだろうとちゃんと私だって分かっているけれど、それでもやっぱり悲しい。あなたには私だけを見ていて
欲しいから。
風がふくと、ふわり。草の青々しい匂いと、野花の柔らかな香り。それらの中から綺麗なものを、一つ一つ選んで
編みこんでゆく。青空のような爽やかな水色の衣服を今日もまとっている彼女は、そんな私の傍らでそんな私を
じっと見つめているのだ。
ときどきふっと空を見上げて何かの思案にふけっているのは、風を読んでこの先の天気でも予測しているのだろう
か。そんなときを見計らって彼女に見つからないようにその横顔を見ているといつも、その端正さにほうと息を
ついてしまう。今朝、じたばたしながらもリーネさんにお団子状に結い上げられていた髪はいつものように風に
なびいたりはしないけれど、普段よりもよりいっそう太陽の光を浴びてキラキラしているかのように思える。
なんだかまるで、お月様が頭の上にあるみたい。…っておもうのはもしかしたらただの幻覚かな。でも、本当に、
こうして一緒に過ごすだけで、私は何度でも、何度でも、彼女のことを昨日よりもずっと、さっきよりももっと、素敵で
魅力的に思うのだ。
少し切なげに細められる瞳。ねえ、あなたは今何を考えているの?
尋ねてみたいけれど、彼女は存外というべきか、それとも印象どおりというべきか、自分のことをあまり多く語ったり
はしないのだった。かといって物静かな性格かというと全くそんなことはなくて、とはいえルッキーニちゃんが持つ
ような底抜けの明るさとはまた違った、言うならばパールのように不思議な光沢を持った輝きを秘めている。その
柔らかな柔らかな光はまぶしさを苦手とする私を追い払うことなく、優しく優しく包み込むくれるのだった。
士官教育を受けずに少尉になったのだという彼女は、この部隊に配属されるまでは准尉だったのだと聞いた。
"下士官の総帥"とも呼ばれる、たたき上げのウィッチとしては最高品位の階級。当時若干13歳ほどに過ぎ
なかったはずの彼女は、その時点ですでにそれだけの栄誉を得ていたのだ。
けれど彼女がそれを鼻にかけたのを、私は一度も聞いたことがない。むしろ階級や勲章なんてどうということでは
ないと言った顔をして、例えば一応彼女より一つ上の階級に位置している私やペリーヌさん、ひいてはシャーリー
さんにまで臆することなく接することができる。
楽しいことが大好きな彼女はルッキーニちゃんと全力で一緒にいたずらをするし、リーネさんや芳佳ちゃんにだって
先輩風を吹かせるそぶりもなく同年代の仲間として向き合うことが出来てしまうのだ。
ハルトマン中尉と二人で勲章をブーメラン代わりにして遊ぶ様を見て、「プライドがないにもほどがある」と眉を
ひそめる人もいるけれど、私はマンネルハイムと名付けられたその勲章を愉快に振り回す彼女の姿を見ている
のが、案外好きで。
(エイラさんの出身──スオムスのルーッカネン分遣隊は基地を持たない特殊な部隊だそうだから、エイラさんも
普通の部隊の構成からは少し外れた考え方をしているのかもしれないわね)
そう私に語って聞かせたのは、ミーナ中佐。私が何も言っていないのに、ミーナ中佐はそうしていつも私の考えてる
ことをあっさりと見破ってしまう。そう、エイラと同じように。二人は全く別の容姿をして、全然違う性格をしている
のに、どうしてかどことなく似ているような気がする。それは、エイラもミーナ中佐もその表れ方は二様とはいえ同じ、
辺りを的確に見通すことが出来る能力を持っているからだろうか。
(サーニャさん、あなたと気が合うんじゃないかって、私は思うんだけど。)
部隊に入ったばかりのころ、ミーナ中佐が何を思ってそう私に語りかけたのかは今になっても分からない。けれど
そこから一直線に繋がって、今ここにあるあの頃の未来は、確かに彼女が語ったその通りの形となって表れて
いる。
最後の一本を、完成しかけのそれに丁寧に編みこんでゆく。できた。心の中でだけそう呟いて一人ほくそえんでみる。
エイラ、見て。そう自慢げに差し出そうと思って再び彼女の方をみやったら、その傍らのエイラは先ほどと同じように
空を見上げたままぼんやりとしていた。
(ねえ、あなたは今何を考えているの?)
思うのは、先ほどと全く同じこと。こちらに向けられていない視線がもどかしくてたまらない。ねえ、ねえ、私にも
聞かせてよ。エイラと同じものを見てみたいの。そればかりを願って熱い視線を彼女に送るのに、エイラはというと
それさえ気付かないままでいるのだ。
故郷のこと?原隊のこと?仲間のこと?家族のこと?……それとももっと、別のこと?
そうして一人でどこか遠くを見て、口を閉ざしてしまわないで。「あのさ、サーニャ。」って。そんな言葉で切り出して、
私の方を向いて欲しいの。
あなたの国はどんな国?
あなたの部隊はどんな部隊だったの?
あなたにはどんな愉快な仲間がいるの?
あなたの家族はどんな人なの?
私はあなたのことをもっともっと知りたいのに、あなたはは決して自分からは語ってくれない。恥ずかしがり屋なの
かな、面倒なだけなのかな。どうしてなのかは、わからないけど。
「……エイラっ」
一向にこちらを見てくれないこの状況にこらえきれなくなって、彼女の名前を呼んだ。細められていた瞳がその
瞬間見開かれて、ぱちくりと数回まばたきをする。上下する銀色の睫毛が柔らかな午後の日差しに反射して、
とてもとてもきれい。
そして呼ばれた方向、つまり私の方に視線を向けると、柔らかに微笑むのだ。
「ん?どした、サーニャ」
さっきまで私を置いてけぼりにして一人の世界に浸っていたことなんてすっかりと忘れて、「ねむいのか?」なんて
悠長に聞いてくる。そんな声で囁かれたら、余計に眠気が襲ってきてしまうじゃない。私がすぐ眠りについてしまう
のはあなたのこえが心地よいからだって、きっとエイラは知らないでしょう?他の人が聞いたら抑揚の無いだけに
しか思えないその響きは、私にとって格別の子守唄になる…なんてちょっとそれは贔屓目かな。
「あたま、さげて」
「…へ?」
「さげて」
何だかとっても悔しい気持ちになったから、理由なんていわずに要望だけを口にしてみる。一瞬首をかしげた
エイラにもう一度言葉を重ねたら、しょーがないなー、と言わんばかりの顔ですらりとした背中を丸めてきた。すか
さず膝立ちになって、やっとのことで完成したそれを彼女の頭にのせる。その表紙にせっかく結い上げた髪の紐が
するりと解けてしまったけれど、また背中の後ろに落ち着いた銀色の長い髪がやっぱりとてもとても綺麗で、エイラは
やっぱりこの髪型が一番すてきだわ、なんて思った。
「な、なんだぁ?…って、これ…えーと…はなかんむり?」
うろたえた声のあとに疑問符が飛んでくるけれど、そんな音符は楽譜にかけないから答えの調べなんて与えて
あげない。そんなちょっぴり我侭な気持ちで、私は私だけに許された、私だけの定位置──彼女の膝の上に
ぼふりと体を預けてしまう。サ、サーニャ!?びくりと体が震えた後、それでも咎められることなんて無いと私は
知っている。仰向けになってエイラの顔越しに空を見上げると、きらきらとお日様みたいに輝くエイラの髪。大好き
な大好きな、その輝き。
「…きょうだけだかんな」
差し出されたいつもどおりのお許しの言葉につい顔を綻ばせると、つられたのか、それとも呆れたのか、エイラも
ふっと微笑んでくれる。やさしいやさしい、わたしだけのひと。その頭に戴いた冠は、ねえ、私だけのものって言う
意味なんだよ、おうじさま。
「エイラ、」
「……なに?サーニャ」
「落としたらだめよ、エイラ」
あなたは王子様なんだから。だから、私が目覚めるときはどうか、優しいキスで起こしてね。
そんなことを言ったら顔を真っ赤にして固まってしまうだろうと思うから、今はまだ「私のヒーロー」だけにとどめて
おいてあげようとおもった。
──なるほど、『王子様』ね。鈍感で大変だな、おひめさま。
寝ぼけ眼をこすりながら帰り着いた基地で、柔らかく聞こえてくるミーナ中佐の歌を聞きながら。エイラの頭の上の
花冠を見たシャーリーさんに、そう耳打ちされてつい赤くなってしまうのはもうちょっと後の話だ。
了