Love Love Nightmare ウルスラ編+エルマは見ていた編


 今日一日、ウルスラに相談すると決めていたにも関わらず、中々声を掛けられずにいた。
 もう夕食も済んでしまい、風呂にでも入って寝るだけ…。そんな時間だった。
 あまりウルスラと話す機会も無いから、どうも会話の切っ掛けを作ることが出来ないのだ。
 いざ一言でも反応してくれたなら、私も口に出す事が出来るのに。その一言が声帯を通ってこない。
 やきもきしている間に灰皿には山ほど吸い殻が溜まっていた。流石に喫み過ぎた。明日は半日くらいは禁煙しないと急激に体調を崩してしまいそうだ。
「ビューリング、あなた…大丈夫?」
「え?」
 燃え滓から目線を上げると、艶のある黒髪が私を見下ろしていた。智子だった。
「っと…何のことだ? 別に悪いところなんか、無いんだが…?」
「…そう? ならいいんだけど…。酷く落ち込んでいるように見えたから」
 智子が私なんかを心配してどうするんだ。自分の周りを戒心するのが先だろうに。…まあ、つい喫み過ぎた私が言えたことではないか…。
「何も悩むようなことなんて無い。放っておいてくれ!」
 激しくなった鼓動に呼応したかのように、どうしてか突っ撥ねてしまう。語尾が強くなってしまって、慌てて弁解しようとしたのだが。
「ごめん、そういうつもりじゃなくて…。ただ元気出して欲しかっただけで…」
 智子は、私を凶悪な罪人でもみるような恐れを含む声色で両手を振ったのだ。
「あぁいや…すまん。強く言いすぎただけなんだ…。…智子は悪くない」
「気にしないで…先に寝るわ」
 すっかり智子の気が離れてしまったようで、悄然とした背中を私に向けて、部屋を出て行ってしまった。
 そんな去り際を見せられたら、私まで…落ち込んでしまう。
 溜息に同調して両手が顔を覆う。曲がる背中を、机についた肘で支えた。
 …ああ、認めよう。私は疲れている。ひどく。ノイローゼ気味だ。楽になりたい。
 脳が撹拌されてしまったかのように支離滅裂なことしか考えられない。
 解決したいのに、原因も因果も分からない。
 答えも見えているはずなのに、過程を組み立てることが出来ない。
 ルーチンが出来上がったかと報告したかと思えば、その論理は白く塗りつぶされてどこかへ消えてしまうのだった。
 滅多に使わなかった手鏡を持ち歩きだしたのは今朝からだ。昼間だけで何度も自分の顔を確認した。その度に、目下の隈が色濃くなっている気がする。
 暮れ泥んできた頃にもう使わないと決めたはずだったのだが、今視認した限りいよいよ深刻な問題となってきている気がした。
 こんなに弱るのは初めてだ。
 風邪を引いても一人で看病してきたからな。ただ、熱もあるわけではないし咳もだるさも無いのだ。
 ただ無性に泣きたくなったり、人恋しくなったり。この病名は一体何なんだ。未承認でもいいから特効薬をくれ…。
 そんなとき、背中を優しく摩ってくる手が現われた。続いて、思いやりに溢れた普段とは違う印象を受ける声。
「智子だって心配してくれてたのねー」
 キャサリンだ。私の背中に触れたまま、隣の席に腰掛けた。
「辛いのは分かるね。誰かに相談してみる気は起きた?」
 カウンセリングの医師のような柔らかな声に、短く答えた。
「……ウルスラ」
「ウルスラに聞いてみるね? 分かった、ミーが呼んでくるね」
 キャサリンの気遣いに心から感謝して、まだ一口分残っていたコーヒーを飲み干して、頬を叩いた。気をしっかり持って話さなければ、彼女は解答を出してはくれないだろうから。
 
 少し待つと、分厚い本を数冊抱えたウルスラが一人でやってきた。
「話があると聞きました」
「…ああ。キャサリンは?」
「相談なので一対一が良いと判断したのではないしょうか」
 敬語なんてしばらく使っているところを見なかったのに、どうして今更…。……まさか、緊張してる? 私相手に?
「ウルスラ、話しづらいから、敬語はやめてくれ」
「…」
 こくりと頷いたのを確認して、私は切り出した。
「それで…ウルスラは、色んな本を読破してきただろう?」
「…」
 これにも頷いたので本題を語ることにした。
「夢について、詳しく知らないか」
「睡眠中に五感等を通じて受信した情報や潜在意識によって――」
「いや、説明はいいんだ。…あー」
 よくよく考えたら、ウルスラの興味から外れているような話題である気がしないでもない。そういう乙女チックなのは…読んだのだろうか。
「夢占いとか、夢判断とか…。あるだろう?」
「ある。心理学等の見地から数々の――」
「だから説明はいいんだ」
「…例えば、どんな夢を?」
 やっと会話が成立したらしい。…だが、それにしても、率直すぎる質問に言い淀んでしまった。
 沈黙を苦にしないウルスラに見つめられるプレッシャーをひしひしと感じて、我慢の限界を迎えた私はようやく口に出した。
「……ぃん……なんだ」
「…?」
 聞き取れなかったらしい。顔が火照るのを抑えられなくなって、そっぽを向いて、もう一度言った。
「だからぁ……淫夢を、見てしまうんだ。ここのところ、毎日」
 ウルスラがその言葉を認識してすぐに、ウルスラは私のズボンに注目してきた。いくら女同士とは言え羞恥心が発生した私は足を密着させて両手で覆い、ウルスラの視線を遮った。 
「答えは簡単。欲求不満」
「ふざけないでくれ…」
「至って真面目。明確な解答」
「…」
 煙草を一本だけ取りだして、空となった箱を握りつぶし、屑籠に投げたが軌道がずれて、脇に落ちた。
 拾う気も起きず、火を点けて大きく吸い込んだところでウルスラが口を開いた。
「私なら、手伝える」
 …ポロ。目が丸まった。上着の裾に煙草が落下。思考も止まった。転がって床へと墜落。…あぁ、空しきかな。三秒が経過してしまった。
「お前は…その、…なんだ……。あちら側の人、だったのか…?」
 私は再び机を見つめる体勢に入った。肩にウルスラの手が乗せられ、彼女の声も続いた。
「ただ、解決出来るだけ」
「本だけの知識だろう? 当てにならない」
「あながち、馬鹿に出来ない」
 油断していた私はウルスラに強引に引き寄せられて、平らな胸へと顔を導かれ、両手で、抱きしめられた。
「人間は、抱擁されると心が安らぐ」
 カールスラントの軍服が目前で浅く上下している。流石のウルスラも、動揺は隠せていないようだ。
 それとは正反対に、何故か私は落ち着いて、安心していた。ほっと収まっていたくなる。このまま…。
「ハグは、有用な沈静方法。薬物に頼らなくてもいい」
「確かに…そうみたいだ……」
 安らぎ。自分よりも遥かに小柄なウルスラにこうやって包まれるだけで、納得出来るほど、諸々の不安や混乱が霧散していった。
「うっ……く」
「……」
 泣いていた。涙が自然と溢れて、ウルスラの服を濡らしていく。ウルスラは、そんな私を抱きしめる手に力を込めて、背中を一定のリズムで撫でさすってくれた。
「今なら、誰もいない。遠慮はしないで」
 頷いて、私は声を上げた。溢れ出る感情を目一杯解き放つ。ついには、私がウルスラを強く引き寄せて泣きじゃくっていた。
「こんな…はずじゃ、ひぅ…なかった……」
「…気にしないで。ずっと此処にいる。ともだちだから」
 一度決壊した堰は中々戻らなかった。ウルスラの教本のような慰めでも結局はそれが一番良い方法なのだと、思い知った。
 
――
――
 
 わたし、エルマはそんな二人の様子を影から見守っていました。ウルスラさんには見つかっていたようですけど、彼女はビューリングさんを気遣って誰もいないと言ってくれたようです。
 実はわたし、ここ最近ずっとビューリングさんを見守っていたんです。
 数日前を境に突然挙動不審になって、背筋も私みたいに猫背気味になってきて、とても見ていられません…。
 声を掛けようとずっと思っていたのですが、邪険に扱われてしまったら、と考えると怖くて近寄ることが出来ません…。
 一人でコーヒーを飲みながら溜息を吐いている姿なんか、信頼していたご主人様に捨てられてしまった犬のようで…。使い魔がダックスフントですから…余計にそう思えるのかも知れません。かわいいですけど…。
 もちろんビューリングさんが前と同じく全員に敵意をむき出すような人ではないことは分かっているのですけど…。
 ほら、女の子には、色々ありますから……。もしかすると、と考えると声を掛けられずにいました。
 でも、ウルスラさんの抱擁がすごく効いているみたいで、ビューリングさんもこれで大丈夫そうですね。
 だけど、本当に解決になるのかしら? わたし、どうも心配性で、これで全部終わったとは思えないんです。
 ビューリングさんも、何かもっと抱えている物があるはずなんです。
 今は…その、泣いてしまって言葉にならないみたいですし…。
 わたしたちが何か力になれればいいんですけど…、今まで愚痴なんて大っぴらに晒したことのないビューリングさんに、それを求めるのは少々酷だと思います。
 でも意外です。ウルスラさんには才能があるんですね、きっと。わたしも今度、愚痴を聞いて貰おうかしら、なんて。
 それにしても、心配です。…そうだ、ハッキネン大尉にお話をしてみましょう。いい考えだわ!
 思い立って、わたしは静かに静かに、部屋を出た。
 
「ハッキネン大尉、失礼します、エルマです」
「どうぞ」
 遠慮しがちに中には居ると、こんな時間にも関わらず椅子に掛けて全てを俯瞰するようにそこに居る大尉に感嘆した。
「どうかしましたか?」
「あの、実はお話があるんです」
「それは…隊員に関わること?」
「はい。隊員の…心境に関することです」
「心境…。確かに兵威は保つべきだし、士気が落ちるようならば問題ですね」
「はい。そう思って…。それで、その、ビューリング少尉に関してなんです」
 そう切り出すと、大尉は近場のスケジュール表を眺めて、言った。
「…なるほど。最近は穴吹中尉の訓練も欠席が続いていますね。直に会ってはいないので、近況を報告してください」
「はい。最近、ビューリング少尉はその、何か思い悩むことがあるみたいで、ずっと独りで、抱え込んでいるみたいなんです」
「…どうも不明瞭ですね。何が原因か分かりますか?」
「ごめんなさい、そこまでは分かりません…」
 ふむ、と顎に指を当てて考え込んだハッキネン大尉は、数秒の後にアドバイスをしてくれました。
「幸い、中隊には陽気なオヘア少尉、それに博識なウルスラ曹長がいます。
もう少し穿った見方をするならば、穴吹中尉も隊員を思ういい人ですし、チュインニ准尉も一回り老成した見方が出来る人です。
…心配することは、無いでしょう。近いうちに立ち直る…そうハッキネン個人は思いますね」
「なるほど…」
 わたしとハルカさんは勘定に入っていないようです…。
「ネウロイの侵攻も一段落付いているようですから、もし機会があれば、ビューリング少尉にはしっかり養生するよう伝えてください。後、気が乗れば私に相談しても構わない、と」
 相談だけは絶対にしないだろうなぁ…とわたしは思います。
「分かりました。お話ししたいことは以上です。ありがとうございました」
「ええ。あなたも、心配のし過ぎで体調を崩さないように」
「はい!」

――
――

「すまない、ウルスラ」
 やっと落ち着いてまともに喋られるようになった私は、顔を上げた。
「ありがとう、助かった」
 立ち上がろうとした手を、掴まれる。ウルスラは、真剣な目付きで私を見つめてきた。
「まだ終わっていない。精神的負担を取り除くだけでは、まだ終わりじゃない」
「な、何を言ってるんだ…?」
「これからベッドで本番。本格的な治療をする」
「…待ってくれ、それだけはいい。やめてくれ!」
 掴む手を剥がす。折角平静を取り戻したというのに、また逆戻りじゃないか!
「欲望を晴らさないと、あなたを根本的に救うことは出来ない」
 普段からは想像も付かないほど、険しい表情のウルスラ、下から見上げるその目を、見ていられなかった。
「いいんだ…。今ので落ち着いた。もう、大丈夫だから、放っておいてくれ…」
「でも」
「悪い…。黙って胸を貸してくれたのは本当に感謝してる。だが、それだけは…いい」
「……………そう」
 長い沈黙の末、理解してくれたようだ。
 私はウルスラの頭をくしゃくしゃと撫でてから、ウルスラのあまりに生々しい"これからの眺望"に、再び勢いを増した火種があることを感じながら、立ち去った。
 
 
 ――スオムス基地に派遣されたんだが、私はもう限界かも知れない。
 その晩は、ウルスラに押し倒されてしまう夢を見た。
 
 キャサリンもウルスラも突っ撥ねてしまって、智子にも怒鳴ってしまったから、敬遠されてしまうだろう…。
 私はこれから、どうすればいいんだ…。
 やっと居場所を見つけたかも知れないこの中隊を、去らなければならないのだろうか。
 ウルスラに素直に頼んでおけば…夢を見ずに済んだかも知れなかった。
 後悔が私を襲い、翌朝の寝覚めは過去最悪だった。
 そんな私に声を掛けたのは、すっかり失念していた、"彼女"だった――。

ーー 続く。



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