ヒドランジアに馳せる友
何度ころんだって、めげたりしない。
躓いたって、何度だって立ち上がろうとする。
雨の中だって、とても綺麗に咲き誇る。
そんな姿を滑稽だって、笑う人だって確かにいたけど。
知っているかな?私はそんな君を、とても誇りに思っているんだ。
「…ふうん、アジサイって言うのか、あの花」
「エイラさん知らなかったの!?」
アジサイが咲いてるね。
事の発端はミヤフジの、そんな何気ない一言で。だからこそ傍らですっかり舟を漕いでいるにも
かかわらず頑として部屋には行かないと言い張るサーニャを寝かしつけながらそんな気のない返事を
返したりしたのだった。今は待機中。なんとなく集まった中庭で、のんびりとリーネの淹れてくれた
紅茶を飲んだりしている。
信じられない、といわんばかりに身を乗り出して詰め寄られるから、私はすっかりうろたえてしま
った。びくり、と体を振るわせたその瞬間、私の肩に寄りかかっていたサーニャの体がずれてすっぽ
りと膝の上に収まる。けれどそんなことに頓着はできない。だってミヤフジと来たら、それでも飽き
足らないとばかりに言葉を重ねてくるのだ。
「だってエイラさん、ブリタニアに来てから長いでしょう?」
「…いやー、だれも教えてくんなかったし」
「気になったりしなかったの?!」
「んなこといわれたってなあ…全くって感じだな。」
頭をかきながら答えると、「えええええー」なんていう不満げな声。ちょっと待て、なんでお前に
文句を言われなくちゃいけないんだ。なんだか腑に落ちなくて、つい口を尖らせて見る。膝の上の
サーニャはというとお気に入りの枕を抱いて、ようやっと安住の地を見つけたといわんばかりに
すっかりと夢の中。それを見ているだけでなんだか顔が緩んでしまう私は、何だか現金だ。
「リーネちゃんは知ってたよねえ?」
「え、あ、う、うん。アジサイはブリタニアでも有名だし…」
「ほらー!!」
「あのなあ、ブリタニアとスオムスを一緒にすんなっての。どんだけ離れてると思ってんだよー」
そうしてめぐらせる視線の先には、こんもりとした緑。紫色の大きな彩りが、いくつもその上に
塊を作っている。こんなにも目立つ花なのに、そう言えばどうしてか今までそこまで気にした事が
なかった。
あの色のついた部分は本当は花じゃなくて、「ガク」なんだよとか、扶桑では青紫色が多いけど
ブリタニアはピンク色なんだね、とか、なんだかいろいろ説明してくるミヤフジのことはとりあえず
放っておいて私はサーニャの頭を撫でた。ふわふわと柔らかい感触。ふわりと漂う、シャンプーの
香り。軽く身じろぎしたサーニャが薄く目を開いて、ちょっとだけ不満げに私を見上げてくる。
ごめんごめん、ほんの少し慌てながら答えるけれど、緩んだ顔はしまらない。大人びた顔で、物憂げ
に視線をめぐらせるばかりのサーニャが、寝ぼけているときだけはこんなに子供になる。そんな我侭
をもって私に甘えてくるその姿が一番好きだなんて、気恥ずかしくて本人にはとてもとても言えない。
「──それで、雨が降ってるとき、一番綺麗なの」
そんな言葉で締められて、とりあえずミヤフジ大先生のアジサイ講座は終了したらしい。すごい
すごい、詳しいね芳佳ちゃん!なんて手を叩いてはしゃいだ声を上げるリーネはとりあえず放って
おこう。この二人のやり取りにいちいち付き合ってるとやたらと疲れる。
そのとき──ぽつり、…ぽつり。
先ほどまではすっきりと晴れていた雲行きがいつのまにやら更にどんよりと曇って、雨の訪れを
告げた。ああ、そう言われてみれば風が少し湿っぽかったな、なんて今更になって考える。それでも
雨が降ることを予期できなかったというのは、相当ぼんやりしていたのだろうと思った。
「はわわわ、あめ、あめ!!…もうっ」
慌ててリーネが茶器をしまい始める。私もサーニャを起こして、それでも起きる気配がなかった
のでしかたなく魔法を発動して抱え上げて、そうして慌しく基地に逃げ込んだ頃には、雨脚はすっかり
強くなってしまっていた。サーニャに風邪を引かせるわけには行かないと、4人連れ立って風呂に
入って、ちょうどいいから夕飯の下ごしらえをするというミヤフジたちを別れてサーニャと二人、
談話室に向かった。
他に誰もいない談話室には、しとしとという雨の音ばかりがやたらと響く。特に何をする予定も
なく、何か面白いものはないかとさほど期待もせずに談話室を見渡した。
「すっかり降っちゃってんなあ」
うっかりともらしてしまう、ひとり言。雨の日は余り好きじゃない。空がくぐもっているだけで
なんだか気分がすっかり陰鬱になってしまって困る。身にまとった少し渋い空色の衣服を見て、
数時間前までのはれた空に思いを馳せる。そして、窓の外の薄暗い景色につい、ため息をついた。
(……ん?)
そのときふと、その景色に明るい一部分を見つけて私は少し目を見開く。風呂に入って温まった
からだろう、またうつらうつらとしているサーニャをソファーに座らせて、そちらのほうに足を
進めた。太陽のように明るくて丸い、紫色がいくつもそこにはあって、窓のすぐ近くまで来て手を
ついて、向こう側の景色を見てやっと、その窓のすぐ近くに低い木が植えられているのを知った。
──不思議だった。雨はいまだ降り続いて、外は薄暗くて。けれどもその一部分だけ、どうしてか
ひどく絵になって見えるのだ。花って言うのは晴れた日に、太陽の下でだけ輝くものだと思っていた
のに、なんでだろう。その木に咲いたまあるい花の一束一束は、雨の降った今になってやっと気づ
くほどに雨の中で映えるのだ。
(それで、雨が降ってるとき、一番綺麗なの)
胸を掠めるのは、先ほどのミヤフジの言葉。そこでようやっと、ああこの花はアジサイというの
だったっけ、と思い出す。ツユとかいう扶桑の長雨の時期に、一番綺麗に咲く花。気候の違いもある
のだろう、故郷では見かけたことのない花だった。余りの綺麗さにブリタニアにまで渡って品種改良
が行われたというアジサイは、こんな大仰な様で咲くくせにどうしてか今まで一度も私の胸に残ら
なかった。今日ミヤフジがポツリとこぼすまで名前さえ気に掛からなかったほどの、そんな私に
とっては興味ももてない花で。それなのに。
「…きれいだな」
思わずそんなことを呟いてしまう。らしくもない言葉を、嫌いなはずの雨降りの景色に向かって
口にしてしまう。だってこいつときたら、わざわざ雨の日ばかりを選んで、こうして綺麗に咲き誇る
んだ。
(なんつーか、あれだ、あいつみたいだ。)
思い馳せるのは故郷の友。腕は確かなのにどうしてか不運ばかりに付きまとわれて、ストライカー
を壊したり相打ちしそうになったりしていた。何度も撃墜の憂き目に会って、今度こそ死ぬんじゃ
ないかと何度も何度もひやりとしたのに、その度にけろりとした顔で戻ってきて。そんなあいつに
向かって私は悪態ばかりをついていたけど、けれども戻って来てくれたときは本当は泣きそうな
くらいに嬉しかったことを、あいつはきっと知らないだろう。今私がこうしてブリタニアで故郷を
さほど気にせずに戦っていられるのも、私の出向と同時にあいつが戦闘班から外されたからだった。
私の見ていないところであいつがまた怪我をして、今度こそ命まで落としてしまったら。そう考え
たら内心、気が気でないくらいなんだ。それくらい本当は大切なんだ。
(元気してるかな、ニパ。)
似てる、と思う。どこが、どう、なんて並べ立てるのは難しいけれど、だってほら、こんな雨の中
だって言うのにこんなにも咲き誇るんだ。あんなに不幸な目にあって、それでもスコアは立派な
あいつ。もしかしたら私よりもずっと、才能があるのかもしれない。 「ツイてない」なんて笑う
やつだって確かにいたけど、私だってその中の一人だったりしたけれど。私は本当はむしろ、あいつ
はすごくラッキーなやつ何じゃないかと思うんだ。あれだけの目にあって今も五体満足で生きていて
くれている。それがどれだけ私を安心させているか、私がそれにどれだけ感謝しているか、あいつは
絶対に知らない。でもそれでもいいんだ。近くたって、遠くたって、心から。私はあいつの無事を
祈ってる。それが一番、大切なこと。
カレンダーの日付を見れば今日はあいつの誕生日で、けれども私はあいつに何の祝いも送って
やっていない。そんなの私の柄じゃないってことはわかっているもの。あいつだってきっと、そんな
ことを私がしたら「イッルらしくないぞ」と笑うのに違いない。
「エイラ、何を見ているの…?」
ふいに、ぽふりと。
背中に衝撃が走って、そんな言葉が聞こえた。サーニャ?確かめるまでもないのに尋ねたら、
背中から頷いた感覚がする。
「アジサイ、見てた」
「あじさい?」
「ほら、あの花」
後ろから顔を出したサーニャに指差してやる。ああ、あの花ね。頷いたサーニャが私の傍らに
やってきて、そしてどうしてか前のほうにまでぐるりと回ってくる。くい、と顔が上げられて、
エメラルドの瞳が私を見上げてくる。……なんでだろう、私にはそれが、サーニャの私に対する
やさしさに感じた。今、あなたの考えていることを私に言ってもいいのよ。そんな風に語りかけて、
私の内面を引き出して、優しく撫でてくれているかのような。
「…あのさ、サーニャ」
「なあに?」
「今日は、ともだちの、誕生日なんだ」
「……スオムスの?」
「…うん」
なら、お祝いをしてあげなくちゃだめね。
にこ、と笑ってサーニャが私にそんな当たり前のことを言う。いや、いいよ。そんな仲じゃないし。
思わずそう言い返すと「だめよ」とたしなめられてしまった。
「大切な人のお祝いは、ちゃんとしてあげなくちゃ」
「……そうだな」
大切だから、お祝いする。そんな当たり前のことを、当たり前に教えてくれるのがうれしい。だっ
て私みたいな人間は頭ではわかっていたってなんだかんだでそれを実行に移すことをしないんだ。
「どんなに遅れたって、お祝いの言葉、上げなくちゃ。……それがおともだち、でしょう?」
「そうだな」
ぎゅうと後ろからサーニャの体を抱え込んで、すっかり乾いたその頭に顔をうずめる。くるしいよ、
とサーニャに言われたけれど、でもなんだか愛しさが募ったから離すことは出来そうになかった。
どうしようもなく、心が高ぶっている。
綺麗な花ね、とサーニャが言う。雨の中でも、こんなに綺麗に咲く花があるのね。
うん、そうだな。私も答える。雨の中でだって、ちゃんと綺麗に咲く花があるんだな。
どのくらい遅くなるのか分からないバースデーカードには心ばかりのお祝いの言葉と、そしてアジ
サイの花の絵でも描いて贈ろう。
明日も雨が降らないかな。今日一日だけじゃぜんぜん、この魅力をつかみ取れそうにないから。
そんなことを考えながら、静かに二人、咲き誇るアジサイを見ていた。
おわり