無題


私を目の前にすると、いや、どんなときでも大抵、瞳を曇らせて視線を落として、まるで私の肩にある
階級章を見ないようにしていた彼女がはしゃいだ声を上げて談笑しているのを見た。その前にいるのは
栗色の跳ねた髪をした新人。彼女もまた、朗らかに微笑んでいる。

「共同撃墜1、ね。」

私とともに出撃して、私とともに帰投した赤毛色のその人は心底うれしそうにそう呟く。ウン。彼女と
私との階級の差も忘れてそれだけの返答を返す私。ふいに格納庫の奥のほうからきらきらした輝きと、
モノトーンの衣服が見えてようやく私はその顔に笑みを貼り付けることができた。あの子を目の前に
すれば、私はいくらだって、嘘っぱちだって、笑顔を浮かべることができるのだ。だって私からして顔を
曇らせていたら、私よりよっぽど表情をほころばせるのを苦手とするあの子はもっともっと笑えない
だろうから。

「サーニャ!」

彼女しか見えていない「フリ」をして、喜びはしゃぐ二人の新人の脇を通り抜けたのに二人は果たして
気がついただろうか。気づいてほしい、と思う反面、気づかないでほしいともなぜか思う。不思議な
不思議な気持ちの重さを抱えて、私は少しだけ唇をかんだ。

「もう、起きてて大丈夫なのか?ねむくないか?」
「だいじょうぶよ。…エイラは、心配性ね」
「そんなことないよ。あ、お風呂に行こうか、それともサウナにするか?」
「エイラ、そんなに急がなくても」

矢継ぎ早に質問を浴びせる私がおかしかったのだろう。少し、ほんの少しだけ口の端を吊り上げて、
「しかたのないひと」とでも付け足したいかのような小さな小さな微笑をサーニャは浮かべてくれる。私に
だけわかる、サーニャの心の機微。感情の揺らぎ。それは私のちょっとした誇りで、彼女の隣は誰にも
渡したくない特等席だった。
ようやく帰投した別働隊に手を上げて、おかえり、と言ってやる。そしてまたサーニャに視線を戻す。
サーニャだけを見る。ほかのものを見ないように。

「エイラ、どうしたの?」

甘えるように、指を絡ませてきたサーニャが小さな声でたずねてきた。ん、なにが?耳を寄せてたずね返す。
どうしたもこうしたも、いつもどおりの私だよ。二つに分かれたネウロイの尻尾のほうは、私とミーナ中佐が
ちゃんと撃墜したんだ。囮だったほうのネウロイはバルクホルン大尉たちがしっかりと迎撃したし、そうい
うわけでとりあえず今週の脅威は去った。明日はお休みだから、サーニャも夜間哨戒がなくて、だから、
じゃあ、今晩は二人でゆっくりと過ごそうか。そんな言葉を頭に並べて、音にしようと口を開く。けれども
それは叶わなかった。

「…さみしそうな顔をしているわ」

絡められた手が、きゅ、としまる。思っても見なかったその言葉に私は開きかけた口をあんぐりと開けた
まま、ぽかんとサーニャを見返すしかない。窓から差し込んでくる夕日に照らされた顔がやけに熱くて、
でも背中は冷たい汗をかいている。その瞬間、彼女は決して私に甘えているのではなく、甘やかされて
いるのが私のほうなのだとようやっと気が付いた。エメラルドの瞳の奥に揺れているのは私を気遣う輝き
ばかりで、事実、彼女は「疲れているの?」だとか「眠いの?」だとか言う言葉を重ねてくるのだ。その
言葉はいつも、私がサーニャにかけてやっているものなのに。


繋がれた手から先ほどまで眠っていたらしいサーニャの高い体温が流れ込んでくる。確かに繋がっている
その感覚にひどく安堵している自分がいて、それならばきっと私はそこから、サーニャに不安を伝えて
しまっているのだろうと思った。……参った。私がこの子の表情を気取ることができるのと同じように、
彼女もまた、私の行動から私の気持ちを推し量ることができるはずだったのだと気づけずにいた。だって
それだけの時間を、私たちは一緒に過ごしてきたはずなんだから。

「……なんでもないって。ただ、」
「…ただ?」
「カッコウの親の気分って、こんな感じなのかなって思っただけ」

かっこう?
私の言葉の意図をつかめず、サーニャは首をかしげる。やわらかにゆれる銀色の髪はとても心地よさそう
だと思った。触ったら気持ちよさそうだと思ったから、それだから繋がれていないほうの手を伸ばして彼女
の頭に触れることにした。ゆっくりと触れてなでてみた。ああ、予想通りだ。やっぱり柔らかくて気持ちが
いい。自然に笑みがこぼれる。

「──ただ、それだけ。」

そうして、私に投げかけられた彼女の疑問を今しがた廊下に吹き込んだ風とともに吹き飛ばしてしまう。
握った手に力が込められたのを感じたけれど、それは気のせいだと思うことにした。与えているばかり
だと思っていたのに、本当はこんなにも、与えられているばかりのだと私はサーニャと一緒にいるとき
不意に気づかされる。


つらいのなら、いつでもこいよ。
一度だけ、たった一度だけ、私はリーネにそう呼びかけたことがある。あの時たしかリーネは私と同い年に
なったばかりで、それなのに今よりもずっとずっと、おどおどとした顔をしていた。ブリタニアにあるウィッチの
訓練学校を出たばかりだという彼女はそのままここに配属されて、そうしてすぐにひとつ年を重ねた。
それは数ヶ月前に同じく年を重ねた私と同じ数のもので、だからちょっぴり、私も親近感ってやつを
抱いていたんだ。胸の大きさも、まあ目を引いたけれどそれはお年頃の好奇心ってやつでなかったことに
してほしい。まあそれはとてもとても重要な要素ではあるけれど、いま、とりあえずは関係のないことだ。

驚いた顔をしていた。「でも、私は、」そんな風に目を伏せた。どうして目を伏せるのかはわからないけれど、
それはもしかしたらこの肩にある階級章を見るのがいやなのかもしれなかった。少尉を表す印が、この
肩には刻まれている。この部隊に配属されるまでは准尉で、そして衣服も下士官に宛われるものだった。
当初こそ着慣れないそれだったけれど今ではすっかりと体になじんでいる。

スオムスではウィッチはとても希少だから、戦争の真っ只中ということもあって能力の発現とともにすぐに
軍に配属された。もともと何でも一通りこなせる器用貧乏な体質が吉と出たのか凶と出たのか、気が
付けばストライカーをはいて空を駆って、銃器を肩にかけて引き金をためらいもなく引いていた。攻撃は
予知したとおりによければよかったし、狙撃だって苦手ではなかったから撃ち込めば予想通りの軌跡を
描いて弾はネウロイの体へ吸い込まれていった。すべてのことは予定調和で構成されていて、だから
彼女のようにおどおどと怯える理由も、失敗を恐れる理由も分からなかった。失敗したとしたって、それ
だってあらかじめ予定されていたことに過ぎない。天候やネウロイの性能、訓練不足、運。ファクターは
数あれど、その結果に行き着く理由が確かにあるはずだった。だから動じる理由なんて何ひとつなかった。
それが私にとっての「当たり前」だったのだ。

けれども、木々が青々と茂る頃にやってきたリネット・ビショップと言う一人の軍曹にとって、それは決して
「当たり前」ではなかったらしく。ちらりと見た訓練ではこの部隊に配属された他のウィッチに負けずと
も劣らない優秀さを発揮するのに、実戦ではとんと揮わないのだった。サイレンが鳴り響く度に体中を
震わせて、物陰に隠れて小さくなっている姿を私は何度見ただろう。リーネ、リネット軍曹はどこだ!
堅物のバルクホルン大尉が怒鳴りだす前にリーネを見つけてその手を引いてやるのがいつの間にか
習慣になっていたことに、果たして彼女は気付いていただろうか?

がんばろうな、と。サーニャに語りかけるときのような意識した優しい笑顔と声で、何度も何度も語り
かけたけれど。リーネにとってはそれさえも自身を追い込むものでしかないように見受けられた。眩し
そうに私を見上げて、次の瞬間には目を落とす。リーネの気持ちをこれっぽっちも理解してやれない私に
は彼女に何と言葉を掛けてやればその瞳に活力が宿るのかなんて欠片も想像できなくて。途方に
暮れはしなかったけど吊り上げた口のほんの端っこで、軽く唇をかんだりしていたんだ。

つらいのなら、いつでもこいよ。

あるとき思い立って、そんな言葉を掛けた。私じゃ何の力にもなってやれないけど、吐き出したい何かを
受け止めてやることぐらいは出来るかもしれないから。口にしたそのときはそんな高尚なことまでを考えて
いたわけではないけれど、つまるところそんな気持ちで私は彼女にそういった。同い年として、先輩として、
仲間として。どうにかしてリーネを支えてやりたかったんだ。だってせっかく、何の因果かこんな場所で、
同じ部隊に所属する機会に出会えたんだ。そんな仲間が辛いときに助けてやるぐらい、当たり前のこと
だろ?頼んだって離れ離れになれるわけでもないし、なりたいわけでもないんだから、それなら大切に
しないと損だろう?

でも、わたしは。

あのときそう、口をつぐんでしまった彼女は一体その後にどんな言葉を言いかけて、どんな気持ちを
押し隠していたんだろう。結局リーネは一度も私のところに訪れることがなかったから、私には未だに
それがわからない。でもきっとリーネにとって私との間には大きな隔たりがあって、それを埋めるだけの
何かがきっと私には足りなかったんだろう。襲うのはそのぽっかりと開けた隔たりのぶんだけの空虚感。
何かをしてやりたいのに、どうしようもないもどかしさ。

カッコウの親は、自分が他人の巣に産み落とした雛といつかどこかで出会うだろうか。そこでそいつは
何を思うだろうか。そりゃ産み落としたのは私じゃないけれど、温めてやりたかったのに抱え込むことが
出来なかったのは同じだから。だから、私はハンガーで楽しげに笑い合うミヤフジとリーネを見ていて
なんだか少し切ない気持ちになった。お前は大きくなれるよ、って。私はちゃあんと分かっていたから。
だから大きくなるその様を、巣立つそのときの力強い翼を、育てて、見守ってやりたかったのに。その
特権はいとも簡単に、私よりもずっと小さな小さな小鳥に奪われてしまった。

(さみしそうなかおをしているわ)

私の手を強く、けれども優しく、握り締めてそう言ったサーニャの言葉が耳に蘇る。直後にまた、楽しそうな
リーネとミヤフジの姿がよぎってほんの少しだけ泣きたい気持ちになる。小さな小さなサーニャの手に、
心臓ごときゅっとつかまれたみたいだ。
(あ、そっか)
ああ、こんな気持ちを「さみしい」というのだと、やっと私は気がついた。



とん、と。肩に軽い衝撃を感じてはっとする。なんだろう、と視線をそちらにやると、明らかに眠そうな顔を
したサーニャが目をこすっていた。夕方まであんなに眠っていたというのに、どうやらもうおねむらしい。

「さーにゃ、ねむい?」

優しく優しく、尋ねる。部屋はもう薄暗く、ベッドサイドの明かりだけが柔らかく辺りを照らしている状態だ。

「扶桑式の風呂ってさ、なんか入ると疲れるよなー…どうしてだろ」
「……わかんない…」

風呂にするかサウナにするか、悩んだ末に選んだのは結局風呂のほうだった。正確に言うと向かって
いる途中で坂本少佐に鉢合わせしてしまって無理やり連れ込まれたというほうが正しい。
時計を見るとまだ日付が変わってすらいない。夜間哨戒で徹夜に慣れているサーニャより先に眠るまい
と懸命に目を開いていたけれど、実のところ私も相当限界だった。疲れる、というか、なんというか。風呂
はどうしてか、とても眠くなるような気がする。疲れが体の奥まで染み込んで、直接体の芯に休めと命令
しているような気さえするんだ。

今晩は一緒に過ごそう。
私は結局一言もそう言わなかったのに、サーニャはまるでそれが当たり前といった風情で私のベッドに
座り込んでいた。お気に入りの枕だけをその腕に抱いて人ひとりぶんの温もりを私の部屋に増やして
くれている。もしかしたらそれは私が「さみしいかお」をしていたからかもしれなくて、だとしたら少し情け
なくて、けれどもとても嬉しかった。

「ねむろうか」

そう、声を掛けたけれど。
どうしてか返答はなかった。耳を澄ますともうすでに、すうすうと規則正しい寝息。安心しきったその態度
に、私がどれだけ救われているかきっとサーニャは知らない。仲間一人温められない私なのに、それでも
サーニャは傍にいてくれるんだ。私一人が世話を焼いて与えてばかりいるようで、本当は私ばかりが
与えられている。

(明日は、一緒に散歩にでもいこうかな)

サーニャをベッドに横たえて、毛布を掛けて。その横に自分も横たわりながらそんなことを考える。間違え
て部屋に入ってこられたら流石にうろたえるけれど、こうして最初から一緒のベッドにいるならば驚くこと
なんて何もない。何よりも、傍らにあるこの温もりは私の心と体をとてもとても勇気付けてくれるんだ。

朝起きたらサンドイッチを作って、そして。
撃墜記念とか行って、リーネとミヤフジも誘おう。ペリーヌは相変わらずツンツンしてるだろうけど、同い年
のよしみだ、あいつも巻き込んでやる。いやだといったって聞いてやらない。だって、私は寂しいんだもの。
少しぐらい我侭言ったっていいじゃないか。

お菓子づくりが得意だと言っていたリーネにはお菓子を作ってもらおう。お茶も持っていって、そうして
みんなでのどかに過ごす。せっかくの休日なんだ、楽しまなきゃ損だ。

そうしたら私はそいつを食べて「美味しい」というから、だから。
今日見せてたあの笑顔、私にも向けてくれよ、リーネ。温めたのも孵したのも私じゃないけれど、全然
力になってやれなかったかもしれないけれど、それでも私だって君を見守っていたんだから。

寝ぼけているのだろうか。身を寄せてくるサーニャの背中に手を伸ばしてぎゅうと抱きしめたら、その夜は
ぐっすりと眠れて夢も見なかった。



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