スイカ
暑い!
突っ伏した状態のエイラ・イルマタル・ユーティライネンは、気付くとこの言葉ばかり口
にしていた。
扶桑のこのジメッとする、何となく肌に巻きついてくるような暑さに、北欧生まれのエイ
ラは辟易していた。ここなら風通しがいいからと宮藤芳佳に案内された縁側も大してこの
現状を打破する要因とはならなかった。芳佳から借りた団扇であおぐ風の効き目もなく、むしろあおぐことで余計に汗が噴きだしてくるように思えた。
それにこの声だ。
耳には絶えずミーンという音が届き、この蝉の声がエイラの不快指数をさらに上昇させて
いく。ミンミンゼミの“ミーン”という声ならまだいい、ヒグラシの“カナカナ”やツク
ツクホーシの声ならまだ許せる。だが、あのクマゼミの“ジャージャー”という声を聞く
たびに、エイラの眉間には思わずしわが寄る。サーニャ・V・リトヴャクは、これらの蝉
の声を、
「これが扶桑の夏の音なのね」
と、しきりに感心していたが、エイラがどうもその言葉には賛成しかねた。無論、それを
口にすることはなかったが。
「暑い!」
そう言ってエイラはまた寝返りを打つ。小まめに移動することで感じられる、木の板の冷
たさだけが、不快な暑さを和らげてくれていた。ほんの些細なものだが。
気付くと母屋の方からトタトタという足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。エイラ
は起きなおってあぐらをかくと、芳佳がお盆に乗せて持ってきたものに、ジッと視線を注
いだ。
「なんだそれ?」
それは一見果物のようだったが、鮮やかな赤い果肉と黒いストライブ風の模様が入った肉厚
な緑色の皮の奇妙な物体であった。
「これですか? スイカっていうんです」
「スイカ?」
「扶桑じゃ夏の暑い日には、井戸で冷やしたスイカって決まってるんです」
じゃあ毎日食べないといけないのか? とエイラは考えたものの言葉にはしなかった。
「よいしょ」
お盆を縁側に置くと、芳佳自身も腰を下ろした。
「そう言えばサーニャはどうしてる?」
お盆の上に並ぶ半月状に切ったスイカに手を伸ばそうとした芳佳の手を、その言葉が遮った。
「ああ、よく寝てます」
「そうか。・・・次からは蚊取り線香だっけ? ちゃんと用意しといてくれよな」
「はは、ごめんなさい」
昨日の夜、エイラと芳佳、サーニャの三人は蚊による襲撃を受けた。蚊帳のおかげで直接
の被害はなかったものの、サーニャは絶えず響く羽音に悩まされ、明け方近くまで眠るこ
とができなかったのである。
「じゃあ、食べてみるか・・・って、スプーンは?」
「直接手で持ってかぶりつくんです」
「直接? 種はどうすんだ?」
そう言って赤い果肉に点々と存在する黒いものを指差す。
「食べながら口の中で選り分けてって、お盆の上に吐き出すんです」
「・・・なんか汚いなぁ」
ただ、それが扶桑でのやり方なら、それに倣うことにした。
エイラはスイカに一口かじりつく。シャリという耳に心地よい音とともに、口の中に清涼
感とみずみずしい甘味が広がっていく。なるほど、確かにこの暑さの中では一番の食べ物
かもしれない。
「うまいなぁ、これ」
「でしょ」
「で、種は・・・」
エイラは口の中で果肉と選り分け、頬張っている種をお盆の上に落とした。
「小さい頃はよく種の飛ばしあいっこをしたんですよ」
そう言うと、芳佳は庭先へと勢いよく口の中の種を飛ばした。
「こんな感じで」
「ふ~ん」
エイラは気の無い体を装いながらも、芳佳と同じように種を飛ばした。
その飛距離は、芳佳のものをはるかに超えるものだった。
「私の勝ちだな」
エイラはニヤリとした顔を芳佳に向ける。
「さっ、さっきのは本気じゃなかったんです。これでも小さい頃は負け知らずだったんで
すから」
「じゃあ、その記録も今日で終わりだな」
その後も二人はスイカにむしゃむしゃとかぶりつきながら、口から飛ばす種の飛距離を競
いあった。そして気がつくと、両者のスイカは共に皮の白い部分が現れ始めていた。
「おい、ほっぺたに種ついてんぞ」
「えっ、そうですか」
「しょうがないなぁ」
エイラは、芳佳のほっぺたに着いた種を取り、食べ尽くされたスイカの皮が二つ並ぶお盆
の上に落とした。
「それにしてもうまかったなぁ。それに楽しかった・・・あ、でもさっきのツンツンメガ
ネが見たらたぶん怒んだろうなぁ」
「はは、そうですね」
エイラの言葉に芳佳も思わず苦笑いをする。
「よくもまぁ、そんな品の無いことができますわねって」
「よくもまぁ、そんな品の無いことができますわねって」
思わぬハーモニーに二人は顔を見合わせる。そして、どちらからともなく笑い声を立てた。
「でも、坂本さんがやってたらペリーヌさんも参加するんじゃないかな」
「そうだな。あ、でも慌てて食べだしてメガネがベチャベチャになってるかもな」
その言葉に今度は芳佳が最初に小さな笑い声を立てる。それにつられてエイラも笑った。
まだまだ蝉時雨がやむことは無かった。だが、そんな中で二人の明るい笑い声は、高らか
に、そしていつまでも響いていた。
完